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幻影想夜

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第十一夜「君、想う」



 もう春も間近。
 そんな中…久々の雪は一晩降り続き、翌朝には目の眩むような雪景色に一変させていた。
「どうりで寒い訳だ…。」
 カーテンを開き、エアコンのスイッチを入れる。
 仕事を辞めてから一月が経つ。新しい職は見つかったが、心が浮くようなことはない。

―辞めたくはなかったんだけどなぁ…―

 いつもそう思う。
 別に給料が良かった訳じゃない。逆に悪かったと言える。そのために転職を決意したのだから…。
 でも、一つだけ心残りがあった。

―君は今、どうしているんだろうな…。―

 もう擦れ違うことさえない人。もう会うことのない人物。もう関係のなくなった人間…。

―僕のことなんて…もう忘れてるさ…。―

 なんということもない。僕は彼女が好きだった。
 最初はただの仕事仲間でしかなかった。当然、最後までそうだと思っていた。

―忘れるなんて…出来っこないな…。―

 朝、目覚めては、君の顔を思い浮かべるなんてな…ほんと、バカげてるよなぁ?
 僕の居場所には、もう他の誰かが居るんだ。もう戻ることのないあの場所。

―伝えれば…良かったのかな…?―

 出来もしないことを考えてみるが、自分を嘲るしかなかった。
 エアコンから暖かい風が出始めた。

―出掛けよう…。―

 僕は、まだ冷たい部屋の中で身仕度を整えた。

 行く当てなんてない…。ただ、行き着くとこへ行き着くだけのドライブだ。
 今はそうしているしかなかった…。
 一人でじっとしていると、彼女のことを思い出してしまうから…。


   *  *  *


 車のエンジンをかけ、浅く積もった雪を落とした。まだ淡雪が舞ってはいるが、別に差し支えはない。
「久々に冷えるなぁ…。」
 口にした言葉が白く濁った。
 雪を落とし切り、車に乗り込む。曇った窓ガラスを拭き、少し暖まるまで待つ。
 そんな車内で音楽をかける。未だにカセットだが、これで構わない。お気に入りを詰め込んで、それを聴きながらのドライブ。今、唯一の贅沢だ。
 女性ヴォーカルが、切ない程に響いてくる。歌われた歌詞の強烈な印象…。深い悲しみや淋しさ、その向こうを見ようとする生命力…。

―僕に、この強さがあったら…良かったのに…―

 そんな無意味なことを考えつつ、僕は車を発進させた。

 少しずつ雲が晴れ、その隙間から青空が覗いている…。
「どこにいても、君のことしか考えられないなんて…こりゃ重傷だな…。」
 自虐的な言葉を紡いだところで、意味なんてない。そんなことは分かっている。ただ…。
 車は走って行く。周囲の車も、ただ走って行く。

―どんな想いを乗せているのだろう?―

 ふと、そんなメルヘンチックなことを考えてみたが、自分には似合わないなと苦笑した。

―逢いたい…―

 きっと心のどこかで、そう考えていたんだと思う。
 気付くと、以前の通い慣れた道へ車を走らせていた。

―嫌だな…女々しい…―

 そう思いながらも、以前の職場の横を通り過ぎる時、その駐車場を見てしまう。
 一瞬チラッと、白い軽自動車を見つけた。

―ああ、働いてるんだなぁ…。―

 当たり前のことを考える自分を嗜め、スピードを上げた。

―どこへ向かうかな…―

 誰を誘うこともない。違うか…誘うヤツなんていない…だ。
 自分でも、どこへ向かってるかなんて知らない。ただ…どこでもいいんだ…。

   *  *  *


 夕暮れの、紅く燃える様な光。積もった雪に乱反射して、淡い幻を見ているようだった。
 あちこちを見て回り、食事はコンビニで買ったパンで済ませた。
 そんな風にしながら車を走らせていたら、とうとう県境まで来てしまった。
「戻るかなぁ…。」
 僕の一日は無意味だ。いや、僕自身が無意味だな。
 暮れゆく町並みに明かりが灯され始めた。外灯がやけに眩しい…。
 夕日の最後の一雫が落ちると、晴れた夜空には、無数の星を従えた満月が自らを誇張していた。

