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或る皇国将校の回想録

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北領戦役
  第六話 栄誉ある死か 恥辱の生か

 
前書き
馬堂豊久 駒州公爵駒城家の重臣である馬堂家の嫡流で新城の旧友
     砲兵少佐であるが独立捜索剣虎兵第十一大隊の大隊長として正式に野戦昇進する。

新城直衛 独立捜索剣虎兵第十一大隊首席幕僚。大尉へ野戦昇進する。
     

笹嶋中佐 水軍の中佐。転進支援本部司令として地上から北領鎮台残存部隊の艦隊への輸送
     等々の指揮を執っている。
     後衛戦闘を行っている第十一大隊を訪問し、支援を約束する。 

杉谷少尉 独立捜索剣虎兵第十一大隊本部鋭兵小隊長。
     (鋭兵とは先込め式ではあるが施条銃を装備した精鋭隊の事である)

西田少尉 第一中隊長、新城の幼年学校時代の後輩

兵藤少尉 第二中隊長 闊達できさくな尖兵将校
    (騎銃を装備して剣虎兵と共に前線を動き回る軽歩兵)

漆原少尉 本部幕僚 生真面目な若手将校

米山中尉 輜重将校 本部兵站幕僚

猪口曹長 第二中隊最先任下士官 新城を幼年学校時代に鍛えたベテラン下士官

実仁親王 近衛衆兵隊第五旅団の旅団長である陸軍准将 今上皇主の弟である。
     第十一大隊と共に後衛で粘っており、状況をややこしくしている。 

 
皇紀五六八年 二月 十三日 午前第九刻 独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長天幕
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久少佐 


 結局――笹嶋中佐への頼み事は二つに増えた。
 首席幕僚である新城が捕虜取引の時の便宜を進言し、笹嶋が了承したのであった。
 笹嶋中佐はもう一つの後衛戦闘を行っている部隊――実仁准将殿下率いる近衛衆兵第五旅団の本部へと立ち去った。
笹嶋に託した要請書に書き込んだ補給品、補充人員の目録を斜め読みしながら馬堂豊久が云った
「お前さんも抜け目無いな。もっと遠慮するかと思った。」
「何、十中八九死ぬと思われているんだ。捕虜になった時位は報われてもいいだろう。」
 新城直衛大尉も二人きりなので砕けた口調になっている。
「それに貴様だって補給やら増援やらで随分と欲張ったじゃないか。
貴様の面の皮の厚さは知っていたが彼処までやるか。」

「ハッ!どうせ港で冷凍保存しているだけなら此方の宴で振舞えって事だ。
どうせ砲は船に載せられずに壊すのだろうし、俺達が有効活用しないと工廠の職員達も悲しむだろうさ。」
 パチン! と指を鳴らしながら馬堂少佐が言った。
「全く、たちの悪い客だな。これで代金を払えなかったら地獄まで追って殺されるぞ」
 新城も云い、ニヤリと笑った。

「その顔で言われると真実味がますな」
 馬堂豊久少佐はそういって新城直衛大尉の軽口を鼻で笑う
「まあ代金分を稼いでも死ぬつもりはさらさら無いさ。
算段はある程度つけてある、俺だって馬鹿じゃない」

「そう言われると不安になるな」
 新城は細巻に火を点けながら笑う。

「言ってろ、内地に戻ったら若殿に言いつけてやる。
俺は死ぬときは床の上か餅を食っている時と決めているんだ」
などと軽口を軽口で返しながら豊久も細巻に火を点けた。
 ――うん、上物だ。
補給が途絶してからは節煙していた分、豊久の気を落ち着かせるには十分な旨さだった。

