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【短編集】現実だってファンタジー

作者:海戦型
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それが君の”しあわせ”?

 
うどんの汁というのは、東の地方になればなるほど味が濃く、逆に西になればなるほど味が薄いと聞き及んでいる。大雑把に分ければ関西が薄めで関東が濃いめ。地域の温度やだしを取るに適した水質など色々な地域的状況が重なってそのように別れたらしい。

どちらが美味しいという優劣は付け難い。何故なら普通は自分の慣れ親しんだ味が美味しいと感じるだろうからだ。関東の人間は関西のうどんを見て「なんだこの薄いつゆは」と顔を顰め、関西の人間は「何このどす黒いダシ」と恐怖する。最終的な判断は食べた人間の味覚に委ねられることになるため、この決着がつくことはないだろう。

だが、同じ位の濃さの汁を使っていても、店によって更に細かく味が変わってくる。その中で美味しいと不味いが分別され、より多くの人間が美味しいと感じるうどんが周囲に愛されるのだ。例えばネギの鮮度。例えば麺のこしの有無。例えばトッピングの味。そして先ほどから話していた汁。それらを総合的に判断した結果―――

「値段の妙に高い割に美味しくない・・・」

そのうどん屋「どんの(すけ)」の肉うどんは美味しくないな、と直中間宵(ただなかまよい)は判断した。ちなみに彼女の住んでいるのは関西圏。彼女自身もそのどこかの出身であり、彼女が食べたうどんも関西のだしうどんである。

「700円もするのにこれかぁ・・・失敗だったなー」
「そう?私的には普通だと思うんだけど・・・」

そんな彼女に消極的反対意見を出したもう一人の少女に間宵は「どこがよ!」と叫んでテーブルを叩く。その剣幕はかなりのもので、テーブルを叩いた衝撃で御冷の中身が零れかけるほどだ。うどん一杯にどれだけムキになっているのかは知らないが、怒りすぎなんじゃないか、と彼女―――船頭(ふながしら)悟子(さとこ)は少しばかりむっとした顔になった。
確かにこの店に行ってみようと言い出したのは悟子だ。そういう意味では悟子に非があると言えなくもない。だが、だからと言ってうどんの味が気に入らない事を自分にぶつけられるのは余りに不条理だろう。しかし、同時に悟子は間宵が味にうるさい性格であるのも知っていたため、心のどこかで納得もしていた。

「まったく・・・これなら学食のうどんの方がまだ・・・ふがっ!?」
「ちょちょ、大声出し過ぎ!店の人に聞こえるって・・・!」

慌てて彼女の口を塞ぐ。客の数が少ないからあわや、とも思ったが、幸い店員には聞かれなかったらしい。間宵も自分の失態に気付いたのか素直にだまり、やがて訊かれてない事にほっとして溜息を吐く。
もう、と悟子が恨めし気な非難の目線を間宵に送る。悟子は間宵のそういう無遠慮な所に辟易していた。普段からこうであるわけではないが、こと食べ物関連になると彼女の口は遠慮を知らない。みんなが「まぁまぁだ」と言った食べ物を即答で「味に個性が無い」と言い切ってしまうような、ある種の食や味覚に対する拘りが彼女にはあるのだ。

しかも判断は大抵の場合一瞬。まずいものには容赦がなく、この前など回転ずしの海栗の軍艦巻きを食べて店員の目の前で「マズイ」と言ってのけたほどだ。いや、確かにあの海栗がちっともおいしくなかったのは事実だ。何だかぐちゃぐちゃしてて色も変だったし、妙に苦くて顔を顰めた。それでも店員の目の前で平然とそんな台詞を吐くほどに、目の前の少女は味覚に煩いのだ。食事という神聖な儀式を前に、遠慮という理性の鎧をそっとどこかに置いてから挑んでいるようだった。

「そんなにおいしくないの?」
「不満その一、ダシが微妙。全然深みが無いしスーパーで売ってるうどんつゆと同じレベル・・・モノによってはそれ以下。カツオベースなのは分かるけど、本当それだけって感じ」

言われてうどんの汁を啜ってみるが、普通にしょっぱくて旨味もある。香りも別段悪くない。というか悟子はうどんのつゆをほとんど飲まないので判断するにあたって重要になる経験そのものが無かった。彼女にとってうどんはうどん、それだけだ。ラーメンならばうどんよりは違いが分かるが、それでも間宵ほどは理解できない。

