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星の輝き

作者:霊亀
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第32局

「桑原本因坊じゃありませんか、驚いたな」
「ふぉふぉふぉ、先日の手合いでは済まんかったの、緒方君」
「…いえ、すべては自分の力不足です。まさか力碁でねじ伏せられるとは、いい勉強になりました。今度の本因坊と名人との対局、勉強させて頂きます」

「どれ、名人。この者たちを紹介しとくれんかな」
「少し前から、時折息子と勉強会を開いている友人たちです。息子のアキラ、藤崎あかり君、奈瀬明日美君、そして、今回の花器を見つけた進藤ヒカル君です」
「初めまして、塔矢アキラです」
「初めまして、藤崎あかりです」
「は、初めまして、奈瀬明日美です」
「どうも初めまして、進藤ヒカルです」
―佐為、このじーさんが今の本因坊なんだぜ。
―……なんか、やだ……

 各人、驚きながらも自己紹介をこなす。また有名人が現れた―、と驚愕しているお姉さんが約1名いたり、昔なじみの顔を思い浮かべて、失礼にもガッカリしている幽霊が約1名いたりしたが。

「これはこれはご丁寧に。君が進藤ヒカル君か、今回は本当に感謝しとるよ。君のおかげで我が家の家宝を無事に取り戻すことがかなった。もう二度と戻ることはないのではないかと覚悟していたところじゃったんじゃ。まこと、ありがとうの」

 そう言うと、桑原はヒカルに対して深々と頭を下げた。
 そのいつになく丁寧な態度に、行洋と緒方は何よりも驚いた。普段、周囲の人間をけむに巻くような言動が多いのが桑原だ。碁界の中でも最高齢に近く、かつ現役の本因坊のタイトルホルダーだ。桑原に対して堂々と上座に座れる者は少ない。
 
 現在タイトル戦は数多くあるが、その中で七大タイトルと呼ばれるものがある。
 棋聖、名人、本因坊、天元、王座、碁聖、十段の7つだ。
 
 さらにこの中でも、棋聖、名人、本因坊の3つは別格で、三大タイトルとも呼ばれている。リーグ戦の勝者が挑戦者となり、勝負は七番勝負で競われることとなる。それも、持ち時間8時間の長丁場だ。他のタイトル戦とは格が違った。
 そして、賞金額こそ譲るものの、本因坊といえば最も長い歴史のあるタイトルだ。ある意味、囲碁界の頂点ともいえる。
 現在、棋聖のタイトルは一柳(イチリュウ)が持ち名人のタイトルは行洋が持つ。まさにこの三人が現時点の国内トップと言って差し支えないだろう。
 そして、その行洋や一柳を相手にしてさえ飄々とした態度を貫くのが桑原だ。行洋も緒方も、桑原がここまで真摯な応対をするところを見るのははじめてだったのだ。

―あの桑原先生が、まさか子供に対して心から頭を下げる場面に居合わせるとは…。まったく進藤、ほんとに不思議な子供だな。

「あ、いや、ほんとに偶然見つけただけなんで、気にしないでください」
 慌てて手を振るヒカル。ヒカルにしても、まさか慶長の花器の元の持ち主が桑原本因坊とは予想もしていなかっただけに、その驚きは大きかった。

「店主から連絡を受けた時は誠に驚いたもんじゃよ。まさか、名人ゆかりの者が届けてくれるとはの」
「私も驚きましたよ、まさか桑原先生の名前が出てくるとは、思ってもいませんでした」
「ま、それで礼を言いがてら、今度の碁聖戦への挑戦者としてのあいさつも兼ねてな、今日は足を運んだんじゃ」

―しかし、この進藤という少年、何やらただならぬ気配を感じる…。どうやらただの小僧ではないようじゃ。これは、わざわざ足を運んだ甲斐があったというものじゃの。

「それにしても、進藤といったの。これだけの品を見つけていながら、皆に見せておらんとは何とももったいない。これも何かの縁と思っての、今日は皆に見てもらおうと持参したのじゃ。そこのテーブルを借りるぞ」
「アキラ、折角だ、明子も呼んでくるといい」
「あ、はい」 

 行洋に告げられて、別の部屋にいる母明子を呼びに行くアキラに、ヒカルは声をかけた。

「あ、塔矢、ついでにきれいな水を汲んできてくれないか」
「きれいな水?」
「ああ。桑原先生、いいですよね」
「ほぉー、そこまで知っておったか。いや、若いのに大したもんじゃ。ああ、かまわんとも」



「失礼します。ご一緒させてもらいますね」
「進藤、これくらいでいいのか?」
「ああ、十分だ」
「そろったようじゃの、では」

 桑原はそういうと、箱の中にしっかりとしまってあった花器を包み毎取出しテーブルの上に置いた。そして静かに包みを開いた。

「…花器って言うから、花瓶みたいなものかと思ってた…」

 花器を見た奈瀬は思わずつぶやいた。白地に藍色の模様が描かれた、とても澄んだ色の深皿のお皿のような陶磁器だった。

「さて、進藤、ここからどうするかわかるな?」
「はい。塔矢、水借りるな」

 ヒカルは答えると、花器に水を注いだ。
 するとなんと、注がれた水の底に、たくさんの小さな花模様が浮かび上がったのだ。

「うわー、きれー」
「すごぉーい!」
「なんと!」
「これはまた…」

 それを目にした全員が、あまりの美しさに感嘆の声を上げた。

「普段は大事にしまっておくことが多かったからの。ワシも実に久しぶりじゃ。実に見事なもんじゃろう」
「花器は花を活けてこそ花器。弥衛門、最後の傑作だってさ。特別な釉薬(うわぐすり)が塗ってあるから、他の作品とは違って見えるらしいよ」
―やっぱり、何度見てもスゲーな。
―ええ。私と同じように、長い時の流れに身を置いているこの花器に、また巡り会えるとは。なんと感慨深いことか。

 ヒカルの言葉に、桑原は改めてうなずく。
「さよう。それゆえ、一般には幻の花器とも呼ばれておるのじゃよ」

「いや、まさかこれほどの品とは…。まこと、眼福です」
「ふぉふぉふぉ。これをまた見ることがかなったのも、進藤のおかげよ。これだけは何としても孫に残してやりたかったのでな。何ともありがたいことよ。進藤、この借りはいずれ必ず返すでな」

 
 

 そしてその後、とりあえずは最初のお礼ということで、本因坊までもが指導碁に参加してくれることとなり、約1名のお姉さんが非常に動揺したり、指導碁のつもりが自分と同等レベルの棋力を持つ少年の存在に約1名のタイトルホルダーが驚愕したりと、この場に集った多くのものに、様々な収穫があった1日だった。

 ここにまた一つ、新しい出会いが生じたのだった。 
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