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【短編】竜門珠希は『普通』になれない【完結】

作者:水音
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可愛いは正義。だけど化粧で作れる

 
前書き
『普通』になりたい珠希が高校生だった頃の話、まだまだ続きます。

注:作者は声優好きの方やCD出す声優を非難・差別しません。
ただ、いち個人の好きなものを嫌う他人もいるんだということで理解してください。
 

 
 
 結月に頼んでテーブルの上に必要な食器を並べ終え、スープもいい感じの味になったところでご飯も炊きあがったところで、午後7時まで残り5分を切っていた。あとは人数分のご飯をよそい、お茶を淹れるだけだ。
 別に時間と勝負していたわけではないが、間に合えばどことなく誇らしい感触を覚えるのはなぜだろうか。

「ただいま~」
「ただいま」

 これは久々に兄も揃っての食卓かと思っていると、玄関の戸が開く音と二人分の男性の声が聞こえた。先程も電話口で聞いた間延びした兄の声と、軽い感じを受ける父親の声だった。

「ねえねえ、おにーちゃんおにーちゃんっ!」

 すると、久々の兄の声に惹かれるように結月が猛然と玄関へとダッシュしていく。

「おー、どうした結月ぃ」
「ただいま。結月」
「おにーちゃんっ、もしかしておねーちゃんのいうことに従ってないよね?」
「え? なにが? どゆこと?」
「何があったんだ?」
「お父さんにはわからないことだよ!」
「……え? えっ?」

 状況がまったく呑み込めていない父を完全に視界の外に追いやった結月は、どうやら久々に会う兄の健康などより珠希が頼んだデザートの件を優先して尋ねているのだろう。ダイニングから玄関先での会話に聞き耳を立てながら珠希が急須に茶葉を注いでいると、そこへ溺愛する末っ子に追いやられてきた父が姿を見せた。

「ただいま。珠希」
「お帰りなさい」
「なあ珠希、結月にいったい何があったんだ?」
「あたしに聞かれてもわかんないな。デザートでお腹は膨れないってのに」
「んー?」

 次女の発言から状況が理解できず、さらには長女の発言からも状況が呑み込めなかった父は小首を傾げると、ふとテーブルに目を向ける。

「お、今日は中華か」
「うん。見てのとおり」
「結構な量だな。いつもより多くないか?」
「お兄ちゃんがいるから」
「あー、それもそうだったな。(アイツ)がいるのか」

 珠希が一から作った――ちゃんと肉は入れた――青椒肉絲や中華風スープをメインに、出来合いや冷食ではあるがエビチリや餃子がまだテーブルの上で湯気を立てて並んでいるのを見た珠希の父・大樹(ひろき)は、珠希の兄が久々にいることで、今日の晩ご飯の頭数が少なくなる可能性を憂えるような表情を浮かべた。

「でも大丈夫。お兄ちゃんにデザート頼んでおいた」
「おお、そうか。珠希は気が利くな……って、結月が何か騒いでたのはそれが原因か」

 さすが亀の甲より年の功。実年齢50歳を過ぎてなお10歳は若く見えると近所でも噂のナイスガイを誇る大樹は、珠希の一言から結月がなぜあんなに騒いでいたのかをあっさりと見抜いてみせる。

「危うくお兄ちゃんの晩ご飯がなくなるところだったんだよ」
「それはそれでヤバいな。けど珠希、だからって結月(いもうと)をイビるなよ?」
「イビってないって。心の中で(なじ)っただけ」
「心の中で、ってだけマシかぁ……?」

