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青い春を生きる君たちへ

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第5話 巡り合わせ

「くっっそがァ!もう今月何回目やねん、あのアホ!」
「マジ我慢ならんわい、俺らからもたっぷりお礼しちゃらなアカンわ!」
「赤井の授業だけは寝るなっつってんだろ、ボンクラ!」


傷ついた身体を引きずりながら、それでもなお怒りに駆られて小倉達は歩いていた。長時間リズムスクワットをさせられた足腰は、もうそれだけで熱を持ってパンパンに張り、明日の朝ちゃんと立てるかどうか怪しいほどだったが、その他にも、青痣が体のそこかしこにできており、それは明らかに、何者かの意思によってつけられたものだった。小倉達の怒りは、この行為の主体ではなく、この行為の原因の方に向く。前者に対しては、何をどうしても無理だという事を知っていたから。


「おい!福山ァー!」
「今日という今日はブッ殺すぞォー!!」


ドアを乱暴に開けて、部屋の主の名前を呼ぶ。福山はベッドの上に横たわっていた。そのベッドの側には、相部屋の同期が立っていて、顔を青ざめさせてこちらを見ていた。


「ま、待てやお前ら!そ、そんなんしてる場合ちゃうって!」
「うっせえ吉住!」
「これが場合ちごたら、一体何が場合やねん!このボケ!」


一同は吉住を突き飛ばし、自分達の訪問に上体すら上げようとしない、ぐうたらな福山に襲いかかろうとした。が、そうやって踏み出された一歩には、すぐに強烈なブレーキがかかった。全員、体が固まった。


「……ごめん……みんなごめん……ホンマすまん……」


ベッドの上に仰向けになった福山の顔はパンパンに腫れ上がり、まるで別人になっていた。霞んだ声で、ひたすらに謝り続け、色の変わった頬に涙の筋が残っていた。あまりの姿に、傷ついた身体をここまで運ぶ原動力であったはずの怒りが一瞬で消え失せた。


「……おい、大丈夫か?」
「みんな、タオル絞ってこい。顔に当てて冷やそ」
「……これ、明日まで絶対治らんで。どないしよに……」
「消毒とかせんでええんか?」
「俺、救急箱持ってくるわ」
「先輩にゃ見つかんなよ、こっそりとな。寮監にバレるのは論外だぞ」


みんなして、先ほどまで自分達の憎悪の矛先だった福山の為に甲斐甲斐しく働き始めた。あまりにもあっさりとした手のひら返しに、そもそも大して怒っていなかったのではないかという疑問が、傍目には湧いてくるかもしれない。しかし、本気の本気で、彼らはつい一瞬前まで福山を半殺しにしてやろうと思っていたのだ。その彼らの前に、既に半殺しの状態になっていた福山が現れた。それに構わず、追い討ちをかけようとするには、彼らは痛みを知りすぎていた。そして、本当に超えてはいけない一線−−−そこを超えては、二度と戻ってこれない一線の存在について、実感を持っていたのだ。


(あれ……何で俺、こんなことしてるんだろ……?)


小倉は福山の顔に当てるための冷えタオルを絞りながら、ぼんやりと思った。しかし、その言葉は、次から次へと移りゆく事態にかき消されて、遂に最後まで、声に出す事は無かった。


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「おはようございます、葉鳥先生」
「お、来たか。ちょっと待ってくれ、この添削だけ済ませたい」


謹慎明けの早朝、謹慎中毎朝家を訪ねてくれた葉鳥に一応挨拶しておこうと、小倉は社会科職員室に顔を出した。他にはまだ誰も居ない部屋で葉鳥が一人、デスクに向かって小論文の添削を行っていた。三年生の進路指導だろうか。年明けの共通一次試験にはまだ時間があるが、この時期は指定校推薦などに向け、人格評価などという、イマイチ基準がハッキリしない試験をチョロまかす知恵をつける為必死になる時期だ。中堅校の松陽には、共通一次というシビアな学力試験で、本物のエリートと競り合えるような学力の生徒はそうそう居ない。分相応以上の大学にねじ込むには、各種推薦などの制度をフル活用して実力を誤魔化すのが有効だ。葉鳥は今、その手伝いをしているという訳なのだろう。


