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遊戯王BV~摩天楼の四方山話~

作者:久本誠一
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ターン11 鉄砲水の襲撃者

 
前書き
……まあ、うん。このタイトルを見た方の一部には、この回で私が何をしたのか既に察した人もいるでしょう。

前回のあらすじ:熱・血・指・導。 

 
「だいたいだ、この馬鹿!」
「すみませんでした、お姉様……」

 時刻はすでに、完全な夜。今なお明かりの灯る非常灯が照らす緑色のわずかな光とそれ以上の圧力を持った圧倒的な暗闇の中には、3つの人影。そのうちひとつはうっすらと埃の積もる床に正座し、ひとつはその影を上から見下ろすようにいらいらと動き回りながら立っている。最後のひとつはそんな2人からはやや距離を取り、適当な机に腰かけて暇そうに足を揺らしていた。
 それが誰である、などとは問うまでもない。正座して甘んじて説教を受ける八卦とその説教の主体である糸巻、そして適当な段階でフォローに入ろうと様子を窺う鳥居である。結局先ほどまでこの場所にいた2人のテロリスト……朝顔と夕顔のコンビに逃げ切られた彼女らは、いまだ痛みと疲労から体の動かない少女の元へと事情を聴き出すために戻ってきたのだった。
 自らの自由を賭けたアンティデュエルと、その結末。開いた口が塞がらない思いでその話を聞き終えた彼女たちは、わずかな沈黙ののち……こうして、説教の時間が続いている。

「確かにアタシも不注意だった。そもそもこの幽霊騒ぎの地図、アタシに渡したのの他にコピーがとってある時点で八卦ちゃんも正直、どっかで1回は来る気満々だったってことだもんな。それに気づけなかったのはアタシの責任でもある」
「は、はい……」
「はいじゃない!」
「わあ理不尽」

 いかにもやる気なさそうに入れられる鳥居の茶々に気勢を削がれながらも、目の前でしょぼんと座り込む少女を改めて見下ろす糸巻。この忠犬のような少女に尻尾が生えていれば、今はべったりと地面に垂れ下がっているだろうことは容易に想像できるだろう。

「今回は確かに、八卦ちゃんが勝ったかもしれない。だけどな、勝負なんて所詮は時の運だ。どれだけ実力差があろうとも、絶対に勝てる相手なんてどこにだっていやしない。まして八卦ちゃんの今日の相手は、道は違えどアタシと同じその道のプロだったんだろ?どれだけ自分が危ない橋渡ったのか、頭冷やしてもう1回考え直してみな」
「はい……」

 しょんぼりとうつむく少女。そんな彼女の頭に、糸巻の大きな手がポン、と優しく置かれる。

「え?あの、お姉様?」
「はい終わり、ここまでがデュエルポリスとしてのアタシからの話。で、だ。こっからはデュエリスト、糸巻太夫として話をしようじゃないの。まず、アタシから言えることはひとつ……よく頑張ったな、八卦ちゃん。さすが、アタシの妹分だ」
「お、お姉さ……」

 ぐるりと殺風景な廃図書館の内部を見渡し、その頭を撫でる手に力がこもる。おずおずと見上げた先の見たこともないような優しい微笑に、少女は自分の頬が意図せず熱くなるのを感じた。

「『BV』は初めてだったんだろ?しかも、こんなひとりぼっちの場所で。痛かったよな、辛かったよな。よく頑張った。本当に、よく頑張った」

 何か言おうとして口を開けるも、胸が詰まって言葉は何も出てこない。わけもなく胸が、頬が、そして目頭が我慢できないほどに熱く火照り、潤んだ視界がぼやけ……それでもなお、目の前にいる彼女の赤い髪色だけがただ鮮烈にその目に映る。つう、と一筋の涙が、ようやく乾いてきたその頬を再び流れ落ちた。そんな様子に糸巻はおいおいと苦笑し、固まった少女をその胸元に引き寄せてできるかぎり優しく抱きしめる。
 ちなみにその後ろで鳥居は、「あ、これ堕ちたわ」と冷めた目を送っていた。

「……」
 
 この糸巻太夫という女、現役時代においては男性よりもむしろ女性ファンの方が多かったことでも当時のデュエリストからは知られている。テレビ中継には親衛隊が黄色い声援を飛ばす様子がしょっちゅう映り込み、バレンタインには並の男プロよりうず高く積まれたチョコレートの山が積みあがる。ひとたびインタビュー等で何かが欲しいと呟こうものなら、その翌日には熱烈なラブレターと共に各地から最高級品が送られる。普段の性格からは想像もつかない時たま見せる優しさのギャップは、スキンシップを特に意識しないその気性も相まって数多の女性を虜にしてきた。そして恐ろしいことに、それだけ見境なしに堕としておいて本人には全くその気がない。そう、ちょうど今のように。
 赤髪の夜叉がかつて無自覚系女たらしとまで言われていた所以を現在進行形で目の当たりにし、貴重なものを見たと心の中で手を合わす。

「なんつーか、糸巻さん」
「ん、なんだ?」
「……いえ、なんでもないっす」

 よほどその口から出ようとしていた「でも厳しくしてから急に優しくするのって女たらしってよりかはDV夫のやり口ですね」などという言葉を寸前で呑み込む程度には彼は賢明であり、また自分が大事でもあった。

