ユア・ブラッド・マイン ~白銀を謳うもの
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プロローグ、或いはまだ見えぬ夜明け
「切り裂きジャック、ですか?」
金髪の、女メイドの訝しげな声が響いた。
森に囲まれた、とある真っ白な壁の館。
森の周囲に住む住民も、“森で迷いやすいから”という理由で滅多に近付かないその館は、しかし不気味な様子は一切無い。寧ろ、その外観と森の調和が美しいと賞されることもある。それは、館の住人による手入れの賜物である事に間違いはなかった。
部屋数、十数。窓、幾つも。玄関は裏口を含めて3つ――また、短い廊下で繋がった、小さな小屋紛いの場所にも1つ。
そんな小さな小屋紛いの場所は、しかし、館内では、一番と言わずともかなり頻繁に使われている場所だ。
使われる理由は、お茶会をしたり、館に訪れた客をもてなしたりなど。故に、他の部屋よりも、チェアーがゆったりとしていたり、壁と扉で区切られた別室にベッドなどが用意されたりしているのが特徴。
その場所――別室ではなく、客間として用いられることが多い方に、3人の人間が居た。背丈、見た目、挙句には服装と立場まで。全てがバラバラな、3人である。
「……ン。それは、お前の妄想の話とかではなく、本当の話?」
そのうちの一人、白銀の髪をツインテールにした、外見が幼い女は、息を吸って毒を吐く。明らかに、全く信じていないと言った様子。
金髪の女メイドを侍らせ、二人掛けのチェアーを堂々と座るその姿は、ずいぶんと年を取っているように感じられる――幼い外見でさえなければ。尤も実際に、実年齢は彼女が一番上ではあるのだが。
「然り。切り裂きジャック――ある意味では、切って裂くというよりも、霧から裂くと言った方が正しいかもしれないが」
毒を吐かれたのは、少女と丁度対面するような位置に置かれた、木製のスツールに座る金髪の男だ。
品の良いスーツに身を包んで足を組む姿は、どこか高貴さを感じさせるのに、スツールのあまりの低さに全てが台無しになっている。ちなみに座らせたのは白銀髪の女――曰く「お前は、普通に座るには足が長すぎる」。
「……切り裂きジャックって、昔にあった未解決事件ですよね。しかも遠く離れた場所の」
端から信じて居なさそうな声、表情、雰囲気が、白銀髪の女と非常に似ている。主従はここまで似るものなのか、と、金髪の男は肩を竦めつつも心底愉快そうに笑う。――客人であり、身内ではないが故の反応。
男が、組んでいた足を入れ替えて、長い足を無造作に投げ出すと不愉快そうに白銀髪の女が眉をひそめる。同時に、真横からそっと差し出された、ご機嫌取りの紅茶。金髪メイドからの提供であり、不愉快そうな表情を一切変えずに、女は紅茶を受け取った。
「それもまた然り。さて、本題に入ろう。とはいっても、君たちなら既に分かって良そうではあるがね」
スツールの真下に置かれていた鞄から、束になった紙を取り出して、男はメイドを手招きする。
その招待に誘えば、何時の間にかメイドの両手の中に、紙束があった。あまりにも早い行動、そしてそれ故に、白銀髪の少女は苛立って小さく舌打ちをする。メイドを言いように使われたことに対しての苛立ちと、苛立ちを分かられているが故の迅速な行動に対する苛立ちだった。
いっそゆっくりと行動してもらえれば、詰ることが出来たのに。主の苛立ちに気づいていながらも、どうしようもないメイドは紙束を――資料の束を、手渡した。資料の重みが移る。
白銀髪の女は資料を読み込んでいく。女の、髪色とは全く違った質感の――さながら何も映さない鏡のような瞳が、文字を辿って滑る。
しばし、会話が途切れ、紅茶を啜る音や紙をめくる音しか聞こえなくなる。
沈黙。それを破ったのは、白銀髪の女だった。読み終わり、紙束と空になったティーカップをメイドに渡して、ほぅと一息。溜息交じりのそれは、恐らく一気に資料を読み通した精神的疲労によるもの。
「想像はしていたけど、ブラッドスミス関係か……」
だらしなく、体全体でソファーに凭れ掛かる。そんな女の様子を見ながらも、男が「ちなみにこれは、製鉄師である君たちに対する依頼だ」と追撃。更に女の姿勢がだらしないものになる。
「うぇー……何、ボク、また働かないといけないわけ?」
「君は働いていない方だろう。サボり癖がある上にマイペース、かつ依頼も積極的には受けない、というかこちら側から持ってこない限り受け付けない」
男から文句が泉のように湧き出るのを聞き流しながら、メイドは女へ新しい紅茶を手渡す。小さく礼をしてから受け取り、一口飲んだそれは、僅かに甘い。隠されたサイン――受けたいのなら受ければいい。
「だってさぁ、ボク達のってフッツーのには向いてないんじゃん」