「不満その二、麺に全然コシが無い。箸でつまんでもあっさり麺が切れてぱさぱさな上に麺自体に全然味が無い。多分茹ですぎてるし・・・手打ちのくせに打ち方が雑なんじゃない?」
「・・・麺って味あるの?」
「冷凍でもちょっとくらいはあるわ。ここの麺にはないけどね」

むすっとした顔で麺を啜りこむ間宵。あれはとっとと片づけてしまいたいという顔だ。取り敢えず残っていた麺を啜ってみる。噛んで飲みこむ分には全然気にならないし、ダシのしょっぱさと旨味を微かに感じる程度だ。やはり、特段美味しくないとは思わない。

「不満点その三、肉に全然歯ごたえが無くてボロボロ。おまけにちょっと獣臭い。多分作ってから日が経ってるわね。肉自体も安物よ」
「あ、歯ごたえは確かに」

2人は互いに肉うどんを頼んでいたのだが、確かにここの牛肉は妙に柔らかい、というか口に入れた傍からボロボロと崩れてしまう。味には問題ないが顎が寂しい印象は受けた。ただ、感じたのはそれだけで、臭いには気付かなかったのだが。

「唯一ネギだけは鮮度がいいけど、逆を言えばいいのはそれだけよそれだけ」
「えぇ~、ここのネギ香りがキツくて食べにくくない?」
「香りが残ってるからいいんじゃない。水分が飛んでスカスカのネギなんて乗せられても嬉しくないわよ」

そういいつつ間宵はダシに浮くネギを蓮華で器用に掬い上げて口に放り込む。しゃきっ、と繊維質が歯に押し潰された小気味のいい音が聞こえてきた。他人が食べている分には美味しそうだが悟子としては香りが強いネギは口に臭いが残るから嫌いだった。そも、もとよりあまりネギを食さない性質でもあるので拘ったことは殆ど無い。むしろ癖のない乾いたネギの方が好みなくらいだ。
悟子は言われるまでさほど肉とネギの事を気にしてはいなかった。「言われてみれば確かに」程度の意識しか持たず、何の疑問も持たず一杯700円のうどんを平らげていた。間宵にとっては不満点だらけのうどんでも、彼女には普通のうどんに思えたのだ。

そこまで煩く言わなくてもとは思うが、同時に悟子はたまに味に敏感な間宵に感心するときがある。彼女は自分がその食べ物に関して言い知れない不満がある時に、その不満が何なのかをピタリと言い当てて見せる。またイメージ力も強いのか彼女が「これは美味しくなさそう」と言った料理、飲み物、お菓子類は9割9分が本当に美味しくない。美味しくないものに敏感な彼女だが、美味しいものにも敏感で、牛丼屋の味噌汁の味噌の良し悪しまで判別できる彼女の味覚は間違いなくグルメだと思う。

「よくそれだけうどんに語れるよね。私なんか言われても違いが分かんない所があるよ」
「ふん、アンタあんまりおいしいうどん屋に行ったことないんじゃないの?チェーン店のうどんは大抵そこそこの味を越えないし、場所によってはゴム噛んでるみたいな酷い麺もあるし。個人営業で美味しい店となると探すのがちょっと手間だもん」
「そういう所も真似できないよ。私そもそもそこまでうどん屋に行かないから・・・食べ比べすれば少しは違いが分かるかもしれないけど、次に店に行く頃には前の店の味なんて覚えてられないよ」

むしろどうしてそこまで覚えていられるのかが悟子には不思議だったが、それを言うと間宵は突如肩を落として箸をうどんの器の端にそっと置いた。続いて少しばかり羨ましそうな目線で残りのうどんを啜る私を見つめる。

「ねえ、この場合さ・・・私とアンタはどっちが幸せなのかな?」
「・・・・・・?」



 = = =



もう夕方も過ぎ、人の少なくなってきたスーパー内部。魚、肉、野菜の基本食材を初めとする様々な商品が陳列され、日本の様々な場所から安く仕入れられるその様は現代人にとって心強い。地元で仕入れた鮮度の高い野菜たちが段ボール内部から顔を覗かせるが、あれも明日には売れ残りという事でスーパー内で販売する特売弁当のおかずに持って行かれるのだろうとバイトの女性は取り留めもなく考える。

