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貴方の背中に、I LOVE YOU(前編)

作者:近藤 宏樹
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貴方の背中に、I LOVE YOU  (前編)

貴方の背中に、I LOVE YOU  (前編)
{作品は、フィクションに付き、内容は架空で、事実とは、異なる処があります}

北風が雨戸に、コトコト・コツコツ・コトコトと、二人を呼び起こすかの様に、叩いていた。それは、震え泣きするほどの、寒い夜であった。
五十歳の半ばに達した田村夫婦が深夜、床に着いて居ると、何処かから、赤子の鳴き声が聞こえた。正門の辺りから、鳴き声がしている様に察し、二人は観音開きの正門を開けた。そこには粗末な産着で、木箱に入った赤子が泣き叫んでいた。義衛門(ぎえもん)は赤子を抱き抱えたが、泣き止まず妻の朝子(あさこ)に渡すと、途端に泣き止んだ。「俺の顔は怖いから」義衛門は呟いた。暫くすると、赤子は二人に向ってニッコリと笑った。そして安堵感か、朝子の腕の中で、スヤスヤと眠ってしまった。よく見ると、産着の中に手紙らしき物が見えた。それには「私は町の郭の女です。赤子は(しず)と言います。静の父親は分りません。今、私は病に侵されています。先日も郭で吐血しました。多分、結核だと思います。郭からは、床払いを貰いました。私は北関東の、貧しい山村の小作の生れです。家族は、老いた両親と兄三人と妹の七人です。働き手の兄は三人供、軍隊に徴集されました。私はこの町の郭に、奉公に出されました。世間が言う、口減らしです。郷里に残った両親と妹は、自分達の食物も、国に接収され、次々に、他界してしました。私には、帰る宛が有りません。この町でも、資産家で優しい、田村様の噂は聞いて、おりました。田村様に、縋るしかないと思いました。どうか、静を助けて下さい。出生証明書は、産着の中に一緒に添えて有ります。宜しく、お願い申し上げます」と書いて有った。出生証明書にも、赤子の名前が静と記されてあった。まず二人は、赤子を母屋に連れ帰り、自分達の布団に寝かし着けた。育児経験の無い二人には、突然の出来事で、その夜は戸惑いの連続だった。
義衛門と朝子と女中のタキは話し合い、赤子の母親が戻るのを、待つ事にした。しかし、十日は過ぎても、赤子の母親は現れなかった。義衛門は、郭に出向き、赤子の母親の名前と郷里の住所を教えて貰った。その際、郭から赤子の母親の写真を一枚渡された。写真は厚化粧をしているが、目鼻立ちがハッキリした、美しい女性だった。次に義衛門は、赤子の母親の消息を得る為に、警察と役所に向かった。役所の戸籍課で、以外な事実が判明した。赤子の母親の名前は内山雪(ユキ)で、五日前に行き倒れで亡くなって居た。死因は結核だった。田村夫婦が正門で赤子に対面してから、五日後の出来事であった。この町でも著名な資産家である田村義衛門は、大きな屋敷を構え、土蔵も有り、四十歳程のタキと言う女中も雇っていた。義衛門は、縫製工場で大儲け、一代で田村家の財を築いたが、子宝には恵まれなかった。家族が少ない田村夫婦は、女中タキに対しては、家族同様な扱いだった。その夜、夫婦は話し合い、赤子を自分達の養子として、向かい入れる事を決めた。しかし、赤子とは、孫ほどの年齢差が有るので、赤子が物心付いた時には、自分達の事をお爺ちゃん・お婆ちゃんと呼ぶ様に躾ける(しつける)事とし、タキにも伝えた。義衛門は無骨者だが、商才に秀出ており、町の人々から人望が厚い人物だった。田村家には、町の有志などの訪問が、絶える事がなかった。妻の朝子は世話好きで有り、オッチョコチョイな性格でも有り、女中のタキは、生真面目で、少し厳しい性格であった。だが三人とも優しく、家族はそれなりに、調和が取れていた。義衛門は、静を養子にした時から、手記をとる様になった。それは、静の生い立ちから静の仕草・自分達の静への思いや、静の出来事など全が印され、郭から渡された実母の白黒写真も、表紙の裏に貼ってあった。義衛門は静が成人した暁には、この手記を渡す日が来るのを、悟っていた。
それから一ヶ月が過ぎたある日、赤子の静を連れた田村夫婦の姿が、雪の郷里の寺に在った。寺の住職に尋ねたら、雪の家族は皆、境内の合祀(ごうし)の墓に埋葬されていた。その墓は、とても貧祖なものだった。義衛門は住職の頼み、雪の遺骨を合祀の墓に納骨した。田村夫婦は墓前に向かい合掌し、自分達が静を、責任を持って育て上げる事を、雪に約束した。帰りに義衛門は住職に、自分が合祀の墓を改装したいと提案したら、住職も快く承諾してくれた。合祀の墓の傍に湧水(伏流水)が流れ出ていた。改装する合祀の墓の周りに、湧水を引き入れ池を造った。合祀の墓の横に墓誌を造り、まず内山雪の名前を刻み、納骨されている全ての故人名を刻んだ。義衛門は無宗派で、以前から戒名に疑問を持っていた。住職は墓誌に戒名を刻む様、主張したが、義衛門の強引な意思で、現世の俗名のみを刻む事になった。しかも義衛門は住職の読経も辞退し、他の宗教の聖職者の参拝も拒絶した。合祀の墓は、境内の中で最も立派な墓に出来上がった。二か月後、住職に依頼して、合祀の墓の開眼供養だけは読経で行い、赤子の静を含め田村家全員が参列した。そして毎年彼岸に、墓に訪れ参拝するのが、田村家の年中行事になった。いつの日か、墓の清水の池に蛍が住み着く様になった。それは近隣の評判となり蛍の墓と呼ばれ、夏場の風物詩になった。次第に、地元から、納骨を希望する者が現れ、納骨料を寺に納めれば、宗派を問わず誰でも快く受け入れた。
静が五歳頃のある日、薄い黒毛の子犬(雑種犬)を抱いて来て、タキに飼うように頼んだ。義衛門が未だ帰宅しておらず、タキは後から聞いておくと言い、取りあえず玄関に木箱を置き、その中に子犬を入れ牛乳を与えた。静は子犬を玄関で見詰め続け、下すら義衛門の帰りを待った。夕方、義衛門が帰宅した。静は即座、義衛門に子犬を飼う事を頼んだ。義衛門は少し、間を置いたが、飼う事を了承した。静は飛び上がって喜び、義衛門に抱き付いた。義衛門は以前から自らの屋敷が大き過ぎるので、子供が寄り付かなく、増して、この町には幼稚園も無いので、静に友達が出来ない事を感じ取っていた。義衛門の静への想いの現れだった。子犬は雄犬で黒君(くろくん)と静が名付けた。一二か月したある日、今度はクリーム色をした子犬(雑種犬)を抱いて静が帰って来た。「黒君、一人では可哀相だから、黒君のお嫁さん連れて来た。名前は白ちゃん(しろちゃん)」だと言い、又しても飼う事を懇願した。偶々、その日は、義衛門が休日を取っていた。静の主張に負け、義衛門は飼う事を約束した。幼い静は、白ちゃんの性別が判らなかったが、義衛門には判別が付いた。白ちゃんは雌犬で、黒君のお嫁さんの資格が有ると、静に教えた。暫くして、静が白ちゃんを抱いて、義衛門の部屋に入って来て言った。「黒君のお嫁さんに、お化粧して上げたの。口紅綺麗でしょ」義衛門が見ると、白ちゃんの口の周りには、赤いクレヨンが塗って有った。その顔は、丸で子犬のピエロだった。義衛門は大笑いして「綺麗だね」と言った。
子犬を飼うのを境に、今まで田村夫婦と添い寝をしていた静は、田村夫婦とは別に、子犬と一緒に寝る様になった。しかし、寂しくなると、田村夫婦やタキの布団に、潜り込んで来た。同時に子犬二匹も、潜り込んで来て、布団の中は、満員御礼で大変だった。
桜が満開。いよいよ明日は静の入学式。朝子とタキは嬉しさと不安感で翻弄され、ただ忙しく動いていた。田村夫婦の寝室の引き戸が、音を立てず静かに開いた。入って来たのは、黒君と白ちゃんだった。部屋には、明日の入学式に着る義衛門の礼服が、上半身のマネキンに、掛かっていた。黒君と白ちゃんは暫く唸り、マネキン目掛けて飛び掛かった。怪しい人間と、間違えた様だ。二匹は礼服に噛み付いた。礼服には大きな穴が、二か所、開いてしまった。静が、田村夫婦の寝室での物音に気付き、入ってきた。静は礼服を見て、唖然とした。急ぎ、自分の部屋から色紙と糊を持って来た。色紙の中から、黒色と紺色を取り出し、礼服の穴に糊で貼り付け、再度、マネキンに礼服を着せた。朝子とタキは台所で忙しく動いていたので、この出来事には全く気付かなかった。夕方、義衛門が車で会社から帰ってきた。いつもの様に着替えの為、朝子と一緒に、自分達の寝室に入った。二人はマネキンを見て仰天した。尽かさず静を呼んだ。静が、黒君と白ちゃんを連れて入って来た。「御免なさい・御免なさい」と二度言い、二匹も(あご)を床に着け、うな垂れていた。すぐに、朝子は、市内の貸衣装屋に電話したが、既に閉店時間を過ぎていたので、何処とも繋がらなかった。次に義衛門は朝子に、会社の部下に電話する様、指示した。当時、電話は未だ普及しておらず、部下の間でも電話を所有している者は、少なかった。ようやく一人の部下と繋がり、礼服を借りる事の、承諾を得た。翌朝、部下が礼服を持参した。義衛門の小柄に対し、その部下は、大柄だった。ズボンは、義衛門自身の礼服で間に合ったが、上着は、部下の物を着るしか、術がなかった。義衛門は、その礼服を着てみたが、丸で、子供に大人の服を着せた様で、漫画チックな姿だった。朝子とタキは、思わず噴き出した。翌日、朝子は和服で正装したが、義衛門は仕方なく、部下の礼服を着て入学式に赴いた。入学式では、皆の視線が義衛門に集まった。帰りの車の中で朝子は、改めて義衛門を見て、笑いを堪える事が出来なかったが、義衛門は終始、不機嫌だった。一方、静は入学式の余韻に慕っていた。義衛門とって、最悪の一日であった。数日後、人望が有る義衛門に、小学校の校長より、PTA会長就任の要請が有り、義衛門も受け入れた。
