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Ball Driver

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第三十話 愛してるぜ

第三十話


「「「愛してーるぜ!我らが帝東!
気持ちを込めて歌うのさ!!
我等が誇り精鋭達よ!さぁ行こーうぜ!!」」」

応援席からの大音量の声援が響き渡る。
その声援を上から浴びて、帝東先発の飛鳥が左のアンダーハンドからキレのある球を大友のミットに投げ込む。

「……体調バッチリ、制球バッチリ。良い感じだな、今日も」

ブルペンでの投球練習を終え、大友が話しかけてくるも、飛鳥の表情はむすっとしたまんま。

「……準決で先発って事は、明日は浦中さんの先発で、アタシ出番無いですよね?」
「……ま、そういう事になるかな」
「……やっぱりアタシ、まだまだエースじゃないだ……明日の徳士館の方が難敵なのに……」

飛鳥はため息をついた。帝東ほどになると、決勝の先発こそエースに任せ、準決ではエースを温存したりする。準決勝で、南十字学園のようなキワモノにぶつけられるという事は、自分がまだ二番手投手である事の証。飛鳥のため息はそういう意味である。

「おい、試合前から自分でテンション下げてどうするんだよ。今日勝たないと明日は無いんだぜ?マウンド上がりゃ誰だってエースだよ、トーナメントじゃ負けて良い試合なんて無いんだから」

大友が釘を刺すと、飛鳥は静かに頷いた。

「分かってます。……まずはこの、鬱陶しいチームを潰します。徹底的に。」

飛鳥の静かな闘士のこもった視線は、相手側のブルペン、桃色の髪の少女、品田紅緒に注がれていた。


「なぁ楠堂よ、お前は今日もでっかいなぁ」
「は、恐縮です」

前島監督がベンチの前で素振りしている、背番号16の選手に声をかけた。まだ一年生である。身長は187cm。前島監督の言葉通り大きい。そして、まだ15歳だが、その体には大きくくびれができていた。まるでミロのビーナスのような、ボンキュッボンのダイナマイトボディをしている。その割には顔は地味そのもので、まだ垢抜けていない。
帝東のメンバー中、もう1人の女。楠堂葵である。帝東に女は全部員合わせても、飛鳥とこの楠堂しか居ない。

「最近は150キロ近く投げる品田みたいな女が居たり、お前みたいなバケモノみたいな女が居たり、女が強えよなぁ。俺にはもうよく分からんよ。」
「一説によると、遺伝子レベルで男女性差が縮小していってるのだとか。」
「遺伝子ィ?お前、遺伝子とか分かるのか?じゃあ、DNAって何の略だ?言ってみろ」
「……ドコサヘキサエン酸……」
「それはDHAだよっ」

前島監督が突っ込むと、ベンチの他の選手も声を上げて笑い、楠堂は恥ずかしそうに大きな体を小さくした。

「なぁ楠堂。お前らの先輩方は榊原にしろ佐武にしろ、軟派な奴ばかりだから、今日は品田の色気に当てられるかもしんねぇ。神島と、お前。女2人でしっかり叩いてこい、いいか?」

ベンチでは榊原と佐武が「あんなチビロリ、色気なんてないない」と首を振っているが、楠堂は大真面目に前島監督に答えた。

「分かりました。周りは当てにせず、私が決めてきます。」



スタメン

南十字学園
7高杉真也 右右
4良銀太 右左
8楊茉莉乃 右右
1品田紅緒 右左
9遠藤紗理奈 右右
5本田譲二 右右
3坊月彦 右右
2山姿ジャガー 右右
6合田哲也 右右

帝東
7白石 右右
8大西 左左
3榊原 左左
2大友 右右
6佐武 右右
3楠堂 右右
4飯島 右左
9日波 右右
1神島 左左



ーーーーーーーーーーーーーー



<3番センター楊茉莉乃さん>
「まったく、新しい一、二番も相変わらずのポンコツよねぇ!またランナーなしじゃない!」

いつも通り、大きく悪態をつきながら茉莉乃が打席に向かう。4回戦以降無安打の哲也を9番に下げ、本来9番打者の高杉を一番に持ってくる新オーダーながら、先頭の高杉は三振。二番、4回戦以降僅か一安打の銀太も飛鳥に手玉に取られて内野ゴロ。二死で茉莉乃を迎える。

