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魔法少女リリカルなのは~過ちを犯した男の物語~

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七話:狂気


 時空管理局から無事に逃げおおせたヴィクトルはフェイトとアルフに骸殻の説明をする間もなく、すぐにプレシアに呼び出されてしまいついでにジュエルシードも届けるために『時の庭園』に来ていた。プレシアは椅子に座ったままイライラとした表情を隠さずにヴィクトルを睨みつける。だが、ヴィクトルは気にも留めずに鼻歌交じりに紅茶を淹れるだけだった。

「手伝うと言った割に、たった五個しか手に入れられていないじゃない」
「別に私はあなたの手伝いをしているわけではないのだが。私が手伝うと申し出たのはフェイトとアルフだ」
「そのフェイトとアルフは私の命で動いているのよ」
「では言い直そう。私はフェイトとアルフの手助けするのが目的であってジュエルシードを集めることが目的ではないのだ」
「屁理屈を……」

 苦々しげに呟くプレシアの前に紅茶を差し出して自身も椅子に座りカップに入った紅茶に口を付けるヴィクトル。そんな姿にプレシアはこれ以上何を言っても無駄だと悟って溜息を吐いてから自身の紅茶を飲む。

 一口、口に含むと芳醇な香りが口内に広がり、彼女に安らぎを与える。思わず、ホッと息を吐くとヴィクトルが満足げに笑みを浮かべたのでプレシアは何とも言えぬ敗北感を覚えて顔をしかめながらカップをテーブルに置く。そして、本題に入るために重い口を開く。

「あの男は何者なのかしら?」
「あの男とは?」
「とぼけないでちょうだい。あなたと瓜二つの顔をした男よ」

 プレシアが聞いているのはルドガーの事だ。フェイトとアルフはヴィクトルの顔の全体を見たことは無いので気づかなかったがヴィクトルの素顔を知るプレシアは同一人物と言っても差支えがない程、似ているルドガーが何者かを聞いたのだ。ヴィクトルはプレシアの質問にしばし考える素振りを見せたが、すぐにどうするかを決めて口を開く。

「彼は私と同じで違う存在とでも言うべきか……それとも、十年前の私と言うべきか」
「ふざけてるのかしら。それともタイムスリップしたとでも言うの?」
「残念ながら私は大真面目だし、タイムスリップをしたわけでもない。寧ろ、タイムスリップならどれだけ楽な事か」

 カップに口を付けながらしみじみとした声で告げるヴィクトルの目からはどうしようもないやるせなさが漂っていた。プレシアはその目に疲弊しきった自分を見出してしまい苛立たしげに舌打ちをする。

「彼との関係を話すにはまずは私の世界について話さなければならないのだが……聞く気はあるかね?」
「聞いてあげるからさっさと話しなさい」

 プレシアから許可を取ったヴィクトルはおもむろに椅子から立ち上がり部屋の中を歩き出す。何か考え事をしているようにも見える姿にプレシアは違和感を覚える。何に違和感を覚えたのかは分からないがとにかく何かが変わったとしか思えない言いようのない気持ち悪さをヴィクトルから感じる。

 それはまるで、顔を隠していた仮面を取り外して素顔をあらわにした道化(ピエロ)のようだった。ヴィクトルはそんなプレシアの様子に気づくこともなく朗々とした声で語り始める。

「私の居た世界にもこの次元世界と同じように複数の世界が存在した」
「そう……続けなさい」
「次元世界と違う点は全ての世界がある一つの世界、正史世界から枝分かれした世界であるという点だ。それだけであるなら、そこまでの差異はないだろう……だが、次元世界と大きく異なる点が存在する。何か分かるかね?」
「……いいえ」

 やけに芝居がかった台詞に自嘲気味な声という何ともアンバランスなヴィクトルの話にプレシアは知らず知らずの内に飲み込まれていた。プレシアの返答にヴィクトルは満足そうに笑みを浮かべてみせたがその笑みは見る者の背筋を氷つかすような気味の悪い物だった。たっぷりと間を空けた後にヴィクトルが言葉を続ける。


「それは枝分かれした世界、『分史世界』を―――壊し続けなければならないということだ」

「世界を……壊す?」


 余りにも荒唐無稽な話にプレシアは否定することもできずに、ポツリと呟くことしかできない。バカげている、と叫んでしまいたいがヴィクトルの憂いに満ちた顔を見てしまうとそれが真実であることを認めざるを得ない。

「どうして壊さないといけないのかしら?」
「簡単に言うとだ。まず、世界という一本の木が有るとしよう。そこに分史世界という枝が生えてくる。枝が生えた以上は今まで以上の栄養が必要だ。……だが、木に与えられる栄養はあらかじめ決まっている。その状態で、枝が際限なく増え続けたらどうなる?」
「……木は枯れる」
「その通りだ。放置しておけば正史世界も分史世界も共に滅びるバッドエンドだ」