静が小学校の通い始めると毎日、黒君と白ちゃんは、起床時に吠え、静の顔を舐めて、お越した。登校時には静を、小学校の校門まで静を送って行き、下校時には校門で待っていた。そいて、静と一緒に帰宅するのが、黒君と白ちゃんの日課になった。ある日、路上で初老の男性が、静に道を尋ねた。黒君と白ちゃんは、その男性を威嚇し追い払った。丸で二匹は、静のボデーガードの様だった。
静が小学生に成ったのを期に、田村家の弁当は二つになった。義衛門の弁当は一般的な物だったが、静の弁当は毎日キャラ弁(創作弁当)で手間が掛かった。当時の弁当は、日の丸弁当にオカズが主流で、キャラ弁は全く見掛けなかった。でも、それは、目に入れても痛くない静への、朝子とタキが作った愛情弁当であった。
学級の席順は、五十音で決められた。田村静の隣には、同じタ行の、武井澄子(たけいすみこ)と言う、女の子が座った。彼女の背丈は静と同じだが、色は浅黒で、痩せ細っていた。
何時もの様に、昼食時間の鐘が鳴った。静はキャラ弁を開いた。隣の澄子の弁当が、目に入った。それは、白い握飯一つとタクワン二本の粗末な物だった。澄子は美味しそうにゆっくり食べ、食べ終わったら自らの弁当箱を綺麗に舐め干していた。数日後、静は、昼食時間に澄子が、居なくなる日が有る事に、気付いた。静は澄子を探した。澄子は校庭の水飲み場で、水を飲んでいた。それは、水で空腹を癒している様だった。手には、学校の兎小屋から持ち出した一本の菜っ葉が残っていた。しかも菜っ葉には、澄子が齧った跡が有った。静が「どうしたの?」聞くと、「今日は、安ちゃんがお弁当を持って行く日だから、私にはお弁当が無いの」と澄子は答えた。静の目に、涙が光った。静は急ぎ、教室に戻り、自らのキャラ弁を持って来た。「澄ちゃん、これ、食べていいよ」と言い、キャラ弁差し出した。澄子は「本当!本当!本当に!」確認するかの様に静に聞いた。静は首を縦に振った。キャラ弁など食べるのは、澄子にとっては初めてだったし、その日、澄子は朝食も食べて無く、空腹だった。澄子は、静のキャラ弁を全て食べてしまった。澄子は、静子の食べ分が無い事に気が付いた。「ごめん・ごめん」澄子は謝った。「大丈夫よ」と静は、優しく微笑んだ。「私、静ちゃんのお弁当の夢、何時も見たよ、本当に美味しかった、静ちゃん有難う」と、澄子は言った。「澄ちゃん、鼻の頭にケチャップが付いているよ!」と言い、二人は笑いこけた。澄子の家は、両親(武井六郎・七子)と澄子の双子の兄(安造)と四歳年下の妹(桃子)の五人家族である事や、家が貧乏で、毎日の弁当も二人分は作れず、兄と交互に持って行く事も聞いた。兄の安造(やすぞう)とは同学年でもクラスは別々だった。それ以来、三人は何時も校庭で、キャラ弁とタクワン付の白い握飯一つを分け合って食べる様になり、静と澄子と安造は大の親友になった。
四月も後半に入り、朝子とタキは静の行動が、気掛かりになっていた。以前は、少し食べ残しが有った静のキャラ弁が、最近は完食、弁当箱には、食粕の一片すら無かった。それにも増して静は帰宅すると即、「お腹空いた」言い、おやつを要求した。朝子とタキは、静が食べ盛りと考え、キャラ弁を大きくしたが、結果は同じだった。朝子とタキは不審に思い、タキが学校に出向いた。担任の教師に面会して、三人で、弁当を食べ合っている事実を知った。朝子とタキは、静に澄子と安造を家に招待する様に促した。そして、キャラ弁の数を二つ増やし、三人分にする事も約束した。静は飛び上がって喜んだ。武井兄妹の家は、静の家とは同じ学区でも、学校を起点として、左右反対方向だったので、子供の足では距離が有った。毎日、静のキャラ弁は静が持ち、澄子と安造のキャラ弁は、黒君と白ちゃんが背中に括り付け、校門で澄子と安造に渡す様になった。翌日、澄子と安造が妹の桃子を連れて遊びに来た。三人とも、痩せ細っていた。桃子はダウン症で、未だオムツが取れない状態だった。庭を遊び回って、暫くすると澄子と安造は、桃子のオムツを、持参したオムツとの交換に入った。静は始めて見る光景に、目を丸くしていた。だが、一か月後には、静も桃子のオムツの交換に、参加する様に成っていた。三人はタキの手解き受け、桃子のオムツの洗濯もする様にも成った。静は、幼い頃の自分の古着を、持ち出してきた。澄子と二人で、桃子に何回も着せ替えを始めた。静には桃子の着せ替えが、お人形さんを世話している様に思えた。静の赤子の時以来、久しぶりに田村家の庭に、オムツの洗濯物が風に舞った。同時に義衛門も、子供の遊具を買い揃えたりして、田村家の日本庭園が、天使の庭に変貌していった。時を待たずして、武井兄妹の母親の七子が、貧祖な衣服で田村家に尋ねてきた。七子は、自分の子供達が田村家に、迷惑を掛けているのでは?と心配だった。朝子は「静も大変喜んでいるので、大丈夫です」と言って、七子を帰した。七子も安堵して帰宅した。
ある日、タキが、食事の食べ残しをゴミ箱に捨てる様子を、安造が見ていた。安造は、タキが立ち去るのを確認してから、腰のベルトにある手拭を取り出した。ゴミ箱から食べ残しを手拭に包んで縛った。夕方、兄妹は、台所にいるタキに挨拶して帰宅しようとした。タキは、安造が後ろに何か隠し持って居る事に、気付いた。タキは、隠している物を、前に出す様に指示したが、安造は拒んだ。タキが、強引に安造の手を引いたら、手拭の包みの縛りが解け、芝生に散乱した。それは、ゴミ箱から拾った、残飯だった。安造はタキに「御免なさい」と誤った。タキは「待っていて」言い、手拭を台所で洗い、台所に有った食べ掛けの食べ物を、手拭に包み安造に渡した。兄妹は「御免なさい、有難う」言って、嬉しそうに帰って行った。タキは、明朝、台所の前の芝生に散乱した食べ残しを、掃除する事にした。翌朝、静が大声でタキを呼んだ。数羽の雀と鳩が、台所の前の芝生に散乱した残飯を、啄ばんでいた。静は「雀さん可愛い・鳩さん可愛い」の連続だった。それ以来、田村家では残飯の餌場を設け、野鳥が集まる場所になった。日が経つにつれて、鳥達は手の平から餌を啄ばんだり、頭や肩に停まったりする様になり、鳥達の仕草は、子供達は元より義衛門・朝子・タキにも及んだ。
三人分のキャラ弁を作り始めてから、数週間経ったある日の事だった。義衛門が昼に、会社で弁当箱を開けた。それは静のキャラ弁だった。女子事務員が「社長のお弁当可愛い」冷かした。その日、静が帰って来て「今日のお弁当の一つ、凄く辛かったよ。でも三人で、全部食べたよ」朝子に言った。義衛門と静の弁当を取り違えた、オッチョコチョイの朝子の仕業だった。夕方、朝子は義衛門に「今日は、お弁当を間違えて、御免なさい」と誤った。「偶には良いね、美味しかった、静の弁当は豪華だな」と、義衛門は笑い返した。
秋の運動会が始まった。PTA会長の義衛門は、テントの中の主賓席に座っていた。朝子とタキは、日陰になる場所を選んで陣取った。隣の陣には武井家族がいた。主賓の挨拶で、PTA会長の義衛門は、檀上に立った。入学式での出来事を覚えている父兄から「会長、今日は礼服、間に合いましたね!」と、野次が飛んだ。会場が笑いで一色になった。義衛門は「入学式では、皆様に、大変ご心配お掛けしまして」礼服の襟を掴んで(つまんで)「今日は、大丈夫です」と、軽く返した。会場が、爆笑に包まれた。挨拶は「生徒の皆さん、今日はお父さん・お母さんが居るから、先生は怒りません。だから、先生は怖く有りませんよ。楽しんで下さい」と言う、ジョーク混じりの短い挨拶だった。運動会は、和やかな雰囲気で始まった。昼食の時間になった。主賓席から義衛門が、戻って来た。田村家の料理は、昨夜から朝子とタキが作った料理で豪華だった。隣の武井家族の弁当は、例の如く、白い握飯とタクワンであったが、量は少し増えていた。朝子とタキは、武井家族の事を思い、多目の料理を作って持参していた。朝子とタキは、自分達の料理を、武井家族に分け与えた。武井夫婦は最初、遠慮していたが「お言葉に甘えて頂きます」と言って、全員で食べ始めた。桃子が「美味しい・美味しい」の、連続だった。朝子とタキは、その光景を眺めて満足感に慕っていた。昼食の時間が終わり、父兄による百メートル競走の時間になった。田村家からは義衛門が、武井家族からは六郎が挑んだ。スタートの空砲が鳴り響いた。結果は一位が六郎、かなり引き離されて、義衛門は最下位だった。義衛門と六郎とでは、親子程の年齢差が有り、体力の差は歴然だった。まして六郎は、道路工事の日雇人夫で、真っ黒に日焼けし屈強な体をしていた。競走を終え、義衛門と六郎が各々の家族の陣に戻ってきた。武井兄妹は有頂天、反面、静は沈んでいた。それを期に、義衛門は会社の庭でストップウォチ片手に猛特訓、見事、翌年の運動会の百メートル競走では一位に輝いた。「お爺ちゃん、凄い、凄い」静の喜び方は、最高潮だった。十二月二十五日、小学校は冬休みだった。午前中から武井兄妹が遊びに来た。静は昨夜、プレゼントを持ってきて澄子に「澄ちゃんは、サンタさんから何もらったの?」聞いた。澄子は「サンタさんなんか来ないよ!」と言い残し、兄妹と共に逃げる様に帰って行った。その夜、静は義衛門に「如何して澄ちゃんの所には、サンタさんが来ないの?」聞いた。間をおいて義衛門は「サンタさんは、沢山の子供の所へ行くから忙しいのだ、澄ちゃんの所にも、必ず来るから大丈夫」と言った。翌日、義衛門は武井家族の家に、出向いた。家は今にも壊れそうなボロ屋だった。夫婦に話を聞いて見た。父親の六郎は、道路工事の日雇人夫で、毎日は仕事が無く、母親の七子は家で内職をしているが、手間賃は微々たる物だと話だった。自分達は二人共、末っ子で学校にも行けず、文字を読む事も、計算も出来ない事も話した。暫くして、義衛門が口を開いた。六郎に向かって「私の会社で働いたら?」と言った。六郎が「学問が無いけど、大丈夫ですか?」と言った。「大丈夫、工場の中の仕事だから簡単だ」義衛門が言った。六郎は「有難うございます・有難うございます」幾度も言い、床に頭を擦り付けていた。