 どこか納得していないような表情を浮かべると、大樹は母親同様に仕事道具が置いてある部屋に戻ろうとダイニングを出る。

「あ、お父さん。ついでに離れからお母さん回収(・・)してきて」
「おお。わかったわかった」

 ダイニングを出た大樹の背中に珠希が声をかけると、大樹の軽い返事が響く。特に回収(・・)というフレーズを気にかけないのは、以前に何度もこういう状況に遭遇しているからだ。 なお、珠希が「回収」と言えば彩姫は魂が抜けかかっている状況にあることを意味し、「連行」はPCのコンセント引っこ抜いてでもご飯を食べに来させてという命令である。
 料理こそしてくれないが、その他食器の片付けや掃除や車の運転などは特に文句を言わずにしてくれるのが珠希の父・大樹のいいところだった。妻である彩姫と協力して珠希の兄を大学まで卒業させ、珠希を高校に通わせ、珠希の弟の野球留学を後押しし、結月を高校に入学させようとしてくれるその財源捻出と保護者としての役割はしっかり果たしてくれている。四人の子供たちの躾だってそれは簡単なものではなかっただろう。
 ――だが、それはあくまで大樹がこの三つに限っては「いい父親」であったというだけである。

「おねえーちゃーーーぁあああんっ!!」

 すると、お茶を淹れ終わったのを見計らったかのように、結月の軽い足音がダイニングに飛び込んできた――かと思うと、突然真横から抱きつかれた。

「な、何よいきなり!?」
「やっぱりおねーちゃんは最高のおねーちゃんだよっ!」
「なっ? 何言ってんのよ結月っ」

 そう言いながらぐりぐりと頬ずりしてくる結月を引き剥がそうとしていると、その後から珠希の兄・暁斗(あきと)が姿を見せた。

「おーおー、相変わらずウチの妹たちは仲良しだなあ」
「ちょ……ッ。お兄ちゃんっ! もしかして結月にバラした!?」
「だって、話さないと珠希が悪者じゃんかー」
「だからってねえ……」

 久々に会えた飼い主に見せる愛犬の強烈な愛情表現がごとく、髪の毛やら頬骨やらでちょっと痛いくらいにすり寄ってくる結月を前に、珠希はあっさりとネタ晴らしをしやがった暁斗に閉口する。
 実のところ、珠希は兄にデザート調達を口頭で頼んだ直後、ちゃんと結月の分まで買ってくるようメールを送っていた。これも妹を必要以上に甘やかしたくないという小さな姉心だ。別に珠希も結月が嫌いなわけではない。少しばかり過度の言動が目立つことがあるが血の繋がった妹で、小悪魔的なところを差し引いても本質は誰からも愛されるような娘なのだから。

「ん~っ。やっぱりおねーちゃんが一番だよぉ」
「また都合のいいことを」
「そんなことないだろ。珠希はちょっと結月に厳しいけどな」
「それはお兄ちゃんが結月をすぐ甘やかすからでしょ!」

 今みたいに結月が珠希にすり寄ってくることは普段まずない。暁斗が一人暮らしするときは一緒に行くなんて言い出したのも、一人暮らしする前に暁斗の部屋に入り浸っていたのも結月である。つまりお兄ちゃんっ子だ。早くから家事能力のスキルアップを暗に求められていた珠希とは違う。
 しかも暁斗と一緒にモンスターを狩ったりゲットしたり、アイドルを育成(プロデュース)し始めたかと思えば自身がスクールアイドルになり、FPSで逃げ回ったりクリーチャーや警察官をアサルトライフルや武装ヘリで始末したりしてきた。おかげで今やすっかり感化されてしまい、ゲーマーとしての属性まで持ってしまった結月の部屋はゲームのハードやソフトがごろごろ転がっている。

「ってか結月、そろそろ離れて。髪の毛とか目に入ってくるんだけど」
「えー? もう少しいいじゃん。おねーちゃん、いい香りするし」

 いい香りって、それはあたしが晩ご飯作ってたからじゃない?
 自分のそれよりは100倍はいい香りがするのは結月のほうだ。朝から晩まで、パジャマ姿でもトイレから出た後でも何やら滅多に店頭で見かけないシャンプーやら香水やらを香らせている。まさかこれがモノホンの女子力ってやつ? と、珠希は家庭用洗剤の匂いを放つ自身の両手を見つめながら思った。

