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Fate/insanity banquet

作者:
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Third day


「また、あの夢……」
 目を覚ました士郎は呟く。まるで自分が体験しているかのような現実味を帯びた夢を見ていたからか、頭はまだぼんやりとしている。
夢に出てきた少年は、この前の夢と同じように年相応とは言えない憂いを持っていた。そして、あの女性から出される謎かけをスラスラと解いていく姿。それは、長い時を生きている賢者のようにも感じられた。
「どこかで会ったこと、あるような。無いような……」
 そう呟くと、昨日は自分の布団の上に寝ていたクロがいないことに気が付く。もう起きてしまっているのだろうか、と思い布団から抜け出す。冬のひんやりとした空気が、布団から出ることでさらに強く感じられる。
時計を確認すると、時刻は七時四十五分。昨日よりは早いが、通常の起床時間と比べると遅い。急いで着替えを済ませて襖を空けると、ふわりと美味しそうなにおいがしてきた。今日は桜が間桐の家に戻っている日のため、朝食を作るのは自分だ。しかし、この時間まで起きれていないと、恐らく凛やアーチャーが作ってくれているのだろう。顔を洗った後は、まず自分の代わりに朝食を用意してくれた人物にお礼を言おうと士郎は思った。

「おはよう」
 キッチンに立っているのは、やはり凛とアーチャーの二人だった。士郎のエプロンを付けている二人は、彼の声が聞こえると振り返る。文句言いたげな表情をしていた凛は、士郎の顔を見るとその表情を変えた。
「士郎、大丈夫? あんまり、顔色良くないけど」
「え?」
 予想していなかったことを言われ、戸惑ってしまう。確かに、スッキリと目覚めた訳ではないが、そこまで具合が悪いわけではない。今の自分は、他人に指摘されるほど酷いのだろうか。士郎が戸惑っていると、凛が続ける。
「ちょっと青白いっていう感じよ。ねぇ、アーチャー?」
「そうだな。完全な健康体には見えないな」
 特に皮肉は付け加えず、アーチャーも淡々と答えた。他人にここまではっきりと言われると少し、自分でも不安になってくる。だが、風邪のような症状は無い。なんと答えようかと迷っていると、凛が口を開く。
「ま、具合悪くないならいいんだけど」
 凛はそう切り捨てるが、その瞳はどこか心配そうだ。
「あぁ、悪くは無い。と、思う」
 彼女を心配させまいと思って答えたのだが、何とも頼りない答えになってしまった。
「自分の体調管理くらい、ちゃんとしてもらいたいものだな」
 やれやれと肩を竦めるアーチャーむっとするが、ここで余計な体力を使うのも勿体ないため、何も言わずにいた。すると、士郎のその反応を珍しそうに彼は見ていた。彼女は食器棚から茶碗を出しながら言う。
「セイバーには、ご飯出来る前に新聞取ってきてって頼んだの。でもちょっと遅いから見てきてくれる?」
 士郎は頷き、まだ今日顔を合わせていない二人のことを思い出す。
「分かった。あ、そういえば時臣君と、クロは?」
「クロが朝、庭に出て行って帰ってこないから、時臣君に探して着てって頼んだの。でも、こっちもまだ帰って来てないわよね……」
 凛の言葉に、なるほどと頷く。
「そっちも見てくるよ。あ、そうだ言い忘れてた。二人とも俺の代わりにありがとう」
 士郎の口から紡がれた何気ない感謝の言葉に、凛の顔は一気に赤くなる。そして、お決まりの文句を言おうと思った時には、すでに士郎の姿はキッチンには無かった。

 そして、凛から仕事を言いつけられたセイバーが何をしているのかというと。
「ふはははは! セイバー、我が来てやったぞ! さぁ、我妻となるための準備を……」
「はぁ……」
 本気で怒りを覚えていたのは、最初の数回。何度も何度も同じことを繰り返されると、だんだんと怒りを通り越して、感情は呆れに変わるのだということを、セイバーはここ半年で学んでいた。
「英雄王、あなたは、ほぼ毎日こんなことして飽きないのですか?」
 彼女の前に立つのは、英雄王ギルガメッシュ。黒のライダースーツに身を包み、金の髪と赤の瞳を持つ姿は、誰が見ても美しいと答えるだろう。黙っていれば。本当になぜこの男は口を開くのだろうかと、何とも理不尽なことをセイバーは考えていた。
「お前が、我の妻となるその時まで、諦めるなどということをするはずがなかろう。さぁ、今日こそ……」
 ギルガメッシュが彼女に近づき一歩踏み出した時、二人の間に割って入るように黒い物が姿を現した。そのシルエットを見て、彼は呟いた。
「ん? 猫」
「クロ」
セイバーに名まえを呼ばれると、ちらりと一瞬彼女に視線を向ける。だがすぐに、ぴんと耳を立てて、金色の瞳にギルガメッシュを映す。そして、みーと鳴きながら、のこのことギルガメッシュに近づいていく。
「なんだ。王である我に、何か頼み事でもあるのか?」
 繰り返し、みーみーと鳴くクロに声を掛ける。クロは行儀よくギルガメッシュの前に座ると、みゃあと甘えた声を出す。実に可愛い仕種だと、セイバーは感じていた。だが、この黒猫には大事なおまんじゅうを取られたという苦い体験もあるため、どうしてもただこの猫がギルガメッシュに撫でられたくてここに来たとは思えない。
 だが、そんな彼女の考えはギルガメッシュには通じるわけもなく。ギルガメッシュは、クロが彼に甘える姿に気を良くしたようだった。
「ふっ、その愛らしさに免じて、我に抱き抱えられることを許すぞ、猫よ」
 ギルガメッシュがクロに向かって右手を差し出すと、クロはひょいと乗る。そして、彼の腕の中にすっぽりと収まる。セイバーもこの猫のように素直になればいいものを、と考えているとクロは体を動かし、ギルガメッシュを正面から見る。
 そのまん丸の瞳が彼の姿を映したと思った瞬間。
「ぐあああああっ?!」
 彼の顔面には、クロの鋭くとがった爪に引っかかれたことで出来た赤い筋の傷が何本か出来ていた。
「何をする?! 獣畜生の分際で、この我に牙を剥くとは!」
 何食わぬ顔で彼の手から抜け出して、尻尾を揺らすクロに怒声を浴びせた。
「クロが向けたのは、牙ではなく爪ですが……」
 冷静にツッコミを返すセイバーだが、正直彼女もクロの行動には驚いていた。すると、ゆらりと尻尾を揺らしながらクロが彼女の前に立った。
「この前セイバーからおまんじゅうを取ってしまったから、そのお詫びの代わりなのだ。それに、何かそこの金ぴか見てるとイライラするし」
 何ともひどい言い方にギルガメッシュは、額に青筋を浮かべる。
「貴様、獣の分際でこの我と同じ言葉を話し、我を愚弄するとは、身の程を知れ……!」
 彼から放たれる殺気。そして、彼の後ろに感じる大きな存在の気配。セイバーは、ギルガメッシュが宝具を使ってクロを仕留めようとしていることに気が付く。たかが子猫にそこまでしなくても、とか。ここであなたの宝具を使われたら、大変なことになるとか。言いたいことが沢山あるが、まずは彼の宝具の発動を止めねばと動こうとする。だが、いつまでたっても、彼が宝具を使うときの金色のあの空間は現れない。
「英雄王?」
 思わず彼に呼びかけてしまった。いや別に宝具を使ってほしい訳はない。無いのだが、こうも警戒していたのに何も起きないと、出鼻を挫かれた気分になってしまうのだ。
 ギルガメッシュのほうも、戸惑っているような表情が混ざっていた。だが、すぐに不機嫌そうな顔をする。
「……いや。興が冷めた」
 クロを憎々しげに見つめながら、彼が背を向け立ち去ろうとした時。ぱたぱたという足音が聞こえてきた。
「あ、クロちゃん。ここに居たんですね。セイバーさんも」
 まだ少年のボーイソプラノ。この衛宮邸にセイバー以外誰が住んでいるかなど彼にとっては興味がないが、そんな小さい少年はいただろうかと考える。すると、セイバーが声の主に向かって答えた。
「時臣、ええ。先ほど、いきなりここに来たのです」
「時臣だとっ?!」
 興が冷めた、と言ったはずの彼は、セイバーが口にした名前を聞くと、血相を変えたように時臣に詰め寄る。
「は、はい」
 いきなり180㎝以上の男に詰め寄られ、時臣は目を白黒させる。
 癖のある茶色の髪に、青の瞳。似ているといえば、彼の知る以前のマスターに似ていた。ギルガメッシュは彼を射抜くような視線でじっと観察している。
時臣の方はというと、いきなり見知らぬ外人らしき男に詰め寄られ、上から下まで観察され、何が何だか分からずに動けずにいた。蛇に睨まれた蛙、ということわざの使い道が身をもって分かった瞬間だ。
「ふむ、似ている。似ているな」
 そう呟くと、真っ直ぐ時臣と視線を合わせる。彼の赤の瞳と時臣の青の瞳が交差する。突き刺すようなギルガメッシュの視線にも、時臣は目を逸らさずにいる。
「時臣」
 いつもの彼からは想像つか無いような、穏やかな声でその名前を呼ぶ。
「はい」
 緊張した声で、彼は答える。
「貴様は、この我が誰だか分かるか?」
 彼の問いかけに、時臣は押し黙る。その沈黙は、質問の意図を探っているように感じられた。時臣は囁くように次の言葉を紡いだ。
「英雄王」
「!?」
 ギルガメッシュが息を飲む。彼の手が、時臣に伸ばされようとした時、時臣は言葉を続けた。
「って、セイバーさんは呼んでいましたよね? お名前は、何とおっしゃるんですか?」
 ギルガメッシュは伸ばしかけた手を途中で止める。そして、無言のまま時臣を見つめた。
「……」
 ふぅと息を吐き出すと、彼の王は不敵な笑みを見せながら答える。
「我は、王の中の王、英雄王ギルガメッシュだ」
 そう名乗る姿は、神々しい物に見える。だが、その中に少しだけ寂しさが混じっているようにセイバーには見えていた。
 三人と一匹が対峙しているところに、ようやく士郎が姿を現す。そして、金の髪の主を見て声を漏らした。
「あ、やっぱお前だったのか。ギルガメッシュ」
 どうせセイバーが絡まれているのだろうと思って来たが、予想は全く外れない。彼はやはり暇人なのだろうか、と思っているとギルガメッシュは片眉を上げて士郎の顔を見る。
「雑種、貴様はいつもに増して、更に貧相な顔をしているな」
「英雄王、我がマスターを侮辱するか?!」
 セイバーのギルガメッシュに対しての態度がいくら少し軟化したといっても、士郎が絡むと話は別だ。今にも剣を抜きそうになる彼女を士郎は慌てて制す。
「落ち着ついて、セイバー。それに、あながち間違ってないから」
 間違いでない、という言葉にセイバーはぎょっとした顔をする。そして、士郎の顔を覗き込む。
「シロウ、どこか具合でも悪いんですか?」
「あ――。ちょっと寝不足なだけだから、大丈夫」
 元気だしとアピールするが、腑に落ちなさそうな表情をセイバーは続ける。それを見ていたギルガメッシュはつまらなさそうな顔して、くるりと三人に背を向ける。
「ふん、我は帰るぞ」
 これ以上付き合ってやるつもりはない、というようにその場から立ち去ろうとする彼を、士郎は呼び止める。
「あ、ちょっと待てよ」
 士郎はギルガメッシュの元に駆け寄る。そして、彼の右頬の赤い引っかき傷にそっと手を伸ばした。
「怪我してる」
 心配そうな顔をして、ギルガメッシュを見上げる。怪我をして帰ってきた子供に向ける母親のような表情に、ギルガメッシュは内心呆れていた。自分は一応、前回の聖杯戦争で彼の敵として立ちふさがった存在だというのに、士郎の今の行動は甘すぎる。まして、受肉しているとはいえ、人間ではない自分に対しても、このように接するなど。だが、士郎は彼のそんな思考はお構いなしに話していく。
「消毒してやるよ。それと、遠坂とアーチャーが張り切って朝食作ってくれたから、食べてくか?」
 悪意の無い善意に満たされた彼の言葉に、ギルガメッシュは内心ため息をつく。そして、士郎の額をピンッと指で弾いた。
「あいたっ」
 じんじんと痛む額を押さえて、若干涙目になる士郎に向かってギルガメッシュはふてぶてしく声を投げかけた。
「この我が口にするのだから、美味なものであるだろうな?」
「ふん、当たり前です。凛とアーチャーの作ったご飯は、士郎の物には劣りますが、かなりの出来栄えに決まっています」
 セイバーが自慢げに言い、その言葉に満足したのか、ギルガメッシュはそれ以上は何も言わずに大人しく彼らの元へ近づいてきた。

