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或る皇国将校の回想録

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第一部北領戦役
  第二十話 季節は変わる

 
前書き
馬堂豊久 俘虜交換によって<皇国>へ帰還する

笹嶋定信 水軍中佐。転進支援本部司令であったが水軍統帥本部の戦務課参謀に栄転した。

西田正信 剣虎兵少尉 新城の後輩 豊久と共に俘虜交換によって故国へ帰還する

杉谷善次郎 鋭兵少尉 豊久と共に俘虜交換によって故国へ帰還する

駒城篤胤 陸軍大将 駒州公爵家当主 

駒城保胤 陸軍中将 駒州公爵家長男

馬堂豊長 豊久の祖父 退役軍人で元憲兵 

馬堂豊守 豊久の父 陸軍准将 

 
皇紀五百六十八年 四月二十一日 午後第四刻
〈皇国〉水軍 熱水乙巡 <畝浜> 治療室


「止血と備えの軟膏を塗っておきました。万が一傷が膿む様でしたら内地の療院で診察を受けて下さい」
 水軍の兵医が深い声で処置の終了を告げると馬堂豊久は身じろぎをして目を開いた。
「有難う。 内地までは七日間だったな、ならば陸に戻ったら早めに療院でもう一度、診てもらうよ」
額に裂傷、右肩に青アザ、軍服は汚物まみれ、と余り清潔とは言え無い姿を兵医は穏やかに見ながら答える
「最短で、ですね。熱水機関を併用しますので、それ程ズレは生じないはずです」

「短くはなりませんか?」

「帆船でよほど恵まれても5日ですが、経験上言わせていただくのならばこの季節ですと概ね六日から七日といったところでしょうか――おや、船はお嫌いですか?」
 と兵医は笑いながら言うと酔い止めの薬を棚から取り出した。
「いえいえ、餓鬼の頃から祖父に無理を言って水軍観艦式に連れて行ってもらうくらいには船は好きですよ――外から見てる分には」
 そういいながらも豊久の顔色は青白く、声も張りがなくなっている。
「そうですか、慣れれば存外面白いものですよ。特にこの船は熱水機関を使っている間は海水風呂に入れますから中々に快適です。
傷に滲みるかもしれませんが、少佐殿も一度試してみては如何でしょう?」
 礼を言って部屋を出ると苦い笑みを浮かべて軍服の汚物を払った。
「痛い、な。俺は、それだけの事をしたのだったな。よく忘れていられたものだ」
 ――無意識の忘却は救いであり、そして下劣だ、あっさりと自分の命じた事を忘れてしまう。自分の下した命の被害者に石を投げられるその時まで。



「敗残兵!」
「村焼き!」
「同胞殺し!」
「よくもわしらの村を!」
「そんなに我が身が惜しいか!」
「お前達の所為で病人のおかぁが!」
「吐き気をもよおす『邪悪』とはッ!
なにも知らぬ無知なる者を利用する事だッ!!
自分の利益だけのために利用する事だ…何も知らない俺達を!
てめぇらだけの都合で!」
「軍隊なら何故私の娘を守ってくれなかった!
何故あの娘が死んで兵隊が生きている!」



「――本当に、痛い」
自身を嬲るように唇を歪める
 ――兵達には迷惑をかけたな、彼らには責は無いのに。割り切る、とあの時は言ったが矢張り駄目だ。あれで衆民を助けることになる等、やはり兵を誤魔化すだけの詭弁だった、俘虜生活の中で都合の悪い事をさっさと忘れようとしていた下衆な自分がそんなことを信じきれていた筈もなし、か。“大いなる武勲と名誉ある敵に” 威風堂々とした騎士――バルクホルン大尉はそう見送ってくれた。武勲を上げたとしても守るべき人々に石を投げられる様な真似をした者に名誉はあるのだろうか?
 ―――何を迷っている、戦死者の名簿に名を書き連ねるよりはマシだっただろう?
そう思い直そうとし――瑕がじくり、と傷んだ。



