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打たれた後で

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第四章

「今日もああして」
「足立の投げ方を勉強してますか」
「特にシンカーを」
「あのボールを」
「あいつはあれで器用なところがある」
 西本は山田のその特性も見抜いていた、そのうえでの言葉だ。
「そやからな」
「シンカーもですか」
「身に着けますか」
「他のボールもや」 
 シンカー以外の変化球もというのだ。
「身に着けてくれるわ」
「シュートやスライダーも」
「それも」
「あいつは只の速球投手やない」
 それに収まらないというのだ。
「変化球もあるな」
「それも兼ね備えた」
「凄いピッチャーになりますか」
「うちを長い間しょって立つだけのや」
 阪急ブレーブス、このチームをというのだ。
「そしてパ・リーグ、球界を代表するだけのピッチャーになってくれるで」
「近鉄の鈴木啓示みたいな」
「ああしたピッチャーにですか」
「そや、なってくれるで」
 このままシンカーそして他の変化球を身に着けてというのだ、そして実際にだった。
 山田はシンカーも他の変化球も身に着けた、そして西本の言う通りに。
 勝利を重ねて阪急のエースになった、そのシンカーはというと。
「凄いな、あのシンカー」
「ああ、普通じゃない」
 こう話すのだった、パ・リーグのバッター達が。
「一旦浮かんでガクン、と落ちる」
「斜め下に信じられない落差でな」
「足立以上か?」
「そうかもな」
 その足立より上ではないかというバッターもいた。
「あれは魔球だぞ」
「そう簡単に打てるものじゃない」
「他の変化球も身に着けてきてるしな」
「何か前よりも遥かに凄くなったな」
「速球だけじゃなくなってな」
「こりゃ凄いピッチャーになったな」
「近鉄の鈴木に匹敵するな」
 その鈴木にも肩を並べる程になったというのだ、その彼等の言葉を聞いてだった。
 西本は確かな顔になってだ、こう言ったのだった。
「速球だけでもええけどな」
「そこにですね」
「変化球も身に着ければ」
「そや、全く違う様になる」
 そこまでというのだ。
「シンカーにしてもな」
「あそこまで凄いシンカーとなると」
「そうは打てませんよ」
「もう山田に敵はいないですね」
「誰でも」
「そやろ、あいつはこのままな」
 それこそというのだ。
「最高のアンダースローのピッチャーになるで」
「あのシンカーで」
「そうなりますか」
「あそこで変わったわ」
 西本はこうも言った。
「シリーズで王に打たれてからな」
「あのホームランの時に」
「あそこで打たれたからですか」
「変わった」
「そうなんですね」
「人間な、頭を打たんとな」
 このことはだ、西本は少し苦笑いになって言った。
「わからんもんや」
「そうしたことがですか」
「中々」
「そや、あいつもや」
 山田にしてもというのだ。
「あそこで王に打たれんとな」
「わからなかったですか」
「速球だけでは限界があるということが」
「そや、痛いホームランやったけどな」
 何しろその試合だけでなくシリーズを決めてしまった一打だ。西本にしても決して忘れることのない一打だった。
 だが西本は己のことは置いておいてだ、こう言ったのである。
「あいつはそれで大きくなったわ」
「打たれてこそ」
「それがあってこそですか」
「そや、あの一打があいつを育てたんや」
 こう言ってだ、その投げる山田を見る。山田のシンカーが唸りそしてだった。相手のバッターを見事に打ち取っていた。
 山田久志はシンカーを武器にして勝ち進みアンダースローのピッチャーで最高の勝利数を残し阪急黄金時代のエースとなった、その彼を作ったのはシリーズにおいての王貞治のホームランだった。打たれた山田はそのことを忘れずにシンカーを覚えた、それが彼を大エースにしたということは実に面白いことであると言えよう。


打たれた後で   完


                              2014・12・16 
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