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緋弾のアリア ──落花流水の二重奏《ビキニウム》──

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最高に最低な──救われなかった少女 Ⅲ

「あの……えっと、如月彩斗に面会するのって大丈夫ですか?」


武偵病院の受付カウンターは、峰理子の身長にしては少し高めだった。爪先立ちで喋ると、喉が何故だか締まってしまう。……いや、もしかしたら、柄にもなく緊張しているのかもしれない。
そんなことを気にしいしい、片手に握ったミニブーケを落とさないことに意識を傾注させながら、受付員の返答を待っていた。


「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「理子。峰理子です」
「はい、峰理子さまでございますね……」


受付員は理子の名前を復唱すると、何やら手元の名簿を確認しながら何処かに電話を繋げている。彩斗の管轄医だろうか。
理子が俄に聞いたところでは、今朝の騒動後──アリアらが彩斗を武偵病院に搬送した後も、そうして処置を施した後も、彼は依然として意識を取り戻していないらしかった。
そこまでの動向までしか、理子は知らない。


──うぅん、大丈夫かな……。断られたりしないかな……。


こうして待っている間も、気が気でない。この感情を紛らわせるかのように、制服の裾やフリルに指を触れさせていた。
片手に握っているミニブーケの包装紙は、恐らく持ち手の部分だけがしわくちゃになっていることだろう。
今の脈搏は100以上を打っているはずだ。
そんな取り留めもないことばかりを幾度も幾度も思い付いてしまうくらいには、今の理子は平静ではなかった。

実を言えば、こうして面会を申し入れることさえ躊躇していた。
勢いに任せてフラワーショップで彩斗を見舞うための花を買ったはいいものの、いざ赴いた彼女の頭の中は、彼との面会の可否を予想するだけで満杯だったと言ってもおかしくない。

何度も決意を固めたつもりが実は未だに固まりきっていなくて、凝固しかけた液体のような曖昧な意志が、ある種のタイミングによる気まずさとなって理子の決意を幾度も瓦解させていた。
そんなわけだから、ロビーの椅子でかれこれ30分はミニブーケを片手に悶々と考え込んでいたのである。


──まぁ、面会が出来るか出来ないかなんてどっちでもいっか。あっくんともう会えなくなるわけじゃないんだし……。


そこまで考えを至らせてしまうと、たかが30分とはいえ、予想ごときに時間を費やした自分の軽躁さを呪いたくなってきた。
人の気を引かない程度に、理子は溜息を吐く。この姿を彩斗に見られたら、彩斗は『らしくないね』と苦笑するだろうか。『君は君らしく振る舞ってなきゃ、つまらないでしょう』とも。
我ながら、如何にも彼が言いそうな言葉だなぁと思う。自分で創作した妄言なのに、何故だか救われてしまった気がした。


「──お待たせしました。面会は大丈夫とのことです」
「あ、はいっ。ありがとうございます」


いつしか通話を終えていたらしい受付員の言葉に、理子は慌てて我に返る。彩斗のことを考えていたら、ほんの少しの待ち時間ですら上の空だ。何をやっているのだろうか、と自分自身に問答した自分ですら呆れ返ってしまうほどの馬鹿さ加減だった。頬はおろか、耳まで火照っているように感じてしまう。

ホント、なんでこうなっちゃうかなぁ……と呟きながら、理子は逃げるようにロビーから去る。そのままエレベーターホールまで足早に向かうと、意味もなく上りの矢印を連打した。
『──ドアが開きます』
ほどなくして開いた扉に、歩を進める。乗降者は自分以外に居ない。入院病棟のある最上階を行先に指定すると、あとは勝手に連れていってくれた。身体が浮くような、独特な感覚がした。

備え付けられている鏡越しの自分と、ふと視線が合う。艶美な金髪が気流に靡いて揺れ、或いは幾重にも弧を描いていた。
そうして知らず知らずのうちに、自分の顔がほころんでいたことに気が付く。誰かに『楽しそうだね』と言われてしまいそうな、実に平和的で穏和な自分の笑みを、理子は見詰めていた。

