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緋弾のアリア ──落花流水の二重奏《ビキニウム》──

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これにて、一件落着──?

『──超豪華旅客機《空飛ぶリゾート》ことANA600便は、昨日夕方にハイジャックを受けました。東京武偵校生2人の迅速な活躍により事件は解決しましたが、うち女子武偵1人が胸部損傷の重症、事件首謀者が軽傷を負っています。乗客員には負傷者は確認されておりません。首謀者の少女Aは残る男子武偵の指示により、武偵病院に搬送の後、東京武偵校に身柄を引き渡された模様です。現在は警視庁も含めた取り調べを行っています。次のニュースです──』


アリアのために用意された武偵病院の最上階の個室には、ニュースキャスターの声が聞こえていた。自分は傍らのソファーに腰掛けながら、それを静静と聞いている。アリアも病院着のガウンを羽織って、純白のベッドの上から、少し離れたテレビに意識を傾注させているらしかった。それが一段落したところで、手元のグラスに手を伸ばす。中身の飲料水が黄昏時の斜陽に爛々として、グラスを透過して瞳に映射するものだから、眩しくて仕様がなかった。残りを飲み干す。


「普通なら──こうなると理子はもう、武偵校には居られなくなりそうだけれども。少年法が上手く効いてるね。取り敢えず、彼女のことは有耶無耶にしておくんでしょう?」
「そうねぇ……。一般生徒に理子と武偵殺しとの関連性が勘づかれないようにしなきゃ、どうにもならないから。逮捕から裁判──司法取引までの時期を、どれだけ短くできるかよね」


「だよねぇ」と頷きながら、テレビの電源を切る。「やはり司法取引が鍵なわけだ」
司法取引という制度は、欧米諸国ではよく使われている。だから、この言葉そのものを知らない──という者は、そんなにいないだろう。ただ我が国に導入された司法取引は、欧米のそれとは性格が異なっている。罪の自白をして減刑を求める有罪答弁が欧米式なのに対して、日本版司法取引は──他者の犯罪を立証するための協力を被告人が検察側に行い、その対価として公訴権破棄や訴追罪状の軽減が与えられるという、捜査・公判協力型協議・合意制度というものになる。

峰理子に於いては、彼女自身が《武偵殺し》ということ、アリアの母親に濡れ衣を着せたこと──これらを自供した後に、《イ・ウー》の情報をこちら側に提供することを求められている。
日本版司法取引は、アリアにとってまさに都合の良い制度なのだ。だから彼女は、目前の武偵殺しを追い続けてきたことになる。彼女の母親の刑期864年が742年まで減刑される、この122年ぶんは、本来なら武偵殺しが負うべき刑期だったのだ。それを絶無にするには、アリアとしては、峰理子から《イ・ウー》に関しての情報を吐いてもらうしか方法はないことになる。

残る742年ぶんも、《イ・ウー》諸氏であることに間違いはないだろう。今回の司法取引でどれだけの成果が得られるかは定かではないが、そこは蓋を開けてみないと分からないものだ。
峰理子の裡面には、《イ・ウー》という組織が暗躍している。規模も目的も不明、国家公的機関や各国情報機関がその存在を認知しているのかさえ、まだ分かっていない。不明瞭なのだ。今は時間の流動に身を任せて、事態が進展していくのを見遣っているくらいしか出来ない。


「……今が束の間の休息、だろうね」


苦笑しながら、いつの間にか伏せていたらしい目線を上げる。窓硝子の向こうには紫金と茜とが綯い交ぜになっていて、それに染まりきってしまった千切れ雲が揺蕩っていた。東京湾の藍も不完全な藍で、あの斜陽たちは黄昏時の侵略者らしく思えてしまって、どうにも仕様がない。そうして緩慢に腰を上げて、ベッドの傍らに据え置かれている椅子の方に移動した。上体を起こして飲料水を飲んでいるアリアを横目にしながら、背もたれに深く腰かける。


「ところで、傷の調子はどう? まだ痛む?」


そう問いかけると、彼女は飲料水の入ったペットボトルを備え付けの小テーブルに置いた。そのまま上体を支えるように手を着いて、おもむろに胸元のあたりをそっと触れている。「まだちょっとだけ痛むけど、大丈夫。我慢できるわよ。子供じゃないもん」そう笑んでいた。
アリアの零したその笑みの裡面に、彼女自身の意地の悪さが無いことは分かりきっている。それでも、心臓の何処かが痛くて堪らない。微細な硝子片が一挙雑多に刺さってしまったようで、指で摘み取ろうにも、それが出来なかった。その原因も、自分には分かりきっていた。


「……ごめんね。アリアのこと、(まも)れなくて」


そう伝えた言葉は、自覚してしまうほどには不格好で、途切れ途切れで、震えていた。彼女がどんな顔をしたのか、自分がどんな顔をしているかなどは、気にする余裕すらない。ただ自分の胸臆に秘めた想いだけを吐露することに躍起になっている──ただそれだけなのかもしれない。
そうして、その森閑がほんの一刹那のものだったのか、或いは数秒、十数秒のものだったのかを体感することすらも出来ていなかった。それでも、彼女だけを見詰めていた。

