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銀河英雄伝説~美しい夢~

作者:azuraiiru
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第三十四話 カストロプ公




帝国暦487年  8月 25日  イゼルローン要塞  ラインハルト・フォン・ミューゼル



「遠路、御苦労でした。ミューゼル提督」
方面軍司令部で到着の挨拶をするとグライフスイゼルローン方面軍司令官は穏やかな表情で俺達の到着を労ってくれた。
「いえ、反乱軍撃退に間に合わなかった事、申し訳なく思っております。それと我らの到着前に反乱軍を撃退された事、心から感服しております」

実際にはオーディンを出た直後に反乱軍は撤退していた。俺が遅延したわけではないから謝る必要はない。だがここはこう言っておくべきだろう。これから先二ヵ月程はイゼルローン要塞に厄介になるのだ。家主と喧嘩してギスギスした関係を作る事はない。

俺の言葉にグライフス方面軍司令官が首を横に振った。
「いやいや、全てはブラウンシュバイク公の御配慮のおかげだ。まさか反乱軍が要塞内部に兵を送り込んでくるとは思っていなかった。リューネブルク中将が居なかったらどうなっていたか……。寒気がする」

リューネブルク中将はグライフス方面軍司令官の後方で不敵な笑みを浮かべていた。相変わらずだ、昔から少しも変わっていない。そしてシュターデン中将が不機嫌そうな表情で俺を見ていた。これも変わっていない。何だか急に昔に戻った様な感じがした。司令部要員は全員そろっているようだが他に知っているのはメルカッツだけだ、彼はグライフス方面軍司令官の後ろで控えている。

「ブラウンシュバイク公からは二ヵ月程こちらに居ると聞いているが、何か有るのかな。詳しい話は聞いていないのだが」
「一つは今回の防衛戦でイゼルローン方面軍司令部において何か問題が生じなかったか、改善すべき点が見つからなかったかを確認するようにと言われています」
「なるほど」

グライフス方面軍司令官は頷いているがシュターデンの表情は厳しくなった。自分達の欠点を探りに来たとでも思っているのだろう、心の狭い男だ。
「次の戦いが近々起きる可能性が有ります。その前に改善できる所はしておきたい、そうお考えなのでしょう」

俺の言葉に方面軍司令部の要員が訝しげな表情を浮かべた。撤退したばかりで再度押し寄せる、普通ならちょっと有り得ない事だろう。グライフス方面軍司令官が一度司令部要員に視線を向けてから問いかけてきた。
「近々反乱軍が再度押し寄せると言うのか……、何か根拠が有るのかな、ミューゼル提督」
皆が視線を向けてきた。シュターデンの表情が厳しい、好い加減な事を言ったらとっちめてやるとでも思っているに違いない、分かり易い奴だな。

「ブラウンシュバイク公は国内の政治改革をしようとしているようです」
「政治改革?」
グライフス方面軍司令官が呟くと司令部の彼方此方で顔を見合わせる姿が見えた。思いがけない事を聞いた、皆がそんな表情をしている。

「今月の中旬には始めると言っておられました。おそらく我々がイゼルローン要塞に到着するのを待っているのでしょう。政治改革が始まれば場合によっては帝国内部で混乱が生じる可能性が無いとは言えません」
「なるほど、政治改革に反対する貴族が騒乱を起こす可能性が有るか」
グライフス方面軍司令官が呟くと彼方此方で頷く姿が見えた。

「そして反乱軍がその混乱に乗じようとする可能性が有ります。フェザーンがそれを唆すという可能性も有るでしょう、油断はできません」
俺が指摘すると今度は呻き声が聞こえた。皆、フェザーンが帝国の弱体化を望んでいる事を知っている。

「何故今改革を……」
「シュターデン参謀長!」
悔しげに呟くシュターデンをグライフス方面軍司令官が咎めた。
「しかし、せっかく有利に戦争を進めていると言うのに……」
シュターデンがなおも言い募った。

「シュターデン中将、今だから改革を行うのだと私は思う」
「……」
シュターデンが俺を睨んでいる。
「改革を行えば貴族が不満を持つだろう。それを押さえるには強い力が必要だ。今なら帝国はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、リヒテンラーデ侯、そして軍が協力体制を取っている。不満を押さえる事が出来る」

俺の言葉にシュターデンが悔しそうに唇を噛んだ。それを見てグライフス方面軍司令官が俺に話しかけた。
「今だから出来るか……、確かにそうだな。反乱軍が押し寄せてくれば卿が四個艦隊を率いてそれを防ぐか……」
「方面軍司令部と協力して行うことになります」
グライフス方面軍司令官が頷いた。

