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或る皇国将校の回想録

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第二部まつりごとの季節
  第四十一話 さぁ、仕上げを御覧じろ

 
前書き
今回の主な登場人物
ユーリア・ド・ヴェルナ・ツアリツィナ・ロッシナ
<帝国>帝族の一員である東方辺境領姫にして<帝国>陸軍元帥
東方辺境領鎮定軍司令官 天性の作戦家にして美貌の姫

クラウス・フォン・メレンティン
熟練の東方辺境領鎮定軍参謀長 ユーリアの元御付武官

馬堂豊久 駒城家重臣団の名門 馬堂家の嫡流 陸軍中佐 
新設部隊の独立混成第十四連隊連隊長として着任

馬堂豊守 豊久の父 軍政官として戦地に赴く豊久を見送る

馬堂豊守 豊久の祖父 馬堂家当主 かつては騎兵上がりの憲兵将校

大辺秀高 独立混成第十四聯隊首席幕僚 陸軍少佐

米山大尉 独立混成第十四聯隊 聯隊副官

上砂少尉 独立混成第十四聯隊 本部付導術将校

新城直衛少佐 近衛衆兵鉄虎第五○一大隊大隊長

藤森弥之介大尉 近衛衆兵鉄虎第五○一大隊首席幕僚

坂東一之丞 北領で新城に助けられた若い天龍 大隊観戦武官
 

 
皇紀五百六十八年 六月十四日 午前第十刻
辺境姫領都モルトーク 東方辺境領鎮定軍本営官舎 講堂


 緑色・黒色の軍服を身に纏った男達が会話を弾ませながら目前の演壇に目を向けている。皮肉な話ではあるが彼らが期待の色を浮かべた視線を向けている先の演壇は五ヶ月前に、守原大将が彼らを打ち倒すべく天狼にて決戦を行う旨を発した場所である。
 講堂の扉が開き、簡素ながら機能美を感じさせる緑色の軍服に身を包んだ戦姫が演台へと向かう。彼女こそが北領を征した常勝の戦姫、彼らが属する東方辺境鎮定軍の総司令官であるユーリア〈帝国〉陸軍元帥だ。

 先程まで互いに戦友と会話を交わしていた彼女の麾下にある将校達が立ち上がって出迎えると戦姫も彼らに優美な答礼を返して楽にするようにと手で示し、そして口を開いた。

「年初の鎮定作戦において我らは、諸卿らの知るとおり、皇帝陛下の御稜威がこの地に遍く及んだ事をこの〈大協約〉世界に知らしめた」
 そして、世界最強と名高い〈帝国〉を統べる一族に相応しい堂々とした笑みを浮かべ、戦姫は肩をすくめた。
「だが此の地の蛮族共にはそれが分からない様だ」
 勇士達の笑いがさざ波のように講堂に満ち、やがて静まった。
「故に我らは、今度の攻勢に際しては奴らの蛮都をも征してやらねばならない!
それこそが〈帝国〉の藩屏たる我らの義務である!蛮族共を偉大なる皇帝の名の下に征するのだ!」
 ユーリアが声を張り上げるとそれに応えた将校達の快哉が講堂を満たす。その戦意に煽られたのか僅かに上気させながらユーリアが信厚き参謀長であるメレンティンへ頷く。
 余韻を残しながらも皆が静まるのを見てとったメレンティン准将が前に出る。
「我々は新たな征戦に臨む事になる。我等が辺境領姫・ユーリア元帥殿下はその第一歩となる本作戦に、有難くも作戦名を下賜なされた――本作戦は〈アレクサンドロス〉作戦と呼称される」

 戦姫が初代皇帝の名を賭けて臨む。メレンティンの静かな声とその内容は張りつめた静寂を齎した――が、その静寂は扉が開かれる音によって打ち破られた。
 将校達が視線を向けると西方諸侯領の者らしき黒色の軍衣纏った者が立っている。無作法なその男へ将校達が刺すような視線を向けるが当の本人は物怖じと云う言葉を知らぬと講堂の中を睥睨しながら闊達な歩調で戦姫へ真っ直ぐと歩む。

「――貴官は?」
 忠良な参謀長がさり気なく美姫の前に立ち尋ねる。
「〈帝国〉陸軍第一教導竜兵団 団長のヘルマン・レイター・ファルケ大佐であります。
ユーリア元帥殿下の御下命に従い只今、参着仕りました」
 将校達の視線が途端に胡散臭げなものになる。だがそれらを一顧だにせず彼らの総司令官が微笑を浮かべた。
「重畳である、大佐。これで主役が揃ったようだ。
さあ、参謀長。それではいよいよ始めようではないか!」