「新年の四日から、会社が始まるので出社して下さい」と言い、ボロ屋の表に出て行った。表から義衛門の呼ぶ声が聞こえた。六郎が表に出て行くと、義衛門は車のトランクを開け、三つの紙包みの玩具を渡した。「今夜、気付かれない様に、子供達の枕元に置いて下さい」言い残し、車に乗って去って行った。六郎は車の後ろ姿に、頭を下げ合掌していた。翌日、武井兄妹が各々、玩具を手にして訪れた。「昨夜、サンタさん来たよ!」大はしゃぎの一日であった。
除夜の鐘が鳴っていた。黒君と白ちゃんが鐘の音を聞いて唸っていた。義衛門が説くかの様に「人は108の悪い行い事が有るのだよ・・・今年の悪い行い、飛んで行け!と言って108回、鐘を打っているのだよ」と、言った。静は少し考えて「お爺ちゃんは悪い事したの?」「お婆ちゃんは?」「タキさんは?」と聞いた。義衛門は「お爺ちゃんは道路で、オシッコしちゃった」。朝子は「お料理作る時、お塩とお砂糖を間違がっちゃった」と言ったら、静が「まだ有るよ。お爺ちゃんのお弁当を、私のお弁当と間違えたでしょう」言った。静が「タキさんは」言い、タキが「夕方、洗濯物、取るのを忘れたの」答えた。朝子が「静は?」と問うと、二三分考え、静は「えーと・えーと・・入学式の時、お爺ちゃんのズボンに穴を開けたの」と答えた。それを聞いて、三人は噴き出した。
新年を迎えた。無信仰の田村家は、初詣には行かず、自宅の正門で、日の出に向かって合掌するのが、毎年の、習わしであった。元旦より田村家には、年始の挨拶に来る客が、絶えなかった。来客の中には静に、多額のお年玉を静に渡す者も有ったが、義衛門・朝子・タキのお年玉は、来客のお年玉に比べ少額の小銭であった。義衛門・朝子・タキ以外のお年玉は、全て義衛門が預かり静の名義で郵便局に貯金した。それは、義衛門の節約主義に基づく考えであった。武井家族が子供達を連れて、年始の挨拶に現れた。兄妹の衣服は、正月なので何時もより若干、小奇麗であった。義衛門・朝子・タキは兄妹にお年玉を渡したが、静と同じに少額の小銭であった。でも、三人は始めてのお年玉に、喜んでいた。六郎も静に渡すお年玉の小銭だけは、工面して来た。六郎は「四日から出勤しますので、宜しくお願いします」言って、武井家族は帰って行った。六郎が勤め始めてから、武井兄妹の白い握飯とタクワンの弁当が、毎日二人分に変わったが、校庭で三人が、寄り添って食べている光景は変わらなかった。
春の彼岸の事だった。例年の如く、合祀の墓に田村家四人でお参りした。帰り道で義衛門は、道路際の食堂に停車した。食事を摂っていると、静だけが食堂の小さな売店で、何かを見ていた。静は、小ちゃな財布から、お年玉で貰った小銭を取り出し、店員に「小父ちゃん、あれ四つ頂戴」と言った。小銭をカウンターの上に置き、ガラスケース中を指差した。それは1㎝程の、蛍の形をしたペンダントだった。静には、去年の夏休の夜、義衛門と二人で、合祀の墓に来た時の、蛍に感動した思い出が有った。店員が「お嬢ちゃん、お金足りないよ」と言った。静は、うな垂れた。店員は「分かった、大勉強!」と言って、ペンダントを四つガラスケースから取り出し、静に渡した。静はスキップしながら、三人のテーブルに戻った。それを見ていた義衛門が、売店に行き「お金払います。幾らですか?」と、店員に聞いた。店員は「田村義衛門さんですね?紺色のベンツに、乗っていらっしゃる。この辺りでは有名です。私の御袋も、蛍の墓に納骨させて貰いました。有難うございます。ペンダントのお金は頂けません。私の感謝の気持ちです」と言って、一向に金を貰う事を拒んだ。義衛門は「有難うございます」と言い、テーブルに戻った。翌日、例の如く武井兄妹が遊びに来た。静は「これ、私の御土産よ」言ってペンダントを三人の首に掛け、自分の首にも掛けた。澄子は蛍のペンダントを見て「可愛い、有難う」と言い、安造は「僕、女じゃ無いよ、男だよ、恥かしいよ、大丈夫かな?」と言い、ダウン症の妹桃子は無頓着だった。後日、澄子と桃子はペンダントを掛けてきたが、安造だけは掛けて来なかった。
二年生に入ると、静の、どうして?時代に成った。好奇心が旺盛な時代の始まりであった。「どうして、夏は暑いのに、冬は寒いの?」「どうして、お日様は丸いのに、お月様は三日月様に成るの?」「どうして、鳩さんは飛べるのに、ペンギンさんは、飛べないの?」「どうして?」「どうして?」の質問の連続であった。最初、朝子とタキは静の質問に答えていたが、次第に答えが分からなく成り「お爺ちゃんは、お家で一番偉いから、何でも知っているよ」と言い、解答役を義衛門に振った。「お爺ちゃん、どうして、カンガルーさんは赤ちゃんが、お腹の袋に居るけど、白ちゃんには、お腹の袋が無いの?」「どうして、荷車は人間が引いて動くのに、お爺ちゃんの車は、お爺ちゃんが乗ったままで動くの?」「どうして?」義衛門は返答に困る様になり「少し待って、お部屋で考えて来るから」と言って、自分の部屋に戻り百科辞典を紐解いて答えた。それでも分からない時は、「明日までに、考えるから」と言い、会社で従業員に聞き回った。静の質問は、義衛門自身にも勉強になった。中には義衛門自身が、いくら考えても、他の者に聞いても分からない、問いも有った。「人は人を殺していけないのに、どうして兵隊さんは人を殺してもいいの?」「どうして、お釈迦様や観音様は着物を着て居るのに、美術館のお人形さんや絵は裸なの?」・・・?
静が三年生になった頃、ようやく黒君と白ちゃんに、雄と雌の二匹の子犬が産まれた。二匹とも色は灰色だった。以前より、加賀藩の明主、前田利家を尊敬していた義衛門は、雄犬に利家(としいえ)・雌犬にまつと名付けた。しかし、雄の子犬の利家は、登校時に黒君と白ちゃんを追いかけ、三輪トラックに轢かれ一歳を待たず死んでしまった。母犬の白ちゃんは、何度も利家の体を頭で揺すり、悲しい鳴き声で「起きて、起きて」言っているかの様だった。その日は、静も涙が止まらず、小学校を休んでしまった。後日、利家を納骨する為、親犬の黒君と白ちゃんも同行させようと、田村家族は考えていた。しかし、納骨の当日、何回呼んでも犬達の姿は、見当たらなかった。仕方なく四人は、車のドアを開けたら、既に黒君と白ちゃんは、座席に乗って待っていた。利家の遺骨を、合祀の墓に納骨しようとした時、住職が出て来て「ここは人間の墓だから、動物の納骨は困る!」と言われた。義衛門は「人間も動物も同じ命だ!」と言い張り、住職の主張を突っぱねた。義衛門の剣幕に、住職はタジタジで退散した。黒君と白ちゃんは、墓石に向かって遠吠えした。それは、子犬・利家との永久(とこしえ)の別れを、惜しんでいる様だった。静の目には涙が光った。帰りしなに先日の食堂に、立ち寄った。静が「小父ちゃん、この前は有難う」と言った。店員は静に「こんにちは」と言い、軽く手を上げ会釈した。義衛門は、食堂の売店で、額に入った画用紙大の写真を購入した。それは、夏夜に、蛍が群がって舞っている、合祀の墓の写真だった。義衛門は写真を、自宅の応接間に飾った。それは、田村家の神棚の様だった。
小学生も後半に成った頃、義衛門は、遊び心で、静の登校時に黒君と白ちゃんが、背中に括り付けて居た弁当の布を、唐草模様に変え、頭には豆絞りの手拭を巻いた。始め、犬達は、豆絞りの手拭を、嫌がっていたが、すぐに順応した。黒君と白ちゃんは、この町に支社が在る、全国紙の記者の目に留まった。大東和戦争前の、暗く、重苦しい時代であった。コソ泥スタイルの、弁当届犬の明るい記事は、瞬く間に全国に広がった。他社からも、取材の要請が殺到した。アイデアマンの義衛門は、黒君と白ちゃんを刺繍した子供用シャツを、自社の縫製工場で作らせ販売した。当時、キャラクター入りの商品は殆ど無い時代で、コソ泥スタイルのシャツは、飛ぶように売れた。全国から注文が殺到して、生産が追い着かないほどだった。義衛門は黒君と白ちゃんの関連グッツも始め、会社の業績は鰻上りだった。
静が中学生の頃、白ちゃんが、翌年には黒君が、老衰で天国の利家の元に旅立った。二匹とも安らかな最後だった。当然、二匹は合祀の墓に埋葬された。義衛門は社長室に、コソ泥スタイルの黒君と白ちゃんの写真を飾り、会社への貢献に、感謝の意を示した。黒君が亡くなった年に、まつが一匹の黄色の子犬を出産した。まつは、黒君・白ちゃんから静の送迎の大役も受け継ぎ、且つ子犬の子育てで、大忙しだった。今度は、静が子犬に黄子(きなこ)と、名付けた。
