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冥王来訪

作者:雄渾
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第二部 1978年
狙われた天才科学者
  一笑千金 その3

 
前書き
 (誰が悪党か)これもうわかんねぇな 

 
 翌朝、議長公邸は驚きと混乱の声が響き渡っていた。
「えっ。アイリスディーナの結婚のはなしですって?」
 初耳とみえて、ユルゲンは桃のような血色を見せながら目を丸くした。
「で、何方に……」
「ゼオライマーのパイロット、木原マサキにだよ。ハイムの提案でな」

 案の定、ユルゲンはおもしろくない顔をした。
議長はたたみかけて、若い義子(ぎし)を諭した。
「外交とは、すべて逆境に在っても耐え忍んで成し遂げるものだ。時にはじっとこらえて我慢するのも必要と言えよう。
木原にアイリスディーナを与える。勿論、嫌でたまらないだろうが、その効果は大きい。
どのような英傑や賢人でも人間だ。
遂に人間的な弱点、つまり凡情(ぼんじょう)(いだ)くのは世の常。
思うに、傾城(けいせい)の美女、一人で、剣で血を濡らさずして国土の難を救える」
話を受けてしばらく、ユルゲンは熟慮にふけり、やがて議長には、最初の気色とは打って変って、
「取り敢えず、(しゅうと)や妻に相談し、自分の方で妹は口説いて見せるつもりです」
と答えて、その場を辞した。


 帰宅するなり、ユルゲンは、妻を呼び出して、事の経緯を相談した。
するとベアトリクスは、怪訝な顔をして、
「アイリスディーナを(もら)いに来るって……何処までもあつかましい男ね」
ユルゲンは、あわてて手を振りながら、
「違う、違う。ハイム少将の提案で、我等のほうから木原を婚姻に誘い出すんだよ」
「嘘、嘘。貴方は私を揶揄(から)って笑おうとしてるのでしょ」
本当(マジ)。嘘と思うならば、人を出して聞いて来いよ」
ベアトリクスは、まだ信じない顔で、護衛の一名であるデュルクに、事の経緯を確かめる様をいいつけた。


 デュルクは、官衙(かんが)から帰ると、すぐベアトリクスの前へ来て語った。
「例のお噂で、政治局や重臣の皆様はもちきりでした」
ベアトリクスは、声を上げて、()き出した。
 たちまち彼女は、わが義妹のアイリスディーナのいる部屋へと、走って行った。
その様に仰天したアイリスディーナは、
「ベアトリクス、どうかしたの」と訝しんだ。
ベアトリクスは、袖でおおった顔を上げて、
「アイリス。どんな立場になっても、私は貴方の(あによめ)義姉(あね)よ」
「何を言うの、今さら」
「じゃあ、なんで私に相談も無く、大事な女の一生を簡単に決めたのよ」
「わけが分からない。なんのこと、一体?」
「それその通り。木原へ嫁がすことなど許すつもりはないわ」
アイリスディーナは、眼をみはって、
「えっ、誰がそんなことを……」と、二の句もつげない顔をした。
「兄に()いてご覧なさい」と、涙で濡れた目でユルゲンをねめつけた。
ベアトリクスのうしろへ来て立っていたユルゲンは、
「アイリス、(ゆる)してくれ。
何れ、俺の口からお前の真心を見込んで頼むつもりで居たが……」
と言いかける夫の肩を掴んで、
「そんなのは知りません!」
とベアトリクスは、前にも増して怒り出した。そして口を極めてその(はかりごと)をそしった。
「ハイム将軍も、ハイム将軍よ。一国の将官たるものが、そんな愚者にも劣る考えで……。
絶対に許さない……、決してアイリスを、そんな道具みたいな扱いにするなんて許さない」

 兄弟姉妹のいないベアトリクスにとって、アイリスディーナは実の妹も同然。
ユルゲンへの特別な感情を持っている事には嫉妬してはいたが、それでもその情の深さは特別だった。
だから、その義妹(いもうと)生贄(いけにえ)として捧げようとする計略を聞いては、頭から怒りを震わせて、
「駄目、駄目、誰がなんといおうと、アイリスの一生を誤まらせるようなことなんて……。
貴方、ハイム将軍を討ちましょう。国家人民軍の将官にその様な人間は必要ありません」
という剣幕で、国益の為の策を否定した。

(『もうこうなったら、手が付けられないな』)
ベアトリクスの痛切な嘆きに、ただユルゲンは漠然としていた。
もらい泣きしたアイリスディーナと抱き合って哭くベアトリクスの姿を、見守っていた。





 さて数日後、一方のマサキは、僅かな人間を連れだて、東ベルリンに入る。
無論、日本政府も共産圏と言う事で、駐西独大使館付武官補佐官の彩峰(あやみね)と参事官の珠瀬(たませ)を同時に送り出して。