 朝食後、それぞれが思い思いの時間を過ごし始める。士郎は洗濯、凛はアーチャーと時臣を連れて街に繰り出して行った。某騎士王は、士郎の淹れた緑茶を飲みながら、まったりとしている。
そして、唯一の来客であるギルガメッシュは、このまま教会に帰るのも癪だと考えていた。帰れば、あの醜悪シスターにランサーと共にこき使われるのが目に見えている。縁側に腰掛けながらどうしようかと考えている彼の前に、先程彼の顔に無数の引っかき傷を残していった黒猫が通りかかる。
「おい、そこな雑種」
 雑種と呼ばれたことに、クロはあからさまに不快感を見せる。
「吾輩は、雑種猫ではないのだ。ジャパニーズボブテイルの純血なのである。それに、シロウは付けてくれた、クロという名前があるのだ。ちゃんと名前で呼ばないと、返事はしないのである」
 ぷいっと顔を背け立ち去ろうとするクロを見て、ギルガメッシュ青筋を立てる。
「この……!」
 ずかずかとクロに近づいたかと思うと、その尻尾を掴み持ち上げる。ぷらぷらと尻尾を揺らされると、体も振り子のように揺れる。
「痛い、痛い! 猫の尻尾を引っ張るとは、金ぴかぁ! いい度胸してるのだ!!」
 ぎゃんぎゃんと喚くクロに、ギルガメッシュは冷ややかな視線を向けていた。
「我が話があるのは、貴様ではない。お前の中の、もう一人だ」
 ギルガメッシュはこの猫と対峙した時、クロの違和感に気が付いていた。この猫には、自分を引っ掻きやがった人格、否猫格以外の人格があると。彼が宝具を使おうとした瞬間に、その気配を感じた。自分の力を赤子の手を捻るように打ち消してしまった。簡単に信じたくはないが、この猫に相当な力が蓄積されているのは事実だ。
もう一人という言葉に、クロは心底めどくさそうな顔する。
「はぁ? 何言ってるのだ。マリョクが足りないのに、金ぴかのために出てくるわけないのだ。あいつが出てくるのは、シロウがピンチでどうしようもない時だけである。多分」
「いいから、姿を現せ」
 凄みを含んだギルガメッシュの言葉に、威勢の良かったクロは初めて口を噤んだ。静かになったと思うと、クロは大きく体をしならせて尻尾を鞭のようにふるう。その動きにギルガメッシュは思わず手を離してしまった。空中で一回転し、猫は地面へと降りたつ。そして、やれやれというように首を左右に振った。
「随分なご挨拶だな、英雄王、ギルガメッシュ」
 落ち着いている声は、今までギルガメッシュの前にいたクロのものとは違う誰かのものだということを表している。自分が引きずり出したそれを見て、ギルガメッシュは満足そうな笑みを浮かべていた。
「ほう、我の事を知っているとは、貴様も英霊の類か?」
「いや、違う。そんな大層なものではないよ。というか、クロを痛い目に合わせないでくれ。魔術には対抗能力を埋め込んでいるけれど、直接的な攻撃には脆い」
 宝具などはもっての他だ、と言う猫を見て、やはり自分が先ほど宝具を使おうとした時に邪魔をしたのは、この猫なのだとギルガメッシュは断定する。ギルガメッシュは目を細めて猫を見つめる。
「貴様が何者かなど、我にとってみればどうでもいい。だが、気になることがあるのでな」
「気になることとは?」
 猫はギルガメッシュに近づきながら尋ねた。
「お前は、この平穏を脅かす存在なのかどうか、ということだ」
 ギルガメッシュの問いかけに、猫は目を丸くする。唯我独尊で傍若無人な彼が、そのような些細なことを気にするとは何とも気味が悪いと思ってしまう。
「……そうだとボクが答えたら、君はどうするんだい?」
「この世を乱してよいのは人間のみ。貴様は人間ですらない存在、そのような物に、今を渡してやるつもりはないぞ」
 害となる存在ならこの場で消すと、ギルガメッシュの瞳は告げてた。彼の金色の瞳と、猫の赤の瞳が交差する。猫は大きく体を伸ばした。
「一度は人類の破滅を望んだというのに、今度は人の平穏を望む。君は実に面白い存在なんだな」
 くすりと笑みを漏らし、猫は彼を見上げる。ギルガメッシュは不快そうに猫を見る。
「何故、貴様がそれを知っている」
 彼のそちらの問いには、曖昧な返事を返すだけだった。猫は怪しげに尻尾を揺らして答えた。
「ボクもクロも、衛宮士郎のことが好きだからね。彼や、彼の大事な人たちを殺させたりはしない。と、答えておくよ」
 ギルガメッシュが望む完全な答えではなかったが、猫の言うものは妥協点だと考えた。もういいだろうというように、彼の前から姿を消そうとする猫に、もう一つ尋ねる。
「それと、だ。あの雑種に細工をしたのも、貴様なのか」
 自分の額を指さしながら言う彼を見て、猫は再び目を丸くさせて驚いていた。
「驚いた。まさか他人に気づかれるとは思っていなかったよ。ましてや、魔術師でない君にね」
 ふぅと息をつき、手品のネタばらしをするように生き生きと猫は語り出す。
「クロに残っている力だけでは不十分だったから。彼と顔を合わせた時に少し、ね。大したものではないよ。クロが彼を選んだから、ちょっと教えてあげたくなっただけだ」
 そこまで言うと、はっと何かに気が付いたような反応を示す。そして、悪戯っぽい声で彼にあることを指摘する。
「雑種と言い、蔑んでいる割には、君は衛宮士郎のことをよく見ているんだね」
 その言葉にピクリと反応を示す。そして、一層不快そうな顔をして、地を這うような低い声で猫に命令する。
「もういい、去れ」
「勝手に引きずり出しておいて、君は横暴だな」
 はぁとため息をつくが、猫自身もこれ以上彼と話すことは無いようだ。猫は庭を駆けて行き、彼の視界から完全に消えた。衛宮邸の縁側に再び静寂が戻った。彼は大人しく縁側に座ったままでいる。
あの猫は、衛宮士郎を守ると言った。猫が自分の事を英雄王だと知っていたのなら、士郎の隣にいるセイバーの正体が騎士王であるということも、知っているのかもしれない。そして、それを知りながら、「守る」と口にしているのだとしたら。
そこまで考えたことで、ギルガメッシュは自分の思考を停止させる。それだからといって、何を不安がる必要がある。この家には三騎のサーヴァントがいる。そして、将来有望な魔術師と自分を倒したこともある男もいる。そう、もしこの地に何かが起きたとしても、彼らの力であればそれを抑え込むことは出来るはずだ。それなのに、なぜこんなにも自分は違和感を感じているのか。
一瞬彼の脳裏を過ったのは、前の聖杯戦争の時の自分のマスターによく似た少年の顔。
「馬鹿馬鹿しい」
 そう呟くと彼は姿を金の粒子に変え、その場から消えていった。