「うぅっ。こんなハズじゃあ……」

 一応、珠希にも初恋くらいの経験はある。小学生の頃、暁斗が家に連れてきた友人の一人で、ただ見ているだけに終わってしまったものの、それ以降色恋沙汰とは縁のない生活が続き、気づけば高校生買う3年間ももう半年で終わり。
 そもそも男友達もろくにいない状況で近しい年齢での男女交際に発展するわけもなく、かといって出会いを求めてL○NEやらのSNSに浸かるような暇もない。ナンパというナンパもされたことがなく、合コンも高校入学当初に2、3回行っただけでそれ以降なぜか誘われなくなった。もしかして何気なく友達からハブられたのかと思ったが、特に悪口や悪い噂を聞くこともなく、友人としての付き合いは何も変わっていないのでそのままにしていた。
 とはいえ、誘われなくなった理由が珠希にばかり相手男子の視線が集中してしまい、「これじゃ合コンにならないじゃん!」という女子側の心情であることを当の珠希はまったく気づいていないのだが。

「なにおねーちゃん。もしかしてカレシとか欲しいの?」
「カレシとかそれ以前に、もう恋とか何なのそれ状態だよぉ」
「それは女子高生としてヤバいんじゃねーの? 珠希ぃ」
「考え方がもう老けてるっぽくない?」
「はぅ……っ」

 いつの間にか結月に背後から抱き締められる形になっていたが、珠希は兄と妹の言葉にメンタルをズタボロにされながらお茶を注いだ湯呑みをそれぞれの席に並べていく。

「でもさ、そういう二人は付き合ってる人とかいんの?」
「んー? 俺はいないよー。俺は付き合うんだったらみ○りんくらいじゃないと」
「私はカレシとか今は興味ないし。それに適当に付き合うくらいだったら最初からいないほうが楽じゃん?」
「……は? 何それ?」

 おいおい大概にしろよ、このダメ兄とバカ妹。あんたらも交際相手いないんじゃん。結月はともかく、このダメ兄は自分がみも○んと付き合えるとでも思ってるのか? ○もりんが可哀想だ。
 妄想するのは勝手だけど、堂々と本気でカミングアウトするのは社会人以前に人としてどうかと思う。このダメ兄も珠希や結月同様、両親からハイスペックな外見を受け継いでいるのだが、本当に中身が残念だ。
 それもそれで――なんであたしだけがメンタルブレイクされなきゃならんの?
 ご飯を前にそんなツッコミは心中だけに留めておき、ご飯をよそうのはお母さんが来てからにしようと珠希は一息つくことにする。

「あ、でもさー、最近出てきた『つばきん』いるじゃん? こないだ仕事一緒にしたけどあの娘はかなり可愛かったよー」
「えっ? マジでお兄ちゃんあの『つばきん』と仕事したの?」
「ねえ、その『つばきん』って誰?」
「え? おねーちゃん知らないの?」
寒咲(かんざき)椿(つばき)だよ。最近出てきた声優にいるじゃん」
「知らん」

 暁斗と結月の話が弾んできたのもあってか、『つばきん』の単語で脳内検索をかけてみたが、珠希のデータベースには一致する情報がなかった。案の定、本名――芸名というべきか?――を聞いたところでわからなかったので即座にざっくり切り捨てる。
 が、その実、後にも先にも自分の中で声優と呼べる人は一人しか浮かばなかった。

「はぁ。これだから珠希は何もわかってないんだよー」
「いや、わかりすぎてるお兄ちゃんに言われたくないよ」
「けどさ、おねーちゃんだって好きな声優が出てるアニメはチェックするじゃん?」
「まあそれくらいは……って、だからって興味ないアニメまで録画したりしないっての!」
「おいおい、それじゃあファン失格だぞー」
「あたしはストーリーで選んでるだけだってば! 声優基準で選んでないってだけで」

 あくまで珠希のアニメを見る基準は面白そうかどうかである。生憎と原作となった漫画やラノベとは縁が少ないので原作厨がネット上でなんと叫んでいようが自分が面白ければいいというスタンスである。ただし原作がergだった場合は別だ。
 しかしこの声優に出会うことができる仕事に就いている兄・暁斗も、これから高校受験を控えているという妹・結月もアニメを選ぶ基準に声優の項目がある。原作が好きではないと言いながらもその声優目当てで録画してまで見るその行動力はどこから湧いて出てくるのか珠希にはよく理解できなかった。