同日 午後第六刻 <畝浜> 上甲板
〈皇国〉水軍統帥本部 戦務課甲種課員 笹嶋定信中佐


 今回の北領鎮台撤退劇の立役者である最新鋭の艦である<畝浜>に便乗している事は、笹嶋に〈皇国〉水軍の軍人として(僅かに残る)素直な一面を思い起こさせた。もっとも、彼が今ここに居る理由はしごく事務的な理由であり、船乗りとしての仕事は殆ど何もない。それが少しだけ寂しくもあった。
「大丈夫ですか、大隊長殿。部屋に戻りますか?」
「――大丈夫だ。後で――後で部屋に戻るから、先に戻って好きにしていろ。」
 そんなやり取りを経て、ふらふらと人の寄らない隅まで歩き、ぐったりとしている男へと向かう。
「船酔いかね?懐かしいな、私にも覚えがある。あまり思い出したくないがね」
 笹嶋が話しかけるが豊久は心なしか遠くを見る目をしながら敬礼を返すだけだった。
「・・・・・・」
 中々の重症のようだ、と判断すると笹嶋は面白そうに話しかけた。
「あぁ、気分が悪いのなら甲板にいた方が良い。
何しろ、船内は狭いから空気が籠もる、兵室にぶちまけられた吐瀉物の臭いは中々キツいからね。幸いこの船は新しいから良いが、古いとその臭いが染み付いて――あぁ、そうだ。無理に我慢するよりそうやって吐いた方がかえって楽になれるものさ」
 話を聞いていて限界が来たのか吐き始めた豊久の醜態をにたにたと眺める。笹嶋にしてみれば水軍に入れば嫌でも通る光景であった。
「・・・実に素晴らしいお話でしたよ、笹嶋中佐殿」
 顔は青いが話せる程度には回復した青年大隊長がようやく戦地のように流暢に喋った。
「そうか、それはよかったよ、馬堂中佐。兎にも角にも、君と話がしたかったのでね」
 減らず口には減らず口で返すのは笹嶋の悪癖だった。
「――私に昇進を伝えるのは二度目ですか?これはまた、何とも奇妙な縁で」
 だがそれは、豊久も似たようなモノらしい。
「私は統帥部からのまぁ、何だ、伝令の様なモノだ」
「それは察しがつきますが、貴方が陸軍の人事を伝えるのも妙ですね」
 ゆっくりと首を傾げながら馬堂中佐が言う。
 初対面が前線だったせいかもしれないが、改めて見ると年格好は実年齢よりも若く見えた。

「いや、水軍の話でもあるのさ――あぁ君、水を持ってきてくれ。」
 水を受け取り、口を漱ぐと多少は気分が良くなったのか、豊久も貴族将校としての見栄を宿した姿勢で笹島へと向き直る。
「――ありがとうございます。それで、中佐。どういう事ですか?」
「笹嶋、で良いよ。同じ水軍中佐でもある。もっとも、君は頭に名誉がつくが、ね」
「――失礼ですが、水軍は将家嫌いだと思っていました。」
 意表を突いたのか馬堂中佐は驚きの表情を見せる。
「そうでもないさ、水軍は万民を平等に考える、少なくとも陸軍よりね。そして君は名誉階級に相応しい働きをした」
 主流から外れた家が多いのは事実だが将家の人間も水軍には居り、馬堂中佐の云う将家嫌いは、水軍への偏見が混じったものである。もっともだからと言って公爵だろうと衆民だろうと名誉階級はそう簡単に与えられる物では無い。水軍が死地へと送り出した事への詫びだった。
「水・陸両方の中佐ですか、それは、珍しいですね。」
 目尻を揉みながら中佐はその価値を量るかの如く、考えている。
「現役の将校なら五人もいないだろうな。あぁ君の部隊の首席幕僚、いや、大隊長代行か?
その、新城水軍名誉少佐も入れれば五人になるのかな。――ほら、もう一杯どうだ。口を濯いだ方が良い」