(……1年の癖に声が大きい、生意気な奴め)

飛鳥が小さく振りかぶりながら、茉莉乃を睨む。しっかり気持ちがボールに乗り、力みなく集中できている。

ブン!
「ストライクアウト!」

手元でスーッと逃げていくシンカー。今まで見た事が無い変化量でストライクゾーンの左右を揺さぶられた茉莉乃は、今大会初の三振を喫する。

(うそっ、このあたしが三振?完全に手玉に取られた?)

衝撃を受ける茉莉乃を横目で見ながら、飛鳥はさっさと自軍ベンチに帰っていく。

「「「いいぞ いいぞ 神島!!
いいぞ いいぞ 神島!!」」」

帝東応援団から大きな声援が送られる。
飛鳥は内心でつぶやいた。

(心配要らないわよ、あんたがポンコツなんじゃなくて、アタシが凄いだけだから。)

初回の攻撃を実にあっさりと退けられて、一回の裏の南十字学園の先発マウンドには、いつも通り、チビでロリな紅緒が立つ。

「ふぅー……」

大きく息を吐く紅緒。その表情はいつもより硬く、まだ初回というのに、嫌な脂汗を顔中に浮かべていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


「権城先輩、今日は初回からブルペンに入るんですね。」
「あ、姿もか?じゃ、俺は引っ込むわ」
「いや、それは悪いです。ちゃんとブルペン捕手はもう一人連れてきましたから」

姿の後ろには、防具を付けてウキウキの瑞乃が居た。

「権城くんのボールは、ボクが捕ってあげるねっ♪うわー、防具って何かすごーい。変身したみたいだァー」
「……誰か代わり見つけてきていい?」
「ちゃんとボールは捕れますよ」

姿は呆れ顔の権城に微笑んで、タイガー相手に立ち投げを始める。立ち投げでも、姿の球は唸りを上げていた。確かにこの球はタイガーにしか捕れないだろう。権城は仕方なく、はしゃいでる瑞乃とキャッチボールを始める。

「……初回からブルペンに入るという事は、品田先輩の事、何か知ってるんですね」
「ん?姿も聞いたのか?」
「聞かずとも、準々決勝のあのピッチングを見ていればどこかおかしい事くらい分かりますよ。」

パシッ!
権城のボールが瑞乃のミットを叩き、良い音を立てる。

「ま、少なくとも、今日の紅緒ちゃんは長くは保たねぇな。誤魔化しで誤魔化されてくれる相手でも無いだろうし。」
「……権城先輩なら、そんな品田先輩の状態を分かっていれば、ご自分が先発に名乗り出るだろうと思ってました」
「ま、仕方がねぇよ。この夏は俺の夏じゃない。帝東との準決勝はまた来年あるかもしれんけど、紅緒ちゃんの準決勝はもう一生こねぇだろ。」

バシッ!
パシッ!
姿と権城、2人の投げる球がそれぞれのミットを強く叩いた。



ーーーーーーーーーーーーーーーー



「初回から勢いつけんぞー!」
「サザンクロスなんて押し潰しちまえ!」
「プレッシャーだプレッシャー!」

帝東応援団は、準決勝となるとブラスバンドもあり、学校の生徒も大勢駆けつけてきている。閑古鳥が泣いてる南十字学園の応援席とは全く訳が違った。

「「「おーとこにはーーー!
家族や!なかーまがー居る!
目指したのはーー!遥か遠くーー!
憧れーーーの甲子園ーーー!!」」」

地鳴りのような大応援が響き渡る中で、帝東の攻撃はスタートする。

<一回の裏、帝東高校の攻撃は、1番レフト白石くん>

白石は一番打者ながら180cm75kgの大柄な体格。長打力もあり、強打帝東のトップに恥じない風格を備えている。

(指示はスローカーブ待ち……)

紅緒の白石に対しての初球はスローカーブ。

(来たっ!)