「なんだよ珠希。今の声優は凄いんだぞー」
「何がよ。歌って踊れるんなら昔からいたでしょ」
「ダメダメ。おねーちゃんのそういう『アイドル声優』みたいな一括りはよくないよ」
「じゃあそういう声優(ひと)たちはどう呼べってのよ」

 後出しの言い訳に聞こえるが、珠希は別に声優が嫌いなわけではない。歌おうが踊ろうがPV付けてCD出そうが自分には関係ない。そういうのは好きな人が買えばいいと思っているだけで、ストーリー基準で見るアニメを選ぶ珠希からすればこの声優はここがこうだから――などと鼻息荒くしてプッシュしてきたり講釈垂れたりする相手が苦手なだけだ。

「んー。どう呼べばいいんだろーなぁ」
「ちょ、お兄ちゃん?」

 腕を組んで難しい顔を浮かべた暁斗が開口一番吐いた台詞に、珠希は反射的に右手に握り拳を作っていた。鳩尾や顎を狙って放たなかっただけ感謝してほしい。

「けどな、歌うのも踊るのもそう易々とできることじゃないだろ?」
「えーそーですねー」
「しかも今時の声優さんはみんな可愛いんだ。それはもうお前たちと同じくらい」
「それホントなの? おにーちゃん」
「へーはーそーですかー」

 確かに女性声優が可愛くて美人であることは多少なりともプラスに働くのだろう。珠希としてもイケメンな男性声優は気になるところだが、それはアニメを見る基準に昇華しないのが本当のところだ。
 少なくとも、眼前のこのバカ兄妹を除いて。

「ああもちろん。けど俺からすれば結月が一番だな」
「あ、やっぱり~?」
「あのー、寝言なら寝てから言ってもらえますかー?」
「寝てないよー。俺はいつだって結月も珠希も可愛いと思ってるよー」

 イチャつく兄と妹を前に、この会話の出口が見えなくなってきて次第に苛立ちが募ってきた珠希に気付いたのか気づいていないのか、暁斗はいつもの間延びした声で――しかも小さくウィンクなどしながら――目が据わり始めた珠希に声をかけた。
 しかし、その言葉は逆に珠希の苛立ちを弾けさせる。

「そんな顔するなよ珠希ぃ。せっかくの可愛い顔が台無しだぞー」
「そうだよおねーちゃん。おねーちゃんだって私の次くらいに可愛いんだから」
「あんたらなぁ……。あたしは可愛いより美人と言われたいんだよ」

 ドスの聞いた低い声で――少なくとも子供は裸足で逃げ出すレベル――家族のせいで募った苛立ちで黒化した珠希の吐き出した一言に、暁斗も結月も一瞬で言葉を失った。
 もはや可愛いと言われて喜んでいられる年齢じゃない。大抵の女性は「キレイ」に謙遜し、「カワイイ」を言われて喜ぶものだが、時にその言葉はいい年齢になった女性に対して嫌味か皮肉にしか聞こえないのだ。「ブサかわ」やら「キモかわ」という言葉が生まれる時点で「可愛い」のハードルはもうお世辞と同じ形式的な文句でしかない。
 そして珠希は今年の8月に18歳になる。一部の狭い世界での格言ではあるが、女は14超えたら下り坂だ。となればもう珠希はその下り坂を一直線にBBAに向かって転がり落ちていることになる。
 青い果実が熟れて実る瞬間は儚く呆気ないもので、旬を過ぎた果実は落ちて腐るだけ。そんなのはまっぴらごめんだと『普通』になりたい女子高生(JK)はできる限りの美容法をちまちまと試行錯誤している。