「――ありがとうございます。新城大尉、いえ、少佐ですか?彼もそうなのですか」
「あぁ。元々大隊長に贈るつもりだったからね。それに、駒城からも色々と話があったからな。」
「駒城から話?」
 馬堂中佐が怪訝そうに尋ねる。
「そうだ。君は知らないのか?例の奏上の前に大隊長としての正当性の保証の為に水軍からも君と同等の扱いをしてくれと」

「奏上? 直衛が奏上したのですか?」
 ――下の名前、か。相当な古馴染だな。
「あぁ、其処で北領鎮台の首脳に総反攻の首謀者、守原達を強烈に批判したらしい。
駒州公達だけではなく、実仁親王殿下も関わっていらっしゃる様だ」

「マズいな、其処まで派手にやったら――」
 初対面時には絶望的な状況で飄然としていた男が額に手をやって嘆息している。その妙に様になっている仕草は笹嶋に諧謔味を感じさせた。
「君も中々苦労しているのだな。いや、こういっては何だが意外だよ、路南では君の余裕に驚いたが」

「苦労知らずの小僧に見えましたか?」
 豊久も口元を歪めているが、皮肉を感じさせない口調だった。
 ――単純にどう見えたかが気になるのかそれとも此方の偏見の度合いを探りたいのか
まぁ両方か。
「どちらかと言えば何もかも見透す妖怪に見えたよ。」
 実際、笹嶋から見ても少なからず舌を巻く事が多々あった。准将であり、親王ある大物相手に交渉を仕掛けたのは、ある意味貴族将校としての習性に反逆しているようなものである。
「随分な世辞ですね」
 そう答えを返した時には先程までの狼狽を笑みで覆い隠している。
――成程、軍官僚ではあるか。
「こうして見ると君にも苦労が多々あると分かるがね」
「それはそうですよ。形は違えども苦労は誰にでも多かれ少なかれ、あります。
まぁ、私は自分が恵まれた産まれなのは否定しませんがね」
 実感の籠もっている事を感じさせる口調だった。
「そういうものか。いや、私も自分が苦労したと思っている口でね。」
「統帥部戦務課の中佐と言うと軍主流の選良(エリート)とではありませんか。
――まさか、産まれた国が悪いとは言わないですよね」
今までとはまるで違う力のない笑みを浮かんでいる。
「まさか、違うさ――不幸自慢の悪癖を許してもらえるかな?
私は、西領の産まれでね。父は回船の船主兼船頭だったのだが、天領の経済発展に押されて無理をした挙句に事故死してしまったんだ。幼い頃の話だが荷主への賠償だけでも相当だったらしい。恰幅の良かった母も僅か五年で木乃伊の様に細くなって死んでしまった、私と兄を養う為に働きすぎたんだ」
 腹の底にある鬱屈そのままの暗い声が自分の口から吐き出されるのを自覚し、笹嶋は口を閉ざした。
「・・・・・・御立派な御母堂だったのですね」
 そう言った将家の嫡男は軍帽を目深にかぶり、その表情は読めない。
だが何となくそれが先を促しているのだと感じ、笹嶋は首肯すると再び語りだす。
「あぁ、そうだね。私は家族には恵まれた、それは確信を持って言えるよ。
母が亡くなった後、兄が私を養ってくれた。回船の下働きを始めて稼ぎの大半を私の生活、取り分け教育に費やしてくれた。
――勿論、生活は苦しかったよ。兄の熱心さが認められて勤め先で一番若い、雇われ船頭になった夜に始めて家の中で水晶瓶を見た位だ。
兄が危険な仕事を成功させて文字通りの一攫千金を成し遂げて始めてこの世の良い面を信じられた。
それまでは恨み辛みを帳面にぶつけていた様な物だったよ。あの頃は船乗りなぞ御免だと思っていたが、水軍に入ったのもそれが切欠かもしれないな。
兄は喜んでくれたよ、父を尊敬しているからね。私も矢張り親父の子なのだと、大層な喜びようだった――西領有数の回船問屋を手に入れた時よりもね」
 口に出していた暗いものを放り出すかのように細巻に火をつける。

