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乱世の確率事象改変

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風に消える慟哭

 透き通る白絹のような肌。濃い茶色の髪はしっとりと艶やかに。鋭い視線は鋭利な刃物のように研ぎ澄まされ、見る者を突き刺す。
 クイ……と押し上げる仕草は知性をより深く際立たせるには十分であった。
 郭嘉――――稟は目の前の人物を推し量ろうと、その動作、言動、視線、表情の一片に至るまで、会話を繰り返す中で観察しようと見据え続ける。
 言うなれば、警戒している、疑っている……と取れる。
 しかし本心としては違う。ただ単に、自分の相手への現在の評価というモノを分かり易いカタチで表しているだけ。
 言い換えるのなら、その男と真名を交換した親友に置く信頼の裏返し。
 腹の探り合い上等、真っ直ぐに来るならそれも良し、自分は曹操軍の軍師『郭奉公』として、あなたをしっかりと見極めさせて貰います……そう、示しているのだ。
 対して、その鋭い視線に気付いていながらも、ぽりぽりと『せんべい』を齧る秋斗はなんら言葉を発さずに、ゆったりと椅子に腰かけて空を見上げていた。
 中庭の東屋。晴天は明るく、日差しは暖かい。からりとした空気は湿り気を帯びず、洗濯物が良く乾くのだろうな……などと場違いな事が秋斗の頭には思い浮かんでいた。
 半月前までならまだしも、華琳が帰って来てから忙しくなった彼が、日中にこの城でゆっくりしている方が珍しい。
 この出会いは偶然である。
 先日に話す時間を作るからとの約束を果たす為、朔夜が来るまで待っていた所を稟が偶然見つけて立ち寄っただけ。

「あなたは……徐晃殿、ですね」
「……ああ。そういうあなたは郭嘉殿、かな」

 そんな一言から始まり、華琳が求めて今も城に置いている相手が気になり、稟は同席する事に決めた。
 前情報として、稟は風や朔夜から今の秋斗がどういった人物なのかは聞いている。しかし現物を自身で確認してこそ、その人となりが見えるというモノ。
 半刻もまだ経ってはいない。秋斗も稟も、互いに言葉を掛ける事無く時間が過ぎていた。
 ふっ……と一つ息をつき、稟は目線を切った。自然体で菓子を貪り、遠い目をして空を見上げる彼の思考など、言葉で切り崩さずにどうして分かろうか、と。

「風と親しくなったようですね」

 一言、大きく投げやった。
 共通の友の名を出して親しみを感じ取らせる為、相手の警戒心を下げる為、風に対してどういったモノを感じているのか調べる為、そして何をかいつまんで話を進めて行くのか……多くの意味を含ませた。
 緩慢な動作で秋斗はもう一つせんべいを手に取り、口には持って行かずに眺めていた。

「真名のことを言ってるのならそうなるかな。郭嘉殿の話も少しばかり聞いてるけど……話してみてからのお楽しみでーと詳しくは教えてくれなかったなぁ」

 返答ははっきりとしないモノであった。話の本筋をずらしながらも、続きを紡ごうとはしない。歩み寄ろうという気が感じ取れない、というよりかは、先手はまだそちらで構わないと主導権を譲っている。
 しかしその対応に稟は彼の人となりを見て目を細めた。
 風の話をするか、稟の話をするか、わざと限定して選ばせているのだ。選ばせながらも稟個人の話に興味を匂わせ、情報収集の布石として。
 やはり、朔夜や主が認めるくらいなのだから頭のキレる人なのだと納得して、稟はその誘いに乗った。

「私の事など知っても面白くは無いですよ。仕事ばかりの人間ですので」

 自分の事を知りたいのならそちらから聞くべきだ、とそっと勧める。
 秋斗はせんべいを口に運んだ。バリッ、と乾いた音を鳴らして一口割り、ぼりぼりと小気味の良い音を鳴らして咀嚼し、飲み込んでからゆっくりと稟を見据えた。掛かった、というように楽しげな笑みを浮かべて。

