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鋼殻のレギオス IFの物語

作者:七織
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第一章 【Re:Start】
  第一話

 
前書き
更新予定日から遅れること二ヶ月。久々の投稿。
原作時間軸開始。ちょいちょいズラして行ってオリキャラとかオリ話伏線を入れていくー。

約37kです。もっと上手く書いて減らしたい 

 
    IFの物語・二十一話以降(第一章)

 地が煙る。巻き上げられた土煙は辿ってきた軌跡を描き、次第にまた降り積もっていく。
 放浪バスの中から見た世界は酷く簡素で静かだ。どこまでも続くように思える荒れた地平。切り立った山。
 何の変哲もなく、窓から見える世界は透き通って見える。ちょっと外に出て深呼吸、なんて錯覚さえしてしまいそうだ。ひと呼吸でもすれば肺がやかれる物質がそこにはあるなど、想像もできない。

 汚染物質によって荒れた大地。汚染獣という存在が世界の覇者となり跋扈する世界。それがこの世界だ。
 肌を覆わねば十分と生きられぬ汚染された世界。生み出された対策は二つ。汚染獣に対抗できる“剄”という超常的な力を持った存在である武芸者。そして人が生きる場所である自立型移動都市(レギオス)という動く大地だ。

 レギオスにはいくつか形態がある。基本とする形は同じながら持つ役割が違うのだ。
 都市を動かす存在である『電子精霊』を産むとされているシュナイバル。都市間の唯一の交通手段である放浪バスを統括するヨルテム。そういった特例を始めとし、人が生きる機能を備えた標準型や何かに特化した都市など様々だ。
 その内の一つに学園都市、というものがある。未熟な子供が集まり学問を学び、あるいは夢を追いかけあるいは恋人を作り将来を見据える切っ掛けを掴む場所だ。

 大小様々な校舎群を中心に様々な専門施設が建立されている一つの都市。住む、のではなく、必ず去る過程、として必要とされる一時のモラトリアムの場所。
 積み上げたものをその身にだけ纏い、それ以外を置いていく場所。数多の生の残滓が刻まれ積み上げられた都市。

 レイフォンたちが降り立ったここはそんな場所の一つ。
 名を、学園都市ツェルニと言う。





「まず何しましょうか?」

 荷物を持つ手を一定のリズムで揺らし、楽しげな雰囲気を全身で表しながらクラリーベルが言う。
 バスの中で聞いたが、クラリーベルにとって都市の外に出るのは初めてのこと。目的地について浮かれているのだ。その声も「何をするべきか?」という疑問ではなく「何をしよう?」といった期待に彩られている。
 レイフォンと、変則的だがアイシャは既に他都市に行くということを経験している。期待もあるが二人にとってはまずすべきである作業的な事柄が頭を占めている。
 
「まず住む所ですね。ずっと宿に泊まっているわけには行きませんし、動く拠点を見つけるのが大事です」
「寮とかマンションとかありましたよね」
「余り、高いところは駄目だと思う。早く動いたほうがいいよ」
「お金は気にしなくていいですよアイシャさん。従兄弟のお金ですからじゃんじゃん使ってください二人共」
「いや、それは気にします」

 三王家の一人らしいが全く関係のない所からこの留学における生活費は出ている。クラリーベルや女王曰く「罰金」みたいなものらしい。らしいが、レイフォンは何のことだか知らないので少し躊躇いがある。
 必要ならどんどん使っていい、と言われたが流石に全く知らない人間の負担を余り増やすような真似はどことなく後ろめたい。そもそもこの留学自体罪を犯した自分に対する温情。余り負担になるようなことは……

「マンション買っちゃいます? マンション」
「いいと思う。二部屋で」
「男女は分けるべきですよね。でもそもそも三部屋で良くないですか?」
「私とレイフォン、あなたで二部屋。同じ家で住んでたしこれが自然」
「はは、デコピン連打しますよ。額出せ額」
「……何やってるんですか二人共?」
 
 つい突っ込んでしまう。どうやら気にするだけ色々と無駄らしい。必要ならお世話になろう、そう思う。
 それにしても、とレイフォンは思う。二人に対して言葉をかけるときどう言えばいいのかまだ悩むのだ。普段からクラリーベルにはやや敬語、アイシャにはタメ口。だから迷い、結果気後れしていつも敬語が出てくる。まあ、どうでもいい悩みなのだが。
 ぐうぅ……とばかりに赤くなった額をさすっているアイシャを横目に見ながら、レイフォンは中心街の方へ歩き続ける。

「取り敢えず不動産とかあったらそこに入りましょう。最初の一日で決まるとも思いませんし、宿をとってもいいもしれません」
「何か慣れてますね」
「まあ、色々あったので……」

 クラリーベルに言われて思い出すのは数年前、ヨルテムに行った時のこと。仕事さがすのに躍起になりすぎた挙句最初の日は野宿したのだ。あれは色々と悲しかった、とレイフォンは思い出す。大人に見つかって逃げ回って噂になりかけたり、活発な少女に興味深そうに遠くから見られたりした。寝るところは大事なのだ。
 だから取り敢えず寝床は確保したかった。高いマンションは御免だが。

「まあマンションは置いとくとして、結構広い部屋が欲しいですよね。器具置きたいですし」
「ですね。何があるのかも後で見回らないと」

 技術の維持、それも命令には含まれている。鍛錬に使う器具は必要だろう。
 孤児院で共用部屋だったレイフォンとしては広い部屋にはちょっと憧れがある。
 いいところがあるといいな。
 そう思いながらレイフォンたちは見つけた不動産屋に入っていった。




 それから数日。いくつか物件を巡り、チラシや伝聞、はては建築科の人にまでたらい回しにされた挙句三箇所が候補に上がった。
 一つ目は倉庫区に近い場所のビル。家賃も安く広いが、周辺環境が悪い。
 二つ目は住居区の高級マンション。周辺環境も良く防音もされ広いが、家賃が高い。
 三つ目は一般的なビル。防音がされている以外はそこそこ優秀。ここの場合、器具を置く用で一部屋必要。
 他にもいくつか候補が上がったのだが広さ的な面や、部屋の数などいろいろ考えたけ結果これになった。別々に分かれる、というのも考えたが監視されているという立場上そう離れるわけにも行かないらしい。自然、三人で近くに部屋を取る、という事になった。

「二つ目を私は推します」
「いえ、僕は一つ目のビルですね。広いですし」
「周辺環境が悪すぎます。学校から離れたら段々行かなくなりますよ」
「いやいやそんな馬鹿な……」
「陛下がそうでしたので」

 出かけた反論をグッとレイフォンは飲み込む。説得力がありすぎる。
 クラリーベル曰くアルシェイラは学生気分を味わいたい、と身分を偽って通っていたが段々行かなくなったらしい。理由は王宮から離れていてやる気が萎えたこと、講義に出るよりも朝の惰眠を貪ることを優先させたことだとか。

「ある程度真面目か、勉強に熱がないと弛れてきます。多分」

 勉学から全力で逃げだしたいレベルの気持ちを持っているレイフォンをクラリーベルはジト目で睨む。
 だが、と聞きながらレイフォンは女王を思い浮かべ、心の中で断言する。流石にあれよりは自分は真面目だと。
 真面目に通学するくらい出来る。舐めないで欲しい。

「それに私たちはまあ、通学が楽です。ですが一般人であるアイシャさんは距離があると辛いのでは?」
「私は大丈夫だよ。近くにバスが通っている。迷惑はかけない」
「停留所結構近いですし大丈夫ですよ。それにここの場合、人が少ないし近くに空いたスペースが多いです。鍛錬には向いてると思いますよ」

 その言葉にクラリーベルが黙る。
 器具を使った鍛錬だけではなく組手のようなものもしよう、という話になっている。いざとなれば縁外部近くにまでいってしてもいいが、人目が少ないに越したことはない。  
 高級マンション一部屋で一つ目のビルが三部屋は楽勝で借りられてしまう。それは流石に貧乏性のレイフォンとしては気が咎めすぎてしまう。
 マンションの部屋はでかいので三人が一緒に住めば別だが、流石にそれは言うまでもなく除外されている。家族宣言している一人を除いてだが。
 
「これにしましょう。結構よさげですし」
「……まあ、そうしましょうか。取り敢えず第一案、ということで見に行きましょう」

 決まったのでチラシにある連絡先に向かう。
 向かった先で出た建築科の先輩は下見に行きたいと告げるとやたらと嬉しそうだった。聞いてもいないのに喋ってくれた内容によると、他の同期の担当物件は続々と決まっているのに自分はまだゼロ件。建物も古いし色々と諦めていたところに来た訪問だとの事。何なら今から下見でもOKだとか。

 そのまま三人は下見に向かい、契約。ぽんぽんと進み拍子抜けしてしまう。
 長いあいだ使われていなかったのだろう。ホコリ臭いところはあったが実際に見てみた部屋は思ったよりも広く感じられ、差し込む光が印象的な空間だった。
 
「何か困ったことがあれば言うといい。真っ先に手伝おう!」

 よほど鬱憤が溜まっていたのだろう。なんでも、退屈は人を殺すとか。案内してくれた先輩は笑顔で言ってレイフォンの背中を叩いた。
 清掃にメンテナンスに他色々。本来一週間程度のところ四日で部屋に入れるようにしてくれるとか。よほど暇らしい。その喜びようにレイフォンはわけもなく悲しくなってしまった。

 後のことは上機嫌な先輩に頼み、レイフォンたちは商店街へ出る。色々と雑貨や家具に目を通しておかなければならない。

「バイトとかも探さないとですよね」
「ええ、色々経験してみろって陛下は言ってましたし。面白そうなの探しましょう」

 自分に合うのが見つかればいいが、とレイフォンは思う。当たりならば色々と得だが、きついものは精神的に来るものがある。
 そう言う意味でシュナイバルの飲食店なんかは当たりだった。今あの人たちはどうしているだろうかと思いを馳せる。今度手紙を出してみるのもいいかもしれない。ついでに清掃関係の連中は潰れてればいい。

「部屋も決まったことですし、今日から組手とか始めましょうよ。開けた場所探して」
「あー、いいですよ。暫く動いてませんし、調子を戻さないとですね」

 グレンダンを出て二三ヶ月以上、まともな鍛錬をしていない。まだ剣を握るのには多少抵抗があるが、命令だから仕方ない。縁外部にまでいけば人目も大丈夫だろう。いずれはもっと近くで動ける場所を探す必要があるが。

「私もそれ見ていい?」

 アイシャに言われ、少し考える。

「いいけど、見てても面白くないと思うよ。余り見えないだろうし」
「少しは見えるから大丈夫。連れてって」

 縁外部までは遠いが、背負っていけばすぐだろう。特に問題はない。
 上機嫌なクラリーベルを見ながらレイフォンは夜のことを考える。これからはそんな日々が続いくのだ。
 少しあとに迫った入学式の日を思い、レイフォンは新しい生活に思いを馳せた。















 時は経ち入学式の当日。レイフォンたちは走っていた。
 理由は酷く単純。遅刻しそうなのである。というか遅刻が決定しているのだ。

「何で二人揃って寝坊してるんですか!?」
「私に言われても困ります!」

 明日入学式だやったー、などと昨夜テンションが上がり試合形式の組手やらなんやらをいつも以上に二人は頑張った。結果、鍛錬でほどよく疲れしかもいつもより遅くまで夜更かしした二人は揃って寝坊したのだ。レイフォンとしてはまだ眠いが。
 アイシャは時間通りに起きたのだが、寝ている二人を起こそうとせず先に行くでもなくそのまま起きるまで待っていた。本人曰く、疲れていたのだから起こしたくなかった。規律とか別に……らしい。