「――笹嶋中佐」

「ただの笹嶋で良いさ、同じ中佐じゃないか」

「――笹嶋さん、私は――あなたの経験を理解出来るとは、言えません」
  その声に苦味が混じっている。彼が親しげにしていた駒城――主家の育預を思い出し、笹嶋は瞑目した。
 ――そうか、彼の産まれは。
「――成程ね。君は苦労する友人の選び方をしている様だな。
いや、君が好んで背負い込んでいるのかな?」
 自分で作ったような物だが、その重い空気を取り払おうと冗談めかして話題を変える。
「友人は選んでいますしそれなりに多いですよ。何故か厄介者も紛れ込みますが。」
 ――それも悪い事ばかりでは有りませんがね。
そう言って馬堂豊久は珍しく素直な笑みを浮かべた。
「――へェ」
 ――やはり戦場を離れると様々な面が見えるものだ。
「何ですか?」
笹嶋が顔を緩めたのを見て豊久は嫌そうに頬を攣らせた。
「君も存外、情に厚いのだな」
苦渋の末とはいえあの作戦を指揮出来た人間が、とは口に出来ない。
それを頼みとしたのは笹嶋達なのだから。
「何ですか、存外って」
 口を歪め、馬堂中佐は視線を笹嶋から外し、海原へと向ける。
「まぁ、なんです。折角の縁は吟味して大事にしたい、と思っているだけですよ。
特に水軍の方とは中々、縁がありませんので。」
 其方も同じだろう とでも言いたげな視線を寄越す。政に話題がすり替えられた事は無視して笹嶋も笑みを浮かべる。
「確かに、縁は大切にしたいものだ、私も同意するよ。
それで君は何をするのだ?」
「却説、如何しましょうか」
 そう言って将家の跡取りは愉しそうに嗤う。船酔いで青い顔に海に映えた光帯が複雑陰影を作る。
「――まぁ、そうは言いましても所詮は譜代の家臣です。
主家次第、ですな。戻れば面白い立場なのは否定しませんがね。
それに――」
 波で船が僅かに揺れると再び蒼白になった顔で言う
「今は動かない地面でゆっくりしたいです――本当に」
 ふらりと船縁に寄りかかり――後は割愛させていただく――副官の様な事をしている少尉が迎えに来た時には相応の見栄をどうにか取り繕っていた事は彼の名誉の為に言っておこう。



四月 二十四日 午後第八刻 〈畝浜〉内士官用船室
杉谷善次郎少尉


「駄目だ・・・甲板に行かせてくれ。」
 寝床に伸びた大隊長が呻くが、彼の面倒を観ている杉谷少尉は溜息をつき、窘める
「大隊長殿・・・夜間は甲板に出るのは禁止だと水軍から言われているでしょう。」
 そう言われて再びゆっくりと寝床に寝そべった馬堂中佐は再び呻く。
「ただでさえ、俺は船に弱いが、この船の熱水機関は、酷い揺れだ。
帆走に、切り、替わってくれて良かった。」
 船が帆走に切り替えてからは、船に弱い馬堂豊久陸軍中佐殿は甲板の隅で潮風を浴びながらぐったりしているか、部屋でぐったりしているか、の二通りの行動しかしていない――即ち、一日中ぐったりしているのである。
「無闇矢鱈と甲板に出たがらないで下さいよ、兵に手を抜かせるのは云々と言ってた当人が帰り際に波に攫われたなんて笑えませんからね」
 西田がそう言って小さく声を上げて笑う。二人共、兵の様子を見て回った後は何となく豊久の所に入り浸っている。
「下手に籠もって船室で吐くよりはマシだ。早く地面に戻りたいよ。
何なら龍州で下ろしてくれても良かった位だ。いっその事、衛浜から駒州に帰してくれないかな。
向こうの屋敷で一泊して、皇都に――あぁ」
 憂鬱そうに溜息をつく。
 ――船酔いだけでなく、北領での事を思い出すのも辛いのだろう。
 その程度の察しがつく位には、杉谷も西田も上官のことを理解していた。
「大隊長殿は、内地に、いえ、故国に帰ったらどうなさるのですか?」
 杉谷は慎重な口調で尋ねる。
「ん?そりゃあ俺だって大隊の責任者だからな。
兎にも角にも大隊の後始末だ。その後は出来れば軍監本部に戻りたいが。
多分、駒州鎮台――いや、駒州軍だろうな。後は若殿様、いや駒城閣下次第だ。」
 予想以上に張りのある声が返ってきた。答えの中身でこの男が将家である事を改めて実感する。
「あぁ、安心しろ、これからは剣虎兵も鋭兵も需要は高まる。それに折角の縁だ、お前さん達の希望は馬堂の家名にかけて、ちゃんと通らせるさ――何処が良い?
西田。新城少佐は行く先がまだ決まっていないらしいがお前は新城少佐の後輩だったな、彼の下に行くか?」
 初めて馬堂豊久の優しげな声を聞いた両名は視線を交わし、苦笑を浮かべた。
「自分は――」