「餅は苦しいらしいぞ」

「じゃあやめだ。風呂場でぽっくり、にしよう」

「――贅沢だな」
 新城も旨そうに細巻をくわえた。
「それにしても馬堂少佐に新城大尉、か。随分と守原も気前がいいものだ」

「多分、将家の者と衆民の差別化を図ったのだろうな。まぁそれも・・・」
 そこまで言って口篭った。
 ――駒城への貸しも兼ねてだろうな、死ねば嫌われ者の此奴も英霊だ。
この男の係累は血の繋がっていない駒城家だけ、後腐れもない以上、守原も褒め称えるだけなら言葉を惜しまないだろう。
 我が鎮台の忠良なる云々――などとあの逃走大将ほざいている姿が目に浮かぶようだ。
「ああ、どうせ死ぬからと。」
 新城があっさりと飯屋で注文するみたいに言うと豊久はがくり、と肩を落とし、苦笑する。
「分かっててもいうな、縁起が悪い。
お前にいざ、死して護国の鬼とならんなんて殊勝な気持ちが欠片もないだろうに。」
「貴様にだけは言われたくないがその通りだな。」
「生憎ですが、俺はこれでも将家だからね。題目通りの献身はしますよ、死ない程度に。」
 ――俺の言った通りじゃないか。そう首席幕僚は云って細巻をふかすと笑みを浮かべた。
「随分と上物だな。」
「南塊産の高級品だ。流石は水軍の選良士官だな――此処に、餞別に貰った細巻入れがもう一つ」
 そう言って豊久は上機嫌に細巻入れを見せた。
笹嶋は転進が成功したら統帥部戦務課に栄転するらしい、馬堂家を継ぐ身である豊久としてもここで水軍中枢を担う身になりうる人物を戦友として得られる事は実に喜ばしい事であった。――上機嫌なのは単純に嗜好品の補給ができたことだけではない、ない筈である、多分。

「半分くれ。で、本当に小隊を真室の穀倉を潰す為に送るつもりか?
水軍の船も回して貰うのだから二度手間になると思うが」

「海が荒れていると中佐が言っていたからね。
砲撃する前に沈まれたら困る。俺の計画ごと文字通り水泡に帰するのは非常に困る。
せめて陸路からも行動しないと保険が利かない博打を打ちたくないからな。
運以外の全ての要素、いや運すらも塗り潰さないとこの作戦は成立しない――おい取りすぎだぞ」
 三分の一も残ってない細巻入れを見て肩を落としている上官を無視して新城は言葉を継ぐ。
「確かに、
だが、向かった小隊は、ほぼ確実に戦死か捕虜になるぞ。人選はどうする?」
 何時の間にか火を着けた高級細巻をふかす新城を睨みつけながら自身の鉄杯に黒茶を注ぎ、大隊長が云う。
「そうでもないさ、海が落ち着いたら水軍に回収してもらうよ。
もし、その前に発見されても役目を果たしたのなら降伏を許可するつもりだ。
――人選はどうしたものかね?お前は駄目だ、前線の戦闘は可能な限りお前に指揮をとって貰いたい、剣虎兵の運用は独特だからな。そうだ、漆原はどうだ?」

「あいつは駄目だ。真面目過ぎる、この手の事は、理解はしても納得しない」

「まさか途中で逃げるとは思はないが――」

「降伏する前に戦死を選ぶかもしれない」
 首席幕僚の冷厳な言葉を聞き、大隊長は黒茶に口をつけながら渋面をつくる。
「じゃあ妹尾も駄目だな。あれも生真面目が過ぎる。
――杉谷は施条銃の専門家だから手放したくない、剣虎兵の支援に熟練している鋭兵は貴重だからな。
西田はお前が居ない時の剣虎兵の纏めに必要だし――兵藤はどうだ?」

「それが最適だろうな、当面は補給が届き、貴様が命令を下せば動ける状態になるまで待つことだ」

「急ぎ指揮官集合をかけよう。増援と補給の第一便が届いたらすぐに動けるようにしたい」
頷き、新城が席を立つのを見送ると馬堂豊久大隊長は重いため息をついた。
 ――皆、荒れるだろうなぁ。だがやらないと俺が指揮する限りは全滅だ。


同日 午前第十一刻 独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊本部天幕 
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久少佐

「さて、解っていると思うが撤退は許可されない。
我々に与えられた命令は十日間の遅滞行動だ。
幸い増援と補給は来る、だがそれでも以前より弱体なのは避けられない。
諸君、正面から戦ったらどうなるかな?」
 ――別働隊も使うのだ。皆に構想を深く理解させる必要がある。
 内心鬱々としていても馬堂少佐は表面上は快活に構想の説明を行っていた。
 漆原少尉が答える。
「まともに戦闘をしたら恐らく二刻ももちません。」
 ここまでは計数ができれば誰でも分かる事である。
完全編成の〈帝国〉陸軍一個師団相手に消耗しきった大隊が会戦するなどありえない。
「そう、砲兵の増援が届き次第敵の渡河の妨害を行うがそれでも無理だ。二日も稼げれば万々歳だろう。」
息継ぎついでに黒茶に口をつけると新城が言葉を引き取った。
「しかし、諦める事は出来ない。
ならどうするか、詰まる所我らは根性を悪くして戦うしかない。」
 独特の偕謔味を込めてそういうと皆それぞれの反応を返した。
 西田は不安げな笑みを浮かべ、漆原は失笑し 妹尾は鼻白んだ様な顔で杉谷は瞑目して首を振り、兵藤は予想していた様ななんとも言えない表情、米山を始めとする兵站将校達は現実に負けた者達独特の苦みを湛えている。

