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竜のもうひとつの瞳

作者:夜霧
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第十三話

 倒れた原因は過労らしく、どうしてここまで無理をしたのかと侍医から酷く叱られてしまった。
まぁ、無理をしているという自覚はあったが、倒れるほどまで無理をしていたとは
俺自身思っていなかったものだから、責められても返しようが無いというのが本音で困っている。
それを察した侍医からは呆れられてしまったものの、これからは食欲が落ちたり何か身体に異変を感じたら
すぐに来るように、と念押しされて俺はその勢いに頷くことしか出来なかった。

 さて、俺が倒れた時に偶然居合わせた侍女、検断職の矢内重定殿のご息女で名を夕というのだが、
変な縁が出来てしまって以来調子が良くなるまでと専ら俺の世話を焼いてくれるようになった。

 三度も醜態を晒した俺としては恥ずかしいことこの上ないのだが、
それでも何となく彼女が側にいてくれると安心する自分もいて、情けなく思えてならない。
だが、そんな俺の心境を知ってか知らずか、夕殿は何も言わずに優しく笑っていてくれる。

 「……夕殿、ここにいて仕事に差し支えはないのか」

 「ええ。一人で放っておくわけにはいかないからと、喜多様も認めて下さいましたし。大丈夫です」

 大姉上が認めたのならば、俺がどうこう言える義理じゃねぇか……。

 政宗様の養育係を離れた大姉上は、今は城の侍女達を統括する職務に就いている。
あんなに腕が立つ人だ、姉上のように戦場に出てきても負けないのではないかとも思うが、
それだと兵の士気が下がるからと政宗様が引き攣った顔をしていたのを思い出す。
……確かに戦場で大姉上が側にいると考えただけで身動きが取れなくなりそうだ。
あの人が睨むと政宗様を始めとした伊達の男共が揃って竦む。かくいう俺も例外ではない。

 「片倉様、御気分が宜しくないのでは?」

 「ああ、いや……姉上のことを考えて、つい」

 俺に限らず城中の人間から畏れられる大姉上、怒ったところなど思い出しただけで身震いがする。
姉上がよく、“あの人は小十郎のトラウマだもんね”などと言っていたが、
トラウマの意味こそ分からないが何となく的を得ているような気がするのは何故だろうか。

 「ふふっ……城の殿方は皆様、喜多様のことを怖がっていらっしゃいますものね」

 それは……そうだろう。あの人に見られただけでも震えが来るのは俺だけではないのだから。
どんな人間の前でも物怖じしない政宗様でさえ大姉上の前に出ると緊張すると言っていたくらいなのだ。
二十九年も側に居続けた俺の心境は……語るまでも無いだろう?

 「……怖くは無いのか?」

 「喜多様は私達には優しくして下さいますよ。何か失敗したりすれば怖いですけれども」

 何と言うか、信じられない話だ。叱る時は恐く、だがそれ以外では優しい……
そういう女ではなかったように思うんだがなぁ。
そんなことを言えば殺されるのは目に見えているから言わないが。

 「優しい……か。俺には怖い印象しかない……子供の時分から厳しく躾けられた覚えしかねぇ」

 「そういえば、喜多様が親代わりになられていたんですよね。片倉様の」

 早くに両親を亡くしている俺の親代わりになってくれたのは大姉上で、
学問、剣術、武士としての有り方等々全て姉上から教わったものだ。
一切の甘えも許さずに厳しく接せられて、小さかった頃は隠れてよく泣いていたのを覚えている。
そういう時は、いつも姉上が俺を見つけて、姉上は俺を抱きしめて気が済むまで泣かせてくれた。

 姉上はいつも俺を守ってくれて、優しくしてくれた。それなのに……そんな人にやましい感情を持つ俺は最低だ。

 思わず気分が落ち込んで溜息をつけば、夕殿はまた笑っている。

 「そのお陰で今日の片倉様があると思えば」

 「……ああ、良くも悪くもな。姉上、いや兄上には今の俺が気に入らないようだが」

 いつも戦場で“私の可愛い小十郎は何処に行った”と嘆くものだから、今の俺は全否定かと少しばかり悲しくも思えてくる。
確かに姉上のような人になりたい、と言ったことは事実だが、今の俺が姉上に直結してるかと言えばそういうわけでもない。
というよりも、伊達の中にいれば、否応なしにこうでもならなけりゃやっていけないのは分かって貰いたいところなのだが。
昔みたいに泣いてばかりいちゃあ、伊達の兵をまとめられやしねぇ。

 「景継様がですか? 私達のところへいらっしゃる時は、いつも片倉様のお話をされていきますけれども……
そんなことは一つも聞いたことが」

 俺の話題を? 姉上が? というか、あの人は侍女のところに来て平気で会話をしてるってのか?