白石はピクッとボールに反応したが、しかし手は出さなかった。紅緒のスローカーブは際どく外れた。

(……見ていけって指示も出てるからなぁ。それがなきゃ今の球は振ってたよ)

その後も攻めは変化球主体。そして……

ビッ
「当たった!当たった!」

ようやく紅緒が投げたストレートはインコースにすっぽ抜け、白石のユニフォームをかすめた。デッドボールで先頭が塁に出る。

(……本当に変化球攻めだぜ。そしてストレートもすっぽ抜けて、球速は136だ。こりゃ本当にどこかおかしいんだな。ここまで読みが当たるのは珍しいぜ。)

帝東ベンチでは、前島監督が不敵に笑いながら腕組みしていた。

<2番センター大西くん>

続いて打席に入るのは二番の大西。
小柄な打線のつなぎ役である。

「わっ」

送りバントの構えをした初球は、スライダーが膝下のデッドボールのコースに飛んできた。大西が慌てて避け、キャッチャーのジャガーも身を挺して何とかこのショートバウンドを止める。

(すっぽ抜けの次は引っ掛けたような球か。荒れてんなぁ。これは見ていくべきだな)

前島監督のサインに頷き、大西はしっかり球を見た。紅緒は大西に一球もストライクを入れられずにフォアボール。

「……っ」

ユニフォームの袖で紅緒はしきりに汗を拭う。
初回だというのに、その表情は実に苦しそうで余裕がない。自然と眉間に皺が寄る。

<3番ファースト榊原くん>

紅緒からもらったようなチャンスに、帝東恐怖のクリーンアップが登場する。まずは榊原。通算本塁打数は37本と、チームトップだ。筋骨隆々、袖から覗く上腕二頭筋が眩しい。

(ここまで荒れてると、逆に打つ気萎えるんだよなぁ。フォアボールもらえるのに打つのがもったいないような……)

榊原がベンチを見ると、前島監督は打てのジェスチャーを繰り返す。

(あ、打っていいんだ。でもゲッツーはダメだから……)

榊原は、甘いコースに入ってきた球を思い切りすくい上げる。

(空向いて打つだけっしょ!)
カァーーーン!

火の出るような打球がラインドライブとなってライトに飛び、深く守っていた紗理奈の前に弾んだ。

(これ行けるんじゃない?)

2塁ランナーの白石は打った瞬間スタートを切り、ホームを目指すが、三塁ランコーの制止にあった。

バシッ!

ライトの紗理奈からの大遠投がキャッチャーのジャガーに返ってきていた。これでは2塁からホームへは突っ込めない。

(すくい上げたのに、ボールの上っ面打ってラインドライブんなったって事は、やっぱ品田の球は想像より全然走ってねぇんだな。去年のイメージで振っちまったよ。本来ならスタンドだ。)

榊原は首を傾げているが、これで無死満塁。
初回から帝東が大チャンスを迎えた。

「タイム!」

次に迎えるのは帝東の四番、大友。
たまらず南十字学園、タイムをとった。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


「おい紅緒、そろそろ気合い入れろよ」
「まだエンジンかかってないか?今日ホテルの部屋から出てくんのも遅かったからなぁ」

紅緒としては、マウンドの円陣でこんな気安い口を叩いてくる譲二や哲也ですら今は鬱陶しかった。肩が痛い。今日遅くまで寝ていたのは、昨晩肩の痛みで中々寝付けなかったからだ。嫌な汗が次から次へと吹き出してきて、止められない。思うように投げられない苛立ちも募り、大きな声で叫んで逃げだしたい。
でも逃げられない。私はこのチームを背負っているんだから。痛みに負けていられない。

「まだ初回だ、内野は中間守備だ」
「サードとファーストはホームゲッツーだな」

冷静な一、二塁間がポジショニングを確認し、この円陣は解散する。

(気合い入れなきゃ……踏ん張らななきゃ……)

