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山の人

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第五章


第五章

「よかったわね」
「うん。それでね」
「ええ」
 宗重の方から話を変えてきた。亮子もそれに乗る。
「これからどうするの?」
「どうするって?」
「だからさ。歩く?」
 こう妻に尋ねてきたのだった。
「もっと。どうするの?」
「どうするって言われても」
 こう問われても亮子も返答に窮することになった。
「まあ。あなたが歩きたいっていうのなら」
「いいんだね」
「ええ。それで何処に行くの?」
「今日は時間もあるから公園の方に行かない?」
「公園の方に?」
「緑が見たいんだ」
 その濃い髭の剃り跡のある顔をにこりとさせて亮子に言ってきた。
「今はね。どうかな」
「今はっていつも言ってるじゃない」
 亮子もまたくすりと笑って夫に言葉を返した。
「あなた。あの公園に行きたいって」
「あれ、そうだったかな」
「そうよ」
 また笑って夫に対して言った。
「散歩の度に。そうでしょ?」
「そういえばそうかな」
 宗重は妻のその言葉に首を少しだけ傾げさせて述べた。
「言われてみれば」
「けれど。それでいいわ」
 そんな夫への言葉だった。
「それでね」
「いいんだ」
「いつものことだから」
 ここでも笑っていた。
「だからね。それでね」
「有り難う」
 彼は妻のそんな心を受けて今度は優しい笑みになった。
「それじゃあ。公園にね」
「ええ。行きましょう」
「緑を見ると落ち着くんだ」
 話しながらもうその顔はさらに明るい笑みになっていた。
「じゃあその公園にね」
「ええ」
 こうして二人はその公園に向かった。ある休日での話だ。しかし亮子があの友人の桐原朋絵に話すとこれが一つの大きな疑問の解決になるのだった。
 二人はまた亮子の部屋でテーブルに向かい合って座って話をしていた。朋絵が持って来たドーナツを亮子が淹れた紅茶で楽しみながらだった。昼下がりの奥様同士の一時においてであった。
「山でね」
「おかしいわよね、やっぱり」
「いえ、わかったわ」
 ところが朋絵は不意にこんなことを言ってきた。
「これでね。わかったわよ」
「わかったって?」
「だから。御主人のことよ」
 紅茶に熱いミルクをこれでもかと注ぎ込みながら亮子に話す。ロイヤルミルクティーにしてもまた随分とミルクを入れていた。最早紅茶との割合が半々になってしまっている。
「御主人のね」
「うちの人のことが?」
「そうよ。天気がわかったり」
「それもなのね」
「おまけに動物の言葉がわかったり」
 朋絵はそこにも言及する。
「そういうのはね。山に秘密があったのよ」
「山に秘密が?」
「普通は山で暮らしてる人なんていないじゃない」
 朋絵は常識の中で話をしてきた。
「普通はね。そうよね」
「それはね」
 これは亮子もわかっていることだった。
「昔は大抵」
「村で田んぼを作っているか町にいるか」
「そのどちらかよね」
「つまり士農工商」
 江戸時代の身分制度であるがそのまま社会制度にもなっていた。身分制度といっても武士はともかく農工商の差はかなり曖昧であったが。江戸時代は実際にはそれ程厳格な身分社会ではなく武士になることもできたりした。少なくとも欧州のそれとは全く違っていた。
「それよね」
「ええ」
「けれどね」
 ここで朋絵はさらに言ってきた。
「これとは別の人達もいたのよ」
「別の?」
「山の民っていってね」
「山の民!?」
 亮子はその言葉を聞いて思わず声をあげてしまった。
「何、それ」
「昔そういう人達もいたのよ」
「そういう人達って」
「山で暮らしていた人達なのよ。私達とは別にね」
 こう亮子に話すのだった。
「言葉も違えば生活習慣も違っていて」
「何か民族が違っていたのかしら」
「そうね」
 ここで朋絵はさらに言うのだった。
「その言葉だけれどね。これがね」
「どんなのだったの?」
「縄文時代の言葉だったらしいのよ」
 これは実際にそうだったらしい。とにかく使っている言葉までもが違っていたのだ。日本にもそういった人達が存在していたのである。
「文字も別物で」
「じゃあ本当に民族が違っていたのね」
「多分ね。それで能力もね」
「動物の言葉がわかったり天気がわかったり?」
「とにかく鋭かったらしいわ」
「やっぱり」
「山の中も自由自在に歩けたっていうし」
「あっ、そういえば」
 朋絵の言葉を聞いてまた思い出した亮子だった。
 
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