「……熱心なんですね?思ったより」
「どうして、熱心じゃないと思ったんだ?」


目を丸くした小倉の方を見る事もなく、葉鳥は尋ねた。


「そりゃ、昨日、クズどもがどうなろうと知ったこっちゃねえって、言ってませんでした?」
「……あのなあ、俺は"クズどもが"どうなろうと知ったこっちゃないって言っただけだぞ?それが何で、教師職全体のやる気の無さと結び付けられなくちゃならないんだ。クズどもが、こんな作文の添削を頼んでくると思うのか?」


葉鳥が呆れたように息をついた。小倉は、あ、と声が出た。確かに葉鳥は、生徒全員どうなろうが知ったこっちゃないと言った訳ではなかった。聞かん坊は放っておくと聞いただけなのを、何故か葉鳥の「生徒への関心の欠如」と解釈していた自分に気づいた。


「……別にお前に限った話じゃないが、教師の仕事は、クズのような生徒を劇的に変えることだなんて、妙な思い込みが世の中にはあるんだよな。そういうドラマは山ほどあるし。でもな、人間がそんなに簡単に変わるか?クズな高校生は15年以上かけてクズになっていったというのに、それをたかが学校に居る時間、最大でもたった三年顔を合わせるだけの教師が、ちょっと頑張れば変えられるのか?簡単に変えられると答えるのは、曲がりなりにも積み上げられてきた、個性に対する冒涜だと俺は思うね。」
「……じゃ、先生の仕事は何なんです?」
「できるだけ多くの、"普通の"生徒に対して、できるだけの助けをしてやる事だ。例えば、この添削みたいにな。守るべきは大多数を占める善良な生徒だよ。ごく少数のクズにかかずりあって、そいつらへの対応がお留守になっちゃ、普段からクズを横目にしてるにも関わらず、ルールを律儀に守ってる連中が浮かばれないだろ。真面目にしてても、良いことなんて何もないって思ってしまう。クズがクズのまま成長するより、そっちの方が問題だ。普通の連中が、ルールを信じられなくなってしまう事の方が。」


葉鳥の考えは、もっともな事のように小倉には聞こえた。ただ、少数のクズは一体どこに向かうのか、という疑問は残るが。恐らく、そんな連中の事は、物好き以外は誰も省みないのだろう。誰にも省みられないまま、どこまでも黒く濁って、いつか他人や自分の身を滅ぼす。


「最大多数の、最大幸福でしたっけ?シビアですね、結構」
「……少数派に優しい世界の方が、珍しいんだぜ?」


窓の外で、百舌鳥の高鳴きが聞こえる。季節はだんだん、涼しさを増していた。




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「……ねえ、転校早々謹慎なった不良って、あれ?」
「見た目には大人しそうなのにねえ……人は見かけによらないねえ」


小倉は、自分の方に向いた視線にも、自分の事を語る小さな声にも気づいていた。噂話をされること、後ろ指差される事を気に病むような繊細な心の持ち主だったら、そもそも喧嘩騒ぎなど起こさない訳で、小倉も図々しいくらいに堂々とはしていたが、モブキャラを装って、じっくり周囲を観察するような真似が難しくなったのだけは残念だった。小倉は今や、見返されるようになっていた。それも、畏怖のこもった目で。


「……でさー!そこで言った訳ね!100円くらいで細い事言うなっ……て……」


教室の後ろ側で、同じようなDQNの男女相手に、いつものように悪行を自慢していた瀬尾は、小倉の視線に気づくと一気にトーンダウンした。自分の彼氏がいとも簡単に小倉に蹂躙され、自分の強い立場の確証が揺らいだ瀬尾は、これまで以上につまらない力のアピールを増やすようになり、そして小倉に対してはかなり卑屈な態度をとるようになっていた。小倉は、瀬尾から注がれる憎悪の視線に気づいてはいた。しかし、その度見返してやると、瀬尾はギクッとして、視線を明後日の方向に逸らすのだった。

俺が見返されるようになったのと同じく、こいつも、自分を見返す奴の存在に少しは気づいたってことか。小倉は考える。格好だけで他人を騙し、自分を騙し、そして土台の無い高みに登った。高みからは、見返す者の視線を気にせずに、一方的に見ることができたのだろう。見て、評価し、悪し様に罵る事ができた。しかし、その高みの土台がない事を思い知らされ、自分もまた、見られていた事に気づいた。見られて、評価されていた事に気づいた。ずっと一方的に見ていたもんだから、今更、見られていた事に気づいても、居心地の悪さが抜けないんだろう。


「おーっす、謙之介!今日もまた目つきが悪いなぁ!」
「……朝の挨拶で言う事かそれ?そもそも褒めてないし」


周囲に人が居らずドーナツのような空間を形作っている小倉の、そのドーナツを破壊してきたのは、今日も実に快活な田中だった。小倉を避けている周囲の生徒の雰囲気など何のその、この男には対人コミュニケーションの壁などという概念は存在しないのかと思わせられる。それにしても、よく自分なんかにここまで構うものだ。こいつ実は友達少ないんじゃないか?


