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【短編】竜門珠希は『普通』になれない【完結】

作者:水音
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肉のない青椒肉絲はいかが?

 
前書き
 高校生の頃のお話、続きます。

 今話、微妙に百合臭・ビアン臭があります。ご了承ください。
 

 
 竜門(りゅうもん)珠希(たまき)は『普通』の少女になりたかった。


 その『普通』をどのように定義するかは人それぞれだ。家族、友人、生活環境――外的環境を数え上げればきりがなく、無病息災、平穏無事だけで『普通』になれるわけでもない。
 とはいえ、帰り際に寄った八百屋で買った人参と胡瓜を入れた袋を提げ、総菜屋のおっちゃん――顔を立ててあげれば気前のいい(あん)ちゃん――から、ちょっと焦げ目がキツいからというだけでもらった野菜コロッケを頬張りながら帰る女子高生(JK)が『普通』だと思う人は多数派ではないだろう、たぶんきっと。
 家に近づくにつれ、珠希は癖で周囲――特に前後左右――に注意を払い、様子をうかがう回数が増える。珠希の家、竜門家は両親共働きと言ったが、母親は家でもできる仕事をしている。むしろ珠希は家以外のどこであんな仕事ができると思いますかと逆質問(ツッコ)みたいくらいの仕事をしている。

「ただいま~」

 尾行がないことを確認し、小声ではあるが珠希は自宅玄関を開け、ローファーを脱いで上がる。
 妹・結月(ゆづき)はまだ帰っていないのか、家はしんと静まり返っていた。大抵、仕事が進まずにリビングでテーブルに突っ伏して寝ているか、クッションに顔をうずめてソファーで悶えているかの二つしかない母親だが、一度集中してしまえばたとえ家族であろうと人を寄せ付けないので、これも珍しいことではなかった。
 さすがに少し汗ばむようになってきた時候、制服を脱ぎたいところではあるが、珠希は真っ先にキッチンに向かい冷蔵庫の野菜室のドアを開け、そこに先程買ってきた人参と胡瓜をしまった。彼らには夕食の準備までクールダウンしていてもらわねば。
 そしてついでに珠希は昨日買っておいた夏向けのフレーバーティーを飲もうと冷蔵庫を開けたのだが――。

「っな、……ええっ?」

 驚きがまず先に口から飛び出した後、珠希の思考は緊急停止した。目を見開き、冷蔵庫のドアを開けたまま固まった珠希の前からは冷気がダダ漏れ。ああもったいない。
 呆然と立ち尽くす珠希の視界のド真ん中にはなぜかババロアサイズの半球形の物体が2つ。しかもそれは中途半端にペールオレンジと赤に塗り分けられており、一瞬、食べ物かどうかを疑ってしまうもの。さらにそのババロアは何やら薄い板のようなものに張り付いていて、その板には何やら赤面した、劣情を煽るような表情(かお)をした美少女のイラストが描かれている。
 何度瞬きしても、見間違いかと目頭を押さえてみても目の前にあるもの、それが間違いなくババロア……ではなくマウスパッドだと珠希はようやく理解した。
 それ、俗に言うお○ぱいマウスパッドである。

「あンのクソ親ァァァっ!!!」

 隣三軒、近所には響かない程度に珠希は叫んだ。そんな汚い言葉を使ってはせっかくの美少女面が台無しである。実際、そのクソ親の遺伝子のおかげで珠希はイージーモードを満喫できるだけのスペックを持って生まれてきたはずだが、基本スペックが高くてもそれを最大限活用できているかどうかはまったく別の話だった。
 何であんなモノが、何であんなモノが――と心の中で何度も恨み節を呟きながら、珠希は冷蔵庫のドアを叩きつけるように閉めると、夏向けにミントの香りを織り交ぜたフレーバーティーを飲むのも忘れ、とめどなく湧き上がってくる怒りの感情をとても清楚系――と周囲から見られていると思いたい――10代女子のものとは程遠い、まるで5倍速で大都市・東京へ侵攻するゴジ○のような足音に変え、一直線に家のとある場所に向かった。

「お母さんッ!!」

 珠希が向かった先は母親の仕事部屋。在宅でもできる――むしろ在宅でしかできないと思う――仕事に就いている珠希の母親がリビングで暇潰し(グダグダ)していないとなると、外出とトイレと風呂以外では仕事部屋(ここ)くらいしかなかった。
 そして緊急の家宅捜索(ガサ入れ)かと思うくらい乱暴にドアを思い切り開き、再び絶句する羽目になった。

