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ロード・オブ・白御前

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ユグドラシル編
  第6話 CASE “Yuuya Sumii”



「葛葉さん。角居さんのことですが」
「そうだった! ――悪い、戒斗。一ヶ所付き合ってくれ」
「角居裕也か」
「ああ。チームメンバーとしちゃ、リーダー放って帰れねえだろ」
「時間をかけすぎて見つかるなんてヘマをしたら許さないからな」
「分かってらい」


 碧沙に導かれるまま、紘汰たちはタワー内を走り回った。社員から隠れつつ廊下を走り、階段を上り下りした。

(この道順を迷わず覚えてる碧沙ちゃんすごくね? てか、ここまで行きにくい場所に裕也を置いとくことの意味も分かんねえし。裕也自身、そもそもどういうつもりでユグドラシルなんかにいるのか――)


「着きましたよ。ここです」

 「待合室Ⅱ」という看板がぶら下がった部屋のドアを、碧沙はこれまでのようにカードで開けた。

 部屋は紘汰たちが入れられた独房よりは生活感がある内装だった。例えるならビジネスホテルのシングルルーム。
 その中で、一人がけのソファーに座って、考え事をしていたのか、俯く裕也がいた。

「角居さん」
「碧沙ちゃ…… ! 紘汰っ!?」
「裕也! こんなとこにいる必要なんてない。帰ろう、チームに。ミッチも舞も、鎧武のみんなが裕也を待ってる」

 だが裕也は苦笑いし、首を振った。

「俺は帰れない。真実を聞いちまったから。知ったからには背を向けるなんてできない」
「真実って何だよ。一体どうしちまったんだよっ。なあ、裕也っ」
「――巻き込みたくなかったんだけどなぁ」

 裕也は立ち上がると、ドア近くにいた碧沙を見やった。

「碧沙ちゃん。その子は連れてってやってくれ。地下のクラックから出られるだろ」
「ええ。角居さんも程々に」
「心配と受け取っていいのか、それ?」

 碧沙は答えず、巴を促した。巴は一度だけこちらを見たが、すぐに出て行く碧沙に付いて行っていなくなった。

「紘汰――と、お前、駆紋。お前も聞いてけ。関係ない話じゃないから」

 紘汰は戒斗を見やる。去らない辺り、話を聞く意思はあるらしい。
 どかっとベッドに腰を下ろした裕也は、何故か寂しげな微笑を湛えた。


「なあ。10年後に人類が滅ぶって言われたら、お前らなら、どうする?」


「――、は?」
「うん。いや、そういう反応だよな、普通。でも悪い。これ、リアルな話だから」
「どういう意味だ」

 戒斗の声は心持低く聴こえた。

「後10年も経てば、ヘルヘイムの植物は地球の全域を覆い尽くす。戦極凌馬はそう予測してる。――外来種って知ってるか? ブルーギルとかアメリカザリガニとかが川の生態系を壊して繁殖するっての。あのヘルヘイムの植物も、いわば外来種だ。勝手に人んちに根ぇ張って、他の植物枯らして繁殖してる。今も、世界中のあちこちで」

 紘汰は思い出す。一度、インベス対策のためにチーム鎧武で動いた時だ。自分と光実は、ヘルヘイムの植物を燃やすユグドラシルの部隊を目撃した。
 あれは、証拠隠滅だけでなく、植物の侵食を食い止めていたのか。

「いずれ地球にはヘルヘイムの植物しか生らなくなって、人類は総インベス化。ユグドラシルはそれを回避して少しでも人類を生き延びさせるために研究をしてるんだとさ。実際のとこ、研究のやり方はえっぐいヤツばっかだけど。ちょいごめんな」

 裕也はしゃがみ込み、ベッド下から何かを引っ張り出した。黒い革のベルトらしき物だ。

「これ、俺が知らない間にまたインベスになって暴走した時用の、拘束具。寝る時は毎晩着けられてる」
「な…!」

 まるで囚人のような扱い――否。角居裕也はまぎれもなくユグドラシルの囚人なのだ。紘汰はようやく思い知った。

「お前も見たろ。俺がインベスになってたの。インベスの中身はな、俺たちと同じ人間なんだよ」
「人、間」

 紘汰はふらつき、ベッドにぶつかってそのまま座り込んだ。
 自分たちが殺してきたモノが、ただの害獣ではなく、人間だった。その事実は葛葉紘汰の精神に甚大なダメージを与えた。

「俺たちの世界側の人間ばかりじゃないだろう」

 戒斗の声は紘汰と対照的に冷静だった。

「でないと“森”にいるインベスの説明がつかない。角居。あの森の正体は何だ」
「それは俺にも分からない。ユグドラシルの誰にも。ただ、俺たちと同じように、文明があって、文化があって。人間が住んでた世界ってことだけは確かだ。森のインベスの中身は、森が現れる前の向こう側の人類――」