「リューネブルク中将の件といい、卿の件といいブラウンシュバイク公の手配りの良さには感嘆するな」
「まことに」
俺が答えるとグライフス方面軍司令官が笑みを浮かべた。

「ではミューゼル提督、我らも為すべき事を為そう。先ずは今回の戦いで見えた方面軍司令部の問題点だな。そして反乱軍が押し寄せた時の我らの連携……、早速だが会議室に行こうか、あまり時間は無さそうだ」
「はっ」



帝国暦487年  8月 25日  オーディン  新無憂宮    フレーゲル内務尚書



黒真珠の間に貴族、軍人、官僚が集められた。彼らの殆どは今日何が行なわれるか知らない、政府から重大な発表が有ると言われて集まっているだけだ。皆不安そうに顔を見合わせながら何が有るのかと小声で話し合っている。そして内務尚書の私も司法尚書のルンプも発表の内容を知らない。

だが何の問題も無い様に黒真珠の間に居る。何も知らぬ事を周囲に知られるのは面白くない。頼りにならぬと皆に侮られるだけだ。問いかけてくる人間も居るが私もルンプも軽々しく教える事は出来ぬと言って追い払っている……。

皇帝の玉座に近い位置には帝国の実力者と言われる大貴族、高級文官、武官がたたずんでいる。ブラウンシュバイク大公、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、リヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ両元帥……。皆無言だ、しかし不安そうな表情は見せていない。おそらく彼らは発表の内容を知っているのだろう。

政府閣僚で有る我々の知らない政府発表が有る。だが不思議な事では無い、帝国には二つの政府が有るのだ。一つはリヒテンラーデ侯を首班とする政府、これは公式なもので私もルンプもその一員だ。そしてもう一つは帝国の実力者ブラウンシュバイク大公親子、リッテンハイム侯、リヒテンラーデ侯達からなる非公式な政府だ。どうやら今回の政府発表はそちらの非公式な政府からの物らしい。

帝国で何かが起きようとしている。カストロプ公は未だ処分されていない、財務尚書のままだ。或いは今回の政府発表で処分が発表されるのかもしれないがそれだけではあるまい。皆を集めたのだ、それ以外に何かが有るはずだ。そしてそこにはブラウンシュバイク公の意向が強く反映されている……。

あの呼び出し以来、ブラウンシュバイク公を軽視するのは危険だと私もルンプも肝に銘じている。単なる軍人ではないという事を改めて認識した。ブラウンシュバイク公爵家の養子になったのも勢力バランスを保つためだけではあるまい。むしろブラウンシュバイク公爵家がその器量を見込んで受け入れたと見るべきだろう。公爵家の将来を彼に委ねたのだ。

「全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる銀河帝国フリードリヒ四世陛下の御入来」
式部官の声と帝国国歌の荘重な音楽が流れる中、皇帝フリードリヒ四世が入来した。参列者は皆深々と頭を下げて陛下を待つ。ゆっくりと頭を上げると皇帝フリードリヒ四世が豪奢な椅子に座っていた。

陛下は黒真珠の間を見渡すとリヒテンラーデ侯に“始めよ”と命じた。リヒテンラーデ侯が陛下に一礼すると我々の方を見た。
「皆、ご苦労である。今日集まってもらったのは他でもない。この帝国がこの後も栄えていくため陛下はある決断をした。それを皆に伝えるためである」

リヒテンラーデ侯の言葉にざわめきが起きた。なるほど勅命というわけか、それなら政府閣僚も逆らえない。しかし一体何を行うのか……。
「貴族に与えられている徴税権に対しこれまで帝国は制限を設けてこなかった。しかし近年貴族の中には徒に税を貪り、帝国臣民を苦しめている輩がいる。よって帝国は臣民を守るため貴族の税の徴収権に対し制限を加える事にした。すなわち税率の上限を定める」

どよめきが起きた。貴族の税の徴収権に対して制限を加える、これまで一度も例の無かった事だ。もちろん苛政を極めた貴族に対しては叱責が入った事、或いは取り潰しを行った事は有る。だがあくまでそれは個々に対応した事だ、それを制度化するとは……。

「この制限を超えて税の徴収を行った場合、帝国臣民を徒に苦しめたとして重い罰が与えられるであろう。なお、同時に間接税の税率も引き下げる事とする」
間接税も引き下げる、つまり貴族だけでなく政府も税を軽減するという事か……。当然だが税収は減る、貴族だけに不利益を押し付けるわけではないと言う事だな。これでは政府に対して正面から不満を言うのは難しい。