「クク、妄想で暴走して鼻血を吹き出すって聞いたけど、それは十分面白いと思うんだが」
「なっ! ふ、風から聞いたのですか!?」

 驚愕に思わず思考も投げ捨てて立ち上がり問い詰めた。
 その慌てた様子を見て、彼はさらに笑い声を上げる。

「あははっ! 俺の勝ちー! 郭嘉殿の本隊の引き摺り出しに成功ってな」
「くっ……」

 探り合いや駆け引きとして自分の負けであった為に歯を噛みしめた。
 話の道筋に沿いながら、前情報という武器を使って稟の心情を乱す事に成功。戦であれば、軍師が慌てさせられるのは戦況が危うくなる事態である。
 疾く理解し、自分との探り合いを戦に見立てた秋斗に舌を巻いた。
 だが、彼は引き摺りだしに成功と言った。勝ち確定と見るなど愚かに過ぎる。戦の勝利は大将を抑えてこそ成り得るのだと、稟は彼を睨みつけた。

「まだ、まだ負けていませんっ! 本隊は壊滅しておらず、大将も無事なのですから!」
「おんやぁ? じゃあ引きずり出された本隊は何を仕掛けて来るのかな?」

 にやにやと笑う秋斗に苛立ちが少し。抑え付けて、こちらにも同じ武器があるのだと、稟は思考を巡らせる。
 しかして……その全てが、風との他愛ないやり取りの最中で為された掛け合いでしかなく、彼を動揺させるには些か心元無い。
 ならばと思い至ったのはこんな方法であった。

「そういえば私もあなたの事は聞きましたよ。夜な夜な店長の店に足繁く通う理由を。手取り足取り……という事ですが?」

 出来る限りぼかして誰から、何を、とは言わずに、彼が食いつきそうな話題に振りなおした。
 朔夜が日々出している話題の一つ。嘘は言っていない。料理の話に持ってくれば広げるだけ、薔薇色の話ならば否定するはず、だから躱して引き込む準備は万全……のはずだった。

「……うーん、ちょいと間違った情報だな。アレを取り合って互いに高め合ってるってのが正しい」

 遠い目をして語られる。直線的にズバリと突き刺さった矢の如き情報は、彼女の脳内に波紋を齎してしまった。
 彼女にとっては、藪蛇、という言葉がまさしく正しい。一当てして彼の本隊を引きずり出すつもりが、さらに深い所まで導かれてしまったのだ。

――アレ!? アレとは『アレ』の事に違いありません。しかも高め合う!? ナニを高め合っているというのですか!?
 店長と徐晃殿がくんずほぐれつ、調理場でこう……「どうした店長、――――がおざなりになってるぞ?」「そういうあなたの方こそ――――なのでは?」

 脳内に薔薇の華が舞い散る。少女マンガチックに美化された妄想内の二人が稟の目の前で絡み合う姿が見える。乙女の妄想とは、かくも恐ろしい。

「……ああ、そんな……記憶を失った徐晃殿。嘗ての友の消失に心痛めた店長。互いに心苦しく、されども昔の平穏を取り戻そうと毎日のように過ごす内に実ってしまった禁断の果実。前の関係とは違うと理解していながらも求めてしまう店長っ! ああ! なんて悲しいっ!」
「おい」

 妄想ダダ漏れで切なげに眉を顰めて語る稟に対して、秋斗は冷たい瞳で短く声を掛けた。

「そう、実は! 店長は前々から徐晃殿に想いを寄せていたっ! それを感じ取った徐晃殿は傷つきながらも関係を止められずに、ダメだと分かっていても求めてしまうっ!」
「おい、鼻血垂れてるぞ。なんか風に聞いてたのと違うな……」