 ぴたりと裕也が言葉を絶った。裕也は胸元を押さえて前屈みになっていく。

「おい、裕也、大丈夫か!?」
「ち……かづく、な!」

 人間とは思えない力で振り払われ、尻餅を突いた。慌てて裕也を見ると、眼球は赤く明滅し、肥大化した両手に鉤爪が伸び始めていた。
 これが、インベス化。

 突如として天井にあったランプが赤く光って回転し始めた。ブザーも鳴り始めた。

「じきに、ッ、人が来る…だから、にげろ…紘汰! 駆紋!」
「裕也っ」

 足が裕也のほうへ戻ろうとした。だがそれを、戒斗が紘汰の腕を掴んで止めた。

「これ以上は無理だ」
「くっ」

 ここで留まるほど紘汰も馬鹿にはなれない。駆け出した戒斗に続いて紘汰も走り出した。







 かつん、かつん。無人の廊下に二人の少女のローファーの音だけが反響する。

「ヘルヘイムのこと、知ってるの? 政府とか国民とか」

 碧沙は痛ましげに首を振った。

「パニックになるから」
「それもそうよね……」

 例えば巴の両親のような人間なら、自分たちの保身を一番に考え、他人を押しどけて逃げようとするだろう。道中、どんなに誰に迷惑をかけようと。そして、そういう人間が人類の大半なのだと、中学生の巴でも知っていた。

「今、研究の一環で、わたしの体を調べてる」
「碧沙の?」
「もしかしたら、わたしの血とかが、ヘルヘイムの、角居さんみたいな人に効く薬になるかもしれないって、戦極さんは言ったわ。今は血を抜いたり、試薬を打ってみたりして、経過観察中」
「――それ、あなたと角居さんを実験動物にしてるってこと?」

 か、つぅん……巴は立ち止まった。碧沙も、巴から少し離れた位置で留まっている。

 碧沙は放課後のダンスで浮かべるのと大差ない笑みを浮かべた。

「そんな……あなたも、角居さんも……それじゃモルモット扱いじゃない!」
「それでも!!」

 碧沙は巴に負けず劣らぬ声で言い返した。碧沙が大声を上げたのを、初めて見た。

「自分の体一つで人類全部が救われるかもしれない。そんなこと言われて、無視なんてできる? わたし……無理よ。だってみんなに生きてほしい。兄さんたちも巴も、この街の人たち、国中の人たちに」

 ああ、そうだった。呉島碧沙の本質は慈愛。誰にでも等しく注がれるモノ。惜しみなく振り撒くから、誰もが彼女に惹かれずにはいなかった。巴自身でさえも。

「わたしね、インベスの腹から産まれたんですって」
「――、は?」
「臨月になってお母さん、うちの避暑地に移ったの。何事もなく終わるはずだった。でもね、お母さん、見つけちゃったの。ヘルヘイムの果実。あれって、普通の人にはとてもおいしそうに見えるのよね」
「! まさかっ」
「ええ。お母さん、食べちゃったの。わたしがお腹にいる時に。ヘルヘイムの果実を」
「お母さんがインベスに……なったの?」
「うん、なったんですって。どうやって倒したかは知らないけど、とにかくお母さんは死んで、そのインベスの腹を裂いて出て来たわたしは、奇跡的にヒトの形で息をしてた。――どう? なかなかにサイケデリックな身の上でしょう?」

 碧沙は背中で手を組み、サラサラの直毛を翻して巴に背を向けた。

「ヘルヘイム抗体が強いのも、胎盤と羊水の中で、ヘルヘイムに負けない! っていう本能が体を造り変えたんだろうって。わたしは果実を食べてもインベスにならないし、傷つけられても苗床にもならない。鼻が利くのも、勘が鋭いのも、だから」

 そこで碧沙は巴の顔を恐る恐る覗き込んできた。

「な、なに?」
「気持ち悪いでしょう? わたしのこと。インベスから産まれたバケモノの子なのよ?」
「そんなこと、急に言われても」

 碧沙は、目の前にいる碧沙だ。身の上がどうあれ、それは巴の中で、今の碧沙との関係に瑕をつけるものではなかった。

「巴?」
「わたしにとって、碧沙は碧沙よ。髪はこんなにふわふわだし」

 軟質の髪に指を滑り入れる。

「肌はこんなに白いし、声だって奇麗だし」

 頬に触れる。

「手はいつだって優しいし、体はこんなに細いし」

 両手を下から持ち上げて握る。

「何より、こうして、言葉で通じ合ってるし、同じ倫理で生きてる。おかしなことなんて一つもないじゃない」
「巴――」

 碧沙は驚いたように巴を見ていたが、やがて碧沙のほうから巴に抱きついた。

「あなたが友達で、よかった」
「そんなの、わたしだって、いつも思ってるわよ」

 碧沙が巴に擦り寄った。

「もう、いいわ。充分よ」
「碧沙?」

 碧沙は巴から離れた。

「バケモノの子なのに友達でいてくれる巴がいる。わたしはそれだけで頑張れる。どんな辛い目に遭っても」
「碧、沙? 何を、言ってるの?」
「もうわたしに関わるのはやめて」

 世界の足場という足場が、崩壊した心地がした。 
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