「あとお兄ちゃん」
「な、何かな珠希」

「あんなクサい台詞で声優口説けると思ってんじゃねーぞ声豚」

 話を元に戻すが――この声優に萌える兄はシチュエーションというものを何もわかっていない。どんなに心に刺さる台詞でも場所次第では馬鹿にしているのかと勘違いされることになりかねないというのに。
 何にせよ、晩ご飯がテーブルに広がるダイニングで兄が妹に言う台詞ではないのは確かだった。珠希が暁斗に返した言葉も同様に。

「……珠希。お前は今、一番俺に言っちゃいけない言葉を言ったな? 『声豚』と」
「ありのままの事実を認められない大人って嫌だよね」
「兄妹の情けでもう一度聞く。反省の色はないのか?」
「ない。というか反論できないなら豚舎(いえ)に帰れ」
「ここは俺の(ホーム)だ。実家(マイギルド)だ」
「豚舎が嫌なら窓に格子ついた病院に送り込むよ? そもそもここは酒場や集会所じゃないし、あたしはお兄ちゃんのギルメンでもない。第一、厨二病患者なんてあたしの家族にはいない」
「何だとぅ!?」

 すると、そこへ回収した彩姫を連れて大樹が姿を見せた。

「何だ何だ、珠希、暁斗。久しぶりに対面したと思ったら喧嘩か?」
「あっ、暁斗くん。今日は帰ってきたの?」
「そうだよー。久しぶりだね、母さん」

 暁斗の帰宅を言い忘れていた結月のおかげ(・・・)でサプライズじみた対面となった母と息子の会話もそこそこに、これ以上口論をするのも煩わしいと、珠希は全員分のご飯をよそおうと席を立った。

「あ、そうだ。このデザートどうすんだ? 冷蔵モノなんだけど」
「今食べよ! すぐ食べようっ!」
「そうね。結月ちゃんの言うとおり――」
「食べ終わるまで冷蔵庫」
「えーっ!?」
「そんなぁ。珠希ちゃん。少しくらいいいじゃない」
「そんなに肉抜きの青椒肉絲が食べたいの? お母さん」
「……(ふるふる)」

 暁斗がブランドスイーツ店のロゴが入った包装を掲げてみせると、相変わらず甘いものは別腹と――その細くて出るとこ出ている身体のどこに別腹があるのかわからない――結月と彩姫が食前に食べようと主張するが、珠希はそれを一蹴する。当然のごとく二人は口を尖らせたが、珠希はさらにピーマンのゴマ油炒めを持ち出して彩姫の口を封じた。

「うぅ……。大樹くぅん」
「よしよし。ちゃんとご飯食べれば問題ないから、ね?」

 とても夫婦の会話とは思えないものを目の当たりにし、次女は口を尖らせたまま自分の席に座り、珠希はご飯をよそいにキッチンへ向かった。そして珠希のすぐ近くで暁斗はデザートを手に冷蔵庫を開けたのだが――。

「ぅえ!? 何これっ?」

 暁斗の驚きの言葉に、全員の視線が冷蔵庫の前に立つ暁斗に向けられる。
 そこで珠希は思い出した。なぜ自分が帰宅後、母親の仕事場である離れに向かったのか。結局そこでレ○シーンを目撃してしまい、その後そのまま仕事ぶりを監視(・・)したためにすっかり頭から抜け落ちてしまっていたが、その原因となった物体はまだ冷蔵庫の中に入れたままだった。

「えー? なんで冷蔵庫にお○ぱいマウスパッド入ってんのー?」
「あ、お兄ちゃん。それたぶんお母さ――」
「おお、そういやすっかり忘れてたな」
「え゛っ?」

 たぶんお母さんが入れたのだと思う、と言いかけた珠希の口から漏れたのは苦虫を噛み潰した声だった。

「何これ、父さんが入れてたヤツなの?」
「そうそう。サンプルとしてもらったやつなんだが、今までとは違って冷却材みたいな成分があるから夏場でもベタつかずに使えるって聞いてな」
「えー? うわ、結構プルプルしてるし」
「マジで? おにーちゃん。私にも触らせて」
「お母さんにもー」

 え? あれ、冷却材って入れるの冷蔵庫じゃなくて冷凍庫じゃないの?
 最初にツッコむ箇所はそこではないということも忘れて唖然とする珠希をよそに、新素材らしいモノを使ってのおっぱ○マウスパッドは家族の興味を一手に集めていた。

