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黒魔術師松本沙耶香  紫蝶篇

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27部分:第二十七章


第二十七章

 次の日沙耶香は速水のところに来た。扉をノックすると自然にその扉が開いてきた。
「お待ちしておりました」
「待っていたのね」
「ええ。来られると思っていました」
 そう沙耶香に答える。見れば彼はテーブルに座っていた。
 既に朝食や身支度を整えているのか落ち着いた様子であった。涼しげな顔で沙耶香に対して声をかけてきたのである。
「見つけられたのですね」
「わかるのね」
「はい、カードが教えてくれました」
 懐から一枚のカードを出す。それは運命の輪であった。
「いよいよ大きく動きだしましたね」
「そうね。絵よ」
 速水のところにやって来る。静かに歩きながら言葉を進める。
「絵、ですか」
「そうよ。彼女の居場所はね」
「絵の中ですか」
 速水はそれを聞いてすぐに依子が何処にいるのか小さなことはわかった。しかしおおよその場所はまだわからなかった。
「それでどの絵ですか?」
「ダリの絵。場所はプラド美術館よ」
「ほう」
 速水はプラド美術館と聞いてその目を細めさせてきた。
「あそこですか。それはまた」
「いい場所でしょ」
 沙耶香は速水に問う。問いながら速水の向かいに座ってきた。
「場所としては」
「そうですね。しかしダリですか」
 速水も沙耶香と同じところに疑問を抱いてきた。二人の見ているところは同じであった。
「彼女の趣味とはまた違いますね」
「そう思うでしょ」
 速水のその言葉に目を細めさせ口元を微かにあげてきた。
「はい。マグリットならともかく」
 ルネ=マグリットのことである。ベルギーのシュール=リアリズムの大家だ。ダリと並び称される偉大な画家である。しかし作風はマグリットの方が幻想的でありダリのいささか怪奇めいたものとは趣きが違っている。
「ダリとは」
「蟻のことね」
「そうね、蟻ね」
 沙耶香もそれについて述べる。
「ダリといえば蟻。そうね」
「はい。今あの方が使っておられるのは」
「それでもよ」
 だが沙耶香は言う。
「それだけじゃないの。わかるかしら」
「あの紫の蝶ですか」
 速水はすぐにそこにも察しをつけてきた。
「だからあの紫の蝶は」
「ええ。絵にあるらしいわ」
 速水にそう述べる。述べながらダリの絵について語る。
「プラドにダリの絵が入ったの。それに」
「紫の蝶が描かれていると」
「そうよ。彼女はそこにいるわ」
「紫の蝶の絵の中に」
 速水もそれを聞いてその右目を光らせる。黒い光がその眼に宿っている。
「わかりました。どうやら見つけるのは簡単なようですね」
「どうしてかしら」
 すっと笑みを浮かべる速水に問う。
「何故ですか。蝶だからですよ」
 それが彼の答えであった。
「ダリの紫の蝶ならばすぐに見つかります。ですから」
「プラドは広いわよ。それでもわかるのかしら」
「わかります。それに」
「それに?」
 今度は沙耶香が問う。問いながらすっと速水の目を見る。
「あの方の魔力はよく存じていますので」
「そうね。それは私も」
 沙耶香もそれに応える。
「そういうことね。それじゃあ」
「ええ。わかりますね」
「では今夜ね」
「今夜ですか」
「昼に行くわけにはいかないでしょう?」
 笑みを元の妖艶なものに戻す。そのうえで彼に言うのであった。
「決着をつけるのは」
「ふふふ、確かに」
 速水もそれに同意する。同意しながらカードを懐の中に収める。
「夜こそが相応しいですね」
「彼女にとっても私達にとってもね」
「やはり我々は夜の世界の者ということでしょうか」
 速水はうっすらと笑って言ってきた。
「どうでしょうか」
「そうね。少なくとも」
 沙耶香はそれに応えて述べる。
「夜が好きではなくて?」
「嫌いになれる筈がありません」
 笑みをそのままに答える。
「私にとっては。それは貴女も同じですね」
「勿論よ」
 沙耶香も速水と同じ笑みで返す。
「夜の美しさは琥珀と紫苑の美しさ」
 そう述べる。
「その中で戦うことこそが至高の美なのだからね」
「わかりました。それでは」
「ええ」
 二人は夜を待ち戦いに向かう。昼の太陽はやがて落ち夜の月が空を支配する。そこにあるのは黄金色の大きな満月であった。
 沙耶香はその月を見上げていた。見上げながら述べるのであった。
「まずは綺麗な月夜ね」
「これもまた戦いに相応しいですか」
「いえ」
 だがその言葉には首を横に振る。
「この月は戦いには相応しくないわ。むしろ」
「むしろ?」
「戦いの後にこそ相応しいものね」
 細い目をゆっくりと細めながら述べる。
「勝利の後でね」
「勝利の後でですか」
「そうよ。この月は」
 それが沙耶香の今の考えであった、その意識は時として気紛れであり時として確固たるものであった。今はその月を見て笑うのであった。

 
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