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その魂に祝福を

作者:玄月
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魔石の時代
終章
  ある家族の肖像

 
前書き
完結編。あるいは一休み編
 

 



「まさか、またここに戻ってくるとはね……」
 部屋を見回しながら呟く。生活に必要なものは一通り揃っており、殺風景ではない。ただそれだけの部屋だ。そこには個性も生活感もない。初めて入る部屋にも関わらず、漠然とした既視感を覚えるのはそんな理由もあるだろう。
(本当に、またここに戻ってくるなんて……)
 今度は声にせず、噛みしめるように呟く。ここは時空管理局本局に程近いホテルだった。もちろん、ただのホテルではない。造りとしてはマンションに近いと言う事もあるが――そもそもの目的が特殊だ。つまり、裁判の証人やその関係者などが一時的に滞在するための宿泊施設として使われている。それ以外に逮捕状が出る前の、限りなく黒に近い被疑者の宿泊に使われる事があるのを考えれば、拘留所の一歩手前とも言える。
 仮にも次元断層の発生という重罪を犯し、しかも現行犯として拘束された私が今回ここに入れたのは、光とハラオウン艦長の間で交わされた取引のおかげである。それには感謝しているが――それでも、皮肉な思いを抱く事までは自制できなかった。
(出発点からやり直せって事かしらね?)
 ガラス戸に映った自分の姿を見て自嘲する。
 どんな手段を使ってでも、アリシアを蘇らせる――そう誓ったのは、かつて事故の責任を負わされた際……その判決が出るのをこの部屋で独り待っている時だった。もちろん、この施設のこの部屋だった訳ではないが、それでも似たような造りだったように思う。
 あの時と違いがあるとすれば、それは――
「あの、母さん。……ハラオウン艦長が来たよ」
「ええ、分かったわ。ありがとう、フェイト」
 今度は独りではないという事だろう。娘の頭を撫でてから、玄関に向かう。
「身体の調子はどうかしら?」
 ハラオウン艦長をリビングに案内すると、彼女はそう言った。
「ええ、お陰さまで。私もあの子も問題ないわ。……まぁ、魔法はまだ使えそうにないけれどね」
 右の掌に浮かんだZのような形をした奇妙な痣。それは、私の罪の証であり――あの少年が言うには魔法使いの証でもあるらしい。
『その証のせいで魔法が使えないってのは本末転倒だが……』
 とは、彼の言葉だったが。その彼の掌にはこれと同じものが、よりはっきりと刻まれていた。それこそ、まるで刻印であるかのように。
「……でも、今はあの子達がいてくれればそれでいい。そう思うわ」
 魔法の知識も技術も消えてしまった訳ではないけれど……今のままでは研究を続けることもままならない。本当の意味でゼロからの出発だと言える。
「そう……」
 短く呟いて、ハラオウン艦長は微笑んだ。
「あなたにその気持ちがある限り、私は……私達はあなたの味方です」
 私を自由にする。それは、彼女達にとっては危険極まりない事だ。表向きはロストロギアにとり憑かれていたという事になっているが――端的に言ってそれは嘘なのだから。ばれれば彼女達の首が飛ぶ。いや、それどころか彼女達までが犯罪者として追われる事になるのは疑いない。
「何故、私を助けてくれるのかしら?」
 ずっと抱いていた疑問だった。異界の魔導師――私達の恩人であるあの黒衣の魔法使いの理由は聞いたが、それでも疑問が消えたわけではない。仮にあの魔法使いを恐れているとして――それでも、自らの本拠地に連れて帰ってしまえばそれまでだろう。何故、彼との約束を守るのか。
「私も一児の母親だから。子どもから母親を奪う訳にはいかない。もちろん、その逆も。きっとそれが理由ですよ」
 だから、今のあなたに協力を惜しむつもりはない――何てことないように、彼女は笑ってみせた。
「変わり者だって言われない?」
「……時々は。昔から損な性格だってよく言われたわ」
「でしょうね」
 彼女ほどの才覚があれば、もっと要領よく生きる事は出来るはずだ。それにも関わらず、世界を滅ぼしかけた大罪人を庇おうとする。
「でもいいのよ、これで。あなた達を救う事が出来て、改めてそう思うわ」
 みんなを守りたい。そんな願いから、私は管理局に入局したのだから――彼女はそう言った。今もそれは変わらないと。
「光君はそのために出来る事をやりきった。私も負けないようにやり切るわ。だから、あとはあなた達次第よ」
 それに、と彼女は笑ってから――よく意味のわからない事を言った。
「たかが状況にも意地があるって事を伝えておかないと、ね」