四月 二十六日 午後第八刻
駒城家下屋敷 馬堂家 当主 馬堂豊長


五将家の筆頭である駒城家の当主へと通じる扉を駒城保胤が叩くと、鷹揚な口調で返事が帰ってきた。
「永末か?」
「いえ、父上」
「失礼致します。大殿様。」
一礼して入る。
「おぉ、豊長も来たか。」
 だらり、とした姿勢で本を読んでいた駒州公駒城篤胤がは来客をみて姿勢を戻した。
その将家の長としてはだらしない姿は、忠良な老臣の顔に渋面を浮かべさせた。
「大殿。まだ駒州公であり大将なのですから、あまり遊ばないでください」
 往年の様に窘める豊長に篤胤は笑う。
「そう目くじらを立てるな。まぁだからこそ憲兵だったお前を引き立てたのだが――保胤、お前も世話になっただろう」

「えぇ、確かにそうです」
 保胤も素直に頷いた。二十歳以上離れているこの退役軍人は保胤が若手将校だった時代に軍政のイロハを教えた一人であった。

「まさか貴様に保胤の教育を任せるとは、出世したものだな?
酔っ払った瀬川達と乱闘して鼻を折ったお前が少将まで昇るとはな。」
 思い出したのか笑いを噛み殺している篤胤に、豊長が肩をいからせる。
「篤胤様!」
「父上、本題に入って宜しいですか?」
 呆れ顔で老人二人の言い争いを傍観していた保胤が軌道修正をする。
「直衛の奏上が決定打となり、夏季総反攻はほぼ完全に食い止められました。
ですが、守原と宮野木の連携がより深まりつつあります。
例によって宮野木と言っても清麿君の方は我関せずと云った様子で元大将の方が熱心に動いている様ですが」

「宮野木の老人も執念深いな、七十近いのに達者な事だ。西原と安東はどうだ?」
「大殿が言いますか」
 酔っ払いの喧嘩を仲裁した代償の鼻をさすりながら、豊長が呆れたように笑う。
保胤は、あなたもだよ、と言いたげに肩をすくめると状況説明を続けた。
「西州公自身は、特に思うところは無いようです。
他家とは接触せずに西州鎮台の軍への再編の用意をしています。
安東は――いぇ、寧ろ海良と言うべきでしょうね」
 海良――東州公の奥方の家である。
「フン、あの家は女が強いからな。
まぁ駒城も強いが政治にまで口を出させるのはあの家位だ。」
 篤胤は露骨に鼻を鳴らした。
 女が当主を務めた事もある家だけあって駒城も女性を尊重するが安東の様に主導権まで握られる事はない。
「えぇ、まぁその海良の大佐が執政府や軍監本部へ熱心に通っているそうです。
まぁ何が利になるのかを調べているのでしょう」

