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緑の楽園

作者:どっぐす
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第五章
  第51話 兵舎

 日はすでに沈んでいた。
 長旅の疲れもあって、ブラブラ出歩く気にはなれなかった。しばらくは兵舎の部屋のベッドで、ゴロゴロしていようと思っていた。

 しかしすぐに、外から足音と人の声がたくさん聞こえてきた。

「あ、兄ちゃんに言うの忘れてた。さっき中庭で兵士さんたちが集会してたんだよね。それが終わったんだと思うよ。挨拶しに行こ」
「そうだな。行こうか。クロも行こう」
「わかった」

 どうやら、この兵舎に泊まる予定の兵士たちが来たらしい。
 あまり人と交わるのは得意なほうではないが、一緒のところに泊まるのに挨拶なしはまずい。
 俺、クロ、カイルは部屋を出た。ミシミシと鳴る廊下と階段を通って、兵舎一階の入口へ向かう。

 来ていたのは、全員が首都から来た兵士たちだった。
 彼らは俺らの姿を見ると驚いていたが、もう俺とクロについては兵士たちの間では知らない存在ではない。宜しくお願いしますと挨拶したら、豪快にもみくちゃにされた。

 痛かったが、不思議と温かかった。



 ***



「で、なんで陛下の側近が俺たちと一緒のところにぶち込まれてんだ? こんな古くて汚いとこでかわいそうに」

 兵舎の中にある多目的室で、テーブルの向かいに座っていた若い短髪の兵士が、笑いながら聞いてきた。
 この部屋は食堂になったり、休憩室になったり、打ち合わせ室になったりと、色々な用途に使えるようになっているようだ。
 今は大衆食堂のように長テーブルが何列も並べられており、それぞれのテーブルのところに兵士が適当に座っている。全部で数十人はいるようだ。

「俺、側近ってわけじゃないですよ? 今回の会談のメンバーってだけで」
「そのメンバーがここにいるってのはやっぱり不自然だがな。ここは、普段使われてない旧兵舎だ。今回は俺らが一杯いるから宿舎が足りなくて、仕方なく使うことになったらしいが、もうじき取り壊される予定だったそうだぞ? 何かここに泊まらないといけない事情でもあったのか?」

 領主に嫌われたようで――そう答えてしまうところだった。
 喉まで出かかって、慌てて飲み込んだ。

 ――あ、危なすぎる。

 いくらなんでも「領主に嫌われてここに飛ばされました」なんていうのは、国の兵士であるこの人たちに対してあまりにも失礼すぎる。
 まるでここが流刑地だと言っているみたいではないか。

 冷や汗が一気に出てきた。
 もう少しで大事故になるところだった。
 呼吸も苦しくなって、胸を押さえて下を向いてしまった。

「ん? どうした。体調でも悪いのか?」

 今度は、今しゃべっていた兵士の右隣の兵士が、不思議そうに聞いてきた。
 クロも下から心配そうに見つめている。
 隣に座っているカイルも、心配そうにテーブルの下で俺の腿の上に手を置き、こちらを見上げていた。

「いえいえ! 元気ですよ。大丈夫です」
「そうか、どこか悪くなりそうには見えねえよな。よく見れば割としっかりした体してらあ。いっそこのまま兵士になったらどうだ?」

 兵士がそう言って笑うと、部屋にいた他の連中も一緒に笑った。
 どうも、この兵舎に泊まる兵士たちはフランクな性格の人が多いらしい。
 俺も頑張って笑った。
 いつも一緒にいるカイルにはごまかし切れていなかったと思うが、彼も空気を読んで笑ってくれた。

 ――頭をリセットしなければ。

 自分では切り替えたつもりだったが、まだ頭の中にあの領主が居着いていたようだ。
 少なくとも、この場では完全に消さなければならない。そうしないと普通の他愛ない会話でも事故を起こすことになるだろう。

 今ここにいるのはチャンスだと思えばいい。
 もし国王が今の俺の立場だったら――もちろんあり得ない仮定だが――この状況を、現場の兵士たちと直接触れ合える勉強の機会であると考えるはず。
 どうせ過ぎる時間は同じだ。それなら前向きに考えて過ごしたほうが有意義に決まっている。

 そもそも、最初から俺の感覚が甘っちょろすぎた可能性もある。
 俺は旅行でここに来ているわけではない。
 公用のために軍と一緒にここに来て、この城で泊まらせてもらう。そして宿舎は空いていた古い兵舎である――そこには何もおかしな点はない。
 ずっと首都の城で客室を使わせてもらっていたので、深層意識で勘違いをしていたのではないか。あれは当たり前のことではないはずだ。

 ――よし。

 俺は、右の手のひらで自分の側頭部を叩いた……ら。
 かなり大きな音が出てしまい、いきなりどうした的な顔で見られてしまった。
 心の中でやればよかった。



 ***



 その場に居た兵士たちとは、かなり長いこと話をした。
 普段の訓練のこと、遠征中の生活のこと、将軍たちの噂話など、いろいろなことを聞いた。

 その間、クロはあちこちの兵士から手招きされていたが、特に逆らうことなく、各テーブルを挨拶回りしていた。
 俺のペットであることは首都では浸透しつつあり、最近では霊獣様扱いされることが徐々に少なくなっている。
 それでも、兵士たちはありがたそうに頭を撫でていた。そして、クロもそれに応えるように頭を擦り寄せたり、手を舐めたりと、かなり愛想よく振る舞っていた。
 なんとなく、クロが俺のためにそうしてくれているような気がして、嬉しかった。