 涙と鼻血を垂らしながら、稟は目をぎゅっと瞑って尚も語る。
 風の情報では『噴き出す』であった。だというのに今のモノは全く違う。秋斗は情報と現実の相違点を冷静に見極めながらも、懐からハンカチサイズの手ぬぐいを準備した。
 たかが妄想であるが故に、秋斗はどんなモノを思い描かれていようと気分が悪くはならない。この程度、現代のハイパーな薔薇好き達がどのようなモノか知っている彼からすれば、自分が入っていようとも子供の妄想の如く生温い。まあ、そういった妄想は、本人がやめろと言って止まるモノでは無いと知っているから、でもあるが。
 しかし秋斗は知らない。
 稟がいつも通りに噴水の如く鼻血を吹き出さないのは、いやらしい妄想をしていながらもそこに自分が入っていないからだと。彼女がズブズブと妄想の世界に堕ちた末に、地面に血だまりのスケッチをするのは、華琳と自分のあんなことこんなことを思い描いてしまうからなのだと……そんな事は彼女の脳髄を覗き見なければ分からないモノであった。

「なんと哀しいことでしょうか……一口果実を食してしまったが為に、抜け出せない情愛と葛藤の迷宮へと引き摺りこまれてしまった……救い出せるのは、そう、二人の妹分である朔夜と、徐晃殿を愛している――――はっ」

 ふと、稟は現実に戻ってきた。普段ならば有り得ない事態であるが、自分が妄想の世界に居なかった為に戻って来れた。
 ただ……もう一つ理由があった。

「はい、お帰り」
「……あ、ありがとうございます」

 か細い声で礼を言い、稟は鼻血を拭った。しゅん、と肩を落とし、陰鬱でどんよりとした負の空気を漂わせ、徐々に、顔を俯けていく。
 彼女は彼とまともに目を合わせる事が出来なくなった。

――私は……なんと愚かしい事を……。ここ連日聞かされていた朔夜の妄想に流されたとは言え、自分でそれを広げてしまうなんて。
 彼の隣は……“あの子”しか有り得ないというのに。

 『ソレ』は妄想などでは無いのだ。現実に起こった絶望。
 一人の少女が最愛の人から忘れられ、それでも尚、その男の幸せを願い続けているという事実。
 その姿を、その心を、彼女は直に見た。化け物部隊を平然と扱い、死に行く兵達を笑顔で見送る“あの子”を知っているから……自責から心が沈んでしまうのも詮無きこと。

「くくっ」

 耳に響いたのは小さな笑い声。
 チラと覗き見て目に入ったのは、彼の楽しげな笑顔であった。

「あはっ、あははははっ! やっぱり郭嘉殿は面白いじゃないか」

 彼は子供のような笑顔で、心底から可笑しそうに笑っていた。目の端に涙を浮かべて、腹を抱えて。

――この笑顔を守る為に、雛里は黒麒麟の全てを代わりに背負ったのですか。

 胸が締め付けられた。自分は誰かの為にそこまで出来るだろうかと、そんな気持ちも湧いてきた。
 じっと、彼を見据える。笑い転げる彼を、稟は苦しげな顔で見つめていた。
 すると……彼は薄く片目を開いて、

「くく、なぁ郭嘉殿。誰の事を想ってそんな悲しい目をしてるか分からんが……その人も郭嘉殿に笑って欲しいと思ってるだろうよ」

 彼女の思考を停止させる一言を放った。

「な、何を……」
「郭嘉殿が優しくて素直ないい人だからさ。俺もそう思うし」

 過程も、理由も、予想も、何もかも彼は話さず、ただ一点、稟に対しての友好を示した。
 自分はそんなに分かり易かったのか、それとも彼が余りに鋭すぎるのか……そう考える前に彼はまた優しく笑った。