 「一体何を」

 「御幼少の頃は随分と頼りなかったけど、今は逞しく育ってくれて嬉しい、とか、
真面目すぎるところが心配だとか、早く嫁を貰って欲しい、とか……そのようなことを主に」

 「…………」

 ……正直それは喜んで良いものかどうなのか。逞しく育ってくれて、というのは喜んで良いような気がするが、
残りは……そうか、姉上に心配をかけていたのか。それなのに輪をかけて俺は……。

 また溜息をついた俺に、夕殿は少しばかり不思議そうな顔をする。

 「片倉様、失礼ですけど……景継様と何かあったのでは?」

 随分と痛いところを……いや、少々反応があからさまであったのかもしれない。
そりゃ、先程から何回も目の前で溜息を吐いていりゃ、何かあったと思うのは当然だろう。

 あまり人には話したくないことではあるが……でも、夕殿になら話しても良いような気がしていた。
この人なら受け止めてもらえそうな気が少しばかりして。

 「……兄上が出奔された原因、半分は俺のせいだ」

 零した言葉に夕殿が酷く驚いた顔をする。誰にも、政宗様にさえも話さなかった言葉に驚くのも無理は無い。
というか、姉上が出奔した原因自体俺以外知らないのだから。

 「片倉様が政宗様から離れるようにと勧めた、というのは知っておりましたが……」
 思わぬ言葉につい眉を顰めてしまう。どうしてそのようなことを夕殿が知っているのか。
誰にも話していないというのに、情報が何処かで漏れているというのか?

 「……それ、人に話した覚えがねぇぞ。何処から聞いた」

 「景継様から……出発なさる前にたまたまお会いして、事情をお聞きしたのです。
政宗様から離れなければならない事態になったから、と。頃合を見て戻ってくるから心配するなと言っておりました。
あと、片倉様をよろしくとも」

 ……出奔するその時まで俺の心配か。本当に……俺を甘やかしすぎだ。あの人は。
こういう場合、自分の身を心配するものだろうに。これから先、どうなるかも分からないのだから。

 「それで、何をなさったのですか」

 馬鹿正直にそれも答えて良いものだろうか。俺の保身というのもあるが、下手に話せば姉上に迷惑がかかるだろう。
実の弟に惚れられた、などと姉上にすれば醜聞にしかならない。だが、夕殿は何かに気付いたようにもしかして、と言う。

 「……片倉様も景継様に惚れたクチ、ですか?」

 「……“も”?」

 一瞬的を得た発言に動揺したが、すぐに疑問が頭に浮かんだ。片倉様“も”、と言ったのだ。
ということは、他にも惚れている人間がいる、ということに他ならない。政宗様以外にでだ。

 「景継様をお慕いしている方は多いですからね。
実の弟君である片倉様であっても、相手が景継様であるのならば納得してしまいますわ」

 こちらの予想外の言葉につい口をぽかんと開けて呆然としてしまった。
いや、確かに政宗様以外で惚れている奴がいるって話は知っていたが、
まさか俺が惚れても納得するというほどに多いとは思いも寄らなかった。