「ほら、ココが気持ちいいんでしょう?」
「あ……ッ。そ、そんな……やめてくさだいっ」
「本当にいいの? やめちゃって」

 絶句する珠希の前で繰り広げられる乳繰り合い。しかしながら乳繰り合っているのは女性と女性であった。

「ホラ、アナタのココはそう言ってないみたいよ」
「……ッ! そ、そんな……ァッ」

 粘り気のある水音、艶めいた声とそこに紛れる荒い吐息――をこの部屋にもたらしているのは真っ白い襦袢を着た妖艶な雰囲気の女性と、濃紺の生地にグレーのストライプが入ったスーツ姿の黒縁眼鏡の女性。

「……っな、な、ななな……」

 帰宅して冷蔵庫を開けたらなぜかおっ○いマウスパッド。そこで怒りの形相で母親の仕事部屋に乗り込めばなぜかそこでレ○シーンに遭遇。ここで早くも精神状態が限界を振り切ってしまった珠希は、隣三軒、道路向こう三軒まで響くかのような声で叫んだ。

「っま、真ッ昼間から発情(サカ)ってんじゃないわよいい大人がぁぁぁッッッ!!!!」



  ☆  ☆  ☆



 珠希の家、竜門家は周囲の家よりも広く立派である。
 敷地は瓦葺きの漆喰の外壁に囲われ、木製の門扉を開けると整然と揃えられた植え込みと石畳に導かれるように装飾が施された硝子戸の玄関に続く。しかも三和土(たたき)は三、四十足は靴が置けるほど広い。そのうえ築山まで拵えた日本庭園や現役で使用可能な土倉まである。だがまるで映画や漫画にありがち(・・・・)な極道者が住む家屋だとは口が裂けても出してはいけない。この豪勢な家屋に気後れして離れていってしまった友達が珠希にはいたのだから。

「――で、お二人は反省の弁などございますか?」

 母親が普段仕事をしている際に使っている椅子にどっかりと腰を下ろし、日焼けやシミ、ムダ毛とは縁の無い腕と脚を組み、『普通』になりたい負け犬小心者女子高生(JK)珠希は眼前で正座をさせられているいい年齢(トシ)した女性二人を睨みつけた。
 小心者の気がある負け犬でも怒って牙を剥けば恐いんだ。この世には怒らせてはいけない人間がいること、みんなは社会に出る前に覚えておこう。

「あ、あのね珠希ちゃん。これは――」
「言い訳なら後でゆ~っくりお聞かせ願えますか? お母様(・・・)
「ひッ……」

 何やら言いだそうとした襦袢姿の女性の言葉を、珠希は――背後に修羅を降臨させて――満面の笑みを浮かべて容赦なく却下(シャットアウト)。黒縁眼鏡のスーツの女性が小さく息を飲んだのも珠希の地獄耳は聞き逃さなかった。
 それにしても何にしても――この状況下で珠希が頭を抱える最大の原因は大きく二つ。

「そ、そんな……ッ。冗談でしょ珠希ちゃん? お母様だなんてそんな他人行儀な」
「いえいえ。こちらは今一秒でも早く他人になりたい気分なのですが――まだ言い訳するなら今日の晩ご飯は肉抜きの青椒肉絲にすんぞコノヤロウ」
「そ、それってただのピーマンの油炒めじゃあ……」

 そのひとつが、この先程までの妖艶な雰囲気はどこへやら、竜門家の家事の実権を一人で掌握する珠希の下した残酷な一言に涙目になる襦袢姿の女性・竜門(りゅうもん)彩姫(さき)こそ、珠希をその腹から産んだ唯一の女性(ははおや)であることだった。
 とはいえ、これ(・・)が血のつながった実の母親だと思うと、むしろ泣きたいのは珠希のほうである。
 あと悪いが黒縁眼鏡の女性、ツッコミは結構だが青椒肉絲はピーマンと肉だけで作る料理じゃない。オーソドックスな他の材料を挙げてもタケノコやネギがある。こちとら何が悲しくて中3の頃、高校受験シーズン真っ只中に仲のいい魚屋のおっちゃんからアンコウの捌き方を教えてもらわなきゃいけなかったんだ? その日の夜がアンコウ鍋になったのは言うまでもないが。

「ピ、ピーマン? そ、それだけはイヤっ。お母さんを殺す気なの珠希ちゃんッ?」
「食べたくないなら自分でお作りになられてはいかがです?」
「酷いッ! わたしがお菓子以外作れないって知ってるくせに」