人差し指で口の端を上げてみる。そこに居るのは、いつもの自分だった。無邪気で軽快に笑う、誰もが知っている、自分。
「えへへっ」なんて、子供のような笑みが零れた。……そうだ、これでいいんだ。溜息なんて吐かなくても。これが理子だから。理子は理子らしく振る舞ってないと、つまらないもんね。


「それじゃあ、行ってくるねっ」


鏡越しの自分に、手を振りながら笑いかけた。







エレベーターホールから彩斗の病室まではすぐだった。表札には如月彩斗と書かれている。ここで間違いない。
理子はミニブーケを大事に抱えながら、小さく深呼吸する。扉の向こうから話し声はしないように聞こえる。前髪を簡易的に指先で整えると、「よしっ」と小声で呟きながらノックした。


「はぁい、どちら様?」


聞こえてきたのは、いつもの彩斗の声だった。暢気で、どこか間の抜けたように聞こえてしまう。それでも聞き慣れた、この声。
どうやら意識は取り戻したらしい。その事実に安堵しただけでもまた、口元が緩むのを理子は感じていた。せめて間抜けな顔だけはしていませんようにと願いながら、そっと扉を開く。

病室に備え付けてあるらしいソファーに、彼は背を預けていた。病院着として羽織っているガウンがお似合いに見えてしまったのは、それが絶妙にゆとりのある大きさだったからだろう。和服を着たら似合いそうかも、なんて考えも理子の脳内に過ぎる。
来訪人の姿を視界に留めたらしい彩斗は、意外に面食らったような顔をした。それでもどこか嬉しそうに、笑いながら問う。


「あれ、理子じゃない。どうしたの」
「えへへ、お見舞いっ。お花も持ってきたんだよー!」
「ふふっ、わざわざ……。そうかぁー」


ミニブーケを彩斗に見やすいように掲げる。やっぱり買っておいて良かったなぁ、と理子は心の奥で安堵した。
そうして「まぁ、取り敢えず腰掛けて」と勧められるままに、彩斗の向かいにあるソファーに背を預ける。ミニブーケを手渡すと、「どうもありがとう」と笑みを零してくれた。


「白百合に、薔薇に……。んー、これって何の花?」
「アンスリウムっていうの」
「アンスリウム。へぇ……」


理子が手渡したミニブーケには、どうやら彩斗の見慣れない花が入っていたらしい。それは真っ赤なアンスリウムだった。アンスリウムを基調に、濃紅色の薔薇と白百合との色合いが絢爛な紅と白の対比になっている。たった1本のアンスリウムと、7輪の薔薇、それを囲む白百合。「理子らしいね」と彩斗は呟いた。


「この花は全部、理子が選んでくれたの?」
「うんっ、フラワーショップの中を回って見てたの。あと、なんかこう、アンスリウムだけは凄く印象的だったんだよねぇー」
「直感は大事にした方がいいよ。そう思ったってことは、思ったなりの理由があるんだろうから。まぁ、困った時は従うのも間違いではないだろうけどね。たとえそれが、自分の説明出来ないようなことでも。……なんてね。なんか占いみたいだ。ふふっ」


そう言って、彩斗は冗談めかして笑う。病み上がりの病人とは思えないような、それこそいつもの如月彩斗の笑みだった。目尻の垂れた、えくぼの浮かんだ、口角の少しばかり上がった微笑。口元を手で隠すようにする、上品さすら感じさせる仕草。
立ち居振る舞いが、理子にはとうてい同年代の男子とは思えなかった。その印象は初対面の頃から今に至るまで続いている。大人よりも大人びている──そんな気がして仕様がなかった。

一刹那の微笑の後に、彩斗は緩慢に腰を上げた。そうしてキャビネットの上に据え置かれていた花瓶を持ってくると、テーブルの上の飲みかけの飲料水を、音を立てながら中に注いでいく。


「せっかく戴いたものだし、飾らなきゃ可哀想だから。光源氏の『くちをしの花の契りや──』ではないけれどもね。……見向きもされぬ路傍に在る名も無き花こそ、哀れな宿命だけれども。それを拾い上げて生かしてやるのか、見捨てて殺すのか」