 時臣の手を引いて、ルンルンという効果音が付きそうなほどテンション高く凛は新都のビル街を歩いている。そんな二人を少し離れた後ろからアーチャーは見守っている。
「凛さん……ちょっと早いです」
 十歳の少年と十八歳の少女の歩幅は結構違うものであり、歩いているとき常に早歩きで歩を進めることに、時臣は少々疲れを感じていた。だが、その訴えを受けた凛は、彼の言葉は耳に入っていないようだった。
「せっかくなんだから、洋服とか、色々買いましょう。あなたが持ってきたのって、本当に最低限の荷物だけだったじゃない。今日は、奮発して必要なもの買ってあげるんだから」
 普段の貧乏性の彼女からは信じられないような言葉が飛び出し、アーチャーは思わず小さく笑ってしまった。
 時臣はそんな彼女の行動を嬉しくも、複雑な思いも抱きながら受け止めていた。いきなり転がり込んできた自分に、ここまでしてくれるのは何故なのかと。あの家に住まわせてほしいと言ったのは自分だが、まさかここまで優しく世話を焼いてもらえるとは思っていなかった。凛は、自分をまるで弟のように扱ってくれる。家族のように接してくれる。時臣にとっては、そういった家族愛のようなものはほとんど感じたことの無い物だった。

 時臣は、決して恵まれたとは言えない生を送ってきていた。彼の父親と母親はもういない。彼の生まれた日に、違う場所でそれぞれ命を落としたのだという。
彼の母は元々心臓に病を抱えていた。それでも彼を出産することを決め、出産に望んだ。赤子は何一つ問題なく生まれた。それに安堵したのも束の間。彼女は彼を出産した後出血が止まらず、医師たちの努力もむなしく、命を失った。
一方彼の父は、仕事場から病院に向かう時に命を落とした。出産が近いという連絡を受け、電車で病院に向かうためにホームにいた時だ。早く駆けつけたいという気持ちのためか、一番前で電車を待っていた。そして、彼の後ろに立つ男は、電車が来た瞬間、彼の背中を強く押した。驚く間も彼には無かったはずだ。恐らく即死だっただろうと、到着した救急隊は語ったという。
陳腐な昼ドラマのワンシーンのような、この偶然の悲劇はそうして起きた。
まるで二人の命を代わりに生まれたかのような彼を引き取ったのは、彼の父の妹、彼にとっての叔母にあたる人物だった。子供が好きだと話していた彼女は、時臣を快く受け入れた。たった一人になったこの赤子を救えるのは、自分しかいなのだと思って。彼女は自分の本当の子供のように彼を愛した。
 だが、共に暮らすにつれて、彼女はあることに気が付いた。時臣は、自分の兄である父親にも、自分の義姉である母親にも似ていないということに。日本人離れした青の瞳にゆるいウェーブのかかった茶色の髪。自分の兄も義姉も、生粋の日本人であった。だから青の瞳の事もが生まれるはずは無い。最初に彼女が疑ったのは、代理母出産だ。だが、心臓の弱かった義姉がわざわざそんなことをするはずがない。それならば、誰にも似ていないこの兄と義姉の忘れ形見は、一体誰なのか。
 一度抱いてしまった不信感は、拭えない。いつしか彼女は、彼に辛く当たるようになっていった。愛していたはずなのに、彼を見ているだけで心が痛む。矛盾した感情は、彼女の心を蝕んでいくこととなる。

 一方の時臣は、幼い頃からどこか冷めた感情をいつも持ち合わせていた。物心ついた時には両親はいなく、唯一の肉親である叔母には何故だか冷たく当たられる。だが、彼はそれを悲しむでもなく、ただ「自分はそうだっただけ」と割り切って考えていた。中のいい親子を見れば羨ましくも思うが、そういうものもある、と。彼は、叔母を憎みはしなかった。むしろ、歪んでしまっていながら、僅かに自分に向けている愛を嬉しくも思っていた。それでも、もし彼女の前から逃げ出せれば、いつでも逃げ出したいと思っていたが。
 彼に残された両親の形見は、赤い一つの石。小学校に上がる前に叔母から渡されたものだった。彼女もこれが何かは知らない。ただ、彼女の義姉が出産の時に、必死に握りしめていた物だったとは聞いていた。渡されたその日から、時臣は石を光に透かして覗いてみることをよくしていた。そして、その中に人影を見る。石の赤とは違ったオレンジ。包み込むようなその色を持つ人影は、彼の小さな支えであった。
 そんな他人から見れば不幸な毎日を過ごしていた彼に、つい一週間前に更なる悲劇が訪れた。彼の唯一の保護者である叔母が、病を患い入院することとなったのだ。心の病が体の不調まできたし、このまま放っておけば命も落としかねないと判断をされた。もちろんまだ、十歳の彼をそのままにしておくわけにはいかない。
どうしたものかと考えていた時に、時臣はあの黒いセイバーに襲われることとなった。明確に自分を殺そうとする殺気に、驚かないわけがなかった。彼は必死に逃げた。
そして時臣の前には、彼が現れたのだ。オレンジ色の光を持った、衛宮士郎が。彼を見た時に、時臣は直感で感じ取っていた。彼は味方であると。だから、彼と共にいることを望んだ。そして、それが受け入れられたとき、安堵したのだ。
荷物を纏めると言って、一度家に帰った時、彼は叔母に会った。数日彼が家に戻らなかったというのに、彼女は心配するどころか、逆に自分がいる時よりも生き生きとしているようにさえ見えた。やはり、彼女にとって自分は負担でしかないと時臣は冷静に判断していた。必要最低限の荷物を持って家を出ようとする彼に、彼女は一言声を掛けた。
「あなたは、初めから私と居るべきじゃなかったのね」
言葉の意味は測りかねない。時臣は彼女に背を向けたまま、一言さよなら、と言い十年の時を過ごした家を後にした。

