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【短編集】現実だってファンタジー

作者:海戦型
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俺馴? 外伝2-2 [R-15?]

 
前書き
もしも今回の内容を不愉快に感じたお方がいましたら・・・メッセージ機能で「ないわー」と伝えてください。本当に判断に苦しんでいます。 

 
 
記憶。
人の知識と経験を内包した目には見えないデータ群。人がいつも縋る物で、人がいつもそこに拠り所を求める物。そのはずなのに、それが俺を苦しめる。記憶に基づく世界の定義は交錯せずに乱れぶつかり、形が段々と崩れていく。


「やぁ、延年君に田楽さん。今日も仲睦まじいようで何よりです」

違う。中村先生ならここで一つ二つは小言を挟んだ筈だ。いちゃつくのはいいけど勉強には集中しろ、とか、君がそこまで彼女を甘えさせているのは珍しい、とか。
先生ならそう言うはずだろう。何で貴方は何の疑問も抱かず通り過ぎていくんだ。

「今日も愛妻弁当か?よっ、モテ男!」
「あはは、ボクも負けてられないなぁ」

違う。大良なら無遠慮に、おかず分けろと要求する。立花ならいりこを見ながら、お弁当だけで気を引くのは限界があるかなぁ、なんて呟くはずだ。いや、立花はとこかいりこの積極性を羨ましがっている節がある。少なくとも、あんな風に笑ったり対抗心をほのめかすことは言わないんだ。

麻倉も、東雲も、星川も、他の連中もみんなみんなみんな、違う。

違う、のか?

俺が正しいならば、皆が違う。

だが皆が正しいのなら、俺が違う?

俺が嘘。俺が間違い。俺の記憶が――そんな筈はない。

俺は母親に抱かれて育って、父親にしつけられて育って、学校に行って、そうして生きてきたはずだ。俺の肉体も精神も記憶も、そこで成長したから今の状態にあるはずだ。なのになぜこの世界は、たった一日で俺の人生を裏切った?変貌した?それが間違っているのか。分からない、俺には――

「―――くん?さざめくん!?ねえ、さざめくんってば!!」
「……え?な、なんだよ…」

肩を揺さぶられていることに気付くのに、幾ばくかの時間を要した。ややあって、自分が授業中に思考に没頭していた事に気付く。目の前には心配そうに人の顔を覗き込んでいるいりこの顔。距離は吐息がかかるほどに近く、その目には心配と呼ぶには大きく深すぎる感情が溜まった涙と共に揺れ動いている。

その瞳に含蓄された想いと因果関係を導き出せないまま、ただ彼女が純粋に自分のことを心配している事だけは理解できた。気が付けば周囲の目線も自分たちに集中している。驚愕、困惑、心配、概ね俺の様子がおかしい事に対して向けられたものだろう。実に普通の、ありふれた反応だと言える。

「俺は、そんなに心配されるほど様子がおかしかったのか」
「うん。何だか……心ここに非ず、って感じで……御免なさい」
「何でお前が謝るんだ」
「だって!」

悔しそうに唇を噛み締める彼女の瞳に溜まっていた滴がぽたりと零れ、思わず息を呑んだ。

「だって……調子が悪かったんなら朝に私が気付いてあげればよかった。学校に行くときだって、ちょっと様子がおかしいの分かってたのに……駄目な女だ、私!さざめくんの隣にいたのに!何で気付けなかったの……っ!」

――声を押し殺して泣くその姿の、なんと美しくも痛ましい事か。
必要以上に自分を責めて、変なところで考えすぎる。そう、いりこはそんな一面を持った人間ではなかったか。そう、記憶のままだ。俺の記憶と一致するいりこの側面だ。やはりコイツは俺の知っているいりこなのだ。

彼女が悪いかと言われれば、俺は主観客観の両方から見て違うと思う。自分の調子が悪いかどうかなど、本当は自分で気付かなければいけない事だ。それに、俺も俺で考え事は後に回せば授業中にこんなことにならなかった。目の前で自責の念に駆られる彼女に、責めを負うべき謂れなど無い筈だ。

ぷつっ、と彼女の歯が唇の表面を破って血液がにじみ出る。
俺は咄嗟に、彼女をこれ以上放っておいてはいけないと思った。このまま放っておけば、彼女はきっと負うべきでない罪悪感を抱え込み壊れてしまう。それほどに目の前の女が脆く、儚い存在に思えたのだ。
考えも無しにいりこの首筋にやさしく手を当てる。はっとして俺の顔を見上げたいりこの背中までその手を伸ばし、もう一方の手で彼女の身体を包み込んだ。なだめるように後ろ髪をそっと撫でながら、耳元に「大丈夫だ」と囁いた。