「……で、お前の後ろの彼は何者?どっかで拾ってきたのか?」
「バカ、犬か何かみたいに言うなよ!お前に会いたいっていうから、連れてきたんだよ」


田中の後ろには、坊主頭で丸顔、田中より背の高い均整のとれた体格をした男子生徒が立っていた。顔は黒く日焼けしており、その手にはいくつかテーピングが巻かれているのが小倉には確認できた。


「C組の保坂良輔。野球部の現キャプテンで、2年からエースで4番を張ってる、割と凄いy…」
「おい、やめろ、勝手に能書き言うのはよせ」


高らかに他己紹介を始める田中を、保坂は慌てて制した。田中は「えぇー褒めてるんだから良いだろー」と口を尖らせたが、保坂は「そういう問題じゃない」と頭を小突いた。


「……で、エースで4番でキャプテンの保坂くんは、転校早々暴力沙汰を起こした俺みたいな不良少年にどういった用件があるの?」


保坂と田中の絡みを白けた目で見ていた小倉に、保坂の目が向いた。小倉の顔を保坂はジッと見る。あんまりジッと見てくるから、小倉の方が気恥ずかしくなってくるくらいだった。なんだ、こいつ、ホモか何かか?俺に惚れちゃったのか?


「……やっぱり。お前、東福山レッドスターズの小倉だろ?」
「え?なになにそれカッコいい!何かの戦隊?」
「中学時代の、硬式野球のクラブチームの名前だよ。東福山レッドスターズは県外のチームで、中3の5月の遠征の時、俺、こいつと対戦した事あるんだ」


田中の茶々に対して、保坂は丁寧に説明した。小倉は記憶を辿りながら、首を傾げた。はて、中3の5月?こんな奴とやったっけ?小倉は全く思い出せなかった。2年も前の話だから、相手チームの人間の顔を全て覚えていられるはずはないのだが。


「青葉南ボーイズとやったの、覚えてないか?」
「いや、マジで分からん。割と必死に思い出そうとしたが分からん」
「そうかー。俺はバッチリ覚えてるんだけどなー。」


キョトンとしている小倉の様子に、保坂はがっかりした。田中はといえば、何故か妙にテンションが上がっている。元々テンションは高めな男だけれど。


「へー、謙之介野球やってたんだ!それならそうと言ってくれれば良かったのに!」
「聞かれてもないのに、何で言う理由があるんだよ。それにお前にそれ言ったところで、それが一体どうなるっていうんだ。」
「ええー、良いじゃないかそういう事話してくれても!で、良輔、謙之介の事覚えてるって言ったけど、どうだったの謙之介のプレーは?」


話が面倒臭い方向に行き始めたなあ、と小倉は思った。高校生って、どうしてこう、他人の事をやたら知りたがるのか。スポーツの実力とか、趣味嗜好とか、誰が誰の事好きとか、身近な他人の事ばっかり気にかけてやがる。もっと別のことに興味は持てないのだろうか。例えば……政治とか。


「いや、凄かったぞ。ウチのチーム三振13個とられたし、俺はホームランも打たれた」
「おぉー!謙之介、強いの喧嘩だけじゃ無かったんだな!」
「おい、余計な事言うなよ」


田中がしれっと小倉の暴力沙汰を、大きな声で話の中にぶち込んできたもんだから、小倉の方が焦ってしまった。別に気にしてはいないが、わざわざ大声で言いふらすような名誉な事でもない。視界の端では、瀬尾がビクッとしたのが見えていた。


「いやー、しかし、また会う事になるとは思わなかった。これも何かの縁だなぁ……」


保坂が感慨深そうに頷きながら、その顎に手をやる。小倉は嫌な予感がした。そんな縁感じなくて良い。そんなもんただの偶然だ。お前の勝手な思い込みだ。その証拠に、俺はお前の事なんて何一つ覚えちゃいない。


「小倉、放課後ちょっと付き合ってくれ」


聞きたくなかった一言が保坂の口から漏れ、田中が「おぉー!」と意味不明に興奮し、小倉は苦虫を噛み潰した顔でそっぽを向いた。
 
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