 時臣が物思いにふけっている間、凛が決めていた目的地についたようだった。街を埋め尽くすように並ぶビルの中の一つ。凛はこの買い物の前にアーチャーにインターネットで子供服の店を調べさせた。どことなく父に似て、優雅さを漂わせているようなこの少年に、Tシャツを着させるわけにはいかないと、彼女が勝手に考えたからである。ちょっとおしゃれな店のホームページを見て、凛は時臣を連れて買い物に行くことを決めたのだ。
 三人がビルに入ろうとした時。
「待て」
 感情の薄い、声で呼び止められる。凛が振り返ると、そこには黒いゴシックロリータのワンピースを着た少女が立っていた。
「あんた、黒セイバー?!」
 驚きの声を上げたのは凛だったが、それ以上に怯えているのは時臣だった。彼を庇うように凛は、一歩前に出た。黒セイバーを睨みつけて、彼女は自身の中にあった疑問をぶつけていた。
「士郎から話を聞いた時も思ったけど、あんた何でこの子を追いかけまわしてるの? 確かに、あの虎聖杯の時にセイバーが分裂して、あんたが一つの個となったのは分かるわ。でも、時臣君を殺そうとする理由は無いでしょう?」
「理由も何も、これはマスターからの命だ。その少年を殺すようにという」
 淡々とした黒セイバーの言葉を、凛が手で指を折りながら整理する。
「マスターの命令って、あんたは黒桜がマスターで……あれ、でも分裂した後は……」
 ややこしい計算をしているように、頭の中がこんがらがってきた凛にアーチャーが声を掛けた。
「凛、考察するのは、この場を切り抜けた後だ」
 彼の言葉にはっとして、戦闘態勢に切り替わる。いつでもガンドを打ち出せるように人差し指を黒セイバーに向ける。だが、アーチャーはそれを制する。
「凛。君は時臣を連れて、ここから逃げろ。私が彼女の相手をする」
 せっかく戦闘態勢に入ったというのに、と文句を言いたげな顔をする彼女にアーチャーは苦笑しながら言う。
「今日は休日だろう。こんなところで戦うなんて、無粋だ。私に任せて、君たちは休日を楽しんだ方がいい」
 彼の言葉に一瞬考える素振りを見せる。だが、行動はすぐに決まったようだった。凛は時臣の手を握りなおすと、走り出す。
「ありがとう。アーチャー、やられんじゃないわよ!」
 凛はそれだけ言うと、人ごみの中に紛れ込んで行った。
 二人を追っていくことはしない黒セイバーに、アーチャーは声を掛ける。
「君の新しいマスターがどんな人物か、気になるものだな」
「シロウともサクラとも違う。私のマスターは、自らの願望に忠実な人間だ」
 黒セイバーの言葉に、アーチャーは眉を寄せる。
「自らの願望だと? それが時臣を殺すことだというのか」
 彼の言葉に、黒セイバーは首を左右に振って否定する。
「否。あの方の願望は、世界を滅ぼしかねない、野望とも言えしもの。だが、それを求めし信念は、どんな人間よりも美しい」
 彼女の言葉を聞き、アーチャーは自分の中の「正義」が疼くのを感じた。どうやら、自分が見過ごすことの出来ないものを彼女と彼女のマスターは起こそうと押しているのだと分かったのだ。
「君たちの行動は、平和を乱すもののようだ。それを黙って見ているわけにはいかないな」
 黒のシャツを着たまま、彼は両手に投影したいつもの夫婦剣を握らせる。プリン風呂を士郎と共に彼女に作ったこともあったが、この冬木の脅威となるのなら、ここで消すべきだと、そう結論を下した。
 そんな彼に、あ、と黒セイバーは言い、大事なことを付け加える。
「それに、マスターはケチャップを常に私に持たせて下さる方だ。プリンにパフェ、ハンバーガーを食卓に並べて下さる。素晴らしい方だ。そんな方の命令に背くわけにはいかない」
「……そ、そうか」
 少々気が抜けてしまったアーチャーだが、彼女が手に黒き剣を握ったことで気を引き締めなおす。
「マスターは、任務遂行に邪魔となる人物の排除を認めている。アーチャー、ここで一度お前には退場願おう」
 黒セイバーの言葉を合図に、二人の剣を握る手に力が入る。一陣の風が吹いた後、互いの刃がぶつかり合っていた。
 新都の真昼間。いきなり響いた金属音に、辺りの人々は二人の戦いをヒーローショーか何かと勘違いして、わらわらと集まってきたのは仕方がないことだったかもしれない。

