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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第二百五十四話 赦しを請う者



帝国暦 489年 5月 31日  オーディン  新無憂宮   アントン・フェルナー



新無憂宮の南苑にある一室。薄暗い陰気な部屋だがそこにテーブルを挟んで三人の男が集まっている。俺が一人、俺の正面に二人……。流石にちょっと遣り辛い。
「それで、どうなのかな、フェルナー課長補佐」

その課長補佐って言うのは止めて欲しい。出来れば准将って呼んで欲しいが無理だろうな……。相手は軍人じゃない、司法尚書ルーゲ伯爵、俺の上司だ。眼鏡をかけた初老の男、俺は未だこの老伯爵が声を上げて笑ったところを見たことが無い。灰色の実務家、そんな感じだ。

「アルフレート・ヴェンデル、彼が地球から戻って既に一週間が経ちます。しかし地球教との接触はまだ確認できません」
老伯爵が無言で隣を見た。遣り辛いよな、フンとかチェッとか或いは眼に何らかの反応を表してくれればいいんだがそういうのが全然無い。無表情に隣にいるエーリッヒを見ている。誰かに似ているな、誰だっただろう。

おいおい、なんか言えよ、エーリッヒ。お前まで黙るな、俺が遣り辛いだろう。大体お前ら二人を相手にするのはすごく遣り辛いんだ。ルーゲ伯爵は形式上、俺の上司。エーリッヒは事実上、俺の上司。アンスバッハ准将が俺にこの仕事を譲るはずだよ。

「フェルナー准将、彼の行動で不審な点は」
そうだよ、課長補佐よりずっと良い。やっぱり卿は友人だな。
「二つ有ります。一つは彼がサイオキシン麻薬を使用しているのが分かりました」

二人の視線が俺に集中する。似ているな、この二人の視線。事実だけを知ろうとする眼、怜悧な光を湛えている。二人とも弁護士資格を持っている、法に携わる人間ってのはこんな目をするのかもしれん。
「彼の毛髪を採取しました。サイオキシン麻薬常習者特有の成分が検出されました」
二人が頷いた。証拠を示せか。

「もう一つは何かね、課長補佐」
「彼は広域捜査局が所有する個人情報ファイルにアクセスしようとしました。対象者はエーリッヒ・ヴァレンシュタイン宇宙艦隊司令長官です。ファイルには最高機密に指定されている部分が有ります。当然ですが彼の持つアクセス許可レベルでは閲覧は不可能なのですが非合法な手段でアクセスを試みたようです」
二人が顔を見合わせた。

「それは私が対地球教の最終責任者と知っての事かな」
「いえ、それについては分かりません。彼がその事を知っていると言う確証は今の所ありません」
エーリッヒが無言で頷く。伯は黙って見ている。

広域捜査局の前身、社会秩序維持局が集めたエーリッヒに関する資料は膨大な量だった。そして最高機密に指定されている個所もかなりある。俺もファイルの全てを見る事が出来たわけではないが更新履歴だけは確認できた。社会秩序維持局は帝国暦四百八十三年の九月頃からエーリッヒについて調べ出している。サイオキシン麻薬事件が発覚した直後だ。そしてその当時から最高機密扱いの情報が有る。

それ以後エーリッヒのデータは毎年更新されている。他にここまで執拗に調べられた人間はラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵だけだった。伯のファイルもかなりの部分が最高機密に指定されている。閲覧可能者は司法省でも尚書、次官、他数名の局長にすぎない。

「他に私のファイルにアクセスしようとした人間は」
「いません。ファイルにアクセスすれば閲覧は出来なくてもアクセス履歴が残ります。任務以外でアクセスすれば周囲の不審を買うのです。情報関係の人間なら誰もが知っている事です」
俺の答えにエーリッヒが頷いた。

「ルーゲ伯のファイルは如何です」
「今のところは不審なアクセス履歴は有りません」
「狙いは私か……」
呟く様な口調だが不快感や嫌悪感は感じられない。普通は調べられていると分かれば嫌な顔をしそうなもんだが……。

「そのようだな。卿がこの件の責任者と知っているかどうかは分からんが明らかに狙いは卿だ」
二人が頷きあっている。興奮も無ければ感情の揺らぎもない。淡々と事実だけを積み重ねている。遣り辛いな。

「憲兵隊からは何か言ってきたかな」
「憲兵隊のボイムラー准将からは何も。特に異常はないそうです」
「……地球教に監視を気付かれた形跡は」

「今のところはそれらしい形跡は有りません。……用心しているのだと思いますが……」
ボイムラー准将は広域捜査局の依頼を受けてオーディンの地球教の支部を監視している。もう一週間以上になるが常に報告は異常無しだ。