「妙なやつだな。さて、アタシらも帰るとするか。今日はもう遅い、とりあえず出直しだ。八卦ちゃん、そろそろ離れてくれると嬉しいんだが」
「えへへー。お姉様柔らかくてあったかいです~……」
「デレッデレじゃないですか。よかったですね糸巻さん、ひゅーひゅー」
「あのなあ……鳥居、お前がアタシ馬鹿にしてる時の煽り方ってなーんかいっつも雑なんだよなあ。あ、こら八卦ちゃん、どこ触ってんだちょっと!?」
「ふえっ!?え、あ、し、失礼しましたお姉様っ!つ、つい……」
「つい!?」

 雑に羽織っただけで前も留めていない制服の下、薄手のシャツ越しにその存在感を強く主張する彼女の双丘。しがみついて泣きはらすところまでは許容できても、さすがに直接まさぐるのはいくら彼女であってもNGらしい。しかし慌てて手を放して頭を下げた少女の目に、その顔がほんのかすかに赤くなっていたように見えたのは光の加減だっただろうか。その真相は、ただ彼女本人のみが知る。
 しかし、大量のお姉様成分のドーピングによりようやく力が入るようになってきたその足で立ち上がろうとした少女の動きはまたしても途中で止まる。熱血指導のインパクトでいつの間にやら頭からすっ飛んでいた、そもそもの自分がここに来た理由を今になって思い出したのだ。

「あのお姉様、それに鳥居さんも。すみませんがもう少しだけ、私に時間をくれませんか。私は確かに、ここで女の子の幽霊さんを見たんです」

 決意を秘めたその言葉に、デュエルポリス2人がなんとも言えない表情で顔を見合わせる。この件にテロリストと「BV」の関与がないことをまだ少女から聞いていない彼女たちにとってはこの幽霊騒ぎそのものが薄汚れた欲望にあふれる茶番、幽霊の正体も実体化したブレイクビジョンでしかない。これ以上この件に首を突っ込ませたところで、子供には刺激が強すぎるだろうという考えあってのことだ。
 だが結局、大人2人が少女の満足のいく答えを返すことはなかった。閲覧室の端の方から、落ち着いた調子の少年の声が響いたのだ。

「申し訳ないけど、それは勘弁してほしいかな。ちょっとばかし厄介なことになっててね、今はあの子を下手に刺激してほしくないのよ、これが」
「誰だ!」
「!?」

 突然の第三者に対し、その場にいた3人のとった反応は様々だった。咄嗟に振り向いて臨戦態勢となると同時に少女の手を取り自分の背中側に引っ張り込んで防御姿勢も同時にとる糸巻に、不意打ちに対しフリーズしてしまい対応の遅れる八卦。
 そして唯一手の空いていた鳥居が、そんな女性陣の前にゆらりと立ち上がる。

「……いつから、そこにいた?」

 いつもの軽い態度は鳴りを潜め、ドスの利いた低い声で本棚の向こう側、声の聞こえた暗闇の中に問いかける鳥居。普段見慣れていたうだつの上がらない苦労人としての彼とはあまりに違うその調子に、少女が小さく息をのむ。あるいは、これも彼の得意とする演技の一環なのかもしれない。いずれにせよその声に応え、足音と共に声の主は現れた。

「どうどう、そう怒りなさんな。で、いつからだっけ?そっちの子がデュエルするちょっと前ぐらいからかな。さすがにまずそうだし負けたら止めとこうかとは思ってたけど、普通に勝っちゃったからすっかり出そびれてね」
「アンタ……」
「あなた、確か……」

 暗闇から出てきたのは黒目黒髪の、姿だけ見ればせいぜい15、6程度の少年。しかしその雰囲気はまだ子供らしさの残る顔立ちからは不自然なほどに大人びており、実年齢はまるで読めない。見方によっては外見相応にも、あるいはそれよりも10も20も年上にも捉えられる。
 そして糸巻と八卦の2人には、この少年に対して見覚えがあった。あれは、彼女たちが最初に出会った日。カードショップ七宝に訪れた糸巻がすれ違った、それよりも前に店に来ていた少年。あの時は外見相応に見えたそのにこにこと人懐っこい笑みは、暗闇の中で影が差した結果その見た目のアンバランスさを余計に強調しなんとも怪しいものに見えた。

「はーい、そっちの2人は久しぶり……ってほど認識もないか。なんでもいいけどとりあえず、今日のところは帰ってくれると僕としては大変嬉しいかな。説明しろってんならやってもいいけど、とりあえず今は立て込んでるから次にして、次に」

 どこかのんびりとした口調ではあるが、少年はそれなりに真剣な顔である。だが糸巻が何か返すより先に、鳥居が1歩進み出る。

「悪いが、そうはいかないな。俺らも仕事で来てるんだ、胡散臭いガキの言うこと聞いて帰ってきましたじゃ話にならん」
「あ、やっぱり?」

 その返事も想定内なのか、特に気にした風もなく肩をすくめる少年。これに関しては、糸巻も同意見だった。面識と呼べるものがあるかどうかすら怪しい通りがかり程度の少年の言葉と、近辺に集まる状況証拠の数々。さすがにここで引くという選択肢は、デュエルポリスとしては論外でしかない。
 それであってもなお、糸巻が動かなかったのには理由があった。それが目の前の年齢不肖な少年からかすかに感じる、得体のしれない何かだった。全盛期に比べれば錆びついているとはいえかつて培ったプロとしての本能が、この男は危険な相手だと警鐘を鳴らす。自分だけなら笑い飛ばして喧嘩を売るのもいいが、この部下は?そしてデュエルポリスですらない、巻き込まれただけの妹分は?背中に庇う少女の手を握る腕に、ぐっと力がこもる。

