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牡丹

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3部分:第三章


第三章

 数日後王充は今度は董卓の前に参上した。呂布が練兵に出ていないのを見計らった上である。彼はその時政務を執っていた。一人であるが部屋には彼の存在でそうした寂寥は感じられなかった。広い部屋だというのに彼の気で満ちている。そこで書簡を見ていたのである。部屋の前にいる武装した兵士達に息を飲んだ後で部屋に入っていた。
「太師」
「ふむ、司徒殿か」
 王充が相手では董卓も無礼ではいられなかった。その猛々しい顔と目を彼に向けて応える。それは宮中よりも戦場にあるべきものであった。髭も髪も濃く身体も異様なまでに大きい。威圧感は相当なものであった。
「何用かな」
 身体と同じく強く大きな声で彼に問う。
「実は太師を宴にお招きしたいのですが」
「わしをか」
「はい。如何でしょうか」
「司徒殿の誘いだ。断るわけにもいくまい」
 微かに笑って述べる。その髭が動いた。
「それでは」
「うむ」
 董卓は応える。
「是非ともな」
 こうして彼も王充の家に招かれることとなった。護衛の兵士達を引き連れ物々しくやって来た。人々はその彼と兵士達の姿を見て怯えるばかりであった。彼は都においては恐るべき暴君であったのだ。
 屋敷に入ると奥の間に招かれた。そこは呂布も招かれた部屋である。王充はそこに入る前にそっと貂蝉のところに来て問うのであった。
「よいのだな」
「はい」
 貂蝉はその雪のような顔をそのままにしてこくりと頷く。
「では呼ばれましたら」
「なあ」
 ここで彼は娘に声をかける。
「今ならまだ間に合うのだぞ。だから」
「義父様」
 彼女は止めようとする父に対してあの牡丹の花を見せてきた。赤い牡丹を。
「おわかりですね」
「止まらぬか」
「はい、牡丹が決めたことです」
 彼女は述べる。
「ですから」
「わかった」
 娘の決意が固いことが。もう何も言えなかった。
「それではな」
「ええ」
 彼女はそのまま着替えに姿を消した。暫く王充と董卓だけの宴であったが貂蝉が姿を現わす。そしてまた舞を舞うのであった。
 それを見て董卓も心を奪われる。王充はそれを見て心の中で苦い顔をする。しかしそれを隠して舞が終わった後で董卓に顔を向けるのであった。見れば彼もまた呆然としていた。
「太師」
「う、うむ」
 董卓は何とか威厳を保って彼に応える。しかしその目は完全に彼女にあった。
「如何でしょうか、娘の舞は」
「いや、これは」
 王允に応えて述べる。
「これ程のものは見たことがない」
「また御冗談を」
「冗談などではない」
 董卓は少しムキになってまでそれを否定してきた。そのうえで述べる。
「美しさもな。ここまでは」
(左様ですか」
「司徒殿」
 王充に声をかけてきた。
「あの者は貴殿の家の者であるか」
「はい、娘です」
「何っ、娘だと。確か御主には」
「ええ。義理でございます」
 王充に娘はいないのは知っていた。だからこそ問うたのであるがそれから答えが出た。
「義理でるか」
「御気に召されたでしょうか」
「召されたどころではない」
 まだ貂蝉を見ていた。そのギラギラとした目が彼女に向けられている。
 王充はその目に心を暗くさせる。しかし彼女の決意は変わらない。じっとその流麗な目に計りを含ませて彼を見ていた。こうなっては彼も観念するしかなかった。だからこそ言った。
「太師。宜しければですな」
「うむ」
「御側に置かれては如何でしょう」
「よいのか」
 好色、しかも並外れてのものであると言われている董卓はその言葉に息を呑む。それから問うが王充の返事は変わりはしなかった。
「勿論です。後は太師の御心次第です」
「うむ、わかった」
 彼はその言葉に頷いた。義理とはいえ父親が言うのではもう問題はない。彼は決断を下した。
「それでは。譲り受けさせてもらう」
「はい」
 こうして董卓は貂蝉を貰い受けてすぐに自身の宮殿に連れ帰った。それから暫く家から出ず彼が新しい美女を手に入れたことが忽ちのうちに噂になった。そのことは呂布の耳にも入った。
「のう李儒殿」
 彼はこの時李儒と共にいた。董卓の娘婿であり参謀でもある。彼もまた董卓にとってなくてはならない人物である。薄い髭を生やした痩せた小男であった。全体として狡賢そうな印象を受ける。彼等は今杯を手に呂布の屋敷で話をしていた。
 廊下に席を設けそこから庭を見ている。呂布はそもそも西方の生まれであり都の贅沢といったものへの知識は乏しい。従ってその庭も質素なものであり悪く言えば殺風景であった。呂布はその庭を横にして李儒と話をしていたのである。
「近頃太師は参内しておられぬな」
「新しい美女を宮殿に入れられたらしい」
 李儒はそう呂布に語った。
「そうなのか」
「うむ。何でもな」
 彼は貂蝉のことを知らなかった。当然その策のことも。だからここでつい言ってしまったのである。
「王充殿の義理の娘らしいぞ」
「何っ」
 呂布はそれを聞き思わず声をあげた。
「李儒殿、それはまことか」
「うむ、わしも話に聞いただけだがな」
 驚く呂布に対して何かよくわからないまま答えた。
「そうらしいぞ」
「馬鹿な、そんな筈がない」
 呂布は必死になってそれを否定する。
「王充殿は貂蝉をわしにくれると言ったのじゃ。それがどうして」
「将軍」
 李儒は彼があまりにも戸惑っているので怪訝になり問うた。
「どうしたのだ、急に」
「済まぬ、急用ができた」
 しかし彼はそれに応えずに立ち上がった。そして述べる。
「これで失礼させてもらう。それでは」
「待たれよ、どうされたのだ」
 しかし李儒の言葉は届かない。彼はそのまま馬を飛ばして王充の屋敷に向かった。その手にはあの画戟があった。
「王充殿、おられるか」
 彼は王充の屋敷に入るとその戟を手に叫んだ。
「出て来られよ、話がある」
「おお、これはこれは将軍」
 王充はにこやかに彼の前に現われてきた。
「ようこそ来られました。御元気そうで何よりです」
「よくもわしをたばかったな」
 呂布は挨拶も返さず王充を見下ろして言い放った。
「一体どういうつもりだ、貂蝉はわしの妻になるのではなかったのか」
「それでございますか」
「そうだ」
 言いながら戟を前に突き出す。それを王充の喉に当てて言う。
「わかるな、わしがこれを持って来た意味が
「一体何を」
「己の胸に聞くのだ。何故太師のところにいるのだ」
「申し訳ありません」
 彼はそれを聞くと頭を垂れてきた。
「全て。仕方なかったのです」
「仕方ないと」
「はい。私も娘を将軍にお渡しするつもりでした。ですが宴に来られた太師が」
「そうであったのか」
「左様でございます。私も困っているのです」
 涙を流して答える。この時彼は心から泣いていた。しかしそれは呂布とのことに対して流したものではない。娘を想っての涙なのだ。
「どうすればいいのか」
「何ということだ。それでは」
「はい」
 王充は答える。
「私ではどうしようもなかったのです。返す言葉もありません」
「いや、いい」
 呂布はさめざめと泣く彼を見て言う。その涙を簡単に見誤ってしまったのだ。

 
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