「というかそこはやっぱり起こして……あれ?」

 それでも納得できずレイフォンは言いかけ、となりにいたはずの人物がいないのに気づく。振り返ると少し後ろでアイシャが息を荒げていた。
 武芸者であることをあまり表に出さないため、レイフォンとクラリーベルは一般人レベルにまで抑えて走っている。それでも二人は武芸者だ、実際の一般人とは身体能力が雲泥の差。暫く走っていたためアイシャの体力が持たなかったのだ。
 それに気づき、二人は少し道を戻る。

「大丈夫?」
「ハァ、ハァ……へい、き。……ごめん、止まっちゃって」
「いえ、気になさらず。気づかなかったこっちもこっちですから」

 アイシャの息が整うのをしばし待って三人は歩き出す。
 既に遅刻は決定しているのだ、無理に走るよりはいい。

 大半の住人が既に出向いているのだろう。生徒主導のこの都市ならば当然だろうが、今の時間街中は酷く静かだ。

 開いていない店の通りを歩き、レイフォンたちは学内の敷地へと入る。地形がわからないため地図を見つつ式典が行われる講堂へと向かう。

「何か騒がしくないですか?」

 クラリーベルの言葉にレイフォンも感覚を少し研ぎ澄ませる。確かに普通とは違ったざわめきが感じられる。何かあったのだろうか。
 もう始まっていますよ、そう告げた係りの人に学生証を見せ、レイフォンたちは講堂の中に入る。
 
「喧嘩、かな?」
 
 どうやら武芸科新入生の方で言い争いが起こっているらしい。僅かだが剄を出しているらしくその余波を感じる。
 遅れた負い目と、巻き込まれるのも嫌なので三人ともそそくさと一般教養科新入生の列の方に向かう。
 ある程度離れているから大丈夫、のはずだが。
 
「少しばかり、空気が悪いですね」
「はい。何もないといいんですけど……ふぁ」

 荒れた雰囲気が全体に伝播している。こういった時は無意味に被害が大きくなるという事をレイフォンは知っている。めんどくさいことが起きないといいな。眠気からあくびをしつつそう思う。
 だが、こういう時大抵レイフォンの願いは裏切られる。

 人の波が大きく蠢き、荒々しい二つの剄が出される。口喧嘩が乱闘に発展したのだ。恐怖からどこかで悲鳴が上がる。そしてその空気が予想通りほかにも伝播する。
 いくつものレギオスからやってきた生徒同士。敵対する関係のものも多い。最初の乱闘を発端にして生まれた空気に呑まれ、その者同士の間にも一触即発の空気が流れる。

 起こった乱闘を恐れ、その場から離れようとした人達で列が乱れる。凄まじい数の人間が狭い空間で動き、人波がレイフォンたちの方まで押し寄せる。バランスを崩しのまれれば大勢の人間に踏み潰され大怪我をしかねない。実際、その波にのまれたのだろう誰かの悲鳴が聞こえてくる。
 逃げようにもそこまで空間がない。それに一般人であるアイシャもいる。ため息をつき、レイフォンとクラリーベルはアイシャを囲うようにして立ち、バレない程度に剄を体に込める。向かってくる人波を別の方へと受け流しつつ、その流れに乗って少しずつ動いていく。

「ありがとう」
「別に気にしなくていいよ」

 二人からしたら単なる共同作業みたいなものだ。眠気覚ましにはちょうどいい。

「どうしますクラリーベル様?」
「目立つのもあれですからね。まあ、現状維持でいいでしょう。警察機構か、それか武芸科の誰かが止めますよ」

 まあそれ以外ないか、とレイフォンは思う。力を見せびらかすのは禁止されている。頷き、ひたすらに向かってくる人波を別方向に流し、時には流れに乗って背後にいるアイシャを庇う。
 クラリーベルの予想は正しかった。武芸科の在校生側から剄の奔流が上がり、誰かが動く。

(……ん? あれ?)

 その剄にどこか既視感を覚えたレイフォンは疑問を持つ。
 その誰かが喧騒の中心にたどり着く。瞬間、響く衝撃とともに出されていた二つの剄が止まる。
 そして生まれた一瞬の空白、剄が広域に拡散される。と思うと同時、一度目とは比にならない凄まじい衝撃と轟音が空間に響き渡る。

 地響きのような床に伝わる振動。空が破裂したような轟音。

 その二つに呑まれ、喧騒は強制的に押し止められていた。












 
 結局式典は中止になった。怪我をした生徒は医務室へ運ばれ、騒動の原因となった生徒はどこかへ連行されていった。
 無関係な生徒たちは解放され、それぞれのクラスへと分かれていく。

「誰だか知らないけど鮮やかというべきですね。結構強い剄でしたし」
「上手いこと意識誘導と虚を付いた制動ですよね」
「よく分からないけれど、そうだったのあれ?」
「うん。音と衝撃での制圧って結構有効だからね」

 疑問を浮かべるアイシャにレイフォンは答える。
 まず喧騒の原因であり中心の二人を同時に制圧。それを衝撃と気配で全体に知らせ一瞬の空白を形成。意識を向かせた後、自身の剄を広域に拡散させ自分の存在を更に強調。全体の意識が虚から戻る前に強い振動と大きな音を差し込み、無理やりに精神を落ち着かせる。力技だがいい手段だ。
 感じた剄も、自分たちには劣るが十分な強さを感じるものだった。いい武芸者がいるのだろう。

「じゃあ、私たちはここで」

 廊下の途中でレイフォンとクラリーベル、それとアイシャで二手に分かれる。レイフォンとクララは同じクラスだが、アイシャは別なのだ。小さく手を振るクラリーベルをアイシャは無言で見つめる。

「……ちっ」
「あ、今舌打ち……」

 しましたよね、とクラリーベルが言うよりも早くアイシャは視線をレイフォンに向け口を開く。

「じゃあ、レイフォン。あとクラリーベルも。またあとで」

 それだけ言って背を向けさっさといってしまう。
 またあと、とは昼のことだろう。一緒に昼食を食べる約束をしているのだ。
 自分たちも早くクラスへ行ったほうがいい。そう思いレイフォンは何とも言えない表情をしているクラリーベルと一緒に廊下を進み、教室の前にたどり着く。中からは話し声が聞こえてくる。既にもうある程度集まっているのだろう。

「あ、出来れば様付けやめて下さい。変な趣味だと思われても困りますし」
「わかりました」

 ガラガラと音を出す引き戸を開け、レイフォンたちは中に入る。黒板にいくつも並べられた机、レイフォンが知っている教室とそこまで差はない。
 指定もないので適当に後ろの方に席を取って座る。レイフォンの後ろがクラリーベルだ。

「後ろの席を取るのって、無意識に勉強に対する忌避感があるらしいですよ」
「え?」
「積極的なら前の席。後ろっていうのは講師に顔を覚えられるのを避け、遠ざかろうとする意識。右が肯定、左が拒否、でしたっけ。迷わず後ろに来るあたり流石ですね。あ、ちなみにシノーラの実体験です」
「え、いや、あの。そのですね、そんなつもりは。それを言うならクラリーベルさ……クラリーベルも」

 思わず「様」を付けそうになったのを慌てて訂正しつつ、そんなつもりはないと一応弁明する。それにしてもシノーラ……陛下は何をやっているのだとレイフォンはつい嘆く。実体験:シノーラというカテゴリー。そんなに勉強が嫌いなのかとあれだけ一方的にいたぶられたのに親近感がわいてしまう。
 言われたクラリーベルは体を投げ出し顎を机に付け、振り返ったレイフォンを見る。

「いえ、私は単に眠りたくなった時用に壁が欲しかったので。レイフォンが前に出たら前に行ってましたね、ええ、間違いない。そこまで勉強に不真面目じゃないですよ」

 寝ようとする時点で不真面目ではないのだろか。
 ふみゅー、と机に突っ伏したクラリーベルにそうレイフォンが言おうとした時、横から声が聞こえた。

「ならあれだな、オレは不良学生ってことか」

 声の主はレイフォンの隣の席だ。
 縁無しメガネをかけた細身の男子生徒。オールバック気味に軽く後ろに撫で付けられた髪に鋭い瞳。制服はレイフォンと同じ一般教養科だ。軽く指でメガネを抑える姿に知的な印象が浮かぶ。こういう人は勉強できるんだろうな。そんな印象がレイフォンの中にはある。

「ああ、いや。ごめん、そういうわけじゃなくてその……」

 どういったものかとつい言葉が迷う。視線をやれば、クラリーベルはさっさと無関心を貫いて頬で机の冷たさを感じている。ほんと、どうしてくれようかこの監視役。
 男子生徒はそんなクラリーベルではなくレイフォンに視線を向け、一度頷く。

「ああ、大丈夫。分かってる」
「それならよかった」

 低めの落ち着いた声で言い、男子生徒はレイフォンに向けた視線を教室の扉へ。そして大きく見渡すように教室を見たあと、再びレイフォンへ。正確には、レイフォンの椅子へと視線を向ける。

「前過ぎるのは避けたい。けど、後ろ過ぎると逆に後ろめたい。一番後ろではなく出来れば自分の後ろを作りたい。教壇からは人の影になるであろう場所で。その為の後ろから二列目、窓側から二列目、だろ? オレには分かってる」
「いや違うから! そっち?!」
「だが悪いな。最高の三列目は既に俺がとっていた」
「だから違うよ!」

 実際はその通りなところもレイフォンにはあったが、それは無視する。というか何故にこの相手は指を立てて自信満々に言ってるのだろう。訳が分からない。真面目な顔で淡々と言っているが、言っていることは不良生徒と行ってもいいのではないだろうか。

「ふみゅ、しゅるどいでふねぇ」
「取り敢えずクラリーベルは寝てて下さい」

 それと、出来るなら喋るのは頬を机から離してからにして欲しかった。言われたクラリーベルは黙って生温かい視線を二人に向ける。本当に今にも寝そうな雰囲気だ。
 どことなく猫みたいなイメージがレイフォンには浮かんぶ。喉を触ればゴロゴロ言いそうだなと思ってしまう。
 そんなやり取りを見て男子生徒は口端を小さくあげ笑う。

「二人は同郷か? 仲がいいな」
「色々あってね。本当はもう一人居るんだけど、クラスが別れたんだ」
「まあ、そういうこともあるだろうな」

 出来れば三人とも同じクラスの方が色々とありがたかったが、まあ、しょうがない話だ。選考基準にもよるが、寧ろ三人とも同じクラスの方が珍しいだろう。そこまで距離的に離れているわけでもないし、家自体はすぐ隣だ。問題はない。

「こっちは一人でな。ふと見たら同族らしき奴がいて声かけたってわけだ。そしてそれは正しかったらしい」
「同族言われても困るけどね」
「そう言うな。仲間が欲しかったんだよ。共同戦線はろうぜこれからのために」
「……共同戦線?」
「勉強のだよ。……何だその視線? あれか、俺が優秀とでも思ったか。眼鏡は頭良いって偏見持ちか。真っ向から反例見せるぞ。言っとくがラインぎりぎりを飛んだことしかない。ここに来たのだって、親から離れて遊ぶためだ」

 聞いていもいないことを言い出す相手を見てレイフォンは確信する。さっき抱いた知的なイメージ、あれは全く間違いだったらしい。勉強に関しては本質的に自分と同類だ。中身と見た目が真逆を行っている相手だ。
 だが、誇れるものでもないことを自信満々に堂々といい放つ所はある意味素晴らしく思える。真似したくないが。

