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至誠一貫

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第一部
第三章 ~洛陽篇~
  二十七 ~江東の虎~

 広宗を発ち、数日は何事もなく過ぎていった。
 だが、ここに来て不穏な空気が漂い始めた。
「疾風。確かか」
「はい」
「そうか」
 本人の予告通り、驚異的な回復ぶりを見せた疾風は、早速縦横無尽に動き回っていた。
 そして、容易ならぬ報告をもたらした。
 黄巾党の残党が、先々の村を荒らし回っているというものだ。
 無論、看過する訳にはいかぬ。
「皆、華琳のところに参るぞ」
「御意です」
 三人を連れ、陣を出ようとした。
 と、そこに兵士が駆け込んでくる。
「申し上げます。曹操様と夏侯惇様がお越しです」
「どうやら、用件は同じようだ。ここに通せ」
「はっ!」
「耳が早いですな、曹操殿も」
 感心したように、疾風が言う。
 人材だけでなく、情報も常に求める姿勢は、今までに出会った諸侯にはないものだ。
 流石、と言うべきか。

「入るわよ」
 華琳は夏侯惇と、見慣れぬ将を一人、引き連れていた。
「紫雲、自己紹介なさい」
「……はい。……あたしは、劉子揚」
 劉子揚……劉曄か。
 確か、郭嘉の推挙で曹操に仕えるようになる筈だが、その本人はここにいる。
 尤も、私の持つ知識はもはや、先入観に過ぎぬ事が多い。
 この劉曄もまた、別人と考えるべきだろう。
「この娘は、いわば私の眼であり、耳なの。知らせを持って戻ってきたから、そのままやってきたんだけど。どうやら、歳三も既に動きを掴んだようね?」
「黄巾党の残党、か?」
「ええ。徐晃、貴女の調べかしら?」
「……そうです」
「ふふ、そんなに警戒しなくていいわよ。今は、協力関係にあるのだから」
 華琳はそう言って、振り向いた。
「紫雲。賊の数は?」
「……凡そ、五千と」
「徐晃。貴女の方はどう?」
「同じです。連携している様子はなく、一団に固まっているようです」
「間違いなさそうね。私のところは五千、歳三の軍は三千。数の上では勝っているわ」
「ああ。だが、正面からぶつかるだけなどと申すつもりはなかろう?」
「勿論よ。賊徒相手に、我が精兵を消耗したくないもの」
「華琳様! そのような事はありません、この春蘭にお任せいただければ、一撃で粉砕してご覧に入れます」
「……春蘭。貴女、私の話を聞いていなかったの?」
「いえ。たかが賊、この私にお任せいただければ、と」
 華琳は、こめかみを押さえている。
「……猪」
「誰が、暴れ出したら手の付けられない猪だ!」
 誰がどう見ても、劉曄の一言に集約されるのだが。
「華琳。我らが単に合流しても連携が難しいと思うのだが?」
「でしょうね。貴方の兵もなかなかのものだけど、我が精兵とは比較にならないわ」
「当然だ! 華琳様ご自身で鍛え上げられた精兵だ。貴様ら雑軍とは違う」
「ほう、雑軍と言われるか。だが、修羅場を潜り抜けてきたという点では、他の官軍には引けは取らぬ筈だが?」
「何だと? 貴様、もう一度言ってみろ」
「いくら、兵が精強でも、率いる将でその強さは変わる。貴殿は、そこをわかっておらん」
「おのれ! 私を馬鹿にするか!」
 疾風も、引っ込みがつかないようだが、そろそろ止めるとするか。
「そこまでだ、両者とも。言い争いをしても始まらんぞ?」
「歳三の言う通りよ。春蘭、もう一度だけ言うわよ。私の話、聞いていたのでしょうね?」
「うう、華琳さまぁ……」
「……は。申し訳ありませぬ」
 夏侯惇は涙目になり、疾風は少し顔を赤くして俯いた。
「全く。ところで郭嘉、程立。策は立ててあるのかしら?」
 華琳は、我が軍師二人に話を振る。
 稟と風は一瞬、顔を見合わせてから、軽く頷いた。
