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銀河英雄伝説~悪夢編

作者:azuraiiru
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第五十二話 良い思い出が無かったな




帝国暦 489年 4月 3日  オーディン  帝国宰相府  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



お仕事お仕事ルンルンルン、今日も明日もルンルンルン。最近俺は毎日が楽しい。捕虜交換で戻ってきた帰還兵達はその多くが帝国軍に復帰した。良いねえ、実に良い。内政面でも改革が順調に進んでいる。貴族達も改革に協力している、順調、順調。人間成果が出ればやる気も出る、俺は仕事がとっても楽しい。

帝国が順調なのに比べて同盟は滅茶苦茶らしい。そうだろう、そうだろう、一生懸命演技したんだ。ヒルダとヴァレリーは俺が同盟を嵌めたのを知っているからな、呆れた様な目で見ていたがこれは戦争なのだ。相手を叩きのめす機会を見過ごすべきではない。

順調じゃないのはフェザーン方面だな、ラインハルトは貴族共とは何とか繋がりを持ち始めたようだがフェザーンとは未だ接触できずにいる。もしかするとルビンスキーもルパートも用心しているのかもしれん。元妻の弟、左遷人事、少しあからさまだったか。

このままいけば同盟へ攻め込むのは今年の暮れから来年にかけて、そんなところかな。出来れば同盟で内乱でも起きてくれればベストなのだが……。そろそろシャフトにガイエスブルク要塞を移動要塞ガイエスブルクに改修するように命令するか。その前にシャフトとフェザーンの繋がりをケスラーに洗わせないと……。

いつも通り、午前中は元帥府で仕事をし午後は宰相府で仕事をしているとオスマイヤー内務尚書が面会を求めてきた。執務室に入ってきたオスマイヤーの顔面は蒼白だ。良く無い兆候だ、どうやら何か有ったらしい、豪胆とは言わないがそれなりに肝は座っているはずだが……。

「どうかしましたか、内務尚書」
「はっ、実は残念な御報告をしなければなりません」
「……」
残念、何処かの星域で改革が上手く行っていないのかな。一番拙いのは辺境だな、あそこは被害者意識が強いから扱いには注意が必要だ。それとも警察の不祥事でも明らかになったか、でかい官庁だからな、不祥事なんて幾らでもあるだろう……。

「グリューネワルト伯爵夫人が亡くなられました」
「……」
何だ? アンネローゼが死んだ? 嘘だろう? いやオスマイヤーが俺に嘘を吐く筈が無い。落ち着け、慌てるな、先ずは死因の確認だ。

「病死ですか? それとも事故死?」
俺が問い掛けるとオスマイヤーがちょっと困ったような表情を見せた。どうやら違うらしいな、いや内務尚書が自ら知らせに来るんだ、何らかの事件に巻き込まれたという事か。ヒルダとヴァレリーが固まっている、お前達が緊張してどうする、阿呆。

「言い難い事ですが伯爵夫人は殺されました。犯人はエルフリーデ・フォン・コールラウシュ、彼女は……」
「リヒテンラーデ侯の一族でしょう、そんな名前が有ったのを記憶しています」
「はい、彼女の母親がリヒテンラーデ侯の姪でした」
エルフリーデ・フォン・コールラウシュ、嫌な名前だ。原作を読んでも俺にはあの女が何をしたかったのかさっぱり分からなかった。その嫌な女がアンネローゼを殺した……。

「理由は何です?」
「宰相閣下に対する怨恨です、一族を殺され没落させられた事への復讐だと……」
「……」
「本当は宰相閣下を殺害するのが目的でした。しかし警護が厳しく襲うのは無理だと判断し代わりに伯爵夫人を狙ったそうです。閣下に苦痛を与えたかったと言っています」
やはりな、そんなところだと思った。オスマイヤーもようやく落ち着いたようだ、顔色が戻っている。

「国外追放にしたのです、戻るのは難しい筈ですが?」
憲兵隊はフェザーンに人を出しているはずだ、その監視の目をすりぬけたか。ケスラーも面目丸潰れだな、後で慰めてやらないと……。頭でも撫でてやるか。
「偽名のパスポートを持っていました」
「偽名のパスポート? ではフェザーンに協力者が居ると?」
「おそらくはそう思われます」

ヒルダとヴァレリーが顔を見合わせていた。厄介な事になったと思っているのだろう。俺も同感だ、フェザーンの蛆虫共が動き始めた。ラインハルトの阿呆、何をやっている! お前が仕事をしないからアンネローゼが死んだだろうが! 肝心な時に役に立たん奴だ、このヘナチョコが!