紅緒は痛みに歯を食いしばって、無死満塁のピンチに向き合う。
打席には、帝東の四番・大友賢三が入っていた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーー



「さぁーいきましょー!」
「「「さぁーいきましょー!」」」
「さぁーいきましょー!」
「「「さぁーいきましょー!」」」
「来ました来ました!」
「「「来ました来ました!」」」
「ハイパーチャンス!」
「「「ハイパーチャンス!」」」
「この回一気!」
「「「この回一気!」」」
「試合を決めろ!」
「「「試合を決めろ!」」」
「「「うぉ〜〜〜〜
さぁ、行けっ!!」」」

帝東応援団はいきなりの大チャンス到来にお祭り騒ぎ。前島監督の指示通り、応援席からも声の洪水をグランドに浴びせかけてプレッシャーを増幅する。

「……やべぇ」
「心臓にガンガン来るぜ」

雰囲気でも南十字学園を圧倒しながら、打席に入るは大友。抜群の勝負強さで四番に座る、文字通り帝東の要である。

(このピンチに、品田はいつもなら真っ向勝負をしてくるんだろうが、監督の言った通り様子がどうもおかしい、と)

大友がベンチを見ても、前島監督は腕組みしてジッと見てるだけ。ダミーのサインすら出さない。

(……主将の俺がいきなり言いつけ破って真っ直ぐを狙う訳にもいかんからな。ここはカーブを狙ってじっくり……)
バシッ!
「ストライク!」

大友は初球をあっさり見送った。
ボールはど真ん中のストレート。

(……ほう、挑戦的だな。売られた喧嘩は買わねぇとな。)

大友の眼光が更に鋭くなる。
グリップを握る両手に力が入った。

カキッ!
カコッ!

大友はボールになる変化球をしっかり見送り、ストライクゾーンはカットして球数を稼いだ。
それはまるで、ある球を待ってるかのようだった。

「……もう。狙い球のカーブが来てるんだから、いい加減捉えて欲しいなぁ。」

帝東ベンチでは、飛鳥が頬を膨らませて、大友の打撃に不満げな顔を見せていた。

「いや、大友の中での狙い球がカーブじゃねぇんだよ、多分。大友は狙い球をしっかり待ってる」
「えっ?それってカーブ狙いの監督の指示に背いてるじゃないですか。」
「ま、後でお小言言ってやらねぇとな。でも、今この打席は四番のあいつの勝負勘の方が当てになる。」

前島監督は頬杖をつきながら、実に余裕の態度でグランドを見ていた。まるで、結果が分かってるかのように。

「その、狙い球って……」
「決まってるじゃないか、品田がここまで頼ってきた球、自分自身のプライドを賭けた……」

カァーーーン!
グランドから、金属バットの高い音。
左中間を一瞬で切り裂いていく、猛烈な弾丸ライナー。

「……ストレートだよ」

前島監督の頬が緩んだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


「おっしゃー!」

会心のタイムリーツーベース。二塁ベース上で大友は自軍応援席に向かって拳を突き上げる。
3-2のフルカウントになって投げてきた、紅緒渾身の143キロを確実に捉え、先制点をもたらした。

「「「おーおとも!おーおとも!おーおとも!おーおとも!」」」

帝東応援団はやんややんやの大喝采。
幸先のいい展開に大いに盛り上がり、段々と顔が青ざめる南十字学園ナインの焦燥感を増幅させる。

<5番ショート佐武くん>

2-0となってなおも無死二、三塁のチャンスに、打席には帝東一のイケメン選手佐武。肩で息を始めた紅緒の姿に嗜虐的な顔を歪ませる。

(渾身のストレートを打たれた後に投げる球はァ……)

佐武は、監督の言いつけを守る。狙うのは緩いカーブ。

(このカーブしか無いっしょォ!)
カァーーーン!