六月ニ十日 午後第二刻 衆民院本会議場 傍聴席
兵部大臣官房総務課理事官 馬堂豊守准将


 さて、兵部大臣官房総務課は国防政策に関する総合調整だけではなく、広報や衆民院への対策も担っている。
 大臣官房総務課の次席である馬堂豊守理事官は眼前で質問状を朗読している議員をぼんやりと眺めていた。
龍州州議会の議員を経て国政に出馬した衆民院第一与党である皇民本党の議員である。
政党の広報担当者なのか彼が個人的に雇っているのかは分からないが、傍聴席に座っている画家が熱心にその光景を描いている。
「――この度の<帝国>軍侵攻に対し、我々は予備予算の全面支出のみならず、緊急予算の編成をも可決するべき動議をおこなっております。ですが、来るべき<帝国>の内地侵攻において最前線となる可能性が高い龍州は農耕地帯であり、(大協約)の庇護下にない農村も少なくありません。
そうした農民達に対する<帝国>兵の略奪行為に対する対策をお伺いさせていただきます」

「安東兵部大臣」
議長の声に安東吉光東州伯爵が立ち上がり、演台へ進む。
「今回の内地侵攻に際しては、水際で食い止める事が第一であります。
ですが万が一、虎城山地まで防衛線の緊縮を龍州鎮台司令部が判断した際には、大前提として、避難支援はて軍の後衛戦闘と並行し、被害を出さずに行うかが肝要となるであろうと兵部省としては考えております。そのため軍司令部は後衛戦闘の指揮を最優先とせざるをえず、後方の避難支援に関しましては、平時において治安、交通を管制している龍州警務本部に一任し、協力して行動するべきであると判断いたしました。国家の一大事である現状において、兵部省といたしましても、関係省庁と緊密な関係を築き、対応していくべきであると考えております」
 まばらな拍手を受け、兵部大臣は演台から降りる。
「宮原内務大臣」
 議長の呼び声に今度はどこか萎びた植物を思わせる老官僚が立ち上がり、先程まで安東兵部大臣が立っていた演壇へと登る。
「警保局からの報告によると――」
 総務課の作った文面どおりに兵部大臣の答弁が終わったことを見届けた馬道豊守理事官は満足そうに笑みを浮かべ、傍聴席を立った。



「衆民院もようやく通りましたな」
 機嫌良さそうに馬堂豊守が寛ぎながら言った。彼は総務課理事官として兵部大臣の答弁文書を作成したこともあり、衆民院対策の為にここを訪れていたのである。
 ここは執政委員控室――要するに高級官僚たちが事前に省庁間の答弁の擦りあわせや、議員との交流を行うために作られた部屋の一角である。

 対面に座った弓月内務勅任参事官は上機嫌にそれに答えた。
「うむ、内務省が主導して行う事になるが構わないだろう?州政局の者達も随分と苦労したからな、権限を貰えねば困る」

「はい、その点が非常に厄介でしたが、龍州警務本部の予備費と警備人員をこちらの兵站線確保に充ててくれたお蔭でどうにかなりました――本当に感謝しています」
豊守は軍との交渉の為に尽力してくれた弓月に深々と頭を下げた。
「うむ、それに駒州公には半ば隠棲していた処を引っ張り出したのだからな。後々、御礼に伺うつもりだ。しかし、駒州公が動いて下さるだけで文句をつける連中を追い払えるのは驚いたな。さすがは駒州公だ、往年の手腕は今も尚健在であったな」
そうにこやかに話しながらも弓月伯の内心は複雑なものであった。
 衆民官僚達の庇護者を気取ってから延々と付き纏ってきた五将家からの横槍を当の五将家当主その人にうち払われたのだ、無理もないだろう。

「まぁ確かに虎の威を借りる狐になる事は間違いでもありませんよ。その虎がまともな虎ならばの話ですが」 と豊守が露悪的な表情を浮かべて云った。

「だから君は穏便に古びた虎の皮を脱ぎ捨てるのかね?」
 弓月が鋭い視線を向けると、豊守は――太平の世を生きる馬堂家を造った男は――寂しげに笑った

「――さて?私は残すべき馬堂の家には駒州男爵の号はまだしも駒城家陪臣の号は永続すべきだとは必ずしも思っているわけではありませんがね――主家が衰えていく様を喜んでいるわけではありません――ですがどうにもなりませんからな」
 
「非道い話だ――などとは言わんよ。私も似たような者だ」
 視線を茶器に落とし、黒茶の薫りを肴に思いを馳せる。
衆民官僚の庇護者となった貴族官僚を観て、豊守も瞑目する。
 ――万民輔弼宣旨書の発布から十四年、あれは我々が様々なものを失った象徴だった。
だが、それ以上に多くの者が栄え、彼、弓月由房は其処につけこんだ、弓月の家名を残すために。