どうして私は四六時中とは言わずともずっとレジの中に突っ立って客を処理していかねばならないんだろうか。その答えはたった一つ。就活に失敗した末に結婚し、主たる収入を夫に頼らなければいけなくなったからである。夫は普通の会社努めなので収入は安定しているが、子供を産んで育てるにはまだまだ貯蓄が不十分だ。だからそれを少しでも早く溜めたいがためにこうしてパートアルバイトをしている。

(でもしんどいのはしんどいのよねー・・・肩もガチガチだし)

弟の志枝(しえ)がまだ高校生であることが酷く羨ましいな、と彼女―――立花静枝(たちばなしずえ)は小さく嘆息した。既に彼女は成人を過ぎて23歳、高校を卒業して5年は経っている。やはり高卒で正規雇用を狙うのは少し厳しいものがあったらしい。

両親が事故で先立ち、遺産がいつまで持つかも分からない。そんな家庭状況に置かれた静枝は一刻も早く収入を得るために職に就こうとした。ところが現代日本というのは変な所で女性に厳しく、また高卒という事もあってか正規で雇ってくれるところはちっとも見つからない。かといって今から大学に入ろうにもお金がかかりすぎる。親戚連中は自分たち兄妹を厄介者のように扱い助けてくれる人もいない。そうして八方ふさがりになりつつあったその頃に、今の旦那と出会った。

彼との馴れ初めや何やらはさておいて、彼は私の境遇がお世辞にもいいとは言えない事を知ってなお、愛していると言ってくれた。歳の差5歳を無視して結婚してから早数年。現在家は弟、自分、夫の3人暮らしで何とかうまくやっている。弟の友達が簡単な農業をやっているらしく、その友達経由で野菜を貰ったり、その野菜で料理を作って友達に振る舞ったりと不思議な関係を築いている。何にせよひもじい思いはさせずに済んでいる訳だ。

それでも弟には迷惑をかけている、と思う。料理洗濯などの家事の半分程は志枝が自主的に受け持っている。理由は私がパートアルバイトで蓄積させる疲労を少しでも和らげるためだ。3人で当番制にしてはいるが、一番家に帰るのが速い弟の負担がどうしても増える。まだ高校生、色々遊びに言って楽しみたいこともあるだろうに、家計の所為で家事に時間を取らせているのは姉として申し訳なかった。

と、そんなスーパーの一角で茄子(なす)を目の前にうんうん唸る青年がいるのを発見した。青年の隣には年頃の女の子が一緒に野菜を覗き込んでいる。恐らくカップルなのだろう。一緒に買い物をしているという事は交際を通り過ぎて同棲しているのかもしれない。
少しだけ、羨ましかった。夫とは結婚に至るまでそれほど頻繁に遊べなかったし、買い物は夫と弟の3人でそれぞれ買うものを分担しているため一緒に買い物に行く暇も殆ど無い。こう忙しくては愛を確かめ合う暇もない。

(あの子たちみたいに一緒に買い物できるだけの時間があればな・・・)

両親が死んでいなければ自分もああやって、と考えて首を横に振る。無い物ねだりはしてもしょうがないと言うのは分かっているのだ。だから自分は将来のためにここで頑張らなければいけない。いつの間にか野菜コーナーを通り過ぎて見えなくなってしまった若いカップルの事を気にしつつも、静枝は改めて業務に集中することにした。あと30分もすれば後退の時間なのだ。それ位頑張って―――でも、いずれは夫とああいう事をしたいなと心の隅で憧れるのだった。



 = = =



「ねえ、この場合さ・・・私とアンタはどっちが幸せなのかな?」
「・・・・・・?」

咀嚼を済ませて麺と肉を呑み込んだ私は、間宵の言葉の真意を測りかねて首を傾げた。どっちが幸せとはどういう意味なのだろうか。金銭的?人間関係適?家庭・待遇的?それとも今という時を楽しんで生きているかという哲学的な問いなのだろうか。
私のリアクションから自身の言葉足らずに気付いたのか、間宵は質問に補足する。

「いや、味の違いが分かる私と分からないアンタ、どっちがこの場合幸せなのかってこと」
「それってどっちが幸せとかあるの?」
「例えばおいしい店と不味い店があったとするじゃない。アタシだとこの場合美味しい店じゃないと満足できない訳よ。でもアンタだとどっちの店でもある程度満足を得ることが出来る・・・それって、グルメな人の方が精神的に損してない?」