 多分、私は夢を見ているのだ――不思議なほど鮮明な意識の中で、それだけを確信する。きっと、これは夢なのだと。だから、
「本当にこれでよかったのか?」
 黒いマントを羽織った金髪の女性。凛として、それでも酷く哀しい目をした彼女――ニミュエは今私に問いかけてきているのだ。
「普通じゃない方法で生み出された、誰かの複製品。そんな在り方に、そんな生き方に本当に耐えられるのか?」
 複製品――その言葉は、確かに今も胸を刺すけれど。それでも、
「もちろん」
 私は笑って返していた。複製品だと言われて、胸が痛むのは私がアリシア・テスタロッサではなくフェイト・テスタロッサだから。この痛みだって私が私である証だった。
「私の物語はきっとこれから始まるんだ。それに、例え普通じゃない方法で生み出されたとしても――」
 それに、私が生まれた理由。それは、アリシアが愛されていた証拠だから。それにはきっと意味がある。確かに母さんがお腹を痛めて生んだ子ではなかったとしても――心を痛めて生んでくれたのは間違いない。だから、本当にショックだったんだと思う。私がアリシアではなかった事が。こんなにも優しい人が狂ってしまうくらいに。それでも、母さんは私を――フェイト・テスタロッサを受け入れてくれた。
 アリシアの代わりではなく、妹として。
「妹がお姉ちゃんに似るのは別に変な話じゃないと思うんだ」
 それ以上に私の中にある記憶はお姉ちゃんが生きていた証だった。たった五年間だけれど、それでも――確かにアリシア・テスタロッサという少女が生きた痕跡なのだ。
「誰かが生きた証、か……。だが、それはオマエにとって希望と呼べるものだったか? それがなければとっくに逃げ出せていたはずだ」
 私が今まで縋っていたのはアリシアの記憶だったのかもしれない。いつか取り戻せると信じていた暖かな記憶は全てアリシアのものだったのかもしれない。けれど、それでも。
「そうかもしれない。でも、逃げ出していたら光やなのはとは会えなかった。母さんと分かり合える日だってきっと来なかった。だから、お姉ちゃんの記憶は……生きた証は私にとっても希望だったんだよ。今までも。きっと、これからも」
 私にはこんなに素敵なお姉ちゃんがいたんです――今なら胸を張ってそう言えるから。そして、きっとお姉ちゃんに負けないくらいに笑って生きていける。笑って、アリシアの生きた証を未来へと繋いでいける。
「ありがとうございます」
「何がだ?」
「私のこと、ずっと心配してくれていたんですね」
 私が壊れてしまわないように――私が笑うと、ニミュエはつまらなそうに……少なくとも、そう見せるように鼻を鳴らす。
「私はただあの女が気に入らなかっただけだ」
 それだけ言い残すと、ニミュエは私に背中を向けた。夢が終わる。そう思った。
「オマエがそれでいいと言うなら、これ以上私が関わる事はない。……またオマエが壊れそうになるまではな」
 言うと、背中を向けて迷いなくニミュエは歩き出した。きっともう、彼女とは会う事はできない。それも、何となく分かっていた。
「あの!」
 私と同じ哀しみを抱いたままその生涯を閉じたであろう彼女に、救われた私が今さらどんな言葉をかけられるのか。
「そんな顔をするな」
 振り返った彼女は、笑っていた。それはとても穏やかな笑みだった。
「多分、オマエが思っているよりも私は救われているよ。きっとな」
 それだけ言い残すと、今度こそ彼女は遠いどこかへと歩き去っていった。
 夢の世界が終わる。滲んで消えていくその世界の中で、誰かが私の頭に手を乗せた。
「光?」
 何故そう思ったのか、自分でもよく分からなかった。はっきりと姿は見えないし、少なくとも背丈からして大人だろう。
「ま、ここから先は俺がどうにかするさ」
 どうにかできるだけの時間があるか分からないがな――その誰かは言った。
「相棒もアイツをどうにか宥めたらしい。ま、それに『また』全部弟子任せってのは何とも締まらねえからな。せめて後始末くらいはしとかねえと」
 つまり、この人は――その名前が思い浮かぶより早く、夢は終わる。分かっていた事だ。とても寂しくて哀しいけれど……私とあの人は同じ時間を生きられない。
 そして、私は私の時間を歩み始める。大切な人達と一緒に。