 黒塗りの公用車を連ねて、チェックポイントチャーリを堂々と通過していく。
その車中、マサキは、
「ミンスクハイヴ攻略に対する勲章の授与か、そんなくだらん話とは思わなかった。
これは興ざめだな」と気怠そうな表情をして、呟いた。
助手席の鎧衣(よろい)は、後部座席に振り返り、
「木原君、付かぬ事を聞くが……」と尋ねる。
一瞬、眉をひそめたマサキは紫煙を燻らせながら、
「用件があるならあけすけに言っても構わんぞ。美久に気を使う必要もあるまい」
と、いぶかりだした。
女性(にょしょう)の色香に惑わされないかと……、職業柄、不安になったのだよ。
私は幾多の科学者が、色仕掛けによって、破滅的な結末になるのを見てきてね」
マサキは、満面に喜色をめぐらせ、
「確かに、この数年は、まったく童貞も同じであったからな」
と出し抜けに、笑って見せた。
 マサキからの意外な言葉に、鎧衣と運転手は心底仰天した態度を見せる。
美久は頬を真っ赤に染めると、(うつむ)いてしまう程で、マサキは、その様を見ながら、
「お前にも、その様な態度を取る所があったのか」
と彼女の横顔を、興味深そうにぬすみ見た後、笑って見せた。
勝ち誇った態度で、吸い殻を灰皿に投げ入れ、
「鎧衣、貴様が許すのであれば、ベルンハルトが囲っている女どもと(たわむ)れて見せよう」
と、鎧衣を揶揄う様な事を言い放った。




 共和国宮殿に着くと、車のドアが勢いよく開けられる。
正面口の外には、一組の男女が待ちかねた様子で立っていた。
女はやや小柄で、濃い灰色でウールサージのタイトスカートの婦人用勤務服姿。
胸まで有るセミロングの茶色がかった金髪で、左目の下にはっきりとわかるぐらいの大きな泣き黒子。
 もう一人の男は、見上げるような偉丈夫で、灰色の外出服を着ていた。
ダークグリーンの襟には、下士官の刺繍があり、飾り緒を胸に付けていた事から曹長である事が判った。
奇妙な二人組の後ろには、官帽に将校用の冬季勤務服を着たユルゲンが、ゆっくり姿を現す。

 偉丈夫の下士官は、両手にマサキ達が持ってきたA2サイズのアタッシェケースを抱える。
その際ユルゲンは、
「同志曹長。執務室の前で待機しててくれ」と、声を掛ける。
曹長は、直立したまま、
「同志中尉、クリューガー曹長はご命令された通り、任務を実行します」
と告げて、彼に会釈した後、庁舎の中に入っていった。

顔なじみのユルゲンを見るなり、マサキは近寄って、
「ベルンハルトよ、待たせたな。この木原マサキに話とは何だ」
「折りいっての話は……、奥で議長がお待ちしております。
そこで、お茶でも飲みながら……」
綾峰たちが揃うのを待ってから、ユルゲンは、
「では、お待たせいたしました。さっそく、同志議長の室へご案内いたしましょう。どうぞ、こちらへ」
と、庁舎に案内した。

 丁度その時、執務室では、議長が他念なく喫緊の課題に関する書類に目を通していた。
ユルゲンは、静かに扉を訪れて、
「同志議長、ベルンハルト中尉はご命令の通り、御客人方をお連れ致しました。
お目通りの方、お願いいたします」
と、形式に則った挨拶をした。

 議長は、椅子から立ち上がって、彼の姿を迎えるなり、
「其方に居られる綾峰大尉と木原さん、後ろにいる氷室さん。
帝国軍人の方々には、我が国を代表して略式ながら英雄勲章(メダル)を授与したいと思ってね」
と、机の引き出しを開け、スウェード素材の化粧箱と筒状に丸めた紙を取り出し、
「議会を飛ばして、政治局の方針として勲章を贈る事にしたのだよ」と、机の上に置いた。
男は、深々と頭を下げる綾峰の方を向くと、
「本日お見えにならなかった大使閣下、駐在武官のご両人には後日改めて授与する事だけは、議長の私から伝えて置きます」と鷹揚(おうよう)に、礼を返した。




