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アンジュラスの鐘

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3部分:第三章


第三章

「私も。この戦争の大義を信じます。それが永遠に残ればいいですね」
「そうですね。そうであることを信じます」
 大尉は背筋を張っていた。その言葉には曇りがない。目もまた。一点の曇りもない目であった。その目にはまさに大義が映っていた。今の時代にはない大義である。だがこの時代には。はっきりと存在していたのだ。それは神父も見ていた。多くの者がそれを見ていたのだ。誤りやまやかしが含まれていたのも事実であろう。だがそれでも大義はあった。だから皆この戦争に従ったのだ。さもなければどうして従おうか。国を愛し、大義を信じていた。騙されたわけではなく。それもまた紛れもない事実なのだ。
 暫くは戦局はよかった。だが。次第に悪くなってきているのは皆肌で感じていた。
「彼は今どうしているかな」
 神主と僧侶、そして神父はまた神主の家に集まっていた。そこで車座になって話をしていた。今は昼なので酒は出していない。そもそも酒も茶も次第に手に入りにくくなっていた。それは我慢していた。
「陸軍の航空隊に行ったそうだな」
「というとパイロットか」
「いや、違うらしい」
 僧侶は神主にこう言った。
「整備兵らしいな」
「そっちか」
「ああ。それで南方にいるらしい」
「南方か」
「もうすぐ鹿屋に転属になるとかな。手紙で書いておったわ」
「じゃあ元気なのじゃな」
「とりあえずはな」
「そうか、それは何よりじゃ」
 まずはそれに安心した。
「じゃがのう」
「わかるか」
「うむ。神父さんもわかるじゃろ?」
「はい」
 神父は話を振られてやっと口を開いた。三人を包む空気は何処か重たいものであった。
「まずいですよね」
「軍艦の数がまた減っておるのう」
「それも。帰って来る数が少ない」
「それじゃあ」
「ラジオや新聞ではどうか知らんが。劣勢じゃろうな」
 皆ある程度は肌身で感じていた。特に軍港のあるこの佐世保では。実際にそうしたものを目で見ていた。
「ジワジワとな」
「戦死者も増えているみたいじゃしな」
「ですね」
 神父もそれはわかっていた。死者の為に祈りを捧げることが多くなってきているからだ。そうしたことに携わっているからこそよくわかることであった。
「このままじゃと」
「じゃからな」
 神主はまた僧侶を嗜めた。
「そこから先は」
「済まぬな」
「どちらにしろ鐘は見に行きたいな」
「戦争が終わったら」
「そうじゃ、四人でな」
「そうですね」
「四人で見に行こう。そして鐘が鳴るのを」
「皆で聴きましょう」
「うむ、その時を楽しみにしていよう」
「日本に大義があったらな」
「きっと鐘も残ろう」
「ありますよ。ですから」
「鐘も聴けるな」
「はい、戦争が終わるまでの辛抱です」
「それまでは」
「我慢するか。そのかわり長崎への案内は頼むぞ」
「任せて下さい」
 それから戦局は変わっていった。日本にとって不利になっていくばかりである。佐世保にある船はさらに減り、大尉も神父と会うことは少なくなってきていた。たまに会っても深刻な顔をしていた。
「また、お願いします」
「はい」
 会うのはいつも死者への祈りを捧げることを頼む時だけであった。そうした時にしか会わなくなっていた。祈りを捧げることはさらに多くなった。そして遂には。軍人以外にもそれを捧げることになってしまった。
「今日もじゃな」
「うむ」
 神主と僧侶と三人で街を歩いていた。街のあちこちが焼けてしまっている。
「また空襲で人が死んだ」
「それも何人もじゃ」
「昨日もでしたね」
 三人も暗い顔になっていた。サイパンが陥落し、そこから空襲を受けるようになったのだ。佐世保とて例外ではない。むしろ軍港のある佐世保はかなり執拗に空襲を受けていた。焼夷弾で鎮守府も兵舎も焼け落ち、民家にまで被害が出ていた。
「のう」
 神主は暗い顔で二人に声をかけてきた。
「何じゃ?」
 それに僧侶が応えた。神父も顔を向けていた。
「これから毎日かのう」
「空襲での葬式か」
「そうじゃ。毎日やらなければならぬのかのう」
「これがわし等の仕事じゃぞ」
 僧侶は低い声でそれに返した。
「皆、御国の為に殉じておるのじゃぞ」
「そうじゃったな」
 神主はその言葉に頷いた。俯いてはいるが。
「戦争で死んだ人も、空襲で死んだ人も同じじゃ」
「うむ」
「御国の為に死んでおるのじゃ。わし等にできることは」
「その人達に祈りを捧げることですね」
「極楽へ行って貰う為にな」
「極楽に」
「靖国にな」
「靖国神社ですか」
「そこに皆行くのじゃ。この戦争に尽くした人はな」
「そして天国に」
「なあ二人共」
 神主は僧侶と神父に声をかけてきた。
「何でしょうか」
「戦争で死んだ者を貶めたりする奴は出ないじゃろうな」
「何でそんなことを言うのじゃ?」
「いや、何かふと思ったのじゃ」
 神主は暗い顔で述べた。
「そんな奴が後で出るんじゃないかとな。自分が正しいと言う為にのう」
「他の国のことはわからん」
 僧侶はそれに応えて言った。
「じゃがな。日本でそんな奴が出たならば」
「うむ」
「そいつは人ではない、餓鬼じゃ」
「餓鬼か」
「そうじゃ、少なくともわしはそんな奴には念仏は唱えんぞ。自分が正しいと思う為に他人、ましてやこの戦争で死んだ人達を貶める奴は人ではないわ、地獄に落ちる」
「地獄にのう」
「他の国の人間から見ればまた違う見方もあるじゃろう。わし等でも信じているものが違う」
「確かにな」
「それでも私達は」
「日本人じゃ。自分を清らかに思う為に同じ日本人、ましてや国難に殉じた方々を貶めるのは」
「汚らわしいのう」
「あさましいですね」
 神主と神父はそれぞれ言った。
 
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