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黒魔術師松本沙耶香  紫蝶篇

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30部分:第三十章


第三十章

 依子はその雷を前にしても平然と立っている。ただその右手に纏わらせている蝶達を動かしてきただけであった。
「甘いわね」
 その蝶達を前にやるだけだった。それで雷を消し去ってしまった。
「雷までね」
「知っている筈よ。この蝶達は」
 雷を消して再びその蝶達を身体の周りに漂わせて述べる。
「私そのもの。それで消せない筈がないわよね」
「この程度の魔術はってことね」
「そうよ。わかっているじゃない」
 顔のすぐ側に紫の蝶が一匹漂う。依子はその蝶を横目で見ながらくすりと笑みを浮かべてきた。
「さて。それでは私は」
 速水はカードを投げはしなかった。そのかわりにカードを切ってきた。
「貴女に向ける送別のレクイエム」
「あら、丁重ね」
「人を送るにはそれなりのものがあるもの」
 そう語りながらカードを繰り出す。そのカードは。
「さあ、これを」 
 出してきたのは十三番目のカード、死神であった。死神そのものがカードから飛び出し大鎌を手に依子に向かう。蓮の上も水面も滑るようにして進んできた。
「さあ、死神よ」
 速水は死神が動くと同時に上に跳んでいた。
「彼女に今死の安らぎを」
「その言葉はどうかしら」
 依子はその言葉に薄い笑いを向けてきた。死神を前にしても余裕であった。
「死は甘美な音色を持つもの」
「ですからそれを今貴女に捧げるのですよ」
「生憎だけれど」
 今死ぬつもりは依子にはなかった。それを今はっきりと述べてきた。
「そのつもりはないわ。だから」
「死神と私からは逃れられませんよ」
 彼は次のカードを出してきた。吊るし人だ。彼が放つ鎖で依子を捕らえようというのだ。
 しかしそれは適わなかった。依子はその鎖を紫の蝶達の粉で腐食させていく。粉のバリアーに防がれた鎖は彼女のすぐ前でまるで高温の中に置かれた鉄のように赤く溶けて落ちたのであった。
「これは」
「見事なものね」
 速水に対して答える。
「死神の鎌と吊るし人の鎖の二つを使うとはね。また腕をあげたわね」
 腐り落ちた鎖を眺めながら悠然と笑って述べる。しかしそのすぐ前に死神の鎌が迫る。鎌は真一文字に依子の首を狙っていた。
「このままいけば」
 依子はその鎌が自分に迫るのを眺めながら悠然と述べる。
「私の首は落ちるわね」
「残念ですがね」
「そうね。あくまでこのままね」
 しかし依子の余裕は変わらない。まるで自分が何があっても無事であるとわかっているようにだ。
「けれど。そうはいかないわ」
 その鎌をかわすことはしなかった。何と鎌が彼の首を通り抜けたのであった。
「むっ!?」
「言った筈よ」
 鎌をすり抜けさせて速水に述べる。
「ここは私の世界だと。この蝶達は」
「まさか」
「そうよ」
 上にいる速水の上から声がした。
「私の世界だから。あそこにいる私はあくまで幻影」
 そこに依子がいた。上から速水を狙っている。
「私はここにるわ。そして」
 全身に蝶を纏わせる。それで速水を包み込もうとしている。
「この蝶達はあそこにいるのもここにいるのも本物よ」
「そうですか。そしてその蝶で」
「魔界に旅立ちなさい」
 蝶を舞わせてきた。
「この蝶で」
 蝶達が速水に向かう。しかしそれを見ても彼は先程の依子と同じく悠然とした態度であった。そこに襲い掛かる蝶達を前にしてもだ。見ればその手には既にカードがある。
「蝶に対するならば私はこれです」
 星のカードだった。それをかざすとそこから無数の光の星が飛び出した。それで蝶達を消し去るのだった。
 そのうえで蓮の上に着地する。悠然と上を眺めながら依子と対峙する。上を見ているのは沙耶香も同じであった。じっと彼を見据えている。
「随分好き放題やってくれるわね」
 沙耶香はそう依子に声をかける。
「絵の世界で」
「ダリの絵はまさしく魔術の世界」
 沙耶香を見下ろしてそう述べる。述べる顔は仮面の如き邪な笑みになっていた。
「だからこそ私は選んだのよ」
「戦場、そして力を使いにね」
「そうよ。わかってくれたわね」
「わかったわ。それじゃあ」
 今度は右手に青い雷を宿らせてきた。
「こちらも。本気を出させてもらうわ」
「青い雷を。どうするのかしら」
「簡単なことよ」
 その青い雷を水面に投げ入れた。すると雷はその中で派手に暴れ狂いその中で力をさらに増して上に向かって無数の雷の柱を立ててきたのであった。
「戦い方は幾らでもあるのよ」
 沙耶香はその雷の中で笑っていた。依子を見上げて得意げに笑っていた。
「貴女の世界の中でもね」
「そうね。けれど」
 依子はその周りに相変わらず蝶達をまとわせている。その蝶達を動かせてきた。
「雷は。効かないってわかってるわね」
 まるで無数の龍の様に水面から空へ暴れ狂う無数の雷達であった。上から下へ、下から上へ幾条もうねり依子に迫る。だがそれを見ても態度は変わらない。それには理由があった。それはやはり蝶の力故であった。
「ほら」
 雷は打ち消された。やはり紫の蝶達は青い雷でさえも通じなかったのであった。
「効かなかったわね」
 依子は青い雷が次々に消されるのを横目で見ながら述べた。白い顔と服の周りで青い光と紫の羽根が飛び散りその二つの色が彼女の顔と身体を照らすのだった。青と紫の色で白が染められる。

 
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