政治改革、平民達の保護か……。ブラウンシュバイク公だな、これは公が主導している事だろう。確かに平民達の不満は高まっている、何処かでガス抜きが必要だったのは間違いない。それをガス抜きではなく根本的に解消するという事か。しかし貴族達が納得するだろうか……。

「お待ち頂きたい!財務尚書として承諾しかねます! 第一、私はそのような話は聞いておりませんぞ」
太い声が黒真珠の間に響いた。財務尚書カストロプ公が顔面を真っ赤にしている。職掌を侵された、そう思っているのだろう。大広間の人間は皆驚いたような表情でリヒテンラーデ侯とカストロプ公を見ている。

「愚かな……」
ルンプの呟く様な声が聞こえた。全く同感だ、これだけの大事だ、相談するのを忘れたなどという事は有りえない。故意に知らせなかったのだ。それに気付けば何故かと思わねばならない、そうであれば当然だが対応の仕方が有る。それなのに大声で異議を唱えるとは……。確かに愚物だ、処分するべきであろう。

リヒテンラーデ侯が興味なさそうな表情をしている。
「カストロプ公か……」
まるでそこに居たのかと言わんばかりの口調だ。
「間接税の軽減などすれば税収が減ります。それではやっていけません!」
憤然として異議を唱えるカストロプ公をリヒテンラーデ侯が憐れむ様な表情で見た。

「残念だが卿はもう財務尚書ではない」
「……」
どよめきが起きた。やはりここで処分するのか……。カストロプ公が何か口走ったようだが全く聞こえない。皆口々に何かを喋っている。リヒテンラーデ侯が右手を挙げると黒真珠の間がシンと静まった。

「卿はクビだ。新任の財務尚書はゲルラッハ子爵が務める。卿が心配することは無い」
「……馬鹿な、何故……」
「何故? カストロプ公爵家はこれまで犯した罪により廃絶となった」
リヒテンラーデ侯が冷笑を浮かべている。言葉の内容よりもその表情に驚いた。皆が口を開くことも出来ずに黙って見ている。

「罪とは、罪とは何です、リヒテンラーデ侯。一体私が何の罪を犯したと言うのか」
思わず失笑しかけた、ルンプも顔を歪めている。この男、自分の犯した罪が誰にも知られていないとでも思っているのか。いや、犯していないと言わざるを得ないのか。彼方此方で顔を見合わせ失笑する貴族、軍人の姿が見えた。

「卿の犯した罪は此処に記載されていますよ、カストロプ公」
「ブラウンシュバイク公……」
ブラウンシュバイク公が手に書類を持っている。リヒテンラーデ侯同様公も冷たい笑みを浮かべている。

「司法省、内務省に保管されていたものです」
カストロプ公がこちらを見た、彼だけではない、皆が私とルンプを見ている。上手いやり方だ、これでは我々が改革に積極的に賛成してカストロプ公を排除しようとしている、そう見えるだろう。

ブラウンシュバイク公も我々に視線を向けてきた。表情には笑みが有る。皆には公が我々に感謝しているように見えるはずだ。いや実際に感謝しているのかもしれない。だがそれだけでは有るまい、同時に我々がその感謝を受け取るか、それとも拒否するか、どちらを選ぶかを確認しようとしている……。

ルンプと顔を見合わせた、私が頷くと彼も頷く。今ここで逆らうなどキチガイ沙汰だ。笑みを浮かべて僅かに頭を下げた。ルンプも同じようにする。ブラウンシュバイク公の笑みが更に大きくなった。これで貴族達は我々がブラウンシュバイク公に密接に繋がっていると認識しただろう。そして私もルンプも今の地位に留まる事が出来る。この場にいる大勢の貴族達がその証人だ。

「資料の中には十年前、卿が人を使ってコンラート・ヴァレンシュタイン、ヘレーネ・ヴァレンシュタインを殺させた事も記載されています」
またどよめきが起きた。皆が二人の公爵を見比べている。ブラウンシュバイク公は冷たい笑みを浮かべカストロプ公は顔面を蒼白にして小刻みに震えている。

「あれは、リメス男爵家の……」
「無駄ですよ、キュンメル男爵家の横領を図った卿が男爵家の顧問弁護士をしていた父を殺した事は分かっているんです。その罪を他人に擦り付けて素知らぬ振りをしていた事もね」

