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或る皇国将校の回想録 前日譚 監察課の月例報告書

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六月 野心なき謀略(三)

 
前書き
馬堂豊久大尉 五将家の雄、駒州公駒城家の重臣である馬堂家嫡流
長瀬門前憲兵分隊に設置された監察課分室の長として広報室の情報漏洩の監察を担当している。

岡田少尉 皇州都護憲兵隊 長瀬門前分隊の高等掛掛附き将校 分室の次席

平川利一中尉 陸軍局文書課広報室の主任 馬堂豊久の同期

津島大尉 陸軍局兵務部文書課係長

小森中尉 陸軍局兵務部文書課広報室主任

佃曹長 長瀬門前憲兵分隊高等掛の曹長

 

 
皇紀五百六十四年 六月十六日 午前第八刻
皇州都護憲兵隊 長瀬門前分隊本部庁舎内監察課分室
監察課 長瀬門前分室 分室長 馬堂豊久大尉


「成程、だいぶ見えてきましたね。やはり課内に協力者がいるのは強みですな」
 岡田少尉と二人で分室の中で作り上げた行動表を眺めていた豊久も頷いた。
「あぁ、やはり文書課に居るのだろうな。記者連中も聞き込みくらいならばいいが、やり過ぎだ」

「発表直前に記事を書く、というのなら許容範囲なんですがね。流石に発表前に記事を抜くのは宜しくない。特に対外政策関係は笑い事じゃ済まない事もありますからね」

「まったくだ。軍縮が進んでいるからこそ、大陸の状況に気を配らないといけないのだからな。
――うん、記者の行動も高い精度で把握されているのは流石だな。高等掛は、良い仕事をしてくれている」

「ありがとうございます。問題は流出したのがかなり遅い段階であるという事ですな」

「あぁ、情報がいきわたった直後に上が流した可能性もある。
最悪、もっと上の連中を洗う必要が出てくるかもしれない」

「面倒ですな」

「あぁ、面倒だ。上に行けばいくほど自前で防諜の備えをやるからなというかやってるからな」
となぜか胸を張って言う分室長に岡田は苦笑いしながら答える。
「えぇどこも気合が入っていますな。
あぁそう考えるのならば魔導院の外部協力者がいるのかもしれませんね。
魔導院からの小遣いだけでは満足できなかったやつが、魔導院のやり口を猿真似して金を稼ぎ出したのかも」

「それはどうかな?そこまでやるのはよほど金遣いが荒いやつだろう?
人務部から文書内の将校連中の書類を閲覧して調べたがそこまで問題がある奴はいなかった。その辺りは五将家も人務部も気を配っている。なにかやらかしたら自分たちが叩かれるからな」

「背州公が退役して以降はとりわけ、ですね」

 今から六年前、皇紀五百五十八年に、背州公爵・宮野木和麿が背州鎮台司令長官の座だけではなく、陸軍大将の座からも下ろされ。退役将校として名実ともに軍から放逐された。
 これは、五将家の安泰を特に信じ切っていた一部の貴族将校達に大きな衝撃を与え、また同時に、軍閥の寄合であった<皇国>政権と陸軍の官僚組織化が進んでいる事を内外に示すことになった。
 鎮台司令長官は中央へ有望な者の推薦権を持っており、当然であるが五将家当主のそれは絶大な権威を持っている。それを乱用した宮野木和麿は兵部省の幾つかの部局の実験を自身の閨閥で握ろうとし、そしてそれは腐敗を齎した。
 利益の一極集中と軍への衆民の不信感が高まった事で、駒州公駒城篤胤と今は亡き東州公安東義貞、そして西州公西原信英の代理として西原信置が手を組み、宮野木和麿を軍から放逐したのである。