 だから、木の枝を切り取るように世界を壊し続けるのだ、と自嘲気味に笑いながらヴィクトルは続ける。プレシアはその様子にヴィクトルが実際に世界を壊していたのだろうと察する。しかも、到底割り切れないことも経験してきたのだろうと思わずにはいられなかった。

「私の仕事は自らが住む本物の正史世界を守るために偽物の分史世界を壊す―――はずだった」
「はず……だった?」

 知らず知らずのうちに喉が渇いていたのか掠れた声で繰り返すプレシア。次の言葉を聞きたくないと頭が拒絶しようとする。何故、次の言葉を聞きたくないと思うのかは彼女にも分からない。だが、頭の回転が早い彼女は聞くよりも先に彼に起きた悲劇を理解してしまった。それは、いずれ自分がフェイトに突きつけるだろう絶望と同質の物だと。

「私が今まで本物だと信じて疑うこともなかった世界は全て―――偽物だったのだ」

 自分もまた、分史世界の人間に過ぎなかったのだと知った時、“ルドガー・ウィル・クルスニク”という人間は壊れた。人間には自分が自分であるという確固たる信念、アイデンティティーという物がある。子供が思春期おいてに安定しないのは、まだこれが形成されていないのも理由の一つにある。

 ヴィクトル、つまりルドガーは成人にもなりアイデンティティーをしっかりと形成していた人間だった。しかし、自分のアイデンティティーの形成に関わってきた全ての物が偽物だったと知った瞬間に彼のアイデンティティーは簡単に崩れ去り自分が何者であるのかも分からなくなってしまったのである。

「実に滑稽だったよ……今まで偽物と言って大切な者を切り捨てながら分史世界を壊してきたのに真実は自分達も偽物だったのだから」
「……偽物だと言うわりにはそこまで堪えてなさそうね」

 プレシアの皮肉気な言葉にヴィクトルはどこか懐かしそうな顔をしながらカップを手に取り残りを飲み干す。

「かつてならこうして話すことも嫌だっただろうが……今の私は気付くことが出来たのだ。偽物などいないと、私とルドガーは別人なのだと」
「つまり、あの男は……」
「そう、ルドガーは正史世界の私だ」

 その言葉以降、二人の間に会話はなくなり、静寂の中に紅茶を飲む音とカップを置く硬質な音だけが響き渡る。プレシアは、表面上は顔色一つ変えてはいないが内心では様々な事を考えていた。まず、ヴィクトルが自分を偽物だと言ったことだ。フェイトとは少し違うかもしれないが同じ偽物。だというのに、彼は己の全てを知ってなお、自分が偽物ではないと悟った。

 以前に娘を偽物扱いしたと言ったがそれは自身が偽物であるが故だろう。そうなってくると自分とは違う。アリシアは自分がお腹を痛めて産んだ子だがフェイトは違う。あれは作り出したものだ。娘ではない。実際に血の繋がっている娘を持つヴィクトルと自分は違うのだと考えると何故だか心が落ち着いた。その事こそが自分が心の奥底ではフェイトとの関わり方に疑問を抱き始めていたせいだとも気がつかずに。

「話はこれで終わりよ。もう帰っても構わないわ」
「いや、まだ私の方から質問がある」
「……何かしら?」
「何故フェイトに辛く当たる?」

 プレシアはヴィクトルの言葉にあからさまに顔をしかめる。ヴィクトルの前でフェイトの“しつけ”をしたこともなく、罵倒したこともない。それにも関わらず聞かれたという事は独自に感づいたのか、アルフあたりが教えたのだろう。フェイトが自ら虐待に近いしつけを受けているなどと言うことは無いとプレシアは信頼にも似た確信を抱いていた。ごまかしても無駄だと思ったプレシアは溜息を吐きながら質問に答える。

「見ているだけで憎しみ(・・・)が湧いてくるからよ。それ以外でもそれ以下でもないわ」

 投げ槍気味にそれだけを言ってヴィクトルから顔を背け、早く帰りなさいとでも言うように手を振るプレシア。だが、彼は気にすることもなくプレシアを見つめながらポツリとある言葉を呟く。

「そうか……あなたはフェイトを愛していないわけではないのだな」

 彼の言葉に彼女は耳を疑った。自分が? 愛している? 誰を? フェイトを? 全く持ってふざけているとしか思えない。自分があんな出来損ないの人形を愛しているはずがない。そう思うと何故か、どれだけ辛く当たっても自分を母さんと呼んで慕ってくる人形の姿が脳裏によぎるが彼女はそれを振り払って彼に怒鳴り返す。

「私がフェイトを愛しているですって? ふざけないで! あんな物は私の娘じゃない!!」
「プレシア・テスタロッサ……君はなぜ、憎しみが生まれるかが分かるかね?」

 どこまでも重く、底冷えする様な声が静かに部屋に響き渡る。彼女はその声に怒鳴るのも忘れて口を噤んでしまう。知らず知らずの内に背中に冷たい汗が流れていく。彼は彼女が何も言わないのを見ると演説を行うかのように話し始める。