ある日、安造が、中学校の廊下を歩いていた。廊下の奥で、同校の悪餓鬼の五人が、静に詰め寄り、なじっていた。それを見た安造は「お前ら、何やっているのだ!」と、五人に怒鳴った。五人は安造に襲い掛かり、安造を袋叩きにした。尽かさず、安造も対抗したが五人対一人では、勝ち目が無かった。安造は、顔と腕に傷を負った。静は「安ちゃん、有難う」「傷、痛い?」と言い、安造の顔と腕を、自分のハンカチで押さえた。ハンカチに、血が滲んだ。安造は「大丈夫」と答えた。教師が跳んで来て、傷の手当の為に安造は、保健室に連れて行かれ、静も同行した。「安ちゃん、痛い?」と心配そうに、静は言った。「少し」と安造は、答えた。静は「お前は、お爺と、お婆しかいない。捨て子だろう」と、五人に罵られた(ののしられた)事を、教師と安造に話した。一方、五人の悪餓鬼は職員室で、教師から強く説教された。静は幼い頃の可愛さは薄れ、次第に美しさが増してきた。それは、実母・雪の美貌に似て来るかの様だった。中学生頃になると、安造は、静に、淡い恋心を抱く様になっていた。だが、静にとって安造は、昔からの幼馴染の親友であるだけであった。
静の中学卒業する間近に、田村家に大事故が起きた。義衛門が、帰宅時に、赤信号で信号待ちを停止したら、軍の大型トラックに追突された。反動で義衛門の車は、対面の電柱に激突、義衛門は右足に、複雑骨折の大怪我を負った。追突したにもかかわらず、トラックを運転していた兵隊は、非を認めず、自らの正当性を主張した。当時は軍に逆らう事は、許されない時代であった。重症の義衛門は、松葉杖なしでは歩行が出来なくなり、唯一の趣味である、車の運転も出来ない体になった。義衛門は、静の中学校の卒業式や女学校の入学式に、出席するのを断念した。義衛門の車は、堅固なドイツ(ベンツ)だったので、事故に由る車の大破は免れた。以後、車は田村家の車庫に放置、義衛門の会社への往復は、人力車に頼っていた。一週間後のある日、会社の社長室に六郎が、入社以来、始めて現れた。義衛門が社長の席に座っていた。義衛門の後ろ壁に掛かっている額が、六郎の目に入った。縦書きで[上を見てください。貴方より頑張っている人は、一杯います。下を見てください。貴方より貧乏な人は、一杯います。両方見る事が出来れば、貴方は人間です]と書かれ、額に収まっていた。それは義衛門の根本理念だった。六郎はその言葉に、強い感銘を受け、心にも刻み込まれた。六郎は、自分が義衛門の運転手に、なりたい事を、懇願した。「学問は無いが、一生懸命勉強して運転免許を取り、社長の足である運転手になりたい」と言った。後日、六郎は運転免許書を取得、晴れて、義衛門の運転手が実現した。
静は女学校に進学、澄子と安造は、各々の職場で勤め始めた。静の美貌は益々冴え、町で評判になっていった。武井兄妹は、働き始めると、田村家への訪問頻度は減っていった。静が、女学校に入って三か月ほど経ったある日、義衛門が、静と同じ位の歳の女の子を連れて帰って来た。義衛門は「今日から、家で働いて貰うサトさんだ。歳は、静の一つ年上の、十七歳」と朝子とタキと静に、サトを紹介した。「宜しくお願いします」サトが言った。それは、武井兄妹が、各々の就職で、田村家より遠のき、寂しくなった静への、義衛門の気配りだった。静とサトは同じ年頃なので、すぐに二人は、意気投合した。田村家の家族が五人になった。黒君・白ちゃんから大役を引き継いだ、まつに依る送迎は、静の登下校がバス通学になり、乗降するバス停までの送迎に変化していた。
一学期が過ぎた頃、市内の男子校の間で、静の美貌の事が話題に成って居た。当時は、男女共学の学校は殆ど無かった。某女学校で凄い美人が居るそうだ。静の女学校の校門や田村家の前で、待ち伏せして静を見に来る男子生徒、中には、親の二眼レフのカメラを持ち出して、静の写真を撮りに来る男子生徒も現れた。一人の学生が、自分の宝物にしたいと、撮影の依頼をし、静も優しい笑顔で応じた。田村家には、男子生徒からの文通依頼の手紙が、多数来る様に成った。義衛門は男女交際には神経質で、手紙は全て焼却処分をし、タキを、バス停まで迎えに行く事にしたら、少し沈静化した。当時は、未だ結婚前の男女交際は、不謹慎の時代であった。でも、静は市内の男子生徒の憧れだったが、反面、静の女学校の生徒の中には、静を妬む者も居た。
静が十七歳で、女学校は夏休の最中(さなか)だった。静は一人、合祀の墓の前にいた。朝から列車を乗り継いで、辿り着いたのは昼を回った頃だった。前から義衛門に、合祀の墓に誰が入って居るのか、何回も聞いたが、教えて貰えなかった。寺の玄関で住職に尋ねた。住職は「貴方は義衛門さんが拾った子供で、墓には貴方の実母が納骨されて居ます。お母様の経歴は、分らないです」と、言われ「墓誌に刻まれて居る最初の俗名が、貴方のお母様の名前です」と言われた。墓誌を見に行った。墓誌の最初に内山雪と刻まれていた。静は始めて実母の名前と、自分の生い立ちを知った。夕闇が迫って来た。静は合祀の墓を見詰め、しゃがみ込んだ間々だった。辺りが暗闇に包まれた。蛍が舞い始めた。蛍は次第に数を増していった。それは、合祀の墓に入っている魂の様だった。朝が来た。近くの農家の鶏の鳴き声で、静は目を覚ました。静は一晩、合祀の墓の前で眠ってしまった。立ち上り、静は合祀の墓に合掌・礼拝をして合祀の墓を後にした。静は昨日から、何も食べていない事に気が付いた。お腹が減っていた。駅前の万屋でジャムパン・クリームパンと牛乳を買った。列車に乗った。車内でジャムパン・クリームパンを食べ始めた。一方、田村家では、朝から静の姿が見当たらないので、大騒ぎ。夜になっても、静は帰らなかった。静は今まで、外泊など一度もした事が無かった。義衛門は心当たりを、虱潰し探したが見付からなかった。大変な一日が過ぎた。翌日の午後、ヒョコリ静が戻って来た。義衛門は、静を怒鳴りつけた。静は一言も言わず、自分の部屋に入り、閉じ籠ってしまった。義衛門が、静の部屋に入っても、静は布団を頭から被り、黙っていた。サトも心配して、静の部屋に入って来たが反応は無かった。その日の夜、合祀の墓の住職から、義衛門の元に電話が入った。静が昨日、寺に訪れた事と、当初、雪が合祀の墓に納骨する時に、義衛門からの口止めの依頼が無かったので、実母が墓に入って居る事を静に話した。と、電話で義衛門に伝えた。義衛門は静が自分の生い立ちを知った事を悟った。翌朝、静は、まつ・黄子と庭で戯れていたが、口数は極端に少なかった。
静が女学校の卒業式を終えてからの彼岸の日、田村家族は六郎の運転で、例年の通り合祀の墓に行った。帰宅したその夜、義衛門は座敷に静を呼び、実母の白黒写真が、裏面に貼ってある手記を渡した。手記は五六冊に膨れ上り、雪が義衛門に書いた手紙も添え貼りして有った。「女学校を卒業して、これからは静も大人の仲間入りだ。これに実母の事や、静の全てが記して有る。静にあげるから、今晩でも読んで大切に保管して置きなさい」と言った。静は手記を手にして、部屋に戻った。手記には寒い夜、正門で、静が泣いていた事から、白ちゃんの口紅の話しなど、全て書いて有った。その夜、静の部屋には、明かりが灯り続けた。静の目に、涙が溢れていた。静寂に満ちた夜だった。翌朝、静が三人に向かって「お爺ちゃん・お婆ちゃん・タキさん有難う」「お爺ちゃん、私が、この手記を書き続けてもいい?」言った。義衛門は静に「もちろん、いいよ」と、優しく言った。三人の目には光る物が有った。
以前から、武井兄妹は自分達が幼い頃、キャラ弁を運んでくれた、黒君と白ちゃんの墓参りをしたい、願望を持っていた。会社で、六郎が「自分の子供達が、合祀の墓に行きたがっているので、車を使わせて欲しい」と、言って来た。義衛門は、快く承諾した。その頃には、六郎は自らの力で、小さいながらも家も新築していた。
静が女学校を卒業した途端、町で評判な美貌の持ち主の静には、縁談話が殺到した。義衛門は静の縁談の条件として、田村家の跡目、すなわち、田村家に婿入りしてくれる人物が欲しかった。そして、もう一つ気掛かりは、静が自分達とは血縁関係が無く、捨て子だった事だ。だが、婿入りでは縁談は少なかった。卒業してから一年過ぎたある日、陸軍少尉・中村正義(まさよし)と名乗る軍服姿の凛々しい(りりしい)好青年が、不意に現れた。見知らぬ人物の訪問に、田村家は困惑した。玄関先で青年は「是非、静さんと結婚させて下さい」と言った。義衛門は以前から、自分に障害を負わせた軍隊を、好きでは無かった。その日は、青年に玄関先で引き取って貰った。それから毎日、青年の訪問が続いた。一週間過ぎた。義衛門は静に「どう思う?」聞いた。静は「面白い人ね」と小笑して答えた。義衛門は、正義の義が、自分の義衛門と、一文字同じ事に気を良くしていた。自分の後継者の名前としては、的確な様に思えた。義衛門は青年に会う事にした。青年を座敷に上げた。田村夫婦と青年は、座卓を挟み向き逢った。結婚の条件として婿入りが可能か?と、静の生い立ちを話した。「婿入りは、自分が三人兄弟の三男坊だから、大丈夫」と言い、田村夫婦の、静さんを育て上げた偉業に、感銘を受けています。「静さんの生い立ちに付いては、全く、気にしていません」と言った。義衛門は、暫く目を閉じた。そして目を開き、青年に「静を宜しく、お願いします」と言って、隣の部屋で控えていた静を呼んだ。若い二人の談笑が始まったので、田村夫婦は遠慮して席を外した。