「そう、我等が根性悪の首席幕僚殿が言う通り邪道の戦術を使うしかない。
極めて例外的な戦術の為、今回はそれを諸君に講義するとしよう。
――兵藤少尉!帝国軍の我等には不可能とも言える行軍能力の背景は何か?」
 大隊長の問いに兵藤少尉が背筋を伸ばして答える。
「はっ!帝国軍の行軍能力の背景にはその身の軽さにあります!
兵站集積所、輜重段列に重きを置かず敵地において各隊が自活する事で
その行軍能力を持たせる大きな要因となっております。
北領においても北府の糧秣庫を押さえられた為に帝国軍はその行軍能力を発揮しております!」

「八十点だな。細く補足すると自活を推奨する為に敵地での『愉しみ』――強姦・略奪を推奨する事もその要因の一つだ。
連中、我が軍の主力が潰走している今は馬肉をぶら下げられた猫の様に悦び勇んで戦果拡大の為に行軍している。」
 言葉を切って見回すと、新城以外は皆、不愉快さ、そして怒りに顔を歪めている。
 ――義憤はそれなり、か。もうひと押しで正当化の理屈をつけられるか?
 馬堂は口を動かしながらも部下達を分析していた。
「ならどうするか、話だけなら簡単だ。
そう、馬鹿な猫には目の前の馬肉(おたのしみ)を無くせば良い。
補給が無いなら自活の場を壊せば良い。」

漆原が反応する。何を言うのか予想出来たのだろう。
「この先に糧秣庫は――友軍の集結地までありませんが・・・」

「漆原少尉、話を聞いていたのか?
糧秣庫には金目の物も女もめったに見つからないぞ?
連中が戦争を楽しむ最大の場所は町だ、村だ。
この北領では衆民から奪い、衆民を犯し、帝国の地としているのだ。
我々はそれを破壊する事で鎮台の兵達を救わなければならないのだ」
 漆原は認めたくない事を認めて座り込んだ。
  ――無理も無い。
  内心では豊久とて良い気持ちはしない方策であるしそれ自体〈皇国〉軍民のほぼ総員が禁忌と捉えるであろう方策であった。
これは〈皇国〉と〈帝国〉の戦争観の違いは〈皇国〉を統一する為に五将家が敵対勢力を切り崩す為に村落、都市の自治権を認める事で地盤を強化させり方策を伝統的に行っていた事が理由であり、五将家の軍から伝統を引き継いだ〈皇国〉軍が村落からの徴発に頼らず兵站を重視する理由であった。
「おそらく、今の〈帝国〉軍占領地は――東州のようになっているだろう。
村民に対してはそう云って〈大協約〉の保護が効く都市まで退避させる」
 一瞬言い淀んだ大隊長は首席幕僚を気遣わしげにちらりと見た。
――四半世紀の太平の世でなおこの伝統が生き残った理由は〈皇国〉の最後の大規模な内乱である東州内乱が村落徴発を一種のトラウマにまで高めていた事も大きい。
東州内乱、林業・工業が盛んであった東州を治めていた目賀田が人口の増大と食料自給率の上昇によって独立の為に反乱を起こし、五将家から袋叩きにされ敗北した。
だが問題はその後であった、壊乱した東州公の軍は徴発という名の略奪・暴行を行い豊かであった東州は荒地と廃墟が残るばかりとなってしまった。その荒廃がどれ程酷いものであったかは、東州を恩賞として得た安東家が財政赤字から脱却するまでに十五年以上かかった事からも伺えるだろう。
 ――そして、村民に行われた蛮行の生き証人であり、大殿様――駒州公駒城篤胤様に拾われた新城直衛が――俺の隣に首席幕僚として座っている。
  