「というわけでだ、課題が出たら写させて欲しいし、何かあったら代返頼む」
「ああ、うん。いいけど、僕に宿題写させてって言ったの、君が生まれて初めてだよ」

 そしてそれは成立しない未来が確定している。寧ろレイフォンは写させて欲しい側だ。そもそもここの授業で代返が成立するのか疑問だ。だが、悪い取引ではない。少なくともレイフォンは自分より馬鹿な学生は少ない、という変な自信がある。
 一般教養科に普通に入れる人物のはずだ。自分より上のはず。そんな確信を持つ。勉強が嫌いな身として、楽を出来る可能性があるならそれに賭ける。それに知り合いを多く持つことは悪いことじゃない。見聞を広める。女王の命令に、それは含まれてもいる。

「まあこれからよろしく。僕はレイフォン・アルセイフ」
「ルシル・アルメニアだ。よろしく。暇なら一緒に飯でも食べないか」
「うーん、もう一人と一緒に食べる予定があるしそれでもよければだけど……また後でにしよう」
「だな。俺も別で用事あるし」

 なら何故聞いた
 不条理に訝しむレイフォンをよそにルシルは外へ目を向ける。着慣れていないのがひと目でわかる学生服に身を包んだ生徒たちが外を歩き回っている。そのままポツリと、ルシルは言う。

「この街は学生が多い。世間と呼ばれるものは酷く狭く、そして狭量だろう。一つだけ忠告しておくレイフォン」
「何?」
「恐らく全裸はマズイ」
「?!」

 凄まじく真面目な瞳で言い放たれた言葉に返せるほどレイフォンの語彙力は高くなかった。何が言いたいのかもわからなかった。何となくだがルシルの性格がレイフォンには分かってきた気がする。

 どうやら特に教室にいる意味もなさそうだ。何か連絡でもあるかもしれない、と思ってきたがそれもない。黒板に明日から通常通りの時間に、と書いてあるだけ。これ以上いるのも時間の無駄だろう。何事もなかったかのように二人共席を立ち上がる。
 
「じゃあなレイフォン。また明日」
「うん、また明日」

 他の生徒達も無駄だと悟ったのだろう、段々と帰り始めている。そろそろ自分たちも動くべきだろう。アイシャを待たせることになる。それに食堂で食べる予定だ、早く動いたほうがいい。ここでの一般的な購買がどういったものか、その辺をレイフォンは知らない。席が無くなりでもしたら困る。初日に合った、酷く軽い荷物を手にレイフォンは席を立つ。
 それにしても随分静かだったな。そう思いつつレイフォンはクラリーベルの方を向く。そして気づく。

「……ほんとに寝なくてもいいのに」

 何となく喉をなでてみた。反射でひっぱたかれた。










「こっちでいいのかな?」

 左右を緑の木々に囲まれ、落ち着いた石畳の道をレイフォンは一人で歩いていた。目指す先は第一食堂だ。
 昼の時間帯故か、周囲にいる知らない生徒たちもレイフォンと同じ方向へ進んでいる。
 眠りから覚めたクラリーベルは、少し用があるから先に行っていてくれ、とレイフォンに言った。そもそもクラスが違うアイシャとは終わる時間が分からないから食堂での待ち合わせ。分かりやすいから、と選んだ第一の食堂目指しレイフォンは道を歩む。

「……うん、迷った」

 今どこにいるか分からない。周りにいたはずの学生たちも、いつの間にか姿がほとんど見えなくなっている。
 途中何度か分かれ道があった気もするが、きっとそこが問題だったのだろう。そもそもこの学内を歩むのはレイフォンにとって今日が初。大体こっちだったはず、で歩いて行けるはずがない。周囲に人がいることに安心して歩いた結果がこれだ。

 朝に見たはずの学内地図も記憶が朧だ。こんなことなら地図を持っておくべきだったと軽く嘆く。
 レイフォンは軽く後ろを振り返り来た道を見る。方向はあっているはずだから近くまで来ているはずだが、このまま行っていいモノか。少し戻り、建てられていた簡易地図を見に行ったほうがいいかもしれない。

「変に迷うと待たせちゃうし、確認したほうがいいか。走ればいいし」

 よし、と軽く足に力を込める。そのまま走り出そうとした所で石畳を走る足音が聞こえてくる。振り返ればひとりの女生徒が小走りでこっちに向かっていた。付けているバッチからして何年かはわからないが上級生だろう。

「ちょい、そこの新入生。ちょっといい?」
「何か用ですか?」

 視線から分かっていたが、やはり自分に用があるらしい。走って乱れた息を整えている相手を見る。
 肩に届く黒髪は額が出るように真ん中で分けられ、後ろ側は纏められて簪が刺さっている。背はレイフォンより少し下。普段は晒されているだろう健康的な額には髪が少し張り付いている。
 自分に用があるとしてもレイフォンには覚えがない。一体何なのか。

(そう言えば確か……)

 入学関連でもらったパンフ。めんどくさくて読まず、リーリンにそれでパタパタ叩かれた冊子。そこにあった一文を思い出す。
 ――怪しい宗教、サークルの勧誘に新入生は気をつけましょう。

「あ、僕は用があるのでこれで」
「怪しい者じゃないから」

 レイフォン は 逃げ出した。しかし 回り込まれてしまった。
 女生徒に袖を捕まれレイフォンは逃げるのを阻止される。怪しくない、と言われた方が余計に怪しく感じてしまうのは何故だろうか。
 制服からして相手は一般人。いざとなれば真面目に逃げればいいか、とレイフォンは観念する。

「走られたら追いつけないっての。えーとまず、君、レイフォン・アルセイヌ君?」
「僕はフです」
「腐? 何、腐ってるの?」
「腐ってません。アルセイヌじゃなくアルセイフです」
「ああ、そっち」

 どっちだと思ったのだろうこの人は。だが何故だか突っ込んではいけない気がして追求はやめる。しかしこれで少女の探し相手は自分で確定らしい。
 相手の制服はレイフォンが着ているものとは違う。ここツェルニでは四年からそれぞれの専攻に移ったはず。だとしたら目の前の相手は四年以上ということだろう。そんなどうでもいい考えがふと頭に浮かぶ。

「時間だし食堂の方にでもいるかと思ったのにいなから探したよ。何、迷ったの? それとも緑眺める趣味? 若いね。自然を好むのはいいと思うよ。けど後にして。私走り回っちゃった。服も勘違いしちゃうしさ。顔覚えてて良かったー」
「すみませんけど、用があるので長引くようでしたら……」

 まだ大丈夫だと思うが、二人を待たせることになってしまう。生憎悠長に時間をとっている暇はない。遠まわしにそう伝えると女生徒は大丈夫だと手を振る。

「話があってさ、すぐ済むから大丈夫大丈夫。行きたい場所があるなら案内するよ?」
「そもそも何の話が……」
「うーん、それは来てのお楽しみ。って言いたいけど言ったほうがいいよね。ほんとすぐ済むし全然怪しくないから」

 そう言って女生徒は胸ポケットから小さな四角いものを出す。生徒手帳だ。開かれたページには女生徒の顔と名前、それと『生徒会』の文字が書かれている。思わず写真と目の前の本人を見比べてしまう。

「生徒会役員のレヴィ・スコールです。申請書類にちょっとした不備がありましたので確認を要請します。……これで身分証明は済んだよね。じゃあ行こう」

 腕を捕まれて引っ張られそうになり、レイフォンは一瞬踏みとどまる。動かないレイフォンに不思議そうな視線をレヴィは向ける。

「……っ」
「何、どうしたの怖い顔して。大丈夫、ちょっとお話するだけだから。生徒会からの呼び出しには取り敢えず行っといたほうが楽だよ。怪しくないからさ」

 怪しさ、ではない。レイフォンの足を止めているのは。遅れそうな約束でもない。それは恐怖に似た感情だ。
 生徒会という、学園都市を仕切る役割の組織。そこからの要請。それが一瞬、グレンダンでの事をレイフォンにフラッシュバックさせた。王宮からの呼び出し、そこからの処罰。そしてそれからの歪んだ周囲の正義感。

 だが、とレイフォンは頭を振りかぶってその幻想を払う。ここではそのことなど知られていない。全く関係がない。この呼び出しも、連絡事項か何かだろう。自分を責めるようなことは何一つないのは確定的だ。
 こんな風に怯えて、振り払えないからダメなのだ。約束には遅れてしまうが、生徒会からの呼び出しともなればしょうがなくもある。後で謝ろう。

 緩んだ力を悟るように、再度手を引かれレイフォンは歩き出す。

「ね。ちょっとだけ、ちょっとだけだから! 中入ってお話するだけだから! 何もしないから!! さきっちょだけだから!!」

 ……気にするだけ無駄だったかもしれない。
 明らかに怪しすぎる誘い文句に引きずられながら、レイフォンはそう思った。















「お腹がすきました!」

 他称ネコ科、クラリーベルの咆哮。その拳を受けたテーブルが揺れ、上に置かれた水の入ったコップが揺れる。衝撃に僅かに跳ねたコップ。それを対面に座るアイシャが抑える――自分の分だけ。
 
「む?」

 トンッ。小さな音。そして倒れていくコップ。気づいたクラリーベルが小さくうなり声を上げる。ある程度飲まれたとは言え、まだ半分以上中身の入ったそれが傾いていく。
 瞬間、クラリーベルの手が動く。既に半ば傾ききったそれ。普通の人間なら間に合わず、そして起こる惨劇。だが、武芸者たるクラリーベルは違う。凄まじい速さで手が前へと伸び、一瞬のうちにその手の中にはコップが収まっていた。
 速さ故の慣性で、正面にいたアイシャの顔に水をぶつけて。

「……」

 雫を垂らし、無言の瞳がクラリーベルを見つめる。

「ごめんなさい」
「別にいい。気持ちはわかる」

 ハンカチで顔を吹きつつアイシャは答える。それを見てクラリーベルは水を一気に飲み干して気持ちを落ち着かせる。

 二人がいるのは学生食堂の一つだ。時刻は既に昼時。かなり広い空間は学生で溢れ、周りの席はどれも埋まりテーブルの上には弁当や学食の料理などが乗って賑わっている。だがそんな中、早めに来れて運良く席を取れた二人のテーブルの上には水しかなかった。断食をしているわけでも弁当があるわけでは決してない。
 空のコップを咥えながら周りを見渡し、クラリーベルがつぶやく。

「何でいないんですかねー。私たちより先に出たはずなのに」
「クラスの違う私に言われても困る。そっちは一緒だったはず」
「そうですけど……道にでも迷ったんですかね。うむむむむむ」

 三人は入口の辺りで待ち合わせをしていたのだが、いつまで経ってもレイフォンが来なかったのだ。人が増えてきたのを見て席を確保、そこから人の流れを見ていてもずっとレイフォンは来ない。十分二十分と時間は過ぎ、食堂内では列もできている。
 寝坊で朝も食べていない為お腹はいつも以上に空いている。テーブルに上半身を乗せ、疑問と苛立ちを示すようにクラリーベルの眉根がよる。カツンと噛まれ、銜えられたコップがぷらぷらと揺れる。
 
「迷っているなら探しに行ったほうがいい。待っていても時間の無駄」
「ですかねー。戻るか、それとも先に食べちゃいます? お腹減りました」
「約束したのにそれは少し可哀想。私は大丈夫」
「私はお腹空きました。約束を守れない方が悪いんですようんうん。迷うほうが悪い。いっそ奢って貰うまでありますねこれは。レイフォンが悪い」