アリアがそうした自分の言葉を、どのように受け止めたのかは分からない。ただ、胸元に遣ったままの少女さながらの手を握り締めて、伏し目にさせた赤紫色の瞳を揺らがせている。それに靡いた髪も瞳に映射する斜陽にも、彼女は気にしないでいた。反面で茫然としているようだった。
「……なんで」そう呟いたアリアの声は、細細としていたように聴こえる。想いの吐露を一挙に告ぐかのようにして、彼女特有の勝気さは──そこには微塵も見えなかった。


「なんで、彩斗が謝るの? 本当なら謝るのは、アタシの方なのに……。パートナーになってくれたこと、アタシとママのために、一緒に頑張ってくれてること──ありがとうっていうのは言いきれないくらいだけど、同じくらいに、彩斗の先を狂わせちゃった気がして……。でも、ありがとうっていう気持ちに比べれば、こんなくらいの傷なんて──大したことじゃないから」


その刹那に、心臓を握り締められたかのような錯覚に襲われた。同時に、銃弾に撃ち抜かれたかのような錯覚にも襲われている。そうして滔々と迸る血潮と一緒に、今の今まで刺さっていた微細な硝子片は、何処かに抜け落ちていってしまったらしい。心臓も咽喉も、すべてが随喜と艱苦がごっちゃになったような──そんな感情の権化、圧力に押し潰されかけていた。

そうして、自分がどうしてアリアを護りたいと思ったのか──同情という感情の裡面に潜んでいた、その要因なるものもまた、分かってしまった。気位に満ち満ちた彼女がときおり見せる優しさだからこそ、自分はそれに惹かれてしまっていたのだろう。彼女のその感情こそを護りたくて──或いは、自分が無意識にその感情を受けたくて、必死に神崎・H・アリアという眇たる一少女、存在のそのものを護ろうとしたのかもしれない。それは恋情とも愚蒙とも呼べてしまった。


「だから、これだけはアタシの口から言わせて」


すぅ──と吸い込まれていく吸息の音色は、彼女の口元のあたりを彩っていく。更には彼女の口腔から咽喉、肺胞に至るまでの全てを満ち満ちさせていった。そんな充足の最高潮から僅かを挟んで、アリアは笑みとともに心情の吐露──告白とも言える本音を零したらしい。
「これからも、宜しくね。パートナーさん」
「……うん、こちらこそ」
──嗚呼(あぁ)。だから彼女に、恋情を抱いてしまったのだ。つられて零した自らの笑みの、その裡面に潜ませた愚蒙……換言するならば恋情を、この刹那に初めて、自覚したのだ。

そうして同時に、今の今まで幻視すらも適わなかった朧気な靄が、次第に濃度を増して眼前に浮かび現れてきたように感じている。この感情を前にして、彼女とどう接していけば良いのか──はたまたこの関係が何処まで続くのだろうか、そんな具合の想いが、胸臆に鎮座してきた。
それ以前に、不思議で仕様がないのだ。この現実を無為無聊だとして半ば強引に打破し、生家を後にして武偵となった過去がある。そうして、自分の思う非日常に足を踏み入れた。 一般の掲げる現実を俯瞰したために、恋情などという感情を抱くことはなかったのだろうか。

即ちそれは、平々凡々な現実世界に居る異性には恋愛感情を抱くことは不可能だ──と述べているのと同義ではないだろうか。アリアは非現実世界に居る武偵であるのだから──即ち、非日常に足を踏み入れた異性であるのだから──自分は彼女の存在にこうして惹かれ、恋愛感情すらをも抱いてしまったということなのだろうか。その論調の精度は、自分には分からない。
ただ自分は、現実・非現実世界の双方の住人の視点から見ても、恐らくそのような論調を掲げている時点で、変わっているのではないか──ということだけは、分かりきっていた。

こんな変わり者がパートナーで良ければ、どうぞ望むところだね──。
ただ口の中で転がしただけの言葉にしては、やけに彩られていた。


「それじゃあ、アタシのパートナー──如月彩斗は、J・H・ワトソンね」


おもむろにアリアは、友誼的な調子でそう零した。女子よろしく足を崩して座り直しながら、皺の出来たシーツのあたりを手で軽く伸ばしている。そのまま自分に赤紫色の瞳を向けてきた。
「だって、アタシの一族は理子の言う『オルメス(Holmes)家』だもん」
そういえば、理子はアリアのことをオルメス、或いはオルメス4世と呼称していた。綴り字は、頭文字のHから始まって──確かに理子の持つ情報がいつか言った通り、H家ともなる。
ただ、オルメスはその綴り字の読みとは異なる。本来ならばこれは──、


ホームズ(Holmes)──アタシの真名は、神崎・ホームズ・アリア。シャーロック・ホームズは曽祖父様で、アタシはその曾孫。だから4世なの。ホームズ4世、ね」


そうして彼女は、さながら小動物のように笑んだ。 
 

 
後書き
(本当にこれで1章はお終いです。( ˙-˙ )) 
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