「あぁ、言い方は悪いがいい人身御供になってくれたよ。あれで過剰な役職争いにある程度の節度が産まれたんだ。
あくまで将家側の言い分なのは分かっているが、まだ将家は羹に懲りているよ。
ただでさえ衆民院が五月蠅いこの状況で他家を弱らせるにしても陸軍絡みでは仕掛けない筈だ」
駒城家重臣団の重鎮である馬堂家の代表者として豊久は慎重な口ぶりで云った。
 遠まわしに分室長としては衆民出身者を優先して監察すると言ったのだと受け取った岡田少尉は顎を掻き、衆民将校について思考をめぐらす。
「――ならば衆民でしょうかね?記者連中から再就職の斡旋を受けている可能性もあります」

「再就職?そっちは人務部が力を入れている筈だぞ?」
 豊久は不審そうに眉を顰めた。
「不満はあるでしょう。どうしても個人の伝手に左右されることが多いのが実情ですので」

「そういうものか?」
 目をしばたたかせる豊久に呆れたように岡田は云った。
「そういうものです」
 こうした視野の欠如は、将家の貴族将校と衆民将校の間にある隔たりを露骨なまでに現していた――わけではない。
衆民将校の中にも出世の芽がない将校を辞めてもどうとでも生きられる者達は幾らでも居た。というよりもそうした者の方が主流であったというべきだろう。
 富裕層が次男坊の為に将家の伝手を――といった事が多いからである。また、そうでなくても貴族将校が戦地で恩義のある下士官の利発な息子を幼年学校に、という事もあった。
水軍は水軍で廻船問屋の二男坊が――といったことが多く。また、こちらも大半の将校が外国語の知識や、操船技術を持っている事もあり、辞めても食い詰める事は殆どない。
 つまるところ、衆民将校が増えるにしても将校というものは基本的に富裕階層の者であったし、一部の例外もなんらかの形でそこに入り込むだけの伝手を持っている事が多いのである。

「失礼、どうも抜け落ちてしまうんだ、そう云う事は」
豊久は気まずい沈黙に耐えきれず、そう云って咳払いをすると
「そっちから洗う事も考えるべきか?
おいおい、これじゃあ結局、弾けるのは金遣いの荒くない佐官以上の幹部だけだ」
と決まり悪そうに笑った。

「それでも当面は情報源として文書課内部に限定されているから楽な方です。
雲をつかむような話を追っかけるよりはマシですな」

「あぁ、その点では楽と云えば楽だな。まぁ上層部までメスを入れるはめになったら火薬庫で花火祭りするような目にあっただろうが」

「ぞっとしませんな」

「まったくだ。そうなったら首席監察官殿を巻き込まなくちゃ太刀打ちできないな
――その時点で怖いな」
と冷や汗を流しながら主査は堂賀大佐の選別眼と己の幸運に素直に感謝した。


同日 午前第八刻 皇州都護憲兵隊 長瀬門前分隊本部庁舎内監察課分室
監察課 長瀬門前分隊 分室長 馬堂豊久大尉


「さて、現在の状況と行動方針についてですが――状況としては広報室の協力者に提供された予定表の裏どり優先の度合いと並行し、文書課 及び広報室の下級課員の実態把握を中心に監察を進めていきたいと思います。高等掛の方々についても細かな指示は岡田少尉にお任せしますが、文書課の下級課員達の行動把握を主眼に置いていただきます、何か質問は?」
 分室の上座に座った豊久はそういうと六名の憲兵達を見る。
一番年かさの男が手を上げた。
「曹長の佃です。行動把握の主な焦点はどのようなものになるでしょうか?」

「岡田少尉から後で指示があるでしょうが、基本的には金銭関係、及び退役した後のあてがあるかどうかを対象とする予定です。
他にも幾らか調整はありますが、詳しくは岡田少尉からとなります」

「ありがとうございました、分室長殿」
 曹長は僅かに片眉を上げて礼を言うと席に着いた。
将校だけでなく、下士官にも丁寧な口調を使っているのは分室が解散した後もこの選良主査は“協力者”として彼らと“好意的な”関係を築きたいからなのだろう。
いかにも将家的というべきか、それとも情報将校としての堂賀大佐に育てられているとみるべきか、と分室の面々は視線を交わして苦笑した。
 ――少なくとも理解のない選良風を吹かせた馬鹿よりはこっちをこき使うつもり奴の方がマシか。



