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一人より二人

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第一章


第一章

                  一人より二人
 二人になってしまった。一瞬にして。
 お通夜の場で二つ並ぶ写真。それは二人の両親のものであった。
「お姉ちゃん」
 そのお通夜の式の黒い中で。小さな小学校の制服の男の子がセーラー服の大人びた女の子に声をかけていた。小さく、か細い声で。
「お父さんとお母さん。もういないんだね」
「ええ、そうよ」
 少女は。必死に耐える声で彼の言葉に頷いた。見ればその白く整った顔も必死に耐えているものであった。全身で耐えているのであった。
「もうね。ずっと」
「二人だけなの?」
「そうよ、もう二人だけなのよ」
 少女は悲しみを必死に堪えつつ彼に答えた。
「私達二人だけになったのよ」
「そうなんだ。もうこれで」
「ねえ翔太」
 ここで彼の名を呼んだ。
「何?」
「お姉ちゃん、もうすぐ卒業だけれど」
「うん」
「大学。行かないから」
 強い声になっていた。決意して断ち切る。そんな声だった。
「働くから」
「折角大学受かったのに?」
「ええ。もう行けない」
 また言うのだった。その声で。
「だからよ。お姉ちゃんが翔太のお母さんになってあげる」
「お姉ちゃんが僕の」
「だからね」
 その言葉は続く。強く悲壮な決意が込められているがそれと共に優しく暖かいその声で。翔太に対して語るのだった。
「安心して。一人じゃないから」
「お姉ちゃんがいてくれる」
「お姉ちゃんにも翔太がいてくれるから」
 自分に言い聞かせるような言葉であった。彼女とて辛いのだ。しかしそれを必死に堪えての言葉だった。悲しみも寂しさも不安も全部断ち切って。そんな言葉であった。
「それでいいのよ。二人でね」
「わかったよ、お姉ちゃん」
 翔太はそこまで聞いてやっと頷いた。彼も決めたのだ。
「僕、お姉ちゃんの力になるから。華お姉ちゃんの」
「御願いね。お姉ちゃんも頑張るからね」
 その黒く長い髪で顔を半分隠していた。大きくしっかりとした目と厚い唇が濡れようとしていた。しかしそこで踏み止まっていた。その顔でじっと弟のあどけない、天然パーマの下の顔を見詰めていた。雨の降り注ぐお通夜の中で。二人はこれから二人で生きていくことを決心したのだった。
 それから華は働きだした。弟の為に朝早く起きて家事を行い昼から夜遅くまで働き家から帰っても家事を行った。決して弟にひもじい思いや惨めな思いはさせまいと頑張り身を粉にして働いた。その為翔太はすくすくと育った。あの時はまだほんの小さな子供だったのに大きくなって。ようやく高校に行けるまでになったのであった。
「お姉ちゃん、高校だけれど」
「どうするの?」
「奨学金受けてたじゃない」
 翔太は成績優秀だった。それで奨学金を受け取っていたのだった。これも姉に苦労させまいとする彼の心配りだったのである。
「それでね。行くつもりなんだ」
「そう、それを使うのね」
「うん、寮に入るよ」
 こうも言うのだった。二人しかいない家の中で向かい合ってテーブルに座りながら。既に夜はかなりの時間になっていた。その中での話であった。
「それだとお姉ちゃんももっと楽になるしね」
「それは」
「いいんだよ」
 にこりと笑って姉に告げる。その笑顔は幼い時のままだった。
「お姉ちゃんが楽できるからね。その方が」
「いいの?」
「僕がいいっていうからいいんだよ」
 彼のこの時の言葉もしっかりしたものだった。姉を安心させようという。そうした言葉だった。
「気にしないで。心配しなくていいから」
「そうなの」
「そうだよ。だから」
 さらに言うのだった。
「僕も勉強頑張るからね」
「ええ、私もね」
 自分を気遣ってくれる弟の為だった。くじけまいと思った。芯にあるその強い心で。
「頑張るわ。翔太の為にね」
「うん、頑張ろう」
「ええ」
 笑顔で頷き合うのだった。二人きりの辛い生活だったが絆はしっかりとしたものだった。二人はそれを確かめ合い生きていた。そんな中で華の側に一人の若者が出て来た。同じ職場にいる青年琢磨光平という男だ。背が高く眉が吊り上がった独特の顔をしている。身体は引き締まりその顔と合わせて非常に精悍な印象を持っている。そんな若者だ。
 彼は明るく気さくだった。仕事のうえで一緒になると何かと華を助けてくれた。このことで色々と救われた彼女は次第に彼に想いを寄せるようになった。何時しかそれは彼女が今まで感じたことがない程にまで強いものになっていた。
 しかし。ここで問題があった。翔太のことだ。彼女は弟のことを想いこれ以上想いを強くすることを躊躇っていた。しかしこのことを翔太にも光平にも言えず戸惑っていた。だがそんなある日のことだった。
「ねえお姉ちゃん」
 休日の昼のことだった。華が作ったスパゲティを食べていると翔太が声をかけてきた。やはりここでも家の中のテーブルで向かい合って座っていた。昼なので薄暗さが残る灯りは点けてはいなかったが。
「何?」
「最近迷ってるでしょ」
 こう姉に声をかけてきたのだ。
「迷ってるって?」
「誰か好きな人ができたんだよね」
 ぶしつけにといった感じでこう尋ねてきたのだった。
「そうでしょ?当たってるでしょ」
「えっ・・・・・・」
 そう言われて絶句した。これはその通りだったからだ。こうした時に咄嗟に誤魔化しの言葉を言えるような器用さは。華にはなかった。
 
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