 黒セイバーと対峙した場所からかなり離れたところで、二人は一度歩を緩めた。
「凛さん、アーチャーさん一人に任せてしまって大丈夫ですか?」
 自分たちを守るために、足止めとなった彼を心配そうに気遣う時臣。凛も凛で、こんなことを前にもアーチャーに頼んで、ちょっとひどい目に合わせてしまったことを思い出し、少しだけ不安になっていた。だが、すぐに気持ちを入れ替える。
 ――サーヴァントを信じないで、何がマスターよ。
 凛は笑顔で答える。
「大丈夫よ。アーチャーは強いし、それに黒いセイバーも、アーチャーのご飯が食べられなくのは、きっと困ると思うわ」
 お子様舌の彼女は、士郎とアーチャーの作る食事が随分と気に入っているのだ。大事な食料を提供してくれる一人を殺すはずは無い。ましてや、今は聖杯戦争が行われているのではないのだ。
 それはそれとして。せっかく買い物に来たのに何も買わずに帰るというのは悲しいものだ。どこか別の場所で買い物をしようか、と考えていると、彼女の目に見慣れた紫色の髪の少女が映った。
「あれ、桜?」
 凛の前を通り過ぎようとしていた桜は、彼女に呼び止められたことで大きく驚きの表情を見せる。
「ね、姉さん?! ど、どうしてここに?!」
 凛に向き直る時、彼女が背中に誰かを隠したのを凛は不審に思う。
「なによ、何隠してる……の?」
 桜を押しのけて、その誰かを確認する。そこには、白い髪をした時臣と同じくらいの背の少年。彼を見た時に、桜の焦りがつたわってきた。 間桐桜は、その日嫌々ながら間桐家に戻った。折角の休日、出来ることなら衛宮邸でのんびりと過ごすはずが、なぜだかこちらの家に戻ってきてしまった。それもこれも、自分を呼んだ彼女の祖父の間桐臓硯のせいなのだが。
 雅じゃない方のアサシンである、臓硯のサーヴァントのハサンから伝言を貰ったのだ。彼曰く、「孫娘殿が来て下さらないと、魔術師殿が大変な目にあってしまわれる」という。それだけ告げると彼は慌てて間桐の屋敷に帰っていった。
臓硯など、そのまま大変な目にあって、こっちが手を下す前にその命の灯を消してしまえばいいのに、と思う桜は通常運転だ。大体、厄介事ならば家でネットをしている慎二に頼めばいいのだ。などと考えても、何だかんだでもどってしまう彼女。
 そうだ、帰りに本棚にしまいっぱなしにしていた「終末の老人介護。首をぎゅっとね」を持って衛宮家に帰ろう、そして、もう一度最初から最後までじっくり読み直そう。そう考えながら、桜は応接間につながる扉に手をかけた。
「おじい様、それで何の御用で……」
 重い扉を開けた先にいるであろう妖怪に声を掛けた桜は、部屋の中を見た時に息を飲む。椅子に座っている臓硯、そして彼の前に立つハサン、とここまでは分かる。問題はその次だ。ハサンの手から伸びる鎖によって、ぐるぐる巻きにされている白い髪の主が地面に倒れている。
 一体これは何だと思っていると、黒い長身が動いた。
「ま、孫娘殿――!」
 桜の声を聞き、若干涙声でハサンが彼女の元にやってくる。その間も鎖は手に握られているので、白い髪の少年は床をずるずると引き摺られている。うめき声が聞こえたのも、気のせいでは無さそうだ。
「孫娘殿、来て下さったんですね。もう私だけでは、この方を押さえられなくて、どうしようかと思っていたんですよ!」
 この方と言い、床に転がる少年を指さす。顔は下を向けていて分からないが、桜には白髪の少年などという知り合いはいない。彼女はハサンに詰め寄りながら尋ねる。
「この方って、一体誰なんですか? 見たことない子供が、いきなり自分の家で、鎖に巻かれて転がされてたら、さすがの私もびっくりします」
 ハサンは申し訳なさそうな声で説明している。
「それが、私も彼が誰かは、詳しくは分かっていないのですが……。魔術師殿に言われて、待ち合わせ場所に行くとこの少年が立っており、なんやかんやでここに連れ帰るやいなや、いきなり魔術師殿に攻撃を仕掛けてきてですね。ちょっとこれじゃいかんと思って、簀巻きにしてみたのです」
 簀巻きというのは、鎖でも使う言葉なのだろうか、と少々不思議に思いつつ。臓硯に攻撃、と聞き桜は目を光らせる。
 ――おじい様にそこそこの恨みを持ってるってことよね。
 もしかしたら、自分と共に戦ってくれる存在かもしれない。いや、戦うというか一方的に弄るというか。ふふふ、と黒い笑みを見せる桜。とりあえず、期待を持ちながら少年の前にしゃがむ。少し緩くなった鎖のおかげで、少年は顔を上げて桜の顔をその瞳に映す。
 彼の瞳に自分の姿が映る。
「さくら、ちゃん?」
 時が止まったようだった。
彼が呼んだ自分の名前。あの時、苦しそうに、どこか寂しそうにその名前を呼んだ人を。桜は知っている。
「雁夜、おじさん……?」
 なぜ自分が、目の前の彼をそう呼んだかは分からない。だが、自然と出てしまった。あの時と同じところなんて、白の髪しかない。大きな大人であった彼は、こんなにも小さな子供だ。濁ってしまっていた左目も、醜く歪んでいた傷も、そこには無い。何もかも違うはずなのに、どうしてもこの少年が間桐雁夜だと考えてしまう。
間桐雁夜は、十年前の聖杯戦争で命を落とした人。そして、私を……。
少年を見て言葉を失っていると、向こうから桜に話しかけてきた。
「お姉さん。まだ、小学生の見た目の俺に、おじさんってひどくない? 名前は、合ってるけどさ」
 目の前の彼は、頬を膨らませながら不満げに言う。先ほど自分の名前を呼んだ時との違いに驚きながら、桜は矢継ぎ早に尋ねる。
「おじさんは、私のこと覚えるから、さっき桜ちゃんって言ったの? あなたは、雁夜おじさんなの?」
 桜の問いかけに、彼は嫌そうな顔をしながら答える。どうにも、「おじさん」というのが嫌そうだった。
「おじさんじゃないって。なんとなく、お姉さんの名前みたいだなって思って呼んだだけ」
「そう、なんだ」
 はぁと息をつくと、彼は口を尖らせながら言う。
「っていうかさ、そのお姉さんが言うおじさんに、俺が似てるって、失礼だよね。おじさんってことは、三十歳は過ぎてるんでしょう。それに似てる小学生って、すっごくへこむ」
 言われてみればそうだ、と思い桜は呼んだことの無い呼び方でかれを呼んだ。
「ご、ごめんなさい。じゃあ、か、雁夜君?」
「うん、何、お姉さん」
 にっこりと自分に笑顔を見せる。あの人は自分に、こんな笑顔は見せてくれなかった。いつも辛そうに顔を歪めて、無理やり作った笑顔を。いや、あの人とこの目の前の彼は違う。そう割り切り、
「雁夜君は、どこから来たの?」
「うーん、なんていうか。この家の養子なった感じ?」
 またまた言葉を失ってしまう。そんな話、今の今まで聞いたことがなかった。この頃自分が家に帰っていなかったとはいえ、義兄が知っていれば、自分に話していただろう。桜があまりの衝撃に目を丸くしていると、彼は指を折りながら話していく。
「俺ってさ、小さい頃から、『マキリ』っていう言葉を知ってた。事あるごとに、俺が無意識に『マキリ』って言ってるのを聞いて、父さんと母さんが気味悪がっててさ。その上、病気になってこんな見た目になっちゃったし。あの人らにとって、ますます気味の悪い子供になった時に、俺を養子に欲しいって言って来た人がいた」
 それがあの人、と二人のやり取りを椅子から黙って見ていた臓硯を、彼は指さした。
「それで、とんとん拍子で、俺はマキリの養子になったわけ」
 はい、おしまいという彼の話だけでは、まだよく分からない。桜は臓硯を振り返り尋ねた。
「おじい様、これは一体……」
 聞いてから彼のボケが結構進行していたことを思い出す。あ、無理かもと思うが、その予想は外れて、彼はしっかりとした口ぶりで話す。
「ふん、何の因果か知らぬが、あれに似た子供が不遇な生活を送っていると耳に挟んでな」
「別に俺は、あの居心地悪い家、嫌いじゃなかったけど」
 棒読み口調で横から口を挟んだ彼の言葉は、臓硯には無視される。
「あやつに似ている子供なら、儂の元で、こき使うのも悪くないと思ったまで」
「あんたが、俺にいきなりそういうこと言うから、さっき攻撃したって気づいてるか、じじぃ」
 鋭い視線を向けながら彼は言うが、またも臓硯は華麗にスルーしている。彼は桜に射抜くような視線を向けた。
「桜、こやつは似てはおるが、あやつとは違う。それを努々忘れるなよ」
 そこまで言うと、臓硯は椅子からよろよろと立ちあがる。ハサンが駆け寄り、彼を支えながら歩いていく。二人が部屋を出たことで静寂がその場を包む。
 似ている。だけれど、違う。それは、当たり前だ。彼の話を聞けば、彼が間桐で生まれた人間でないことは明らかだ。それでも、彼に出会えた今の自分は歓喜している。
 気が付いていたら、桜は彼を抱きしめていた。
「お、お姉さん?!」
 豊満な胸に押し潰されながら、顔を赤くする彼だが、桜はより強く手に力を入れる。
「雁夜君は、私が守る。今度は、私が守る番」
 あの時は分からなかった。なぜあの人が、あんな体になってまで自分の元に戻って来たのか。でも、今なら少し分かる気がする。誰かが愛おしいと、誰かを守りたいと。そういう思いをしった今の自分ならば。
 雁夜は、恐る恐るといった様子で桜の背中に手を回す。彼女の暖かさを強く感じる。それに安心を覚えながら、少年は彼女に体重を預けた。
 などというやり取りを説明したいのだが、今の凛は雁夜に興味津々な様子だ。雁夜のほうは、いきなりじろじろと見られることに驚きながらも、特に嫌がりはせずに大人しく立っている。
 一通り眺め終わったのか、凛は桜に視線を移す。
「で、どこから誘拐してきたの?」
 によによと人の悪い笑みを浮かべてからかって来た凛に、桜は顔を赤くしながら反論する。
「してません! 姉さんと一緒にしないでください!」
「それ、どういう意味よ!」
 彼らの保護者のような二人が言い争っていると、凛の後ろに隠れていた時臣の近くに雁夜が近づいてくる。
「俺は、間桐雁夜っていうんだけど、お前は?」
 マトウカリヤ。
 その名前を聞いた時に、ずきりと時臣の頭に痛みが走る。その痛みが何によるものなのかは分からない。だが、目の前に立つこの少年が、マトウカリヤだということに驚きを感じている自分もあった。マトウカリヤは違う、と。
 黙ってしまった時臣に、雁夜は心配そうな顔を向ける。それに気が付くと、時臣は口を開いた。
「僕は、ときおみ……、遠坂、時臣」
 遠坂、という姓は凛が名乗るように言ったものだった。彼が衛宮邸に来たその日、彼女は時臣に言ったのだ。自分は時臣の姉になる。そして、時臣は自分の弟になるのだ、と。だから、これからは遠坂時臣と名乗ってほしいと。
 驚きながらも、時臣はそれを了承した。自分の前の姓に執着があまりなかった、というのもあるが、「遠坂」というこの姓はとても自分に馴染んでいたと感じたのだ。自分が「遠坂時臣」になることは、誰かに決められていたようだ。
 時臣の名を聞いた雁夜は、小さく「トオサカトキオミ」と繰り返す。その姿は、何かを確かめているようにも見えた。
「そっか。よろしくな」
「うん。よろしく、間桐君」
 ふわりとした笑みを見せた雁夜に、圧倒されながらも時臣も答えた。すると、よそよそしい彼の呼び方に、雁夜は待ったをかける。
「雁夜でいいよ。だから、時臣って呼んでもいい?」
「うん、もちろん」
 また、頭の奥がずきりと痛む。まるで、彼との会話が間違っているとでもいうように。
間違っている。
 彼と自分は、こんな風にあるべきではない。
 時臣の心の中に生まれた違和感は、とある物のせいで一旦は隅に置かれてしまうこととなる。