狙い澄ましたように高めに浮いてきたカーブを引きつけ、まるでお手本のような流し打ちでライト前に叩き返した。

「ストップ!ストップ!」
「おーっととと」

先ほどのリプレイのような好返球が紗理奈から返ってきて、二塁ランナーの大友は三塁に止まるが、一点追加して3-0。クリーンアップの三連打でなおも攻撃が続く。

(……もしかしたら、思ったより攻略に時間かからんかもなぁ)

前島監督は先ほどからサインを殆ど出していない。見ているだけで点が入っていく展開に、ニヤニヤが止まらない。

<6番ファースト楠堂さん>

無死一、三塁で、楠堂が打席に入った。
187センチの大女。体に厚みもあり、打席にデンとそびえ立つ。

「……これは気をつけた方が良いですね」
「1年だろ?こいつ。でけぇなぁ紅緒ちゃんに身長分けてやって欲しいよ」

南十字学園のブルペンでは姿が表情を強張らせ、権城が目を丸くする。

「この楠堂も、去年のシニア日本代表ですよ」
「へぇ、じゃあ俺の後輩に当たるんだ。そりゃ凄そうだな。」

権城は呑気に言うが、準決勝までに既に本塁打三本、打率は五割。楠堂はスーパー一年生の名を欲しいままにしている。

「…………」

楠堂は、自分より高い所に居るはずの紅緒を、むしろ見下ろすように落ち着いて構える。
それが紅緒には癪に触る。

(こいつ……何偉そうな顔してやがんのよ……!)

肩の痛みがもどかしい。万全なら、こんな木偶の坊、チャッチャと片付けてやるのに。

(燃えてるね。そんなに私の事が嫌いかしら。……小さな体で精一杯粋がってるけど、ストレートもカーブも打たれて、プライドズタズタでしょうね。四死球で出したランナーを返されるなんて、最低のピッチングだし。)

闘志を燃やす紅緒とは対照に、実にクールな楠堂。これがスーパー一年生たる所以。

「「「この頃流行りの女の子ー(おい!)
めちゃくちゃノッポの女の子ー(おい!)
こっちを向いてよ葵ーー♪」」」

ただ、応援席から流れてくる「キューティーハニー」の応援歌に対しては少し恥ずかしそうだった。





(デカい奴には負けられない!それも、相手は年下の女なんだから!)

脂汗を滴らせ、顔を歪めながら紅緒は投じた。小さな体の右腕が、千切れんばかりに振られた。




カン-ーー



短い打球音が響いた。



ーーーーーーーーーーーーーーーー


「嘘だろ……」

ブルペンから楠堂の放った放物線を見送りながら、権城は思わず声を上げた。
白球は遥か彼方に小さくなって、神宮球場の青い外野席の中段に弾んだ。

「無理なく振って、この飛距離かよ……」

権城が驚いたのは楠堂のその涼しい表情、力みのないそのスイング。まるで“普通に捉えれば”ホームランになる事が分かってるかのような余裕たっぷりのスイングだった。

しかも、打ち砕いたのは紅緒が無理をして、死力を尽くして投げ込んだ144キロなんだから、たまらない。

「「「あおい!あおい!あおい!あおい!あおい!」」」

帝東応援席は大騒ぎでヒロインの名前を呼ぶ。
ガッツポーズもせずに淡々とベースを回る楠堂との温度差は最高潮だ。


「…………」

紅緒はマウンドで両膝に手を付き、俯いたまま動けない。まだノーアウト。帝東の圧倒的打力の前に、いきなり6点を失った。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


カーーン!
「よっしゃぁー!!」

白石が拳を突き上げる。
紅緒は打球の方向を見なかった。打たれた瞬間に結果が分かって居たからだ。
打球はレフトスタンドに弾んだ。

「おぉー!?この回二本目ェ!?」
「やっぱり今年の帝東はすげぇな!」
「初回から8点たぁ、品田も形無しだな!」

観客席の雰囲気はすっかり緩み、帝東打線の恐ろしさに感嘆するばかり。
初回の攻撃は二死になっていたが、今の白石のツーランで8点目。初回ですっかり試合が壊れていた。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

まだアウト三つとれていないにも関わらず、紅緒は肩で息をして、大粒の汗がマウンドに滴る。健気にバッターを睨みつけているが、気持ちが折れて泣きそうなのを必死で堪えているようにしか見えない。

カァーン!