口では言いながらも、女は懐からペンを取り出す。その動作を見て、男は鞄からまた新たな紙を。
それを女に直接手渡して、自分はメイドに紅茶をねだる。小さな舌打ちと共に手渡されたのは、アツアツのコーヒーだ。露骨な嫌がらせに苦笑。
女は紙に――契約書に目を通し、不備がないことを確認してからサイン。メイドに紙とペンを手渡せば、メイドも同じようにサインをして返す。
「依頼を引き受けてくれるんだね?」
サインがなされた紙を横目で見ながら、男は最後の確認。それに対して、女は「しつこい」と邪険に返す。遠まわしの肯定だった。
「……あ、これ最初に訊いておくべきだったな。質問はあるか?」
「ない」
切り捨てれば、「そうか」と男が一言だけ返して立ち上がる。立ち上がった男に、女が乱暴に契約書を押し付けるように手渡した。軽い音を立てて皺がつく。
「んじゃ、オレはこれで帰るぞ。何か困った事があれば、何時も通り。……ああ、期待しているよ」
皺になった契約書をひらひらと振りながら、男は小屋の扉を開けて部屋の中から出て行った。――そして、扉が閉まる音。
「……了様」
二人以外、誰も居なくなった部屋で、メイドが主の名前を呼ぶ。
「なぁに? チサ」
男に向けていたものとは打って変わって、甘ったるさを感じる声で、女は応える。視線を、スツールへ――男が居た場所へと向けたまま。
「……忙しく、なりますね」
「そうだね」
メイドに優しい声をかけて、紅茶を啜る女の視線の先――そこには、一切手がつけられていないブラックコーヒーが置かれていた。
この霧は、銀色だ。
霧である筈なのに、不思議と光沢のあるソレは、真っ白な普通の霧と入り混じっていて見分けが付かない。否、ついてもらっては困るのだ――前提で行っている、今のコトが無意味になってしまう。
ああ、無用心な女性が一人、目の前を歩いている。霧によって分かりづらいが、おそらく髪色は黒、或いは黒に似た茶。金髪ではないのが少し不満。
左手の袖をまくって、はめていた腕時計を見る。示されている時は、午後11時40分。本当に無用心過ぎる女性だ。それに、そろそろこちらとしてもいい時間。今からなら、夜明けまでには帰れるだろう。
「ねぇ、名無し。今日は、どんな殺し方をするの?」
脳内に響くようにして聞こえてきた言葉。脳味噌を溶かすような、女の声。
音を殺して歩くのは半ば癖だ。相当に聴覚が発達しているか、あるいは後ろ側にも目が無い限り、自分の存在には気づかれていないだろう。
「そうだねぇ」
唐突に背後から聞こえたであろう声に、驚いた女性の肩を掴む。革手袋越しに掴んだ為にはっきりとは分からないが、おそらく肩はむき出し。柔肌をとがめられずに触れるいい機会だったのに、惜しい事をした。
霧と夜闇で、顔が見えないのが残念だ。裏を返せば、それは己の顔があちらに見えないということでもある。いや、顔を見られても、見えなかったことにするのだから、あまり意味は無いか。
それはそうとして、とてもいい気分だった。その気分のまま、左手に持っていた銀色に光る刃を振りぬく。内にもぐりこませて、切り裂いた感覚。ナカに満たされていた熱い液体が、一瞬遅れて外に飛び出たことを頬で感じ取る。気持ちがいい。この幸せな気分のままなら、死んでもいい。
「いつも通り、だよ」
首を切り裂かれた女性は、霧に視界を阻まれたのも相まって、何が起きているのか理解出来ていないようだった。呆然とした表情――瞳が此方を映したかと思うと、首から大量の血を吹き出しながら、体ごと揺れて地面に一体化。微動すらしなくなる。
このまま、今は温かい血が地面を流れていくのを眺めていても悪くはないのだが、それはそれで不都合が起きる可能性が高い。惜しいが、今日は殺すだけだ。鑑賞はまたの機会。
「お前は本当に悪趣味ね」
揶揄うように、しかし思考を溶かすような声で、女が哂う。哂われて、嫌な気はしないのが不思議。
「そんな悪趣味なオレに、わざわざ付き合ってくれるキミも大概だと思うけどなぁ」
「……それもそうね」
血塗れた刃――フォールディングナイフを右手の指先で回して、銀霧の中で、歌う。タイトルを忘れたオペラを口ずさむ。
霧に阻まれて、夜空が見えないのが残念だった。こんなに良い気分をしているのだから、きっと綺麗に見えたであろうに。徐に、夜空があるであろう角度に刃をかざして、それでも当たり前だが霧しか映らない。……ま、いっか。
今もまだ在るこの霧が晴れるまでは、酔っていよう。くるくると変てこな踊りを始めれば、自然と笑みがこぼれ、笑みに釣られて女も笑ったような気配を感じ取った。
夜は更けていく。首許を斬られた死体を残して。
夜が明けたとき。銀色の霧は残さず消えていた。
後書き
お久し振りです。
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