 一方その頃、新都の中心でヒーローショーもどきの戦闘を行っている、黒セイバーとアーチャーはというと。
「なかなかしぶといな、アーチャー」
「君も、簡単には折れてくれ無さそうだ」
 奇跡的に繁華街への被害は、道路のひび割れのみと最小限に抑えられている。宝具の剣を使っていながら、ここまで被害が抑えられているのは、二人が加減しながら今までは戦ってたということ。だが、なんとなく雲行きが怪しくなっていく。
 二人の纏う気が、今までとは違う
「だが、これで決める……!」
 黒セイバーはそう声に出すと、彼女の宝具である約束された勝利の剣を天高く振り上げる。アーチャーがそこから放たれる一撃を予測し、それを避けようと飛んだ時。
その声は響いた。
『そこまでよ、セイバー。何考えてるの』
 呆れを含んだ声は、少女のものであった。
「マスター」
 黒セイバーが発した言葉で、声の主が何者なのかアーチャーも理解する。声はどうやら自分たちにしか聞こえていないようだった。彼らの周りに集まっていた人々は、二人の戦いが止まったことで、ヒーローショーが終わったと判断したのか、段々と血っていった。
 声の主、黒セイバーのマスターは大きくため息をつきながら、黒セイバーに向けてねちねちと文句を言う。
『こんな街中で戦闘を始めただけでも、大変だっていうのに。その上、宝具まで使われたら、こっちだってフォロー効かないわ。そういうの分かって行動してほしいものね。いくらマスターの命令だっていっても、何してもいいって訳じゃないのよ』
「も、申し訳ない」
 反省しているのか、大人しく謝った黒セイバー。黒セイバーの様子に、くすりと彼女は笑い声を漏らしていた。
『分かったら、早く帰ってきなさいな。お昼ごはんに、マスタードたっぷりのホットドッグ用意しているんだから』
「はっ」
 そうそう、と思い出したように声は続けた。
『それと、セイバー。あなたがここで、その弓兵を足止めしてくれたお蔭で、あちらはもう片付きそうよ』
「どういう意味だ!」
 あちら、という言葉を聞き、アーチャーは声を荒げた。彼女は楽しそうな声を隠しもしないで言う。
『あの子たちの元には、黒き狂犬を行かせたの。もう二人とも噛み殺されているかもね』
 その後に続く笑い声を聞き、アーチャーは顔を青くする。もし、他のサーヴァントが凛と時臣の元に行っていたら。人間とサーヴァントの違いは明らかだ。普通、サーヴァントは人間が頑張って勝てる存在ではない。
「っ!!」
 彼は弾かれたようにその場を後に、走り去っていった。
『あらら。今から行ったところで、完全に手遅れなでしょうに。サーヴァントっていうのは、よく働くものね』
 声の主は、心底楽しそうに笑っている。無駄だと分かっていても、何かせずにはいられない、哀れな存在。そんな愚かな存在も、なんて愛おしいのだろうと。彼女はアーチャーの必死な姿を見て、笑っていた。
 黒セイバーは、そんな主の元に戻っていくべく、体を粒子へと変え、繁華街の喧騒の中に消えていった。