2番の大西の打球は、これまた鋭いライナーだが、セカンド銀太の真正面。やっとスリーアウトが成立して、帝東の一回の裏が終わる。

「あちゃーもったいない!損した!」

大西は天を仰ぐが、もったいないなどという言葉が出る段階で、帝東サイドは余裕が出てきた。
すっかり舐められた紅緒は、ベンチに戻りながらユニフォームの袖で汗を拭う。

「……うぅ……」

汗を拭う振りをして涙を拭いている事は、誰にも悟られなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


「一体、どうしちまったんだ、紅緒は……」
「こんな打たれた事、今まであったかよ」

頼みの紅緒がボコボコに叩き潰された南十字学園ナインの戦意の火は、まさに風前の灯。許されるならこのまま試合を終わって帰りたい、そんな惨めな顔をしている。





「……潰す」

8点の大量リードを貰っても、帝東の先発・飛鳥の集中は切れない。緩む事なく、南十字打線に立ちはだかる。

キン!
「ファール!」

この回先頭の紅緒に対しても、逃げる事なく勝負を挑んで仕留めにかかる。大量失点を喫した直後の打席、自分自身を奮い立たせるように紅緒は食らいつくが、前に飛ばず追い込まれる。

(……あんたなんか、恐るるに足らずよ!)

飛鳥は左アンダーからの角度を生かし、左打者の紅緒から最も遠いクロスファイアーのスライダーを投げ込んだ。

(届く!)

並の打者なら腰を引くような背中越しの角度のスライダーも、紅緒にはしっかり見えていた。右手一本で払いのけるように流し打とうとする。

「痛っ!」

しかし、右肩の故障がついに打撃にも影響した。右腕が伸び切らず、バットは空を切る。この夏初の三振を喫した紅緒は、そのまま肩を押さえて打席にうずくまった。

「おいおい、大丈夫か?」

さすがに心配になった大友が紅緒に声をかける。紅緒は涙を流して呻くばかりで、起き上がる事ができない。

「おい、紅緒!」
「大丈夫か!?」

南十字学園ベンチからは譲二と哲也が飛び出してくる。幼馴染2人に見守られながら、紅緒はバックネット裏から出てきた担架に運ばれていった。

「ふーん、品田紅緒ちゃんは肩を痛めていた訳ね。この先に影響出ないと良いねぇ、何せあんだけの才能は身長込みでも中々得難いからねぇ」

前島監督が「なぁ?」とベンチに居る部員に声をかけると、部員達は笑顔で「はい、そっすね!」と答えた。帝東はすっかり、南十字学園を見下ろしていた。

(……サザンクロスの、大黒柱が折れた。ボキボキに。)

退場した紅緒を見ながら、大友が内心で呟く。

(油断は禁物だが、、、これは勝ったな)



ーーーーーーーーーーーーーーーー


「試合前から、肩を痛めていた!?」
「それも、寝付けないくらいに!?」

病院に緊急搬送された紅緒を見送った譲二と哲也は、権城から話を聞いて驚愕した。
譲二は権城の肩を揺さぶる。

「お前、何で皆に言わなかった!?」
「紅緒ちゃんが言うなって言ったんだよ、それに言った所でどうなるんだよ!紅緒ちゃんは意地でも先発したっつーの!」

譲二は頭を抱えて嘆いた。

「バカ……あいつ……1人で無理しやがって……」

権城は、これにはカチンときた。
紅緒のやった、“怪我を押して先発”という事自体は、権城は全くいい事とは思っていない。それは試合を私物化するようなものだ。その結果が8失点なら、言わんこっちゃないというだけの話である。一方で、このチームが“紅緒のチーム”であった事も確かだった。紅緒が1人、エースで4番としてここまで皆を連れてきた。引っ張ってきた。
その期待、役割を、自らの負傷くらいで降りられなかったという気持ちも、権城は想像がつかない訳ではない。
しかし、そうやって1人で頑張ってきた紅緒に対して、引っ張ってきて貰った側が“1人でやるな”とは、これはどういう事だろうか。