ざわめきは止まらない。今度は皆がヴァルデック男爵、コルヴィッツ子爵、ハイルマン子爵を見ているが三人はその視線を無視してカストロプ公を睨んでいた。或いは周囲の視線に気付いていないのかもしれない。十年間濡れ衣を着せられたのだ。そしてここ最近はブラウンシュバイク公の報復に怯えていただろう。恨みは深いはずだ。

「復讐のつもりか、それでカストロプ公爵家を廃絶に追い込むのか、ブラウンシュバイク公」
カストロプ公の声が震えている。そしてブラウンシュバイク公が声を上げて笑った。

「復讐? 復讐するつもりなら昨年の陛下御不例時に殺していますよ。必要だから生かしておいた、そして今は処分する必要が生じた、そういう事です」
「どういう事だ、それは……。生かしておいた?」
訝しげなカストロプ公を見てブラウンシュバイク公がまた笑い声を上げた。公だけではないリヒテンラーデ侯も笑っている。明らかに嘲笑と分かる笑い声だ。

「近年平民達から税を取る事しか考えない馬鹿な貴族が多くなりましてね、平民達の不満が高まっているんです。下手をすると革命が起きかねない、だからそれを防ぐために卿を財務尚書にしたのですよ」
「……」
どういう事だろう、ブラウンシュバイク公の言葉に皆が顔を見合わせている。

「案の定卿は職権を不正に利用して私財を貯め始めた、周囲が顔を顰める程に。平民達は皆、卿のような男が財務尚書だから税の取り立てが厳しいのだと卿を恨む事になった……」
「……馬鹿な、誰が財務尚書をやっても同じだ」
カストロプ公が抗議するとブラウンシュバイク公がまた声を上げて笑った。

「その通り、誰がやっても同じです。それを変えるためには抜本的な改革を行わなければなりません。しかしそれを行えるだけの環境が整っていなかった。となれば平民達は帝国を恨むようになる。だからカストロプ公、卿を財務尚書にする必要が有ったのです」

戦慄が身体を走った。要するに帝国に対する恨みをカストロプ公に向けさせたという事か。だからこれまでカストロプ公はどれほど罪を犯そうと処罰されなかった。彼が処罰される時は平民達の不満が限界に達した時か、帝国が改革を実施する時……、そしてその時が今来ようとしている。なんという冷酷、なんという非情、皆蒼白になって凍り付いたように動けずにいる。

「わ、私を利用したのか、リヒテンラーデ侯!」
悲鳴のような声をカストロプ公が上げるとリヒテンラーデ侯は苦笑した。
「不満かな、カストロプ公。卿も随分と良い思いをしたのだ、そろそろその代償を払うべきであろう」
「……卑怯な」
呻く様な声にリヒテンラーデ侯の苦笑が益々大きくなった。

「卑怯? 気付かなかった卿が愚かよ。ブラウンシュバイク公は私が何も言わずとも気付いておったわ。公が言ったであろう、必要だから卿を生かしておいたと……」
ブラウンシュバイク公を見た。公は穏やかに笑みを浮かべている! 慌てて視線をカストロプ公に戻した、悲鳴を上げたくなるほどの恐ろしさだ。おそらく公を見た人間は皆そう思っただろう。

無言で立ち尽くすカストロプ公に対しリヒテンラーデ侯の表情が一変した。今度は嫌悪感を露わにしている。
「長かったわ、卿のような男が財務尚書の任にあるのかと思うと虫唾が走ったがようやく始末できる。改革が出来るだけの体制が整ったからの」

「改革が上手く行くと思うのか? 笑わせるな! 間接税の税率を引き下げれば税収は不足する。その不足分をどうするつもりだ。結局は増税しかあるまい!」
カストロプ公が悲鳴のような抗議の声を上げたがブラウンシュバイク公もリヒテンラーデ侯も微動だにしなかった。

「貴族が必要以上に税を取らなければ間接税の税率を下げても十分にやっていけます。それにカストロプ星系は帝国政府の直轄領になる、そこからも税収は期待できる」
「……」

反論出来ずにいるカストロプ公にブラウンシュバイク公が優しく微笑んだ。
「なによりカストロプ公爵家は廃絶となったのです。公爵家の私財は全て帝国政府に接収されます。随分と貯め込んでいるのでしょう? 税収の不足等という事は無いと思いますよ」
「……」

無言で立ち尽くすカストロプ公にリヒテンラーデ侯が追い打ちをかけた。
「御苦労だった、カストロプ公。卿が生きて果たす役目はもう無い。安らかにヴァルハラに行くがよい、それが卿が帝国に対して出来る唯一の善行だ」
皆が凍り付く中、カストロプ公が呻き声を上げて蹲った……。


 
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