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逃がした魚

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第三章


第三章

「あの娘よ」
「・・・・・・嘘だろ」
 俺は思わず呟いてしまった。
「あれが彼女かよ」
「そうよ」
「そうよって全然違うじゃねえか」
 何か自分の目すら信じられなくなってきた。自分の目が信じられなくなる時があるってのは聞いたことがあったがそれが実際に自分が経験するとは幾ら何でも夢にも思わなかった。何かおとぎ話の世界に舞い込んだみたいな気分になってきた。
「あれが岡本さんなのかよ」
「聞こえるわよ」
 こう言ったところで注意された。
「それに失礼でしょ」
「けどよ」
 信じられないことには変わりがない。頬っぺたをつねりたくなる位だった。
「よく見なさいよ。彼女だから」
「確かに」
 やっと落ち着いてきた。確かにその通りだ。顔なんかは痩せてはいても面影がはっきりとある。そういや彼女のお母さんにそっくりだ。あの人にそっくりならそりゃ美人にもなるだろう。何か自分勝手に心の中で頷くものがあった。
「岡本さんだよな」
「やっとわかったわね」
「わかるも何も」
 だが口は俺の心とはまた別に動いていた。
「あんなに奇麗になるなんてな」
「驚いた?」
「ああ」
 正直こんなに驚いたことは滅多にない。この二十年でそんなに記憶にない。
「何とまあ」
「はっきり言ってあの娘のお母さんにそっくりよね」
「そうだなって彼女のお母さん知ってるのかよ」
「一度家に遊びに行ったから。ほら、同じクラスだったことあるでしょ」
「覚えてねえよ」
「何よ、冷たいわね」
「冷たいも何も奥田さんとも一緒のクラスだったことは中二の時で」
「小学校の時に二回、中学校で一回」 
 奥田さんは俺が言おうとしたところでムッとした顔で言い返してきた。ちなみに小学校の学年割は二年で一つの単位だ。ということは小学校では奥田さんとは四年一緒のクラスだったことになる。
「よく忘れられるわね」
「そういやそうだったか」
「全く。物覚えが悪いところは同じなんだから」
「そうだっけ」
「そうよ、まあいいわ」
 とりあえずその話は終わった。
「まあ彼女とも同じクラスだったから。お母さんとも会ってたのよ」
「で、そっくりだと」
「そうね。彼女完全に母親似よ」
「まずったな」
 俺はまた本音を呟いちまった。
「まずったなって?」
「あんなに奇麗になるなんてよ」
「大学でも大人気らしいわよ」
「そうだろうな。よく考えたら彼女のお母さんがああだからな。それにそっくりだと」6
「美人になる筈よね」
「しくじったよ。声かけとくんだった」
「小学校の時に?」
「いや、そこまではいかないけれど。中学生の時だったな」
 冗談抜きに心から後悔した。あの時声をかけていれば今頃は。それを考えると無性に自分に腹が立ってきた。逃した魚は、ってやつだ。今それを考えてもどうしようもないがついつい考えちまう。
「声かけてりゃなあ」
「ふられたかも知れないわよ」
「きついね、奥田さん」
 俺は彼女に顔を向けて言った。
「けどあの時はなあ、仲悪かったし」
「君もかなり性格悪かったし」
「へいへい、否定はしませんよ」
「そんなのだから。捻くれ者でね」
「ヘッ、それで今後悔してるのさ」
 俺は奥田さんにそう返した。
「こんなことになるんだったらなあ。本当に」
「何か愚痴愚痴してるわね」
「愚痴も言いたくなるよ。見ろよ」
 どいつもこいつも岡本さんを見ている。あまりにも奇麗になったのでヒソヒソと話す奴等までいる。本人はそれに気付いているのかいないのか。平気な顔だ。気付いていたらもうかなり満足しているだろう。気付いていなかったらかなりの天然だ。まあ俺が知っている岡本さんなら気付いているだろうとは思うが。
「注目の的じゃねえか」
「そうよね、あれだけ奇麗だったら」
「どうしたもんかね」
「どうしたもんかねって」 
 俺はここで無意識に妙なことを言っちまった。言った瞬間には気付かなかったがすぐにそれを突っ込まれた。また迂闊なことをやっちまった。
「迷ってるの?」
「ああ」
 また無意識に答えちまった。何か夢うつつだった。そしてその夢うつつのうちに俺は墓穴を掘っちまっていた。気付くのは奥田さんの言葉からであった。
「じゃあしっかりしなさい」
「しっかりしなさいって?」
「男ならね、当たって砕けろよ」
「当たって砕けろって」
「私だってね、何で結婚したかわかる?」
「あのさ、何言ってるの?」
 俺は最初奥田さんが何を言っているのかわからなかった。
「何か訳わからないんだけれど」
「自分の言葉反芻しなさい」
「反芻って牛じゃないんだから」
「とにかく思い出してみてよ」
「あ、ああ」
 何が何かわからないままそれに頷いた。そして自分の言葉を思い出す。

 
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