「あの家も変わらんな。目先の利に釣られて東州で家を潰しかけても改まらんか」
 東州は最後の鎮台が軍へと改組される内乱の戦場となり、そして戦禍で荒廃した所を報奨として皇家は与えようとした。
復興に掛かる費用を考え、駒城・守原・西原・宮野木は辞退したが、安東は飛びつき――家を傾かせかけた。
「この十年、あの家がもったのは奥方が計数に強い故ですから。奥向が強くなるのも無理はないでしょう。」
 保胤も苦笑を浮かべる。
「先代が酷かったからな。奴がマシだったら話も違ったかもしれないが。用向きはそれだけではなかろう?」
 そう言って自身の一粒種を見る
「えぇ馬堂の世継ぎ――豊久君が帰ってきます」

「あぁ、あの若者か、どれ数年ぶりに会ってみるか」と篤胤は懐かしそうに言う。
「私は彼の奏上の機会を奪った形になったことが少々気がかりです。
駒城を割る切欠になりかねません。勿論、直衛と同等以上の待遇はしますが、
他家が何らかの形でそこに付け込んだ工作を仕掛けてくるでしょう」
 保胤は僅かに眉をひそめるが豊長は内心、肩をすくめた。
 ――確かに武官としては最大の栄誉だが。
「若殿、それは無いでしょう。手前味噌ですが、私の孫はそんな愚か者ではありません」
 豊長は胸を張って云う。
「うむ、儂が会った頃と変わって無いのならば問題ないだろう」
篤胤も顎を掻きながら同調する。
「代わりと言っては何ですが、実仁親王殿下に拝謁の機会を作ろうと思っています。」
保胤が生真面目に頷くと篤胤はぽん、と手を打った。
「うむ、ならばそれに儂も出張るとしよう。居するのも悪くは無いと思っていたが、此処にも政治の季節が回って来たか」



四月二十八日 午前第八刻 弓瀬湾 皇都付近 <畝浜>上甲板
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久


 懐かしい――町並が見える。懐かしい――匂いがする。
熱水機関の振動から避難を兼ねて見に来たが自分が意識する以上の郷愁がこみあげてきた。
 肩を叩かれると笹嶋が朗らかな微笑を浮かべて立っていた。
「さて、故国だ」

「故国――ですね」
 ――あの姫様の勧誘を蹴った全てがこの国にある。ぼんやりとあの時の事を反芻しながら部下達に船を降りる準備をさせに船室へと降りた。
 その数ヶ月ぶりの軽快な足取りはとても正直で快活なものであった。



 帰還した第十一大隊の最後の敗残兵達を出迎えてくれたのは少し意外な面子だった。
「独立捜索剣虎兵第十一大隊!総員、大隊長殿以下四十三名に!捧げ、銃!」
 猪口曹長が発する裂帛の号令に三百名近い兵が俺達に見事な礼を見せてくれる。
帰還者達も答礼をし、帰還の式典へと向かう。

 守原大将が何やら欠片も思っていない事を演説し、兵の処遇について軍監本部から来た退役間際の老少将が十分な路銀と一ヶ月の休暇を与えると告げ、解散となった。

「さて、それでは馬堂豊守中佐殿、私としても再びお会いできる事をお待ちしております」
 
「それでは、中佐殿、またお会いしましょう。」
 杉谷少尉が硬い口調で敬礼を捧げ、西田少尉も不敵な笑みを浮かべる。
「おいおい、俺の私兵になる訳じゃないぞ。」
 
「それでは、西田正信少尉、杉谷善次郎少尉、二人ともまた会おう」
「はい、馬堂豊久中佐殿。それでは――さようなら」
 ――さて、後はウチの家族達と積もり積もったお話の時間だ。