「エルフリーデは何か言いましたか?」
俺の問いかけにオスマイヤーが首を横に振った。
「残念ですが、“殺せ”と言うだけで……」
「ここへ連れて来てください、私が彼女に会いましょう」
「ここへですか?」
オスマイヤーは多分反対なのだろう、眉を寄せている。“お願いします”と言うと“分かりました”と答えて部屋を出て行った。

馬鹿な女だ、フェザーンで大人しく暮していれば良いものを……。俺の処分が不服か? だがな、原作に比べれば遥かに寛大な処分の筈だ。流刑に比べれば国外追放の方がましだろう。それに無一文で国外に放り出したわけじゃないし処刑したのは二十歳以上の男子だけだ。甘かったのかな、手厳しくやるべきだったのか……。だがなあ、必要以上に人を殺すなんてのは気が進まない……。やはり甘かったんだな、俺は……。

殺らなければ殺られていた、殺られたくないから殺った。その事を後悔はしていない。エルフリーデ、お前に恨まれる様な事じゃない、恨むのなら俺では無く油断したリヒテンラーデ侯を恨むべきなのだ。だがお前には分からなかったようだ。仕方ない、お前にその事を後悔させてやる。ヒルダとヴァレリーが俺を気遣わしげに見ている。心配しているのだろうが鬱陶しい視線だ。気付かない振りをして決裁文書に視線を向けた。

アンネローゼ、離婚なんかするんじゃなかった。お前の意思なんて無視して傍に置いておけばよかった。そうすればお前は死なずに済んだんだ。俺が馬鹿だから、意気地なしで良い格好しいだったからお前を手放してしまった。阿呆な話だ、離婚だけじゃなくて永久にお前を失ってしまった……。

幸せなんて無縁な一生だったな。ずっと籠の中の鳥で籠から出たと思ったら殺されてしまった。一度でいいから屈託なく笑うお前を見たかった。何時かはそんな日が来ると思っていたんだが……。オスマイヤーが戻ってきた、正直ホッとした。思考がぐるぐる回るだけで馬鹿な事ばかり考える自分をようやく振り切る事が出来た。

エルフリーデは両腕を男に押さえられている。多分内務省の人間だろう。自由は奪われているのだが彼女は意気軒昂だった。勝ち誇ったような表情で俺を見ている。馬鹿な女だとまた思った。人を殺して喜ぶなどどう見ても正常とは思えない。この女に同情など欠片も必要ない。

「エルフリーデ・フォン・コールラウシュ、協力者は誰です?」
俺が問い掛けると微かだが嘲笑する様な表情を見せた。上等だ、もっと俺を怒らせろ、俺が後悔しないように……。
「答えなさい、誰に協力して貰いましたか?」
「お前に話す事等何も無い、殺しなさい」

嬉しそうだな、エルフリーデ。安心しろ、国外追放の身でありながら偽名を使って入国、伯爵夫人を殺したのだ、間違いなく死刑だ。
「口惜しいか、ヴァレンシュタイン。身の程知らず、成り上がりの卑怯者! 大切なものを奪われる気持ちが分かったか! 私達の悲しみが、怒りがどれほどのものか、思い知るが良い! 分不相応な野心を持った報いだ」

勝ち誇ったように喋るエルフリーデが可笑しかった、思わず笑い声が出ていた。この女は何も分かっていない。フェザーンに居る何者かに操られた駒でしかないのに自分が悲劇のヒロイン、復讐を果たしたヒロインにでもなったつもりでいる。

「何が可笑しい!」
身悶えして激昂する女の姿がさらに俺を笑わせた。皆が不安そうに俺を見ている。情緒不安定、そう思ったのだろう。残念だな、俺は今最高にクールだ。この女を痛めつける事に何の罪悪感も感じずに済みそうだと分かったからな。思いっきり残虐になれるだろう。

「お前が可笑しいのだ、エルフリーデ。私に苦痛を与えたと喜んでいるようだがその後の事を当然考えているのだろうな。私の怒りを受け止める事になるが……」
「殺せ!」
「殺す?」
簡単に死ねると思っているのか? また笑い声が出た。俺は信長じゃないし家康でもない。啼かないからといって殺したりしないし待ってるだけなんてのも御免だ。無理やり啼かせて見せるさ、俺のやり方でな、いやお前に相応しいやり方でだ。