「大隊長殿・・・まさか・・・」
 何を命じられるのか気づいたのだろう、杉谷が掠れた声を絞り出す。
「そう、我々は帝国の略奪を防ぐ為に村を破壊し、衆民を美名津へと避難させる。
美名津への輸送は実仁准将閣下の近衛旅団に任せる。
村民を近衛の元へと誘導し、我々は村を破壊する。
ああ、その後に井戸に毒も入れなくては、この時期ならば効果的だからな。」
「しかし、村を破壊したら軍への信頼が失われます!」
 妹尾少尉も怒りを浮かべながら反対する。
「――首席幕僚。」
頷き、猪口曹長が差し出した軍服を指す。
  ――嫌な役目だけ押し付けている気がする、俺も所詮はその程度の人間か。
「夜襲地点の付近から帝国兵の軍服を二十人分調達した。
これを着て夜間に村を襲う。当然住民は殺さない。」
 新城が説明を続ける。
「翌朝、皇国軍が村を訪れる。帝国軍の接近を警告し近衛に引き渡す。
後は彼らが村人達を護送して近衛に預け。我々は村を焼き、後退する」
 漆原が顔を歪めて質問する。
「我らが転進した後に美名津も攻撃されるのでは?
それに受け入れを拒否したらどうなるのです?」
 ――おいおいこれは基本だぞ。
余裕がないからか、馬堂少佐は珍しく部下の前で苛立たしげに教える。
「美名津は〈大協約〉における市邑保護条項の適用される“軍事設備のない人口二千人以上の集落”という条件を満たしている。
 ――そして、受け入れ交渉は実仁親王殿下が直々に要請なさる可能性が高い。
それでも受け入れを拒否するのならば――避難民の恨みを買うことになる、その先まで近衛も我々も責任を取る必要はないだろう?」
 沈黙の帷がおりた中で淡々と大隊長は構想を告げていく。
「まず真室の穀倉を焼き払う、その為に一個小隊を派遣する。
穀倉の破壊が完了した後は、水軍より救出と破壊の確認のために船が送られる事になる
それまでに発見されたら降伏しても構わない。
――勿論、その前に何としても穀倉に火を着けてもらう、これは義務だ。
この場にいる者達、そして北美名津で凍えている鎮台主力を見殺しにする事は許さない、この命令は絶対に厳守してもらう。」
 皆を見回しながら言葉を続ける。
「増援が到着したら部隊を遅滞戦闘隊と避難誘導、及び焦土化を行う隊に分ける。
避難誘導隊は輜重の馬車等を徴発し、村民の輸送に利用する。
その後、南下して苗川の渡河点、小苗橋にて布陣をし、野戦築城に取り掛かる。
以上が大隊長の構想だ。」
 一息ついて黒茶を飲む馬堂少佐の代わりに新城が口を開く。
「誰か質問はあるか?」
 西田少尉が手を挙げ、訊ねる。
「近衛達には教えるのですか?」
「まさか、機密は知る者が少なければ少ない程、漏れないものだ。それに宮様に泥をかぶせる真似はできない。
近衛には誠心誠意、民草を暴虐な帝国軍から人々を逃がして貰う。」
 将家間の勢力争い、その激戦区である軍監本部に籍を置いていた馬堂豊久はことそうした類の事柄に関してはこの大隊の中では誰よりも鼻が効く男であった。
「汚い・・・」
 漆原が言葉を絞り出した。
「汚い!そこまでして戦わねばならないのですか!」
 
  ――青いな。正義感と正義を混同している。
正義なんていつだって強者の後付で決まるものだ、弱者だって生きたいのだ,正義を定めたいのだ、それの何が悪い。
 生死をかけた闘いの中で、兵を率いる将校が生き延びる手段にこだわってどうなるというのだ、背を見せずに死んだ後で正義の英雄となるのは味方が生存したからだと、なぜ分らない。 死者は黙して語らず、死に損ないの老兵のみがすべてを語り継ぐ権利を得られるのだ。

「当然だ。此処で黙って戦死しても誰も得しない。
鎮台は壊滅し、村民は穀物を奪われ、女は犯される。
内地を守るものは一万人以上がここで骸になり、そしてそれで内地では更に人が死ぬ。
それなら村民を早期に逃し敵に利される前に村を破壊する方が効率的だ。
村人達にはいずれ来る被害を軽減させるのだと考えろ。
この時この瞬間、我らは今後の国防戦略の要所を担っている。
どうだ、少尉。たかが尉官・佐官である我らにとっては何とも名誉な事ではないか!」
 ――我ながらよくもまぁ、口が回るものだ。
自嘲の笑みを浮かべながら芝居がかった仕種で両手を広げた。
「そんな・・・効率的・・・なんて・・・」
理解はしているが納得出来ないのだろう漆原は途切れ途切れに言葉を紡ぎ、崩れ落ちるように座り込んだ。