翌週、若い二人は合祀の墓前に立って居た。静は正義に「私は捨て子です。本当に良いの?」と確かめる様に、聞いた。正義は優しい表情で、頷いた。二人は合掌して実母・雪と犬達に婚約を報告した。寺の桜の花が舞い落ちる、晩春だった。その年の秋に、中村家・田村家の結婚の儀が執り行われた。戦時中での世の中は、贅沢は敵だ、と言う、ご時世だった。にもかかわらず、義衛門は自分達夫婦の、静への集大成だと考えていた。結婚式は、豪華盛大で参列者も多かった。新郎新婦の両脇には武井夫婦が、頼まれ仲人で座って居た。六郎は、その頃、義衛門が最も信頼出来る部下で、義衛門の片腕の専務まで昇進して居た。参列した武井兄妹の中に、安造の姿は無かった。静が、隣の席の六郎に聞くと「今は、所在不明です」と言われた。来賓で、この町の市長が挨拶した。市長の話は、自分の実績と選挙目当ての長い挨拶に終始し、参列者は、あくびをしていた。披露宴も中盤に差し掛かった頃、司会者が祝電を読み始めた。その中に、安造の祝電が有った。「静ちゃん、おめでとう。キャラ弁、三人で食べたね。美味しかったよ。田村家の皆さん、有難うございます」と、書かれていた。静と澄子は胸に、(いにしえ)の熱き物を感じた。それが、安造が静に送った生涯の最後の言葉に成った。安造は今も、静に恋心を持って居たのだ。披露宴の終盤で静がマイクを取った。今まで、隠し続けていた自分の生い立ちを、参列者の前で話し始めた。「アンデルセン童話に、マッチ売りの少女という、お話が有ります。雪の降る夜、少女は、道行く人々に[マッチは如何ですか?マッチ有りますよ?]と、声を掛け続けました。マッチは殆ど売れませでした。[寒い]と言い、少女は一本のマッチに、火を付けました。暫くして[寒い]と言い、少女は二本目のマッチに、火を付けました。暫くして[寒い]と言い、少女は三本目のマッチに、また火を付けました。翌朝、路上に、雪を被り息が絶えた少女の姿が在りました。少女は、天国の両親の元へ、召されて行きました。雪の上には、数十本のマッチの燃え殻が、点在して居ました。私は、この童話が大好きです。幼い頃、お婆ちゃんやタキさんに頼み、何度も何度も読んで貰いました。私も、十九年前の寒い夜に、田村家の門の前に捨てられました。でも、お爺ちゃん、お婆ちゃん、タキさんは、私を何不自由無く、ここまで育ててくれました。お爺ちゃん、覚えていますか?小学校の入学式の事・運動会の事・私のどうして質問に、百科辞典で調べていた事・・・・、お爺ちゃん、お婆ちゃん、タキさん、本当に・本当に有難うございます」静の目は、大粒の涙で一杯だった。同時に義衛門・朝子・タキの目にも涙が一杯だった。会場の参列者からも、全員のすすり泣きの合唱が聞こえた。花束の贈呈の時間になった。静は前もって正義に「私が三人に花束を渡したい」と言い、正義の承諾も得ていた。まず、静は正義の兄達の所に行き「不束者ですが、宜しくお願い致します」と、言って花束を二人に渡した。正義の両親は、正義が中学生の時、相次いで他界した。兄二人が、正義の学費を工面し、士官学校に入れた事を、正義から聞いていた。次に静は花束を持って、三人の前に行った。タキが立ち上がった。「タキさん、有難う」言って花束を渡した。朝子が立ち上がった。「お婆ちゃん、有難う」言って花束を渡した。松葉杖の義衛門は、立ち上がる事が出来なかった。静は義衛門の背後に回った。背後から義衛門に抱き着いき「お爺ちゃん、大好き。お爺ちゃん、有難う」言って、花束を義衛門の胸に抱かせた。会場から、すすり泣きと、満場の拍手が鳴り響いた。宴も、たけなわに成り、司会者からスピーチは入った。「この辺で、新郎の正体を、暴露しようと思います」一瞬、会場が静まった。「女学校時代の下校時に、静さんはカメラで撮られた事が有りますね。ここに一枚の写真が有ります」と言って、司会者は写真を手にした。それは、静の女学校時代の写真であった。「この写真を撮ったのは、新郎の正義さんですね」正義が照れくさそうに、頭を掻いた。彼が、自分の宝物にしたいと言って、静の写真を撮った学生だった。静が驚いて、正義の顔を見た。義衛門と朝子も驚いて、互いの顔を見合合った。「これは、動かぬ証拠ですから、静さんに、お渡しして置きます」と言って、写真を静に渡した。会場が爆笑した。「それでは、新郎新婦の、仲睦まじい愛が、永遠にと託して、お二人でダンスをして頂きたいと思います」と、言われた。二人は、恥ずかしかったが、司会者の言われる間々にワルツを踊った。丸でシンデレラと王子の様だった。皆が、拍手の渦で祝福した。しかし、このワルツが、二人の、最初で最後のラスト・ダンスになる事など、二人は知る由も無かった。帰りしな、市長が義衛門の所へきて「義衛門さん、今日は、一杯泣かせて貰った。有難うございます」と言って、会場を後にした。会場が感動する、結婚式だった。
戦況は、益々厳しく成り、政府は国民に絶えず、事実を隠ぺいし続けた。義衛門の会社は政府の管理下に置かれ、工場も軍服を作る軍需工場に変貌していった。金属類は全て国に接収され、義衛門の車も、その対象に成った。正義は軍の上層部と折衝したが、非国民と罵られ、反って正義は、上層部に睨まれる結果に成った。会社も車も政府に取り上げられた義衛門は、生気を失い、丘に上がった河童の様だった。義衛門は女中タキとサトに、郷里に帰る様に促した。政府も、国民に倹約を求めていたので、女中などは、贅沢の象徴だった。義衛門の家計も、次第に苦しくなっていた。家計簿に目を通していたタキは、義衛門の内状を察して承諾したが、サトは固く拒絶した。結局、タキは郷里に戻り、サトだけが、田村家に残る事になった。義衛門は出来る限りの金品を、タキに渡した。皆の目に大粒の涙が有った。「旦那様・奥様・静ちゃん、長い間、お世話に成りました。有難う御座いました」と言い残し、タキは田村家を後にした。寂しい・寂しいタキとの、別れであった。
暫くして、国内で物資の調達の任に当っていた正義の元に、フィリピンへの赴任の命令が来た。同時に正義は中尉に昇進した。赴任には時間の余裕が、全く無かった。田村家では、正義のフィリピン行の支度に追われた。そして、正義は部下と共にフィリピン行の輸送船に乗った。「天皇陛下、万歳。大日本帝国、万歳」皆が日の丸の小旗を振って、見送った。それが、静と正義の最後の別れに成った。静はお腹に、正義の子供を宿していた。

愛しき妻よ、これが最後の手紙になると思います。戦況は日本軍にとっては益々不利、今は命令に従い、この国の人々を無意味に殺戮する日々です。今日も、抵抗分子を一掃する名目で、ある街に火を付け、全壊させました。この国での、我が日本軍の悪行を隠す為でしょうか?自分はこの戦争に、大きな疑問を持っています。しかし自分には、その疑問に立ち向かう勇気がない。毎日毎日、無力な自分と、操り人形の如く過ぎていく自分に、苛立ちを感じます。早く、この悪行から逃げ出したい。日本に帰り、静の作った味噌汁を飲みたい。畳の上で、静の膝枕で、ぐっすり眠りたい。お腹にいる、自分達の赤子に会いたい。でも、それは叶わぬ願いです。多分、此処が自分の、最後の場所と思います。一番欲しい事は、平和です。赤子の名前は、男なら(たいら)、女なら(なごみ)と、命名して下さい。今、自分は、お爺ちゃん・お婆ちゃん・タキさん・サトさんにも会いたいです。

田村静 殿へ
        昭和十九年十月五日
大日本帝国 陸軍中尉
              田村正義
ルソン島にて

静がこの手紙を受け取ったのは、年も明けた昭和二十年の正月だった。久しぶりの夫の手紙に、止めどなく落ちる涙を拭きもせず昼夜、何度も何度も読み返した。そして生れ来る赤子に、聞かせてやりたいかの様に、臨月の迫ったお腹の辺りに、大切に仕舞込んだ。
一月の下旬に政府より、田村正義の訃報の知らせが舞い込んだ。短い、短い夫婦の、終焉の知らせだった。そこには田村正義、死亡とだけ明記され、中尉の階級も記して無かった。まして、殉職とか殉死の文字は一切無く、遺骨や遺品の消息の記載も、無かった。正義の生還に微かな期待を持っていた静だが、その知らせを期に、生気を失った。その上、女中のサトが作った食事も、殆ど口にせず、お腹の赤子にも影響が出る程だった。翌月の二月三日に難産の末、男子が誕生した。赤子は若干、体重が少な目であったが、母子共に健康であった。夫の意か、赤子の生れた日は、厄払いの節分の日だった。取分け、義衛門・朝子は、正義の訃報で一時、落胆したが、田村家に跡継ぎが出来たと大喜び、静も赤子の可愛さで、日増しに元気を取り戻した。正義の手紙通り、息子は平と名付けられた。
日々、アメリカ軍による、空爆の激しさが増してきた。この町は、軍事施設も多く、軍の飛行場も存在したので、B29の爆撃の、標的に成った。空襲警報が鳴り響いた。その夜の空爆は、凄まじかった。義衛門は、静と赤子の平とサトを、急きょ土蔵に退避させたが、自分達は一代で造った屋敷に固執し、屋敷に残った。夜が明けて、三人は土蔵から外に出た。静は、外の光景に愕然として立ち竦んだ。木造造りの我が家は跡形も無く焼失し、三人が避難した土蔵だけが残って居た。瓦礫(がれき)の中から、無残な姿で、義衛門・朝子と愛犬まつが見つかった。しかし、黄子だけは居なかった。夫婦と愛犬まつは、寄り添う様に死んでいた。「お爺ちゃん、起きて。お婆ちゃん、起きて」「お爺ちゃん、起きて。お婆ちゃん、起きて」「お爺ちゃん、起きて。お婆ちゃん、起きて」「お爺ちゃん、返事してよ。お婆ちゃん、返事してよ」「お爺ちゃん返事してよ。お婆ちゃん、返事してよ」と、何度も、何度も、何度も叫んだが、返事は無かった。何時間が過ぎただろう。静は未だ、二人の焼け爛れた顔を、見詰めていた。最愛の人を亡くした、静の悲しい・悲しい別れであった。背中の平が泣いていた。見かねたサトが、静を土蔵に連れ込んだ。静は平らに母乳を与えた。飲み終えた平は、眠ってしまった。