 レイフォンが悪いと呟き続けるクラリーベル。そんな彼女にアイシャは伸ばした人差し指を近づける。その指をクラリーベルは何だと思い眺めていると、そのまま指はゆっくりとクラリーベルが咥えたコップへ。こつん、と優しく当たる。

「フッ!」

 声と共に放たれたのは凄まじいデコピン。放ったのは人差し指で隠していた親指と中指。
 伝達する衝撃。衝撃を伴った硬質なコップはそのまま支えていたクラリーベルの歯に直撃する。
 半ば不意打ちに近いそれ。鈍い痛みがクラリーベルの体を貫く。

「痛! ちょ、何を」
「余り悪く言わないで欲しい。迷っても仕方のないところがある」
「なら先に言葉で言って下さいよ」
「次からは善処する」
「そんなうちの陛下(政治家)みたいな……」

 ある意味さっきの仕返しなのだろうか。コップを離しつつクラリーベルはアイシャを見る。
 レイフォンのことを悪く言ったのが恐らくカンに触ったのだろう。今まで見てきて知れたのは、彼女にはレイフォンに対する盲目的な面があること。

 視界の先の相手は何の代わりもなくこっちを見ている。いつもそうだ。表情もあまり変えず、声の抑揚も変わらない。何かが止まっているとさえ思う。そもそもクラリーベルはアイシャの事情をそこまで詳しく知らない。知っているのはせいぜい汚染獣に滅ぼされた都市の生き残りでレイフォンが連れてきたということだけ。細かいことは知らないし、現状知る気もない。
 もっとも。

(あの眼だけは別ですが)

 伸ばされた髪から時折覗く右の眼。左右非対称の色を宿したそこを見て思うのは、かつてアルシェイラから渡された一枚のカルテ。

「必要がなかった、か」
「何?」
「ああいえ、独り言です。お気になさらず」
「そう。突然言い出すからクラリーベルがおかしくなったのかと思った。良かった」
 
 随分なお言葉で。
 付き合ってみてわかったが、特に悪意などなく自然体なのだから困る。正直は美徳というがどうなのだろう。取り繕うことも出来るらしいが、そんなことせず自然体で接せられている現状を喜ぶべきなのか嘆くべきなのか。
 まあ、別にどっちでもよく、特に気にすることでもない。だがまあ、

「もう少しオブラートに包んでもいいですよ。相手のことを思った言葉は大事です。優先順位が低いのは知ってますけどね」
「? 何のこと」
「思っても伝わらなければ意味ありませんからね。思ったことを言う、肯定するだけ、何て泥沼ですよ。その人のことを思うなら正すって意味を知らないと。……逸れましたがまああれです、つまり、もう少し私に優しくしてもいいんですよ?」
「優しくしている。少なくとも、あなたの順位は凄く高いよ」
「それはどうも」
「でも、そう思われたのなら善処する。色々と気をつけてみる。――話を戻すけれど、来ないなら、このままここにいても意味がない」
「……ですね。それがいいかもしれません」

 カバンから地図を取り出す。
 ふと、そんな二人に声がかかる。

「なあ、今レイフォンって言ったか?」

 声の主は男子生徒、制服を見る限り武芸科だ。どこか落ち着きがないようにそわそわしている。後ろでは男子生徒二人がニヤニヤしながらクラリーベルたちに話しかけた友人を見ている。クラリーベルもアイシャも容姿は良い。話しかける機会でも見ていたのか。

「ええ、言いましたが。知っているんですか?」
「知っているっていうかさ、少し前にそいつを探している人が居たんだ。確か生徒会の人間だったと思う」
「生徒会……?」

 何でそんなことになっているのか。まさか迷子になったあいだに何か問題でも起こしたのだろうか。子供か。

「確か生徒会の女性だったはずだ。『レイフォン・アルセイヌ、イヌイヌ犬犬犬』って叫びながら走っていた」
「多分その人だと思いますけど……ヌ? というか何故そんなことに」
「それは知らない。寧ろ知りたいくらいだ。走っている途中、フッとその人の視線が俺の方向いてさ。すぐどこか行ったけどそれで覚えてたんだ」

 男子生徒の方を見ながらふむ、と考える。嘘ではなさそうだ。迷子ではなく何かやらかしたのだろうか。

「じゃあ、その後どうなったかは」
「俺は知らないんだけど……」

 相手の視線が一瞬、背後の友人へと向かう。

「あいつらが見たらしくてさ。その女性がレイフォンって呼ばれた奴と楽しそうに会話した後、手を引っ張ってどこかに行ったらし――」
「あ゛???」

 思わず、とでも言うべきか。気づいたら出ていた濁った声に男子生徒の声が止まる。
 もしその事が本当なら、自分たちのことをほっぽってその女性に付いていった事になる。それはいかんともしがたい事実だ。信じたくはないが、何故だか簡単にその場面が想像できてしまうのが嘆かわしい。少し強く押せば簡単に流される、日常のレイフォンの気概などその程度だ。

 相手は生徒会だと言った。ならばその女性は年上だろう。レイフォンは年上の女性に弱い、というか強く出られない。より正確に言うなら年上というよりは気がしっかりしている女性にだが。恐らくリーリンの影響だろう。孤児院での風景を見るに、甘いレイフォン正すリーリンといった形だった。それと恐らく……。
 改めて男子生徒の顔を見る。先ほどクラリーベルは一体どんな表情をしたのか、相手の顔が少し引きつっていた。
 だが意外に根性がある様で相手はすぐに持ち直し、遮られた続きを言う。

「――行ったらしくてさ。二十分ほど前のことだし、多分待っていても意味ないと思うぞ」
「ああ、それはご親切にどうも」

 小さくため息を履く。色々思ったが、正直クラリーベルにとってレイフォンの性格など今はどうでもいい。本当にどうでもいい。問題なのはレイフォンが来ないということであり、そのせいで食事が取れないこと。レイフォンのせいで自分のお腹が空いていることだ。話を聞く限り不可抗力の事態などで無く、レイフォン自身の過失だという事だ。

 考えれば考えるほどに空っぽの腹がムカムカしてくる。現状のこれは全てレイフォンのせいだ。やはり食事の代金を支払わせることぐらい何の問題もない。寧ろ奢らせるが道理。道理なら全力でそれを投げつけなければ失礼だ。自分はお腹がすいているのだ。

「だからどうせ来ないよ。君達との約束破るような相手でしょ? 話からしてまだ昼食べてないみたいだし、奢るからよければ適当な店で俺たちと一緒に……」
「クラリーベル、行こう」

 いつの間にかカバンを持ったアイシャ言う。荷物も全部片付けられている。レイフォンがどこかへ行った、という辺りからそれ以降を無視して用意していたのだ。
 再度遮られ、言葉に詰まった男子生徒の視線がさ迷う。勇気を出したのだろう、あー、と声を出し、アイシャの前に立つ。

「えと、君なんていうの? 俺はロイスって言うんだけど、君もよかったら……」
「ワザと前に立たないで、邪魔」
「……あ、うん。ごめん」

 ロイスの背後、彼の友人たちから爆笑の声が上がる。よほど今のやり取りが面白かったのだろう、哀れなことだ。アイシャの威圧に押され道を開けるように一歩下がったところで更に笑われる。
 クラリーベルはそんな光景を見ながら荷物をさっさと詰め、アイシャに続いて席を立つ。所在無く、救いを求めるように視線を寄越してきたロイスの横を通る。通る際「ま、いいことあるよ」といった感じに一度だけ肩をポンと叩き、そのまま素通り。振り返った先では友人たちに背中を叩かれ爆笑されている姿を見つつアイシャに合流する。
 
「さっさと約束破ってしっぽり逃げたバ……失敬、レイフォンを見つけましょう。取り敢えず睨むのは私じゃないです。生徒会の人間に連れられ、なら近くの店か生徒会関係の場所でしょう」
「生徒会長に直接文句を……」
「いやそれはちょっと。適当に聞いて探して見つけてご飯おごらせましょう。お腹が空いて空いて。ああ、何かまた腹たってきました」

 来るまで待っていてもいいのだが、それだとクラリーベルの腹の虫が文字通り収まらない。怒りをぶつけ何か奢らせるべきだろう。レイフォンの財布が空になるまで。考え、つい足に力が入ってしまう。早く見つけて勢いで押して財布を開けさせたい欲が高まる。

「取り敢えず二手に別れましょう」
「分かった」
「じゃ、そういうことで。場所は同じで」

 キュッとしてドーン。周囲に人がいないことを確認し、石畳が少し削れるほどの力の入った足でクラリーベルの姿がすぐさま消える。
 そう、全てはネコ科のお腹がすいた故に。












 気がついたら三十分以上歩いた末に生徒会室の中にレイフォンはいた。

「あれ?」

 今更ながらにおかしい気がしてくる。そもそもずっと手を捕まれた挙句こっちの言葉を聞かずにひたすらしゃべり通すレヴィの勢いに乗せられたのが間違いだった気がしてくる。

「じゃあね、アルセイヌ君!!」

 それに感づいたのだろう。レイフォンが何か言おうと思ったときには既にドアは大きな音を立て閉まっていた。
 振り向きかけた姿勢のまま伸ばしたレイフォンの手は中途半端な位置で宙をさ迷う。
 嵌められた。そんな思いが頭に浮かぶ。
 そんなレイフォンの思考を動かすように声が飛ぶ。

「往々呼びつけて立たせたまま、というのも何だろう。座って欲しい」

 この部屋の主、生徒会長のカリアン・ロスはそう言ってソファを手で示し、すぐに手元の書類に目を戻した。
 帰るならば今が最後の機会だろう。締まるドアを見て感じた違和感と危機感。だが、ここまで来て今更戻るのもアレだ。雑音を無視して軽く息を吐いて心を整え、レイフォンは勧めに従って座り、ふとカリアンを注視する。入学式をほぼサボったようなもののレイフォンにとって彼の顔を見るのは初めてに近い。

 長い銀髪に眼鏡の奥の知性を宿した鋭い目。朗らかな笑みを浮かべた整った容貌には惹きつけられる人もいるだろう。執務用の机に座り手を組んでいる姿は政務者の貫禄を感じさせる。だが、レイフォンは油断しない。寧ろ警戒する。
 今までの経験上。こんな感じの知的な雰囲気を持った人間でレイフォンがあってきた人間は須らくロクな人間じゃなかった。墓漁りする眼鏡とか全裸とか言い出す眼鏡とか。知的な眼鏡は寧ろ痴的なメガネである。

 会長の為のデスクに座っているカリアンは何枚もの書類に目を通し、サインしていく。ちらり、とその瞳がレイフォンへ向く。
 
「呼びつけておきながらこんな様で済まないね。この時期は色々と忙しいんだ。陳述書にクラブ申請書、科の予算や企画書――それに問題を起こした者の処分とかね」

 入学式で乱闘を起こした者のことだろう。色々とご苦労なことだ。見た限り書類は机の上に二つ、三つと山を作っている。あれだけの書類を一つ一つ読むなんてレイフォンからしたら気が遠くなりそうな作業だ。

「それだけあると大変そうですね」
「まあ、それが僕の仕事だからね。だが、これで陳述書や企画書には色々と面白いものもあってね。『夜中に叫ぶ案山子の捜査をして欲しい』や『ミスコンがあるなら女装コンを望む!!』とかね。聞くかい?」