 普段はだらけまくっているくせに、いざ集中力が高まると周囲の心配をも無視して寝食を忘れるほど仕事に没頭する母・彩姫の味覚や好きな料理は本当におこちゃまである。単に放っておけばケーキやらクレープやらの甘いモノを際限なく摂取するだけでなく、ハンバーグやらミートソーススパゲティがテーブルに並ぼうものなら、その匂いを嗅ぎつけて寄ってくる。本当、今時の子供より偏食が酷い。
 一方、嫌いなのは主に苦いモノや臭いモノ。こと魚卵と刺身は一口食べた次の瞬間に嘔吐を催すほどで、未だにピーマンとセロリとグリーンピースが食べられない。本当、今時の子供より以下略――。

「お母さん、珠希ちゃんをそんな娘に育てた覚えは――」
「あたしはまともに育てられた記憶も無いのですが」

 幼少期から共働きだった両親の代わりに珠希の面倒を見ていたのは珠希の兄である。
 彩姫が産んだ4人の兄弟姉妹のうち、兄だけが珠希たちと少し歳が離れており、小学生の頃の珠希からすれば当時高校生だった兄はたいそう頼れる大人に見えていた。――そう、見えていた、だけだ。あくまで過去形である。
 
「あ、あのね、珠希ちゃん……」
「何でしょうか? このダメ母の担当編集をしていただいている遊瀬(ゆぜ)汐里(しおり)さん」
「えっ? あ、た……珠希、ちゃん? どうしてそう説明口調なのかな?」
「いえいえ。こんな母の担当になってしまって、本当にご愁傷様です」
「ご愁傷様って、それどういうこと珠希ちゃんっ!?」
「そ、そうですよぉ。私、これでも彩姫さん(せんせい)のこと尊敬しているんですから」
「それなら今すぐ尊敬される方を変えたほうがよろしいかと――つか、資料作成の一環だろうが○ズりたいならラ○ホ(そういう場所)でやれっつってんのよ」

 あくまで実母と、その母親の仕事の相棒(パートナー)である汐里を前にできるだけ丁寧な態度でいようとはした。しかし二人が開き直りとも聞きとれる発言をしたため、背後に修羅を降臨させはしなかったものの、同性すら魅了する満面の笑みとそれとは真逆の口汚さで珠希はひとつ代替案を示す。

「わ、私と先生の間にそういうこと……というか、そういう関係性はないですよぉ」
「それにね、これは○ズじゃなくて――」
「百合とかいえる年齢(トシ)だと思ってんのかあんたらはッ!!」

 これはあくまで珠希の持論であるが、百合とは精神的にも肉体的にも発育途上にある美少女たちが演じるモノであり、成人女性同士の絡み合いを百合とは定義しない。珠希が知りうる限りの単語を用いるなら後者は間違いなくレ○だ。

「ね、年齢を持ちだすのは卑怯よ珠希ちゃんっ」
「黙れアラフィフ」
「しおりんっ! わたしの珠希ちゃんがッ、娘がいぢめるのぉっ!!」
「あー、はいはい。泣かないでください先生」

 長女の残酷な言葉に、子供を4人も産んだ母親はまるで叱られた子供のように隣にいる担当編集者に泣きつく。これじゃどちらが母親かわからない。
 あといつ誰がいぢめたよ。こちらは率直に事実を申し上げただけだ、と珠希は心の中で反論する。

「しおりんのおっ○い舐めさせてくれたら泣くのやめる」
「ええぇぇっ!? こ、ここでそんなこと言われましても……」

 口の端がぴくりと歪んだ珠希の眼前、とにかく押しが強く精神年齢の低い母親・彩姫に迫られ、小動物系の臭いがする担当編集者・汐里は珠希のほうをちらちらと見ながら一定の距離を保とうと後ずさる。
 おいコラこの年中色ボケ母親、なに自分の担当編集者をレ○ビアンにオトそうとしてんだ?
 それに小動物系担当編集、あんたはあんたでカレシいるとか言ってなかったか?

「ねーえ、しおりん。今日()泊まってってくれないかなぁ?」
「き、今日()ですかっ?」
「そ。だってしおりんの反応がカワイイんだもん」
「で、でも今日はカレと会う約束がありまして……」

 眼前の二人、怒られていることもすっかり忘れている様子なので、珠希は無言で席を立つと、母親の仮眠室となっている隣室の押入れの中からとある(ブツ)を手に取った。それは昔、珠希が何に使うかわからなかったものであり、その用途がわかった今では思わず赤面してしまうときもあるが、今以上にこれが役立つこともないだろう。

「そんなぁ。しおりんはわたしとカレとどっちが大事なの?」
「そ、それは……えと、えっと……」

 仮眠室から仕事部屋に戻ると、正座させていたはずの二人はすっかり先程の――珠希が部屋に突入したときの――乳繰り合いに似た態勢に入っており、今すぐにでも彩姫の手が汐里のスーツの胸元を侵食しようとしていた。
 ダメだこの母。実年齢はアラフィフなのに理性がまるで機能していない。頭の中はヤりたい盛りの思春期男子並みで、口調や声色は年齢一桁の子供だ。
 そしてそんなダメ母の押しに負けている担当編集者も残念ながらアウトだ。

