| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~

作者:鳥永隆史
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

先はどこに

 フョードル・パトリチェフは困惑していた。
 それはアレス・マクワイルドが果たして優秀といっていいものだろうかということだ。
 彼は自分自らが優秀だと思ったことは一度もない。
 運がよく優秀な人物に仕え、運がよく昇進し、そして運がよく作戦参謀に配属された。

 その一方で優秀と呼ばれる人間はよく見てきてもいる。
 最近では、かのエルファシルの英雄だ。
 まだ若き英雄は、エコニアで発生した騒乱を見事な手腕で抑えた手並みは未だに覚えている。自分などはさほど役には立たなかったかもしれないが、協力できたことは喜ばしいことだった。

 そういう意味では、優秀だとの前置きをもって配属されたアレス・マクワイルド大尉も間違いなく優秀と呼んでいい人物であった。
 まず仕事に慣れてもらうために任せた雑用。

 本来であれば参謀見習いである少尉や中尉がいる中で、大尉の階級である彼がやるべき仕事ではなかったかもしれないが、それでも初めての仕事に慣れてもらうという意味と彼の性格を見るという二つの意味で彼に任せることにした。エリート意識があるならば嫌な顔一つでもしただろうそれを、彼は不機嫌になることもなく、確実にこなした。
 それだけでもパトリチェフは十分であった。

 仕事を確実にするということは、仕事を任せられるということでもあるのだから。
 仕事ぶりもさすがはセレブレッゼ少将の元で鍛えられただけはあると感心するものだ。
 これで仕事に慣れれば一月もすれば他の人間と同様に仕事を割り振ることができるだろうと考えていた。単純に楽ができると喜んでいた。

「中尉。忙しいなら、手伝う。今やっている仕事を教えてくれ」
 だが、アレスはそこで終わらなかった。
 一週間ほどしたある日、突然立ち上がると周囲の人間に声をかけていった。
 誰が何をしているのか、手伝えることはあるのかと問いかける。

 最初は誰もが一週間でわかるはずがないと思っただろう。
 パトリチェフにしてもそう思っていた。
 だが、中尉が立案していた訓練艦隊の補給計画について、後方勤務本部の経験をもって見事に修正するのをはじめとして、カプチェランカでの小隊長の経験を生かした訓練の計画など自らの持つ知識で計画に磨きをかけていった。

 そうなれば、パトリチェフのところに上がってくる報告はほぼ手直しが必要のないものだ。いくつもあって長い作業で停滞を見せていた業務が、ダムが決壊したかのように次々と進むようになり始めた。
 まさにそれは中尉と自分の架け橋であり、今後アレスに期待することであったのだが、それを言わずとも見事に担ってくれたわけだ。
 だが、単純にさすがだとパトリチェフは喜べなかった。

 もし、これが長年勤めた下士官や配属して経験の深い士官であったなら単純に喜んだだろう。だが、それをこなしているのが配属一週間の新人であることを、ただ優秀だと一言で片づけてもいいものだろうかと。とはいえ、訓練を一月後に向かえる忙しい時期では、誰もが仕事を抱えて停滞していた状況であり、それを改善してくれたのは間違いない。

 ただ優秀では片づけられない怖さがあったが、それを表情に出すことはなかった。
 深くは悩まない性格というのはパトリチェフの長所であるかもしれなかったが。 
 だが、パトリチェフを悩ましたのは、その後のことだった。
 仕事が進み始めてしばらく経って、アレスがパトリチェフに意見に来た。
 睨むような目つきを向けられれば、一瞬であるがどきりとした。

「こちらの仕事も落ち着きましたので、他の部署へ訓練の調整に行きたいのですが」
「訓練の計画については、詳細な情報を各作戦参謀と艦隊司令部に送っているし、来月には会議を予定している。わざわざ行く必要はないんじゃないか?」
「それを知って共通の認識があるのは、現在のところ上層部だけでしょう。もう少し広く情報を共有する必要があると、考えます」
 それにパトリチェフは渋い顔をする。

 アレスが言わんとしていることは理解できる。
 だが。
「あまり下まで伝達するとどこかで情報が洩れる恐れがある。上もいい顔はしないだろう」
「それは理解できます。なら、他の作戦参謀とは話をしても良いのではないかと。先日、作戦計画を作戦参謀から頂きましたが、先週のものと大きく変わっていました。訓練も近づけば簡単には変更もできません。早めに知っておいた方がいいかと思います」

 そう強く言われれば、パトリチェフが否定をする理由もない。
 了解したと頷けば、敬礼をもって踵を返した。
 そして、足を止める。
「あ。作戦計画に関係のない雑談程度なら、各艦隊とも話して構いませんか」

「え。ああ、それなら問題はない」
「ありがとうございます」
 さらっといわれた言葉に、思わず許可を出した。
 本来ならばよくないことなのであろうが、雑談くらいならば誰もがしていることだと。
 そうして。