「ま、難しい事考えるのが軍師の仕事なのは分かってるさ。でもたまには、心も頭も空っぽにして思い浮かんだまま楽に行くのもいいもんだよ」

 じっと彼を見つめる稟は、じわりと湧き上がる感情を感じた。
 それはやり込められた事に対して、飄々と容易く防壁を崩された事に対しての悔しさか……否、それは二つの羨望。
 負けだと認めざるを得ず湧き上がった抑えがたい敗北感……それを感じさせずに、曖昧にぼかしながらすっきりとした心にさせてくる彼が羨ましい。まるで自身の主と出会った時のような羨望の感情。
 もう一つは、その彼を救うために全てを賭けている雛里が、ただただ羨ましく感じた。自分も……雛里のように華琳の事を想えるのか、と。
 目を瞑って、稟は苦笑を零した。自分に呆れを込めて。まだ、遅くは無いと決意を込めて。

「それでも考えてしまうのが軍師というモノですよ。……風が真名を許したというのも納得が行きました」

――そして星と友になれた理由も。

 心の中で呟いた。今の彼に言っていい言葉では無いから。
 何処か星に似ている、と感じた。
 悪戯好きで、人の心に聡く、されども他人の心に土足で踏み込むような真似はしない。
 飄々とした在り方も、挑発的に見える人の扱い方も、するりと本心を滑り込ませるやり方も……似て非なる、とは言い得て妙か。
 ならばと、稟はこの短いやり取りで一つの決心をした。
 またせんべいを手に取っておいしそうに砕き始めた彼を見やって、微笑みながら口を開いた。

「稟、と呼んでください、徐晃殿」

 不意打ちな発言に一寸驚いた秋斗は、ぽろりとせんべいを落としかけて慌てて拾った。
 一寸だけ苦しげに眉を寄せて、笑顔で言葉を紡ぎ始める。

「……なんでって聞くのは軍師様には野暮だよなぁ……俺の事も秋斗で。それに敬語は別にいらんぞ」
「いえいえ、秋斗殿とは違ってこれが私の自然体ですからお気になさらず」

 冷やかに見えるも、暖かさが浮かぶ瞳で言い放った稟に、秋斗はぐっと言葉が詰まる。
 後に降参、というように手を上げて、彼はまた嬉しそうに笑った。稟も、それにつられるように柔らかな笑顔を浮かべた。




 †




 大徳の風評というモノはいい効果だけを呼び寄せる、というわけでは無い。
 名だたる天才達を以ってしても終わらない政務の理由の一つがその風評ゆえであった。
 飢餓に喘ぐ難民達が押し寄せ、生きたいと縋り付く。商人が挙って押し掛けて、あれよあれよと管理の為に仕事が増える。
 幸い、客分という影響力の薄い立場ゆえに、秋斗自体が豪族達の政治政略に巻き込まれる事はほぼ無いが、敵対勢力からの間者や細作が溢れるは必至であり、その対処にも力を使わねばならない。
 その為、華琳が帰還してからのここ十数日は、警備隊も、軍師達も、将達も、皆が前以上に忙しく駆け回っているのだ。秋斗が全員と顔合わせをする暇が無いほどに。
 ちなみに、季衣と流琉には里帰りをさせている。理由は親衛隊の軍務が暫らく無く、華琳自体も試してみたい事があるらしく仕事の合間を縫って兵の調練を自らしている事。そして次の戦が大規模な激戦になるは必須と考えて、まだ子供の彼女達であれども軍人としての心を親とじっくり話させる為である。
 そんなこんなで忙しい中、一人の少女はやっと貰えた半日の休みに、彼と何を話そうかと心を弾ませながら東屋に向かっていた。

――早く、早く、秋兄様と話したい。たくさんお話をして、秋兄様の事をもっと知りたい。私の世界も広げたい。

 求める心をそのまま表すかのように、彼女の脚は自然と速足を踏んでいた。
 今日は月も居ない。二人共が新たな交流を優先させる為に、しばらく侍女仕事に専念する事になって秋斗はここ数日一人であった。