 そして、その狂犬はちょうど凛達の前に姿を現していた。黒い鎧に身を包んだ姿。何だか、ちょっとどころではないヤバさが鎧からでろでろと出て来てしまっている。
 距離にして三十mほど。無視したいのだが、無視できない存在感をその狂犬は放っていた。
「■■■■■――――!」
 何と言っているか分からない叫びをあげるそれに、雁夜はぽつりと呟く。
「バーサーカー……?」
 それが何を意味する言葉なのか、はっきりとは分からない。だが、無意識のうちに口からこぼれていた。
「た、確かにあの理性無くしっぷりはバーサーカーっぽいけど、というか何で新しいサーヴァントが現界してるの? あぁ、もう!!」
 先ほどの黒セイバーといい、一体この冬木に何が起きているのかと、頭を抱える凛。すると、彼女の服を時臣がちょいちょいと引っ張る。
「あの、凛さん。あれ、僕らのほうに向かってきてませんか?」
「え、そんなわけ……」
 彼女が否定しようとすると、桜も続ける。
「姉さん、あのバーサーカー、何かに気が付いたみたいですよ」
 桜の言う通り、バーサーカーはの体は凛たちに向けられている。
「真っ直ぐこっちを見て」
 バーサーカーの兜がこちらを向いたのを見て、時臣が言う。
「こっちに向かって猛ダッシュ……」
 唸り声を上げながら走ってくるバーサーカーを雁夜が実況する。黙って見ていた凛は三人に指示を出す。
「逃げるわよ!!」
 さすがの凛も、バーサーカー相手に戦いを挑むつもりなど毛頭ない。自分以外の三人を守りながら戦うなんて、もってのほかだ。出来るはずがない。だが、自分たちに戦闘意志がなくとも、あちらにあるのは確実のようだった。必死に走るが、どんどんと間合いを詰められていく。というか、あのバーサーカー、何で道路の標識持って走ってるんだろう。まさかあれが武器なのか。などと思い走る、走る。
 と、凛と手を繋いで走っていた時臣がいきなり地面に倒れこむ。それにつられて凛も地面にダイブ。
「えっ?」
思わぬ事態に、桜と雁夜は二人を二度見してしまう。時臣が転んだ原因は、地面に落ちていた木の棒を踏んだことのようだった。少し後ろに、二つに割れた木の棒がそこにあった。まるでマンガのような展開に、桜と雁夜は何も言えずにいる。半ズボンを着ているため、膝を思いっきり擦りむいている時臣は涙目だ。
だが、そんなことはバーサーカーには関係の無いようで。捕まえた、というように四人の前に仁王立ちする。絶体絶命。四人の頭にその文字が浮かんだ時だ。
「吾輩は、猫である!」
 聞き覚えのあるその声。自信に溢れた声だ。
目の前に現れたクロ。その声は頼もしい物だったが、何ともこのままだと頼りない姿だ。だって、ただの猫だし。せっかく家からここまで来たのなら、セイバーやライダー、士郎を呼んできて欲しかったと凛は思う。すると、それに気が付いたかのようにクロが凛を振り返る。
「リン。今、吾輩に対して、失礼なことを考えただろう!」
「何のことかしら?」
 白を切る彼女に不満そうな視線を送るが、すぐに目の前のバーサーカーに視線を戻す。
「クロは強いのだ。こんな変な黒い塊に、吾輩が負けるはずない」
 クロの周りに黒い渦が巻く。そして、みゃおんと声を上げると、大きく跳躍した。
 黒の渦が晴れた時、そこにいたのは黒の子猫ではなく。
 黒のショートカットに、豊満な胸、すらりと伸びた足。その体を包む水着、というかビキニ。そして、人間の姿でありながら感じる違和感、黒い猫耳と尻尾。
「吾輩は、クロであるっ!!」
「いや、お前誰だっ?!」
 凛のツッコミが突き刺さった。
 凛のツッコミを受けて、クロはため息をつきながら振り返る。髪をかき上げて熱い吐息を吐くその姿は艶めかしく、それだけで絵になるようなものだ。
「誰って、酷いのだ。可愛い可愛い、シロウの猫のクロである!」
 「可愛い」と言い部分を最大限に強調し、彼女は胸を張って言う。ぐいっと突き出された、薄い布一枚のみを付けている胸が振動で揺れるのを見て、一瞬凛は言葉に詰まる。だが、すぐに非常識な格好をしている彼女に更なるツッコミを入れていく。
「自分で可愛いって言うな――! それと、あんたなんていう格好してんのよ。誰かに見られたら警察行きよ?!」
 現在は冬、そして彼女たちがいるのは新都の人通りの少ない路地。普通に考えて、ビキニ姿の女性はいるはずがないのだ。もし通行人に見られたら、目の前のバーサーカーよりも先に、クロが警察に通報されそうだ。わいせつ物的な感じで。
 だが当の本人は、まったく気にしていないようで、やれやれと首を振りながら言う。
「リン、自分が着てもお粗末になるからって、クロにあたるなよ」
「ぶっ飛ばされたいの?!」
 凛に怒鳴られたことで、クロは首を竦める。それを見て更に火が付いたのか、凛はクロを指さしながら全力で叫ぶ。
「大体、なんで冬なのに水着なの?! 見てるこっちが寒々しいわよ!」
「そうですよ、せめてワンピースの水着にしてください」
 凛の言葉に桜も口を挟むが。
「そういう問題じゃないっての!」
 と、どこかずれていた彼女の言葉は、凛によって一刀両断されてしまう。しつこく言われたためか、クロはしょうがないと言い指を鳴らす。
「仕方ない、これでもう文句は言うなよ」
 瞬きをすると、黒のビキニの上に白のバスローブを羽織っている。肌の露出が減ったためマシになったような、かえってその組み合わせだと悪化しているような。
「何で、バスローブ……。普通の服を着るっていう考えは無い訳?」
 呆れを通り越して完全に見下している凛の声。クロは、それを感じると、キリッと表情を引き締めて口を開いた。
「クロはレプリカだと、リンが言っただろう。クロの感覚は全て、記録として伝えられる。だからクロは、直接は暑いとか寒いとか感じない。クロの素材が寒い場所にいて、冷たくなっているという情報だけが、クロに伝わるのだ」
 いきなりつらつらと話し始めたクロに戸惑いながらも、凛と桜は彼女の言葉を聞いている。
「だから、どんな格好をしても、寒いとか暑いとかは感じない。だから、クロが好きな格好をして戦うのだ!」
 そこまで言うと、クロは彼女の目の前のバーサーカーに視線を戻す。彼女たちのやり取りを待っていてくれたバーサーカーには、もしかしたら理性が残っているのかもしれない。クロは目を細めてバーサーカーを見る。
「お前がどのくらい強くて、どのくらい痛みをクロに与えられるかは知らないけど、感覚が記録としてしか認識されないクロは、痛みによって戦闘を離脱することは無い。そして、この素材に埋め込まれている魔術回路を最大限に使用すれば、魔力がそこを尽きるまで、素材の破損の無限修復も可能。長期戦に持ち込めば、クロが負けることは無い!!」
 堂々と勝利宣言をするが、バーサーカーはもちろん言葉は発しない。ただ、突き刺すような殺気をクロに向けていた。自分の前に立ちはだかる彼女を、完全に敵と認識したようだ。
 クロはその殺気を受け流しながら、自慢げに胸を揺らす。
「それに、どうだ! クロのナイスバディに、戦闘意欲がなくなるだろう! そんなに大きい鎧を付けてるんだから、中身は男に決まっているのだ。男なんて、胸を見せつければ、屈服する生き物なのだ!!」
 黒の思いがけない言葉に反応を示したのは桜だ。
「はっ、そうだったんですか。じゃあ、私も……」
「ちょっと、桜! 何考えてんのよ!!」
 焦った声を出す凛に、桜は黒い笑みを見せる。
「見せる胸がないからって、嫉妬しないでください。姉さん」
「……後で覚えてなさいよ、桜」
 二人のやり取りは置いておいて、クロはビシリとバーサーカーを指さす。
「さぁ、クロの美貌に悩殺されるがいいのだっ!!」
 その言葉を合図にクロはバーサーカー目掛けて走り出す。バーサーカーは彼女の動きを見ても、動こうとはしない。クロは拳を振り被ると、バーサーカーの顔面目掛けて拳を放つ。
「ひっさーつ! 猫の拳、キャッツパーンチ!!」
 直前まで動きを見せなかったバーサーカーは、拳が鎧の先数センチに迫った時に、腕にあった交通標識をクロ目掛けて振った。狂化により上昇したステータスの筋力から放たれる一撃は、クロを捉えるとその体を数メートル飛ばすことになる。
「みぎゃっ。な、中々やるのだ」
 だが、先程クロが自分で言った通り、痛みはさほど感じていないようだ。クロはすぐに立ち上がると、また走り出す。
「次は、こっち。必殺、猫の脚、キャッツキーック!!」
 バーサーカーの前方二メートルほどの場所で地面を蹴って左足を前に出す。飛び蹴りの態勢でバーサーカーに突っ込んでいくが、またもそれを冷静に対処する。彼の胸に足が届く直前、左の踝を掴み砲丸投げの勢いでクロを投げ飛ばす。五メートルほど飛ばされ、地面に叩きつけられる。みぎゃっと潰れたような声を出す。
 クロは間髪入れずに立ち上がるが、その顔には焦りの表情が滲んでいる。
「にゃ、にゃんだと? こうなったら、最後の一撃。猫の頭突き、キャッツズツキ!!」
「そこは、英語じゃないの……」
 凛のツッコミも束の間、今度は頭から突っ込んでいくクロに、そろそろ煩わしく思っていたのか、バーサーカーは交通標識を振る。そこから発せられた風の勢いに負け、今度は壁に叩きつけられる。
 クロは思いっきりぶつけた腰を押さえながら、ぶつぶつと呟く。
「く、黒いの中々やるな。……クロの必殺技が、全部防がれてしまったのだ」
 悔しそうにしていたクロは、立ち上がると凛たちの方へと瞬時に戻ってくる。そして、泣きそうな顔で凛に言う。
「リン、どうしよう」
「こっちが聞きたいっての!」
 代わりに戦ってくれたとはいえ、ぶっちゃけバーサーカーに傷一つ負わせることは出来ていない。
「姉さん、そろそろヤバいかもしれません」
 邪魔するものがいなくなったため、バーサーカーは真っ直ぐこちらに進んでくる。禍々しい気が近づいてくるのが分かる。咄嗟に凛と桜は、時臣と雁夜を自分の後ろに庇う。
 バーサーカーは、四人を見ると大きく体を揺らす。何かに抗っているように、必死に体を支えているようだ。それは、自分たちを獲物と定めていた時とは違う。
「カ……」
 バーサーカーは手を伸ばす。何かを求めるように。何かに、救われたいと願うように。
「カ……リ、ヤ」
「俺……?」
 自分の名前を呼ばれた雁夜は、バーサーカーを見る。自分は先ほどから、この狂戦士の表面しか見ていなかった。黒い鎧からは、深い悲しみと絶望が滲み出ている。自分はこの戦士をどこか知っているような、出会ったことがあるような。
「ぐ、がああああ」
 雁夜がバーサーカーに無意識のうちに手を伸ばそうとした時だ。バーサーカーは、胸を掻き毟るようにして苦しみ喘ぐ。その様子は、雁夜が感じたことを否定し、黒く塗りつぶしてていた。
 そして、その声が止んだ時には、バーサーカーに迷いは無かった。目の前の敵を殺すという、単純な目的だけがそこにある。手に持つ道路の標識は、禍々しい色を放っており、明らかに先ほどクロを弾いた時よりも圧倒的に力を持っていることが伺える。
 じりじりと間合いを詰めるバーサーカー。心臓が嫌というほど早く打ち、今にも壊れそうだ。やはり、サーヴァントから自分たちだけで逃げ切るというのには不可能だったのかもしれない。覚悟を決めなければと、凛がバーサーカーを真っ直ぐ正面から見据えた時。
 またしても彼女たちの前に立ちふさがったのはクロだ。先ほどのふざけた様子は無い。金の瞳をきらりと輝かせ、低い声で詠唱を始める。
「【主の戒めは常に私と共に。私は御言葉を守るため、我が足を留め、全ての悪の道を止める。私は主の智によって知恵を得た者。それゆえ、私は偽りの全ての道を憎む】」
 歌うような詠唱は、彼女の差し出した右手に力を集める。
「【メム】」
 その言葉と共に放たれる光の束。クロの手から離れると、バーサーカーの黒い鎧に巻き付く。
「■■■■――!!」
 光の束が巻き付いたことで、身動きが取れなくなる。そして、もがけばもがくほどそれは鎧に食い込んでいく。まるでその束がバーサーカーにとっての毒であるように、彼は苦しみの叫びをあげていた。
 その様子に呆気にとられていた凛たちに、クロは声を掛ける。
「ぼさっとしてんな! 早く逃げるのである!」
 くるりとジャンプをするとクロは猫の姿に戻り、凛の肩に乗る。凛は時臣手を取り、走り出す。それに続いて桜も雁夜の手を取る。
「……」
 雁夜は、何か言いたげにバーサーカーを見ていた。彼が何故攻撃を仕掛けるのか。そして、何故自分の名を呼ぶのか。だがそれを尋ねたところで、苦しみのまま意味を為さない声を上げるバーサーカーは答えられないだろう。雁夜は桜の手を握り、二人は凛たちを追いかけて走っていった。

「た、ただいま……」
 士郎が一通り洗濯物が乾き、物干し竿から取っていると、疲労感が半端ない凛の帰宅を表す声が聞こえた。
「遠坂、おかえり。買い物は……って、どうしたんだ」
 士郎が洗濯物を抱えながら玄関に行くと、砂埃に汚れたクロを肩に乗せた凛をはじめとする四人が息を切らしながら立っていた。のんびり煎餅を齧っていたセイバーとライダーも、騒ぎを聞きつけ玄関に集まる。凛は大きく息をつくと、先程起きたことを説明する。
「士郎の言ってた、黒いセイバーと、よく分かんない黒いバーサーカーに追われたのよ。冬木って、こんなに物騒な街だったかしら」
 聖杯戦争中は確かに酷かったけど、と呟く彼女。それを他所に、桜はにっこりと挨拶をしている。
「先輩、お邪魔します」
 見なれた彼女と、その横にいる見慣れない少年を見て士郎は彼女に聞く。
「桜、その子は?」
「あ、私の、弟みたいな子です」
 桜の説明に、雁夜は後を引き継ぎ名前を名乗る。
「間桐雁夜って言います」
 ぺこりとぎこちなくお辞儀をする彼のその名前を、セイバーはどこかで聞いたことがあるようだと感じていた。時臣の名前を聞いた時と同じ。だが、またもよく思い出せないので考えることは放置する。
 弟、と聞いた士郎は気になることを尋ねる。
「桜の弟ってことは、慎二も?」
 慎二という名を聞き、桜は黒い笑みを浮かべる。
「兄さんは関係ありませんよ。私だけの、弟です」
「あ――、そうか。うん、分かった」
 彼女から漂う気に、これ以上深く聞かない方がいいと考えた士郎はそこで話題を変える。
「そうそう、夕飯は、鍋にしようと思ってたんだ。さっきランサーが、鯛を持ってきてくれたから、鯛ちり鍋」
 鍋と聞き、彼女たちの表情が明るくなる。特にセイバーだが。桜は用意を一緒にすると言い、時臣と雁夜も手伝いを申し出た。凛は調べ物をするらしく、自分の部屋に戻っていく。
士郎が洗濯物をたたむべく居間に戻ろうとすると、慌てた様子のアーチャーが戻って来ていたらしく、彼にぶつかり洗濯物をぶちまけるという事件も起きたりしていた。
 夕飯時には、鯛を釣ったランサー、隣から何やら匂いを嗅ぎつけやってきた大河、バイトを終えて食事を求めてきたバゼットも交えた宴会騒ぎになっていた。
 煩くもあるけれど、それが楽しい。そう思いながらせっせと仕事をする士郎は、少し夜が更けるのを怖く感じていた。

