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或る皇国将校の回想録

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第二部まつりごとの季節
  第三十六話 庭宴は最後の刹那まで(上)

 
前書き
今回の登場人物

馬堂豊久 陸軍中佐 駒州公爵・駒城家重臣団 馬堂家の嫡流

馬堂豊長 馬堂家当主 退役少将 元憲兵将校

馬堂豊守 豊久の父 陸軍准将 兵部大臣官房総務課理事官

弓月由房 故州伯爵家弓月家当主 内務省第三位の地位である内務勅任参事官

弓月茜 弓月家次女 豊久の婚約者

弓月葵 弓月家長男 豊久の義弟(予定) 外務省の新任官僚

堂賀静成 陸軍軍監本部情報課次長 陸軍准将 憲兵出身の情報将校

舞潟章一郎 <皇国>執政府執政代、衆民院の出身
 

 
皇紀五百六十八年 五月十九日 午前第十刻
馬堂家上屋敷 応接室 馬堂家嫡男 馬堂豊久


「概ね良し、といった所だ。衆民院も分かりやすい成果として歓迎しているようだ。後は君の父君が軍部の干渉を抑えてくれれば問題なく通るだろう。
もっとも、君達の陸軍が水際で防ぎきれるのならばこんな事は必要無いはずだがな」
故州伯にして内務勅任参事官である弓月由房がちくり、と嫌味言う。
 上品な鼈甲の眼鏡越しにじろり、と警察官僚上がりである事を周囲に知らしめる仕種で
若き中佐に視線を向け、言葉を継ぐ。
「正直、守原大将が彼処まで醜態を晒すとは思わなかった」
 守原英康は少なくとも佐官時代は駒州騎兵顔負けの戦果を上げており、護州軍参謀長として参加していた東州乱でも堅実にそこそこの戦果を残している。北領以前の戦績だけで評価するのならば、保守的ではあっても手堅い作戦家であり、陣頭指揮官としては果敢ですらあった。
結局のところ、あの会戦だけに限定するのならば純粋に戦争経験が不足し、組織として〈皇国〉軍が未成熟であった事が守原英康個人の資質以上の問題だったのかもしれない。馬堂豊久も単純にそれだけに限定するのならばむしろ守原英康には同情的だったかもしれない。 だがその後の処理を放棄して逃げだしたことについては酷く恨んでいた――特に面倒極まりない近衛旅団への処置を放置していた事については。
「挙句に君が行方不明になった時には何処で休めば良いのか分からなんだ。
屋敷に戻っても休めなくなったからな――碧までも慰める方に回ったほどには大変だった」
 義父の攻撃に北領の英雄は尻込みしながら冷や汗を流した。
「そ、それについては、その、誠に申し訳なく思っておりますが・・・・・・」
「ならばもう少し、相手をしてやってくれ。あれもお前を――うむ、なんだ、親しく思っているからな」
 義父予定の伯爵が発した咳払いまじりの言葉に豊久は頬を掻きながら首肯した。
「はい、その為にもさっさと<帝国>にはお帰り願いたいのですがね」
 軍人である限り否応なしに公私関わらず、ついて回る問題だった。
「次回の侵攻は夏か秋だそうだな。どうするつもりかね?」
「人も船も頭数が違いすぎますから、陸軍で対処することになるかと〈帝国〉にとってはただ河岸を変えた恒例行事なのでしょうが、我らは、国家の総力をあげて望まねばなりますまい。
それに――連中が衆民達に行う乱痴気騒ぎは姫将軍殿下の御尊顔の様に見目麗しい物ではありませんから」
 豪奢で艶やかな姫殿下を思い出す、こと外見だけで判断するのならば
誰もあんな悲惨な光景を生み出したと信じないだろうが――。
じくり、ととうに癒えた筈の額が疼いた。
 ――――――――――あの姫様もあの光景も二度と見たくないな。

「――あぁ。その為に我々は動いているのだったな」
 アスローン風の正装に包んだ体を姿勢の良く立ち上がらせ、内務省の実力者は鬱々とした沈黙を打ち払う様に窓辺へと歩んでいく。
「私は私の仕事をする。それは変わらん。全ては御国を栄えさせたまま生き残らせる為だ」
 そう告げる弓月伯爵の顔は気品のある貴族官僚のそれだった。
「そして、望まぬ客人を追い返して二度と来ないよう塩を撒くのは軍の役目ですね」
 
「然り、そして早く良き娘を娶るのは若人の役目だ。」

「その点については深く反省しています。ですが正直なところ、連中が敗けるまで皇都に身を落ち着けられるかどうか怪しいものです」

「我々が勝つのではなく相手が敗ける――か」
漠然とその言葉の意味を理解しているのだろう弓月伯は苦々しそうに顔を歪めた。
 ――日露戦争と同じだ、此方が死力を尽くして英雄的勝利をあげてもまだそれでは足りない。だからこそ過去(ぜんせ)の歴史に習えば此方からも騒乱を煽るべきなのだが――真っ赤なクマさんになったら余計厄介になるか?
「――いや、そうなる前にバラけるか」
 ぼそり、と呟いた豊久へ弓月伯爵が怪訝な顔をして振り向いた。
「うん?」