「んー、じゃあこうしましょ。申し訳ないけど、今はちょっと本気で立て込んでるからね。誰でもいいけど、僕とデュエルして決めようじゃない。さっきはなかなか面白い話を聞かせてもらったけど、アンティルールの拡大解釈ってやつ。僕が勝ったら、悪いけど今日のところは退いてもらうよ。そっちが勝てば……まあ、僕も含めて好きにすればいいよ」
「条件に差があるな、随分と余裕じゃないか」
「そりゃ僕だって、自分が無茶言ってる自覚はあるもん。勝負仕掛けてるのもこっちなんだから、条件ぐらいは譲歩しとかないと申し訳ないでしょ」

 あっさりと告げるその表情からは、相手を馬鹿にするどころか本当に申し訳なさそうに思っている様子が読み取れる。だが逆に言えば、これはこの少年にとっても最大限の譲歩ライン。これ以上の好条件を引き出そうとしても、もはや首を縦に振ることはないだろう。そのあたりの駆け引きは慣れたものな糸巻が視線を向けると、わずかに振り返った鳥居も同じことを考えていたらしくそれを受けて小さく頷く。

「俺が相手になろう。それでいいな?」
「オーケイ、そうこなくっちゃ。ここに来てから初めての実戦なんだ、楽しいデュエルと洒落込もうじゃないの!」

 デュエルディスクを展開すると同時にさらに1歩前に出て、後ろの2人との距離をさりげなく広げる鳥居。それに対してにやりといたずらっぽく笑った少年がその左手首に付けていた青い腕輪に手をかけると、かすかに光ったそれが音もなく展開される。一体どのような素材からできているのか、半透明な膜のようなものが発生したのだ。よく目を凝らすとその膜は常に流動を続けており、少なくとも液体であることがわかる。

「なんですか、あれ……?」

 八卦の呟きは、この場の全員の気持ちを代弁していた。なるほど確かに、あの腕輪の変形したその姿はシルエットだけ見ればデュエリストの必須アイテム、デュエルディスクに酷似している。だが、その姿は例えるならば色違いモンスター、ホーリー・エルフとダーク・エルフほどになにもかもが違う。
 そして重要なのは、かつてプロとしてデュエル界の最先端を突っ走っていた糸巻。そして子役時代からあちこちで演劇デュエルを繰り返し、その都合上デュエルディスクの開発会社ともコネが強かった鳥居。デュエル用のアイテムに関してはスポンサーからの試供品等でかなり詳しい知識を持つはずの両者ともに、あの腕輪から展開するデュエルディスクは見たことがない品だという点だ。
 ……やはり、この男は何かが怪しい。意見が一致した鳥居が、警戒をより一層色濃くする。そして視線を自らのデュエルディスクに向ければ、問題なく相手のそれと同期したとの情報。どんな代物なのかはともかく、内部処理的には正規品と変わらないもののようだ。そして表示される、自分が先攻を取ったことを告げる表示。

「……ゴホン。『それではお集りの皆様方……とはいえ、今宵の観客はあいにくと数が少ない模様。しかし世の中には少数精鋭との言葉もございます、願わくば皆様方がそうでありますように』」

 目がぱっちりと開き、背筋も伸び、優雅に深々と一礼する。少年はいきなり態度の豹変した彼の様子にやや眉をひそめるが、特に何も言うことなく自らのデュエルディスクを構える。

「「デュエル!」」

「『それでは私の先攻、普段であれば目くるめく演劇の世界へとご招待するところですが、どうやら本日のお客様はいささかお急ぎの用がある模様。とあらば今回は少々趣向を変え、私としてもやや珍しい異色の演目。ワンターンキルの妙技をば、お目にかけると致しましょう』」
「ワンキル?」
「鳥居の奴がワンキルか、確かに珍しいな」

 不穏な単語に反応する少年と、感心したように呟く糸巻。その後ろで少女は初めて見る上級者同士の戦いに引き込まれたのか、食い入るようにデュエルの流れを見つめていた。

「『まずはメイン1の開始時に魔法カード、強欲で金満な壺の効果を発動。このターン他の方法によるドローが不可能となるかわりに、エクストラデッキからランダムにカードを6枚まで裏側で除外することでその数3枚につき1枚のドローを行います。上限いっぱいの6枚をコストに、2枚ドロー!そしてライト(ペンデュラム)スケールにスケール7、舞台を回す転換の化身。魔界劇団カーテン・ライザーをセッティング!そしてカーテン・ライザーはデュエル中に1度のみ、私のフィールドにモンスターが存在しない際にそのペンデュラム効果によりフィールドへとたった1人の演者として舞い降りることが可能となります。カーテン・オン・ステージ!そしてカーテン・ライザー以外のモンスターが私のフィールドに存在しないことで、その攻撃力は1100ポイントアップ!』」