 食事は結局どうすればいいかの案内がなかったので、多目的室で兵士たちと一緒に食べさせてもらった。
 なぜか配膳に来たのがエドで、バッタリ会うかたちになって俺も彼も驚くことに。事情を聞いたら、エドの師匠が今回の行軍で料理の責任者になっているとのこと。
 通常、兵士の食事は兵士たち自身で作るそうなのだが、今回は途中に拠点があるので、完全な野営をする必要がない。日程も長いので、出来るだけ士気を落とさぬよう民間の責任者が付いたとのことだ。
 豪華なビーフシチューが出てきたので、コストは大丈夫なのかと心配になった。ただ味はとてもおいしく、兵士たちも感激していた。

 兵舎の近くには樽型の風呂もあり、入らせてもらった。
 「一番最初に入れ」と言われたが、なんとか固辞に成功して最後に入った。さすがに一番風呂を堪能するわけにはいかなかったから。
 湯船のお湯は汚れていたが、それも気にはならなかった。



 ***



 ベッドに入ったのは随分遅い時間だった。
 兵士たちとは、とても新鮮で貴重な時間を過ごしたような気がする。充実感がある。

 しかし会話では危ない場面もあった。
 こちらに悪意がなくても、軽はずみな発言でトラブルになることはある。相手の捉え方がどうかというところまで考えなければならない。

 ――明後日、地下都市側の人間と話すときも、細心の注意が必要だ。

 心の底からそう思う。
 最初は俺が相手と話すことになると思うが、不用意な発言で即アウトということも十分ありうる。
 気を付けなければ……。

 さて、寝よう。

 やはり、ベッドが狭い。しかも二人である。
 いつもは横にベッタリ付かれるのだが、ここはその横にあまりスペースがない。半分上に覆いかぶさられているような感じになる。抱き合っているのとあまり変わらない。

「狭くないか? やっぱりお前は城の大部屋のほうがよかったんじゃないか? 付き合わせてしまったみたいで悪いな」
「いいのいいの。オレこれくらいのほうがいいし」
「……うう、ちょっといつもよりも密着感が」
「悪くないね」
「キモっ」

 金髪少年が「ひどいなあ」などとぼやいている。

「ああ、そういえば。兵士さんはみんなカイルのことをよく知っていた感じだったみたいだけど。なんでだ?」
「へへへ。なんででしょう」
「いや、そこまで興味ないので言いたくなければ別に」
「そこは突っ込んで聞いてよ」
「めんどくさっ」

 とりあえず「言うなら早く言え」と急かしてみた。

「ふふ。首都でおこなわれた去年の剣術大会で、オレが優勝したからでーす」
「……マジですか」
「マジでーす」
「なんだよ……。そういうのはもっと早く教えてくれ」

 どうやら俺の武術の師匠は、町一番どころか国内でも有数の腕だったようだ。
 町長も町長だと思う。教えてくれてもよかったのに。

「へへへ、いつ気づいてくれるのかなあと思って、待ってたんだけどね。城の訓練場に歴代優勝者リストがあるからさ」
「アホか……そんなのいちいち見るわけないだろ……」



 ***



 おそらく最初は、トントンと軽く突かれていたのだと思う。
 だが、俺の眠りが意外と深く、気づかなかったのだろう。
 意識は、ドンドンとマズルの部分で強く叩かれているところから開始された。

「……ん……クロか? どうした」
「リク、起きろ」
「ええ……? まだ……朝になってないだろ……」
「おそらく非常事態だ。起きろ」
「……んー、そうか、非常……事態……か…………って、えっ?」

 慌てて上半身を起こそうとする。
 が、カイルが乗っかっていて上体が上がらなかったので、彼も揺さぶって起こす。

「……ん? どうしたの兄ちゃん」
「非常事態らしいぞ、起きてくれ」

 そしてクロに問いただす。

「クロ、何かあったのか?」
「空気がおかしい。臭いが変だ」
「え? あ、そう言われてみれば……」

 少し、焦げ臭いような気が……しないでもない。

 だが、ここには調理場があるわけでもないし、今は暖房の季節でもない。
 そんなことがあるのだろうか。

 部屋の外に出てみた。
 一見、何事もないようだが。

「兄ちゃん! あっち!」
「……!」

 廊下の先の、階段を見た。
 人ではなく、煙が登ってくるのが見えた。

「火事か……!」

 兵舎は古い木造二階建てだ。火が起これば簡単に全焼するだろう。
 この二階には三十人くらいが現在進行形で寝ている。まずい。

「クロ! 俺は全員を起こして避難させないといけないから、お前は先に外に――」
「断る」
「……じゃあお前は吠えてみんなに知らせてくれ」
「わかった」

「カイルは外で待ってろ! まだ階段は使えると思う」
「やだ。手伝う」
「……じゃあお前は俺と反対側から起こしていってくれ」
「わかった!」

 言うことを聞かない一匹と一人を説得する時間はない。おそらく一刻一秒を争う。
 すぐに全員たたき起こさなければ。

 階段から一番近い部屋の扉を開こうとした。
 が、開かない。古い兵舎なのに、鍵だけはしっかりかかっている。
 乱暴にドアを叩く。

「起きてください! 火事です! 起きて!」

 カイルも通路の反対側の部屋のドアを叩いていく。
 クロも大きな咆哮をあげ、兵士を起こしにかかる。

 俺が叩いていたドアが開き、若い兵士が眠そうに出てきた。

「……どうした? こんな夜中に……って、火事か!」

 起きてきた兵士は、状況を把握すると瞬時に眠気が覚めたようだ。
 すぐに他の部屋のドアを叩いて、起こしにかかる。

 俺も次のドアを叩きながら、ちらりと階段を見る。

「……!」

 もくもくとした煙の奥に、大きな炎が登ってきていた。 
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