 正直に言えば、あまり納得できていない。それが、アタシの偽らざる本音だった。
(そりゃ、フェイトが笑ってくれるのは嬉しいけどさ……)
 さらに言えば、あの女――プレシアが抱えていたモノも知った。あの女が苦しんでいた事だって認めなければならないだろう。その苦しみに思いを馳せられないほどにはアタシは鈍くもないし、冷酷でもないつもりだった。でも、だからと言って今まで主にしてきた事全てを許せるほどには、アタシは出来た使い魔ではない。苦しんでいたのは、フェイトだって同じことだ。その姿をアタシはずっと見ていたんだ。
 だから、簡単には割り切れない。信じられない。いくらフェイトが今まで見た事のないような笑顔を浮かべていたとしても――
(ああ、そっか……)
 どうやら認めなければならないらしい。この不快感は、アタシの勝手な感情に過ぎないのだ。……少なくとも今のところは。あの艦長と執務官が支援を決断する程度にはあの女が本気で改心しようとしている事は認めなければならない。にも関わらず燻ぶるその不快感。何だかわからないが、これが腹立たしいのだ。
(いやまぁ、それを言えば光だって最初はあれだったけど……)
もう一人、アタシには出来なかった事をやってのけた少年の姿を思い出す。アイツと初めて出会った時はそりゃもう本気で殺されるかと思った。だけど……
(アイツだけ……アイツら兄妹だけだったしね。諦めなかったの)
 光はもちろん、アイツの妹……なのはがいなければ、こうまで上手くは行かなかっただろう。殺戮衝動とやらに飲まれ、かなり攻撃的になっていた――アースラでの生活を見て改めてそう思う――光だけでは管理局の協力を取り付けるのは難しかったはずだ。
(ていうか、アイツ意外と擦れてるしね)
 まぁ、アイツはアイツであの艦長と腹の探り合いが出来るような輩なのだから仕方がないと言えば仕方がない。それにあの何とかいう執務官の第一印象が悪すぎた。いや、別にアイツが悪い訳でもないのだけれど。悪かったのはタイミングというか何と言うか……。
(それにしても……)
 どうやら管理局勤めも楽じゃないらしい。職務と人情の間で奮闘する艦長とその息子の姿を見るとしみじみとそう思う。と、それはともかく――脱線しつつあった思考を元に戻す。もっとも、元にと言うほど目的のある考え事などしていないが。
(外に出れないってのはどうにかなんないかねぇ)
 自分達がしでかした事を考えれば、破格な待遇だというのは分かっているが――それでも、部屋から自由に出れないというのは息苦しい。アタシの本質が狼だという事もあるかもしれないけれど……どちらかと言えば、フェイトとあの女のやり取りを見ているのが辛いというのが本音だった。
(フェイトが笑ってくれるなら、アタシは、それで――)
 あてもなくソファでゴロゴロしていたせいだろう。段々と意識が曖昧に、なって……。
「……確かに俺が後始末するとは言ったけどよ。こう言うのはエレインとかモルドレットとかの仕事だろ。どう考えても」
 アヴァロン所属の魔法使いの仕事じゃねえよ――と、誰かがぼやいている。
「いいから、早く行け」
「ほら、あの子も『気付いた』みたいよ」
「期待しているぞ、相棒」
 そんな声に背中を押され――というか、実際に突き飛ばされたらしいその誰かがこちらに近づいてくるのが分かった。
「クソったれ。どいつもこいつも……。大体、これって後始末なのか?」
 その呻き声のおかげで。そこでどうやら、自分が夢を見ているらしい事に気付いた。
「なぁ、狼の姉ちゃんよ。ヤキモチ焼きたくなる気持ちは分かるけど、あんまりムクれてばっかりいるとまたあの嬢ちゃんが心配するぜ?」
 この男は一体何を言っているのか。たまらず跳ね起きて、怒鳴り返す。
「誰がヤキモチ焼いてるって!?」
「オマエだオマエ。ニミュエより分かりやす――ッ!?」