役所の人間が、爆死した人々の処理に当たっていた。静の所にも訪れた。役人は「今は、お亡くなり成った方が多すぎて、火葬が間に合いません。遺族も、火葬にも立ち会う事が、出来ない状態です」と、静に伝えた。役人が、義衛門と朝子の遺体を、搬送仕様としたが、愛犬まつは、搬送される気配が無かった。静が問うと「人間で手一杯です、動物は・・・」と、役人は難色を示した。そして役人は「規則ですので、故人の名前と、遺族の名前を教えて下さい」言った。静は、義衛門と朝子と自分の名前・赤子の名前を教えた。役人は「著名な田村義衛門さんですか?失礼しました。私の母親は元、義衛門さんの工場で、働いて居ました。私も、色々、お世話に成りました。犬も一緒に、火葬させて頂きます」と、内諾してくれた。十日位過ぎた。先日の役人が、自分の母親を連れて訪れた。母親は「社長は優しい人でした。いつも私達、従業員の事を、優先して考える方でした。息子から、お亡くなりに成ったと聞いて、せめて線香だけでも、上げさせて貰おうと思い、やって来ました」と言った。息子の役人は「今は物資が不足しているので、骨壺も数に限りが有ります。義衛門さんと朝子さんと犬のお骨を、一緒に壺に納める方法しか、出来ませんでした。申し訳ないです」と、深々と頭を下げ、一つの骨壺を静に渡した。壺の側面には田村義衛門・朝子・愛犬まつと、書かれて居て、それは実筆による、役人の気配りだった。静はお礼を言い、壺を土蔵の中に飾った。静は「義衛門は無宗派なので、我が家には線香も鐘も、有りません」と言ったら、母親は「では、合掌だけでも」と言い、息子の役人と共に合掌・礼拝をして香典袋を壺の前に置いた。静は再度、お礼を言いった。静は、義衛門の「人間も動物も同じ命だ!」の言葉を思い出し、一つの骨壺は義衛門の意に叶っていると、考えていた。静は役人の母親に、六郎の近況を尋ねたら、意外な話が入って来た。「武井専務も専務の奥様も、お亡くなりに成りました。専務は、知り合いの借金の保証人に成ったあげく、家は没収されたそうです。それからは、工場の宿直室に、御夫婦と娘さん二人と住んで居ました。人の噂で聞きましたが、息子さんは、この町の何処かに、居る様です。空襲の時、専務は[社長の居ない時は、俺が会社を守る責任がある]と言い、奥様と一緒に、工場の消火に当たって居ました・。結局、B29の爆弾に直撃を受け、二人とも即死だったそうです。空爆の直前に、二人の娘さんは、避難させたそうですが、娘さん達の消息は不明です。[工場が、軍服を作って居たので、米軍機が狙った様だ]と、皆が言って居ました。でも、不思議な事が有るものですね。役所に保管して有った身元不明や引取手が無い遺骨の中で、専務ご夫婦の遺骨だけが、消えて無くなったそうです。役所では、遺骨が、盗難に逢う事は有りえないと考え、保管して有った倉庫には、鍵は無かったそうです」と、話した。次々、入る悲報に静は心を痛めたが、澄子と安造と桃子の安否が、気掛かりだった。
静は、義衛門と朝子と愛犬まつの、骨を合祀の墓に納骨したかったが、金銭的にも合祀の墓に行く旅費を工面する余裕がなく、暫くは土蔵の中に飾る事にした。
八月六日、広島に原爆が落ち、八月九日、長崎にも原爆が落とされた。八月二十日の正午の天皇陛下から、ラジオによる大切な、お言葉が有る。と言う報道が国内中を駆け廻った。国民全員が玉音放送に聴きいった。天皇陛下の肉声を聴くのは、この玉音放送が始めてで有った。それはポツダム宣言を受け入れ、我が国の敗戦を認める内容だった。しかし、大半の国民が、陛下の文語の論旨が難しすぎて、理解が出来ず、報道関係の解説や周りの雰囲気で、日本の敗戦を知った者が多かった。八月三十日、連合国最高司令官マッカーサー元帥が、この町の飛行場に飛来した。国民全体が、これからの自分達の生活に、極度の不安を感じていた。静の土蔵にはラジオも無く、電気も通って居なかった。静とサトは街の号外で敗戦を知った。静は生活の不安も感じて居たが、この殺戮の時代が終わった事に安堵感を感じていた。
静の質屋通いで、食い繋ぐ日々が続いていた。義衛門が土蔵に貯めた財産も、金品は戦前、軍部に没収され、残りの品々も、底を来たす状態に成っていた。静は膨大な財産を義衛門から受け継いだが、殆どが土地や株式で、物資が不足している当時は、生活の足しには、成らなかった。まして、義衛門の工場の跡地は、進駐軍に利用されていた。静は土蔵の外で、考え込んで居た。一時間ほど過ぎて静は、土蔵の中に入って来て、サトに声を掛けた。まず静は今迄の、サトの労を労った。自分達の窮状を話し、これからも三人、一緒に居たら、サトばかりに苦労を掛ける事や、若しかしたら、三人とも、生き倒れに成る事を話し、サトに、信州の親元に、帰る様に促した。サトは「私が働いて、食べ物を、買って来ます」と言って、何度も、三人一緒の生活を、懇願した。サトの瞼からは、幾筋もの涙がこぼれていた。静は、苦労を一手にサトに負わせる事など、出来ないと思っていた。静は、サトが制するのも聞かず、土蔵に残っている全ての金品や、朝子の形見の着物までも、風呂敷に包み、サトに旅費として渡した。暫くして、サトは、風呂敷包みを手にして、立ち上がった。「お世話に成りました。平君さようなら」と言い、土蔵を出て、夕闇の中に消えていった。静の目には、涙が溢れていた。静は土蔵に戻り、平を仰向けに寝かした。そして「ごめんね、天国の、お爺ちゃんとお婆ちゃんの処に、一緒に逝こうね」と言って、平の首に、両手を掛けた。平がニッコリ笑った。その笑い顔を見て、静は我に返り、両手を外した。
時間が過ぎた。静は未だ、何も口にして無かった。少しして、平が泣き始めた。静は出の悪い乳を、平らに与えた。そして平を抱き、眠りに付いてしまった。
翌日から、静は仕事探しに翻弄した。だが、乳飲み子を背負っての、静を雇ってくれる所は、何処にも無かった。土蔵に帰って来た。疲れた。静は、その間々、眠り込んでしまった。夜中に、平が、お腹を空かして、泣き始めた。静は起き上がった。良く見ると、土蔵の出入り口に、何か置いて有る事に、気が付いた。手にすると、それはサトに渡したはずの、風呂敷包みと、紙袋に入った食べ物であった。咄嗟に静は、土蔵の表に飛び出し、サトの名前を呼び続けたが、サトの姿は何処にも無かった。風呂敷包みを開けて見ると、それはサトに渡したはずの物が、手付けず全て有り、走り書きの手紙が添えて有った。[私は若奥様に、ずっと嘘を言っていました。御免なさい。私は両親の顔を、知りません。私の帰る家は有りません。幼い頃から、親戚の家を転々と歩きました。最初に、大旦那様の会社に同行した人は、私の父親では無く、遠い親戚の人です。だから私は、田村家に置いて貰った日々や、土蔵で若奥様と平君と暮らした日々が、一番幸せでした。私は、貧しさには、慣れています。田村家で皆様と、食事をした事を思い出します。家族で食べるのは、始めてでした。若奥様の結婚式、とても素敵だったです。若奥様のスピーチ、感動しました。泣いてしまいました。大奥様から、洋服を買って貰いました。嬉しかったです。その洋服を着て、鏡の前で一人、結婚式での若奥様のダンスの真似を、何度もしました。平君のオムツを替える時、オシッコを掛けられました。平君はニッコリ笑っていました。とても、可愛かったです。私は大丈夫、頑張ります。若奥様も、平君の為に頑張って下さい。私の様な田舎者に、温かくいて頂いた事に感謝しています。どうも有難う御座いました。 サト]と、書かれていた。読み終わった静は、サトの優しさ・哀れさと、自分がサトに、郷里に帰る様に諭した罪悪感が交錯し、涙が止まらなかった。二三日して、土蔵の前に人影を感じた。静は土蔵の前に出た。そこには、黒川武志(たけし)と名乗る、男が立って居た。武志の妻の良枝は、田村家の朝子とは姪の子供で、遠い親戚の関係だった。「仕事を探している様だが、俺の所に来ないか?」と、武志は誘った。「家は店舗と住宅が一緒だから、乳飲み子が居ても大丈夫だ」「身内だから、困って居る時は、お互い様だ」と、言った。以前から、金銭面で細かく、ずる賢い良枝夫婦と田村家とは、反りが合わなかった。武志には、医者に金を掴ませ、兵役を免れていたなどの、悪い噂が、数多く流れていた。しかし、静は明日の食糧(かて)にも事欠く状態だった。静は、武志に世話に成る事にした。翌朝、静は平を背負い、良枝夫婦の営む食料品店に行った。そこには、良枝夫婦と長男で赤子の哲也(てつや)と、使用人が二人居た。「今日から、働いて貰うけど、子供は哲也の横に置いて」と良枝が、つっけんどんに言った。店と、部屋続きで、小部屋が有った。そこに哲也が、子供用布団に包まれて、寝ていた。脇に薄い座布団が、二枚置いて有った。静は、その座布団に、平を寝かし着け、自分が羽織って居た上着を掛けた。「静さんは乳飲み子を抱えているから、哲也にも母乳を上げてね。乳母を兼務で、雇ったのだから」と、良枝は言い、店の奥に入ってしまった。唯さえ出が悪い母乳であったが、二人の赤子に飲ませる結果に成った。幸い、店は食料品店で、常に牛乳の備蓄が有ったので、二人の赤子が腹を空かす事は無かった。かくして、静の乳母兼務の仕事が始まった。食料品店が扱う商品は、男が持っても重く、お嬢様育ちの静には相当、過酷な仕事で有った。良枝夫婦は、厳しく口出しするだけで、仕事を手助けする気配は、全く無かった。毎日、武志より僅かな賃金と、食品を貰う日々で有ったが、それも良枝の目に止まると、減らされる事が、間々有った。良枝は静の美貌に常日頃、妬みを持って居た。武志は良枝の居ない時は、静に、色目を使ったり、体に触れたりしていた。武志の商売は、進駐軍の横流し品を、市価の数十倍で売り付けて、暴利を貪る悪徳商売で有った。そんな商売に、自分も加担している様で、静は後ろめたさを、感じていた。仕事が終わり、銭湯に立ち寄ってから、土蔵に辿り着き、平らに母乳を与え、貧祖な食事を口のする、蝋燭一本の生活であった。
