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産女

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4部分:第四章


第四章

「今夜またここに来る」
「わかりました、それでは今は」
「腹ごしらえでもしよう。今夜は大勝負だ」
 こう言って長老を従えてその川辺を後にした。二人が去った後その川の岩陰の水が不意に濁った。それまで澄み切っていたというのにそこだけが不意に濁ったのである。面妖なことにだ。
 その夜だ。朔太郎はその川辺に来た。昼とはうって変わって真っ暗闇であり何も見えはしない。隣にいる長老の姿も見えない。
 二人は灯りさえ持って来ていない。これは女を用心してのことだ。そして朔太郎はその老人に顔を向けてそのうで言ってみせたのだ。
「ではこれからはだ」
「御一人で、ですか」
「戦えるのはわしだけだ。ならば物陰で見ていてくれ」
「はい、それではそうさせてもらいます」
「わしに何かあればすぐに逃げるのだ」
 こうも告げたのだった。
「よいな、それは」
「はい、それでは」
 こうして話は決まった。長老はすぐに物陰に隠れた。そしてそのうえで一人川辺にさらに近付く。闇夜の中にただ川のせせらぎだけが聞こえる。
 しかしそれを聴く余裕はなかった。それよりもであった。女が来るかどうかであった。彼は女を待っていた。そしてその他のものもだ。
 やがて前から気配がした。そうしてであった。
「もし」
「誰だ?」
「御願いがあります」
 こう言ってである。黒く長い乱れた髪に青白い不吉な顔をした女が出て来た。その白い衣は死に装束である。そして腰から足のところが赤く染まっている。夜の中で慣れた目でだ。それも見えてきたのだ。
 朔太郎はそうしたものを見ながらまずはいつもの態度を崩さないように努力した。そしてそのうえで女の言葉をありのまま受けるのだった。
「この子をですが」
「その赤子をか」
「はい」
 ここでも長老の言葉通りだった。女はその手に赤子を抱いていた。そしてその赤子を彼に差し出してだ。そのうえで言ってきたのである。
「抱いて下さいませんか」
「それだけでよいのだな」
「そうです」
 ここでも長老の言葉通りであった。
「御願いできますか」
「よかろう」
 どうなるかはわかっていた。だが彼はそれでもそれを引き受けた。
 そうして女が差し出したその赤子を抱く。最初は何もなかった。
 だが徐々に重くなりだ。岩の様な重さから鉄の如くになってだ。朔太郎の強力をもってしても持っていることが容易ではなくなってきた。
「噂以上だな、これは」
 女はそれを見て笑っている。それは楽しむ笑みだ。
 まるで彼が死にいくのを待っているかの様にだ。だが彼は耐えていた。
 持ち続ける。そうしてである。
 どれだけ持ったかわからない。赤子は重くなる一方だ。だが彼は何とか持ち続けていた。しかしここで川辺から何か音がしてきた。
 それは自ら大きなものが勢いよく出る音だった。彼はその音を聴いてだ。すぐに身体をそちらに向けてである。そのうえでそちらに前蹴りを入れた。
「ぐっ!?」
「来たか、やはり」
 闇夜の中に異形の姿が見えた。身体は逞しい、朔太郎程の大男でありその身体は牛のものだ。その異形の存在がそこにいた。
 それは彼の蹴りを腹に受けて思いきり倒れ込んだ。だがすぐに起き上がってまた彼に襲い掛かって来た。しかしそれもであった。
 彼はまた蹴りを放った。だがそれは先程の蹴りとは違っていた。
 脚を一旦大きく振り上げてだ。そのうえで下に鉈の如く振り下ろす。そうしてその化け物の脳天に踵から一撃を浴びせたのである。 
 それで化け物の動きは止まった。闇夜の中にその目が白目を剥くのがわかる。そしてそのうえで鈍い音を立てて沈んだのだった。
「終わったな、まずは」
 化け物を倒して次にはだ。女を見る。すると女はその姿を急に消していっていた。それはまるで煙が消えていくようにだ。消えながら苦悶の表情を浮かべていた。
 女が消えると赤子も消えていた。彼はこうして自由の身になった。
 ここで長老が慌てて出て来て彼のところに来た。そしてそのうえで問うのであった。
「一体何が出て来たのですか!?」
「これだが」
 朔太郎はその彼に倒れている化け物を指差して告げた。見ればそれは前のめりに倒れ口から血をふいている。こときれているのは間違いない。
「わかるか」
「牛鬼ですか」
「ふむ、知っているか」
「話には聞いたことがあります」
 長老は彼に静かに答えた。
 
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