ミニブーケの包装を解くと、青々とした茎の裸体が露わになった。それを彩斗は優しく手に掴んで、花瓶の中に生ける。
理子にはそれが途端に瑞々しさを増したように見えた。朝露に濡れたような淑やかさを一気に醸成していって、見る見る間に表情が変貌していくようにも、また思えていく。
「でもね──」指先で幾度か花弁の向きを整えてやってから、彩斗は満足気に頷いた。そうして、理子の瞳を見据える。


「この子たちは、理子に選んでもらえて幸せだと思うよ」
「そっかぁ……。えへへっ、良かったぁー」


そう言われると、自分の行動のひとつひとつが無意味だとは、理子には思えなかった。むしろ自分に対して、或いは他の何かに対してすらにも意味を与えている──と解釈する方が自然だった。
気恥ずかしげに背もたれに深く寄りかかりながら、膝に手を当てて、やり場のない脚をブラブラと浮かせている。緩んでいる口元は、敢えて隠すことはしなかった。


「ところでさ、あっくん。ちょっと話があるんだけど」


いつもの磊落な調子で、理子は話題を振る。
しかし彩斗には、何故だかそれが虚勢に見えて仕様がなかった。むしろ、これが本命でここに赴いたとも見て取れるような、妙な緊迫感すらを裡面に孕んでいる。
ともかくは「うん、どうしたの?」と優しく先を促した。


「ほら、その……。あの日(・・・)のこと……」


そこまで言い終えて、自分にしては少し歯切れが悪かったなぁ、と理子は後悔する。それが端々に、気疎さと羞恥とが入り混じる、出来れば思い出したくない記憶だったからだろうか。
見舞いという建前の裡面にある本命には、そんな意図は無いのに、その記憶だけが脳裏に過ぎって離れなくなってしまった。

言葉を続けようとすると、咽喉が締まってしまう。それでも構わなかった。ただ、この言葉を如月彩斗に伝えるまでは、ここに来た意味が無い。あっくんに想いを伝えきるまでは、何が何でも帰らない。そんな意地だけが、理子を突き動かしていた。いつもの磊落で饒舌な声は、そこには見えなかった。
彩斗がどんな顔をしているのか、自分がどんな顔をしているのかも、今の理子に考える余裕など無かった。ただ、自らの内に秘めていた想いの吐露を続けることだけに躍起になっていて、その他のことはどうでもよかったのかもしれない。


「……本当はね、あっくんに伝えたいことがあって来たんだ。理子の居場所を、作ってくれて、ありがとう──って。そうじゃなかったらきっと、理子の本当の居場所って、無かったと思う」


伝えた言葉は、不格好なまでに途切れ途切れだった。継ぎ接ぎの録音テープみたいな不出来さだった。それでも理子は構わない。
彩斗がどう思おうとも、まずは自らの想いを伝えることが出来たのだ。その事実が、充足感になって胸中を満たしていく。途端に、抱いていた気疎さと羞恥が少しだけ失せたような気がした。


「あっくんの言った『くちをしの花』って、きっと理子も、そうだったんだよね。でも、あっくんが拾い上げて生かしてくれた。……おかげで理子、今がね、すっごく幸せなんだぁー」


それが妄言だとは、彩斗には到底思えなかった。向かいに座っている自分の友人──無邪気で可憐な一少女が、この場でお得意の演戯と虚言とを披露してくれるとの推理も、有り得なかった。
ソファーに深く腰掛けて、色白な手を華奢な膝に当てて、艶美な金髪を靡かせながら、気恥ずかしげに「えへへっ」と笑っている──その屈託のない笑顔が、どうにも本心から洩れ出たものであると、信じる以上に信じきるしか、それしか仕様がなかった。


「……ねぇ。あの日さ、あっくんに『理子のことを好きになってくれますか?』って言ったよね。で、あっくんは理子のことを強がりさんだって言った。……気付いてたと思うけど、その時は全然ね、自分が強がってるなんて思ってなかった。ただ、思ったことがポンって口から出ちゃって、だから止められなかったの」


今もそうだ。何を考えて喋っているわけでもないのに、言葉が咽喉の奥から溢れ出してくる。止めようと思っても止められない。
形になった言葉が、とめどなく吐き出されていた。角張った字もあれば、丸みを帯びている字もあった。その全てが咽喉の粘膜を引剥いで、肉叢を削いで、形骸化した屍肉と成り果てていく。例え僅かにでも抵抗しようとして、咽喉を締めようとするものならば──眼前に散らばったそれを、幻視してしまうだろう。