 赤と黄色のカーテンに顔と手足が生えたようなモンスターが鳥居の右側に立った光の柱の中に浮かび上がり、そうかと思えばそこから飛び出してその体をパラシュート代わりにふわふわと地面に降りる。

 魔界劇団カーテン・ライザー 攻1100→2200

「おー……!これが、これがペンデュラム!」

 一方、まるで最初に火を見た原始人のような驚きもあらわにフィールドを見つめるのが対戦相手の少年である。まるでペンデュラムカードを初めて目にするかのようなその新鮮な反応に、糸巻ばかりか八卦までもが怪訝な顔つきとなった。ペンデュラムカード自体は珍しくもなんともなく、その使い手も別に絶滅危惧種というわけではない。考えられるのはこの少年が完全なデュエル初心者でありソリッドビジョンなど見たこともないというパターンだが、それだと糸巻と鳥居が感じたあの得体のしれない威圧感の説明がつかない。アタシの勘も錆びついたかと首をひねる糸巻だが、どちらにせよ鳥居に手を抜くつもりはない。

「『魔法カード、簡易融合(インスタント・フュージョン)を発動。私のライフ1000ポイントをコストとし、エクストラデッキに眠るレベル5以下の融合モンスター1体を融合召喚扱いで特殊召喚いたします。暗夜に羽ばたく自由の翼、LL(リリカル・ルスキニア)-インディペンデント・ナイチンゲール!』」

 LL-インディペンデント・ナイチンゲール 攻1000→1500
 魔界劇団カーテン・ライザー 攻2200→1100

 青を基調とした暗い色の羽毛に身を包む、女性的な風貌の鳥人。一見すると彼の【魔界劇団】とは一見シナジーが皆無なようにも見える……だが、それはあるカードの存在を考慮に入れなければ、の話である。

「『彼女の攻撃力は、常に自身のレベル1つにつき500ポイントアップ。それではまずは挨拶代わり、彼女のさえずりをお聴きいただきましょう。インディペンデント・ナイチンゲールの効果発動!このカードは他のカード効果を受け付けず、1ターンに1度自身のレベルの500倍ものダメージを相手に与えます。このカード本来のレベルは1、ラピスラズリ・ノクターン!』」
「く……!」

 ナイチンゲールがその両翼を口元にやり、空気をつんざくような音の衝撃波を放つ。

 ??? LP4000→3500

「『そして歌い終えた気まぐれなる青い小鳥は、再びまだ見ぬ空へと飛び立ってゆきました。私はレベル1のインディペンデント・ナイチンゲールを、真下のリンクマーカーにセット!』」
「リンクマー……?あー!なるほどわかるわかる、これが噂のリンク召喚ってやつね!」

 空中に浮かび上がった8つの矢印に囲まれる陣と、そのうち真下の矢印に渦となって吸い込まれる鳥人。なるほど、確かにペンデュラムを見たことがないというのはまだ納得がいかなくもない。デュエリストの人口が減っているのは間違いない、少年が純粋にデュエル歴の浅い素人だとすればあり得なくもない話だ。だが、リンクモンスターはエクストラデッキを扱うのならば実質的に必要不可欠ともいえる存在。それすらも使ったどころか見たことすらないというのは、いくらなんでも無理がある。
 彼女等にとっては見慣れたリンク召喚の演出を純粋なキラキラとした目で見つめて外見年齢相応な子供のようにはしゃぐ少年の姿に強い違和感を覚え、糸巻はそっと後ろにいる八卦に問いかけた。

「なあ八卦ちゃん、アイツ七宝に来た客だったんだろ?その時はなにしてたんだ?」
「えっとですね、おじいちゃんからデュエルモンスターズのルール……特にペンデュラムやリンクについて聞いてました。儀式、融合、シンクロ、エクシーズはよく知っているみたいなので、私も変だなとは思っていたんですが……」
「なんだその半端な知識。融合シンクロエクシーズは知ってるのにリンクは知らない?ますます胡散臭いな」

 小声の情報交換は、この距離なら聞こえないはずだった。まして目の前では今まさにリンク召喚が行われ、それなりに音も出ている状況だ。だが少年はふとそちらに顔を向け、片目をつぶってわざとらしく肩をすくめてみせた。まるで彼女たちの会話がすべて聞こえたうえで色々あるのさ、といわんばかりに。

「『おっと、公演中に余所見ですか?リンク召喚、リンク1!データの海へと潜る矢印、リンクリボー!』」

 リンクリボー 攻300

「リンクリボー……」
「定番だな。と、くればお次は、だ」
「『通常召喚。酸いも甘いも知り分けた古老、魔界劇団-ダンディ・バイプレイヤー!』」

 魔界劇団-ダンディ・バイプレイヤー 攻700

 次いで召喚されたのは、トランペットを手にした豊かな白髭の持ち主である小柄な老人。本来このモンスターはステータスも効果もお世辞にも戦闘向きではなく、コンボ前提のカードである。だがそれはあくまでも通常は、の話である。

「『さあさあ皆様お立会い。これよりお目にかけますは、無から有を生み出す稀代の召喚術。かたやカーテン・ライザー、そしてかたやダンディ・バイプレイヤー。彼らはともに、その代わりのいない唯一無二の効果を持つ私の演者たち……ですが、あくまでも単体ではただのモンスターにすぎません。しかしそんな彼らが一堂に揃う時、紫毒の竜牙がその目を覚ますのです。私のフィールドに揃いし闇属性ペンデュラムモンスター、カーテン・ライザーとダンディ・バイプレイヤーをともにリリース!』」
「ペンデュラムモンスターをリリース……?」
「やーっぱりな」

