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山の人

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第七章


第七章

「海もね」
「そうよね。ただ」
 ところがここで朋絵の言葉がくぐもったものになったのだった。
「海だとね」
「どうしたの?」
「泳ぐとなるとね。ほら、水着」
 海となれば外せないものであった。泳ぐとなればやはり水着だ。
「水着だけれどね」
「水着がどうかしたの?」
「もう三十だし」
 実は二人共三十路なのである。わりかしいい歳なのだ。
「スタイルがね。お肌だって」
「何言ってるのよ、大丈夫よ」
 亮子は困ったような顔になる朋絵に対して笑顔で述べたのだった。
「あんたはね」
「大丈夫かしら」
「自分では不安なのね」
「自分はね」
 朋絵も多少憮然としながらもそれを認めていた。
「どうしてもね」
「じゃあ私に言うのは?」
「結構抑えてるけれど?」
 そうは言っても自覚はしているのか言葉の調子が弱い。
「慎重案ばかりじゃない」
「そうかしら。大胆なことばかり言ってるじゃない」
「それは主観の相違ね。とにかくよ」10
「あんたは海ね」
「ええ」
 あらためて亮子の言葉に頷くのだった。
「水着ね。用意しとかないとね」
「今でもそんなにスタイル悪くないじゃない」
「三十路になったらね」
 言葉は真剣そのものだった。
「ちょっと油断したら崩れるじゃない、お肌もスタイルも」
「まあそれはね」
 同じ三十路として頷くしかない、怖ささえ感じる話であった。
「十代の頃が懐かしくなるのはね」
「確かでしょ。だからね」
「私も気をつけないとね」
「山だけれど」
 亮子のその山である。
「注意しなさいよ」
「別に水着にはならないわよ」
 この時は山とは何かを考えていなかった。
「山登るだけなのに」
「だから。そういうのじゃなくてね」
 朋絵は話がわかっていない亮子に対して口を尖らせた。
「あれよ。三十路になったらお肌やスタイルだけじゃないでしょ」
「というと?」
「体力よ」
 彼女が言うのはこれだった。
「体力。最近そうでなくても運動不足でしょ」
「言われてみれば」
 確かに休日夫と散歩はするがそれだけだ。結婚してからその運動量はかなり落ちているのだ。この辺りは他の主婦と同じであった。
「学生時代はテニスをしてたけど」
「けれど今は違うわよね」
「ええ」
 朋絵の言葉にこくりと頷く。
「まだ働いてた時の方がね」
「だからよ。体力落ちてるわよ」
 朋絵は亮子に対してはっきりと告げたのだった。
「そこは注意しなさい。いいわね」
「そんなに落ちてるの」
「試しに走ってみたらいいわ」
「ランニング?」
「多分。殆ど走れないから」
 こう亮子に言うのであった。
「昔はそれこそ十キロでも走れたのに」
「それは高校の頃でしょ?」
「そうだけれど」
 昔の記憶は残る。しかし今とは違う。この二つのパラドックスが亮子にも深く強くかかっていたのだった。これは誰でも同じである。
「今とはね」
「違うの」
「だからよ。まあ山によるけれど」
「体力ね」
「私もね。もうかなり泳いでないし」
 朋絵は自分自身についてもここで言及した。
「その辺りは不安だけれど」
「じゃあ。一緒にやる?」
「一緒に?」
「身体動かす?」
 こう朋絵に提案する亮子だった。
「走るか泳ぐか」
「どっちかにするってこと?」
「それか両方」
 亮子も言う時にはかなり言う。
「どうかしら」
「じゃあ走る方かしら」
「泳がないの?」
「だから。まだ水着になる勇気はないのよ」
 朋絵はこう言って顔を曇らせたのだった。
「今はね。だからよ」
「そう。だからなの」
「そういうこと。とりあえずはね」
「走るのね」
「ある程度体力がついてスタイルが整って」
 朋絵は亮子のことも考慮に入れて述べた。
「それからよ。いいわね」
「わかったわ。それじゃあそういうことでね」
「お互いの旦那さんについてくだけの体力はつけましょう」
「うちの人のねえ」
 亮子は朋絵の今の言葉に腕を組んでしまった。
「それはまた大変ね」
「うちもね」
 ここでは亮子も朋絵も事情は同じだった。
「うちの旦那も体力はかなりだから」
「そっちもなの」
「全く。体力馬鹿の旦那を持つと苦労するわね」
「そうね」
 この辺りは自分達を中心に考えていた。女の目から見ての言葉である。
「まあそれでもやりましょう」
「そうね。旦那と一緒にやる為にはね」
「努力も夫婦円満の秘訣のうち」
 朋絵はこの言葉を出した。
「そういうことね」
「旦那には気付かれないようにね」
「主婦も大変ね」
 朋絵は今度はこんなことを言って苦笑いを浮べた。
「全く」
「けれど。決めたら」
「ええ」
 そこから先はもう決まっていた。
「やりましょう。二人でね」
「もう早速今日から?」
「思い立ったが吉日よ」
 やはり亮子はいざという時も思い切りがいいようだ。
 
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