或る皇国将校の回想録 前日譚 監察課の月例報告 六月 野心なき謀略(三)



同日 午前第十三刻 人務部監察課執務室
監察課 監察指導主査 馬堂豊久大尉


「進捗状況はどうだね?」
首席監察官は人務二課から運び出した書類の束を不安げに弄んでいる主査に面白そうに尋ねる。
「捜査の九割は無駄足だってうちの元憲兵が言っていた事を思い出しましてね。これから一割の情報が出るだけでも運が良いのかと思うと――」

「焦るか?」

「焦りますね」
間髪入れずに返す年若い部下に堂賀は笑いながら云う。
「今のうちにそうして苦労できる事に感謝するのだな。勇み足を踏もうとして留めてもらえるのも贅沢の内だ」

「そうかもしれないですが今は辛いです。あまり時間をかけると分室が解散した後が怖いですし」

「それも経験の内だ、若造。
今のうちに七転八倒する事だな。相談には乗ってやるから精々気張ってみろ、分室長」
とにやにやと楽しそうにしている愛すべき上司に豊久は重い溜息をついて幼年学校に入って以来の最も軍人的な口調で答えた。
「了解しました、首席監察官殿」

「――励め励め、物事は愉しめるようになるものだ」
文字通り嗅ぎ出そうとするかのように鼻先を眼前の人務書類に突き出す青年将校を堂賀は懐かしそうに笑いながら眺めていた。



六月十九日 午前第七刻半 皇州都護憲兵隊 長瀬門前分隊本部庁舎内監察課分室
監察課 長瀬門前分隊 分室長 馬堂豊久大尉


「そろそろ締めといきたいところなんだがなぁ」
五日目となると分室長席と執務室に豊久も馴染みはじめていた。
そして同じく馴染みの顔である分室次席の岡田少尉と行う会議前の方針相談も雑談混じりの打ち解けた物になりつつあった。
「背景調査は着実に進んでいます。そう焦る事もないかと」
 岡田少尉は新聞をばさばさと捲りながら答える。報道関係の監察であるので豊久も咎める事はない。
とはいっても流石に監察課の者が出入りするようになると、機敏というべきか発表前に記事が出回る事もなくなっている。

「今のところシロばかりだからな。どうしても焦ってしまうよ」
 無論、言い換えれば徹底的な洗い直しが進んでいるという事ではある。
だが、情報が漏れていたのは事実であるし、報道者たちに漏れる前に処理をせねばならない以上、監察課の権威をもって堂々と容疑者を締め上げる、というわけにもいかない。
 だからこそ高等掛による秘匿調査と人務部に保存された書類の精査による行動背景の把握と平川中尉を主軸とした協力者からの情報提供に限られている状況であった。
「と言っても残るのは三名です。焦る事はないですよ」

「あぁ何とも言えん内容だがな」
といって豊久は対象者の情報概要を記した帳面――豊久が自分用にまとめたものである――に視線を落とす、

一人目は津島宏大尉――文書課の渉外担当係長である。
他の部署から広報室に送られる素案も管轄しているだけではなく、記者たちの恒例の周り先となっている。
高等掛の調査によれば本人の生活は質素だが父親の経営している店の一つである読本屋が昨年、火災にあった際に桜契社の互助基金から金を借り出して父の損金を立て替えている。
長期の返済ではあるが今のところ滞納は一度もない。

二人目は小森久義中尉――三十を越したばかりの広報室主任であり、平川の同僚である。 
彼はもっぱら記者対策を担っており、鷹揚な振る舞いと気前の良さが知られている。
苦学の末に市の後援を受けて幼年学校に入校している。退役後の相談を周囲にしていたとの情報がある。
――とはいえ、記者に親しむ仕事だからこそ、その手の事には気を配っていると平川からは釘を刺されている。