「人を殺して喜ぶなど下劣な事だ。お前にはその下劣な精神に相応しい物を与えてやろう。死は時として安らかな眠りでしかない、私はそのようなものをお前に与えるほど優しくは無い。私がお前に与えるのは絶望と屈辱だ、己を呪い私を呪い、そしてこの世に生まれてきた事を後悔させてやろう。お前は泣きながら私に死を請い願う事になる」

エルフリーデが微かに怯えを見せた。
「内務尚書、この女をオーディンの売春宿に叩き込みなさい。もっとも劣悪な売春宿にです」
皆がギョッとしたような表情で俺を見た。そしてエルフリーデが“卑怯者”、“人でなし”、“殺せ、殺しなさい”と怯えた表情で喚いた。もう遅い……。

「エルフリーデ、平民達に貴族の女というものがどういうものか教えてきなさい。内務尚書、連れて行きなさい」
俺の言葉にエルフリーデが“話すから止めて”と言って人に名前を言い出したが“明日聞く”と言って追い出した。馬鹿が、しっかり働いてこい。少しは根性も入れ替わるだろう。

ラインハルトに連絡するか……、気が重いが俺の役目だろうな。どうせまた俺を罵りだすだろう、俺の所為で死んだ、疫病神だと言うに違いない。その通りだ、アンネローゼもリューネブルクも俺の所為で死んだ、俺は疫病神だ、碌でもない現実だが認めざるを得ない。

葬儀は後にしなければならん、フェザーンがこの一件に絡んでいる可能性が有る以上ラインハルトはフェザーンから動かせない、不満を持つだろうが我慢してもらわなければ……。暫くの間は遺体は内務省で冷凍保存しておく必要が有るだろう。寒いだろうがアンネローゼにも我慢して貰おう。

ヴァレリーとヒルダが俺を非難するような目で見ていた。文句あんのか? 俺だって好きでやってるんじゃないぞ! 全く何も分かってないんだな、次に狙われるのはお前達、裏切り者の宰相秘書官と亡命者の副官になる可能性は高いんだ。それを防がないと……。ケスラーに連絡しなければ、警護を頼まないといかん。目の前の二人の他にシュテルンビルト、ノルトリヒトの両子爵家、ミッターマイヤー、ケンプ、アイゼナッハ、ワーレン達の家族……。

いや文官達にも必要か、今あいつらを失うのは痛い、改革が頓挫しかねない。憲兵隊だけじゃ負担が大きいな、武官は憲兵隊、文官は内務省が警備するようにしよう。先にケスラーに連絡だな、その次にオスマイヤー、ラインハルトは最後だ。嫌な仕事はどうしても後回しになるな……。



帝国暦 489年 4月 5日  オーディン  ヴァレンシュタイン元帥府  ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ



エルフリーデ・フォン・コールラウシュが元帥府に現れた。二日前の意気軒昂とした様子は微塵も無い、両腕を内務省の捜査官に押さえられおどおどと怯えた様子で目を伏せている。余程に酷い目に有ったらしい。見るに堪えない、私だけでは無い、フィッツシモンズ准将も彼女からは眼を背けがちだ。オスマイヤー内務尚書、ケスラー憲兵総監は表情が硬い。宰相閣下だけが無表情にエルフリーデを見ている。

昨日も彼女はここへ来た。宰相閣下の最初の問いに彼女は答えなかった。精一杯の虚勢だったのだろう。もう一度問えば、脅せば彼女は口を開いた筈だ。だが宰相閣下はもう一日彼女を働かせろと命じた。エルフリーデが悲鳴を上げて話し始めても相手にしなかった。彼女は元帥府を泣き喚きながら連れ去られた。私とフイッツシモンズ准将はいささか酷いのではないか、そう宰相閣下を諌めたが口出し無用と言われ相手にされなかった。

宰相閣下がエルフリーデに近付いた、手には紙を持っている。その姿をエルフリーデが一瞬見たが直ぐに視線を逸らせた。
「エルフリーデ、これが何か分かるか? お前を相手にした男達が感想を書いたものだ。酷いものだな、金を返せと書いてある。あの世界では貴族である事等何の意味も無いらしい。他の感想も聞きたいか?」