「お前がそばにいればそれで大丈夫だ」
「さざめくん……」
「――先生、すいませんが、ちょっと保健室に行かせてもらいます」

呆気にとられていった数学教師は、しどろもどろになりながらも許可してくれた。
俺は、まるで親とはぐれた子供のようにしがみつくいりこに寄り添いながら、保険室へと足を運んだ。さっきまで拒絶しかけていた女の手を引くことに、抵抗や躊躇いを覚えない。それがどういう事か理解せずに。

少しずつ。
融けるように。
引きずり込まれるように。

さざめの心はいりこの方へと傾いてゆく。まるで絡め取られるように。



 = =


 
微かな消毒液の臭いが鼻をくすぐる、学校に似つかわしくないベッドが並ぶ部屋。清潔感のある白い寝具とカーテン、そしてその奥に置かれた棚には薬物のビンやコットン、ガーゼなどの簡易な民間医療道具が仕舞われている。そんな場所を人は保健室と呼ぶ。
俺達が目指したのも、実際に足を踏み入れたのも、まさにそこだった

保健室には誰もいなかった。どうやら席を外しているらしい。別段珍しい事でもないため、俺はそのままいりこを椅子に座らせた。本当なら俺がベッドで寝るべき状況なのかもしれない。事実、いりこは何故自分が座らされる側なのかという戸惑いの目線を向けたが、唇の怪我が先だと言ったらあっさり従った。

「ごめんね……私が守らなきゃいけないのに――」
「黙って座ってろ。傷になるまで噛みやがって、ええと……唇の傷なら口内炎の薬か?」
「うん、鎮痛効果もあるしそれでいいと思う」

棚の中を漁り、口内炎用の軟膏を取り出す。然程使われた形跡がないが、それでもきちんと置いてあるのは助かった。備えあれば憂いなし、という奴だろうかと考え、別に自分が用意したのではないかと思い直す。一先ずこれを用意していた保険医には感謝しておこう。
洗面台で手を洗った後に軟膏を人差し指に少量乗せた俺は、椅子を引っ張りいりこの前に座る。

「ほれ、口空けろ」
「え?さざめ君が付けるの?でも、私の(つばき)ついちゃうよ?ばっちくない?」
「普通は俺の指が口に入ることを気にすると思うんだが……お前の唾くらい後で洗えばいいだろ、洗えば。いいから大人しく面倒みられろ」

普通なら、いりこに薬を投げ渡して「鏡でも見ながら自分でつけろ」と言う所だろうが、自分のうかつさが原因だと思うとそれは躊躇われた。それに、不思議と「いりこなら拒否しないだろう」という思いが頭の隅にあった。恐らく彼女は俺に唇を触られることを嫌がらないだろう。
それを裏付けるように、いりこは恥ずかしそうに頬を染めながらも首肯した。

指で彼女の柔らかい唇を軽く引っ張り、指で傷口に軟膏を可能な限り優しく、丹念に塗り込む。彼女の事を痛がらせやしないかとも思ったが、いい加減な塗り方では効果が望めない。やがて薬を塗り終えた俺は指を引いて唇を離した。
そうしてふと彼女の顔を見て――俺は再び、忘れかけていた違和感を思い出した。いや、その瞬間に俺は正気に戻ったのかもしれない。それはこちらの人間にとっては狂気を呼び起こされたように見えるのか、分からない。分からない事を、思い出した。

彼女の顔に現れていたのは、最早笑顔の域を踏み越えた顔だった。
興奮、悦楽の顔。堕落した女の顔。
紅潮した頬に、微かに乱れる吐息。涎でぬらりと妖艶な光沢を帯びた舌を唇に這わせ、その目は至高の快楽の一端に触れたかのようにとろんと垂れ下がっている。もっと、もっとと何かを求めるように。
彼女の口元から、粘性のある涎が一筋の弦を描いていた。その行き先は俺の指で、彼女から俺へ繋がる線。

「優しんだもんね。もっと乱暴にしても……ううん、なんでもない」
「……お前、何を、喜んでるんだ」
「喜んじゃ駄目なの?どうして?だって嬉しいじゃん。さざめくんが私の中に入って来るんだよ?」