「誰かを憎むとき、人は望む、望まないに関わらずその者を愛している」
「家族を殺した殺人犯を憎むことも愛していると言うのかしら」
「常に心のどこかでその者を想い続けるという行為は愛と呼ぶかね? それとも憎しみと呼ぶかね?」

 その問いにすぐに答えられずにプレシアは黙り込む。ヴィクトルは元々答えて貰おうとは思っていなかったのか返事を待つこともなく話を続けていく。

「愛と憎しみは表裏一体とはよく言うが人は無意識のうちに愛と憎しみは別物だと信じている。だが、表裏一体であれば切り離せないどころか本質は同じという事だ。コインは裏と表で分けられるが、それを何かと問えば殆どの者は裏や表とは言わずにコインと答えるだろう。コインに表が存在する以上は裏も同時に存在する。つまりは誰かを愛している以上は必ずその誰か憎んでいるのだ。……そして、また逆もしかりだ」

 狂っている。ヴィクトルの考えにプレシアはそう思わずにはいられなかった。彼女は自身が誰かを愛していることすら憎しみだと宣言する彼が同じ人間には見えなくなった。普段の大人びた姿は全て仮面であり、仮面の下から彼本来の狂気が覗いてきたように感じて思わず身震いをしてしまう。そこで彼女は初めに感じた違和感の正体はこれだったのだと理解した。

「コインが裏返れば強い愛は容易く強い憎しみになる。“俺”みたいにな」

 口調を変えたヴィクトルが双剣と黄金の懐中を取り出してプレシアの前に置く。これは何なのかとプレシアが視線を送ると、ヴィクトルは愛おしそうに剣を撫でながら悲しみと喜びが籠ったような不可思議な声色で話し始める。

「兄と父の形見さ。もっとも……私が殺したのだがな」
「まさか……あなたっ!?」
「そうだ。仲間も、父も兄も……そして妻も、私の愛する者全ては―――私が殺した」

 絶句するプレシアをよそにヴィクトルは狂ったように冷たく甲高い笑い声を上げる。彼女は自身の血が凍ったような感覚に陥る。彼の笑い声は酷く愉快で、酷く悲しく、それでいて泣き叫んでいるように聞こえる不気味な物だった。だからこそ、彼の心を如実に表していた。そこで、彼女は初めて自分以上の狂気を感じて幾分かの正気を取り戻す。

「私は皆を愛していた……いや、今もまだ愛している。だからこそ、娘を守るのに邪魔だった仲間と父と兄を憎悪し、殺した!」

 血を吐く様な叫びにプレシアの肩がビクリと震える。目の前に立つ彼が心底恐ろしかった。仮面を取り外した彼の素顔は紛れもない―――化け物だった。自分では到底なれない、なりたくもない本当の意味で人が壊れた姿だった。

 己の全てが否定され、さらに何とか立ち直った所で再び絶望の底に叩き落とされた人間。彼女は自分がこうはならなかったのは彼よりも僅かなりに心が強かったからだと考える。だが、一歩踏み外せば瞬く間に自分もこの男と同じ存在へと成り果てるだろうと思わずにはいられなかった。


「プレシア、あなたはまだ間に合う。踏みとどまれる。……私のようにはなるな」


 まるで、自分の考えを見透かしたかのような警告の言葉にプレシアは不意を突かれてぎこちなく頷いてしまう。それを見たヴィクトルはこれで用は終わったとばかりに背を向けて部屋から出て行く。プレシアはその背中が見えなくなった後も茫然と眺めていたが、やがてボソリと呟いた。

「今更……どうしろって言うのよ。本当にあの子を愛しているのだとしてもどうしろっていうのよ。私にはもう………」

 彼女の呟きは誰にも届くことなく静寂の中へと消えていくだけだった。
 
 一方のヴィクトルは冷たく薄暗い回路を足早に歩いていたが突如として蹲り、口を押えて咳き込み始める。しばらくの間、回路には苦しげな声が響き渡っていたがやがてそれも鳴りやむ。咳が止まった後に彼が口を押えていた手を離して見てみるとその手には赤黒い液体がベットリと付着していた。

「ふふふ……フル骸殻を使った影響か。分かっていたことだが、どうやら私もそう長くはないらしいな。だが……その前に何としてでもフェイトとの約束を果たさねば」

 ヴィクトルはそう呟くと少しふらつきながら立ち上がり再び歩き始める。動き始めた歯車は壊れかけの時計を動かし続けることだろう。例え―――時計が完全に壊れるとしても。

 
 

 
後書き
ヴィクトルさんはやっぱりどこかしら狂ってないといけないと思うんですよね。 
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