同日 午前第十刻 皇都 水軍埠頭
馬堂家 嫡男 馬堂豊久 


 ようやく軍務の話が終わる、式典とほぼ同じ長さってどういう事だ。
「豊久様、豊守様達がお待ちです。」

「お久しぶりです。豊久様」
 見知った顔が二人、挨拶してきたのを見て豊久は数ヶ月ぶりに、ようやく軍服を脱いだ気分になった。
「久しいな、大辺、山崎。俺のいない間は、何かあったか?」
 自分に参謀教育を施した友人にして先輩と向かい合う。
「貴方の事で大わらわでした。こうして無事に戻ってこられて何よりです。」
 血色と表情の薄い顔は変わっていないが僅かに口許がほころんでいる。
「家内では何事もありませんでした、奥方達は気丈な御方です。」
 細い目をさらに細めて山崎が言う。四十絡みで一見只の家令に見えるが家の警護を一任されている。元は馬堂豊長の信頼厚い憲兵下士官と言う強者だ。
「それでは、私は軍監本部に戻ります。明日には上屋敷でお会いしましょう」
 大辺は先程まで話していた少将の下へと歩いて行った。
「――会うのは半年振りだが相変わらずだな」

「えぇ、ですが大辺様も心配しておいででしたよ」
山崎も微笑を浮かべ、秀才参謀を見送る。
「――」

「豊久様。あちらに豊長様と豊守様がお待ちになっています」
「わかっているさ。その・・・何だ・・・アレだ」
 今更ながら生死不明になった上に面倒事を大量に押しつけた身の後ろめたさが今更ながらに押し寄せてきた。
「一緒に謝ってあげましょうか?」
 山崎が意地悪く微笑みながら言う。
「あいにく、後ろ暗い話は船に置いてきたよ、今日のこの身に恥じるものなし、さ」
半ば以上自分に言い聞かせながら軍帽を脱いで髪を整えると、港の隅にいる集団の方まで歩いていく。
祖父の豊長と父の豊守、そして豊久に付き従う護衛兼家令の山崎がいるのみと今更だが将家らしい迎えではない。

「お久しぶりです御祖父様、父上、只今帰還致しました」
「ああ、よく生きて帰った」
 祖父、馬堂豊長が笑顔を綻ばせ、何度も頷きながら答える。
「まったく、お前はそばに置くと目を離すと世話が焼けるし、旅に出すと厄介事を巻き起こす。
本当にお前という奴は……」
 普段は掴み所のない態度を崩さない父でさえ、泣き笑いのような表情になっている。
「申し訳ありません、もう少し早く戻ってこられたのですが」
「お前が後衛だと聞いたときは、死んだものと思っていたからな。生きて帰ってきてくれただけで満足だよ」
 父の言葉に、少しホッとする。
 ――まぁ、名誉の戦死などと喜ぶ人達じゃないからな。悲しんでくれるが死んだ事すらも手札の一枚として扱われるだろう、俺も落ち着いたらそうするだろうし。
 「ありがとうございます」
 それだけの言葉しか交わしていないにも関わらず、互いにひねくれ者だからか、
素直な言葉を示すことに恥ずかしさがあり黙ってしまう。

 祖父の咳払いが虚しくただよう。空気を読んだ山崎が祖父にそっと耳打ちをした。
「まあ、積もる話もあるし、とりあえずは上屋敷の方に帰ろう。」
「うむ、そうだな。豊久も久々の我が家だな」
 祖父が手招きをしながら近くにあった馬車へと乗り込み、父と俺がそれに続き扉が閉められる。
 山崎が馭者台に座り、懐かしい振動と蹄が地面を叩く音がする。
 桜並木が目に入り、家族で桜宴へ行った事を思い出した豊久はふと微笑を浮かべた。
 ――あぁ、そうかもう季節はとっくに春か。
「苦労したな、豊久。久しぶりの内地はどうだ?」
父が優しく声をかけると、豊久も嬉しそうに答える。
「えぇ、本当に帰って来ることができてよかったです。
――漸く、春だとここに座って、初めてそう感じられました」
 
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