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武后の罠

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8部分:第八章


第八章

「如何であろう、今の気持ちは」
「その声はまさか」
「昭儀・・・・・・」
「違う」
 今の淑后の言葉は笑って否定した。既に二人は瓶の中で意識を朦朧とさせていた。蔵には二人の血と酒の匂いが漂っていた。
「今のわらわは皇后じゃ。よく覚えておくのじゃ」
「どうしてここに」
「その方等を笑いに来たのじゃ」
 酷薄な笑みはそのままでの言葉であった。
「今の。惨めな姿のその方等をな」
「おのれ・・・・・・」
「この鬼が」
 二人は朦朧とはなっていたがそれでも皇后に目を向けた。そうして絶え絶えの声で皇后に対して怨みの言葉を述べるのである。だが皇后はそんな二人を嘲笑い続けていた。
「こうなっては死ぬ他あるまい。ゆうるりと死ぬがいい」
「その為にこの様なことを」
「私達を」
「ただ殺すだけでは飽き足らぬ」
 これこそが皇后の心であった。
「陥れそして苦しみのうちに殺す。これこそが無上の楽しみというものよ」
「まさか」
「それでは」
 今の皇后の邪悪なまでの笑みと残忍な色の言葉を聞いて。二人は気付いたのだった。
「それではやはり」
「あの娘を殺したのは」
「左様、わらわよ」
 目が笑っていた。陰険かつ悪徳に満ちた光に満ちた目が。
「そなたが部屋から出た後に殺したのじゃ。この手で首を絞めてな」
「自分の娘を・・・・・・」
「その手で」
「全てはわらわの為」
 自分で娘を殺しながらも罪悪感はなかった。
「娘一人の命なぞどうということはあるまい。それに」
「それに・・・・・・」
「人形を仕込んだのもわらわであったしのう」
 つまり全ては皇后の策略であったのだ。二人はそれに陥れられ今こうして無残な姿を晒しているというわけなのだった。
「これでわかったか。全てが」
「おのれ・・・・・・」
「そうして我等を」
「そのまま惨めに死ぬのじゃ」
 二人を嘲笑うことを止めはしなかった。
「そこでな。骨まで酔ってな」
「確かに私達は死ぬ」
「しかし」
 嘲笑われる二人の目に。深い怨みと憎しみが宿り瞬く間に満ちていった。その目で皇后を見つつ彼女に対して言うのだった。
「この怨み忘れぬ」
「何があろうとも」
「ではどうするのじゃ?」
「その命ではない」
「血を」
 一族という意味である。中国では血族は何よりも尊ばれるのだ。
「絶やしてやる。何代かかろうとも」
「覚悟しておれ」
「その様なことは地獄で言っておれ」
 だがこの言葉も皇后には効かなかった。平然と見下ろし受け流しただけであった。
「そのままな。ずうっとな」
 こう言い残して酒蔵を後にした。二人が死んだのは二日後であった。亡骸も無残に捨てられ後には二人の呪詛だけが残った。
 この後皇后はさらに権勢を強め夫である高宗を傀儡とし己が政務にあたった。彼が崩御してからは息子を傀儡とし遂には中国の歴史上唯一の皇帝ともなった。周の則天武后である。
 武后は娘だけでなく息子も己の権勢に邪魔ならば容赦なく殺していった。唐皇室の者や彼等に忠誠を誓う者達も酷吏や密告を使うなりして惨たらしく消した。その酷吏ですら不要になれば切り捨て命を奪った。その残忍さは中国の歴史上でも特筆すべきものである。
 しかしその治世は平穏であり庶民に対しては寛容であった。文化的政策を好み文字を新たに作り多くの人材を抜擢し宗教を保護した。奇しくも同じ様に宮中では残忍極まりなかった漢の呂后の時代と同じく国は平和で庶民は泰平を謳歌していたという。政治家としてはバランスが取れ優秀だったのだろう。
 だが彼女が世を去った後その一族は唐王朝が復興しその権力争いの中で滅んでしまった。これが果たして彼女が殺した二人の后の呪いによるものなのかどうかはわからない。だが武后の一族が滅んでしまったことは確かだ。因果応報ということであろうか。悪事は必ず返って来るということか。


武后の罠   完


                 2008・8・12
 
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