「また、マクワイルド大尉がいないのだけれども……」
「あ。大尉なら第五艦隊の分艦隊を見に行くとおっしゃっていました」
「またか。昨日は第八艦隊の旗艦に行くといっていたじゃないか」
「ええ。その後で作戦参謀の方へ書類を出しに行くとおっしゃっていました。あ、頼まれていた書類は机の上においているとのことです。それとこちらが、訓練時の補給の修正案です。マクワイルド大尉には見ていただいています」

 差し出された書類を受け取って、パトリチェフは大きなため息を吐いた。
 決してさぼっているわけではないのだろう。
 少なくとも頼んだ仕事は片づけているし、それ以外にも部下の仕事の面倒も見ている。
 仕事の進み方も今までと変わらない。むしろ、慣れてきた分だけ早くなっている気さえするが。仕事はよくできる。だが、配属してわずか三週間で席から消えるようになった新人を、果たして優秀と呼んでいいかパトリチェフは悩んでいたのだった。

 + + +
 
「パトリチェフ少佐。マクワイルド大尉と一緒に部屋に来てくれ」
 鋭い瞳で告げられて、パトリチェフはやはりと大きくため息を吐いた。
 仕事自体は進んでいるとはいえ、中佐の目にもマクワイルド大尉が消えているのが目に入ったのだろう。実際に、マクワイルド大尉は、パトリチェフの許可を取ってから頻繁に自分の席から消えている。
 その理由をパトリチェフは決して知らないわけではない。

 事前に、今日はどこに行ってくるか周囲に伝えてから消えるからだ。
 その後に持ってくる報告書で、事細かに他部署の情報が報告される。
 つまり、こちらに正式な報告が来る前に概要が把握できる。
 残念なことながら、組織は大きくなるほど情報の伝達は遅くなる。
 艦船に故障が見つかれば、それの報告をするのに一日。そこから上を経由して、パトリチェフのところに伝わるのは早くても三日かかるだろう。だが、アレスがどこからか――いや、正確には現場で聞いているのだろうが、それを伝えてくる。

 本来ならば、無駄に終わる仕事が少なくなるのだ。
 逆にこちらの情報を伝えることで、他部署の無駄な仕事を減らしているようだ。
 アレスの長い散歩は現場の人間にはおおむね好評で、そして上司には不評であった。
 忙しいことが美徳であると考える人間には、ふらふらと歩いている人間は目立つ。
 情報参謀は暇なのかと嫌味を言われたこともあった。

 おそらくは、それがアロンソ中佐にも伝わったのだろう。
 彼は情報部畑の出身であり、現在も情報部に在籍する傍らでこちらに応援で来ている。
 寡黙ながら、非常に細かく、パトリチェフも苦手とする人物だ。
 心が重くなるのを感じながら、また散歩から帰って来たアレスに声をかける。
 中佐から呼ばれたと聞いて、さほど驚いた様子はなかった。

 随分と肝が据わっているようだ。
「なら、早く行きましょう。同じ怒られるなら早い方がいいですからね」
 どこか悪戯を怒られる子供のような顔で言った。
 そんな表情を見れば、パトリチェフは思わず苦笑する。

 元より深く考えることは苦手な性格だ。
「なに、謝ればアロンソ中佐も許してくれるだろう」
「ご迷惑をおかけします」
「最初に許可を出したのは俺だからな。気にするな」
 パトリチェフはがははと大きな笑い声をあげた。
 その様子に、どこか心配そうにこちらを見ていた部下たちが安心したように笑う。

 そんな様子に、アレスは得な性格であると同時に得難い才能でもあると思った。
 ヤンが徴用したのも理解できる。
 二人連れだって、アロンソの執務室に入った。
「随分と楽しそうだな、パトリチェフ少佐。呼び出されて、楽しい話でもされると思ったのか」
 凍てつくような声に、パトリチェフの表情が固まった。

 声が大きいというのも、損な部分もあるようだ。

 + + +

「さて、呼んだのは他でもない。マクワイルド大尉――君は他の作戦参謀に顔を出しているようだね。そんなに暇なのかと、小言がビロライネン大佐の耳に入ったようでね。ビロライネン大佐もお怒りのようだ」
「机上で仕事をしているだけでは、足りない部分があると思ったからです」
「足りない部分?」

「情報の共有化です。他の部署が何をしているかは、全て他の参謀が上にあげ、それが主任情報参謀に伝わり、私たちに落ちてくる。それでは情報の新鮮さに欠けますし、何より正しい情報とは限りません。どういった意図を考えているのか、それを理解しなければ、訓練計画など机上の空論に終わります」
「私が間違えた情報を伝えていると」
「先日、作戦参謀から敵艦隊への突入については、周囲との同調よりも速度を重視するようにお伝えいただきました」

「それが間違えだと」
 アレスは首を振った。
「いえ。作戦参謀の意見はもっとひどいものです。周囲の同調を完璧にして、なおかつ速度を現状の倍を求めているようです。で、なければ並行追撃にならず引きはがされる可能性があるとの試算でした」
 淡々と語るアレスの言葉に、冷たい相貌で見ていたアロンソの眉にしわがよった。
「それは初耳だな」