――そして、三人目が平川利一中尉だ。
小森中尉と同じく広報室の主任であり、広報や報道対策の企画運営に携わっている。
動機の面では不明瞭であり根拠が薄弱ではあるのだが、退役を考えている事と記者との接触が多い事からリストに残っている。

「知人がこれに残っているのを見るとどうもな――」

「そのうち慣れますよ。焦って足元を掬われるよりはマシです」
とまるで子供をたしなめるような口調で岡田少尉は云った。
 同年代であっても経験の差は如何ともしがたいものであると痛感している豊久は肩を竦めて答えた。

「あぁ、肝に銘じておくよ――個人的にも時期が悪いというかなんというか」

「ほう、何かあるのですか?」

「個人的な事だよ。ただ神経を使う問題を並行して熟さなくてはならないのは中々な」
神経を休めねば、というかのように豊久は細巻に火を着けた。

「興味はありますが聞かんことにしますよ。まぁどの道、最善を尽くしかありませんからな。勇み足だけは止めて下さいよ」
と言って岡田少尉は肩を竦めた。

「まったくその通りだな。焦るのも馬鹿らしいのだろうが――」

「まぁそこらへんはこの手の事を長くやっていれば塩梅も分かるもんです」
と先達者が笑って云う。

「要経験、か。耳が痛いな」
と分室長は力なく笑い、煙で絵をかくかのように細巻を揺らした。


同日 午前第十刻 兵部省陸軍局文書課 広報室 応接場
監察課主査 馬堂豊久大尉


監察が始まっても広報室に出入りするのは分室長である馬堂豊久だけであった。
それも堂々とした監察の為と公言する事はなく、表彰関係などの広報の打ち合わせの為、
という名分を立てていた。
「なぁ、この監察はいつまで続く?」
 広報室主任である平川がせっつくと豊久は眉を顰めて答える
「ん――まぁもうじき終わるさ。これまで漏洩したら危険だからな。あくまで秘匿に気を使わなければならないから時間はかかっているが着実に進捗しているさ」

「それならいいが。急いでくれよ。局内の予算割振りの協議がはじまる。
それまでに膿を出しておかないと色々と不味い。総入れ替えならまだしも人員削減で係に降格されるかもしれない」

「あぁ分かっているさ――こっちだってお前たちに気を使っているから時間をかけているのだ。だからそこを考えてから言ってくれ」
苛立ちを露わにして豊久は平川を睨みつける。
「――すまない。だが上も焦っている。前も言ったが俺達も協力は惜しまない。
何でも言ってくれ」

「あぁそれは分かっている。すまないな――じゃあよろしく頼むよ」
と言って立ち去っていった平川の顔には隠し切れない憂慮と焦燥が滲み出ていた。

「――やらかしたなぁ」
重い溜息をつき、豊久は新たに渡された書類に目を通すが意識はそこには注がれず、自己嫌悪だけが脳裏に渦巻いていた。
 ――あぁ畜生、何をやっているんだ俺は!退役する同期の花道を掃除してやると意気込んでいた癖に行き詰ったら当り散らすなんて馬鹿な餓鬼みたいな真似をしやがって!

「おや、監察課の御方ですね?どうしました、一体」
と声がかかり、豊久は振り向く。

「――小森主任ですね?監察課主査の馬堂です」
 そこに居たのは省内でも珍しい、如何にも人好きのしそうな顔つきの男であった。

「やはり主査殿でしたか。御目にかかれて光栄です」
 もっとも、その顔には珍しく――監察課員を前にしたのなら当然だろうが――緊張の色が濃く出ていた。
「こちらこそ――私の事をご存知でしたか」

「えぇ、流石にただの事務だけで監察課の御方がこうして渦中の部署に出入りするとは誰も信じていませんからな。それなりに噂にはなっています」
といってにやり、と小森主任は笑みを浮かべた。
 ――名分は立てていたが、平川の言うとおり広報室(あちら)も切羽詰っているという事か。
 内心舌打ちをしながらも豊久は意識して笑みを浮かべ続ける。
「おや?それほど重要な問題ですかね?」

