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横浜事変-the mixing black&white-

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ミル・アクスタートは自身の矜持を保つために銃を握る

数十分前 ホテル『ニューグランド』一室

 ミル・アクスタートは座っているだけで眠たくなってしまいそうなベッドから腰を上げ、化粧台の隣に置いてあるバッグのうちの一つを引っ張り出した。チャックを開けて、その中から『く』の字状の物を取り出す。

 それは禍々しい銀と黒を備えた銃だった。普通なら存在する筈の弾倉がなく、銃身と薬室が一緒になった奇妙な構造をしている。手の中に丁度良く収まるそれに、彼女はフフッと微笑んだ。

 これは彼女が所属する武器商社の社長が趣味で手に入れた米国製の多重身式拳銃であり、それを彼女用に譲渡してもらった物だ。銃身が4つあるユニークなフォルムが何十年も前のアメリカで人気だったらしい。今ではその姿を直接見るのは難しくなっており、かなりレアだと、同僚のルースが自分の事のように語っていた。

 一見使い回しが良さそうに見えるが、グリップ周りが小さい事や強力な銃弾の反動は吸収出来ないという点から、コントロールは相当難しい。また、一つ一つの弾が違うところから発射されるのも、精密さに欠けるため、取り扱いは近距離に限定されてしまう。現場の軍人や警察からはネックな武器だと言われていたそうだ。

 ――でも、今回はまさにこれが使える。

 普通の拳銃も常人には脅威的なのだが、相手はプロだ。何が起こるかは予想出来ない。これまで多くの猛者と戦ってきたミルの経験が、油断は禁物だと悟っている。

 そこで彼女が選んだのがこの拳銃だった。彼女は課せられた任務のために、商社から多種多様な武器を持ってきている。その中で考えると、やはり多重身拳銃が安定していた。

 通常の拳銃よりも威力は高めで、ホテルという狭い戦場で十分に動けるとなれば、これしかない。身体のどこかにマウント出来ないのは難点だが、この際関係無いとミルは割り切っていた。そして、改めて今回の任務について思い出していた。

***

 彼女が勤める武器商社のボスは、『日本の横浜にある殺し屋の組織について調べろ』と指示した。商社で働く人間の多くは軍から出奔した下っ端や傭兵だったが、幹部クラスには商社に雇われた殺し屋がいた。その中で編成されたチームというのが『ヘヴンヴォイス』だった。

 『お前ら、前に趣味でバンドやってたろ。あれで日本に乗り込め』と無理難題を押し付けてきたボスに、ミル達は自分達の存在がバレたら危険だと口にしたのだが――数時間でパスポートや入国管理などの問題を解決してしまったボスに、ミル達は何も言えなくなった。

 そうして日本にやってきた彼らなのだが、その後に何か策があったわけではない。支給された金をどう使うかも分からず、彼らは横浜という街で路頭に迷っていた。ボスが用意してくれたホテルで、武器を手入れするだけの一日を過ごした事もあった。

 そんなある日、メンバーの一人が唐突に言ったのだ。『じゃあ、俺達も街に溶け込めばいいんじゃないか』と。

 次の日から、彼らは駅前を始めとして、許可された場所で小さなライブを開いた。趣味でやっていた時と同じ、黒一色と白一色で分けた特攻服を身に纏い、ヘヴンヴォイスは音楽バンドとして、街への転入者として、横浜に歌を響かせたのだ。

 数日後、彼らのライブを見たラジオ関係者がライブ終了後に声を掛けてきた。『君達、もう少しやってみる気にはならないか』という、スカウトの言葉だった。

 初めは全員、気が乗らなかった。自分達がこの国に来た理由は街の裏に潜む組織についての情報を知るためであり、表の世界で活躍するのが仕事ではないからだ。

 数知れない多くのバンドが聞いたら嫌味にしか聞こえない話だが、ミル達には重要な問題だった。自分達は趣味として、この街への贈り物として演奏していただけなのに、名誉など受け取ってしまって良いのだろうか?彼らは悩み、安定しつつあった日常の変化に戸惑っていた。