「もう少し、状況を探ってみた方がいいかと思います。疾風の調べを疑う訳ではないのですが」
「叩くなら、一網打尽にしないと意味がありませんしねー」
「そう。歳三、貴方はどうなの?」
「二人の判断は誤っておらぬであろう。異論はない」
 華琳は不満そうだが、ここは慎重を期すべきであろう。
「けど、あまり悠長な真似は出来ないわよ? その間にも他の村が襲われる可能性があるんだし、糧秣だってあまり余裕はないもの」
「そこで、提案なのですが。劉曄殿と疾風、協力して敵情を探ってみてはどうでしょうか?」
「確かに、別々よりも効率は良さそうだけど。私は別に構わないわよ?」
「うむ、私も賛成だ。疾風、良いな?」
「はっ。劉曄殿、よしなに」
「……諾」
 方針が決まれば、後は行動するのみ。
「あのような烏合の衆、我が一撃で粉砕してやるものを」
「……春蘭。貴女の武は認めるけど、もう少し将としての自覚を持ちなさい」
 華琳の苦労が窺えるな、あれでは。


 数刻後。
 華琳と共に待機していると、劉曄がやって来た。
 疾風のように自ら動くのではなく、配下を扱うのを得手にしているようだ。
「……謎の官軍、見つけました」
「謎の官軍?」
 私は、思わず華琳と顔を見合わせた。
「どういう事、紫雲?」
「……わかりません。警戒、厳しくて」
「貴女の配下でも近寄れない程って事? あり得ないわ、そんな事」
「ふむ。劉曄、疾風はその事を知っておるのか?」
 コクリと、劉曄は頷いた。
「……知らせたら、自分で確かめる、と」
 ……あの性分では、やむを得まい。
「それで、位置はどのあたりなの?」
「……この辺り。数は、五千ぐらいです」
「私の軍と同じ規模か。でも、この辺りにいる官軍、ね……」
「心当たりはないのか?」
「数だけなら、ね。けど、その隙のなさが気に入らないのよ」
 そうかも知れぬな。
 華琳が、それほどの一隊を把握していないと言う。
 あれだけ、情報を重んじている筈の華琳が、だ。
「稟、風。お前達はどうだ?」
「はい。情報が不足しているので、何とも言えませんが。この界隈の、という事であれば曹操殿が仰せの通りかと」
「とにかく、疾風ちゃんが戻るのを待つしかありませんねー」
「只今戻りました」
 見計らったように、疾風が戻った。
「早いわね。流石、と言ったところかしら?」
「それで、疾風。何かわかったか?」
「はい。あの軍の正体ですが……」
 と、疾風は足下の石塊を掴むと、振り向きざまに投げつけた。
 カン、と大きな音がして、それは弾かれる。
 小柄な少女が、此方を睨み付けていた。
「私を尾けたつもりだろうが、まんまと乗ってくれるとはな」
「……クッ!」
 素早く、その場を逃れようとするが、
「おっと。ここは通さんぞ?」
 夏侯惇が、大剣を構えて立ちはだかる。
 その背後から、疾風と劉曄の配下から姿を見せ、少女を取り囲み始めた。
 華琳も大鎌を取り出し、私も兼定を抜いた。
 ……少女の出で立ちは、何処か見覚えのあるもの。
 そう、まるで忍び装束である。
 背にした剣も、日本刀によく似ている。
 愛紗とはまた違う、艶やかな黒髪も印象的な娘だ。
「果敢なのは認めるが、この人数相手に斬り合う気か?」
「…………」
 疾風と夏侯惇に挟まれても、物怖じした様子はない。
「さて、覚悟は良いか?」
「待て」
「待ちなさい」
 私と華琳の声が、重なった。
「何処の官軍かは知らぬが、今は争う謂われはあるまい?」
「そうよ。貴女達の事は確かに調べさせたけど。敵対する意思はないわ、意味がないもの」
「…………」
 答えぬか。
 どうやら、ただの密偵の類ではなさそうだな。
「私は、義勇軍の土方だ。怪しい者ではない」
「あら、名乗ってしまうの? まぁいいわ。私は、陳留太守の曹孟徳よ」
 すると、少女の表情が、かすかに動いた。
「ほう。私か華琳、どちらかは知っているようだな」
「……どちらも、存じています」
 少女が、初めて口を利いた。