「でも、あっくんは分かってた。理子が自覚してなかったことまで、全部お見通しだったよね。『理子のことを好きになってくれますか?』って言った、その意味もさ。……やっぱり理子は、強がってたんだよ。ずっと、自分の居場所が欲しかったから。居場所が欲しいなら欲しいって言えばいいのに、可愛くないよね」


そう言って、理子は自嘲気味に笑みを零した。
咽喉が、痛い。口腔に溜まった屍肉を吐き出したい。──けれどそれは、実体を持っていなかった。仮初めの屍肉だった。


「結局ね、理子は自分を変えたいだけだったんだ。そうすれば、居場所がいつか出来るって、ずっと思ってた。そんなの幻想(ゆめものがたり)かもしれないけど、ずぅーっと思ってた。理子に大した才能なんて無いってことも分かってた。あっくんとアリアが羨ましかった。理子はお母様から譲り受けた可愛さだけでチヤホヤされてるくらいで、それ以外に才能なんて、無いもん」


自分で吐き捨てた言葉が、そのまま自分のもとに帰ってくる。
心臓が、痛い。硝子片か何かが刺さったみたいで、抜こうと思っても全然抜けやしない。そもそも、指で摘めない。
心臓が、苦しい。何かに握り潰されているみたいで、解こうと藻掻いても全然治りやしない。痛い。苦しい。……悲しい。


「だから、せめて曽祖父様(初代リュパン)を越えようって思ってた。だから、《イ・ウー》に入ったの。《武偵殺し》になって騒動を起こしたのも、完全な状態でアリアを誘き出すため。それで勝てれば、曽祖父様を越えられるって勝手に舞い上がってた。……でも、結局さ、強固な信頼性に勝るものなんて無かったね。また2人がさ、羨ましくなっちゃったもん」


ANA600便でのハイジャック──その騒動の記憶が、理子の脳髄に、或いは彩斗の脳髄にも同時に、映し出された。
彩斗がアリアの肩を抱き寄せて告げたあの言葉も生々しく、幻聴のように、理子の耳元で何度も何度も囁かれている。
『何が敗因だったと思う? 理子。それは、たった一つだけ。 信頼に他ならない。それこそが、武器足り得たのさ』


「司法取引に応じたのも、2人の中で理子がどれだけの価値を持ってるか──ってキチンと理解出来てたからだよ。でも、怖くなっちゃったの。司法取引が終わったら、理子は2人にとって要らない物になっちゃうんじゃないかって。それが凄く怖かった。理子は、理子自身の存在意義だけを、ずっと欲しがってたから」


その決死の想いの吐露は、締められた声帯を無理にでも震わせるような、そんな色をしていた。嗚咽ともつかない喘声が口元から漏れていくのを、自分自身で感じている。水晶体に浮かぶ湖面は、揺れる水面そのものだと──その淵から水滴が滴下して、泡沫のように弾け、霧散する音でさえ、聞こえていた。


「アルセーヌ・リュパン・4世。血統として見ればそれまでだけど、理子はお母様が名付けてくれた『理子』って名前がいちばん好きなんだよ。オルメス4世に勝っても、どうせリュパン4世として認められるだけで、どうせ理子としては認めてくれなかったから……。そう思えたから、2人には負けちゃったけど、何にも恨んでないよ。……でも、今は少しだけ休息しとく。

……ね。だからね、結局みんな、理子の独りよがりだったんだよ。リュパン4世じゃなくて、理子として存在を認めて欲しかった。贅沢言うとね、自分の存在価値を発揮する居場所も欲しかった。武偵校なんて結局は仮初めだったけど、それでも何処かに、居場所を探してたんだと思う。天然ぶってお馬鹿さんみたいにしてたのも、きっと、そういう本心の現れだったんだと思うな」


今度は自分の指の腹で、その紅涙を拭い取った。そうしてやはり、この告白は峰理子という自分自身が零した、衷心なのだと──大部分を悲哀に満ち満ちさせた、如月彩斗にもそれを露見させてしまったほどに哀れな、自分の弱さの根幹だったのだ。
あの時は彼に拭ってもらったものを、今は自分で拭い取っている。指先の温い水溜まりとその感触が、差異を教えてくれた。