 いえ、と首を横に振る。生憎そこまで時間に余裕があるわけではない。さっさと本題に入る。

「書類の不備、ということでしたが」
「中には女神なんてPNで『育毛剤の研究費を』何て……ああ、彼女から聞いたのか。その通りだよ」

 こっちの要望が届いたようでカリアンは書類をめくっていた手を止め、引き出しの中から書類を出す。

「レイフォ……アルセイヌ君、だったかいもしかして? だとしたらこれもまた訂正しないといけないのだが」
「フであってます」
「それは良かった」

 何となく、だがこれは言っておくべきだろう。

「あと、レヴィさんにも言われましたが腐ってません」
「? すまない、少し意味がわからないのだが……」

 正直レイフォンにも意味は分かっていないのだから聞かれても困る。人が腐敗する、という意味なら分かるし実際に見たこともあるがそれとは違うことくらいわかる。今度機会があって覚えていたらレヴィに聞いてみようと思う。

 レイフォンの情報が書かれたらしき書類をパラパラとカリアンは捲る。それを見るに本当に何らかの不備で呼ばれたのだろう。もっとも、不安だからとリーリンとアイシャに見て貰って書いた書類だ。不備がどこだかなど見当もつかないが。

「今日は済まなかったね。生徒の門出となるべき式典だったというのに中止になってしまって。怪我人も出てしまった。新入生からしたら出鼻をくじかれたようなものだろう」
「人が多いと色々ありますし、ある意味しょうがないところがあると思います」
「そう言って貰えると助かるが、その『色々あるしょうがない』を消すのが私たちの仕事でもある。話も満足に出来ていなかった。新入生としては私のあの話で問題なかったかな? 出来れば意見を聞きたいが」

 ……何を言うべきなのだろうか。ここはあれだろうか、正直に「寝坊して遅刻しました。何も聞いていません」と言うべきなのだろうか。だがここで会ったばかりの生徒会長相手にそんな事をどうどうと言えるほどレイフォンの精神は太くない。
 沈黙が続く。何となく心が痛くなってくる。素晴らしかったと思いますと、取り敢えず適当に流すべくレイフォンが口を開こうとした途端、カリアンは面白げに笑った。

「悪いね、少し意地悪だったかな。君が遅刻してロクに何も聞いていないことは知っているよ」
 
 からかわれたらしい。こっちの反応を見て楽しんでいたのだろう。遅刻者への僅かな罰、といったところか。
 どうやらこの会長真面目な人間でなくユーモラスさもあるようだ。こっちの気を解すつもりでやったのならなかなかである。

「冗談はそれくらいにして本題に入ろうか」

 立ち上がったカリアンは座ったままのレイフォンへと近づき、手に持った書類を渡す。

「書類不備って言われても、どうすればいいんですか?」
「そこまで難しいものじゃない。訂正箇所を修正しておいたから、君はそれを確認してサインしてくれるだけでいい」

 ……訂正箇所を修正して“おいた”?
 ふと湧いた疑問。それを理解し切る前に書類とペンを受け取り目を通す。何のことはない自分の情報が書かれた紙。そしてその中で色をつけられ訂正された一文。それの意味が分からず一瞬レイフォンの思考が止まる。そして理解した瞬間、それを見計らったかのように肩に置かれたカリアンの手に鳥肌が立つ。訂正されていたのは学科先だ。

「間違いがひどいじゃないか。君が入ろうとしたのは武芸科だ。そうだろうヴォルフシュテイン候補」
「――――ッ!!」

 後ろから押さえ込まれるように肩に置かれた手。静かに、けれど強い力のこもったそれがレイフォンに立ち上がらせることを許さない。上から届く声が、背後から抑えられている事が、その存在が、レイフォンの意識を縛る。
 どこでバレた。浮かんだのはその言葉。自分が武芸者だと知っている人間など一緒に来た二人以外知らないはず。他に同郷がいたとしても知らせる必要も、知る機会もない。天剣候補などなおさら。なのに何故。
 
「知っているのが不思議かい? 僕は昔、グレンダンを訪れたことがあるんだ。五年ほど前にね。ちょうど天剣というものを決める大会があった。記憶には自信がある」
「あの時の、大会を見た……」
「素晴らしいものだったよ。興奮冷め切らず近くにいた少女と一言二言会話も交わした。運良く優勝した少年の知り合いの少女と話せた。もっと話せばよかったと後で後悔したよ」

 遡る記憶の中で思い出す。その少女は十中八九リーリンのことだろう。あの大会の次の日、食事の席の会話で聞いた覚えがある。旅行者の男性と話した、と。きっとそれがカリアンだ。リーリンは言っていた。年上で眼鏡をかけた人だったと。やはり眼鏡か。痴的でなく知的だったが警戒するべきだった。
 混乱して明後日の方向に偏見を深めるレイフォン。そんなレイフォンの思考をカリアンの声が揺さぶり続ける。

「君が追い出された原因も知っている。そのゴタゴタで間違えたのだろう? サインが嫌なら、頷いてくれるだけでもいい」
「脅しですか? 従わなければバラすっていう」

 狙いがわかって精神に余裕が出てくる。元々予期せぬ事態に揺れていただけだ。この程度のことならばそこまで慌てることでもない。本来なら雰囲気に飲まれていたかもしれないが、今は違う。自分の意思を離れたところにある「命令」がレイフォンの思考を安定へと誘う。

「そんなことはしない。これはあくまで「お願い」と「確認」だよ。こっちも命がかかっているんでね」
「命……?」

 断る言葉を出そうとした矢先、カリアンの言葉につい聞き返してしまう。肩にかかる力が少し、強くなった気がした。

「ああ、都市の命だ。セルニウムとその鉱山について、君はどの程度知っているかな?」
「レギオスの燃料である金属ですよね。都市ごとにいくつか保有していて、定期的に補給による。なくなれば終わりです」
「鉱山の手に入れ方はどうだい?」
「都市戦で戦って、勝った方が相手の鉱山を……まさか」

 肩に伝わる振動でカリアンが小さく笑ったのを感じた。レイフォンもカリアンが言いたいことに気づく。そして同時、誘導されたことも。出稼ぎで行ったシュナイバルでも何度もくらった手だ。重要な部分を先に小出しで出し、興味を引いてから聞いて答えさせ、自分から関わらせて絡め取る。バイト先のおっさんやシンラの得意の手だ。
 しかし気づいても少し遅い。レイフォンは既に興味を持ってしまっている。どうせ断るのだから、せめて最後まで聞こう。そんな風な意識に変わってしまっている。

「そのまさかさ。ツェルニは二年前の都市戦で鉱山を奪われた。保有数1。それが現状だよ。そして都市戦は基本的に二年周期だ」
「つまり今年……だから僕、ですか」
「その通りだよ。学園都市が当たるのは同じ学園都市。君からしたら簡単な話だろう」
「否定はしません」

 グレンダンの都市戦は遭遇した他の都市との武芸者同士の戦闘だった。細かいルールは知らないが基本的に戦力で決まる。ここも似たようなものだろう。ならば確かに、自分が出れば容易く終わる可能性が高い。仙鶯都市におけるジルドレイドの様な、そんなイレギュラーでもない限り問題はない。
 
「私はね、この都市が好きだ。このままでは緩やかに死ぬだけだと、変えなければとそう思って立候補し、前の生徒会長を蹴落としてこの地位にいる。綺麗なだけで守れないなら、真っ当でない手も使う」
「それがこれ、ですか? 人を払ってまで……」

 途端、肩にかかる力が重みをます。カリアンが体を乗り出すように下に下げたのだ。言い聞かせるように、同意を求めるように、カリアンの声が近くから届く。

「身を焦がすほど守りたい者の為なら人は手を汚すさ。少なくとも私はそうだ。理解できないかね?」
「……いえ」

 それを否定出来るだけの材料は自分の手の中にはない。それどころか既にレイフォンは手を汚した身だ。カリアンの気持ちは理解できるし報われて欲しいと思う。何かを守るのに必死な人間を否定したくはない。かつての自分の行動を間違いだと思えない自分が、それを否定していいとさえ思えない。

 自分が手を貸せばカリアンの望みは叶えられるだろう。それも恐らく、酷く簡単に。――だけれど。
 肩にかかる力が増す。レイフォンはペン先を紙へと向け、

「人員の空きなら心配しないでいい。君はサインするだけで終わりだ。待遇もA特待に変えよう。それだけの実力が――」

 訂正箇所に、更に×を上乗せした。

 ギシ、とカリアンの手が強ばるのを感じる。
 それを無視し、武芸科、となっていたところを、一般教養科、と改めて書き直す。
 
「話を、理解して貰えなかったかな?」
「いえ。理解はしましたし、その思いが報われて欲しいとも思いました」
「なら何故――」
「ですが、それを受けるわけにはいきません。いえ、正確には許されていません」

 普段の自分ならきっと、相手に同情して流されるか、雰囲気に飲まれて唯々諾々と受けていただろう。だが現状、それは許されない。
 自分の意思よりも上位のものが有る。それがある限り、レイフォンは自分の意志が弱かろうと、機械的に拒否の言葉を口から出せる。それを一瞬、ありがたいと思ってしまいさえする。そんな自分に気づき、小さく自嘲の笑みを浮かぶ。

 (しがらみ)というものは不思議なものだ。あれば不自由さを感じるというのに、それが壁となり確かな先を見せてくれることもある。ただただ何もない広い空間よりも、たとえ迷路のようであれ、自由を阻む壁が進むべき方向を示してくる。決められていれば動くことに迷いはなくなる。もっとも、壁というよりは鎖だが。
 そんなレイフォンに疑問の色がこもった声が飛ぶ。

「許されて、ない?」

 カリアンにレイフォンの“壁”は見えていない。親元を離れ、故郷を離れ、単身渡った子供。定住するわけでもない地。来たばかりのそれは、ここでの役割さえ何一つない身は、彼から見ればまさしく自由のさなかの存在だろう。
 白地図に絵を描くように、開拓地に未来の虚像を描くように。犯罪を犯した、その事実が、社会の論理を無視したというそれが更にその考えを補足する。
 カリアンの瞳がその真意を探ろうとこちらを見据える。

「ええ。“あのせい”で僕が追い出されたのは知ってますよね。ここに来たのは「一般常識を学んでこい」と陛下……グレンダンの女王から命令されたからです。そしてその為に、武芸科には入るなと」
「女王……その人物の命令は絶対だと?」
「グレンダンに生きる者なら。ですから、僕の意志はどうあれそれに逆らうわけにはいきません」

 もっとも、逆らう気があるのか。そんな気概が自分の中に残っているのかさえ分からないが。

 足に力をいれ前へ。肩にかかる手を押しのけレイフォンは立ち上がる。持っていたペンが床に転がる。そしてカリアンと向かい合う。
 眉根を潜めるカリアンの姿に、彼は一体どこまで調べたのだろうとレイフォンはふと思う。少なくとも全部知っているわけではない。自分がした行為、した理由、辿った過去、その思い。どこまでかき集めたのか。もっとも、今それを知れたところでどうにもならない。知りたいと思うが、これ以上深く聞いて自分の心を揺らすのは得策ではない。はっきりと意思を出せるうちに終わりにすべきだ。

「追放なら別ですが、ありがたいことに温情を貰えました。まだ僕はグレンダンの民で、その恩恵も受けている。許されませんよ。――どうやら勘違いのようで、記入ミスはありませんでした。お返しします」

 書類をカリアンへと差し出す。だが、カリアンからの手は伸びない。探るような冷たい、感情の読めぬ瞳がひたすらにレイフォンを見据える。
 ああ、この眼は苦手だ。先の情を訴えるような目で無くただ観察対象を探るような無機質な眼。相手からの立場が変わってしまったことがひと目で分かってしまう。他人が下す自分の価値が、余りにも容易く変わってしまう瞬間がレイフォンは嫌いだ。