「覚えておけ。何もしなかったら村民達がどうなるか。
村は破壊される結果は何も変わらない、だが村民を多少は助ける事は出来る。
我々が正面から戦い戦死する事は下らない自己満足だ。
ならば我々は虚像となるために無意味な誉れある死よりも実をとって恥辱に塗れて生きるしかない」
言い終わると大隊長も椅子に沈み込むようす腰掛けた。
「質問はないな。」
 旧友の限界の兆候をそれに見て取ったのか新城が皆を睥睨する。
「ならば解散だ。一刻後に真室に派遣する者を通達する。」


同日 午前第十三刻 独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長天幕
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊首席幕僚 新城直衛大尉


部隊の様子を見て回った首席幕僚が大隊長の天幕に入ると大隊長の発する陰鬱な空気が彼を迎えた。
 ――これでも、身内に甘い男だ、先の漆原の件が響いたか。
打算的な癖に この男が決めた境界を超えると途端にお人好しになる。
そうした意味では将家らしい価値観を持っているのかもしれない。
 ――こうなるだろうとは思っていたがどうしたものか。
  どう声をかけようか、と思案していると大隊長の方が先に声を発した。
「・・・新城大尉。君はどうだ。納得出来たのか、この作戦に。」 
――軍人として問うのか。いや、部下としてか。
予防線を張りながら問いかける旧友を、弱っているな、と診断しながら慎重に言葉を紡ぐ。
「僕が考えついた中では最善の策です。もちろんこの状況の中で、です。」
「そうか、重いな、隊長というのは。」
そう呟くと瞑目する。
「指揮官とはそうしたものだ。貴様とてわかっているだろうに好き好んで軍人になったのだろう、務めを果たせ」

「そうだな、俺の仕事は軍人として時間を稼ぎながら可能な限り皇国民を保護する事
そして大隊長として部下を殺させず内地に帰らせる事、だ。
 経文を唱える僧のような口調で呟く。
「そう、割り切る事だ。後は昇進してから考えろ」
 新城が頷くと豊久も苦笑して云う。
「――そうだな、悪いな。愚痴を聞かせて」

「いいさ、貴様に少なくとも良心があると分かっただけでも価値があるさ」
 ――ひどいな。
そういって明るく笑う、少なくとも回復したふり位はできるようになっているようであった。
「皆の様子は?」
兵藤を呼ぶ前に聞かせておくか。

「兵藤と杉谷は、ある程度割り切れている。
西田も大丈夫そうだ。理解して割り切ろうと考えている。
妹尾も迷いはあるが少なくとも衆民への有効性を理解している。
問題は漆原だ。あいつは感情的になっている。部隊の統率にも影響が出かねる程に」

「――そんなに酷いのか。」

「ああ、なまじっかお前を信頼していた分、裏切られた気持ちらしい。」
 ――上を見上げて真っ先に目に入ったのが大隊長なのだろう、動揺して視野が狭くなっている。

「裏切られた・・・ね。」
一瞬、痛切な表情が顔をよぎらせるが、馬堂少佐は即座にすぐにふてぶてしい笑みを貼り付けた。
「まぁいい、確かに作戦の責任者は俺だ。嫌われるのも覚悟の上だ。」

「やはり遅滞戦闘部隊の方に回すか?」
「そうしてくれ。顔を会わせる前に納得出来なくとも折り合い位はつけてもらわないと」
苦みの強い苦笑を浮かべながら言う。

「納得が出来なくても、命令が下れば実行する。
実行しないのなら処断される。それが軍隊だ。」
 ――漆原があのままなら処断も必要だ。
 そう露骨に示唆する首席幕僚に大隊長が向き直る。
「そして、その手の反発も考慮して令を下すのが指揮官の務めだ」
「だがいつまでもそうした贅沢は許されはしない」
 首席幕僚は冷厳に進言する。
「だが幸い今は正面からの殴り合いまでは時間があるだろう?
当分は真室川の渡河を妨害するだけだ。
その際に難民を見つけたら引き合わせてやってくれ
あぁ、できれば暴行された女性を連れた一行が良いな、あの手の青年には分かり易い」
 
「――今度は腑抜けかねないぞ」

「荒療治なのは百も承知だ、だが反抗的になるよりはマシだろうよ――兵藤をよんできてくれ」
かくして大隊は行動を再開した。
 
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