 この感覚は三度目だった。
ここ三日連続で見る、誰かの記憶。あまりにもリアリティに溢れているそれは、普通に眠っても眠った気がしないというのが難点だ。そして、この夢が誰の記憶なのかも分からない。なぜ誰のものか分からない夢を見続けるのか。何によって見せられているのか。疑問符ばかりが浮かぶが、今日も夢は記憶を紡いでゆく。
美しい黒の髪の少年。以前の夢で「王」と呼ばれていた彼は、大理石で作られた玉座に腰かけている。彼は、眉を寄せて辛そうな表情を浮かべていた。思いつめた顔をしている彼は、大きく首を左右に振ると思い切ったように玉座から立ち上がる。
「王よ」
 立ちあがった彼を、傍に控えていた臣下のうちの一人の青年が呼び止める。歩き出した彼は、その足を止めた。青年は膝をつき、懇願するような声で彼に意見する。
「行ってはなりません。王は、穢れに触れてはならない。死の穢れは、あなたの魂をも汚してしまう。どうか、この場に留まり下さい」
 少年は唇を噛みしめ、苦痛に顔を歪ませる。もちろん知っている。死の穢れは、神に選ばれし王である自分が触れるべきではないものだと。それでも、自分はあの女と共に居たい。最期の時を過ごしたい。一度それを考えると、もう止めることは不可能だった。
「止めるな」
 はっきりと彼はそう一言告げる。王としての義務よりも、一人の人間としての選択を為した表れだった。
「ボクが、生まれながらにして背負って来た罪を思えば、死の穢れなど微々たるもの。ボクは、愛した者さえも看取らない、非道な人間にはなりたくない」
 彼はそう言い、その場を後にする。王ではなく、ただ一人の少年としての彼の背中は、とても小さいものであった。

 彼が向かったのは、愛する妃の部屋。何人もの侍女たちがその部屋はいる。侍女たちは、病によって起き上がることの出来ないその人を世話するため、大勢呼ばれている。部屋の主である女性は、死に抱かれ、あと数刻とその命は持たないだろう。そこには、確かに死の香りがあった。
 少年が部屋の入り口に立ったことで、侍女たちは慌てて道を空ける。彼は侍女たちに外に出るように告げ、部屋の寝台へ歩を進めた。
「王……。なぜ……?」
 掠れた声だった。病によって痩せ細り、やつれてしまった彼女だが、その瞳にはしっかりと彼を映している。彼は困ったように微笑み、彼女のそばに腰を下ろした。艶の無くなってしまった彼女の長い金の髪を、愛おしそうに優しく撫でる。
「ボクは、君を愛している。最期の時まで、君のそばにいる。君は、ボクが唯一好きになった女だ。君と、離れたくない」
 そう言って髪に口づけを落とす。顔を上げた彼は、まるで幼子が母とはぐれた時のように不安に揺れている瞳だ。そんな彼を見て、彼女は悲しそうに眉を下げる。
「王よ、分かって下さらないのね」
 彼女の口から告げられた言葉に、彼は戸惑いを見せる。
「私は、あなたに出会えて幸せだった。あなたと共に過ごした時間がある。それだけで幸せなの」
 彼女は彼に微笑みかける。それを見て、彼は彼女の両手を自分の手で包み込む。そして必死な様子で彼女に語り掛ける。
「あぁ、ボクだって幸せだった。君がいなければ、ボクはここにはいないから。ボクは、君を失いたくない。まだ、君と共に幸せを作って行きたいんだ」
 彼女はゆっくりと彼の頬に手を当てた。そして、優しく頬を撫でる。白く細い手は、今にも折れてしまいそうなほどだ。
「私はね、あなたが幸せだったらそれでいいの。これから先も、あなたが幸せを紡いでいってくれたら。それだけで、生まれてきた意味がある」
 彼女の言葉に、彼は首を左右に振って否定する。そんなことはない、あるはずがないと、彼の心が悲鳴を上げていた。
「違う、違う。ボクは、君と共にいなければ、幸せなんて無い。あるはずないんだ」
 彼女は目を閉じて、柔らかく微笑んだ。その笑みは、彼の心も未来も全てを知っているよう。
「ううん、きっと、あなたの前には、私なんかよりもずっとずうっと素敵な人が現れる。あなたを、最高の王に導いてくれる、そんな女性が」
 確信を持って告げられる彼女の言葉は、彼の心を抉る。どうして分かってくれないのだろう。どれだけ美しく、賢い、素晴らしい女性が現れたとしても、自分はその女性を目の前の彼女ほど好きになることは出来ないだろう。
彼女は自分の全てだ。
 自分に生きる意味を教えてくれた。
 自分に人を愛することを教えてくれた。
 彼女の存在は彼にとって、生きる意味だといっても過言ではなかったのだ。それなのに、彼女は自分の前から消えてしまう。自分は彼女に何も返すことが出来ないまま。
 少年の頬に、一筋の涙が流れ落ちていく。それは、彼女を失うことの悲しさか。彼女をこの世界に留めることの出来ない自分の無力さか。彼女は人差し指で彼の涙をそっと拭った。
「泣かないで、王。私のために流してくれる涙は嬉しい。でも、あなたは私なんかのために泣く必要は無い。あなたは、もっと偉大な人なのだから」
 偉大な人、という言葉を否定するように彼は首を横に振る。
「ちがう、ボクは、ただの罪人だ。償えない罪を持った、呪いの……」
 そこまで彼が口にした時、彼女は人差し指でその続きを止める。驚いて彼は彼女を見つめる。彼女のアメジストの瞳には、光が灯っていた。
「神に最も愛されし御子に、祝福あれ。あなたとあなたの王国に、栄光あれ」
 歌うように賛美の言葉が告げられる。
「王よ。これが私の今生、最後の願い」
 彼女が顔を寄せ、少年の唇を自分のもので塞ぐ。すぐにそれは離れ、彼女は満足そうに微笑んだ。
「あなたの未来に幸あれ」
 そう告げると、彼女はゆっくりと瞼を閉じる。その言葉を告げるのが役目であったように。その瞼が再び開かれることは無いと、彼はすでに悟っていた。彼女の手を握りしめながら、苦しみに喘ぎながら彼は言う。
「ボクは、幸せになるべきじゃない。ボクは、幸せになってはいけない。それなのに、君は、ボクの幸せを願うというのか」
 彼女との日々は幸せだった。罪を持った自分も、彼女と共にならば幸せを望んでもいいのだと思うことが出来た。そして、彼女がいなければ、自分は幸せを望んではいけないのだと、そう思っていた。だが、彼女は自分の幸せを願った。
 彼は、何かを決めたように彼女の手に口づけをする。
「ボクの生涯唯一の女よ。ボクは、この国を素晴らしい物にしてみせる。『理想郷』と、そう呼ばれるほど美しく、誰もが羨むような国にしてみせる」
 きっとそれが自分の幸せであり、彼女の幸せだ。自分も彼女もこの国を愛していた。ならば、この国を素晴らしい物に変えてみせる。そう考えたことだけが、今の彼の希望であった。
 彼は名残惜しそうに彼女の頬を一撫ですると、寝台から腰を上げた。彼はもう振り返らない。彼は紛れもない、この国の王なのだから。彼は愛しい人の部屋を後にした。

「そして、いつの日か君を」
 彼の瞳が妖しく揺れた。
「再びこの大地に降り立たせよう」
 
 
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