エルフリーデが激しく首を横に振った。
「遠慮するな、今日も働く事になるかもしれないのだ。参考になるだろう、少しはまともな感想が書かれるかもしれない」
「止めて、お願いだから、それだけは止めて……」
エルフリーデが涙を流しながら哀願した。

「死にたいか?」
エルフリーデが頷いた。
「殺して欲しいか?」
また頷いた。
「では私に殺して下さいと頼むのだ」
「……殺して下さい」

満足だろうか、そう思ったが宰相閣下の表情には何の変化も無かった。相変わらず無表情にエルフリーデを見ている。
「フェザーンで偽のパスポートを用意した人間は?」
「……アルバート・ベネディクト」
「どういう人間かな?」
「商人だと言っていたわ」

宰相閣下がオスマイヤー内務尚書、ケスラー憲兵総監に視線を向けた。二人が頷く、既に何度か彼女がその名前を口にしているから調査済みだ。フェザーン自治領主府と関係の深い人物らしい、余り評判の良くない人物である事も分かっている。
「フェザーンの自治領主府との関係は?」
「分からない、何も言わなかった」

「コールラウシュ家と関係の有る商人か?」
エルフリーデが首を横に振った。
「ではリヒテンラーデ侯爵家との関係は?」
こちらの問いにも首を横に振った。
「面識は有ったのか?」
エルフリーデが三度首を横に振った。どうやら関係は全くないようだ。

「どちらから近付いた、お前から近付いたのか、それとも相手から近付いたのか?」
「向こうから……」
「何と言って近付いてきた?」
「帝国に戻してやると……」
「それだけか?」
エルフリーデが頷いた。宰相閣下が僅かに考えるようなそぶりを見せた。

「お前はフェザーンで私を殺したいと言ったか?」
エルフリーデが躊躇うそぶりを見せた。
「言ったのか?」
「……言ったわ」
「大勢の人の居る所でか?」
またエルフリーデが頷いた。アルバート・ベネディクトはそれを知ったのだろう。そしてエルフリーデを帝国に送り込んだ。明らかに彼の狙いは宰相閣下の命だった。エルフリーデはその道具にしか過ぎない。

「アルバート・ベネディクトが接触したのはお前だけか? 他に接触した人物は居なかったか?」
「……分からない」
「……エルフリーデ、あの店に戻りたいか?」
エルフリーデが激しく首を振った。

「分からないの! 本当に分からないの、居るかもしれないけど、私には……」
声が怯えている。
「分からないか」
「ええ」
エルフリーデが“本当に分からない”と必死に訴えた。宰相閣下は不満そうな表情だ。多分一番知りたい事なのだろう、もしかすると第二のエルフリーデが既にオーディンに入り込んでいるかもしれない、その可能性を懸念しているようだ。

「私が聞きたい事は他に有りません、後は内務尚書と憲兵総監で情報収集をして下さい。彼女の身柄は内務省の管轄とし情報収集が終了した後は法に照らして処分を」
宰相閣下の言葉にオスマイヤー内務尚書、ケスラー憲兵総監が頷いた。

エルフリーデが連れ去られオスマイヤー内務尚書、ケスラー憲兵総監が退出しようとすると宰相閣下が未だ話が有ると言って二人を引きとめた。
「オスマイヤー内務尚書、今回の一件、全て包み隠さず帝国、そしてフェザーンに公表してください」
えっと思った、私だけでは無い皆が驚いている。

「全て、といいますと……」
「全てです。エルフリーデが何をしたか、私が何をしたか、私とエルフリーデの会話も全て公表してください」
皆が顔を見合わせた。
「それでは閣下に対して恐れを抱くものが増えます、良くない風評も立ちますが……」
オスマイヤー内務尚書が反対すると宰相閣下が微かに笑みを浮かべた。

「構いません。エルフリーデを殉教者にするよりはずっと良い。あの女が惨めに死を請い願ったと公表してください。後に続く者はかなり減るはずです」
また皆が顔を見合わせた。
「閣下はそれが狙いであの様な事を……」
フィッツシモンズ准将が問い掛けたが宰相閣下の答えは無かった。オスマイヤー内務尚書が“御指示通りにします”と頷いた。

「内務尚書、国内に周知してください。今後国外追放者を帝国内で見かけたものは必ず帝国内務省に申し出るようにと。もしそれを怠った事が判明した場合は厳罰に処すると」
「はっ」