 しかし、互いに頭を捻り合う中で同僚のルースが素朴な疑問を呟いた。

 『長期滞在するなら、金稼がないとヤバいんじゃね?』

 その言葉に、メンバーはホテルの一室で凍り付いた。彼らは任務遂行の事ばかり考えていただけに、一番大事な事を忘却のかなたに捨ててしまっていたのだ。

 これまではボスが渡した金で過ごしていけた。ホテルの宿泊料も払えたし、食料はコンビニで済ませていた。だが、それがいつまでも続くなんて事はない。

 そのときメンバー全員が出した結論は、エゴイズムな殺し屋にも関わらず統一したものだった。

 『働こう』

 それからの彼らの動きはこれまで以上に迅速的だった。駅前で歌って、スカウトマンと話を付けて、初めて仕事を貰った。初めての仕事は横浜のライブ会場で行われる中規模の生ライブだった。

 そこで多くの観客の目を奪ったのが、メンバーの紅一点であり、二度は振り向くほどに美人なミルだった。それに気付いたスカウトマンは『まずはクルミちゃんを好きになってもらおう』と言って、公の場に彼女を連れ出した。

 ラジオの生放送のゲストを始め、横浜でのライブの看板となって、どんどんファンを獲得していくミル。時々自分の任務を忘れそうになったが、ホテルに着く度に目に飛び込む銃火器を見て、気が一気に引き締まる。

 約半年ほどで、ヘヴンヴォイスは横浜だけでなく、東京などでも注目されるようになり、テレビに出る日も近いのかもしれない。それが表姿のヘヴンヴォイスだ。

 ――でも、今日でそれらは全部吹き飛ぶ。

 ミルの中に、決して音楽バンドとしての毎日が無益だったという気持ちはない。むしろ、これまでの人生が見違える程に晴れやかだった事が、どこか誇らしかった。これまで手を血で染める事しか出来なかった自分が、今度は人を喜ばせている。それが滑稽に思えて、逆に楽しかった。

 しかし、それはどうしようもない傲慢だと彼女は悟った。幼い頃から殺人教育を受けて育った自分が、どうしてこんなに平穏な日常に身を浸せているのか。そんなのは罪よりも重い冒涜に等しいのではないか。ミルはそうやって、自分の中に現れたもう一つの感情を無理矢理閉じ込めようとした。

 ――何で、簡単に作れた筈の無表情が作れないんだろう。

 『殺し屋は感情豊かではない』。そう言った父に従って、ミルは全ての感情を腹奥で留まらせる事にしていた。故に、彼女は常に鉄仮面を貼り付け、他人との交流をなるべく避けて生きてきた。武器商社の中でも、話す人間はヘヴンヴォイスの面々と社長がほとんどだった。

 ――でも、そんな私の決意はあっさり砕かれた。

 スカウトマンに『もうちょっと笑おうか?』と言われた時、ミルはいとも簡単に笑顔というものを形作ってしまった。それを意識したとき、彼女は自分に対する憤りと悔しさで思わずその場から走って逃げた。

 しかし、日を重ねるにつれてミルの感情は思う存分に引き出され、金森クルミのキャラは簡単に確立した。それは嬉しい事なのだが、ミルにとっては悲しかった。自分が何十年も取り繕ってきた顔に色が塗られ、それを見て誰かが喜ぶ。それは皮肉な事に、ミル自身を苦しめ続けていたのだ。