「めったにお越しにならない日本の皆様のお訪ね下さったのです。
後ほど大広間で、茶会でも……」
「もう俺を必要としないであろう」
ユルゲンはじめ、みな()やとした顔色である。
室中、氷のようにしんとなったところで、マサキはなお言った。
「今更、茶会どころじゃあるまい。俺も忙しいんでな」
慌てふためいた男は、おもしからぬ顔をするマサキの黒い瞳を(のぞ)きながら、
「ま、待ってください」
強張(こわば)った顔に、余所(よそ)行きの笑みを湛え、
「何分、硬い話ですから、木原博士の方は、なんなら愚息にでもベルリン近郊を案内させましょう。
もし、その際には娘にもよろしくと、声を掛けてやってください」
と、別行動を提案した。
 このときユルゲンの眉に、一瞬の驚きがサッと掠かすめたのを、マサキ達はつい気がつかなかった。
また、気づきもさせぬほど、ユルゲンの姿は静かだった。
気をよくしたマサキは、不敵の笑みを(たた)(なが)ら、
「それは楽しみだ。雑多な茶会などあきあきしていたからな……」と満足げに答えた。
不安になった綾峰は、
「おい木原、単独行動は」と声を掛けるも、
「まあ、まあ、大尉殿、この不肖鎧衣が付いて行きますので、ご安心を」
と鎧衣に遮られ、渋々ながら、
「……認められぬが、貴様が責任を取るなら別だ。何かあったら情報省に乗り込んでやる」と、くぎを刺した。


 マサキは、綾峰たちと別れると美久と鎧衣を引き連れて、ユルゲンたちの用意した車に乗った。
3台の115型『ジル』に別々に乗せられると、ベルリン郊外に向かって走り出した。
(東ドイツでは国産車トラバントの信用がなく、公用車でソ連製ジルが多用されていた)

 車中、マサキは後部座席に寄り掛かりながら、
「いや、別嬪(べっぴん)さんだ。本当(ほんと)いかしてるね。ハイゼンベルクさんだっけ」
と懐中からホープの紙箱を取り出し、
「吸うかい」と左隣に居るマライ・ハイゼンベルクにタバコを勧めた。
マライが右手を差し出して断ると、マサキは煙草を口に咥えて、
「ベルンハルトよ、お前ら男女の仲なのか。そうでなければここまで連れてこまい」
と、助手席にいるユルゲンに声を掛け、
「もしあれならば、俺に譲ってくれないか」
と呟くと、ガスライターで紫煙を燻らせた。
 ユルゲンは顔色を変じて、
「断る」と怒気をあらわにして言い返した。
「出来てなければ、強引にでも俺のものにするんだがな」
と言い放つと、満面に喜色をたぎらせ、
「出来てるってことか。本当であろうな」
と椅子の間から身を乗り出し、ユルゲンの(うなじ)に紫煙を吹きかけ、
「まっ、しょうがねえか。俺も女の事で揉めたくないからな」
と勢いよく、椅子に腰かけた。
運転席にいるヤウクは、その様を苦笑しながらハンドルを握っていた。

 車はしばらく走ると、郊外にある住宅街に着いた。
マサキは、車より降りると、懐中よりミノルタ製の双眼鏡を取り出す。
ダハプリズム式のレンズで周囲を見回し、ふと思慮に(ふけ)った。
 はるか遠くに見えるコンクリート製の所々崩れかけた壁は西ドイツの飛び地を覆う物だろう。
ベルリン市内でも無数の飛び地があって米ソ英仏の四か国軍が定期的に巡回している。
その様な場所で度々暗殺未遂や誘拐事件が起きても不思議ではない。
KGBもKGBだが、止めなかったCIAもCIAだと、紫煙を燻らせながら、周囲を観察していた。


 

 やがてユルゲンの招きで立派な屋敷に案内された。
建屋は戦前に立てた物であろうか。壁は所々色が()めて、補修も満足されてない様子。
中に入るなり、ユルゲンは
「俺の家だ。ここなら万が一ソ連も手を出せまい」と呟いた。
マサキはその様を見て、この男の無謀を(たくま)しく思い、また苦しく思った。
 
 持ち寄った茶や菓子を前にして雑談をしていると、
「アイリス、お客人だ。挨拶しなさい」と奥に声を掛けた。
 ドアが静かに開くと、マサキは目を見張った。
そこには白皙(はくせき)美貌(びぼう)(たた)え、腰まで届く長い金色の髪を編み下げで綺麗に結った、楚々(そそ)たる麗人(れいじん)が居た。
金糸の様な眉の(うるわ)しさ、透き通るばかりの肌の白さ、また、(うれ)いを含んだサファイヤ色の眼、この世の物とも言えぬものばかりで、まるで19世紀の絵画から出て来た様な麗しい女神や妖精を思わせた。
また彼女の身に着けている象牙色のカーディガンセーターと白地のブラウスからは、砲弾型の乳房や腰の括れも浮き立たせ、非常に(なまめ)かしく見える。
濃紺のフレアスカートの下から浮かび上がる、黒いストッキングにパンプスを履いた足はなんとも言えない細さ。
咄嗟(とっさ)に、マサキにも、何とも言えない(まばゆ)い心地がした。

 (『ああ、この様な珠玉(しゅぎょく)の様な乙女が居ようとは』)
 今まで感じた事のない様な動悸(どうき)と共に、全身の血が熱くなっていくのを感じた。
マサキは、今まで見た事のない美女の新鮮な姿にすっかり見入ってしまっていた。 
 

 
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