 2体の魔界劇団が飛び、空中でひとつの渦となって溶け合い混じりあう。そしてその渦中から、全く新たな姿となったドラゴンが現れる。
 鳥居の【魔界劇団】は本来、メインデッキのペンデュラムカードだけでも十二分の戦闘力を誇るカテゴリである。しかしエクストラデッキに「頼らなくてもよい」のと「頼らない」のには天と地ほどに違いがある。いかなる場合も柔軟な発想を持ち、あらゆる局面に持てる手札と力を存分に使い対処する。それは一見すると当たり前のことを言っているだけのようだが、基本的なことだからこそそれを守ることが彼なりの美学であった。

「『この方法をとることで、このカードは融合魔法なしでの正規召喚が可能となります。融合召喚、千の顔持つ蟲毒の竜!覇王眷竜スターヴ・ヴェノム!』」

 かつての閲覧室に積もった埃を巻き上げつつ、紫の竜がその両足で床を踏みしめる。微かに発光する明るい緑色のラインを全身に走らせたその竜は、しかし同じスターヴ・ヴェノムの名を持つスターヴ・ヴェノム・フュージョン・ドラゴンよりは全体的にやや小柄な印象を持つ。その特徴である全身に実る果実のようなエネルギーの塊もあちらと比べると明らかに少なく、異様に長い蔦のような尾もやはりあちらと比べ短い。
 しかしその小柄さは、決して両者の間の力の差を感じさせるものではない。全身を小さくまとめることで余分なパワーを削ぎ落し、より小回りとスピードに特化した変種といった佇まいすらも感じさせる。

 覇王眷竜スターヴ・ヴェノム 攻2800

「『それではいよいよクライマックス、スターヴ・ヴェノムのその力を今こそ開放いたしましょう!スターヴ・ヴェノムは1ターンに1度、互いのフィールドまたは墓地に存在するモンスター1体を選択することでそのターンの間だけ選んだモンスターの名前と効果を我が物とし、さらに私のモンスター全てに貫通能力を付与いたします。私が選ぶのは当然、私自身の墓地に存在するインディペンデント・ナイチンゲール。ペルソナ・チェンジ、インディペンデント・ヴェノム!』」

 紫毒の竜が吼え、茨のような無数の触手を背中から一斉に伸ばす。触手は突如として空中に開いた冥界へとつながる魔方陣に吸い込まれ、その先ですでに墓地へと送られた青い小鳥を絡めとった。触手を通じてその生体情報は貪欲なスターヴ・ヴェノムへと流れ込み、掲げたその片手にはそのデータをもとに再現された、鳥の顔を模した仮面が浮かび上がる。
 スターヴ・ヴェノムのレベルは8、これが通りさえすればカードの効果を受け付けず、攻撃力は6800。しかも毎ターンメインフェイズに致死量もの4000バーンを無造作に放つ恐るべきコンボが成立する。だが勝ちを確信した彼の耳に、少年が動くさまが見えた。

「とんでもないコンボだ……でもその仮面を被る前、今この瞬間なら効果が通る。幽鬼うさぎの効果発動!既にフィールドに存在するカードが効果を発動した時、このカードを捨てることでそれを破壊する!派手にやっちゃって、うさぎちゃん!」

 瞬間、銀色の閃光が走った。1度ならず2度、3度と、今まさにその仮面を装着しようとしていたスターヴ・ヴェノムの体を断ち切るかのように硬質な輝きが尾を引く。
 そして次の瞬間、その手にした仮面が最初に走った銀の軌跡に従うように2つに割れた。次いで、2番目に走った銀の軌跡によって無数の触手が一斉に断ち切られ、拘束から解き放たれて再び自由を手にした青い小鳥の体が力なく墓地へと帰っていった。さらに3度目、4度目の軌跡が残した残光に従うかのように紫毒の竜の体が切り裂かれ、切断面からゆっくりと別れていく。
 そして勝利の咆哮は断末魔の呪詛へと代わり、大地に倒れ込んだ竜の頭部に駄目押しのように凄まじいスピードで飛来した鎌が深々と突き刺さった。その投擲主は、和装に身を包み霊魂を従える銀髪の少女。竜の瞳から完全に生気が消えたことを確認した少女は、自らの主たる少年に対したった今見せた鬼気迫る攻撃とは裏腹に小さく微笑むと、儚げに手を振って消えていった。

「『幽鬼うさぎ……まさか握っていたとは』」

 失敗した、そんな思いを込めて呟く鳥居。先攻1ターン目からパーツの揃った今のワンターンキルを止める手段は、数あるデュエルモンスターズのカードの中でもかなり限られている。スターヴ・ヴェノムそのものを無力化するエフェクト・ヴェーラー、インディペンデント・ナイチンゲールを墓地から引きはがすD.D.クロウ、効果ダメージへのメタとなるライフ・コーディネーター……いずれにせよごく一部の手札誘発のみであり、カードパワーはともかく現環境においてサイドデッキならばまだしもメインからの投入率はどれもお世辞にも高いとはいえない。そしてその中の1枚が、まさに今仕事をした幽鬼うさぎである。