分からない。解せない。理解できない。いや、頭が理解してはいけないと警告を出しているのだろうか。さもそれが当然であるかのように語るお前のその目に映る俺はどんな人間なんだ、いりこ。言いたくない。言いたくないが、俺は今のお前を――遠ざけたいよ。

「お前が、分からない」

その言葉に、ふといりこの顔に影が差した。それは自分の伝えたい意志が正しく受け止められていないことを嘆くかのようだった。――俺がいりこに「恐怖」にも似た危機感を覚えている事に気付いているのかは分からない。分からないが、その目は全てを見透かしているようで。

「そう。そっか、そうなんだ。やっぱりまだ足りないんだね。分かってるよ?大丈夫……」
「それは、誰にとっての大丈夫だ。俺か、お前か、それともお前の中の俺か?」

お前が見ているのは、本当に俺なのか。それともお前が勝手に作り出した俺の像に、現実を引き寄せようとしてるんじゃないのか。心底、違うと言ってほしい。今からでいい、実はからかってましたと飾り気のない笑みでピースサインを出してくれ。それなら俺は受け入れられる、理解が出来る。

いりこ、ああ、今わかった事がある。
俺はお前を俺の知っている田楽入子だと信じたくない。
お前をそんな存在だと信じたくなくて、そのくせお前を引き剥がせない。
本当の事を知るのが怖いような――目の前のこの姿が俺の認めたくなかった真実?

それが俺の記憶を、足場を、どんどん不確かなものへと変えてゆく。

いりこは目を逸らしたいほど真っ直ぐに俺を見た。瞬き一つしない眼光で、まるで眼球に映る俺の像を捉えようとするかのような、深い、何か。本当に俺の心を見透かしたうえで言っているような確信に満ちた声。

「――さざめくんなら……私を受け入れてくれるよね……?」

お前は俺を求めている?それほどに、俺以外に何も見えなくなるほど盲信的に、何を求める。俺の記憶の中のいりこは、これほど強く俺を求めることなど――いや、俺は自分の感覚に躊躇いを覚えなかった筈なんだ。
なぁ、いりこ。なんでお前は俺にそんな顔を見せる。くすくすと笑って、俺にそれを聞かせる。お前の言葉が一々頭にこびり付くんだ。俺の感性と記憶が分離していくんだ。

「こんな私でも、嫌いにならないでいてくれるよね、だって優しいもん。素直じゃなくても優しいもん」

やめろ。

「そんな優しさを持っているさざめくんだから――」

なんでお前は、俺の信じる「日常」を突き放すように、俺なんかを求めている。


「――私は、全てを捧げたんだよぉ?」


俺をおかしくしているのは、お前なのか?




 = =



さざめくんの指が、入ってくる。私の口の中に。

ほんの浅い所でしかないのに、これほどに心臓がざわめく。

駄目だよ、ばっちいよ。そう伝えたけど、「大人しく面倒みられろ」の一言に私はあっさりと屈服した。その言葉が秘める魅力に勝つことが出来ずに、彼に尻尾を振った。さざめくんは不器用だから、いつも私にちゃんと向き合って世話を焼いてくれることは滅多にないのだ。
さざめくんの不調に気付けなかった私は、浮かれ気分でいた自分を呪った。浅はかで愚かしい女、自分んの欲望にばかり気を取られた馬鹿な女だと。

さざめくんの異変にも気づかず呑気にしていて、そんな察しの悪い人間はさざめくんには必要ないのに。求められないのに。求められない。必要とされてない。どうでもいい。存在してもしなくても構わない。存在する意味が無い。さざめくんに捨てられる塵芥のような存在に、私だけはならないと決めたのに。
でもそんな私をさざめくんは――

『お前がそばにいればそれで大丈夫だ』
『いいから大人しく面倒みられろ』

――価値を見出してくれるんだ。優しいから。そう、だから私はその優しさの全部が欲しい。得体の知れないと分かっている私を疑ったのに、疑いながらも私を認め、魅力を感じてくれた貴方だからこそ――欲しいの。欲しいからこそ、貴方の与えてくれる全てが愛おしい。

