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良縁

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第二章


第二章

「そうだよな。それはな」
「それに今こうして食べられるし」
「鯉をか」
「期待してるよ」
 また笑顔で父に語った。
「その鯉をね」
「ああ。母さんに任せておけ」
「そうさせてもらうよ。ところでね」
 また父に言ってきた。
「これから暫く家にいるけれど」
「それがどうしたんだ?」
「それだよ。ちょっと色々回らないといけないんだよね」
「色々とか」
「うん。海軍だった人とか」
 当時の海軍将校は何かというと行かなければならない場所が多かったのだ。郷土の顔役やそうした面々にも顔を出さなければならなかったのである。これも海軍将校という地位故のことだ。ただ海軍にいてそこで部下を指揮していればいいというものではなかったのだ。
「あと村長さんにもね」
「村長さんもか」
「うん。別にいいよね」
「悪い筈がないだろう」
 笑顔で息子に告げた。
「喜んでくれるさ。兵学校を卒業してからずっと帰ってなかったからな」
「そうだよね。卒業して遠洋航海に出て」
「その時の話もすればいい」
「色々あったよ」
 また笑顔で父に告げた。
「本当にね。色々とね」
「海か」
「人もね。まあ兵学校の伝統とか」
「それも話せばいい。聞きたい人間は幾らでもいる」
 そういう時代だった。海軍といえば皆の憧れだったのだ。今となっては遥かな昔だ。
「だからな。それも話してな」
「うん。そうさせてもらうよ」
 最後も笑顔だった。笑顔で話し終えてそれから数日は本当に地元の顔役の家を巡ったり海軍に興味がある女の子や子供達にあれこれと優しく話したりした。休暇であってもそれなりに忙しい日々を過ごすことになった。
 それが終わってからだった。彼一通り終わった夜実家で一人酒を飲んでいた。しかしそこにすぐに彼の両親がやって来たのだった。
「ああ、まだ起きてたんだ」
「まあな」
「ちょっと寝れなくてね」
「寝れなくてって」 
 母の言葉を聞いて壁にかけてある時計に目をやった。見ればまだ九時である。
「まだ早いよ。寝るにはね」
「ああ、そうか」
「そういえばそうだね」
「どうしたんだよ。ああ」
 話しているその時にふと気付いた。
「飲む?お酒」
「ああ、三人でな」
「飲もうか」
 こう言って息子から杯を受け取った二人だった。こうして親子三人で静かに飲みはじめた。肴は梅でそれを一粒一粒食べながら酒を飲んでいた。
 飲みながら伊藤は。両親に対して問うてきた。
「よかったよ」
「何がだい?」
「皆元気でさ」 
 微笑んでこう告げたのだった。
「真也も真之介もね。ノブもクミも」
「皆元気だよ」
「安心したかい」
「うん」
 弟や妹達が前と変わらず元気だったことも彼の喜びだったのだ。今それを言っているのだ。
「それはね」
「そうか。それは何よりだな」
「皆変わらないよ」
 母は優しい笑みで息子に告げてきた。
「それでね」
「何だい?」
「御前、そろそろ」
「そろそろってまさか」
「そう、そのまさかだよ」
 顔が少し真剣なものになっていた。その顔で息子に言うのだった。
「身を固めないのかい?」
「わし等が今一番気にしているのはそれなんだよ」
「それって言われてもね」
 だが伊藤は両親のその言葉に今一つ晴れない顔を見せてきた。
「今のところは」
「結婚するつもりはないのかい」
「ないわけじゃないよ」
 それは否定するのだった。
「それはね」
「じゃああるのかい」
「それはよかったけれど」
「言われてるんだよ」
 ここで困った顔を見せる伊藤だった。それは息子としてよりも海軍士官としてのものだった。
「あまり変な相手とは遊ぶ位にしておけってね」
「遊ぶだけ?」
「うん。結婚する相手はさ」
 ここでまた一つ海軍の難しさが述べられた。
「しっかしした家じゃないと駄目だってね」
「しっかりした家っていっても」
「うちはほんの農家だよ」
 彼等にしてみればそうだった。あくまでほんの一農家なのだ。その意識しかない。
「それでどうしてしっかりした家なんて」
「その人さえまともなら」
「どうもそういかないんだよ」
 だがそれでも彼は両親に言うのだった。酒は何時しか三人共止まっていた。
「海軍だとね」
「難しいのね」
「難しいよ。むしろね」
「むしろ」
「そういう意味じゃここにいる方がよかったかな」
「馬鹿を言え」
 今の言葉はすぐに父親によって打ち消されてしまった。
 
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