つまり間宵はこう言いたいわけだ。不味いものでも美味しいと感じて、美味しいものも美味しく食べられる人間は味の違いが分かる自分よりも得な生き方をしているのではないかという事を。そう悟子は推測した。
不味いというのは精神的にマイナスへ転じる。不味いものも気にせず食べられればそれはプラスだ。美味しい店の効用を+2、不味い店の効用を-2とすると、間宵の効用はプラスマイナスがゼロになる。悟子の場合は+1と+1で2の効用。分かりやすく数値に表すとそんな所だろう。

人は高カロリーなものほどおいしいと感じる味覚を持っている、と言われている。自然界は食物連鎖で成り立っているから必ず食べるものにあり付ける保証はなく、その中でより栄養価の高い餌を求めるように味覚が変化したのだとか。苦味も毒や栄養価の低いものを極力避けるために遺伝子にそう感じるよう組み込まれたのだろう。そう考えれば、生物学的観点からより本来の動物の在り方に近いのは間宵だ。
だが人間の社会には食べ物が溢れており、餓えることはまずない。むしろ飽和状態だからこそこのうどん屋の様な飲食店が乱立しているのだ。そんな中では味の違いをいちいち気にするより、取り敢えず食べて満足できる味覚の方がより少ないストレスで食事を行える。そう考えれば現代に適した味覚は悟子だった。

しかし、それは物の視方の一面でしかない。悟子はそのことをよく知っていた。

「ねぇ、中学の時のキャンプ覚えてる?」
「え?えー・・・あれでしょ?夏休みに周りの子たち集めて行ったけど、集団食中毒になってお開きになった奴」
「うん。お昼に出たお弁当が痛んでるのにみんな気付かないで食べちゃった奴」
「また唐突に懐かしい話を持ち出したわね・・・」

中身はなんのことはない、取り立てて変わったところも無い焼肉弁当だった。皆、特に疑問も持たずに食べていた。自分も食べようとした。だが、そんな中で―――

『ちょっとお肉がべたついてるし変な酸味があるし、おまけに臭いもちょっと変。痛んでるんじゃないの?』

それは常人では気のせいで済ませる程度にわずかな違いだったと思う。原因は、数十分間灼熱のワゴン車内に保冷もせず放置したこと。運転手だった教師が気の利かない男だったせいで一気に雑菌が繁殖したのだと断定され、学校の責任になったと記憶している。
だが、弁当を食べた全員の中で間宵だけが口に含んだ弁当の肉をトイレで吐きだした。悟子はそんな間宵を「体調が悪いんじゃないか」と心配し、弁当に口をつけずに間宵を追いかけた。そして2人が弁当の置いてあった現場に戻ってくると同級生たちが次々に腹痛やめまいを訴えているという、ある種恐ろしい光景が待っていた。
集団食中毒ということで随分騒がれたあの事件はニュースにもなり、食中毒の被害を免れたのは2人と、弁当を痛ませた男性教師に仕事を押し付けられて食事が遅れた女性教師2人だけだった。もしも間宵が味に鈍感であったなら、あの時悟子もまた間宵と一緒に市内の病院で顔面を蒼白にしながら呻いていた筈である。

悟子はあの日、意図せずしてではあるが間宵の味覚に救われたのだ。現代社会の溢れかえった食べ物たちの味を看破するその動物的な味覚に。それが損な事であるとは、どうしても思えない。自分を救ってくれたそれを、違いの分からない馬鹿舌が判断を仰げるそれは、悟子にとっては素晴らしいものだと思えるのだ。

「間宵の味覚は凄いと思うよ?私には真似できない。それに、本当に美味しいものを特別美味しいって感じられるのも、悪いことじゃないんじゃない?不味いものが分かる分、美味しいものは私よりもっとおいしく感じてるはずだもん」

その言葉にしばし呆然とした間宵は、その言葉を吟味するようにしばし唸り―――

「・・・うーん、味音痴のアンタに言われても有難味が無いわね」
「あ、味オンチ・・・っ!?」

がぁん、と間宵の口から放たれた言葉が顔面に直撃した。励ましたつもりだ何故か今までより辛辣な評価を受けてしまった悟子は酷く落ち込みながら、ふと間宵が本当に損しているのはその歯に衣を着せ無さすぎるところなんじゃないの?と考えた。だが、本人がそれを不幸せと思っていないのだから、それは不幸せではない。

結局のところ、間宵の言う幸せも悟子の幸せも、そういう人間的感性からはみ出る事のない程度の感覚でしかない。最後に幸せを決めるのは自分自身である。ただ、それでも一つだけ確かなことがあるとすれば―――それは、恐らく私たちは二度とこの店に寄らないであろう、という事だけだ。