「――――って感じでさ、風は酷いんだ。いっつも寝てやがったし」
「ふふ、いつもそうですよ。しかしデコピン、ですか。今度してみるのもいいかもしれません」
「頭を叩くのが億劫ならツッコミの仕方を霞に習うのもありだと思うが? こう……寝とんのかいっ! って感じで」
「ふむ、独特の役目を取ってしまうのも悪いので、デコピンの方が私向けかと」
「えー、稟が霞の言葉を使うのもいいと思うんだがなぁ……」

 楽しげな声が朔夜の耳に突き刺さった。
 むすっと口を尖らせて、彼女は東屋に近付いていく。

「お? 朔夜の仕事が終わったみたいだ」

 まだ遠く、ふりふりと手を振る秋斗に朔夜は一寸心臓が跳ねるも、さらに口を尖らせて近寄って行った。

「朔夜が来ましたので私はそろそろ行きますね。またお話しましょう、秋斗殿。今度は風も一緒に」
「ああ、またな、稟」
「お二人の時間を邪魔はしませんよ、朔夜」
「……お仕事、頑張ってください」

 ズキリ、と胸が痛んだ。仲良さげに、目の前で真名を呼び合う二人を見て。
 通り過ぎ様、優しく微笑む稟に返せたのはそっけなくつまらない一言。苦笑を一つ、稟はススッと立ち去って行った。

――これが嫉妬、ですか。苦しいです。醜いです。鳳雛ならまだしも、稟ちゃんになんて。

 愚かな事だと理解していながらも、彼女の心を焦がす感情は抑えられない。
 秋斗と出会ってからの半月で、前よりも豊かになった感情がうねりを上げて心を埋め尽くす。
 これはいい事なのか悪い事なのか、朔夜には分からなかった。

「さて、お茶請けはせんべいしかないんだが、勘弁してくれな」

 どうにか不機嫌な朔夜を宥めたくて、秋斗から出たのはそんな言葉。
 どんな時も、誰に対しても変わらない彼を感じて、朔夜の心にビシリと痛みが走った。
 ふい、とそっぽを向いた。子供らしい、年相応に見える仕草で不満を示す。
 後に、彼女は秋斗に近付き……その膝の上にトスっと背を向けて腰を下ろした。

「……なんで俺の膝の上に座るんだ、お前さんは」
「……知りません」

 きゅむきゅむ、と掌を握る。何も掴めない自分の不満を表す無意識の発露。これがそういう意味を持っているのだと、自分の握られた手を見て朔夜は感じた。
 秋斗はため息を一つ。しかし何も言わずに、彼女の頭を撫で始める。
 ビクリ、と一寸だけ跳ねた朔夜は、ふにゃりと秋斗に小さな背を預けた。
 大きく、暖かい身体は安心を齎した。それまでの嫉妬渦巻く心が吹き飛ぶ程に。
 家族ではこうはならない。他の誰でもこんな気持ちにはならない。何故なのか、何故なのか……考えても考えてもその意味が分からない。
 恋、というのは知っていた。知識として、周りが誰かに向ける感情を見て、どんな状態がそうであるのか知っていた。
 例えば月。
 秋斗に向ける甘い視線を、朔夜は知っている。黒麒麟と秋斗を重ねながらも、元々の秋斗の性質に惹かれているからこそ、今もその想いを向けているのだと理解していた。
 例えば詠。
 話を聞いた後には必ず、大きなため息を落として遠い視線を向けているのを見ていた。今の秋斗がそれほど違わないのを理解していても、黒麒麟をこそ求めているのだと分かった。
 二人の違いは何か。それは些細な、されども大きな違い。

 月は導く事を望んでいて、詠は導かれる事を望んでいる。

 自分はどちらであるのか、と考えても答えは出ない。
 ただこの……いいようも無い安心感だけは、傍にあるだけでいいという想いは、どちらにも似ていて、どちらとも違うのだと理解していた。
 そこで気付いた。やはりそこに現れた羨望の心に。