「でも、もういいんだ。理子は昔より変われたし、居場所はあっくんに貰えたし、何より、理子として認めてくれたから。……ねぇ、本当はね、貴方にだけ認めてもらえれば良かったんだよ。あの日にそう思ったの。我儘は言わないから、せめて1人だけでも──って。それが如月彩斗で、本当に良かったなぁ」


そうして理子は、屈託の無い笑みを零した。心の奥底から洩れ出た、あの月影にも似通って爛然としている様だった。
その動作に靡いた前髪の隙間から、理子はこの話を切り出してから初めて、彩斗の姿を直視できたように思う。自分の告白を頷きながら聞いてくれていた姿だけが印象的で、その時の顔は今の今まで分からなかった──否、分かりたくなかったから。


「……ふふっ。なんで、あっくんが泣いてるの」
「別に泣いてないよ。……目が潤んだだけだもの」
「ほらぁー、泣いてるじゃん。それを泣いてるって言うの!」
「理子がそう思うなら、それでいいよ」


彩斗は指の腹で目尻のあたりを拭いながら苦笑した。よほど自分が泣くことが想定外だったのか、それとも自分自身が気が付いていなかっただけで、頑固なところがあったのかもしれない。
しかし彼が零した涙を思うと、理子は理子自身の生き様がどれほどなものだったのかを再確認させられた。あの涙には、同情の色が表層から滲み出ている。他人のことにさえ同情してくれる余裕のそこに、彼のその人格の良さを垣間見た気がした。


「あっくんって、意外と頑固なところあるよね」
「……アリアにも言われたよ。見栄張ったからこうなったんだ、って怒られちゃった。ふふっ。まぁ、そうは思わないけどね」
「でも、理子はあっくんのそういうところ、嫌いじゃないよ」


そう告げると、彩斗は何やら茫然としたような顔付きを理子に見せた。「仮に如月彩斗という人間が強情だとして、普通の人間はその強情さを嫌うものじゃないの?」そう問いかけてくる。
ほら、『仮に』ってのがもう強情じゃん。そんな言葉が喉のそこから飛び出しかかったのを、何とか堪えてみせた。


「そこは確かに分かれるかもしれないけど、でも理子は嫌いじゃないよ。だって、自分で信じたことをずぅーっと突き進めるんでしょ? それって、強情って言い方を変えればただの一途じゃない? 恋でも夢でも、物語みたいな生き方だから理子はそういうの好きだよ」


「それにさぁ、」と友誼的な調子で付け加える。


「あっくんはアリアのこと、護ってあげたいんでしょ? あの飛行機の中で言ったじゃん。アリアは大切な人と同類だから、って。そのためなら何でもできる、ってさ。それなら、その一途な想いで護ってあげなよ。《教授(プロフェシオン)》の意向と同じとか考えないでさ。如月彩斗は如月彩斗だよ。他の誰でもないもん。一途なら一途らしく生きようよ」
「……そっか。そうだね」
「ねっ? それでいいんだよ」


そう言い終えて、理子は彼に向かって笑いかけた。照れ隠しのためか、ガウンの裾を弄るなり手を組んで揉むなりしている彩斗の様が、理子にとっては新鮮に思える。恋情を自覚した年端もいかないような、そんな初々しい少年少女の風貌をしていた。

──如月彩斗は、大人以上に大人びている。それが彼への印象だ。平生は泰然としていて、所作の端々に家柄と性格の良さを横溢させている。周囲に流されることが見られなくて、自決したことをそのまま一貫する強情──裏を返せば一途を秘めている。
しかし理子の見る限り、アリアに関することだけは、それが適っていないのだ。理子が《緋想》でアリアを負傷させた時もそう。目に見えて焦燥と嗔恚とが現れていた。今回もそう。とはいえこれは、単なる恋情隠しの紛いごとに過ぎないのだけれども──。

手もたれに頬杖をつきながら、理子は呆れたように呟いた。


「あっくんさぁ、本当にアリアのことになると弱いよねぇ」
「仕方がないでしょう。こういうの、初めてなんだから。異性に恋情を自覚したのは、これが初めてなんだよ。どうすればいいか自分でもよく分かってない。それ故に、でしょう」