 カチリ。カリアンが眼鏡を軽く押し上げる。

「許されない、か。なるほど」

 何かを確かめるように一度、カリアンが呟く。

「君はそれでいいのかい? レイフォン・アルセイフ」
「……よく意味が分かりませんが」
「君自身の意思を聞きたいという事だ」

 カリアンの瞳が元の様相に戻る。何かを探り終わったのだろうか。何かを含む物言いで不敵に笑う。

「ここは君が生まれた都市ではない。女王の命令を守るかは君次第、直接的な強制力あってのもではない。極端な話嘘でも付けばいい。私ならそれに協力も出来る」
「そういう話じゃ――」
「私としては、だ。そういう話でいいんだよ。それに君とてそうのはずだ。断る際、何においてもまず君は自分の意思でなく、命令を理由に上げている」

 コツコツ……軽い音、靴の音。カリアンが動き、ソファの後ろからレイフォンの前へと向かう。光の反射したレンズのせいで、その瞳が宿す色は見えない。

「私はね、自分の意思を持つ者が好きだ。夢を持つもの、憧れを目指すもの……そうありたいと思いその生き方を貫く。良かれ悪かれ、そこには力が溢れている。夢見がちな子供の戯言だと笑う大人もいない。そういった者たちの力になりたいと思い、その場所を守るためにここにいる。思いがあるなら、縛るべきではない」

 床に落ちたペンをカリアンは広い、それをレイフォンへ向け差し出す。

「不満はないのかい? 疑問は、迷いは、後ろめたさは……唯々諾々と従い、心を殺す。私はね、私の思いが分かるといった君の意志を守りたい。見えない首輪に従うかい? 君は本当の意味で自分の意思を持ったことがあるのかな? これは鍵だよレイフォン・アルセイフ。武芸科に入りたまえ」

 これは罠だ。ペテンだ。同情を誘っているだけだ。
 それが分かるのに、言葉が出てこない。外でがさりと何かが動く音、衣擦れの音、感覚がやけに研ぎ澄まされている。床が揺れているようにさえ感じる。
 体のどこかが冷えていくのを感じる。けど、まだ、大丈夫だ。だが、これ以上言わせてはならない。目の前のこいつを――

「ですから、僕は……」
「繰り返すだけか。老婆心ながら言わせて貰おう。君は――」







「ぅうらっしゃあああああああああ!!!」








 怒声が、聞こえた。それもかなり聞きなれた人物の。
 視界の端で揺れる、赤毛の尾。
 凄まじい衝撃音で開いた扉。そして視界の中には宙に浮いた飛び蹴りの姿勢のクラリーベルとその背中のレヴィ。
 凄まじい勢いで飛び込んだのだろう。慣性に揺られ、レヴィの体がスライドして分離(キャストオフ)、単身空へ。

「会長! キャッチ!!」
「クッ!」
 
 瞬間、カリアンは身を翻す。体を捻るように無理やり右へ。飛来物(レヴィ)の進路から身を躱す。一瞬の判断、素晴らしい身のこなし。
 だが、レヴィは許さない。獲物をおう蛇の様にうねる腕。鎌の如きそれが偶然カリアンの首をロックする――ッ!
 変則ラリアット。バランスの崩れたカリアンにそれを防ぐ手立てはない。一瞬の攻防を制したのはレヴィ。引き倒され緩衝材(カリアン)へとボディプレスの連撃が襲う!

「きゃふ」
「――ガッ、グフ」

 一撃でノックアウト。TKOも無しの一発KO。勢いで眼鏡が吹っ飛ぶ。デスクにぶつかり書類も吹っ飛ぶ。
 この惨状を作り出した本人はくるりと宙で半回転。足を引っ込め地に降りる。

「……フッ」

 ドヤ顔を向けられても困る。
 一体何がしたいのか。突然すぎる来訪に空気が一転する。泡沫と浮かんでいたナニカの思考も、いつの間にか消えている。取り戻した思考の中、まず最初にレイフォンがした行動。それは取り敢えず騒ぎを隠すために扉を閉めることだった。

「私たちをお腹空かせておいて、自分は可愛い先輩といちゃこらですか。良い身分ですね。ご飯奢れ」
「あの、そういうつもりじゃなくて……ちゃんと覚えてたんですけど、少しだからって言われて……」
「私はお腹がすいてるんです!」

 胸ぐらを掴まれてグワングワンと揺すられる。何だこれ。何でこうなった。レイフォンの思考は事態の急転についていけず白旗だ。取り敢えず財布は右ポケットにはないですクラリーベル様。

「君は、誰だ。何の用かな非常識な」

 全力で同意したい。
 レヴィの下から這い出したカリアン。それを見てクラリーベルの手がレイフォンから離れる。レヴィは飛んでいった眼鏡を掛けて後ろで遊んでいる。

「出ましたね元凶。寝ていればいいものを。起きたのならば私にご飯をおごりなさい」
「君と後ろの彼女の御蔭で沈みかけたがね。星が見えたよ」

 クラリーベルを見ようとして、カリアンは眼鏡がないことに気づく。クイックイッとかけた眼鏡でポーズをとって遊んでいたレヴィから「あー」と文句を貰いつつ奪い、かけ直す。

「……君はどこかで」
「クラリーベル・ロンスマイアです。グレンダン出身の。お昼代の請求とレイフォンの迎えに来ました」
「ああ、グレンダンの。なるほど通りで。スコールくん、話があるから君は一体外へ……引き出しを漁っても何もないぞ。やめたまえ」
「えー」

 渋るレヴィをさっさと追い出し、カリアンはデスクの横に立ってクラリーベルと向かい合う。

「出来れば君も出て行ってもらいたいのだがね、ロンスマイア君。私はアルセイフくんと話がある」
「武芸科転入の話ですか? 下らない。それよりお昼代をよこしなさいメガネ」

 心底どうでもいい。そう言うかの如くクラリーベルは吐き捨てる。
 一体どこで聞いたのか。一瞬、カリアンの眉根にシワがよる。

「……武芸者の五感を舐めていたよ。扉越しに聞こえていたとはね。とするとやはり、さきほどの揺れは君か。だが、理解しているのならば話は早い。この都市の命を繋ぐため、アルセイフ君には武芸科に入ってもらいたい」
「命……都市戦ですか。なるほど、理解は出来ます。為政者としては真っ当ですね」
「理解が早くありがたい。彼ほどの力、秘しておいては宝の持ち腐れだ。使えるものは使わねば。もし、君も武芸者だというのなら君も――」
「――だが、私たちの知ったことではない。ンな話却下です却下!!」
「――ッ!?」

 クラリーベルはレイフォンの手から用紙を奪い取り、それをカリアンに向け投げ飛ばす。そしてそのまま言葉の止まったカリアンに対しまくし立てる。

「私たちはグレンダン女王、アルモニス陛下の命によってここにいます。そして陛下は私たちが武芸科への入ることを禁止されました。監督役として、その命を破らせるわけにはいきません」

 足元に落ちた紙を拾い、カリアンの目がクラリーベルを睨む。

「なるほど、君が首輪か。個の意思を縛る、それは時として個を殺すことになる。彼の意思を私は尊重したい。直接的な暴力があるわけではなく、この場に女王はいない。君が黙り、私が手を貸せば女王は何も知れんよ。理解できるというなら手を貸したまえ」
「法は規律です。鎖が嫌だというのなら受ける恩恵全てを放り投げて野生にでも生きればいい。制限無き開放など可能性の道さえ示せない。グレンダン三王家に身を置く跡取りとして、陛下の命をこの場で破る気にはなれませんよ」
「ッ……三王家、だと」

 目の前の存在が何なのか気づきカリアンは歯噛みする。
 グレンダンを統率する柱の一つ。その跡取り。天剣候補の監視役という立場を考えれば当然と言える存在。本物の為政者の一端。当然、その実力もしかり。中身とて、その身を内包する一般教養科の制服が似合わないにも程がある化物。カリアンの目に移る彼女の姿は、既にただの学生ではない。

 カリアンの相手は既に彼女(クラリーベル)だ。その後ろで流れが理解できず呆けた顔をしているレイフォンなど既に眼中にない。彼女が現れてから露骨にレイフォンの表情は明らかに落ちついた。場が移ったことを知ったのだ。ならば渡りを付けるは彼ではなく彼女の側。
 どう潜り込む、その理に、心に。折り合いを付けるその境をカリアンはひたすらに探る。
 
「私たちの目的は、バカを起こした後ろの(バカ)に一般教養科で常識を学ばせること。もし転科を強要されるようなことがあれば、他の都市に移るようにも言われています」
「バカの矯正か……なるほど。もし移動するなら、私にそれを止める力はないな」
「ええ。この都市程度の武芸者なら、いくらでも叩きのめせる。……先ほど、この場に女王はいないと言いましたね。それは間違いだ。今回の件において私は代行権限を承っている。――今この場で、彼において、女王は私だ」


「――〝女王はここにいる〟」


 それは宣言。揺るがぬと、揺らがせぬと。
 貴様の手など届かせぬと。
 犬歯を見せ酷く楽しげに嗤うクラリーベルの笑みが、カリアンの望みを絶つ。
 
「……ならばどうするね。現在ツェルニが保有する鉱山は一つ。そして今年は都市戦がある年だ。下手すれば滅ぶ。仮にそのまま続投するとして、この都市が死ぬのは君たちの本意でもないはず」
「ひと……それは酷い話だ」
「そう、酷いのだよ。それを立て直すため、私は前生徒会長を手段を選ばず叩き落とした」

 ん~、と顎に手を当てて小さく声を上げ、クラリーベルは暫し思考を巡らす。思い出すのはアルシェイラからの命。そしてもしもの時はある程度の裁量権が自分にあることを思い返す。

「今年は一敗も出来無い。都市戦だけでも力を貸してくれれば十分だ。その後はいくらでも元に戻ってくれて構わない。それなりの恩賞も渡すよ」
「……武芸科への転科は何度も言いますが拒否します。本来は、その力を晒すことさえです。面倒事はゴメンです」

 視線を窓に向けつつ、返す言葉はやはり否。だが、

「ですが、憂慮の事態が起きた場合、ある程度自由な判断を許されています。面倒ですが、都市戦の時だけは力を貸します。それが最大限の譲歩。これ以上を求めるなら他都市に移りますので」
「規約として基本、都市戦参加は武芸科の生徒だけなんだがね」
「その辺はそっちで何とかして下さい。最高権力者でしょう。無理なら死に行く都市に用はありません。さっさと他へ行きます」
「君は権力者を何か勘違いしていないか……?」

 うちの権力者なら出来ますけどね……とクラリーベルは小さく呟く。
 その呟きを呆れたように聴きながら、カリアンは嘆息する。

「本来そう好き勝手出来るものではないんだがね……分かったよ、その辺りは何とかしよう。正規の生徒だ、何とか誤魔化せるだろう」

 背に腹は変えられぬとばかりにカリアンは了承する。
 その答えを聞き、クラリーベルは小さく口笛を吹き指を鳴らす。

「やれば出来るじゃないですか。錬金鋼とかその辺もお願いしますよ。あと、一般生なのにただ働きは嫌です。別途報酬もあったりしたら嬉しいです」
「もともと都市戦に貢献した者には報奨金が出る。その辺は大丈夫だ」
「なるほど、でしたら現状はそれで結構。話は以上ですか?」
「ああ、協力が取り付けられればそれで今は満足だよ。無理を言って嫌われても困る。話はここまでだ。失礼したね」