 あ、何か氷のバラっぽいものが頬をかすめた――突然の惨劇(未遂)に思わず意気がくじかれる。そこで、ようやく違和感を覚えた。何故だかその男の姿ははっきりしない。目を凝らせば凝らすほど曖昧に滲んでいく。というより、世界全体が曖昧だった。
 まぁ、夢なんてこんなものだろうけれど。
「じゃなくて! アンタ、変な言いがかりもそれくらいにしな! アタシが誰に嫉妬してるって!?」
「そりゃあの魔女にだろ。あんなに酷い事をした奴にみすみすとられるなんて!――ってなところか」
 その言葉は鋭く胸に突き刺さった。というより、納得できてしまった。このいらいらの正体。それは、少なくともその理由として――
(ああ、そっか。アタシ、嫉妬して――)
 嫉妬が含まれていないと言えばきっと嘘になる。ああ、そうか。アタシはあの女に嫉妬しているんだ。今まであんなに酷い事をしてきて――それでも、フェイトにあんな笑顔を向けてもらえるあの女に。
「だが、それは勘違いだと思うぜ?」
「勝手な事を……ッ!」
 認めてしまえば――耐えられなくなる。結局のところ、アタシはフェイトを守る事ができなかったんだ。こんなの使い魔失格もいいところだ。それなのに、嫉妬なんて――
「あの嬢ちゃんがあんな風に笑ってられるのは、今が幸せだからだろう」
 それはあの女が受け入れたからだろう――アタシが怒鳴り返すより先に、その男はにやりと笑った。
「母親が受け入れてくれて。姉みたいな妹みたいな使い魔がいて。友達ができて。それが幸せなんだろうさ。ま、あの魔女が受け入れてくれたってのが大きいのは、確かにその通りかもしれないが……」
 別に、嬢ちゃんはあの魔女にだけ笑いかけている訳じゃねえんだぜ?――男が笑うと同時、唐突に曖昧な世界がさらに滲み始めた。夢の終わり。つまり、そう言う事だろう。
「アルフ」
 目を開くと、視界いっぱいにフェイトの顔があった。
「起きて。もうお昼だよ」
 ああ、悔しいけどアンタの言う通りかもね――言いたい事だけ言って消えたその男に向かって呻く。確かに、大切な主は笑っていた。あの女――プレシアに向ける顔で。
「ねぇ、フェイト」
「なぁに?」
 その笑みに――焦がれていたその笑みに耐えきれず、思わず言っていた。
「アタシはさ、フェイトの役に立ててる?」
 アタシに何ができただろうか。大切な事はみんなあの兄妹がやってくれた。アタシはただ傍にいる事しか――
「もちろんだよ。辛い時も悲しい時もアルフが一緒にいてくれたから、私はここまで頑張ってこれたんだ」
 それに、約束してくれたでしょ。ずっと一緒にいてくれるって――その曇りのない笑顔に思わず見とれていた。
「フェイトは今幸せ?」
 訊くまでもない事だろうが、それでも問いかけていた。
「もちろん。母さんが笑ってくれて。アルフがいてくれて。地球では光となのはが待っててくれている。凄く幸せだよ」
 アルフはそうじゃないの?――ほんの僅かに陰ってしまったその笑顔を見て、気付けば叫んでいた。
「幸せに決ってるじゃないか!」
 それは、言い訳ではない。何に誓ってもいい。それは……それがアタシの本心だ。フェイトの願いがやっと叶ったんだ。アタシが見たかった笑顔を浮かべているんだ。それを独り占めできないことなんてどうでもいいくらいに。
「あら、アルフおはよう」
「あのね。今日はアルフが好きなお肉だよ」
「フェイトが教えてくれたのだけど……」
 料理なんてするのは久しぶりだから心配だわ――呟くプレシアに、少しばかり毒気が抜かれた。この女だって、フェイトの事ばかり気にかけている訳ではないらしい。それなら、少なからず不本意だけれど――
(そうだね……。それで納得しとくよ)
 この女も、アタシの群れの仲間――つまり家族だ。フェイトを再び悲しませない限り、アタシが守るべき相手の一人なのだと。
 まだ少し歪だけれど、これがフェイトが望んだ――あるいはアタシも求めていた場所。帰るべき、守るべき場所だった。