「僕が握ってたんじゃない、基本的にこの子はいい子だからね。僕を助けに来てくれたのさ」

 そう茶目っ気たっぷりに笑って返す少年が、そっと幽鬼うさぎのカードを指で撫でてから墓地へと送る。今のワンターンキルが失敗したことで鳥居の場に残るモンスターはリンクリボー1体のみ、そして手札も残るは3枚。しかし、それで終わらないのが鳥居浄瑠という男の本領だった。

「『ならば演目変更、今こそ我々魔界劇団の底力を見せる時。ライトPゾーンにスケール0!世界が誇る我らが歌姫、魔界劇団-メロー・マドンナを……そして対となるレフトPゾーンにはスケール9、まばゆく煌めく期待の原石!魔界劇団-ティンクル・リトルスターをセッティング!』」

 彼の両端に立ち並ぶ光の柱。0と描かれた数字の上では黒衣の歌姫がその髪をなびかせ、9と描かれた側ではサイズが大きいのかずり落ちてきた三角帽子を少女の演者が持ち上げる。

「『メロー・マドンナのペンデュラム効果発動!私のライフを1000支払うことで、デッキから更なる魔界劇団1体サーチいたします。ただしこの効果の発動後、私はターン終了まで魔界劇団以外の特殊召喚が不可能になるデメリットを受けますが』」

 鳥居 LP3000→2000

「なるほど、それで今のワンキルコンボを先にやったわけね」
「『ご明察。それではいよいよお楽しみ、ペンデュラム召喚とゆきましょう!セッティングされたスケールは0と9、よってレベル1から8の魔界劇団が同時に召喚可能!ペンデュラム召喚、まずはエクストラデッキより、魔界劇団カーテン・ライザー!』」

 リンクリボーのマーカー先に、先ほどリリースされたカーテン・ライザーが帰還する。しかし、この場で呼び出された演者はそれだけではない。その隣にもう1人、彼にとっても代表カードたる魔界劇団の顔が呼び出される。

 魔界劇団カーテン・ライザー 守1000

「『そしてやはり、彼の存在なくして私のデュエルは語れません。栄光ある座長にして永遠の花形、魔界劇団-ビッグ・スター!』」

 魔界劇団-ビッグ・スター 攻2500

「1度に2体のモンスターを……しかも1体はエクストラデッキから?なるほど、これがペンデュラム……」
「『そうですとも、素晴らしいでしょう?ビッグ・スターの効果発動!1ターンに1度デッキから魔界台本を1冊選択し、このフィールドにセットします。ここまでの展開で私のライフも少々減りすぎてしまいました、ここでひとつ息を整えると致しましょう。たった今セットしたこのカード、魔界台本「オープニング・セレモニー」。これより開演いたします!』」

 ビッグ・スターが空中から飛んできた分厚い台本を掴み、素早くパラパラと目を通す。最後のページをめくり終えたその瞬間、フィールドで花火が爆発した。カラフルなバルーンアートがひとりでに浮かんで宙を舞い、色とりどりの光の模様が閲覧室に浮かんでは消えていく。その中央ではビッグ・スターとカーテン・ライザー、そしてリンクリボーが歓迎のポーズをとっていた。

「『オープニング・セレモニーはその効果により、私のフィールドに存在する魔界劇団モンスター1体につき500のライフを回復いたします。該当カードはビッグ・スター及びカーテン・ライザーの2体、よって私が得るライフは1000!』」

 鳥居 LP2000→3000

 これでライフこそ3000まで持ち直したものの、やはり頼りない布陣であることに変わりはない。しかしすでに手札も残り1枚、これ以上打つ手もないのが事実。胸をよぎる一抹の不安はおくびにも出さず、ゆっくりと一礼する。

「『永続魔法、暗黒の扉を発動。このカードが存在する限り、互いにバトルフェイズにはモンスター1体のみでしか攻撃をすることができません。私はこれでターンエンドです。さあ、そちらの力を見せていただきましょう』」
「よしきた。せっかく面白いものを見せてもらったんだ、ここで引くのはあり得ないね。僕のターン、ドロー!」

 この場にいる3人の視線が、一斉に少年に集中する。それに気づいているのかいないのか、楽しげな微笑を浮かべて少年がカードを繰り出した。

「僕はまず魔法カード、妨げられた壊獣の眠りを発動!場のモンスターをすべて破壊し、デッキから壊獣2体を選択して互いの場に攻撃表示で特殊召喚する!」
「おいおい、いきなりの初手ぶっぱか?派手な真似するじゃねえか」
「『リセットカード……!』」

 破壊の嵐がすべてのモンスターを巻き込んで吹き荒れ、全てのモンスターが消えたフィールドへと我が物顔で現れた壊獣が対峙する。

 壊星壊獣ジズキエル 攻3300
 海亀壊獣ガメシエル 攻2200

「これでよし。手札の白棘鱏(ホワイト・スティングレイ)は、手札から別の水属性モンスター1体を捨てることで特殊召喚できる。グレイドル・イーグルを捨てて、このカードを特殊召喚」

 最初に少年が選んだカードは、純白のエイのような姿のモンスター。そして捨てたモンスターがグレイドル・イーグル。ここまでで2人のデュエルポリスは相手のデッキを【水属性】系統だと当たりをつける。