「――そういう惚けは必要ないでしょう。我々だって危機感を抱いているのですから。
私だって何度も探りを入れましたが、連中、億尾にも出さない」
「・・・・・・」
不安を紛らわすためか、鬱屈が溜まっていたのか、小森中尉は饒舌に語り始めている。
――ここは聞き役に徹していた方が良いか?
 適度に相槌を打ちながら豊久は応接椅子に座りなおした。
「――何と言っても連中は恐ろしいほどに貪欲でしてな。かまかけまでしてくる癖に此方が何かしら聞き出そうとしてもネタ元を決して口にはせんのですよ」

「御一人で、となるとどうしても行き詰ってしまうでしょうな」

「えぇ、まったくもってその通りです。室長などは私が流していると決め込んでいるようでしてな。
こっちが流出元を突き出すか、さもなくば私が放逐されるかといったところでして」
 ――独自で動いていた?こちらは調べがついていない――というよりも記者との接触と言う形でしか高等掛の記録されてないのか?

 豊久は無意識に身を乗り出していた。
「それで記者たちは何と?」

「教えられない、の一点張りでしたな
――あぁ若手の奴が一人だけ漏らしたのですが」

「・・・・・・」
 ――真実か、誘導か。どちらにせよ情報はあった方が良い。

「どちらの為にもなるから此処までできたのだ、と」

「その発言の意図は――?」

「さぁ?私には解りませんでしたな。
その漏洩元と企業の間で何かしらの相互利益があるのでしょう」

「――成程、参考になりました。ありがとうございます」



同日 午前第十刻 兵部省陸軍局文書課 応接室
監察課主査 馬堂豊久大尉


「――確かに、ここ最近の広報室における状況は迅速に解決する必要があると言っても過言ではない段階にある、と我々も考えています」
 四十手前の津島大尉は如何にも選良然とした様子で鉄筆を弄びながら豊久に言った。
彼の胸には東州から幾度か実戦を経験した事を示す略綬が着けており、その中に将校自ら白兵戦を経験したことを示す野戦銃兵章が紛れている事に気づいた豊久は改めて姿勢を正した。

先任大尉であり、あらゆる面で先達である彼には、豊久も強く出る事は出来ず――そもそも強く出ることを嫌う性質ではあるが――行儀よく体面に座り彼の言葉を待つ。
「――ですが、監察課が態々出張るのならば、文書課に一言通すのが筋だと思いますがね。
広報室は確かに独立性を持っていますが文書課の管轄下にあります。
そして我々も広報室の状況に危機感を持っています、我々とて“監察は不要”などと言うつもりは毛頭ありません」
 広報室と文書課は陸軍局庁舎でも別の階にある。広報室は一階で安東吉光兵部大臣の言葉を借りるのなら“小五月蠅い連中を堰き止める”役目を負わされている。
一方で文書課は三階の局長執務室、兵務部長執務室に並んでおかれており、陸軍局筆頭課として序列の高さを誇示している。

「申し訳ありません。津島係長殿。
連絡の不手際です、深くお詫び申し上げます」
 本来は秘匿の為であったが、それを態々彼に言うほど豊久は正直さを万能の美徳だとは信じていない。

「構いませんよ。監察課が秘匿で動くのは良くある事です。とりわけ昨年からは」
 暗に堂賀首席監察官の事を言っているのだと豊久も了解していたが、首を竦めるにとどめた。

「――ところで、態々非礼を詫びに来ただけではないでしょう?」

「はい、広報室から任意で借り受けた資料の中で幾つか気になる点がありまして、それについて御相談を受けていただければ、と」
と言いながら豊久は幾つかの書類を鞄から取り出し、応接机の上に置いた。
「ほう?どれ、拝見させてもらいますよ」
と書類に素早く目を通す。
「――まさか私の懐具合まで調べ上げるつもりかね?」