――やっぱり私は鳳雛が羨ましい。導かれる側でありながら導く側で、黒麒麟を人へと戻せた存在……私もそうなりたい。

 眉根を寄せて思考に潜っていた。
 ふと、朔夜は話そうと思っていた事が全て飛んでしまっている自分に気付いた。
 時間がもったいなくて、何か話そうと思っても、彼が一番嫌がるだろう内容しか出て来なかった。だから彼女は、

「秋兄様は、楽しいですか?」

 ソレをわざとぼかして突き出した。さながら、彼のように。
 狙いは多岐に渡る。されども真っ直ぐに彼の心を貫ける必殺の一手。
 秋斗が道化師であろうとしている事など、朔夜に見抜けぬはずは無く。彼女は大胆にして狡猾に本隊を抑えに行ったのだ。

「……相変わらずだなぁ、朔夜は」

 のんびりと片手で朔夜の白髪を撫でながら、もう片方をせんべいに伸ばして手に取り、半分に割った。
 乾いた音が弾け、すっと半分を朔夜に渡す。髪に掛かったら悪いから、と自分は食べないようで、皿の上に置きなおした。
 カリッサクサク……と心地いい音が響く。朔夜は上品に両手で持って、零さないように食べ始めていた。

「楽しいさ」

 短く、彼は朔夜の包囲を躱そうと足掻いた。正面突破という、最も単純な方法で。

「私に対しては、答えが足りてません」

 即座に切り捨てた。正しく、真正面から。
 その程度、あなたも分かっているはずだろう、と。これは秋斗が相対する事が最も苦手な覇王のやり方に近い。

「……他の話をするつもりは?」
「ありません」

 ぴしゃりと言いきって、朔夜は顔を上げた。彼を追い詰めて、それでも自分のわがままを話したから、心配が胸にこみ上げていた。
 彼の事を聞けば聞くほどに、知れば知る程に異質さが際立つ。自分と同じく先見を持っているはずなのに、世界はくだらないガラクタじゃないと言い切るくせに……彼は自分をガラクタであるかのように扱う。黒麒麟も、秋斗も、誰かの心を理解していながら自分をゴミのように投げ捨てて突き進んで行く。
 朔夜にとって、彼だけはガラクタでは無い。白黒の世界に初めて光が差されたのは、彼が歪めたからだ。だから彼女にとっては、彼こそが初めての大切なモノ。自分から求めた、世界の色を変えるたった一つの虹色の絵具。

――そんなに自分を捨てないで。

 見上げる宵闇色の瞳は透き通り、頬は桜色に染まり、表情は……悩ましげに眉を寄せていた。
 過去の自分を追いかけるとは、現在の自分を切り捨てて行く事。
 他者からも、自分自身ですらも自己認識を否定する事は人格の分裂を生む。切り替わる術を身に着けたのはその自己防衛本能の顕現と言える。
 このまま過ごせば自分が誰かも分からなくなり、いつしか精神的に歪みが起こるは必至であろう。自己を繋ぎ止めるはずの新たな絆を得る事すら、苦痛を伴っているのだから尚更。
 目指す相手がただの他人であれば良かった。
 皮肉な事に、彼の場合は自分自身。そうなれるという結果が出ている以上、追い求め、追い縋り、自分の想いと黒麒麟の想いを混ぜて行く。
 如何に近しい絵の具を混ぜ合わせようとも、全く同じ色になど出来ないと知っていながら。
 朔夜の瞳を見つめていると、急な胸の痛みに秋斗の目が細まる。すっと、瞳に昏い色が差し込まれた。

 違う。

 何が違う……とは分からなくとも、秋斗はそんな気分に苛まれた。
 秋斗は知らない。
 そうやって見上げた少女が居た事を。彼に戯れと言いながらも、わがままを話した後に不安と後悔を携えて“彼女”がそうした事を。
 苦笑を一つ零した秋斗から、じっと黒が渦巻く瞳を見つめていた朔夜は……