「でしょうね。ただ、現状の倍ということだけが独り歩きをして、こちらには同調性よりも速度を重視しろと連絡が来たようです。どこで捻じ曲げられたかは問題ではありませんが、それで訓練計画を立てていた場合には、訓練不足となる可能性が問題です。作戦参謀にはすぐに訂正の報告書を送るように伝えましたし、こちらもその予定で訓練計画を進めていくつもりです」
「なるほど。それが足りない部分の一例というわけか。では、艦隊司令部の方に顔を出しているのはなぜかね、暇つぶしの雑談しかしていないと聞くが」

「現場のことを知らないで、なぜ参謀ができると思うのです。戦うのは各艦隊の人間ですよ」
 冷静な指摘に対して、アレスが言葉にしたのは真っ向からの反論だ。
 隣で聞いていたパトリチェフはしたたり落ちる、汗を拭った。
 だが、アロンソは一切表情を変えず、ただ鋭い眼光でアレスを見る。
 同じように見るアレスは、目つきの悪さも相まって、相互が睨みあっているようだった。

「他の情報担当が調べた限り、作戦のことは話していないようだが。情報参謀が艦隊司令部に顔を出せば、どこからか情報が漏れるという可能性は考えなかったのかね」
「漏れるのを防ぐのが情報参謀役割でしょう。何もしなければ、一切情報は漏れません。いっその事、訓練をやめますか」
 アレスは肩をすくめた。

「それに既に勘の良い艦隊司令部の人間は、まもなく大きな戦いがあることを理解していましたよ。何十年、同じことをやっていると思っているのですか。現場の人間だって馬鹿じゃない」
「つまり各艦隊の人間にもある程度知らせる必要があると、大尉は考えるのかね」
「ええ。何も馬鹿正直にイゼルローンを攻略するとか、並行追撃作戦を行うという必要はありません。けれど、何も知らされずに上だけで話を進める必要はないと思います。実際にこのままで訓練を行ったとしても、何ら能率はあがらないでしょう。及第点には持っていけるでしょうが、それだけです。どこまで知らせるかは、訓練の必要な練度と情報統制の関係次第でしょうね。仕事は増えますが、何もせずにただ部屋にこもっているよりかはいいかと」

「なるほど」
 と、アロンソは一言そういうと、黙った。
 両手を組んで、机の上に置く。
「それが君の考えか」
「ええ――」
「違います!」

 アレスの同意の言葉に、かぶせるようにパトリチェフの大声が響いた。
「アレス・マクワイルド大尉は、問題点を指摘しただけにすぎません。だが、それに対して許可を出したのは小官です」
 ハンカチを握りしめて、パトリチェフは断言した。
「実際に彼が行動して、仕事の進捗は非常にはかどっております。それについては先日送りました報告に記載のとおり。これに問題があるとすれば、全て小官の責任です」
「当然のことだろう」

 パトリチェフの断言に、アロンソは当然といったように口を出した。
「部下の行動を把握しない上官など不要。部下の責任は全て上官の責任だ」
 そう言って、アロンソは組んでいた手を外した。
 鋭い目がパトリチェフとアレスをとらえている。
 パトリチェフは再び汗を拭った。
 動揺を隠せぬパトリチェフに対して、一切の妥協を見せずこちらを見る若い青年。

 瞳に込められた力は、何を言ったところで反論して見せるという強さだ。
 強いな、だが。
 思いかけた言葉を止めて、アロンソは言葉を紡ぐ。
「マクワイルド大尉。これからも自由に動くがいい、私が許可をする。各艦隊に連絡する情報の内容については、小官の方からリバモア少将とビロライネン大佐にお伝えしておこう。それまでは現状を維持するように、以上だ」

 パトリチェフがハンカチを額に押し当てたままに、大きく目を開いている。
 なんだと、いささか不愉快そうにアロンソが口にした。
「不思議そうな顔をするな。私は必要だと思ったことを指示しただけだ。だが」
 と、そこで冷たい視線がアレスを捉える。
 それをアレスはまっすぐ受け止めた。
「若いな。これから長い軍人生活を送るだろうが、正面から正論を言って正しいというわけではない。下手に正義感を出せば、後々に苦労することになるぞ」

 アロンソの忠告の言葉に、アレスは苦い顔を浮かべた。
 どこか達観した――そう、まるで若いのに、随分と老けた老人のような顔だ。
「長い軍人生活――ならば、私も言葉を選びます。先があるというのならば」
「どういうことだ」
「いえ、何もございません。ご忠告には感謝します、では」
 アレスが話を打ち切るように敬礼をして、静かに踵を返した。

 アロンソは驚いた表情のままに、それを見送るだけしかない。
 慌ててパトリチェフが追いかける。
「――そんな余裕はないからな」

 寂しげに、悲しげに――独り言のように言った言葉が、追いかけるパトリチェフの耳に残った。

 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