「あぁ、いえ、大国と云うモノは案外崩れるのは早いって事を思い出したのですよ。」
 ――国家に永遠はない、それは確かだが御国は未だ滅びさせないでおきたい物だ。どうも北領の惨状の所為か自分でも信じられない事だが俺にも愛国心と分類すべき執着があるようだ。
 伯爵と同じく窓に切り取られた皇都の光景を眺めながら豊久が愛国の感傷を味わっていると軽く扉を叩く音がし、柚木が部屋に入ってきた。
「失礼します。大奥様達の御用意がお済みになりました。」
 ――よし、庭宴に向かう準備はこれで完了だな。問題ない――うん、茜さんも上機嫌そうだったし問題ない、筈だ。
「分かった、それでは伯爵閣下。我が主家の誇る上屋敷へ伺いましょうか。」



同日 午前第十一刻 駒城家上屋敷 庭園
〈皇国〉陸軍中佐 馬堂豊久


「良い眺めだな、流石は駒州公だ、羨ましい。――管理費は嵩みそうだけれど」
 駒城上屋敷は皇都にある将家屋敷の中では珍しい木造の屋敷である。そしてその屋敷の三倍近い広大な庭園は〈皇国〉最高峰の庭師達が丹精込めて造りあげられた芸術品であり、一時は文化財にするべきと運動も起きた程のものである。
「――幾ら何でもそれは野暮ですよ。」
 傍らにいる弓月茜がくすり、と笑った。彼女も婚約者として同伴している。
「ですが、此処に住まわないと言うのも少し勿体ないと思いますね。こうした偶の行事でしか使わないのですか?」
 普段は駒城家の人々は基本的に下屋敷で生活している事は広く知られている。
「えぇ、大殿様――駒州公閣下は国事以外では基本的に出かけずに下屋敷で静養なさっていらっしゃいます。若殿様も御愛妾様を上屋敷に住まわせては憚りもありましょう――それに見慣れぬからこそ絶景とも言いますし」
そう云いながらも視線は眼前の絶景を陶然とみつめている。
 ――この美しい光景は中々見ることができない、散々死屍累々の光景を見たのだからこうした光景も楽しまないと感覚の釣合がとれなくなってしまう。
「えぇ、確かにこれは故州でもそうは見られないですね。」
 風光明媚な古都の産まれである茜も感嘆するほどの絶景であった。
「守背山地の絶景に感銘を受けた大殿様が造らせたものです。
池の造形が奥行きを強調していましてね。駒州楓と――「西州萩ですね――皇都でこの両方を育てるのは大変苦労がしたでしょう」
 一瞬、青年将校が眉を顰めたのを見て取った許嫁が言葉を接いだ。
「――ありがとうございます、ですがその甲斐があって――あのように守背山脈を庭園の光景と同一化することができたわけです」 
静寂が戻り、二人は丁寧に整えられた萩と楓に縁どられた泰然とした山脈を眺める。ほんの数寸の間ではあるが、時が止まったかのうように静かな時間が訪れた。
 しかしながら、この庭園で行われるのは宴であり、それは即ちこの国の運命を決定づける面倒事が飛び交うものである。
それを知り抜いている豊守は目を細めて二人の様子を観ていたが、そろそろ頃合いか、と歩み寄った。
「英雄の顔を皆が見たがっているぞ。堂賀殿もいらしているし、顔を見せておけ」

「はい、父上」
 豊守は必要とあらば精力的に動くことを厭わない人間であるが、東州内乱で受けた戦傷によって、杖なしで歩く事が出来ない身である。もっとも、それでも逆に豊守の周りに人が集まるのだが。
「茜さん、そちらの馬鹿者を助けてやってくれ。軍務の外となると老猫みたいなだらけた性根の持ち主でね」
 豊守の言い草に茜はくすり、と笑った。
「はい、豊守様」
 