「ていっ」
「ぅあっ」

 デコピンを落とされた。せんべいは落とさなかったが思わず蹲り、朔夜はコスコスと額を片手で擦る。

「乱世は楽しくない。街で過ごすのは楽しい。曹操殿達と話をするのも楽しい。これでいいか?」

 朔夜の背に言葉を落とす彼の声音は優しい。それは確かにその通りだろう、と朔夜も分かっている。本当に聞きたいのはそんな単純なモノでは無いのだ。

――知っています。分かってます。あなたは優しすぎるから、絆が増える事すら苦しいのでしょう? 鳳雛、月姉様、詠姉さんの三人に、過去の自分との接点を感じさせる事もお辛いのでしょう? そして黒麒麟が戻らなければ、あなたが黒麒麟を演じなければいけない……だからあなたは、自分を……乖離させていくしかない。

 楽しいか、と聞いたのは他者と絆を繋ぐのが楽しいかという意味が大きく、秋斗に自分からそれを話して欲しかった。
 彼がぼかしたのは真実の裏返し。本当の事を言わないのは自分への嘘を隠すため。朔夜の張った罠に秋斗は見事に引っかかった。

「ま、お前がそんなに落ち込む事じゃないさ。自分が選んだ道を進むと決めた時は、真っ直ぐ進む。それが男ってもんだ」

 否、罠だと分かっていて踏み抜いていた。
 くしゃり、と頭を撫でつけて、彼はからからと笑う。
 朔夜は胸が苦しくなった。きゅう、と締め付けるその痛みを初めて経験した。

「ズルいです」

 思ったまま、思考を重ねる事無く口から出した。
 頭を撫でてくれる手は優しくて、彼が頼ってくれないのが哀しくて、朔夜はふるふると震えだした。

「……ごめんな。朔夜が気遣ってくれたから、少しばかり楽になった。ありがとう」

 するりと、彼は本心を滑り込ませる。それが心配を向けてくれた朔夜に対しての礼儀だから。

――私にこの人は救えない。どれだけ認めても……この人はきっと……鳳雛から認められないと救われない。

 それが口惜しくて、嬉しいはずの言葉を貰っても悲哀に心が沈んで行く。
 だから、彼はズルい。そして“彼女”が……ズルいと思った。

――私がこの人に言ってはいけない。『あなたのままで、好きに生きて』なんて……月姉さまでさえ言わないのに、言えるわけ、無いっ

 締め付ける胸がさらに痛んだ。
 ああ、これが恋なのだと、彼女は思う。ただ誰かに幸せになって欲しい、それこそが恋なのだと。
 彼女は経験が無かったが故に、そして狂信という毒に侵されている為に、恋を一足跳びしてしまっている事に気付かなかった。

 落ち着くまで頭を撫でて貰って、幸せを感じてしまう自分に罪悪感を覚えながらも、朔夜はぴょんと秋斗の膝から降りた。
 稟が座っていた椅子に腰を落ち着け、ゆっくりと二回、深呼吸をして、秋斗と目を合わせた。
 朔夜にあるのは、凍えるような知性の光を灯した、月に吠える狼の視線。

「では、今の秋兄様とこれからのお話をしましょう。次の戦……“あなたなら何を求めますか”」

 通常では有り得ない発言に驚く事無く、秋斗はにやりと口を引き裂いた。
 先を知るモノと、先を読めるモノ。
 二人の異端者が其処に仮初めの未来を描いていく。このどうしようもなく哀しい、乱世を変える為に。




 †




 肌寒い風が吹き抜ける。
 もう既に宵の刻。いつまでも東屋にいるのはさすがに拙いと思い始めた頃であった。

「おうおう兄ちゃん。また幼女趣味が暴走しちまったのかい?」

 ぶっきらぼうな声が響く。
 会話を重ねるうちに疲れが出たのか、こっくりこっくりと船を漕ぎ始めた朔夜が、何故か膝の上に来て眠り始めた所である。
 風邪をひかないように自分の外套を掛けて、眠りながらも甘えたように体を寄せる彼女を、落ちないように抱きしめていたら掛かった声は、前のように秋斗を責める。