 白棘鱏 攻1400

「そして相手フィールドにモンスターが存在し、僕のフィールドに攻撃力1500以下のモンスター1体のみが特殊召喚されたこの瞬間。速攻魔法発動、地獄の暴走召喚!」
「『しまった、このコンボは……!』」
「僕はこの発動トリガーとなった白棘鱏を手札、デッキ、墓地から可能な限り攻撃表示で特殊召喚する代わりに、相手もまたそのフィールドに存在するモンスターと同名モンスターを可能な限り手札、デッキ、墓地から特殊召喚できる。でも、それが成り立つことはあり得ない。なぜなら……」
「『私のフィールドに唯一存在するそちらから押し付けられた壊獣カードは、いずれもフィールドに1体しか存在できない特性を持つ。仮に私のデッキにガメシエルが入っていたとしても、すでに1体が存在している以上追加召喚は不可能、ですか』」
「ご明察。こっちが一方的に展開させてもらうよ、白棘鱏!」

 白棘鱏 攻1400
 白棘鱏 攻1400

「さっきお手本を見せてくれたのには礼を言っておくよ。僕は水属性モンスターの白棘鱏2体を左、及び真下のリンクマーカーにセット!」
「リンク召喚、か。確かあの向きで水属性縛りは……」

 いつの間にかちゃっかり咥えていた煙草をふかしながら、糸巻が目を細める。すでに彼女の目には、このデュエルの結末が映っていた。もちろんまだ勝負はわからないとはいえ、なんとなく予感がした。今回は鳥居の、ひいてはアタシらの負けだろう。

「千波万波を揺りかごに、水面に踊れ南海の乙姫!リンク召喚、リンク2!海晶乙女(マリンセス)コーラルアネモネ!」

 右と下に2か所のマーカーを持つそのモンスターは、スカートと袖の端からそれぞれ延びるその名前の由来ともなったイソギンチャクの触手めいた意匠のドレスを身にまとう茶髪の女性型モンスター。しかし自分で呼び出しておいて、一番感動しているのはなぜか当の少年本人であった。

「なるほど、これがリンク召喚、ね。それでこの……エクストラモンスターゾーン、だっけ?最初はここにしか呼び出せない、と。オーケーオーケー、シンクロやエクシーズの時も思ったけどやっぱり実戦で覚えるのが一番早いね、こーいうのはさ。ん?ごめんごめん脱線してた、それじゃあ続きと洒落込もう!コーラルアネモネの効果発動!1ターンに1度、自身のリンクマーカー先に墓地から攻撃力1500以下の水属性モンスター1体を蘇生する。甦れ、白棘鱏!そしてこのカードは墓地から蘇生した時、このターンの終わりまで自身をチューナーとして扱うことができる」

 白棘鱏 攻1400

「『チューナー……シンクロ召喚か!』」
「その通り。レベル4の白棘鱏に、チューナーになった白棘鱏をチューニング。光機燦然(こうきさんぜん)日輪の元、語り継がれし波濤の勇魚(いさな)!シンクロ召喚、白闘気白鯨(ホワイト・オーラ・ホエール)!」

 そして呼び出されたのは、かつて激戦区とも呼ばれた層の厚いレベル8シンクロモンスターの中でもかなり高水準なスペックを誇る巨大な白鯨。そのクジラが重々しくその大口を開き、大気を揺るがすパルスをフィールド全体に放つ。

 ☆4+☆4=☆8
 白闘気白鯨 攻2800

「白闘気白鯨の効果発動!このカードがシンクロ召喚に成功した時、相手フィールドに攻撃表示で存在するモンスター全てを破壊する!」

 先ほど引き出されたばかりのガメシエルがあっさりと破壊され、鳥居の場は完全にがら空きとなる。もし暗黒の扉が存在しなければ、ワンターンキルを防いだばかりか返しのワンキルすらもありえた布陣。内心舌を巻く糸巻の前で、少年が生き生きと手を伸ばす。

「暗黒の扉を破壊する手段は、今の僕の手札にはない。だけど、なら1体の攻撃のみで終わらせればいい!ジズキエルとコーラルアネモネをリリースし、アドバンス召喚!これが僕の切り札、霧の王(キングミスト)!」

 ジズキエルの体が、そしてコーラルアネモネの姿が、ともにあっさりと霧散する。霧に包まれ消えていくその向こう側に佇むのは、全身を鎧に包み大剣を手にした魔法剣士。

 霧の王 攻0→5300

「そして霧の王の攻撃力は、リリースしたモンスターのそれの合計値となる」
「『く……』」
「これで終わり。バトルフェイズ、霧の王でダイレクトアタック。ミスト・ストラングル!」

 霧の王 攻5300→鳥居(直接攻撃)
 鳥居 LP3000→0





「……はい、終わり。悪いね、今回はさすがに悠長なことは言ってられないのさ。ほれ、立てる?」
「こーんな子供(ガキ)にワンキル返し、それもオーバーキルなんて喰らうとは……俺もだいぶ焼きが回ったかね」

 ぼやきながらも少年が伸ばした手を掴み、身軽に立ち上がる鳥居。意外にもこのデュエル、「BV」の管理下にはなかったらしい。となると、少なくともこの男はテロリストとは関係がないのか?
 尽きない疑問は一度脇によけ、試合終了と同時にちょうど吸い終えた煙草を携帯灰皿に放り込んだ糸巻がとりあえずヤジを飛ばす。