「フロイライン・マリーンドルフ、貴女はシュテルンビルト、ノルトリヒトの両子爵家に出向き直接彼らに伝えてください。間違っても馬鹿共に同情などするな、庇う様な事はするなと」
「はい、分かりました」

宰相閣下が私を見ている。同情するなというのは私に対する忠告でもあるのだろう。エルフリーデの件で閣下を諌めた事は軽率だった、あれはテロ行為を防ぐためのものだったのだ。フィッツシモンズ准将も決まり悪げだ、彼女も私と同じ事を考えているに違いない。

「それとフェザーンに対してアルバート・ベネディクトを引き渡すようにと声明を出して要請してください」
「フェザーンが素直に引き渡すとは思えませんが……」
「その通りです、具体的にベネディクトの関与を示す物証は有りません。エルフリーデの自供だけです。フェザーンは関与を否定するでしょう」

オスマイヤー内務尚書とケスラー憲兵総監が懸念を表明した。公式声明を出してしまえば引き返せなくなる、引き渡しが無ければ面子が潰れる、そう思ったのだろう。だが宰相閣下は退かなかった。
「構いません、何度でも執拗に要請してください。こちらが怒っていると帝国にもフェザーンにも理解させたい」
オスマイヤー内務尚書とケスラー憲兵総監が顔を見合わせた。賛成は出来ないがこれ以上の反対も出来ない、そんな感じだ。

「ケスラー憲兵総監」
「はっ」
「フェザーンに居る憲兵隊の人間を使ってアルバート・ベネディクトを殺して下さい」
「それは」
皆が顔を見合わせた。引き渡しを要求しながらその対象者を殺す……。
「どんな手段をとっても構いません、必ず殺して下さい」
重苦しい空気が執務室に満ちた。

「アドリアン・ルビンスキーが口封じをした、フェザーン人にそう思わせる事でフェザーン人とルビスキーの間に不和を生じさせる、ルビンスキーの蠢動を抑える、そういう事でしょうか」
ケスラー憲兵総監が顔を強張らせている。宰相閣下が苦笑を浮かべた。

「それが最善ですが帝国が動いた、そう知られても構いません。帝国にちょっかいを出すのは危険だとルビンスキーとフェザーン人に理解させるのが目的です。追放者とフェザーン人を大人しくさせましょう」
「分かりました」

ケスラー憲兵総監の返事に宰相閣下が頷いた。そして私達を見渡す。
「帝国の安全を守り皆の安全を守るためなら私は悪評など恐れはしません。権力者に必要なのは信頼される事であって愛される事では無い。その覚悟の無い者は権力など求めるべきではない、私はそう思っています」

厳しい、そう思った。そして正しいのだとも思った。権力者の座に着くという事がどういう事なのか、今私は理解し始めている。かつて持っていた権力への憧れなどと言うものは今の私には無い。権力者というものは孤独で寂しい存在なのだ。得た権力が大きければ大きいほど孤独と寂しさは強まるだろう。

「伯爵夫人の御遺体は如何されますか? ミューゼル少将はフェザーンですが……」
オスマイヤー内務尚書が幾分か遠慮気味に問い掛けた。宰相閣下とミューゼル少将の関係が思わしくない事を知っているのかもしれない。

「私はここ一、二年の内に大規模な遠征軍を起こすつもりです。フェザーンを占領し、同盟を降伏させる。その後はフェザーンに遷都しフェザーンを基点に宇宙を統治します」
えっ、と思った。フェザーンに遷都、まさかそんな事を考えているなんて……、皆が驚いている。

「そのためにはもうしばらくは平穏が必要です。フェザーンにも同盟にも大人しくしてもらわなければ……」
そういう事かと思った。捕虜交換はその為に行ったのだ。宰相閣下が宇宙統一を考えたのは最近の事では無い、もうずっと前から考えそれを前提に動いている……。

「伯爵夫人の遺体はフェザーンで埋葬します。ミューゼル少将もそれを望むでしょう、オーディンではいささか遠過ぎる。それに彼女にとってもオーディンを離れた方が良いと思います、ここは辛い想い出が多すぎる……」
ハッとして宰相閣下の顔を見た、哀しそうな顔だった。慌てて視線を逸らした、見てはいけないものを見てしまった、そう思った。


 
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