「可能ならば拝聴させていただけませんか?」
慇懃でありながらどこか高圧的な口調で豊久は尋ねた

「・・・・・・不愉快だ」

「必要な事ですので」
険悪な視線を平然と受け流し、豊久は微笑を浮かべた。

「いいだろう。話すよ、話さん方が面倒な事になるだろうからな」
自制心を総動員し苛立ちを一度の溜息に収束させることに成功した、津島大尉は改めて口を開いた。
「――正直なところ、私が未だにこの軍服を纏っているのは意地に過ぎない。
自分で言うのもなんだが私は優秀な事務屋だと評判でね。退役しろ、こっちで働け、とまで同期やかつての上官、そして父に言われている」
淡々とした口調で語る津島大尉はある意味、豊久の知る将家の者達よりも貴族的な矜持の高さを感じさせた。

「――そうでしょね」
 彼は衆民輔弼令から数年を経ていまだ将校は将家の者であった時期に少尉として任官している。その中で四半世紀近くもの間、退役せずに軍中枢に居るというのは、それこそ彼だけではないだろうか。

「私は個人的に父の商会が経営している店の一つであるその読本屋に出資していた。
まぁ付き合い半分で退役後の備え半分といったところでな」

「そして火災が起きた、と」
 帳面に鉄筆と踊らせながら豊久が合いの手を入れる。

「あぁ、一応は出資者だし、後々世話になるからかな。低利率で将校に貸し出してくれる桜契社の基金から必要分を借り受けて追加で出資した。返済も蓄えの一部を頭金にした上に、給金から毎月返済を行っている。貸した金も後々、利子つきで返って来る。何も問題ないだろう?」
 津島は静かな口調と裏腹に怒りを込めて睨みつける。

「ありがとうございます。この監察ももうじき終わるでしょう。
この件はくれぐれもご内密に――」
豊久は敬礼ではなく深々とお辞儀をし、退室した。



同日 午後第一刻 皇都 桜契社本部 事務局 主計課
監察課 監察指導主査 馬堂豊久大尉


「御連絡いただいた通り、御三方の記録は全てこちらに取り纏めておりますです。先日のご連絡いただいてから慌てて任官時から遡及して取り纏めましたので、一部不備があるかもしれません。申し訳ありませんが、その場合は改めて御連絡いただければ直接、監察課の方へお届けしますが」
 資料を差し出した事務員に豊久はかるく頭を下げる。
「御協力に感謝いたします。――あぁ、その場合はこちらから受けて取りに行くよ。
此処で昼食をとれるという魅力的な特典つきだからね」

 事務員は僅かに視線を彷徨わせ、深呼吸すると口を開いた。
「――あぁ、そうだ。もう一つだけ気になることがありましてね」

「なんでしょうか?」

「今回の事とは関係ないのでしょうが――桜契社の龍州支部で大口の借り出しがありました。貸し出した相手のことまでは分かりませんが、つい先日。軍の上層部――五将家のそれぞれの大物から桜契社に寄付が行われた額とほぼ同じです」

「・・・・・・興味深いですね、ありがとうございます」
 帳面にそれを記すと豊久は資料を鞄にしまい込む。
「――さてと、これで後は分室の面々次第だな」



六月二十日 午後第六刻半 皇州都護憲兵隊 長瀬門前分隊本部庁舎内監察課分室
監察課 長瀬門前分隊 分室長 馬堂豊久大尉


 日は既に沈み、洋灯の揺れる灯りだけが唯一つの光源となっている。
豊久は分室長の執務席に座り、今日までに集まった資料と証言を記した帳面を検めながらわざわざ屋台に立ち寄り、こっそりと持ち込んだ冷やし飴に口をつけた。
「・・・・・・後もう少しで何か掴めそうだな」
 岡田少尉達、分室員は既に解散している。
だが、恐らくそれぞれ、自分の抱える伝手に接触し、自主的に残業しているのだろう。
――彼らは優秀だ。的確に行動の確認を行い、容疑の絞り出しを行っている。
だが、現在問題になっているのは、特権階級である将校という壁、軍中枢という壁の向こう側の話であり、だからこそ監察課が出張っているのだ。
「失礼します。分室長殿」
 