静が、良枝夫婦の食料品店で働きだしてから、一ヶ月程過ぎた夜に、突然、武志が土蔵に尋ねて来た。「今の仕事を失ったら、お前達は餓死だ!」と脅し、強引に静の体を奪った。武志には、最初から静を雇って、静を自分の物にする魂胆が有ったのだ。枕元で熟睡していた平が、泣き出した。静を奪った後で、武志は静の横に身を寄せ、「これから一生、二人の面倒をみる」などと、不確か事を話し、土蔵を後にした。静は、土蔵の屋根の隙間から、漏れる月明かりを、見ていた。静の目には、口惜しさと惨めさで、涙が流れていた。気が付くと、先程まで泣いていた平が熟睡していた。静は、毎日、合掌している義衛門夫婦と愛犬まつが入った骨壺に、覆いを被せ、乱れた衣類の胸元から、正義の手紙を取り出し見詰めていた。翌々日、静は重い足取りで、良枝夫婦の店に出勤した。しかし、静の顔からは笑みが消えていた。武志は頻繁に、土蔵に訪れ静を求めた。武志が土蔵に居る間は、生気を失った人形の様だった。武志にとって、不器量で勝気な良枝は、美しい静とは比較に成らなかった。武志が帰った後は、静は何時もの優しい顔に戻り、平を両膝に置いて、何回も読んだ正義の手紙を読み返した後、義衛門から受け継いだ、手記を書き始めた。
平が、三歳に成った頃の夜、土蔵の前から犬の吠える声が聞こえた。静が土蔵の戸を開けると、一匹の黄色い犬が、土蔵に飛び込んで来た。犬は静の顔を、尾を振りながら舐めた。少し間をおいて、静が「黄子?黄子だよね?」と言った。犬は、静に抱き付いて再度、静の顔を舐めた。三年ぶりの、黄子との再会であった。静は良枝に、仕事場に犬を一緒に連れて来る事を懇願した。良枝は難色を示したが「最近は物騒な時代で、泥棒も多い。番犬に成るかも?」と言って、渋々了承した。黄子は静と平と使用人の二人には懐いたが、良枝家族には懐かなかった。平は、哲也とは相性が悪く、平は、中庭の黄子と遊ぶ方が多かった。店の使用人の二人も、良く自分達の昼飯の残りを、黄子に与えていた。
ある日、静が何時もの様に商品を整理していると、一台の進駐軍のジープが店の前に止まった。静がジープに目をやると、運転席に若い米人の軍人、助手席に中年の米人の将校、後部席に、派手な衣装を身に着け、厚化粧をした、日本女性が乗って居た。彼女と静との目線が合った瞬間、彼女は咄嗟に自分のネッカチーフで、顔を隠した。一人、中年の将校が降りて、店の中に入って来た。武志が頭をペコペコと下げて、中年の将校に札束を渡した。それは横流しの代金であった。中年の将校は金を受け取ると、即、ジープに乗った。ジープは走り去った。静は、先程のジープに乗って居た日本女性を、何処かで見覚えが有る気がした。静は記憶を辿っていた。思い出した。彼女はサトである。慌てて、静は店の外に掛け出た。そこには、既にジープの影すら無かった。その夜、静は悔まれる罪悪感で、一睡も出来なかった。傍で、平と黄子が一緒に寝ていた。以後も、若い軍人の運転で、時々、中年の将校は金を貰いに来たが、サトは乗って居なかった。先々日がサトを見た、最後の日であった。
半年程、過ぎた。静の土蔵に一通の手紙が届いていた。フィリピンからの国際郵便であった。封書の裏面にホセ・ゴンザレス(Jose Gonzalez)と差出人が明記されていた。静が開封してみると、中に、写真が三枚と、数枚の英文で書かれた手紙が入って居た。写真を手にして見ると、一枚は義衛門、朝子、タキ、サトが中央部で、両脇に正義と静が写っている田村家の写真と、もう一枚は、八メートル程の大きさの、石造り灯台の様な建造物を、現地の人が、取り囲んで居る写真と、もう一枚は、その建造物の拡大写真で、英字でOur Benefactor Mr. Masayoshi Tamura (私達の恩人・田村正義殿)と刻んで有る、計三枚の写真だった。空爆で焼失して、静の手元には家族の写真は、一枚も残って居なまった。静は家族の写真に暫くの間、見入っていた。平らに写真を見せて、各々の人物の事を語ったが、幼い平は半信半疑だった。久しぶりに見る家族の顔だった。静は英語が読めなかった。戦時中は、英語は敵国の言葉だとして、学校でも殆ど教えなかった。手紙の内容が解らない。静は迷った。静の頭に一つの策が、(ひら)めいた。時々、店に来る、将校の運転手の若い米兵さんだったら、読んで貰えるかも?よく、私に笑顔で会釈し、優しそうだから。それに、サトの事も教えて貰えるかも?と静は考えた。将校がロバート(Robert)と呼んでいた事、も覚えていた。一日過ぎた日、良枝が静に商品の配達を言い付けた。チャンスだと思った。静は、商品を背中に背負い出掛けた。静は、商品を配達し終えた後に、米国の進駐軍に向かった。そこは元、義衛門の工場の、跡地で有ったが、今は進駐軍が物資の倉庫に使われていた。門の衛兵に、ジープの運転手を手真似して、ロバートの面会を申し出た。衛兵は内線で電話を掛けた。暫くして笑顔でロバートが現れた。まず、静はサトの居場所を聞いたが「I Don’t know I Don’t know」(知らない・知らない)と言った。次に静はホセ・ゴンザレスの手紙を取り出し、読んで貰う様に依頼した。ロバートは「OK・ OK 」と、喜作に応じてくれた。彼は、余り上手くない日本語で、手紙を読み始めた。「私は、ルソン島北部の町の人間です。田村中尉の日本の住所は、写真の裏に書いて有ったので、判りました。我々の町の殆どは、日本軍の無差別攻撃によって、破壊されました。しかし、田村中尉は[日本軍が来るから、すぐに逃げろ]と皆に,振れ回りました。おかげで、住民の大半の命が、助かりました。田村中尉は、我々の命の恩人です。後日、彼が、我々に密告している事が、日本軍に発覚してしまいました。田村中尉は反逆罪で、日本軍により銃殺されました。遺体は、放置された侭でした。我々は日本軍の隙を見て、田村中尉の遺体を収容しました。遺体の内ポケットに、二枚の写真が有りました。一枚はこの手紙に同封した集合写真で、裏に写っている人物の名前が順に書かれ、生れて来るBabyの名前は、男が平、女が和と、記して有り、日本の住所も書かれていました。もう一枚は女学生姿の静さんの写真で、裏に静十七歳と記して有りました。遺体は我々の手で、北東に海が見える丘に、女学生姿の静さんの写真と一緒に、埋葬しました。北東は日本の方角だと、我々は考えました。後日、住民の寄付を集め、慰霊碑を造りました。慰霊碑は、灯台も兼用する様に造りました。灯台の灯りは、北東の方角を照らせば良いと、考えました。慰霊碑にはOur Benefactor Mr. Masayoshi Tamura (私達の恩人・田村正義殿)と、彫りました。慰霊碑の写真も、手紙に同封して有ります。町の画家に依頼し、田村家族の集合写真に基づき、田村中尉の人物画を描いて貰いました。画家は、ボランティアで描いてくれました。画は現在、町庁舎の玄関に飾って有ります。田村中尉は我々の命の恩人です。感謝しています。有難う御座います」読み終わってロバートは、同封して有る写真を見て「Mr. Masayoshi Tamura Wonderful」と、目頭を押さえながら言い、手紙と写真を静に渡した。静は片言の英語で「Thank you Thank you」と礼を言った。ロバートは「See you again」と言い残し、門の奥に消えて行った。静は、手紙と写真を、胸元に大切にしまい込んだ。静はホセからの手紙で、正義が静の女学校時代の写真を、身に付けていた事を知った。そして、日本政府からの訃報の知らせの際、階級は剥奪され、殉死の記載・遺品・お骨が無かった事も、理解出来た。夫、正義は日本軍にとっては、反逆者だったのだ。その夜、静は写真と共に手紙の内容を平に語ったが、幼い平は、又もや半信半疑だった。それを静は、義衛門から受け継いだ手記にも記した。その後、静は折を見ては、度々、平らに語った。