「なーに言い訳してんだアホ、負けは負けだろうが」
「いやま、そりゃそうっすけどさあ」
「じゃあ3人とも、悪いけど約束は守ってもらえるかな。こっちも、できるだけ早めに取り掛かりたくて」

 よほど時間に余裕がないのか、明らかに落ち着かない様子で少年が声をかける。正直糸巻も鳥居も納得できないことは多いが、それはそれとして彼らにもデュエリストとしての矜持はある。渋々ながらも頷くと、少年は明らかにほっとした顔になった。

「ならよかった。じゃ、まったねー!」

 こちらが約束を守ることを疑ってすらいないのか、立ち去るのを確かめようともせずにくるりと向きを変えて闇の中へと走りだす少年。その背中に、糸巻が最後に声をかける。

「待った。まだアタシら、アンタの名前も聞いてねーぞ!」

 その言葉に足を止めた少年が、ほんの1瞬だけ振り返る。

「……遊野。遊野清明(ゆうのあきら)、別に覚えなくてもいいよ」

 その言葉だけを残して今度こそ、その姿は消えた。

「あ、あの……」
「何も言わないでほしいね、八卦ちゃん。糸巻さん、今日のところはもう帰りましょう」
「そーだな」

 そんな会話を最後に、残る3人の姿もまたその場を後にする。数か月ぶりに賑わっていた廃図書館に、再びいつもの静寂が戻ってきた。
 そしてその翌日。とりあえずいつも通りに出勤したはいいが昨夜の「幽霊騒ぎ」の顛末が気にかかりなんとなく仕事に集中できない―――――糸巻の場合は鳥居曰く「いつでもなんのかんの理由付けて仕事しないから平常運転」な時間を過ごしていたところに、突如事務所の電話が鳴り響いた。本来彼らの配置的に電話に近いのは糸巻の方なのだが、電話番すらまともにやろうとしない彼女に代わり応対するのは基本的に鳥居の仕事である。
 だがこの時受話器を取ったのは、意外にも糸巻だった。それはいかなる気の迷いか、天変地異の前触れか……あるいは彼女には何か、予感がしたのかもしれない。そして、その予感は的中する。果たしてその向こうから聞こえた声は、彼女の妹分のものであった。

『あの、お姉様ですか?私です、八卦九々乃です!お姉様、それに鳥居さんも。お姉様相手にぶしつけなお願いですが、今から少しだけ七宝(うち)にご足労頂くわけにはいきませんか?その、昨日のことで少し……あ、おじいちゃん!ううん、なんでもな……え、昨日の話?何かって?え、えっと……と、とりあえず切りますねお姉様!』

 それきり切れた電話を戻すと、いつの間にか横に来て立ち聞きしていたらしい鳥居と目が合った。ちゃっかりした奴だと半ば呆れつつも、説明の手間が省けたと単刀直入に問いかける。いや、それはもはや問いかけですらなく、ただの確認だった。いつだって糸巻太夫とは、そういう女なのだ。

「行くぞ鳥居、ちゃんと戸締りやっとけよ。うちが泥棒なんてやられたら笑いもんだ」
「はーい。よくわかんないけど行ってみますか、糸巻さん」

 そしてそこで一切の不平不満を口にせず、きっぱりと行動に移る。鳥居浄瑠もまたそういう男であり、このように根本的なところで変に気が合うからこそこの性格も何もかもが違う2人はタッグを組めているのだ。
 そしてどちらも、いざ行動となるとその判断も含め妙にその動きが素早いという点で一致する。「カードショップ 七宝」に2人が辿り着いたのは、電話を受けてからきっかり15分後のことだった。

「たぁのもぉーう!来たぜ、八卦ちゃん!」
「同じく……って、えぇ……」
「あ、こんにちわー」

 相も変わらず閑古鳥が鳴くどころか巣まで作って越冬していそうな店内の奥、デッキ構築や卓上デュエル等の需要にこたえるために設置されたのであろうテーブルスペース。その一角に座ってなんとも困った笑顔の八卦と共に屈託のない笑顔を浮かべ彼女たちに手を振るのは……遊野清明と名乗った少年、その人だった。 
 

 
後書き
誰?という人も多いでしょうから雑に解説。

遊野清明:拙作「遊戯王GX~鉄砲水の四方山話~」主人公、外見年齢は永遠の14歳だが実年齢は23歳男。タイトル通りGX二次を最終話まで駆け抜けた男であり、シャチの地縛神ことChacu Challhua、通称チャクチャルさんをブレインに持つ今代唯一のダークシグナー。色々あった結果最終的には次元の壁を越えて新たなデュエル、そして元の世界では彼だけが手に入れていたシンクロやエクシーズといったカードを思う存分使うことのできる相手を求めて旅立った。どうやら、辿り着いた先はこの世界だったらしい。エースカードは霧の王で得意技は精霊召喚と家事全般、特に洋菓子関連は実家のケーキ屋でみっちりと鍛え上げられた腕前を持つ。

ただ正直、こんな誰も知らないキャラなんて求められてないだろうな、ということは重々承知しています。でもどうしても彼のその後は書きたかった。この世界に出したかった。
書きたいもの書きました。結果どうなろうと覚悟の上です。 
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