 ――というわけで、今珠希がすべきことはひとつ。

「いい加減にしろあんたらぁぁッッッ!!!」
「ひぃッ!?」
「ひゃあっ!!」

 これで帰宅後もう何度目の叫びかわからない。
 だが珠希が大きく振りかぶった右腕を振り下ろすと、風を切る音と同時に、まるで電気が火花を散らしたような音がその場に響いた。

「お二人とも、今自分が置かれている状況というものを理解されていないようですね」

 珠希が頭を抱えるもう一つの理由は、母親の職業。
 前述したとおり、珠希の母親・彩姫は家でもできる――むしろ家以外のどこでできるのか教えてほしい――仕事に就いている。

「い、いいえぇ……。そ、そんなことな、な、ななないわよ珠希ちゃん」
「せ、せんせぃぃぃ、声がふふふ、震えてますよぉ……」

 珠希が手に持ったそれ(・・)をぎりりと絞るように音を立てると、その音に身をすくませて二人はすっかり生気のない作り笑顔を浮かべご機嫌取りに走る。

「ね、ねえ珠希ちゃん?」
「なんでしょうか?」
「そ、その手に持っているものなんだけど……」

 彩姫が恐る恐る指差した先、珠希の手にあるのは珠希自身の背丈ほどの長さがあるSMプレイ用の一本鞭。つい先程、火花が散るような音を上げて母親の仕事部屋、畳の上に敷かれた長毛の絨毯を抉り取らんとした物体であった。

「これですか? これは確かあなたが執筆に必要な資料だといって通販で購入されたものですよ? お忘れでしたか?」
「そ、それくらいはお母さんだって覚えてるわよぉ」
「それはよかった。なぜかあたしが代引きしたものですから、ねえ?」
「せ、せんせえーぃ?」

 この家の家事すべてを掌握している以上、珠希が家にいることは多く、それゆえに宅配便などを受け取る確率も一家の中では相当高いのだが――娘に通販で頼んだ鞭を受け取らせる母親には担当編集すらドン引きのようだった。
 ええそりゃあもちろん品名に「鞭」なんて書いて送ってくる馬鹿はいませんよ。
 ただし、家事全般を預かる珠希が身に覚えのない宅配物を受け取ったところで、その中身が何なのか領収書や履歴を確認することくらい造作もないわけで――。

「――って、珠希ちゃん。もしかしてお母さんのパソコンを……ッ?」
「んなメンドくさいことしないっての。単に通販とかの領収書もあたしが管理するから出せって言ったとおりお母さんが出してくれてただけよ。後で汐里さんに必要経費として落とせるか聞くためにもね」

 竜門家の家事を掌握して早(ピー)年、もはや珠希の収支管理に抜かりはなかった。

「――で、汐里さん。これは経費で落とせますか?」
「え? あー、うん。ちょっと、というかかなり無理ですね」
「了承しました。この代金はお母さんのお小遣いから引いておきます」
「そんなぁっ!!」

 味方だと思っていた担当編集にあっさり裏切られ、家事をまとめあげる娘からお小遣いまで減らされ、ショックを受ける母・彩姫のその職業名は作家。小説家。皮肉られて「誰でもなれる職業」とも言われている。
 しかしながら彩姫の描くジャンルはR-18。
 X指定ともいうが、理由は性交がメインであるがゆえ。
 つまるところ、官能小説家である。

「さて、お話を本筋に戻しまして――お二人とも、ここであたしの気が済むまで鞭に打たれるか、この場でいかがわしい行為を切り上げるか、どちらか選んでくださいますか?」

 そして、もうこれ以上は妥協も遠慮もしないぞという雰囲気を全身から醸し出しながら、珠希は怒気を孕んだ笑顔でアラフィフのダメ母と押しに弱い担当編集に尋ねた。

「た、珠希ちゃん。お母さんはどっちも――」
「嫌だ、ってのはナシですよ? お二人とも」
「ですよねえ……」

 笑顔で背後に修羅を降臨させる呪文を唱え始めた珠希を前に、二人とも後者を選んだのは言うまでもない。


 
 

 
後書き
肉のない青椒肉絲は青椒肉絲じゃなく、野菜のゴマ油炒めだろう。

ちなみに作者はおっぱ○マウスパッドで汗疹ができたことがあります。
実用性は思ったよりありませんでしたね(意味深)

  
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