| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

黒魔術師松本沙耶香 妖霧篇

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
次ページ > 目次
 

8部分:第八章


第八章

 その黒い花は魔物を倒し終えるとその場を後にした。そしてロンドンからも去ろうとしていた。
「ここにいたんですか」
 港で豪華な客船が一隻泊まっていた。そこに入ろうとする客の一人を二人の若い男が呼び止めた。
「あら」
 客はその声を聞き振り向いた。黒づくめのスーツをしたその女性は沙耶香であった。
「何故こちらに」
「何故も何もないですよ」
 ハーネストは困った顔をして沙耶香に言った。
「何も言わずに去られるなんて。事件が終わったからそれで終わりではないでしょう」
「それで終わりだと思っていましたけれど」
 沙耶香はしれっとした態度でそう返す。
「謝礼は銀行に振り込んでもらっていますし。他に何か」
「お別れの挨拶があります」
 ハーネストはまた言った。
「違いますか」
「明日もわからない者に対してさよならもないでしょう」
 彼女はその言葉にはそう返した。
「何時死ぬかわからないのがこの仕事。それでさよならとは」
「生涯の別れとなるということですか」
「はい。ですからそのまま去ろうと思ったのですが」
「それはわかりましたがそれではあまりにも薄情でしょう」
「それは否定しません」
「では何故」
「誰とも生涯の別れはしたくありませんので。また御会いしたいのならば」
「ではいい言葉がありますよ」
 ここでマクガイヤが出て来た。
「それは一体」
「日本にもある言葉ですがね」
 少しもったいぶっていた。
「それでも宜しいでしょうか」
「ええ」
 沙耶香はそれに頷いた。
「どのような言葉でしょうか」
「シーユーアゲイン」
 彼はにこりと笑ってこう言った。
「シーユーアゲイン」
「日本ではまた会いましょうという意味でしたね」
「はい」 
 沙耶香はそれに頷いた。
「その通りですけれど」
「ではこれでいいですね。シーユーアゲイン」
 マクガイヤはまた言った。
「またロンドンにいらして下さい。お待ちしております」
「宜しいのですか」
 沙耶香はそれを聞くとにこりと笑ってこう言ってきた。
「といいますと」
「私がここに来る時は仕事の時ですが」
「はい」
「その時は魔物か何かがロンドンに出て来る時ですが。それでも宜しいでしょうか」
「それを言われるとロンドン、そしてイギリスからは離れられませんよ」
「あら」
 ハーネストの言葉に顔を向けた。
「それはまたどうしてですか」
「何故なら我がイギリス、そしてロンドンは魔物と幽霊の宝庫だからです」
 何故か胸を張っていた。
「何時どんな者達が異界から現われるかわかりません。それは御存知だと思っていましたが」
「忘れていましたわ」
 にこりとした笑みを戻して言う。
「けれどそれだからといってこの街にばかり留まることは。私は日本におりますので」
「ではまた何かあれば御呼びするということで宜しいでしょうか」
 ハーネストがこう提案してきた。
「今回と同じように助っ人として」
「ええ、それなら」
 沙耶香はそれに頷いた。
「喜んで。来させてもらいますわ」
「それは何より」
「ではあらためて言いますね」
 そしてマクガイヤがまた言った。
「シーユーアゲイン」
「シーユーアゲイン」
 ハーネストも言った。
「また御会いしましょう。機会があれば」
「はい」
 沙耶香もそれに応えた。そして彼女も言った。
「シーユーアゲイン」
「また御会いしましょう」
「機会があれば」
 互いに言い合う。
「ロンドンの女の子達も気に入りましたし」
「そちらですか」
「何なら男の子達でもよいですが」
「そちらは期待できないですね」
 ハーネストは苦笑しながら言葉を返した。
「ロンドンは男同士の愛の街ですから」
 これは本当のことであった。ロンドンは欧州においてホモセクシャルの聖地の一つとまで言われているのである。その為か隣国の政治家にそれを皮肉られたこともある。少なくともオスカー=ワイルドの時代とは全く異なっているのが現在のロンドンの風俗の実情であった。
「美男子を選ぶのは苦労しますよ」
「それは甘いですわね」
「何と」
「男も女も陥落させるのは簡単なこと」
 笑みを妖しげなものに変えてきた。
「この目で見るだけで。目の動きだけで陥落させることができます」
「それも魔術ということですか」
「はい」
 沙耶香は答えた。
「これもまた魔術。それもとっておきの」
「怖いですね」
「それでは警部さん達も如何ですか」
「いえ、私は生憎」
 だが彼は苦笑してそれを拒んだ。
「婚約者がいますので」
「私も。恋人がいますから」
「あら、残念」
 それを言われるとあっさりと引っ込んだ。
「それでは仕方ありませんわね」
「それは私もですよ」
「私も」
「そのわりにはホッとしたようなお顔ですけれど」
「えっ、そうでしょうか」
 二人は沙耶香にそう言われると少し慌てた様子になった。
「冗談ですわ」
 そんな二人の様子を見て気が晴れたのかにこりとした笑みに戻っていた。そして言った。
「それではまた」
「はい。御会いしましょう」
 そしてまたもや挨拶を交わした。
「日本にいらした時は是非おいで下さい」
「場所はどちらでしたっけ」
「東京ですわ」
 彼女は言った。
「一〇〇〇万の魔都。そこが御二人を待っていますわよ」
「一〇〇〇万の魔都ですか」
「ええ。是非おいで下さい」
 ラッタルを登りながら言う。
「今度はそちらで。夜に御会いしましょう」
「はい、夜に」
 二人は言った。
「それが貴女のおられる世界ですからね」
「はい」
 最後に頷いた。
「それでは」
「最後のシーユーアゲインを」
「シーユーアゲイン」
 そう言うと踵を返して白い船に乗り込んでいった。白い船の中に一人いるその黒い姿はまるで天界を占拠した堕天使のようであった。

霧の悪魔   完


                 2005・11・25
 
次ページ > 目次
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