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ノムさんの人生、その夢と現実

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三冠王になれたのに

 ノムさんが自身を「月見草」と例えられたが、その所以について掘り下げてみよう。

 ノムさんが南海ホークスに入団し、一年目で解雇になりかけたが、それでも乗り切り、当時珍しかったウエイトトレーニングを始め、攻守双方で己を鍛えまくった。その結果、ホークスの1959年から1960年代までの五度のリーグ優勝、および日本一の原動力の一人となった。1965年は戦後初、そしてメジャーリーグを含めても史上初の捕手の三冠王となる。

 ところが、この功績はあまりにも目立たないものだった。何しろマスコミが当時のプロ野球はセントラルリーグ、その中でもとりわけ巨人中心の記事ばかりであり、更にはノムさん三冠王になった年はジャイアンツのV9の幕開けに差し掛かっていたものだから。確かに戦前から存在し、幾度も優勝している歴史があるからこそ読売巨人軍は注目されやすい。ノムさん自身も野球少年の頃からラジオで巨人の試合中継を頻繁に聞いておられた関係で巨人のファンだった(しかし、藤尾茂という強肩・俊足・長打の捕手がおり、彼からレギュラーを奪うのは困難と見て巨人の入団テスト受験は見送っている)。
 とはいえ、巨人一辺倒というのはいくらなんでも他球団の選手やファンからしたら巨人びいきじゃないかと批判したくもなるだろう。ONと比較してノムさんは目立たない所で三冠王を達成したという事で王氏や長嶋氏を「向日葵」と例え、自身は「月見草」に例えたのだ。

 なお、選手兼任監督の頃、巨人が史上初のドンケツに終わった1975年のオフ、ジャイアンツはこの時、ホークス内での派閥抗争で孤立状態だったノムさんを引き抜いて巨人の選手兼任ヘッドコーチにさせる事を考え、ノムさんも快諾したものの、長嶋氏が許可しなかったとしてこの構想は実現しなかった。
 これはwikipediaを読んで知ったが、もし長嶋氏がノムさんを選手兼任ヘッドコーチに賛成していたらどうなっていただろうかと私は考えた。ノムさん自身が巨人のファンだった為に憧れの球団に入る事ができてノムさんは嬉しく思われたのか。そしてV9に次ぐ、あるいはそれ以上の巨人の黄金期が到来していたのだろうか。かといって巨人も当時派閥があった頃で長嶋氏も後にノムさんが南海監督を解任された1977年の三年後の1980年に巨人監督を解任されるかの如く辞任しているのだが・・・。話を戻し、孤立状態でその居場所が嫌になれば新天地を求めたくなる気持ちは誰にだってあるのだからノムさんもさっさと出て行きたかっただろうし、仮にも巨人に行った時にはきっとフロントや首脳陣、選手から歓迎された可能性がある。また、野村克也という名前もさらに知名度が向上していただろう。

 だが、実現しなかったこそ、ノムさんは「月見草」の自分で通せたのかもしれない。「野村克也」と「月見草」は切っても切れぬ縁だったのだ。 
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