「どうぞ。何か分かったのか?」
私服姿の壮年の男が部屋に入ってきた。高等掛の古参である佃曹長である。長年私服憲兵を務めており、ほとんど戎衣に袖を通したことがないと嘯いている。
「はい、古い知人に分室長殿が持ってきてくださったネタをぶつけてみたところ二・三面白いことが分かりましてな」

「――聞かせて貰おうか?」

「先ずひとつ。平川主任が退役を考えているのは知っていますな?」

「あぁ、それは私も一応、同期だからね。聞いているよ」

「――で、その原因の一つじゃないかと言われているのが津島係長殿との確執だそうです」

「あぁ……うん、ありそうな話だが裏はとれているのか?」

「記録上は残っちゃいませんが、連絡の行き違いだかで大揉めしたそうです。
証言は、知り合いの下級課員数名からとれました」

「津島大尉は衆民将校の中じゃ顔が利くからな。平川でも辛いだろうな」
 今でこそ如何にも選良的であるが、津島大尉も叩き上げの尉官であり、平川の直接ではないにしろ上官である。彼に厭われるという事は恐らくは長期にわたり彼の職場環境に負の影響を齎しかねない。

「二つ目に小森中尉の事ですが。調査の件は課長命令だったそうです。少なくとも文書課に呼び出されていたのは先ほど言った課員から証言をとる事に成功しました」

「流石だな。明日、私が裏をとれば良いわけか」

「はい、分室長殿。そしてそれに関した事でもう一つ。
えぇとどこに書いたっけな」と帳面を捲りだす。

「焦らさないでくれよ」

「これは失敬。――あぁ、これですな。
小森中尉はこの案件に携わった事で文書課長からの皇都視警院への推薦を受けられると示唆されてますな」
 予想外の情報に豊久は眉を顰めた。
「――裏はとれているのだな?」

「視警院に居る知人に尋ねたところ、確かに陸軍局から空きがないか打診されているそうです。それ以上調べるのならば、分室長殿にお任せした方が良いかと思いまして」

「十分だ、わざわざ遅くに済まないな。――明日は監察課に行きだな、こりゃ」
 上官の顔を思い出し、豊久は生姜を冷やし飴にぶちこむと一気に呷った。


六月二十一日 午前第七刻 馬堂家上屋敷
馬堂家嫡男 馬堂豊久


手早く朝食を済ませて早くも戎衣に着替えた豊久へ、現役将校である豊久以上に太い腕を組みながら馬堂家当主である馬堂豊長が尋ねた。
「忙しそうだな、豊久」

「一応は分室長ですからね。期待に応えたいですし、同期が絡んでおりまして慎重に対応したいのです」
 孫の答えに豊長はうなずいてみせる。
「そうか。そちらで成果を出せば堂賀もお前を本格的に見込むだろうな。
家政に差障りが出ると困るのだがな」

「そちらも忘れてはいません。とはいえ弓月閣下には申し訳ありませんがあと数日は手が離せません」

「ふむ――当日までに済むのか?」
見合いは月末さん十日に行われる。弓月伯爵と豊長が直接顔を合わせるためにはどうしてもその日しか空いていなかったからである。
 だが、事後処理を取り仕切る事――人務に関わる以上。そこが一番面倒なのだが――を計算に入れるのなら数日以内に終わらせる必要がある。

「済ませようと思えば終わりますが、どのように幕を引くか、という事が問題になるでしょうから――首席監察官殿と相談して、という事になりそうです」

「焦り過ぎていないようで何よりだ
そこでなんとしても終わらせますと言っていたら道場で叩きなおしていたところだ」

「――え?」

汗を頬に滲ませた孫の肩を叩き、馬堂家当主は笑う。
「まぁ最悪は儂からもとりなしてやる。悔いを残すような仕事だけはするなよ。
人務の仕事は人の半生に関わりかねんからな」

「――はい、御祖父様」
 
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