「まぁ、自分のことだから自分で終幕は決めるよ。どちらに転んでもね」そう彩斗は零した。理子に届くか否かの調子で、独り言ちたように──夢見心地の中に彼は浮遊しているようだった。

そうしてやはり、如月彩斗は一途だと理子は感じていた。他人の干渉を嫌うその様は、自分で自分自身に抱いたこの感情に、どうであれ踏ん切りをつけようということだろう。そうであるならば、理子は自分が出しゃばる立場でもないか、と胸の内で結論を出した。傍観しているしかないのだ。むしろこの2人の行く先を傍観できるのは、理子にとっても面白いことだろう。


「理子は2人のこと、応援してるよ。……悔しいけど、本当にお似合いなんだもん」
「……ありがとう」


これで何度目か──背もたれに深く寄りかかりながら、その華奢な膝の上に色白の手を乗せて、やり場のない脚を虚空に浮かせている。艶美な金髪を時折、靡かせながら。
妄言ではなかった。お得意の演戯でも虚言でもない。それらは咽喉の奥から突いて出で来た、形のある言葉でしかない。今回は全て、丸みを帯びていた。最高純度の衷心だった。


「ところで、君はこれからどうするの?」不意に彩斗が問い掛けた。「司法取引も終わりました、君の居場所は出来ました──今まで通りの生活に戻るのかな?」


何が言いたいのだろうか、と理子は彼の胸中を覗き見ようとした。けれどもその真意が自分には推し量れない。単なる表層的な意味合いで捉えていいのか、裡面に何か埋まってはしないか、そんなことを気にしいしい、取り敢えずの結論を零してみる。


「前と変わらずにやってこうと思う。たぶん、それがいちばん、理子らしいから」


理子がそう零すと、彩斗は満足気に「そっか」と呟く。そうして、言葉を次いだ。


「でも、君は君のやりたいように生きた方がいい。自分に正直になってね。もう強がらなくていいんだよ。君が思っているより、君の居場所はそんなに狭くはないから。峰理子を認めているのは、きっと、如月彩斗だけでは──ないはずだからね」
「……うん。ありがと。頑張る」


そうして、その如月彩斗は徐に──いつものように緩慢と腰を上げた。理子を見据えたその瞳の中に、あらゆる感情の凝縮がされていたのを、理子は見逃していない。
彼はあの時のように蠱惑的な、甘美な声色で、一語一句を紡いでいた。やはり最高純度の衷心が、その言葉の裡面に見え隠れしている。恐らく彼が話の最後に伝えたかったことは、この言葉だったのだろう。そんな風を思わせる行動を、彩斗はとっていた。


「……申し訳ないけれど、そろそろ席を外させてもらうね。恐らく俺の容態の安定したことを、担当医はまだ知らないだろうから。受付に行って伝えてくる」
「分かった。気を付けてね?」
「ふふっ、大丈夫だよ。ありがとう。明日には退院したいところだね」


「それに──待ってくれてる人も、居るから」そう彩斗は付け加えた。
刹那に、彼が見せた気恥しそうな、それでいて穏和な笑みで、理子はその人が誰であるかをもう察している。だからこそやはり、この2人はお似合いなのだとも、そうも思った。


「じゃあ、その待ってくれてる人のためにも、早く退院しなきゃね」
「うん。きっと」


そうして、如月彩斗と峰理子とはここで離散した。彼は部屋の扉を通り抜けると、その扉を閉める一刹那に何か思い至ったのか、微笑をたたえながら小さく理子に向けて手を振る。


「もう暗くなってきたから、早く家路に着くこと。気を付けて帰ってね」
「分かった。バイバイ」
「うん、さようなら」


お互いに扉を挟んで手を振って、振り返した。

そうして理子は、窓硝子のその向こうへと目を遣った。宵に暮れた五月空には、端白星が瞬いていた。そうして東京湾は、その宵より深い宵の色だった。深淵を覗き込んでいるような、そんな錯覚に襲われる。泡沫のように浮かぶあの輝石だけが、唯一の救いだった──。 
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