「ほう。華琳だけならまだしも、私まで知っているとは。ところで、此方は名乗ったのだ、其方も名乗って貰いたいのだがな?」
「その前に、一つだけお伺いします。何故、私を官軍の一員とお考えなのでしょう?」
「簡単な事だ。疾風が探索に出て、その後を尾けてきた。となれば、その対象の一団から派遣された、そう考えるのが妥当ではないか?」
「それに、黄巾党に貴女程の腕利きが残っているという情報はないわ。これで十分かしら?」
「流石ですね。ご両人とも、噂に違わぬ人物、という事でしょう。私は周幼平、と申します」
「周幼平?……周泰か」
「はぅぁっ? ど、どうして私の名をご存じなのですか?」
 やはり、驚かれるか。
 華琳は訝しげに私を見るかと思いきや、軽く笑みを浮かべている。
「ふふっ、歳三は何でもお見通し、って事よ。徐晃、それであの軍は一体誰のだったの?」
「はい。孫文台殿の軍です」
「孫文台……それなら納得がいくわ」
「うむ。『江東の虎』が率いる軍だ、精強で当然だろう」
「あの……。どうして、そこまでご存じなのですか?」
 周泰は、動揺を隠せぬようだ。
 容姿からして、間諜を得意とすると見たが……違和感を拭えぬのは、どうやら疾風も同じらしい。
「それだけ、此方も情報収集は欠かさぬ……そういう事だ」
「それよりも、孫堅殿がここにおられるという事は、狙いはあの残党ども……そうなのですな?」
「……はい」
 隠すだけ無駄と思ったのか、周泰は素直に頷いた。
「目的が一緒なら、一度話し合いをした方がいいわね。周泰、それを、孫堅に伝えて……」
 華琳がそう言いかけた時。
 陣の入り口で、何やら騒ぎが起こったようだ。
「何事だ?」
「お、お待ち下さい!」
「ええぃ、どけっ!」
 ずんずんと、誰かがこちらに向かってくる。
 制止しようとする兵は、悉く押し退けられているようだが。
「待たれよ。ここを、どこだか知っての狼藉か?」
 疾風が、その行く手に立ち塞がった。
「どけ。明命は何処だ?」
「明命?」
 褐色の肌を惜しげもなく晒した女性(にょしょう)
 身に鎧こそ纏ってはいるものの、何とも大胆な装束だ。
 そして、全身から発せられる闘気も、尋常ではない。
「待たれよ、堅殿!」
 その後から、別の女性が追ってきたようだ。
 腰に矢籠をつけ、大きな弓を背負っている。
「あら、貴女だったの?」
 華琳の言葉に、女性は鋭い眼光で応える。
「曹操。明命を返せ」
「返すも何も、別に捕らえたつもりはないわ。それに、ちょうど貴女に話を持って行って貰おうと思っていたところだもの」
 では、この女性が孫堅か。
 今更驚きもせぬが、本当に女子ばかりの世だと、改めて痛感させられる。
「話?」
「ええ。どうやら、同じ目的で此処にいたようだから。見ての通り、周泰には何の危害も加えていないわよ?」
「……明命。本当か?」
「は、はい。睡蓮さま」
「……そうか。俺の早とちりだったようだな、すまん」
 やっと、孫堅から殺気が霧散したようだ。
「全く、堅殿は先走り過ぎじゃ。追いかける儂の身にもなって下され」
「そうぼやくな、祭。ところで、貴殿は何者だ?」
 孫堅は、私に眼を向けた。
「拙者は、義勇軍を率いる土方という者にござる」
「土方……? ほう、貴殿がな」
 ぞっとするような笑みを浮かべる孫堅。
 美人ではあるが、どこか猛獣を思わせるものがあるな。
「聞いているぞ。官軍が逃げ惑う中、敢然と賊徒を蹴散らし、瞬く間に名を上げている奴がいる、とな」
 少々、話が大袈裟に広まっているようだが。
「俺は孫文台だ、こいつは黄公覆。ふふ、見ろよ祭。思いもかけず、英傑が二人も揃っているぞ」
「やれやれ、堅殿には敵わぬな」
 苦肉の計で知られる、呉の老将黄蓋。
 ……と言うには、まだまだ若々しいか。
「とにかく、役者は揃ったようね。孫堅、あんな賊、さっさと粉砕しましょう。協力してくれるわよね?」
「勿論だ。しかし、土方もなかなか隅に置けぬのぅ」