少しの間沈黙が有った。エーリッヒが視線を伏せ意味に考えている……。視線を上げた。
「……試してみよう。今日にでもアルフレート・ヴェンデルに伝えて欲しい。私が地球の件で話を聞きたがっている。今、忙しいので六月十日に宇宙艦隊司令部で卿と共に会うことになったと」

焦れてきたな、自分を囮にするのはエーリッヒの癖だ。但しそれが良いのか悪いのかは分からない。
「その際、閣下が本件の最終責任者である事も伝えてしまって宜しいでしょうか」
俺の言葉にルーゲ伯が片眉を僅かに上げた。ようやく人間らしい反応をしたよ。

「構わない、その方がはっきりして良い。地球教に圧力をかける事にもなる」
確かにその通りだ。責任者がルーゲ伯というのとエーリッヒというのでは相手に与えるインパクトは全然違う。受ける圧力も当然違う。

「動きが出ると思うのかね」
「ええ、何らかの動きが出ると思います」
「まさかとは思うが、彼が暴発して卿を襲うのを待つと」
ルーゲ伯が僅かに眉を顰めた。この爺さんの感情は眉に出るらしい、大発見だな。

「そんな事はしません。彼らが接触した時点で有罪です。前日の六月九日に彼を逮捕し教団を強制捜査します」
「随分と過激だな」
皮肉なのかと思ったが至極真面目な表情だ。そうか、オーベルシュタインだ。彼に何処か似ている……。

「いい加減待つのは飽きました。少し乱暴に動いてみようと思います。連中が嫌でも動かざるを得ないように……」
「なるほど、それも良いか」
ルーゲ伯が頷く、そして俺に視線を向けた。

「どうかな、フェルナー課長補佐。問題が有るかな」
「いえ、賛成です。連中は極めて慎重ですからね。乱暴な方が意表を突けるかもしれません」
俺もいい加減動きたくなってきた。待つのは性に合わん。

「オーディンが動けばフェザーンにも動きが出るでしょう、そしてハイネセンにも動きが出るはずです。それぞれが動く事で新しい事態が発生する、澱んだ水を掻き回してみようと思います」
「分かった」

「リヒテンラーデ侯には私から話します」
「うむ、頼もうか」
「ボイムラー准将にはフェルナー准将、卿から話してくれ」
「分かりました」

「では私はこれで」
指示を出し終わるとエーリッヒが席を立った。ルーゲ伯と共にエーリッヒが立去るのを見送る。彼の姿が見えなくなった直後だった、ルーゲ伯が話しかけてきた。

「フェルナー課長補佐、いやフェルナー准将と呼んだ方が良いかな」
「……あ、いえ」
「課長補佐と呼ぶと僅かだが不本意そうな表情が目に出る、まだまだだな」
「……」
嫌味な爺様だ、一体何の用だ。

「彼を守りたまえ、死なせてはいけない」
「……」
「頼んだよ、フェルナー准将。……ああいう想いは二度としたくないからな」
「……閣下」
「では私も失礼する」
ああいう想い? 呆然として立去るルーゲ伯を見送った。



帝国暦 489年 5月 31日  オーディン  宇宙艦隊司令部   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



新無憂宮から宇宙艦隊司令部に戻ると時間は既に午後三時を五分過ぎていた。遅刻だ、拙いな、相手が悪く取らなければ良いんだが……。
「来ていますか?」
ヴァレリーに問いかけると“応接室に御通ししました”と答えた。視線にこちらを咎めるような色が僅かだが有る。故意に遅れたんじゃないぞ。

応接室に入るとソファーに座っていた人物が立ち上がって敬礼をしてきた。こちらも答礼を返す。ソファーに座るように勧め俺も席に座った。
「申し訳ありません、前の打ち合わせが思ったより伸びてしまいました。悪く取らないで下さい」
「いえ、そのような事は有りません」

目の前に初老の男が居る。六十にはまだ間が有るはずだが六十歳と言われても違和感は無いだろう。人生に疲れた様な表情をしているし身体からもそんな雰囲気が出ている。新品のスーツを着ているはずなんだが今一つ決まっていない。常に資金繰りに困っている零細企業の社長、そう紹介されたら納得してしまいそうだ。

「御身体はもう宜しいのですか」
「御蔭様でもう何とも有りません。手厚い看護を手配して頂きました事、心から感謝します」
声に濁りは感じられない。何ともないというのは本当だろう。病院からもそういう報告は出ている。もっともアルコールを口にしたら全てが終わりだが。

アーサー・リンチ少将、エル・ファシルで民間人を見捨てて逃げた同盟の指揮官。ヤン・ウェンリーの上官でもあった。将来を期待されていた士官でもあったがエル・ファシルで全てを失った。原作ではラインハルトの謀略の実行者としてハイネセンに赴き内乱を発生させた。最後は自らの正体を晒しグリーンヒル大将を殺しクーデターを起こした連中に殺された。だが、この世界では生きている……。