―笑いたければ笑えよ…―

 そんな風に月を見た。
「そういえば…。」
 彼女と店裏で月を見ながら、いろんな話しをした。大半は碌でもない話しばかりだったが、今では心に輝く思い出になっていた。
 少し胸が痛い…。

 還ることの出来ない日々を、ただ回想する自分を叱咤するが、次々と開かれるアルバムを止めることは出来なかった。
 メールを送ることは出来る。但し、一方通行だ。返って来ないことは知ってる。だから、もうメールはしない。淡い期待は持たない方がいいんだ。所詮は僕一人の我儘なんだから。

―君は僕のことなんて…どうでも良かったんだよな…―

 自分を深い淵へ追い込むように、唇を噛み締めた。
 横を白い軽自動車が通り過ぎた。

―まさか…!―

 僕は一瞬ドキッとした。でも、ありえない。ただの似ている車だ。
 僕は可笑しくなった。いつもこうだ…なぜありえないと分かってて、そう思うんだ!

―ほんと、馬鹿だよなぁ…―

 僕は何をしてるんだろう?多分、前の職場に行けば、笑って話し掛けてはくれるだろう。
 だが、自分の詰まらない自尊心が、それを止めている。

―メールだって、返って来ないんだし…―

 いつもいつも…!

―こんなにも君に悩ませられるなんて、考えてもみなかった!―

「逢いたい…!」
 言葉にしたら、より胸の痛みが広がった。
 近くに見つけた大型駐車場に車を停めた。
「逢いたいっ!逢いたいんだっ!!」
 まるで膿んだものを出し切るように、僕は何度も言葉にした。

―こんな想いするんだったら、諦めるんじゃなかった!―

 もう、どれだけ後悔したって遅い。ランダムに過ぎて行く時間は、躰や心さえも削ってゆく様な気がした。
「君に逢いたいよ…っ!」
 止め処なく流れる涙を拭うこともなく、揺らぐ月を眺めてる。
 なぜこんなにも、君を求めてしまうのだろう?
 ただ…逢いたい。声を聞きたい。そして…君に触れたい…!
 僕は汚い人間だ。君を抱きたくてしかたないんだ!他の誰かに抱かれるなんて、考えられない。考えたくもないっ!

―嫌だ、嫌だ、嫌だぁっ!―

 歯止めのきかない心が、無数の想いを映し出してゆく。

―誰か殺してくれっ!楽にしてくれっ!―

 苦痛だった…。僕にはこの日常が苦痛だったんだ。ドライブしてるのはただ、どこかへ逃げたかっただけなんだ…。
 逃げる場所なんて、端から無いくせに…。
 一人だった。ただ、一人だった。あの部屋へ戻っても、冷たい空気の中で、君を想ってしまう。
 いや、どこでだって同じだ。近かろうと遠かろうと、ずっと想い続けてしまうんだ…。

 月が幽かに嗤っている様に見えた。


   *  *  *


 どのくらい経ったのだろう。もう泣き疲れてしまった僕は、涙を拭って駐車場を後にした。

―さぁ、帰ろう。―

 月は僕の後を付いてくる。

―あの路は通らないように、廻り道するかなぁ…―

 あの冷たい部屋へ向かって、アクセルを踏み込んだ。

 ただ、それだけの日々。繰り返される時間の狭間に呑まれてる様な…そこに意義を見つけることの無い一日。
 またカセットをかけた。

―誰かが待っている時が来たら、僕にはこの曲がどんな風に聞こえるんだろうな…?―

 古びたカーステレオから流れる女性ヴォーカルは、妙に切なく響く。
 いつか…この痛みは消えるんだろうか?
 いつか…

 君想う一日を、優しく思い出せるように…。


「さよなら。」 



       end...



 
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