平が五歳を過ぎた頃、アメリカより一通の国際郵便が届いた。手紙は宛名も差出人も日本語で書かれていた。差出人には、サト・ウイリアム(Sato Williams)と、書かれていた。封筒を開けてみた。中には数枚の手紙と、写真が二枚入っていた。一枚目の写真は白い平屋の写真で、二枚目の写真には、右側に女性・左側に男性・中央に男の子が二人と女の子が一人と、一匹の犬が写っていた。良く見ると、女性は女中サトで、男性は、進駐軍のジープの運転手のロバートだった。手紙には[若奥様、ご無沙汰しております。同封した写真は、私の家族と家の写真です。今、私は、アメリカの西海岸ワシントン州北部のシアトル市に、住んで居ます。この町は、航空機産業が多い町です。私の主人も、今は軍を辞めてからは、航空機関連の会社に勤めて居ます。写真に写っている子供の名前はジョン(John)とダニエル(Daniel)とアンナ(Anna)で、犬はホタル(Fotal=Firefly)です。私達と子供達とは、血の繋がりは有りません。全て養子です。ジョンとアンナは日本人の兄妹で、ロバートが日本に駐留して居る時に、拾いました。ダニエルは韓国人です。ロバートが朝鮮動乱で朝鮮に派兵されたと時に、ダニエルが抱きかかえて居た犬と一緒に拾いました。子供達の名前は、早くアメリカ社会に順応して欲しいと、ロバートの意向で英語名に改めました。犬は、大旦那様の造った合祀の墓に因んで、ホタル(Fotal)と、私が名付けました。ホタルはFireflyでは無く、あえて、日本語読みでFotal(ホタル)と、呼んでいます。ロバートの運転で黒川商店に行った時、私は若奥様と会いました。ビックリしました。でも、私は自分を名乗る事が、出来ませんでした。私はロバートに、黒川商店に行っても、「私の事は、絶対に話さないで」と、口止めしておきました。若奥様が、駐留軍に行ってロバートに、手紙を読んで貰った事や、正義様の、石碑の写真の事も聞きました。ロバートは、とても感動したそうです。黒川商店に、ジープで乗り付けた時、同乗して居たのは、ロバートの上司のブラウン中佐(Brown)です。あの当時、私はブラウン中佐と、付き合って居ました。でも、彼は私を置いて、アメリカに帰任してしまいました。彼にはアメリカに、妻子も有った様です。途方に暮れていた処に、声を掛けてくれたのが、今の私の主人、ロバートです。当時、彼は一等兵でした。彼は、とても優しい人間です。彼に大旦那様と事も話ました。とても、感動して居ました。私の生い立ちの事も、話ました。彼は、同情して、涙を流してくれました。ある日、ロバートが浮浪児(戦災孤児)だったジョンとアンナを連れて来て「駐留軍の基地内では、育てられないから、サトさん、貴方が育てて下さい。子供達の生活費は、僕が負担します。お願いします」と言って、私の安アパートに、子供達を置いてきました。それから、彼は毎日の様に、私の安アパートを訪れ、二人の子供達と遊び、金品を置いてきました。暫くしてからロバートは、朝鮮戦争に派兵されました。一年位、過ぎてから彼は、浮浪児(戦災孤児)と犬を連れて、私の安アパートに戻って来ました。「ダニエルです。犬と一緒に朝鮮で拾いました。これから私達で、責任を持って、三人の子供を育てましょう。僕は兵役が終わりました。サトさん、僕と結婚してアメリカに行って下さい」と言われ、私は嬉しさで泣きました。日本の小さな教会で結婚式を挙げ、アメリカに来ました。二人で話し合って、自分達の子供を創らない事を、神に誓いました。今でも、私達は、大旦那様と若旦那様の事を、尊敬しております。今、サトは家族に囲まれ、幸せです。日本に帰ったら、若奥様と平君に会いたいです]と書かれて居た。静は以前から、サトの消息が分からない事が、気掛かりだったので、手紙を読んで心を撫で下ろした。
若干の備蓄が出来たので、静は、義衛門夫婦と愛犬まつが入った骨壺を、合祀の墓に納骨したいと考えた。良枝に「合祀の墓に行って来るから、二日休みを欲しい」と願い出たら、良枝は例の如く、難色を示した。武志は「行って来たら」と、以外にも静に、助け舟を出した。武志は、何時も静の土蔵に行くと、骨壺が置いて有るので、薄気味悪く感じていたのだ。翌日の午後に、静と平は合祀の墓に着いた。蝉の鳴き声が、響いていた。久しぶりの墓参りであった。寺の本堂に行き、声を掛けた。奥から若い坊さんが出てきた。静は「御住職は?」と聞いたら、「今は、私が住職です。先代は昨年、亡くなりました」と、答え「先代は、仏門の身で有りながら、義衛門さんの考えに共鳴し、合祀の墓に入っています。若しかして・・・、田村さんですか?」と、言った。静は「はい、義衛門の娘です」と、答えた。静は、住職までもが、合祀の墓に入って居る事に驚いた。二人は若住職と共に合祀の墓の前に立った。静は、又もや驚いた。合祀の墓は墓石こそ、前の侭で有ったが、墓誌と納骨洞は増え、周りの池も拡張されて居た。墓石の正面を見ると、そこには 人間も動物も同じ命だ と彫られ、脇に田村義衛門建立の文字が、小文字で並べて彫られていた。傍にいた若住職に、静は「住職自身が、拡張したのですか?」訊ねたら「戦後、間も無く、武井安造さんと言う方が、二つの遺骨を持って来られ、納骨を済ませました。二三年前、再度、お見えに成り[私の負担で合祀の墓を拡張したい]と申出が有りました。先代の住職は、納骨洞も手狭に成ったので、申出を受け入れ、現在の拡張した形に成りました」と、若住職は答え「その方が、お持ちに成った遺骨の俗名も、先代の住職の俗名も、墓誌に刻んで有ります」と、言った。静が墓誌を見ると、住職の名前の他に、武井六郎・武井七子と、言う名前が有った。安ちゃんが、納骨に来たのだ。生きて居たのだと、咄嗟に思った。義衛門夫婦と愛犬まつが入った骨壺を、納骨し終え、静と平と若住職は墓前で合掌・礼拝したが、若住職の読経は無かった。「最近は合祀の墓の噂は、関東一円まで広がり、この寺も有名に成りました。納骨を希望される方は、年に数百骨です。夏場は、蛍を見に来る方だけの方も、大勢います。今日も、ソロソロ、お見えに成ると思います。田村さんも時間が有れば、蛍を見ていくと、良いと思います。綺麗ですよ」と、言って、若住職は寺の本堂へ、戻って行った。静は、平らに蛍を見せようと、納骨を夏場に決めていた。夕闇が近づいた。数十人の人が、境内に集まり始めた。次第に蛍が光始めた。辺りが闇に包まれると、光の数は圧倒されるまでに、膨れ上がって居た。平は目を丸くして、光を見ていた。その光の中に、実母・義衛門夫婦・田村家の犬達・武井夫婦も居るのだ、と思って、静は平らに教えた。その夜は、近くの宿屋に泊まった。翌朝、二人は宿で朝食を取り、駅に向かった。昔、静が立ち寄った駅前の万屋が、静の目に入った。静は万屋で、ジャムパンとクリームパンと牛乳を二つずつ買って、二人は列車に乗り込んだ。それは、静の懐かしい思い出で有った。
昭和27年の桜が満開の頃、平は静と一緒に、思い出の小学校の門を潜った。愛犬、黄子も同行した。それは、静が幼年時代に通った小学校であった。工面して揃えた、学生服やランドセルを、身に着けた平を見ると、安堵感を覚え、平を誇らしく感じた。校庭の演壇で校長が挨拶に立ち、次にPTA会長が演壇に立った。静は、自らの入学式の義衛門を思い出し、俯いて笑っていた。沢山の新入生の中に、良枝と哲也の姿が見えた。例の如く、成金主義のケバケバシイ衣装に、身を包んで居た。静は、良枝に見付からない為に、良枝から距離を置いた。その甲斐も無く、良枝と視線が合ってしまった。良枝は静に近寄り、自分の衣装や持ち物を自慢し始めた。それは、豚に真珠だった。暫くして、急に良枝は喋るのを止め、静の衣服を、疑わしげに見入って居た。何処かで、成金仲間の良枝を呼ぶ声が、聞こえた。振返り、良枝は声が聞こえる方へ、小走りで去って行った。入学式の翌朝、良枝が突然、静達の土蔵に押入って来た。大変な剣幕で有った。静が、入学式に着用した衣服は、武志が良枝に買い、良枝が気に入らないで、一度も袖を通していない服だった。武志が、その衣服を持出し、静に与えたのだ。静は、その衣服が良枝の服だった事など、全く武志から聞いて無かった。静は金銭的に余裕無いので、仕方なく武志から貰った衣服を入学式に着た。結果、武志の浮気が露呈した。良枝は静に罵り(ののしり)暴言を浴びせ、殴る蹴るの、凄まじい勢いで有った。良枝は、静が入学式に着て行った衣服を引き裂き、静に解雇を告げ、泣きじゃくりながら、帰って行った。以後、武志も静の土蔵には現れなく成り、静の収入源は完全に閉ざされた。蓄えは次第に底を来たし、静は手に覚えの有る、和服の仕立てや書道教室の看板を、敷地の前に立てたが、殆ど収入は得られなかった。静は、自らの食べ物を平らと黄子に与え、自分だけは、水で過ごす日々が多く成った。平も次第に、学校には行かなく成り、土蔵で過ごして居た。黄子は昼間、土蔵から居なくなり、町中のゴミ箱を漁り、夕方、土蔵に帰って来る様に成った。静の体は見る間に、痩せ細っていった。
黒川商店の仕事が無くなってから、二か月経ったある日、静が土蔵の中で急に倒れた。最近、静は常に咳をする様に成っていた。平は慌てて駆け出し、以前、静と一緒に行った事がある、町医者に飛び込んだ。何度も何度も、平は助けを懇願した。町医者は面倒臭げに、診察客を終えたら、往診する事を承諾した。急ぎ、平は土蔵に戻って、静を見た。静は目を閉じた状態であった。静は、幼い頃の義衛門家族・犬達・武井兄妹の事や、結婚式で正義と踊った事を、思い出していた。静の目に光る物が有った。平が、極度に衰弱していく静が心配で、静の顔を数回撫でた。瞼が、静かに開いた。静は平らに、自分の傍で横になる様に、言った。胸元から三通の手紙を取り出した。静は囁く様に、話始めた。「これは、お父さんと、フィリピンの人からと、サトさんからの手紙です。写真も入っています。戸棚に手記が有ります。我が家の宝物です。全て、平に上げます。大切にして下さい。貴方が大人なったら、フィリピンに行って、お父さんと会って下さい」と、言って、手紙を渡した。静は脇に寝た平の頭や顔を、自分に記憶させるかの様に、撫で続けた。静は、自分の首から蛍のペンダントを外し、平の首に掛けた。「貴方のお嫁さんに、このペンダントを、掛けて上げて下さい。平が大好きです、平が大好き・・・・」静の瞼が、引き潮の様に閉じた。撫で続けていた手も、止まった。静の目から、一筋の涙が流れ落ちていた。平の幼い目には、涙が溢れていた。表で黄子の、悲しい遠吠えの声がした。静と平の、悲しく寂しい永遠の別れであった。

 
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