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カサンドラ

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第五章


第五章

「これで我等の勝利だ!」
「勝利は約束されたぞ!」
 一気に士気あがるギリシア軍。それに対してトロイア側は狼狽を隠せない。ヘクトールはそれを受けて自らアキレウスとの一騎打ちを挑むことにした。しかしそれはカサンドラが必死に止めた。
「なりません、それは」
 こう言って兄にすがりついて止めるのだった。
「アキレウスとの勝負は。なりません」
「何故だ、カサンドラ」
 泣きながら己の衣にすがりつく妹に対して問うた。
「私が敗れるというのか?」
「そうです」
 涙に濡れた顔で兄を見上げながら言うのである。
「ですから。それは」
「馬鹿な、そんなことはない」
「そうだ、ヘクトール様が敗れることはない」
 しかしヘクトールの周りにいる将校達は口々にこう言って彼女の言葉を否定するのだった。やはり彼等も彼女の予言を信じないのだった。
「カサンドラ様、お気持ちはわかりますが」
「ですが」
 彼女は妹として兄を心配しているのだと思った。そしてそれはへクトールも同じであったのだ。
「カサンドラ。気持ちは嬉しいが」
「行かれるのですか?」
「アキレウスの相手をできるのは私だけだ」
 こう言うのである。
「だからこそ。行こう」
「アキレウスは不死身です」
 カサンドラはあくまで兄にすがり告げた。
「ですから。兄様では」
「不死身でも私は行く」
 半ば死を覚悟した言葉であった。
「それだけだ」
「ヘクトール兄様ではなくです」
 ここでまた。カサンドラに予言が降りた。その予言を今告げるのだった。
「パリス兄様でなければ」
「私が!?」
「そうです。パリス兄様は弓の名手」
 このことは広く知られていた。ヘクトールもまたその弓の腕はかなりのものだがそれでもパリスは兄のそれを上回っていたのである。ギリシア軍も彼の弓に悩まされ続けているのだ。
「ですから。弓でアキレウスと勝負されれば」
「勝てるというのか」
「その通りです。アキレウスにも弱い場所があります」
 予言をさらに語り続ける。
「その足の腱。そこを狙うのです」
「そこを弓で撃てばいいのだな」
「そうです」
 はっきりと語る。
「それで。ですからヘクトール兄様ではなくパリス兄様が」
「確かにそれもいいだろう」
 パリスはまずは妹の言葉を受けはした。
「だが」
「だが?」
「兄上が行かれるというのだ。私がここで出ては」
「そんな・・・・・・」
 彼もまたカサンドラの言葉を信じていなかったのだ。やはりと言うべきか。次兄のその言葉を聞いてカサンドラの絶望はいよいよ大きくなろうとしていた。
「それでは・・・・・・」
「どうされますか、兄上」
 パリスは絶望するカサンドラをよそに兄に対して問うた。
「やはり兄上が行かれますね」
「そうだ。私でなければあの男の相手はできまい」
 彼もまたこう返すのだった。
「だからこそ。今は」
「わかりました。それでは」
「うむ」
 話が決まろうとしていた。カサンドラの絶望はそのまま奈落にまで落ちようとしていた。しかしだった。ここで将校の一人が出て来たのであった。
「お待ち下さい」
「むっ!?」
「そなたは」
「イオラトステス」
 ヘクトールが彼の名を呼んだ。その茸を思わせる髪型の若い将校であった。
「どうしたのだ?一体」
「ここはカサンドラの言われることに理があるかと存じます」
 彼は畏まって一礼したうえでこう述べるのであった。
「カサンドラのか」
「はい。アキレウスは確かに剛勇無双の者」
「その通りだ」
 ヘクトールは彼の言葉に返す。これはもう言うまでもなかった。
「ですが弓となるとパリス様に分があります」
「私にか」
「トロイアにはアポロン神とアルテミス神がそれぞれついておられますね」
「その通りだが」
「それもあります」
 彼はその二柱の神の名も挙げてきた。
「弓の神である御二人が」
「では二柱の神々の御加護もあるからこそ」
「ここはアキレウスに弓の勝負を挑むべきと思います」
 あらためて二人に告げた。
「それで如何でしょうか」
「そうだな。言われてみれば」
 パリスは考える顔になった。そうしてそのうえで再び口を開いた。
 
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