 ひょこり、レイフォンが動く。途中からクラリーベルに託して案山子になっていたが、話が終わったことを理解して動き出したのだ。取り敢えず現状のままでいいらしいということを理解し、レイフォンは安堵する。

 用件が終わったのなら帰ろう。そう思い、クラリーベルに声をかけるべくレイフォンは口を開く。その声が出るより早く、クラリーベルは一歩前へ出る。そして手を伸ばす。

「なら、ここからは私の用件です――お昼代を寄越しなさい。財布を早く出すのです」
「は?」

 不満気な表情で手を伸ばして言い放つクラリーベル。突然のカツアゲ宣言を受け流石のカリアンも理解が及ばない。呆けた視線がクラリーベルに向かう。
 反応がないカリアンに痺れを切らすように、伸ばした手がぷらぷらと揺れる。

「あなたがレイフォンを攫ったせいで私たちはお昼が食べられませんでした。朝から食べていないのにその仕打ち。その責任は取ってもらわねば」
「う、うん? ちゃんと朝起きて食べれば良かっただけで、私は関係……」
「あるんです! 何朝を持ち出してうむやむにしようとしているんですか! 問題はあなたのせいでお昼を食べられなかったことでしょう!!」
「いや、君がだね」

 バンバンバンバン。デスクを叩くクラリーベル。ひたすらにフリーダムに、空腹でブーストされた苛立ちを目の前の元凶にぶつけていく。
 カリアンは何故こうなったのか全く理解できず苦悩する。クラリーベルトの付き合いが長いレイフォンでさえ現状は理解できていないのだから仕方はない。

 カリアンとしては話が終わったのだから二人にはさっさと去って欲しい。時間が経って暇を持て余した役員でも来たら説明が面倒だからだ。レイフォンはともかく、クラリーベルの方には理由が現状ない。変に興味をもたれて探られたら多少困る。生徒会長としては忙しいこの時期、出来れば早く書類も片付けたい。

「そっちの都合の問題なんですから、損失の保証もそっち持ちでしょう。高い店で奢ってもらえるはずだったんですよ! それを蹴らざるを得なかったのですからこの後食べに行く分、あなたに払って貰わないと」
「……はあ。いくらだい」

 カリアンは諦めて財布からカードを取り出す。これ以上話しても埒があかない上、協力を取り付けた相手からの印象を悪くされても困るからだ。早く終わらせるためにもここは折れるのが一番。
 カリアンとして悲しいのはその代金が自分のポケットから出ていくことだ。生徒会長としての権限で予算を使おうにもこんな理由で予算が割けるわけがない。ちょろまかすにはリスクとリターンが余りに釣り合わない。

 都市内において通貨代わりに使われている電子カード。キャッシュデータの振込金額をフリーの状態でクラリーベルへと差し出す。それを受け取りクラリーベルは自分のカードへと代金を受け渡しカードを返す。

「はい、どうも。じゃあ私たちはこれで。ご飯食べに行きますよレイフォン」
「え? あ? あ、はい。すみません、僕たちはこれで失礼します」

 久しぶりに呼ばれ一瞬理解が及ばないレイフォン。カリアンに退出の挨拶をしつつクラリーベルに手を引かれ、明らかに凹んでいる扉を通ってレイフォンは部屋から出る。途中にいた何故か不機嫌なレヴィに挨拶しつつ、レイフォンは生徒会塔から出て行った。














「話は終わりましたか?」
「ああ。済まなかったね追い出して」

 外に出ていたレヴィを迎えつつ、カリアンは床に散らばった書類を纏めデスクの上に戻していく。一枚でもこれが無くなったら面倒なことになる。拾いきり、見落としが無いか確認してデスクに座る。

「何の話だったんですか?」
「言っただろう、書類の不備だよ。後から来た彼女はまあ、彼の保護者みたいなものだ。居場所がわからず心配で探していたらしい」
「へー。何か荒れているみたいでしたけど、大丈夫でしたか?」
「ああ、大丈夫だよ」

 そう、大丈夫。レイフォン・アルセイフの入学書類を眺めながら、カリアンはそう呟く。何の問題もない。
 クラリーベル・ロンスマイアの介入は予定外だったが、結果は許容範囲内で収まった。全くの無協力、そうなれば最悪だったが、そうはならなかった。彼女の言葉から完全な拒絶は無いというのは分かった。そして無慈悲な人物ではないとも。ツェルニに後がない事を示したら考える素振りを示した。

 妥協点があるとわかれば『武芸科への転科』という無理を暗にぶつけつつ『都市戦の協力だけで充分』と代案を表に出し、恩賞も示しあくまでもそちら側の権利を重んじる、といった体を出せた。前年の生徒会長を例に出し、自分がかける思いも暗に訴えた。結果、相手は妥協案を出してきた。
 そう、何の問題もない。相手の心に、自分の考えを滑り込ませられた。

 目的はあくまでも都市の延命であり、彼らを武芸科に入れることではない。目的と手段を履き違えることほどバカバカしいこともない。
 そう、彼ら二人の力を借りる上で、現状何の問題もないのだ。

「逃げられさえしなければいくらでも手段はある」

 小さく呟きながらレイフォンの書類を元の場所に戻す。
 ティーセットを棚から出し、ソファに座ってお茶を飲んでいたレヴィがそれを目ざとく見つける。

「あー、会長何か悪い顔してる。その笑い方何か怖いですよ。悪人面」
「その程度、飽きるほど言われ慣れてるよ」
「後輩いじめちゃ可哀想ですよ。アルセイヌ君いい子で好きですよ私」
「『いい子』か……どうなのかな。まあ、名前を間違えられていては世話ないよ」
「?」

 不思議そうな顔を向けられるが、生憎訂正する気はカリアンにはない。「仲間な気がするんだけどな」と呟きつつお茶を飲むレヴィを横目で見る。そう言えば腐る、とは何だったのだろうか。まあいい。名前の訂正も含め後回しだ。レヴィの面倒な性格は役員として知っている。変に突っ込めば違う違わない論争がめんどくさい。

 頭をほぐすように指で額を揉み、目をつぶってひと呼吸。カリアンは頭を切り替える。生徒会長としてやらなければならない仕事はまだ山積みだ。もう暫くしたら他の役員たちも部屋に来るだろう。
 ふと、お茶を飲み終わったレヴィがカリアンの方へ歩いてくる。そして近くの窓を大きく開ける。

「さっき何か……」
「――何をしている!?」

 カリアンの声が届くより早く、入ってきた風が書類を吹き飛ばし床に撒き散らす。
 無言で近づいたカリアンは窓を閉め、そのまま散らばった書類をまた拾い集めていく。

「そこの窓は開けるなと言っておいた思ったのだが」
「あはは……何かが外にいたような気がしまして、つい」
「猫か鳥だろう。どうせならそこからさっきの様に飛んで確認したらどうだい。今の私ならきっと止めないだろう。もっとも、今度は緩衝材はないがね」
「すみません。手伝います」

 散らばった書類を拾い集め、今度は飛ばないようにとちゃんと纏めクリップなどで留め置く。続きをするためにカリアンは席に戻り、ペンを握る。

「財布出てますけど、これは盗ってくれという私へ……」
「そんなわけないだろう、バカを言うな。触らない触らない」
「冗談ですよ。そう言えば処理の終わった書類って運んじゃっていいですか? そっちの山ですよね」
「ん? ああ、少し待ってくれ」

 山の中から書類と封筒を見つけ、封筒の方だけを山に残し書類を取る。
 これは『未だ』だ。
 山を受け取ったレヴィが不思議そうな目をする。

「なんですか今の? もう終わったんじゃ……」
「いや、これはまだ終わってなくてね。私の方で片付けておくから気にしなくていい」

 部屋から出ていったレヴィを見送りつつ、カリアンは手元の書類に目を通す。
 『これ』は協力をすんなりと得るための武器の一つだ。

「偶然、か。こういうのもアレだが、全くありがたいことだ」

 悪人面、そう言われた顔でカリアンはほくそ笑む。見知らぬ他人が見たら一発で悪役だと断ずる顔で。
 ああ、そう言えばとカリアンは思い出す。他にも人と会う予定があったのだ。役員が揃う前の時間を告げていたためそろそろ来る頃だ。最初告げようと思っていたことはもう出来ないが、さてどうしよう。どう動かそう。

 思考を楽しむカリアンはふと、出したままの財布に気づく。出したままは危ないと手に取り、そう言えばとカードを取り出して記録を見る。

「……十万、だと」

 王家の人間は価値観までも違うのだろうか。
 その疑問を抱きつつ、これで友好的になれるのなら安い。
 聞こえてきたノック音に返事を返し、開いた扉から入ってきた相手を見つつ、そうカリアンは自分を誤魔化した。
















「いやほんと、あれは腹黒いですよ」

 商業区の一角、飲食店の並ぶ通り。そこに居を構える高級店に三人はいた。
 ここツェルニの店は基本生徒が運営している。この店もその他分に漏れず、店主は学生だ。なんでも実家が料理屋で小さい頃から修行していたらしく、見聞を広め得るために来たここで店を開いたら当たったらしい。もっとも高級といっても周りと比べてであり、学生の街である以上そこまで天井知らずではないのだが。

 取り敢えず美味しそうなものを片っ端から頼み、それを食べながらクラリーベルはカリアンへの愚痴をこぼす。

「私がいなければ絶対脅してましたね。ダブルバインドもどきもしてましたし詐欺師みたいでしたよほんと。レイフォンももっとちゃんと断ってくださいよ」
「断りましたよ。でも受け入れて貰えなかったんです」
「意志が弱いんだと思う。レイフォンは間違ってないんだから、もっとちゃんと言わないと」
「ですよね。強気で行っていいんですよ。いざとなれば別の都市行くだけなんですから」

 値段を気にしたレイフォンに「会長持ちですから」と告げられた料理の品々。クラリーベルとアイシャは遠慮なく、レイフォンは高い飯に少し気が引けつつも食べていく。
 周りを見ればほかにもチラホラと客がいる。だがパッと見でもわかる育ちが良さそうな生徒ばかり。その中で遠慮なくガツガツ食べる自分たちにレイフォンは少し肩が狭い。

「どこも政治家ってあんな感じなんですかね。うちの陛下も自分本位で好き放題というか。まあ、陛下の場合は頭動かすより力押しですけどね」
「いつも言ってますけど、シノーラさんってそんな、その」
「一応、これだけはしなければ、っていうことはするんですけど、それ以外はエアリフォン卿……カナリスさんに投げてます。昼寝したり脱走したりですね」
「つまり、駄目人間ね」
「その通りです。見習っちゃいけない人です」

 もきゅもきゅと頬をふくらませてクラリーベルは頷く。それにしてもどれだけ食べるのだろう。武芸者であるクラリーベルはまだしも、朝を抜いているとはいえアイシャの食べるペースは落ちない。一体細い体のどこに入っているのかレイフォンには疑問でならない。
 食事をしながら、朝のことについてクラリーベルはクラスが違ったアイシャに喋る。
 
「アイシャさんの方は何かありました? 入学式の事とか、これからのこととか」
「近くに座った子達と少し話したくらいで、同じだと思う。私たちみたいに同じ場所から三人で来たって。ただ、その子は騒動の性で骨折して、凄く臆病になっていた」
「それは災難でしたね。……すいませーん! 香草焼きと揚げ団子追加でお願いします」
「かしこまりましたー」
「あと、この店で一番高いやつもお願いします!」

 ザッツ豪気。自分ひとりなら一生涯絶対にしないだろう注文の仕方にレイフォンは気が遠くなりそうだ。それに注文ならウェイトレスを呼べばいいのにそれも無視。高い店だけに周囲の目が痛い。思考を停止しただ出てきた物を黙々と食べるマシーンにレイフォンは徹する。