 「兄上は、そんなに惚れられてるのか」

 「それはもう、男女問わずおモテになる方ですから。
私達侍女はあの方の事情を少し知っておりますが、それでも皆、景継様をお慕いしております。
かくいう私も昔は……」

 ほんのりと顔を赤らめた夕殿に、俺は顔を引き攣らせていた。

 不毛だ、そう言いたくもなったが、自分のことを棚に上げてそれは言えない。
姉に恋する弟なんぞ、不毛以外の何者でもない。

 「……まぁ、振られてしまいましたけれども」

 「振られた?」

 思わず聞き返してしまった俺に、夕殿は苦笑いを返している。
無粋なことを聞いてしまったとは思ったが、それに構わず夕殿が言葉を続けている。

 「恋焦がれてどうにもならなくて、お慕いしていると打ち明けたことがございます。
その気持ちには応えられないと言われてしまいましたけれども、しっかりと私の気持ちを受け止めて下さいました。
女の方に惚れるなんて、と悲観して死ぬことも考えました。けれど……今はそれもいい思い出ですわ。
景継様を好きになって良かったと、胸を張って言えます」

 胸を張って、か。そう言うだけあって夕殿は何処か誇らしそうでもあった。
姉上を好いたことをそう言ってくれるのはとても嬉しいことではあるが、でも純粋に喜べそうにはなかった。

 「羨ましいな……それは」

 誇らしげに言える夕殿が羨ましいと思う。いつか、俺もそう言えるようになるだろうか。
ずっと思い続けてきたこの気持ちに終止符が打てる時が来るだろうか。いい思い出、などと言えるようになるのだろうか。

 「……俺も、ずっと姉上を慕っていた。血の繋がった、しかも双子の姉を好きになるなんざまともじゃねぇと思って、必死に堪えてきた。
生涯それを打ち明けることなく心の奥底に封じておくつもりだった。だがそれを」

 政宗様に暴かれた、とは言えなかった。秘めておくはずだったものだが、人に暴かれるようではとうに筒抜けだったのかもしれない。
周囲も俺を気遣って、ただ気付かない振りをしていてくれたのかもしれない。
姉上も、もしかしたら……。

 「……知られてしまった。俺のやましい気持ちを、姉上に打ち明けちまった……
出奔するようにと言ったのは俺だが、こうなる原因作ったのは」

 俺のせいだ、そう続くことはなかった。何故かと言えば、夕殿にしっかりと抱きしめられていて言葉にならなかったせいだ。

 「やましい、などと……自分を傷つけるようなことを言いなさいますな。
景継様はきちんと受け止めて下さったのでしょう? そうでなければ、誰かに片倉様を頼むなどと仰ることは致しません。
……景継様は気さくでお優しい方です。片倉様がそうやって自分を苦しめるようなことをされていると知れば、
きっと御心を痛められることでしょうに」

 確かにそうだ。何かにつけて心配していたあの人が今のこの状態を望むはずがない。

 死ぬなと言われたが、死んでしまおうかと思ったことは何度もあった。
これ以上恥を晒して生きるくらいならば、いっそのこと死んでしまった方が、などとも思った。
だが、それは自分が楽になっても姉上の為になるどころかかえって苦しめることにしかならない。
ならば、恥を晒してでも生きていかなければならねぇ。それが姉を好いた俺の罰だと思っていた。

 「夕殿」

 「景継様ならきっと大丈夫です。……だから、そのように泣かれますな」

 ……泣く?

 自分の頬に手を当ててみれば、指摘されたとおりに濡れていた。
泣いている自覚すらなかったのかと思うと呆れ果ててしまう。
本当に、何処まで俺は女々しいのか……嫌気が差しちまう。

 「……貴女には情けないところばかり見せているな」

 苦笑してそんなことを言うと、夕殿は黙って首を振った。

 「厳しい顔をしているよりも、その方がずっと私は好きですわ」

 好き、と言われた言葉にどくんと一際大きく胸が鳴る。そんな意味じゃねぇと頭では分かっていても、高鳴る鼓動が抑えられない。

 おい、何を考えてるんだ。好きだ、なんて言われて胸をときめかせるなんて……
まるで恋を覚えたばかりの女のようじゃねぇか。俺にそんなもんは似合わないだろうが。

 「片倉様?」

 きっとこの上もなく情けない顔をしている。泣いて顔を赤くして、人に見せられる顔じゃないことは分かっていた。

 俺はしっかりと夕殿を抱き返して、涙も顔の赤みも収まるのをじっと待った。
その間、夕殿は何も言わずにただ俺を抱きしめて優しく背を擦ってくれていた。
その手がとても暖かくて、安堵している自分がいることには気付かない振りをしたのは、多分最後の意地だったのだと思う。 
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