「宝譿……そんなにペロキャンぶち折られたいのかお前は」

 頬を引くつかせて、秋斗はジロリと声のした方を向いた。
 いつも通りの半目、わさわさと靡かせた金髪、何を考えているのか分からないのんびりとした雰囲気。
 風は呆れたようにため息を一つ。

「朔夜ちゃんとあんまりひっつくとよろしくないのですよー。お兄さんの幼女趣味は分かっていますけどねー」

 意地悪を付け足したとは言っても、やんわりと為された忠告に、秋斗は片目だけ細めた。

「……そうだな」

 先程とは違い、返す言葉にはいつもの意趣返しが含まれ無かった。
 輝き始めた星を数えるように彷徨わせた視線。もやもやと、風は危うさを感じて近寄っていく。
 そして、訝しげに見つめる秋斗に、

「消させません」

 グイと顔を寄せて、鼻が突くくらいの距離で、風は言い放った。
 碧き水晶の瞳を向けられた秋斗の目線がぶれる。

「風は覚えています。皆も覚えています。お兄さんが此処に来てからどれだけ笑ったか、どれだけ風にいじめられたか、どれだけ、他人の事ばかり考えていたか」

 じっと言葉を聞いていた。ぶれた瞳は徐々に合わさっていく。

「だから忘れても、何度でも、何度でも、思い出させてあげます」

 目を見開いた後、苦しげに秋斗の目が細められた。
 ピタリと本心を言い当てられては、逃げられるはずも無かった。
 絆を繋げば繋ぐ程に、また忘れてしまうのではないかと、恐怖が圧しかかっていた。真名という大切なモノを預けられれば、また、“彼女”のような泣き顔を増やすのではないかと怯えていた。
 それを風に見抜かれた。
 苦しげながらも光の灯った瞳を見て、すっと、風は身体を離した。

 泣きそうな顔で、秋斗は笑う。嬉しくて、哀しくて。

「ホント……敵わないなぁ……」

 軽く言葉を零しながらも、初めて人前で泣きそうになった。
 いつかの言葉は、優しく支えてくれる新たな絆達と、“彼女”に向けて。

 ズキリ、と胸が痛んだ。

 風の言葉で、気付かないはずも無かった。その逆接がなんであるかを理解出来ないはずが無かった。



 “彼女”は……思い出させたくないのだと。


 それが今の自分の幸せを願ってなのだと。


 “彼女”の想いが、どれだけ深いのかを感じて、また……彼の心は切り裂かれていく。



 目を瞑って震える息を吐きだした秋斗を、風は見ない事にした。
 テクテクと歩くこと数歩。星の煌く夜天をのんびりと見上げた。
 彼に“わざと”思い知らせた事を後悔しながらも、乗り越えて欲しいと願った。
 出会った時に大きな痛みを感じるよりも、ゆっくりと、分けて感じる方が壊れないですむから、と。

――バカなのですよ。お兄さんも、鳳統ちゃんも。もう少し……風達を頼ってもいいのです。

 冷たい一筋の風が彼女の頬を撫でた。
 耳を掠める悲哀の響きは聴こえない振り。風に舞い散るはどのような想いであるのか。

 夜天の夜に新たな絆の優しさと彼女の想いを知り、彼は嗚咽を漏らしながら心の内で慟哭を上げた。


 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。

今回は軍師三人のお話。
どのようにして彼の壁を崩していくか、ってな感じで。
稟ちゃんが絆を繋いだことで揺らぎ、朔夜が追い詰めたことでこじ開けられ、風ちゃんがばっさりと貫きました。
軍師三人の不可測の連携には勝てなかったようです。

あと二話程で交流も終わりかと。

ではまた 
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