「あ、あのぉ……」
「おおおぉぉ。これは確かにヒンヤリするぅ~」
「確かに夏場でも使えるな、こいつは」
「ねえ、結月、お兄ちゃん……?」

「いいなぁ、これ。ねえ大樹くん。これ私にちょーだいっ」
「ああ。別に彩姫が使ってもいいぞ。サンプルでもらったものだし」
「ほんと~? うわぁ、やっぱり大樹くん大好きっ♪」
「ちょっと、お父さん、お母さん……?」

 別に珠希としては褒めたりねぎらったりしてほしいわけでもない。それでもせめておっぱ○マウスパッドで盛り上がるのは晩ご飯の後にしてほしいのは本音だった。しかも食事をよそに新素材でできているというおっ○いマウスパッドに興味津々で盛り上がる家族を傍から見ているとどこかシュールなのだが、実際晩ご飯を作った珠希からすると面白くない。心底面白くない。このまま料理を下げてしまおうかと思えてきた。

「……いただきます」

 もう怒るのもいい加減飽きた珠希は結局、盛り上がる家族を無視して自分の分だけご飯を盛ると、そのまま静かに晩ご飯に手を付ける。
 余談だが、母親の取り皿にはピーマンだけをこれでもかと思うほど盛りつけてやった。



  ☆  ☆  ☆



「ごめんなさい珠希ちゃんっ」
「すまんかった。珠希」
「いやー、なんか申し訳ない」
「マジごめんって。おねーちゃん」

 食事後、自室に戻ってPCを立ち上げてメールなどのチェックをしていると、珠希の部屋の外から両親と兄、妹の謝罪が聞こえてきた。
 何しろ家族がお○ぱいマウスパッドから現実に目を向けたとき、そこに既に珠希の姿はなく、茶わんや湯呑みなどはおろか、今日のおかずの一部――ピーマンだけを盛りつけた母親の分の取り皿――しかテーブルの上に残されていなかったからだ。

「謝罪はいらないから、早く晩ご飯食べてよね。あとお母さんはピーマンの山盛り食べないと許さないから」
「そんなぁっ!! お母さん、珠希ちゃんに何か恨まれるようなことしたかしら?」

 メールを確認しながらの珠希の言葉に、身に覚えがないという彩姫。していないと思えるその図太い神経を少し分けてほしい。

「とりあえず、あたしは今からお風呂入るからそれまでに食べきって。食べ終わってなかったら片付けとか全部任せるからね」
「えーっ?」
「仕方ないよ結月。今日はさすがに俺たちが悪い」
「だな。わかったよ珠希」
「あうぅぅ。大樹くん、ピーマン代わりに食べ――」
「そんなことしたら明日から一週間野菜オンリーで行くからね」

 比較的物分かりのいい大樹と暁斗に対し、肝心のピーマン嫌いなダメ母は何とかしてピーマンを食べないよう謀るものの、そんなことをドアの前で喋ったら珠希に筒抜けに決まっていた。よって珠希は対抗策を打ち出さざるを得なくなる。
 そして当然、野菜オンリーとなると同じ食卓を囲む大樹や結月も巻き添えを食うわけで――。

「――っ!? お母さん! 絶対にピーマン食べてよね!」
「そんな……。結月ちゃんまでそんなこと言うの?」
「俺は明日からまた一人暮らし先(あっち)に戻るんでいいけど」
「暁斗くんは私を見捨てる気っ?」
「けどな、俺もさすがに毎晩野菜だけってのは堪えるぞ」
「はうぅ。大樹くんまで。もう、わかったわよぉ……ぐすっ」

 珠希の打った一手で完全に逃げ道のなくなった彩姫を連れて、大樹も暁斗も結月もダイニングへ戻っていった。
 その足音をドア越しに聞きながら、珠希は改めてスマートフォン片手にPCの受信メールを開いていく。SNSから連絡事項、服やアクセサリーの通販サイトからのメルマガなどなど、届いていた一通りのメールを確認した後、珠希は着替えを手に持って部屋を出た。