 ジュエルシード事件に決着がついておよそ二ヶ月程が過ぎた頃の事である。
 その日の夕食は、テスタロッサ一家と同席する事になった。いや、より正しくいうのであれば、テスタロッサ一家の夕食に僕らハラオウン一家が同席する事になったというべきだろうか。まぁ、そんな事はどうでもいいといえばどうでもいいのだが。
「身体の加減はいかがですか?」
「お陰さまで問題ないわ。相変わらず魔法は使えないけれどね」
 艦長――母さんの問いかけに、プレシアは右の掌を見ながら笑った。彼女の掌にはうっすらと奇妙な形をした痣が浮かんでいる。あの男――御神光はそれを代償と……あるいは魔法使いの証だと呼んでいた。そのせいで魔法が使えないというのはなかなか皮肉だとも言っていたが……どうやら魔力の『出力方式』とでも言える何かが異なるのではないかとプレシアは予測を立てていた。彼女が極めて優れた魔導師である事は疑いなく、魔法技術に関する知識は僕などが及ぶところではない。その彼女が言うのだから、おそらくそれは正しいのだろう。それに――
(確かにアイツの『魔法』は何か奇妙な感触がするからな)
 あの男の魔法を一番多く受けたのはおそらく僕だろう。その経験を踏まえて言わせてもらうなら、確かにあの男の魔法は異質だ。そんな事は、もうとっくに思い知っていた。『出力方式』が違う程度は当たり前だと思える程度には。
「それにしても……」
 プレシアが小さくため息をついた。
「貴女達がくる事が分かっていたなら、出前か何か頼んだのだけれど」
 巡視艦の艦長と執務官に出すには少しばかり粗末でしょう?――と、テーブルの上に並ぶ料理を見ながら、プレシアが苦笑する。
 実際のところ今夜の来訪は、少々予定外のものだ。ジュエルシードの『不正所持』とそれに伴う『暴走行為』に繋がるそもそもの始まり。つまり、アリシア・テスタロッサが死亡した『事故』に関していくつか重要と思われる情報が手に入ったので、それの報告と事実関係の確認が目的だった。だが、その話は取りあえず後にして――
「いえ、充分美味しいですよ。それに、私はあまり料理が得意じゃないですから……」
 別に下手な訳ではない。若くして艦長職を拝するほどの仕事をこなしながら、女手一つで育ててくれたのだ。料理もそつなくこなしているが……まぁ、抹茶に砂糖を入れて飲む人である。だからという訳でもないが、時々暴発する事もある訳で。
(というか、単純に甘党なんだよな。母さんは)
 似通ったところは多々あるとはいえ、あの世界の食文化については僕もあまり詳しくないのだが……少なくとも、御神光や高町なのはの話では、母さん愛飲の抹茶は砂糖などいれずに飲むものらしい。二人ともかなり奇異の目で見ていた。何となく違和感を覚えていた僕の感覚は間違っていなかったという事なのだろう。と、それはともかく。
「特にこの唐揚げなんて――」
 確かにこの唐揚げは美味しい。だが、母さんがそう言った途端プレシアの表情が微妙に強張り……何故だかアルフが不敵な笑みを浮かべた。
「そうかいそうかい! その唐揚げ、気に入ってもらえたかい!」
 まぁ、何となく予想はついた。俗に言うところの地雷を踏んだというやつだ。
「何せアタシが作ったこれは光直伝の唐揚げだからね! あんまり肉を食べないフェイトがアタシにくれなかった――いやいや、残さず食べた逸品だよ!」
「くぅ……っ!」
 意味もなく高笑いするアルフに、プレシアが呻く。大体予想通りだ。
「こ、この野菜炒めとかどうかしら?」
 すみません、プレシア女史。正直、そっちをアルフが作ったと思っていました――フェイトに野菜炒めを進める彼女に、声にせず謝罪しておく。別に何故とは言わないが。
「もちろん美味しいよ!」
 フェイトはそう答えたのだが――その横でアルフが邪悪な笑みを浮かべて言った。
「ちなみに、唐揚げはまだ余ってるよ?」