傷口にさざめくんの指が触れる感触が愛おしい。

刺激される神経の痛みが愛おしい。

念入りに塗り込まれるたびに指が動かされる、その事実さえも。

私の唾液がさざめくんの指に振れている事も。

さざめくんに私の口の中を見せていることでさえも、歓喜が溢れ出る。

さざめくんに支配されているようなこの一瞬に、みっともなく興奮してしまう。
でもそんなみっともない私の事も、さざめくんは――

――ねえ、そうでしょ?さざめくん。



 = =



怖い。何一つとして理解の追い付かないこの世界が。
吐き気のする頭を抱えながら、町を歩く。

「……なんなんだよ。ちくしょう、なんなんだよ……!」

いりこに言い訳して、一人で帰路についた。あの後、いりこはまるでそれまで何事も無かったように普段のような振る舞いで俺と一緒に教室に戻った。誰も、何も疑問に思わない。たった一日がこれほどまでに長く感じられるなんて。まるで地獄だ。きっとこれは悪い夢なんだ。夢ならば須らくいつかは醒める筈なのに、どうしてここは気味が悪いほど日常をも感じさせる。

いっそこの町が見知らぬ街であればいいとさえ思った。だが何処をどう回っても、この町は寸分の狂いもなく俺の知る町だった。さびれかけの商店街。雑草だらけの空き地。賑わうスーパー。誰もいないバス停。邪魔な電柱。烏の鳴き声。

どうして町はこんなにも変わらないのに――俺の経験と脳の経験が何度も何度もブレるんだ。


「おや、いつもの子はどうしたんだい?」

「喧嘩でもしたのか?止めなさいよ変な意地を張るのは」

「謝ったほうがいいぞ、にーちゃん!」

「ふられたんだー!やーい!」


こいつらが俺の知る住民なのか、違うのか。
俺がそうなのか、違うのか。
共通意識(コンセンサス)からはじき出されたような感覚。
あやふやな認識が激しくかきまぜられていく。悩んでいる自分が正しいのか間違っているのか。間違っているとはなんなのか。入り乱れてマーブル模様のように形状が崩れていく中で、うねる渦の中心にずっとあいつがいるんだ。

確定した事実が不確定に変貌する最中で、逆に不確定だったあいつの顔ばかりが頭を過る。

いりこ。

俺の隣人。

俺を求める女。

不確定が確定した存在。

俺の知っているようで、全く理解の追い付いていなかった不可思議の存在が、急速に俺の心の中で存在感を増してゆく。始まりの戸惑いもあいつだったことを考えれば、これは当然の帰結だろう。全てが理解の外に追い出された思考の中で、あれだけが普遍的に不明だった。

俺を絶対的に信頼するいりこ。
淫らな貌を見せるいりこ。
俺を求めるいりこ。
不可解ないりこ。
甘えるいりこ。
優しいいりこ。
いりこ。
いりこ。
いりこ。

違う。俺の世界にはもっと他に考えるべき人が沢山いて、あいつは心の中心を支配するものではなかった。干渉は何度もされたが、俺の中心には俺が居た筈なのだ。気味の悪いあいつを拒絶すれば、あいつが離れれば俺はもう干渉を受けずに自己を自己として保っていられる。かき乱しているのはあいつだ。

そうだ、全てあいつが仕組んだことなんじゃないのか。考えれば俺は前から口でどうこう言いながらあいつの事を気にはしていたんだ。この異常として認知されているかも定かではない世界の中でもそれだけが変わっていない。あいつが何を考えているのか分からない。何もかも変わっているのに――でも、あいつは本当に変わってないのだろうか。

変わっているかいないか。手がかりは記憶しかない。でも、記憶が曖昧だ。曖昧なのは事故とやらの所為だろうか。そもそも事故とは実在したのか。していなければ薬の記憶がある筈が無い――待て、あの薬を用意したのはいりこだ。不確定だ。不確定の薬、あれは何の薬だ?薬を用意したいりこの好意は真実か、偽りか。わからない。

俺は表面的ないりこは知っていても、深層的にどのような意識を持った存在なのかはまだ知らないのではないのか。ならばいりこも変わっているのか。分からない。堂々巡りは20も30も繰り返され、最早考える事すら億劫だ。思い出すことも出来なくなってきた。

あいつが何かした。あいつが何をした?何も分からないのに何かしたのか。分からない。分からないことが分からない。頭がおかしくなりそうだ。俺の気が狂っているのか、だからいりこが助けているのか。
それとも おれは いりこ に きを く る わ  さ   れ    て     ?

