| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

逃がした魚

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
< 前ページ 目次
 

第一章


第一章

                 逃がした魚
 成人式。俺はこの日が来るのを何とも思わずに待っていた。
 ただ一つ歳を取るだけだと思っていた。他の何だというんだと思っていた。
 酒が飲める、もう飲んでいる。高校二年の時から普通に飲んでいる。今じゃ立派な酒豪だ。日本酒、それも辛口がお気に入りだ。つまみは豆腐が好きだ。
 煙草が吸える、興味はない。煙草は吸わない。ダチは何人も吸ってるが俺は興味がない。酒はともかく煙草の何処がいいのか本当にわからない。
 そんな俺だから成人式なんて只の恒例行事とばかり思っていた。他の何でもない、まあ仕方なしに出てやるだけだった。本当にそれだけだった。
 大学の入学式の時に着ただけのスーツをまた出して着る。何か匂いがする気がした。
「虫食いとかねえよな」
 最初に気になったのはそれだったがそれはなかった。色も変わっちゃいない。それをチェックしてとりあえずは安心した。それから家を出て式場に向かった。
 何か式場では俺と同じスーツの奴等がゴロゴロとしていた。何でもない、よく見れば俺のクラスメイト達だ。幼稚園から一緒だった奴もいる。そいつ等がスーツに着替えて来ていたのだ。制服姿ばかり見慣れていたからスーツ姿は新鮮だった。中身は変わっていないがそれが印象的だった。
「よお」
「ああ」
 中学で一緒だった畑中と挨拶を交わす。多分向こうも俺と同じことを考えているのだろうと思いながら。
「何かあまり変わらないな」
「学ランがスーツに変わっただけだな」
 俺は笑ってこう言った。学生服を着ていたのはほんの少し前に思える。それ程大して変わってはいなかった。俺も今目の前にいる畑中も。何も変わっていなかった。
「そうだな、何か他の奴もな」
「そうだな」
 俺はそれに相槌を打つ。他の奴等も一緒の学校だった奴ばかりで知ってるのばかりだ。見れば本当に変わらない。少なくとも男はそうだった。
「女の子もそうかな」
「案外そうなんじゃねえの?」
 畑中は軽くそう言葉を返してきた。
「だってよ、高校卒業してから。ええと」
「まだ二年も経ってねえよ」
「そうだよ、そんだけだぜ。あまり変わっていないさ」
「そうだよな」
「そうそう、そんなに変わるわけないって。見ろよ」
 そう言いながら側を通ってきた女の子を一人指差す。中二の時一緒のクラスだった娘だ。奥田さんだ。何かセーラー服がそのままスーツになった感じだ。本当に変わらない。
「あいつだってあまり変わっていないじゃないか」
「あら、言ってくれるわね」
 その話を聞いて奥田さんは顔を俺達に向けてきた。少しムッとした顔を作ってこちらを見据えてきた。
「これでも私結婚したのよ」
「嘘っ」
 俺も畑中もそれを聞いて思わず声をあげた。これには本当に驚かされた。
「本当よ。ほら、その証拠に」
 ここで左手を見せてきた。見ればその薬指には。紛れもない証拠がそこにはあった。
「これでわかったでしょう?」
「本当だったんだ」
「それで今は主婦よ。まだ三ヶ月だけどね」
「結婚、ねえ」
「もうそんな歳かあ」
「もうって二十歳じゃない」
 彼女はまた言った。
「結婚だってできるし子供だっている娘もいるわよ」
「子供!?」
 何か話がさらに俺にとって信じられない方向へいっていた。何か訳がわからなくなってきた。
「そうよ。私はまだだけどね。横田さんとか」
「ああ、横田さんね」
 彼女とは一緒のクラスになったこともあまり話をしたこともない。けれど悪い印象は持ってはいない。何か大人しくてしっかりとした印象は持っていた。
「あの娘が」
「そうよ。一人ね」
「横田さんも来てるんだよね」
「ええ、流石に子供は連れて来てないけれど」
「だろうね、やっぱり」
「それは幾ら何でもね」
 やっぱりこうした場所に子供連れは何かとまずい。だからこれはわかった。だがそれにしても。もう子供がいる子もいるのが何か信じられなかった。
「他にも結婚した子とかいるんだよね」
「石橋君とかね」
「ああ、あいつも」
 何か頬っぺたの赤いやたら口の悪い奴だった。あの憎たらしかったあいつも結婚して奥さんがいると思うと別世界に来た気持ちになった。
「近藤君も」
「あいつもか」
 幼稚園から一緒だった奴だ。痩せて色の白い奴だ。あいつも結婚したかと思うとこれまた別世界に来た気持ちになる。何か馬鹿やってるのは俺だけに思えてきた。目の前に一緒にいるツレだって同じだろうにどういうわけかそう思えてくるから不思議だ。どっちにしろもうそういう歳なのは自覚せざるを得なかった。
「他にも。いるけど」
「ああ、もういいよ。何かタイムスリップした気持ちになったから」
 俺はそう言って話を止めてもらった。
「何か俺って全然変わってないんだな」
「そうね、変わってないね」
 しかもそれをはっきり言われた。余計に気分が悪くなった。
「言ってくれるね」
「だって本当に変わってないから」
「何時から」
「小学校の頃から」
「って全然変わってないってことかよ」
「そうね、何か」
「これでも背は伸びたぜ、結構」
「それでもよ。中身がね」
「きついな、何か」
「まあまあ。それはそうれでいいじゃない」
「そうかな」
 何か奥田さんの方がお姉さんみたいだ。同じ歳の筈なのに。けれどこれが結婚して人生経験を積んだということなのかも知れないとも思った。学生と主婦ではその重みが違うのも当然だ。

 
< 前ページ 目次
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