 = =



さっきのカップルが再び視界に移る場所へやってきた。女の子の方はさっきよりも青年と密着しているが、青年はこれといって反応してくれないのが不満なのかむくれている。素っ気ない態度を取るんだな、と少しだけ女の子に同情する。それと同時に、青年の態度に僅かながら苛立ちを覚えた。
スキンシップに慣れっこなのかもしれないが、女の子は明らかに退屈していた。それならそれで気の利いた話の一つでもしてあげればいいのに青年はどこ吹く風で黙りっぱなしだ。ゼリーだの豆腐だのをかごに放り込みながら、袖を引っ張る少女を引きずるような形で買い物を続けている。時折女の子がお菓子を指さして遠慮がちに何か言っているが、青年は無視を決め込んでいた。

(なんなのアイツ・・・一緒に来てるんだからもう一人のこと考えて動けないの?)

まるで自分の彼女の意見など最初から聞いていない、自分の決定に従っていればいいんだと言わんばかりの横柄(おうへい)な態度。昭和の亭主関白じゃあるまいし、あれでは女の子が可愛そうだろう。見ていて腹の底が煮える気分になってくる。
ああいう男は嫌いだ。主導権がいつでも男にあると思い込んで、大抵口を開けば上から目線の言葉を平気で吐く。本人は褒めているつもりかもしれないが、相手が自分の庇護対象でしかないと見なしているような態度は不愉快極まりなかった。少なくとも静枝は勝手に主導権を握られるもの一方的に守った気になられるのも好きではない。

そして女が自分の思い通りにならないと、だんだんああいう態度になっていくのだ。いつでも私の意志にきちんと耳を傾けてくれた夫とは違って。愛しているのは容姿だけで、人格など本当はどうでもいい。女のセクシュアルな部分だけで人を値踏みしている。
そして同時に、そんな男にいつまでも付き合っている女の子にも僅かな憤懣(ふんまん)を抱く。そんな、人のことを本当の意味で愛せていない男になど付き合う必要も合わせる必要もない。駄目男に付き合っては時間がもったいないだろうに、どうしてあの女の子は無愛想な青年にずっと付き添っているのか。もしもそれでも好きだというならば、多少強引にでもイニシアチブを取るための行動を起こして牽引するべきである。

静枝には、二人の愛が歪に見えた。人のことを考えもしない強引な男と、そんな男から離れられずに本心を伝えきれずに引き摺られる少女。無論、2人の関係を遠見で見ているだけの静枝には二人の関係を完全に把握できている訳ではないし、解釈や事情に現実との違いがあるかもしれない。それでも、自分の夫に寄り添った自身の幸せと、見ず知らずのカップルの間にあるそれが重ならないことがどうしても苛立たしいのだ。

だが。

「あっ・・・・・・」

牛乳を買うために立ち止った時、何やらどの牛乳を買うか迷っている青年の後ろから、女の子が大胆に身を乗り出して一つの牛乳を指さした。青年は、その指さされた牛乳をなんの躊躇もなく手に取り、かごに放り込んだ。漸く自分の願いが聞き入れられたのが嬉しかったのか、少女が青年の首元に抱き着く。相変わらず青年は表情を変えなかったが、静枝はくすりと笑った。

何の事はない、ただ単に彼が素直じゃないと言うだけだったのかもしれない。そうならば、私があれこれ言うのは野暮と言うものだ。今の夫にも、最初自分は素直になれなかった時が多くあった。その溝を埋めたのが、育んだ愛の時間だ。だからあの二人の溝も、きっといつか埋まるだろう。
と、狙いの品を買い終えたのか2人がレジへとやってくる。慌てて微笑を消し、いつもの営業スマイルで出迎えた。

「お会計お願いしまーす」
「ハイ!ポイントカードはお持ちですか?」
「いえ。それと、袋は要りません」

エコバッグを取り出して言う青年に、ありがとうございますと事務的に答える。スーパーのビニール袋を使わないだけで店員がお礼というのも変な話のような気がするが、今はそんなことは良かった。商品をバーコードリーダで次々にチェックしていく。数種類の野菜と惣菜、さっきの牛乳、それに・・・弁当。

(・・・あれ?一つしかない・・・?)