「同盟には帰りたくないという事でしたので捕虜交換後、帝国に亡命を希望した、そういう形で対応させていただきます。階級は帝国軍少将となります、如何ですか」
「有難うございます、私のようなものには過分な御配慮です。感謝します」
「では同盟政府にもそのように伝えさせて頂きます」
リンチ少将が黙って頭を下げた。

「今後の事ですが御希望が有りますか。少将は前線だけでなくデスクワークでも有能で有ったと聞いています。遠慮せずに仰ってください」
いかんな、リンチが顔を歪めている。俺は嫌味を言ったんじゃないんだが、そうは受け取らなかったか……。

「軍人としてはもう受け入れられる事は有りますまい。小官は民間人を見捨てて逃げた卑怯者なのですから……」
絞り出す様な声だ。辛かったのだろうな……。
「そう卑下なさる事は無いと思いますが……」
「……」
やはり難しいか……、仕方ないな。

「では私の仕事を手伝って頂けませんか」
「閣下のお仕事ですか」
「私は今辺境星域開発の責任者になっています。その仕事を手伝って貰いたいのです」
「……」
気乗りはしないか。

「何処かでひっそりと過ごしたい、そうお考えですか」
ヒクっとリンチの肩が動いた、図星か。
「ですがそれではまたアルコールに逃げる事になりませんか」

リンチが項垂れている。身体が小刻みに震えていた。自分でも分かっているのだろう、それでも何処かに逃げたい、そう思っている自分がいる……。地獄だな、リンチにとって生きる事は地獄なのかもしれない。

“その時は死ね、今のお前に生きる価値があると思っているのか?”
“ばかどもが…俺はグリーンヒルの名誉を救ってやったのだぞ。そう思わんか……生きて裁判にかけられるより、奴は死んだ方がましだったろう……ふふん、名誉か、くだらん”

くだらないと言いつつ誰よりも名誉に拘ったとしか思えない。誰かを自分と同じ境遇に堕としたいと思った、一人では辛かったから。そして救ってやりたいと思った、辛すぎるから……。能力も有り出世もしていた男だ、矜持が無かったとは思えない。ラインハルトの手先として活動すれば行き着く先は破滅だと分かっていたはずだ。原作のリンチは何処かで死を、救いを求めていた。今もそうなのかもしれない……。

リンチはそんなにも自らを責めなければならないのだろうか。エル・ファシルのリンチは不運だと俺は思う。もし同じ立場になったとしたら殆どの人間がリンチと同じ行動をとるんじゃないだろうか。民間人を連れて逃げる事が不可能な以上、次善の策は救援を呼んで民間人を奪回する事だ。封鎖を突破して味方を連れて戻ってくる。おかしな発想じゃない。

もしヤンが居なかったらどうだっただろう。リンチは突破に失敗し民間人も全て捕虜になった。同盟軍は正直に話すことが出来たはずだ。“リンチ少将は味方を救うため危険を冒して封鎖を突破しようとした。しかし武運拙く捕虜となった……” 民間人を見殺しにしたと非難できるだろうか、他に手が有るかと言われれば沈黙するしかないだろう。

ヤンが奇跡を起こしたばかりにリンチは手酷く非難された。ヤンを責めるつもりは無い、あの状況で民間人を救えたのは確かに奇跡としか言いようが無い。ただ英雄とか天才なんてものは必ずしも良い事ばかりをもたらすとは限らない、そう思うのだ。どう関わるかによってそれは変わる。眼の前で苦しんでいるリンチを見るとそう思わざるを得ない。ヤンもラインハルトも一体何人の人間の人生を変えたのか……、そして俺は如何なのか……。

「帝国の辺境星域には苦しんでいる人、困っている人が大勢いるのです。その人達を助けて頂けませんか。同盟市民と帝国臣民の違いは有るかもしれませんが人を救う事が出来れば自分の生に生きる価値を見いだせるのではありませんか」

リンチがノロノロと顔を上げた。
「赦されると思いますか、私が」
「……分かりません。しかし受け入れられるのではないでしょうか」
「受け入れられる……」
「ええ、貴方が居たから今の自分達が有るのだと。それは生きて行くための糧になりませんか」

「受け入れられる……」
縋る様な目だった。目の前の初老の男は赦される事を望んでいる。しかし俺が赦すと言う事にどれほどの意味が有るだろう。リンチは誰よりも自分が赦せないのだ。自分自身が赦せない人間を他人が赦すことなど出来るわけがない。俺に出来るのはリンチに別な救いを示す事だ。

「私と一緒に辺境星域の人達を助けませんか。彼らに希望を与え、生きていて良かった、そう思えるようにしませんか」
「私にそれが出来ると……」
「ええ、出来ます」
「受け入れられる……」
老人の眼から涙が零れた。震えるような声で“有難うございます”とリンチが呟いた……。



 
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