「寂しくはありますな、だがどうにもなりません。それは大殿様も若殿様も理解はしていましょう。この戦で五将家最後の砦である、現行の軍制は変わらざるをえません――変えざるをえません」
 豊守は静かに目を閉じた。
「戦争は何もかも変えてしまうからな。」
 ――この戦でどれだけのモノが衰退していくのか―それらを惜しむ気持ちを持つのは年長者の特権か。
そう思いながら弓月は黒茶の苦みを味わう。
そして――
「変革を担うのは若者達、ですな。手前味噌ですが、幾らかは頼もしい輩もおります」と豊守は誇らしげに笑った。
 ――若者か、そうだ、だからこそ私も衆民官僚達を手助けした。彼らが強まると分かっていたからこそ、弓月家当主である自分を敢えて神輿にさせたのだ。
「――であるな。我々だけでは片付かないだろう、まったく、戦争など碌なモノではない。
湯水の様に我々が切り詰めて民需の為に使っていた予算を下らぬ軍費なぞに使い込み
有望な労働力を死地に送るだけでも度し難いと云うのに――よりにもよって、何時まで続くのか分からんときたものだ!」
 憤懣やるかたない、と<帝国>へ怒りをぶつける弓月伯に豊守は肩を竦めて答える。
「アスローンとも何やら面倒を起こしていると聞いていますからな。早めに手打ちが出来れば宜しいのですが」

「うむ、その件については葵からも聞いている。アスローンとの交易線が封鎖されたのは痛いが、〈帝国〉の負担が増えるのは良いことだ。後は冬まで持ち堪える事が出来れば守原英康を吊るし上げて宮野木の先代の様にしてしまえば良い。
堂賀君を通して執政殿、更には西原と結べば廰堂で決着がつく。そして護州・背州閥を無力化し、安東の東州閥を取りこみ、戦時に対応した意思を統一できる体制を作れば〈帝国〉の侵略を頓挫させる事も可能だ。北領の割譲で手をうてば時も稼げる、後は水軍を拡充しながらアスローンとの外交関係を密にして、さらに南冥――いや、凱へ販路を開拓し、通商関係を結べばこの戦争で発生する赤字の補填も出来る。経済で結びつく事が出来れば、対〈帝国〉の軍事同盟もありえなくはない」
 無論、何事も口先だけで嘯くだけならば簡単である。とりわけ政治は、学者がとった天下なし、と云うくらい理論と現実は乖離している。
 弓月もそれを知悉しているが、敢えて明るい口調で言った。

「何年かかるのやら、鬼が笑いそうな話ですな。――それでも、気分がよくなる話ではありますね」
 それを分っている豊守もまた同じく明るく笑った。

「その鬼を騙して笑い返すのが政治屋の仕事だよ、キミ。
まぁ、今、我々にできるのは最悪の事態を凌ぐことだ。その後の面倒は次の世代に押しつけるつもりだがね」
 そう言って互いに笑いあう。
「その為にも君の跡継ぎが心配だな。彼に戦死されてしまうと今後の政略で厄介なことになる。
陸軍の情報機関や水軍との伝手、それに駒城の育預殿との友好関係、そして何より北領の大功を持って若くして中佐の身だ、今は衆民からの受けが良いわけではないが<帝国>との戦を凌ぐことさえできれば護国の英雄として、衆民からの支持も期待できる」

「今は敗残兵を守る為に村を焼いた鼻持ちならない貴族将校、と反将家の連中には言われていますからね。もう少ししたらそれどころではなくなるでしょうが」
 豊守はそういって肩を竦めた。
「恐ろしい事にな。
だがこの戦を上手く切り抜ければの話だが、彼は経済にもそれなりに理解があるから、退役させて私の下に置くこともできなくはない。
30前に大佐というのは良い話だが、どの道これからは五将家も思うように動けなくなる。良くて少将あたりで留め置かれてしまうだろう?
だったら内務省に籍を移せば私の作った下地を継承させることも十分に可能だ。
――どちらにせよ、彼は戦後の政界再編時に勢力を作るにはうってつけだ。戦後の事を考えるのならば何としても死なせてはならん――それに、茜も流石に婿が前線に送られるのは不安らしい。一度、消息不明になったのだから当然だがね。
――ま、そうしたわけだ。こちらも協力するから可能な限り早めに皇都に戻させよう」
 豊守も苦い顔で頷く。
「まったくもって同意見ですがね。ですが、また軍監本部に戻すのは難しいです、前線で使える将校が少ないですからね。若殿様は今年を凌げば大佐にさせるつもりのようです。その際に配置を変える事も出来ますが――当分は北領の英雄を信じるしかないでしょう」と言った。
「――まったく、戦争など実に割に合わんモノだ」
「同感ですな――えぇまったく同感ですよ」
二人の高級官僚はともに溜息をついた。



