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碇知盛  〜義経千本桜より〜

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3部分:第三章


第三章

「義経達は私の言葉を信じ海に出ます」
「そしてそこでですね」
「その通り、私と家来達もまた海に出ます」
 だからこそ今鎧を着ているのである。戦う為にだ。
「そして平家の亡霊として彼等に襲い掛かるつもりですが」
「御武運を御祈りしております」
「本来ならば堂々と向かいたいもの」
 それが武士の本懐である。平家きっての名将と謳われた彼にとってはそれこそが何よりの望みであった。しかしそれができていればとうの昔にしていることでもあった。
「ですが今の我等は」
「そうですね。死んだことになっている身」
 平家は滅んだ、だからである。つまり今の彼等は生きているが死んでいる、死んでいるが生きている、そうした曖昧な世界にいるのである。
「亡霊そのものです」
「その通りです。これは致し方のないこと」
 そしてそれを受け入れるしかないのであった。
「ですがそれでも参りますので」
「はい」
「そして戦は時の運」
 知盛は今度はこのことを局に話した。
「若し海の篝火が一斉に消えた時は私が死んだと思って下さい」
「その時はですね」
「そうです。その時は私が討ち死にしたと」
 言葉には覚悟があった。やはり彼は戦うつもりでありそこでの死を見ているのだった。やはりこれも彼が武士ならばこそであった。
「そう心得て下さい」
「わかりました。その時はです」
 局も覚悟を決めたはっきりとした言葉で返す。
「私もまた」
「それでは」
 こうして知盛は帝に一礼しそのうえで海に向かった。夜の嵐の海の中で早速激しい戦がはじまる。局は岸壁から帝を抱き締めつつその戦を見ていた。
「局、知盛は?」
「御安心下さい」
 じっと海の篝火を見つつ幼い帝の御言葉に応えていた。岸壁の下から海だ。周りには何処までも強くそして激しい風の音が聞こえている。雨こそ止んだが風は強いままだ。
「知盛様は勝たれます」
「そうだ、そうであるな」
 帝は局の言葉に確かな声で頷かれた。
「知盛ならばな」
「ですからここで。知盛様をお待ちしましょう」
「うむ」
 二人はじっと戦の流れを見ていた。今は篝火が煌々と照っていた。その中で剣と剣が打ち合う音、それに喚声が起こっていた。しかしそうした音すらも掻き消してしまうような凄まじい突風が突如として起き。局が帝をその風から我が身で守ったその瞬間にだった。
「あっ!」
「どうしたのだ?」
「篝火が」
 今海の篝火が全て一斉に消えてしまったのである。
「消えた・・・・・・それでは」
 局は知盛の言葉を思い出した。篝火が一斉に消えたならば。それはもう言うまでもなかった。
「帝、最早これまでです」
「知盛は敗れたのだな」
「左様です。こうなっては全ては終わりました」
 帝を抱き締めながら応えていた。
「これでもう」
「局・・・・・・」
 そのまま帝を抱いて海に飛び込もうとする。しかしその時であった。
「おのれ、何という風だ」
 知盛は今の風に歯噛みしていた。彼は海の上にいた。そこの一艘の舟に乗り戦っていた。彼は無事であったのだ。
「篝火が。これでは」
「帝が誤解されますな」
「その通りだ、ここは暫し待て」
 戦の場を家臣達に任せることにしたのだった。
「局様が思い違いをされていればことだ。見てくる」
「わかりました、ではここは我等にお任せを」
「頼むぞ」
 こうして彼は一艘の舟ですぐに局と帝がいる岸壁に向かった。そしてそこにいたのだ。
「何っ、御主は!」
「知盛殿であるな」
「九郎判官、貴殿が何故ここに・・・・・・いや」
 岸壁にいたのは義経であった。彼は帝をその手に抱き知盛の前に立っていた。後ろには局もいた。
「帝はこの通りだ。御無事だ」
「そうか。しかし」
「貴殿の考えはわかっていた」
 知盛が言う前に義経から言ってきた。
「それは既にな」
「そうか、流石だ」
 知盛もイアの言葉でわかったのだった。
「流石は九郎判官義経だ。しかし」
 だがそれでもだった。彼は戦うつもりだった。その顔に口惜しさを見せながらそれでもだった。血が滲んでいる顔をあげその手の刀を構えるのだった。
 
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