「うるせぇーっ!紅緒ちゃんがなぁ、バッカみてぇに無茶しやがったのは、てめぇらが情けねぇせいだよっ!」

権城が、先輩方に対して怒鳴る。いつからか、権城は先輩方にも敬語など使わなくなっていた。ベンチに入っている一年生達が凍りつく中で、権城はまくし立てる。

「本田譲二ィ!てめぇは懲りもせずにレフトスタンドばっか狙ってショートゴロばっか引っ掛けやがって!学習能力ってのがねぇのか!?状況を考えるくらいしやがれ!」
「合田哲也ァ!おめーは速い足を生かそうともせずこれまたアホみたいにクルクルクルクル三振の山!守備でもゴロの処理が雑すぎんだよ、無駄なジャンプスローなんて要らねぇから!」
「坊月彦ォ!いい加減、苦手な球来ても対応しようとする姿勢くらい見せろ!去年の雅礼二を見習ったか何か知らんが、打てる球だけ待って振り回しやがってよォ!春で既に研究され尽くしてんだよ得意球なんて来る訳ねぇだろうが!」
「良銀太ァ!小手先で当てるようなバッティングばっかり!どんな難しい球を当てても、内野ゴロじゃ意味がねぇんだ、少しは頭使って考えろ!」

徹底的にディスられた三年生達は、自分でも薄々気づいていたが、しかし本気で気にして来なかった事をズバズバと突かれて、押し黙ってしまった。権城は、不味い、と思った。言いたい事をつい言ってしまったが、これでは逆に、自分が死にかけのチームにトドメを刺してしまった。
権城はコホンと咳払いをして、シュンとしてしまった先輩達に語りかける。

「……あんたらが不甲斐ねぇから、紅緒ちゃんはぶっ壊れちまったんだけどよ、今日はこれ、良い機会じゃねぇかよ。もう紅緒ちゃんは今日も明日も無理だ。到底投げられねぇよ。だからこそ!これまで背負わせてきた分、俺たちが支えてやんなきゃならねぇだろ!あいつの残した8点差、しっかり返して逆転して、明日も勝って甲子園だ!甲子園までは日が空くから、また投げられるかもしれねぇ!品田紅緒の高校最後のピッチングが、一回八失点で良い訳がないだろ?南十字学園野球部が誇る、粗野で横暴な女王様だぜ?このまま終わっちゃいけねぇんだよ、終わらせちゃいけねぇんだ!」

パチ、パチ、パチ。
権城の熱っぽい演説に、一年生から拍手が起こった。

ポン。
背後から肩を叩かれ、振り返ってみると、打席から帰ってきた紗理奈が微笑んでいた。

「……打席から帰ってきたら、私の言いたい事全部言われちゃってたな。ありがとう。」

そして改めて紗理奈が、ベンチの中の全員に呼びかけた。

「権城くんの言う通りだ!この状況だからこそ、みんな一丸にならないといけない!相手は強い!だけどこのまま引き下がれないよ!勝つよ!みんなの力で!」
「「「おおぉーっ!」」」

8点ビハインドの圧倒的不利。
普通は試合を投げる所だが、しかし今、南十字学園にとっては、この8点ビハインドの逆転こそが大きなモチベーションになった。

「姿くん!」
「はい」
「次の回からピッチャー。いけるよね?」
「はい、もちろん」

紗理奈の指名に、姿が力強く頷く。
色白な優男だが、端正な顔がやたらと頼もしく見えた。



(あれ……結局、リリーフは俺じゃないんだ……あんだけ発破かけたのに結局俺はベンチって……)

1人で顔を引きつらせている権城は、ベンチの中の前向きな雰囲気から据え置かれた。





 
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