七月一日 午前第十刻 近衛衆兵鉄虎第五〇一大隊営庭
鉄虎第五○一大隊 大隊長 新城直衛少佐


 今で碌に言葉を交わしていない副官から渡された資料に目を通す。
「新設された、え〜捜索中隊を含めた大隊全力での集団訓練はあと五日程で取り掛かる事取り掛かる事が出来ます」
 藤森大尉が帳面を睨みつけながら報告する内容も書類のそれと合致していた。

「五日か、多少は希望が見えてきたな。」
 ――まだ二週間は時間がある筈だ。
悲観的な新城にしてもそれだけの時間は最低でも得られると確信していた。だがけしてそれ以上は期待していない。
「塩野大尉の中隊は禁士隊の首席幕僚殿がお墨付きを出しただけあって、中々大したものですが、少々、他の部隊で進捗に少々遅れが出始めています」
 時間の不足を補う為に新城はあれこれと工夫を凝らしていた。
例えば、新城が考案し、先日完成した偽装用の野戦服は非常に良好な効果を示した一例であった。
 後備部隊や新編部隊の充足に予算をとられている事もあってか近衛の正式採用は見送られたが、代わりに某金満将家の陸軍中佐が伝手を利用し、陸軍の剣虎兵部隊における試験採用の認可を陸軍局から勝ち取ったのである。
そして現在では既存の剣虎兵部隊ではなかなか良い評判を受けており、剣虎兵将校の中では新城の手腕に対する評価は非常に高いものになっている。当然ながら新城の大隊にも剣虎兵用として一部の予算が割り当てられている。
「疲れか?」
 いくら工夫を凝らしても結局は兵が苦労するのは間違いない。これまで足踏みなく進んできたのだ、そろそろ兵の方に無理が出てきてしまってもおかしくない事は新城も承知している。

「えぇ、恐らくは。寧ろこれまでよくもった方でしょうな」と藤森は無愛想に肩を竦める。

「休みを増やすのも一つの手かもしれない。その時間があればの話だが」

『それは難しい問題でしょうね』
 頭に声が響いた。
「どういう事でしょうか、坂東殿?」
 新城は丁重な口調で義理堅い天龍に尋ねる――が、彼はどのような答えが返ってくるのか半ば確信していた。
『この数日、北方の船の流れが明らかに変わっています。美名津に集中して大型船が集まり始めているようです。彼方は一足先に準備を整えつつある様ですな。』
 ――予想以上に早い、猶予は後数日といったところか。
「――調練を急がせるとしよう。首席幕僚、申しわけないが休みは行軍前までは無しだ。」



七月二日 午前第八刻 独立混成第十四聯隊本部官舎
独立混成第十四聯隊 聯隊長 馬堂豊久中佐


再び響いた銃声に米山大尉は眉をしかめた。
「あぁ、まだやってるのか」
 官舎から裏の訓練場に回ると、彼が探していた聯隊長が最後の一発を撃ったところだったのだろう、輪胴に玉薬を注いでいるところであった。
「聯隊長殿」
 数度の聯隊全力訓練もある程度の水準まで達したこともあり、聯隊長である馬堂豊久は上機嫌に米山に云った
「ん?――米山か。どうだ、悪くないだろ?」
 そういって的に視線を向ける。
「えー、二十二、いえ三発も命中してますね、」

「そうか、三十発中二十三か、まだ要修行だな」と馬堂中佐は肩を竦めていった。
「――で?どうした、本部から何かあったのか?」

「はい、聯隊長殿。どうやら統帥部から導術連絡が入った様です。
首席幕僚殿からすぐにお戻りいただきたいとのことです」

「統帥部――笹嶋さんか、何かあったな」
水軍の軍令機関に勤めている“友人”を脳裏に思い浮かべた聯隊長は口元を引き締めて云った。
 
「私の経験上、ろくでもない事だと思いますね」
 そう云いながら米山が苦いものが多分に混じった笑みを浮かべると聯隊長もまったくおなじ笑みを浮かべて答えた。
「奇遇だな、俺も同じ考えだよ」