いりこの心配そうな顔が、右に立った。
いりこの恍惚とした顔が、左に立った。
壊れているのは右か、左か。それとも、見ている俺が。

考えるのが嫌になって、自分の頭をビルの壁に叩きつけた。ごりっ、とコンクリートの壁にぶつけられた頭蓋骨が嫌な音を立てる。額に激痛が走るが、思考を完全に停止させるには至らない。

「何も、考えたく、無い」

いっそのこと、何も考えずにこの気味の悪い世界に従っていれば不自然も自然へと変わっていくんじゃないないのか。記憶は捨てよう、これからは俺の目と耳で得た世界を上書きすれば、この足がつかない世界でも生きていける。

そう考えて、諦めかけていた。その2人が目の前を通るまでは。

みおぼえのある、40代の男女。
親の顔。人生で最も長く行動を共にした存在。
家庭の構成要素であり、学校を超える人格形成の場所を無償で提供し続けてきた唯一無二の存在。
どんなに記憶がぼやけても、それだけは忘れもせず、間違えもしなかった。

「父さん、母さん……」

何やら他愛もない話をしながら、買い物帰りなのか父の方はスーパーのビニール袋を抱えさせられている。母の名前は泊波(となみ)、父の名は寿郎(としろう)。見間違えるはずもない、紛れもなく2人は俺に名前を与えた人間だった。

俺は咄嗟にそちらに向かおうとして、そんな俺の気配に気付いた2人がしっかりとこちらの方を向いた。目があった。

「母さ――」
「ん?高校生か……こんにちわ。随分顔色が悪いみたいだが、困りごとかい?」
「あら、こんにちわ。おでこが真っ赤になっているけど、どうかしたのかしら?」

それはほんの一瞬の間に、2人が自然と口にした言語。それはまるで、今日に初めてその顔を見たとでも言わんばかりで、知古の人間に向けるそれとは考えづらいもの。俺の脳に蓄積されたデータとの決定的な相違に他ならなかった。

「――ッ!?」
「……どうかしたの?ひょっとして誰かと間違えたかしら?」
「おれたちは君とは会ったことがないはずだが……?」

2人の顔に明らかな戸惑いと、不審が見えた。
居場所が無くなった。そんな気がした。
きっと俺の現状を知らないあの2人にとっては「何をした」という意識も無かったんだろう。ただ、あの2人にだけは素直に言えると思っていた言葉ががらがらと瓦解して、ばらけたジグソーパズルのように元の形が分からなくなってしまった。

たった4文字の、子供でも分かる言葉だったのに。あと少しで完成する、本当に本当に簡単な――たㇲゖて……それだけだったのに。それに一瞬でも縋ってしまった俺の心は、辛うじて保っていた均衡を崩した。

もう耐えられない。真実を――避けていたものを俺に寄越せ。



 = =



さざめくんは格好いいか、と言われたら、別に格好良くはないと思う。

さざめくんは魅力的か、と訊かれたら、特別魅力的な所はないと思う。

でもさざめくんを愛しているか、と聞かれたら、私は迷いなくイエスというだろう。

愛しているの。おかしい?生物種的にはおかしいかもしれない。でもそれでもいい。

私みたいな、全てを偽って自分の心さえ偽って、他人の気持ちすら偽りに出来るような人でなしでも受け入れてくれるさざめくんだから。「バカいりこ」って罵って、人の頭に拳骨を落として、それでも「今回はこの辺にしておいてやる」って――

”一度あんなことになっても”尚、そんなことが言える。そんなさざめくんだから、愛しているの。
壊して騙して利用して、許されない罪を知って尚、一緒にいてもいいと言ってくれた貴方だから。

だからこそ、私はさざめくんといたい。
さざめくんの身体に入るものはすべて私が用意したい。
さざめくんの身体から発されるすべてを他の人に任せたくない。

だからそんな私の邪魔は誰にも出来ない。だれにも、かれにも、サクマ様にもエレミアにもナンバーズにも子供にも大人にも老人にも星の意思にもだれにもだれにもだれにもだれにもだれにもだれにもだれにもだれにだれにもだれにも………私を止められるのはさざめくんだけでいい。さざめくんだけが私を支配していいの。さざめくんを支配するものなんていらない。法律もいらない。神もいらない。なにもいらないの、さざめ君を感じれるこの身体があれば、あとはどれになってもいい。

求めて、さざめくん。

私の全てを求めて。荒い吐息を吹きかけて。

私の貌も、身体も、骨も血肉も欲しいのならばあげるから。

優しいさざめくんが私を求めるような、そんな世界を私が作るから。遠慮するさざめくんが私に遠慮しないような環境も、心も、全部導いて――もう一度、今度はさざめくんの意志で。

私を、支配してください。

私に全てを忘れさせるくらいに熱く、激しく、貪るように――それが、私の求めているもの。
  
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