 こんな機会でもなければ高い飯を食べることなどレイフォンにはない。味を覚えるようにしっかりと噛んで飲み込む。高いだけあって下味がつけられている食材にそれを昇華させる計算された火の通し。肉は柔らかく野菜はシャキシャキと新鮮だ。合成甘味料などといったものを一切感じない抑え目で他の食材の味と混ざり合った旨み。いくらでも食べられそうだ。

 周囲からの視線も何のその。ひたすらに心を殺してレイフォンは食べる。だがクラリーベルはまだ思うところがあるのか話はカリアンの愚痴りに再度移り喋り続ける。

「あの会長まだ諦めてません、気をつけて下さい。どうせ何回かに分けて懐柔する予定だったでしょうし。あれは絶対裏で何かやってる顔ですよあのメガネ」
「はい、その通りです。あの眼鏡は色々と汚いことやっていますよ」

 同意の声にクラリーベルはうんうんと頷く。

「やっぱりですか。歯向かうものは制裁、とか。嫌ですよねほんと」
「私が聞いた話だと選挙の時の対立候補にしたことは酷く、裏から手を回して引きずり落としたとか何とか。洒落は通じないが真面目で優しいと言われた前生徒会長はその性で」
「結果よければ、とか思ってそうですよね。絶対机の上で腕組んで含み笑いとかメガネ指で動かして悦に浸るタイプですよあれは」
「人のことなんて考えていませんよ。相手の意思を無視して勝手な決定とか嫌になります」
「真っ黒ですね」
「はい、真っ黒です。性悪です。気に食わないです」
「気に入りませんね……で、あなた誰です」

 いつの間にか会話に加わっていた相手をクラリーベルの瞳が捉える。レイフォンとアイシャもそっちを見る。

 第一印象は人形、人によっては妖精などというかもしれない。静謐な輝きを讃える腰まで届くほどの長い輝く銀髪。芸術品のように整った容貌と白い肌、感情を読めない無表情がことさら人間離れした美を意識させるだろう。

 そんな美少女、という言葉が当てはまる制服に身を包んだその少女はふと、揚げ団子を指差す。

「貰ってもよろしいでしょうか。好きなんですそれ」
「どうぞ。何ならもうひと皿頼みましょうか?」
「いえ、そこまでは」

 団子を一つ摘み、少女は口へ運ぶ。頬を膨らまして咀嚼していく。無表情で口だけ動いているのが妙にミスマッチだ。好物ではなかったのだろうか。
 暫し続く無言の時間。三人に見つめられながら、刺繍の色から上級生だろう少女はこくりと小さな喉を動かし団子を飲み込む。

「ご馳走様です。フェリ・ロス、と言います。会長の悪口を言っていたのでつい参加してしまいました」
「クラリーベル・ロンスマイアです。つまりロスさんも……」

 言いかけたクラリーベルに対し、フェリは軽く首を振って制止する。

「フェリでいいです。私たちは同士です」
「……なるほど。私もクラリーベル、或いはクララで良いですよフェリ」

 二人が握手を交わすのをレイフォンとアイシャは黙って見ていた。正直、よく訳がわからないからだ。取り敢えず仲良くなったらしく、そのままカリアンの悪口を言い続ける二人を横目にレイフォン側も食事を続ける。育った環境故に食事を残すは嫌なのだ。

「アイシャちょっと……」
「はい、ソース」
「ありがと」

 ほくほくした揚げ物をサクっと。断面から溢れてきた肉汁に慌てつつ零さないように一気に口へ。油の熱さに悶絶しながら噛み砕いていく。歯が当たるだけで切れていく肉の柔らかさ、染み出す肉の旨味。それをホンの少しの自家製ソースの味がコクを出しレイフォンの口の中に広がる。

 存分に味わって飲み込んだあと、アイシャから渡された冷水で口の中を冷やす。至福の時間である。今度は塩をかけて食べてみる。これも旨い。あくまでも塩はアクセント、肉の味が引き立つ。余計なものと混ざらない肉の旨みが舌を直撃、絶品である。

 ふと、アイシャから魚の切り身が出される。

「レイフォン、これも良かったら食べる?」
「ありがとう……手、どうしたの?」

 伸ばされたアイシャの右手の掌には傷がある。擦過傷と、何かを強く握ったようなそんな赤い痕だ。見た限り出来てからそこまで時間は経っていない。

「ちょっと転んだだけ。気にしないで」
「あとで消毒した方がいいよ」
「分かった。……やっぱり、動くなら体鍛えたほうがいいよね」
「? まあ、転びづらくはなると思うよ。体幹が安定するのは大事だから」
 
 それはさておき、アイシャが出した料理をパクリ。香草で包まれた魚の身は柔らかく、大根下ろしがよく合う。油に濡れたレイフォンの口の中がさわやかな風に包まれる。
 実際に自分も料理を作ってきた身としてどうすればこの味が出せるのか。レイフォンは興味がわいてくる。それを突き止めるようにさらに味わって食べていく。麻婆豆腐、卵スープ、詰め物、デザート……テーブルの上の一通りの料理をレイフォンとアイシャは味わいつつ消費していく。

 そんなことが行われている横で二人の愚痴は終わったらしく、フェリが一旦言葉を切る。

「存分に愚痴を吐けて満足しました。そろそろお暇させていただきます」
「そうですか。よければ一緒に食べていきませんか?」
「いえ、一応用がありますので。……そっちのあなたがレイフォン・アルセイフですよね?」

 話題を振られレイフォンはフェリに視線を移す。相変わらずの無表情の瞳が訴える問いに、レイフォンは頷いて肯定の意を返す。それを受けて納得したようにフェリも小さく首肯する。
 そして親指をビッ!と立てる。

「がんば」
「はい?」

 サムズアップされてフェリから励まされる。
 事態が理解できていないレイフォンを他所に、フェリはさっさと横を通って出口へ向かう。最後に軽くこちらへ向け手を振り、レイフォンには全く理解できないままフェリは去っていった。

「何だったんですか今の」
「さあ? そもそも、食事目的でもなく何故ここに来たのかも分かりません」
「そういうのは考えるだけ無駄。早く残りを食べよう」

 残り少なくなっていた料理をさっさと三人で片付ける。食べ終わり、クラリーベルのカードで代金を払って店を出る。

「幾らぐらいでした?」
「大体貰った分は消えましたね。結構食べましたので」

 クラリーベルがいくら取っていたのか知らないレイフォンは「まあそのくらいか」と納得する。そこそこ高いだけで普通の料金だと勘違いしているのだ。

 太陽は天頂から落ちたといえまだ空は青く明るい。かといって特に用もないので三人はさっさと家路につくべく繁華街の中を歩いていく。バスに乗ってもいいが、この時間なら適当に店を見ながら帰ってもいい。

「訓練器具残りどうします? 多分もう少しで買えますけど」
「確か、お金を頼んだんだっけ?」
「ええ。ちゃんとしたのを買うと高いですからね。全部を一度には無理です。足りない分を結構前に要請して、多分そろそろ来るんじゃないかなと」
「ですね。時間もあるし、ちょっと見て行きましょう」
 
 区画を移動し専門店に行ってどういったものがあるのか再度見て回り時間を潰す。いい暇つぶしだ。

「道具、私も使っていい?」
「アイシャも? 別にいいよ。鍵は後で渡すから」

 他にも適当に店を見回りつつ商業区のアーケード街を通っていく。

 遅刻して走った朝の街とは全く別の、人気にあふれた街だ。店を運営する学生は皆持ち場に戻り、それを利用する側の生徒もまた戻っている。自分たちと同じようにブラブラと歩いているもの、恋人なのか異性と歩くものなど様々だ。これがこの場所の本来の姿なのだろう。

 この場所の彼らのように、レイフォンも経済活動に参加しなくてはならない。バイトという形でだ。現状、まだ一つしかしていないそれを思いどうするべきかと悩む。週の内入れているのも二日でそこまでの負担ではない。
 経験を得るためにも後々あと一つ程は別のものを増やさないといけないだろう。クラリーベルも同じような状態だ。アイシャに関してレイフォンはよく知らない。何でも、学校が始まってから決めるとか。

 シュナイバルでのバイトやグレンダンでしたバイト擬きなどのことを思い出し、心が痛くない物を探し当てられるようにとレイフォンは祈る。肉体的に辛いのはいいが、精神的に辛いのはほんとうに辛い。シュナイバルでは一時期それで病みかけるほどだったのはいい思い出だ。やはり一番は人間関係、ある程度の下調べは大事だ。

 そんな事を考えていたレイフォンは、前を歩いていたクラリーベルが止まったことに気づかずぶつかってしまう。

「どうかしましたか?」
「あれ、何でしょうね」

 指差された方を見る。遠く、人並みの向こうにフェリが見えた。

「……え?」

 人混みの向こうに、だ。
 行きかう人々の頭の上にぴょん、と。まるで浮いているかのごとく腰から上が出ていた。明らかに等身のおかしいそれがじっとレイフォン達を見ていた。そして不意にこちらをピッと指差したかと思うと、ジグザグに動きながらこっちに向かってくる。
 
 思わず逃げ出そうとクラリーベルと一緒にレイフォンはアイシャの肩に腕を回し支える。そのまま足に力を込め走り出そうとするのと同時、フェリ? が人並みを越えてその全体像を表す。その姿を――否、腰から下を見てレイフォンの足が止まる。


 分かっていた。
 どこか、予感はあった。
 あの入学式で、あの剄の波動で。もしかしたら、あの人がいるのかもしれないと。恐ろしい程に真っ直ぐなあの波動は、昔確かに感じたものだった。

 下にいたのは人だった。フェリは肩車をされていた。
 フェリに弄られたのだろう、強い意志を映し出すような黄金の髪は無造作に束ねられている。可愛い、というよりは綺麗と称される容姿に確かな意志を秘めた瞳。その見に纏う武芸科の制服が、彼女の今の立場をレイフォンに教える。

 もう会うことはないと思っていた。最後の誓いを自ら破ってしまって、後ろめたさで手紙を読むこともできなかった。その瞳に貫かれ、あの時の別れがふと脳裏に蘇る。足が過去に囚われ、地に根を張ったように吸い付き、動かない。横で疑問を浮かべるクラリーベルたちに意識が割けない。

 一歩、また一歩と彼女が近づいてくる。あの時よりも背が伸びた。力をつけたのも見ただけでわかる。彼女は懐かしさを噛み締めるように、何を言うか考えるように小さく微笑んでいる。

 レイフォンは逃げ出したかった。憧れた彼女に、何か言葉を返せるようになんて思えなかった。きっと、あの意志を貫き続けただろう彼女に、自分は何を言える。けれど、足は動かない。もしかしたら、そんな自分に何かを言って欲しいのかも知れない。

 そんな思いが巡る。巡り、彼女が、目の前に立つ。気づけば、レイフォンの自然と口は開いていた。



「お久しぶりです――ニーナさん」
「“次”はあったな。ああ、久しぶりだレイフォン。あの時の約束はまだ有効か?」




 かつての弟子とでも言うべき存在、ニーナ・アントークはそう言って笑った。
 
 

 
後書き
これからの投稿形式、というか章についての説明はつぶやき(割烹)の方で説明しますのでよければ読んでもらえると助かります。

取り敢えず住む場所、立ち位置、オリキャラ二人、これから使う設定の種まきがある程度終わり。
さて、原作キャラ出しつつどんどんあさっての方向にズラしていく。


誤字などあれば指摘して貰えると助かります。 
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