「豊久さん。もう、軍務に戻ると聞いたのですが、本当ですか?」
二人で宴席へと赴くと茜の弟である弓月葵が目敏く見つけて声をかけてきた。
「あぁ、もうじき前線に出る準備にとりかからなくてはならないからな――と」
 葵は早々に話し相手をみつけていた。
「ふむ、当然ながら君も来ていたか、久しいな、馬堂大尉――いや、中佐か」
 見覚えのある太鼓腹を無理に軍装で包んだ男が相手であった。
「三崎大佐、お久しぶりです――まさか、こちらの庭宴にいらっしゃるとは思いませんでした」
かつて監察課に居た時には豊久の上官だった。だが、彼自身は安東家の重臣団に籍を置いている人物である。
「あぁ、だが今回ばかりは色々あってな。私の前任者が君の父君である事も理由の一つで――まぁそう云う事だ、こっちも色々と事情がある」
と云って三崎大佐は肩を竦めた。
「という事は、大佐殿は兵務局の対外政策課長殿ですか。見事な栄転ですね」
 ――成程、安東吉光・・・・・・兵部大臣派って事か。
 安東家の方針を巡る対立構造を探る事も必要か、と豊久は銃後に残る父達に同情しながら頷いて見せる。
「一歩遅かったら東州鎮台の聯隊長だった。私は運が良かったよ」
「私と違って」
と豊久が口元を歪めて云うと
「相変わらず言い辛い事をあっさりといってくれるな」と三崎も同様に笑った。
「ま、それで色々と君の義弟君と仕事の話をしていたところなのさ」
そう云うと、若い外務官僚も同じく、と頷いた。
「はい、そういうことで色々と教わっていました」
「あまり悪い遊びを教えないでやってくださいよ?」
「君みたいに?」
「私みたいに」
そう云って軍人二人がHAHAHAHAと声を上げて笑っているのを見て外務官僚も苦笑いして肩を竦めた。
「――どの道、悪い遊びを覚えさせられそうですね」
「今から面の皮と胃壁を厚くしておくべきだな――と、そろそろ失礼します、大佐殿」
 後ろから茜が軽く背を叩いたのに気づいた豊久が三崎に敬礼をして彼らの卓から離れた。

「それで、どうしたんですか?」
「御父様達がお呼びみたいですよ」
弓月伯と豊長がこちらに視線を向けているのに気づいた。それに、名前を思い出せないのだがどうにも記憶に引っかかる男が共にいる。
「――また面倒なことになりそうだなぁ」
「・・・・・・大丈夫ですよ、きっと」
肩を落とした豊久に茜も力なく笑いかけた。

「しかし、こうして執政代殿がいらっしゃって下さるとは、嬉しい限りですな」
「いやいや、豊長殿。こうした一朝有事の際にこうして友誼を深める事は大事な事だ、私も労を惜しむことはしません」
 ――あかん。
 にこやかに二人と談笑していた男を観て豊久は思わず後退りしそうになる脚を意志の力で押さえつけながら呻いた。
 舞潟章一郎――衆民院がかつて官選機関であった頃からの最古参議員であり、現在は第一党である皇民本党総裁にして、執政府次席である執政代の地位に衆民から初めて選出された大物政治家である。
 太平の時代においては民政優先反軍縮小を掲げ、安東家と組んで東州への官民両方の大規模投資の旗振り役を務めたかと思えば駒州を要とする大規模な街道整備に関して内地の土建屋や五将家と組んで水軍・廻船問屋連と予算を奪い合ったりと目敏い機会主義者として有名であった。
「――ふむ、ちょうど話題になっていた者が来てくれたようですな」
弓月伯爵は近寄ってきた義理の息子予定者と娘を手招きしながらそう云った。
「ほう、君が馬堂豊久中佐かな?それにそちらが弓月伯の御息女か」
「舞潟執政代閣下。お久しぶりです、御目にかかれて光栄です」
「父からよくお話を伺っています、執政代閣下。」
 老年の衆民政治家はにこやかに二人のあいさつを受けた。
「あぁこちらこそ会えて光栄だ。私も貴官と言葉を交わしたいと思っていたんだ。
――失礼だが、どこかであったことがあるかな?」
「はい、閣下。閣下は覚えていらっしゃらなくて当然ですが」
 ――そもそも、言葉すら交わしていないし。
と内心で付け加える。
「その通りですな。閣下にお会いした頃の中佐は、私の副官のようなものでしたから」
とそう云いながら堂賀准将が背後からあらわれた。
「ほぅ、そうか。その時に」と舞潟が笑みを浮かべてうなずいた。
「閣下、挨拶が遅くなってもうしわけありません」
「構わんよ、私も豊守殿とここの若殿のところに居たのでね」と堂賀はかつての部下に笑って見せた。
「相変わらず“仕事”を楽しんでいるようだな」
「隊長殿に仕込まれましたのでね」
とかつての部下であった堂賀が豊長と笑みを交わす。
「・・・・・・なんかすみません」
「いわなくていい――それに君も大概だ」
かつての憲兵隊長の孫と、憲兵達の再就職先――警保局を司る義父が苦笑を交わすのを横目に執政代は興味深そうに駒州公の側近と情報課次長の会話に耳を澄ませていた。



 ようやく一通りのあいさつ回りをすませ、は人混みから多少は離れた卓に辿り着くと豊久は戎衣の襟元を緩め、情けない声を上げた。
「せ・・・精神的に疲れた・・・」
 よもや執政代にまで引き会わされるとは豊久も流石に予想しておらず。緊張の糸が緩むと同時に疲労感が押し寄せてくる。
「御祖父様・・・どこまで顔を広げるつもりなんだろう」
「お疲れ様です」
と茜はそっと黒茶を注いだ湯呑を差し出す。
「・・・あぁ、ありがとうございます」
 だが一息つく間もなく聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あら、御姉様に義兄様」
「あら?茜に馬堂様。お久ししゅうございます。」
 二人の視線の先に居たのは三十路前と思われる妙齢の女性とその後ろにちょこんとついている弓月碧だった。

 
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