 そしてお風呂上がり――。

「まだやってるの?」

 珠希がタオルで髪を拭きながらリビングに戻ってくると、一続きになっているダイニングではまるで粉薬を飲む子どものようにちびちびと苦い顔を浮かべながら細切りのピーマンを口に運ぶ彩姫と、それを取り囲む暁斗と結月がいた。ここの大樹がいないとなると、仕事の関係で一旦自室兼仕事部屋に戻ったのだろう。

「もう少し、もう少しだから」
「あうぅ……。口の中が苦いよぉ」
「頑張ってよお母さん! このままじゃ本気で晩ご飯が野菜尽くしになっちゃうよ!?」
「それは嫌ぁ。でももう無理ぃ」

 暁斗や結月の励ましもむなしく、大嫌いな細切りピーマンと格闘する彩姫は箸を咥えて涙目になったまま動けないでいた。
 本当に何やってんだ? このダメ母とダメ家族は。
 せっかくお風呂に入って身も心もすっきりしたはずが、さっそく珠希の頭で頭痛の種が芽吹き始める。

「そんなに苦いならもう醤油でもソースでもケチャップでも好きなの使って食べたら?」

 もうこいつらと関わり合いになるのはよそう。
 その意味合いもかねて、珠希は飲み忘れていたフレーバーティーを取るついでに冷蔵庫からソース、ケチャップ、マヨネーズに焼き肉のタレまで取り出し、彩姫の前に並べた。

「あ、そっか。その手があったか」
「さすがおねーちゃん!」
「いいから食え。後片付けが終わらないし、デザートが食べれない」

 そう言うと珠希は部屋から持ってきた愛用のタブレットを開き、ゲームアプリを立ち上げる。ブ○モ! などと元気な声を上げるタブレットを操作し、珠希は軽くゲームを始めることにした。

「ねえ、おねーちゃんはどこまで進めたの? それ」
「暇潰しにやってる程度。基本的にイベ以外回さないし」

 ゲームを開始する前にLPやらのステ確認をしながら珠希は結月に答える。
 とはいえ、高校3年生の夏にそんな暇があるかという指摘(ツッコミ)はこの際明日の燃えるゴミと一緒にして捨ててしまおう。

「でもさ、おねーちゃんってソシャゲだとかなり効率厨だよね」
「必要以上な課金はしないのがKKEよ」
「おねーちゃんの場合、KKT()だよね?」
「そんなのはどーでもいいの。あ、お母さん。あたしが1曲終わるまでピーマン食べきらなかったらデザートも抜きね」
「え~っ!? そんなのないわよぉ」
「じゃあ早く食べる!」
「とか言いつつさりげなくスマホいじりながら片手でソ○ゲEXかよ」
「ちょ! おねーちゃん!? どんだけやりこんでんのよ!」
「今が勝負なんだから仕方ないじゃない」

 そもそも、結月や暁斗に話を脱線させられそうになったものの、珠希が今話題に持ってきたいのはLPを無駄にしないイベントのブン回し方でも「かしこい・かわい――以下略(エリーチカ)」になることでもない。食後にしようと決めたデザートを食べられるかどうかだ。もう珠希はさっさと風呂まで済ませてしまったのだが。
 というか、今珠希は何に勝負を仕掛けているのかわからないし、それはきっと恋でもなんでもない。

 一方、娘から尻に火をつけられた彩姫は何とか珠希が最終判定を待っている最中に皿の上のピーマンを全部口に詰め込むことに成功した。それが果たして「食べた」という判定になるかどうかは別として、何にせよ、彩姫は大嫌いなピーマンをすべて口に運んだことは確かだった。

 
 

 
後書き
珠希の片手ソルゲEXはどうでもいいところでのワンミスでフルコンを逃すという結果。
まったく、自分で書いといてオチがなくてつまらない。

けど、みもりんかわいーですね。
私はあのモノマネの再現度もあってりっぴー派になりましたにゃー。 
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