はて、2人いるのに弁当は1つしかかごに入っていない。普通弁当は買ったその日に食べるものだからこの弁当は夕食になるだろうに、何故一人分しかないのだろうか。しばし考えた静枝だったが、恐らく朝か昼の余りがまだ残っていて、それが2人分に届かなかったから弁当一つを追加したのかもしれないと考えた。

「お箸はいくつお付けしますか?」
「・・・?」

そこに至って、青年は首をかしげて不思議そうにこちらを見る。弁当は一つなのだから箸も一膳だろう、と言わんばかりだった。だが2人連れなのだから二膳必要かもしれないと思って聞いたのだが、それほど不思議な質問だったろうか。それとも割り箸など最初から必要ないと言う事か。確かにその方が資源の無駄にならずに済むが、いったん違和感は心の隅に押しやる。

少し間をおいて、青年は「一膳つけてください」と答える。
これはどうしたことだろう。正直、箸は要りませんと答えるとばかり思っていたこちらが逆に面食らった。2人いるのだから二膳でもいいだろうに、今度はまた何故一膳しかいらないというのだろう。まぁいいか。それは向こうが選ぶことだし隣の女の子も気にしたそぶりを見せていない。咄嗟に必要ない箸を頼んでしまっただけかもしれない。疑問は顔に出さず、お会計を済ませたレジを後にするかごを抱えた青年を見送った。それに付き添う様に少女も後ろを付いてゆく。

若い二人のカップルは素っ気ない印象を受けつつも、寄り添っているその様は仲睦まじいようでもある。言葉を交わしていないようにも見えるが、きっとそれもまた彼らの付き合い方なのかもしれない。いずれ彼等も自分と夫のように愛を誓い合えるといいな―――と、考えて。


ふと、よく見たら少女が歩いていない事に気付く。
しかし、歩いていないのに移動はしている。
つまりどういうことかというと―――


(そ・・・そういう事だったのぉぉぉ~~~~~!?!?)


少女の身体は下に行くにつれてその透明度を増していき、膝から下は完全に透けて見えなくなっていた。足が存在しないのだから当然歩くことなど出来はしない。そして古往今来、足の無い人というのは―――「幽霊」の代名詞である。

つまり青年は無視していたのではなく・・・ひょっとすると、全く見えてすらいない。牛乳を取ったのは単なる偶然に過ぎず、引きずる形になっていたのは単純に女の子に彼を止める術がなかったから。

カップルというのも自分の勝手な勘違いで、あの子は単に青年に「憑いて」来ただけ―――?

さあっと頭から血の気が引き、代わりに北極の凍えるような冷気を頭から浴びせられるような悪寒が背中を一直線に駆け抜ける。自分の意識と関係なく首の筋肉が変に痙攣して、しかしその幽霊から目を離せない。正直、ちゃんと二本の脚で立っていることを自分で褒めてやりたかった。というか、よく見れば彼女の周囲を人魂のような灯がいくつか回っている。もう疑惑は確信に変わっていた。

全身もよく見れば透けており、この冬の寒さが残る環境下で妙に薄着。足音は当然しないし、移動方法はホバー。唯一救いだったのは、その幽霊がホラー映画に出てくるような恐怖と死を想起させるものではなかったことか。透けている少女は自分が見えていなくても青年を気に入っているのか、そのまま肩車のような体勢で青年の肩に座り嬉しそうに笑っている。・・・・・当の少年は、肩の調子がおかしく感じているのか自分の手で肩をトントン叩いているが。

(それは・・・それは気付かないって・・・!)

この場合、可愛い女の子の幽霊に好かれている事に気付いた方が幸せなのか?

それとも幽霊に憑かれているという衝撃の事実に気付かない方が幸せなのか?

暫く自分の目頭をもんで考えた静枝は、そういえばバイトの先輩が「このスーパーが建つ前、ここの土地には霊能力者の住む屋敷が建っていた。だから霊感のある人にはその影響で、ここに来る幽霊が”みえる”らしい」という噂を聞かせてくれたことを思い出し、そんな話聞くんじゃなかったと後悔した。

少なくともこの事実は、昔からお化けの類が大の苦手な静枝にとっては不幸だったという事だけは間違いないだろう。
  
 

 
後書き
今回はどっちも限りなく身近な生活空間の短編として書いたもので、偶然最後に行きつく疑問が一致したので2つともまとめました。前半二名は若干ネタネームになってしまった。幽霊っ子は別に名前とか無い(といか本人が忘れてる)ですけど、憑かれてた青年は葛城(かつらぎ)順一郎(じゅんいちろう)と言います。 
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