 だからこそ、あの時『彼』から声を掛けられた時、彼女はどこか安堵していた。

 『ロシアの殺し屋さんが、横浜に何をしにきたんだい?』

 柔和な笑みでそう言った『彼』は、自身を殺し屋と名乗った。あまりにも唐突な告白に呆気に取られていたミルに『彼』は言った。

 『君達の目的を叶える代わりに、手を組まない?簡単な話だよ、この街の裏を一回だけリセットするだけだから』

 早い話、持ちつ持たれつの関係になろうと言っているのだ。目の前の青年の意図を測りかねていると、殺し屋は殺し屋らしかぬ笑みでこう言った。

 『君は街に揉まれ過ぎた。そろそろ本当の自分と再会しなくちゃダメなんじゃないかい?』

 その言葉が、半信半疑ながら『彼』の話を聞くきっかけとなった。

 青年はミルの内に溢れる本心――殺し屋の自分を取り戻すきっかけに出会うこと――を見抜いていたのだ。ミル自身それが分かっていたのだが、今はそれで良かった。

 自分のことを、まだ殺し屋として見てくれている人がいる。当然ヘヴンヴォイスは皆が殺し屋なので言うまでもない。しかし、それ以外で自分の本性を知る人間はいなかった。だからこそ、赤の他人から『殺し屋』として話しかけられたのが嬉しかった。相手が自分の素性を知っている時点でただ者ではないのは承知していた。それでも胸がポカポカしていたのを覚えている。

 そうして聞く事になった『彼』の話は、彼女からしてみれば子供の喧嘩と同程度だった。所属する組織の壊滅。その手伝いの代わりに、組織の全貌を教えるという。

 話を聞き出した最初は、相手を測り兼ねて嫌疑の念を抱いていた。外見は堅気のようで、実は殺し屋。そんな人間から自分の存在を認めてもらったぐらいで心が完全に傾く程、ミルはバカでも無ければ阿呆でもない。

 しかし話を聞いている一方で、こんな考えが浮かんでしまった。

 ――もしかしたら、この仕事を通じて私は、もっと自分になれるかもしれない。

 この街に来て、自分は随分自堕落な生活を過ごしてしまった。その結果、自分の所為で自分が悩み続ける事になってしまった。けれど、ここで仕事を引き受ければ、自分の事も任務の事も両方解決出来るのではないか?そんな淡い考えが、脳裏をじわじわと浸食する。

 彼女が思い描く自分は、今の自分ではない。常に無表情で、淡々と人を殺せる人間こそが本当のミル・アクスタートなのだ。

 ならば『彼』からの依頼は、今の自分にとっても武器商社にとっても良い話ではないか。そう考えていたら、次第にその気になってしまっていた。それに、このままだと横浜の裏側に関係出来ずじまいだ。せっかくのチャンスを逃すわけにもいかなかった。

 あらゆる結論を自分の頭で収束させ、彼女が下した答えは、依頼を引き受けるものだった。

『彼』と別れてから、ミルはこの事をヘヴンヴォイスの面々に報告した。話を聞いて、彼らは俄然やる気になった。ルースだけが「俺は音楽バンド人生を捨てきれねえなぁ」と呟いたが、すでに右手を手袋でカバーしているのが、未練はないと告げていた。

 未練。そんなものは元から存在していない。自分達は、このために国を渡って来たのだから。

***

 現在

 ――そろそろか。

 過去を思い返していたミルは、自分の携帯が着信で震えた事で我に返った。メールの内容を見て、彼女は静かに立ち上がった。

 そして次の瞬間、外から風船が割れたような音がドア越しに聞こえてきた。どうやら、殺し屋同士の殺し合いが始まったようだ。

 ――近くを護衛している奴らの顔は覚えている。無駄な殺しは絶対にない。

 ――私はもう金森クルミじゃない。私の名前は……。

 すうっと空気中の酸素を肺に取り入れ、息と共に自分を再確認する言葉を吐き出した。

 「私は、ミル・アクスタートだ」

 ロシアからやって来た殺し屋は、灰色の目の奥に広がる殺意を全身に滾らせながら、ゆっくりと戦場へと足を向けた。 
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