「――遅くなった、何事だ?」
副官を引き連れて聯隊長が入室すると首席幕僚は素早く書付を差し出した。
「こちらです」

“美名津周辺海域ニテ戦列艦隊ガ集結シツツアリ
〈帝国〉軍来寇ノ可能性ガ大ナリヤ”

「ハハハ流石は笹嶋中佐だ。たった二行の書付で俺の胃を痛めつけてくれる」
 口元を引き攣らせながら聯隊長が笑う。
「自棄にならないで下さい――しかし、連中、予想外に早いですね」
 初夏の暑気の所為か、はたまた彼も動揺しているのか頬を流れる汗を拭いながら大辺も呻いた。
「やれやれ――これじゃあ予想外に順調って思ってた戦力化の進捗状況も怪しいもんになっちまったな」
 馬堂豊久聯隊長は首席幕僚と視線を交わし、溜息をついた。
「――本来なら、ここまででどうにか聯隊全力訓練までこぎつけられたことも大成果なのですがね」
 どうにか聯隊の戦力化への一区切りである聯隊全力訓練の域に辿り着いたことすら吹っ飛んでしまっていた
「まぁ、不確定情報だが早期に知ることが出来ただけ、統帥部に伝手を作った甲斐があったのだと思おう。――まったく、来ると分かっていても嫌になる」
 豊久は文字通り頭を抱え、嘆く。
 ――あぁ、畜生。またまた北領の時並みの嫌な予感がするし――泣きたくなってきた。
「聯隊長殿、明日から即応態勢へ移行しますか?」米山が如才なく尋ねる。

「あぁ、頼む。申し訳ないが明日から休養時の兵達は営所で待機してもらおう。当面、街には出してやれないな」 と聯隊長は僅かに微笑した。
「それと、伝達が済んだら導術士を頼む。一応、鎮台司令部に問い合わせと云う形で伝えておきたい」

「はい、聯隊長殿」
米山と敬礼を交わすと即座に聯隊長は首席幕僚に問いかける。
「大辺。即座に龍州軍の増援に出られるのは皇都に集結している三個鎮台(駒州・護州・皇州都護)と港湾都市の多い背州鎮台。それに東州に集結している東州鎮台、か?」
 聯隊長の問いに元戦務課参謀は、如才無く返事をする。
「はい、聯隊長殿。現在即応できるのはその五個鎮台です。ですが、それに加えて西州鎮台も後備の動員の為司令部はうごいておりませんが常備部隊の大半を兵団として内地に送っています。こちらはまだ皇都に到着していませんが港を使えば龍州に急行できる状態です。
事実上、〈皇国〉陸軍主力の全軍を投入可能な状態だと考えていただいて構いません」

「成程な、父上も残業が増えるわけだ。――却説、今度は我々が苦労せねばならないな、首席幕僚」
――後方で苦労したぶん、流される血は〈帝国〉産の物にしなければならない。
天狼の大敗をその目で見届けた馬堂豊久聯隊長は静かな決意を込めて云った。
「はい、聯隊長殿。その為にも出征が決定するまでは訓練を――」と、丁度その時に扉を叩く音がした。

「聯隊長殿。本部附導術士、上砂少尉入ります。」
 上砂少尉は輝く銀盤が似合わない未だ十代で当然ながら実戦未経験の新品少尉だ。
戦闘導術中隊に選抜されたのだが、流石に経験不足である為、聯隊本部付となった。
本部の中では一番年下の将校であり、また実戦を経験していない将校はこの部隊では殆ど見かけない為、良くも悪くも目立っている。
 元々、駒州軍は虎城周辺に巣食う匪賊討伐で実戦経験を積んでいる者が多く、その中でもこの聯隊は戦力化を急ぐ為に実戦経験者の将校を最優先で配属させている。
 だが導術将校となると新設兵科の為、数が少なく、後方支援が殆どなので実戦経験者も数少ない。前線に出てくる導術将校となると体力・術力が高い若者の割合が高いのである。

「あぁ、粟津の司令部と交信を頼みたい」
 聯隊長直々の命令に少尉は未だ十代らしく幼さの残る面持ちを緊張させて頷く。
目を閉じ、意識を集中させる少尉を視界の端に置いて聯隊長もまた目を閉じる。

 ――戦争の始まりだ、畜生。何人が若死にする事になるのだろう。だがな、俺が生きている内に必ず借りは返してやる。見ていろ、姫様。こっちにゃ、こっちのやり方ってモンがあるのさ。
却説、細工は流々――――
 
 

 
後書き
取り敢えず開戦前夜(?)まで漕ぎ着けました。

ここまでの立ち回りを見てて豊久さんに一言
『お前なんだか』
『スピンオフシリーズ第二弾で主人公になりそうなキャラだよな(笑)』

 
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