「ホント?!」
 軽く背筋すら伸ばしながら、フェイトが言った。客観的に判定するなら――いや、皆まで言うまい。僕にも慈悲の心くらいはある。
「フッ! 光に教わること約二週間! アタシの料理の腕はかなり上がってるんだ。そりゃ、この唐揚げだって完全に再現できた訳じゃないけど……インスタント生活歴二〇年越えのアンタなんてハナっから敵じゃないね!」
「ううう……」
 仲良き事は美しき事かな――とは先人の残した言葉だが。取りあえずそれで納得しておこう。下手につついてまた大蛇が飛び出してきても困る。
「ところで、アイツ――御神光は料理ができるのか?」
 勝ち誇るアルフと打ちひしがれるプレシアはひとまず置いておくとして。その間で困惑しているフェイトに問いかける。正直に言えば、あの男が料理している姿というのは、なかなか思い浮かばないのだが。
「えっと、昔元宮廷料理人の人に教わった事があるとか何とか……」
 にも関わらず、フェイトはそんな事を言い出した。色々と思う事はあるがひとまずは、
「……またアイツの経歴が混沌としてきたな」
「……ええ。本当に」
 母さんと二人で頭を抱えていた。実際のところアイツの経歴については、今も頭痛の種だった。なのは達から聴取した情報を素直にまとめると、至るところで矛盾が生じる。このままでは報告書にならない。今のところ暫定版でのらりくらりと誤魔化しているが、いい加減正規の報告書を提出しないとマズいというのに。
(やはり次元漂流を疑った方がいいんだろうな)
 とは思うが。その割には彼の過去――彼の戸籍が曖昧になった原因であると思われる『事故』は確かに起こっている。厄介な事にそんなところでは、整合性が取れてしまうのだ。もちろん、そこで入れ替わった可能性もある。ちょうどその時期に次元漂流を起こしかねない異常が確かに起こっているのだから。しかし、あの男がそれに巻き込まれたという確証はどこにもない。まったく、どうせ嘘をつくなら、もう少しまともな嘘をついて欲しかった。だが、それも今は置いておいて。
「でも、少し安心したわ」
 母さんがホッとした様子で言った。
「ほら、仲の良い家族だと思わない?」
 確かに――母さんの言葉に頷く。
 姉と母親で妹を仲良く取り合っている。三人のやり取りは僕にはそんな風に見えた。
(つくづく大した奴だよ)
 僕らだけではこうはいかなかった。その確信は、思った以上にすんなりと胸を通過して行った。全く、こんな光景を見せられれば納得するよりない。これじゃ確かに僕らはただの端役に過ぎなかったのだろう。
(ここで後始末の一つも出来なければ、見せ場の一つもないな)
 問題は山積みだが……まぁ、挑むに値する。多分、あの男が――あの兄妹が望んだ微笑ましい家族のやり取りを守れるのなら。

 
 

 
後書き
さて、これにて無印編は完結となります。
プロローグと一話を公開したのが2014年6月28日ですから、皆様にはちょうど半年間お付き合いいただいた事になりますね。至らぬ点は多々あったかと思いますが、ここまでお付き合いいただいた事にまずはお礼を申し上げます。

これからの予定としましては、続けてA's編の更新に移りたいところなのですが、ちょっとまだ下書きも完成していない有様なので、連載開始までもう少しお時間をいただくことになるかと思います。来年はちょっと慌ただしい一年になりそうなので、少々不安ですが、なるべく間を開けずに連載再開を目指したいと思っております。
また、その間に短編で何度か更新できればいいかなと考えてはいるのですが……。

と、そんなところで。
それでは、ここまでお付き合いいただいたことにもう一度感謝を。
そして、なるべく早く連載が再開できる事を祈って。

 
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