「どういう意味でござろう?」
「はっはっは。曹操程の者が、随分と親しくしているようではないか」
 孫堅の言葉に、華琳は当然、という顔をする。
「歳三は、それに相応しい男ですもの。いずれ、私や貴女と肩を並べる存在になってもおかしくないわ」
「ふふ、ならばその言葉、戦場にて証明して貰いたいものだな」
 孫堅は、機嫌良さげに笑った。


 華琳に、孫堅。
 この英傑二人が率いる精鋭が揃い、更に我が軍もいる。
 この状況で、賊徒に勝機など見いだせる筈もなかろう。
 三方から本拠地へと追いやられた挙げ句、黄蓋の隊が放った火矢を受け、大混乱に陥る。
 村々を襲うような輩、誰一人として容赦する必要もない。
 夏侯惇が、周泰が、そして疾風が、その命を刈り取っていく。
「もう、策も要らないようですね」
「ああ。しかし、孫堅軍、まさに虎の如し、だな」
「そうですねー。あまり、敵に回したくない相手なのです」
 同感だな。
 そのうちに、敵陣の方から、歓声が上がる。
「どうやら、終わったようだな」
「はい。圧勝、でしたね」
 結果として、慎重を期すまでもなかったかも知れぬな。
 尤も、思いの外、賊徒が弱かった事もある。
 ……それ以上に、あれほど精強な孫堅軍が加われば、負ける要素もないのだが、な。


 戦い済んで、皆が戻ってきた。
「ご苦労だったな、疾風」
「いえ。ほぼ両官軍の独壇場でした。私は、さして働きもありませぬ」
「そう申すな。お前の働きなくば、戦いが長引いていたやも知れぬのだ」
「……はっ」
「良かったですねー。疾風ちゃん」
「な、何がだ?」
 途端に、狼狽する疾風。
「いえいえ。嬉しそうだと思いましてー」
「風、止しなさい。今は素直に、疾風を労うべきですよ?」
「むー、つまらないのです」
 見慣れた光景を眺めていると、
「土方様。孫堅様がお越しです」
「わかった。お通しせよ」
「はっ」
 孫堅が、数人の将を引き連れてやって来た。
 黄蓋と周泰、それに孫堅に似た少女がいる。
「お見事でござった」
「いや、あんな連中など鎧袖一触さ。お前のところも、なかなかやるじゃないか」
「はっ、忝うござる」
「……う~ん、なんか堅いなぁ。もっとさ、気楽に行こうじゃないか」
 ふむ、この時代の皆、という訳ではないが……あまり、言葉遣いに気をかけぬ者が少なくないようだな。
「では、そうさせていただくが、良いのだな?」
「構わんさ。ああ、これは我が娘、孫伯符だ」
 孫堅の隣にいる少女が、かの孫策らしい。
 髪も肌の色も、見れば見るほど、孫堅そっくりだ。
 どこか奔放そうな印象がある一方で、やはり覇気の片鱗は感じられる。
「土方だ」
「よろしく。母様から聞かされていた通りね……ふ~ん」
 そう言いながら、無遠慮に私の顔を覗き込む。
「なかなかいい男じゃない、あなた」
「こら、雪蓮! いくら何でも失礼だぞ。済まんな、土方」
「気にするな」
「そうか。俺には、まだ娘が二人いる、いずれ引き合わせてやろう」
 孫堅の娘、か。
 恐らくは孫権と……もう一人はわからぬが。
「今宵は、曹操も交えて戦勝祝いと参ろうぞ。土方、お前も来い」
「おお、流石は堅殿。話がわかるの」
「わーい。さっすが母様」
 どうやら、三人は酒好きらしい。
「孫堅。それなら、洛陽に着いてからになさい」
 いつの間にか、華琳が来ていたようだ。
「いいじゃねえか。勝てば祝う、当然の事だぞ?」
「あのね、私達は官軍よ? 報告が先決でしょう? 洛陽まではあと僅かなのに、それを怠る気?」
「ぐっ、堅いなぁ。ならば、後日必ずだぞ? その時は、お前も参加だからな」
「はいはい、わかったわよ」
 同じ英傑でも、まるで方向性が違う。
 ふっ、なかなかに趣深いではないか。
 内心から沸き起こる期待を、私は抑えかねていた。 
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